青森旅行記2023~羽田に戻って珍事編~ [日本の旅(東北)]
タイトルに「珍事」と書きましたが、この言い方が適切なのかそうでないのか
自分でもよく分からず、かといって「事件」ではないので(うつぼ家内の出来事なので)
「珍事」としました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
着陸後、お多福さんが「オープンスポットに駐機します」とアナウンス。
後方に座るお客さんが「うまい言い方だよなあ」というのが聞こえましたが、
要は帰りも沖どめです。(笑)
確かにオープンスポット
青森と違って羽田は晴れていてホッとしました。
シートベルトサインが消えても隣のお兄さんが立ち上がらずずっと座っていたので、
すみません、とお兄さんの長い足をまたいで通路に出て頭上の棚から荷物をおろし、
階段を下りてターミナルまでのバスに乗って発車、、、したところで、
予想していないことが起きました。
バスに乗っている時、兄から電話がありました。
いつもならLINEでメッセージを送ってくるかLINE電話してくるか(年に一度くらい)、
普通に電話してくることがないのに(通話代が高いので)なぜ電話?と思いながら、
バスに乗っていてとることができず、旅行から戻ってきてバスに乗っていたから
電話に出られずごめんね、とLINEでメッセージを送ると、すぐ返事がありました。
婆1号が心臓が苦しいと救急車で近所の大きな病院に運ばれたという内容でした。
近所のおばちゃん(とても親切)がついていってくれたけれど、
俺もこれから病院に行くからお前も出来れば来い、という内容で、
実家に帰らずホイホイ旅に出たら、その間に婆1号の具合が悪くなっていたこと、
私の行いのせいかもしれない、なんというか罪悪感にかられるというか、
婆1号の様子が気になって急に不安になりました。
( ノД`) お母さんごめんなさい。。。
バスを降りてターミナル内を早足で歩いて高速バス乗り場に向かっている途中、
救急車に乗って婆1号に付き添ってくれている近所のおばちゃんから電話が。
「あ、うつぼちゃん?
お兄ちゃんから聞いてると思うけど、
いま、お母さんと一緒に○○病院に来ているのよ。
救急車の中でも会話が出来たから大丈夫よ、心配しないようにね。
うつぼちゃんは旅行に行ってるんだよね、もう帰ってきたの?
もし、こっちに来られるなら来てくれたらお母さんも安心すると
思うから来てちょうだいね。」
ちょうどかえってきて羽田空港にいること、兄がこれから病院に行くこと、
私は一旦帰宅して実家に泊まる支度をしてから向かうことを伝え、
いつも気遣ってくれてありがとうございます、と伝えました。
このおばちゃん、同じ団地内でもそんなに家が近いわけではないのですが、
(子供同士が同じ学校に通っていたものの同級生ではなく)
うつぼ父が脳疾患にかかった後、このおばちゃんのダンナさんも同じ病気で
それがきっかけで互いに相談しあうようになってから親しくさせていただいて、
父とおばちゃんのダンナが亡くなった後も未亡人コミュニティというかで
気遣ってもらっているとても親切な方です。
以前、何度電話しても(固定電話、携帯)婆1号が出ないと不安そうな兄に代わり
おばちゃんに家まで見に行ってもらえないでしょうか、とお願いして以来、
(携帯は電池切れ、固定電話は受話器があがっていて電話に出なかった)
「なんでもおばちゃんに相談しなさいね」と言ってくれて頼りにさせていただいています。
コロナワクチン(1回目と2回目)の接種予約の時も、
手伝おうかという私に「自分でやるから大丈夫」と頑なな態度だった婆1号が
ネットで予約(byおばちゃんの娘さん)しようか?とおばちゃんが声かけしたら
素直に予約してもらった、そのくらいの信頼関係を持っているので、
今回も心臓が苦しくて横になっても治らないからと、婆1号がおばちゃんに電話し、
かかりつけの病院に行ってこようと思うと伝えたところ、
「大きな病院に行った方がいいから救急車を呼ぼう」と呼んでくれたとのこと。
おばちゃん、ありがとう。。。。(;_:)
自宅に戻って実家に泊まって在宅勤務ができるようにPCを背負って向かっていると、
「病院にきておばちゃんに会ってから、お医者さんの説明を聞いて
これから会計だから、病院にこないでそのまま実家に帰ってこい」
兄からLINEで連絡がありました。
最寄り駅から実家に歩いている途中で軽自動車に乗った兄と婆1号に会ったので
そのまま乗って近所のスーパーに行って、夕食とおばちゃんへのお礼にと上寿司を買って
おばちゃん家に寄ってお寿司を渡し(青森土産のリンゴジュースもどうぞと渡した)
帰宅して3人で夕食(婆1号が無事だったので私たちもスーパーのお寿司)。
病院でCTなどの検査をしたものの、病気ということはなく、結局「年齢」が理由。
婆1号は年のせいにされたと怒ることなく病気でなくてよかったと思ったみたいです。
80代後半で1人暮らしさせているのも子供としてどうなんだろうと思うのですが、
本人が施設に入るほどよぼよぼではないし、長年住んだ実家、知り合いがいるのが
いいというのでそのままにしていますが、私や兄がいない時にぽっくり家で死ぬ、
そんな旅立ち方がいいのかな、と本人は思っているようです。
(自宅で亡くなると発見した私が警察の聴取を受けるのも仕方ないと言っている)
どうしても一人で動けなくなったら兄の家(慣れない埼玉県)に行く、と言って
いますが、病院で長期間寝たきりになるくらいならということみたいなので、
本人が大丈夫と言っている限りは近所のおばちゃんのサポートもいただきながら、
好きなようにさせるのがいいのかな、なんて思いました。
夕食後、兄は自分の家に帰り、私は泊まって翌日は実家で在宅勤務。
新しい働き方として在宅勤務が選べる勤め先でよかったと思いながら2人で過ごし、
何かあったら我慢せず言ってほしいこと、平日も必要であれば実家に来るから
遠慮しないでほしいこと(婆1号、非常に我慢強いため念押し)を伝えて
私も自宅に戻りました。
という、珍事なのか分かりませんが、羽田空港から慌ただしかった2日間、
その後は、穏やかに過ごしている婆1号ですが、いつかは誰もが通る道、
自分の生活があるといっても婆1号の気持ちを尊重しながら見守らないと、
そんな気持ちになった青森旅行記となりました。
(これにて青森旅行記2023 おわり)
自分でもよく分からず、かといって「事件」ではないので(うつぼ家内の出来事なので)
「珍事」としました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
着陸後、お多福さんが「オープンスポットに駐機します」とアナウンス。
後方に座るお客さんが「うまい言い方だよなあ」というのが聞こえましたが、
要は帰りも沖どめです。(笑)
青森と違って羽田は晴れていてホッとしました。
シートベルトサインが消えても隣のお兄さんが立ち上がらずずっと座っていたので、
すみません、とお兄さんの長い足をまたいで通路に出て頭上の棚から荷物をおろし、
階段を下りてターミナルまでのバスに乗って発車、、、したところで、
予想していないことが起きました。
バスに乗っている時、兄から電話がありました。
いつもならLINEでメッセージを送ってくるかLINE電話してくるか(年に一度くらい)、
普通に電話してくることがないのに(通話代が高いので)なぜ電話?と思いながら、
バスに乗っていてとることができず、旅行から戻ってきてバスに乗っていたから
電話に出られずごめんね、とLINEでメッセージを送ると、すぐ返事がありました。
婆1号が心臓が苦しいと救急車で近所の大きな病院に運ばれたという内容でした。
近所のおばちゃん(とても親切)がついていってくれたけれど、
俺もこれから病院に行くからお前も出来れば来い、という内容で、
実家に帰らずホイホイ旅に出たら、その間に婆1号の具合が悪くなっていたこと、
私の行いのせいかもしれない、なんというか罪悪感にかられるというか、
婆1号の様子が気になって急に不安になりました。
( ノД`) お母さんごめんなさい。。。
バスを降りてターミナル内を早足で歩いて高速バス乗り場に向かっている途中、
救急車に乗って婆1号に付き添ってくれている近所のおばちゃんから電話が。
「あ、うつぼちゃん?
お兄ちゃんから聞いてると思うけど、
いま、お母さんと一緒に○○病院に来ているのよ。
救急車の中でも会話が出来たから大丈夫よ、心配しないようにね。
うつぼちゃんは旅行に行ってるんだよね、もう帰ってきたの?
もし、こっちに来られるなら来てくれたらお母さんも安心すると
思うから来てちょうだいね。」
ちょうどかえってきて羽田空港にいること、兄がこれから病院に行くこと、
私は一旦帰宅して実家に泊まる支度をしてから向かうことを伝え、
いつも気遣ってくれてありがとうございます、と伝えました。
このおばちゃん、同じ団地内でもそんなに家が近いわけではないのですが、
(子供同士が同じ学校に通っていたものの同級生ではなく)
うつぼ父が脳疾患にかかった後、このおばちゃんのダンナさんも同じ病気で
それがきっかけで互いに相談しあうようになってから親しくさせていただいて、
父とおばちゃんのダンナが亡くなった後も未亡人コミュニティというかで
気遣ってもらっているとても親切な方です。
以前、何度電話しても(固定電話、携帯)婆1号が出ないと不安そうな兄に代わり
おばちゃんに家まで見に行ってもらえないでしょうか、とお願いして以来、
(携帯は電池切れ、固定電話は受話器があがっていて電話に出なかった)
「なんでもおばちゃんに相談しなさいね」と言ってくれて頼りにさせていただいています。
コロナワクチン(1回目と2回目)の接種予約の時も、
手伝おうかという私に「自分でやるから大丈夫」と頑なな態度だった婆1号が
ネットで予約(byおばちゃんの娘さん)しようか?とおばちゃんが声かけしたら
素直に予約してもらった、そのくらいの信頼関係を持っているので、
今回も心臓が苦しくて横になっても治らないからと、婆1号がおばちゃんに電話し、
かかりつけの病院に行ってこようと思うと伝えたところ、
「大きな病院に行った方がいいから救急車を呼ぼう」と呼んでくれたとのこと。
おばちゃん、ありがとう。。。。(;_:)
自宅に戻って実家に泊まって在宅勤務ができるようにPCを背負って向かっていると、
「病院にきておばちゃんに会ってから、お医者さんの説明を聞いて
これから会計だから、病院にこないでそのまま実家に帰ってこい」
兄からLINEで連絡がありました。
最寄り駅から実家に歩いている途中で軽自動車に乗った兄と婆1号に会ったので
そのまま乗って近所のスーパーに行って、夕食とおばちゃんへのお礼にと上寿司を買って
おばちゃん家に寄ってお寿司を渡し(青森土産のリンゴジュースもどうぞと渡した)
帰宅して3人で夕食(婆1号が無事だったので私たちもスーパーのお寿司)。
病院でCTなどの検査をしたものの、病気ということはなく、結局「年齢」が理由。
婆1号は年のせいにされたと怒ることなく病気でなくてよかったと思ったみたいです。
80代後半で1人暮らしさせているのも子供としてどうなんだろうと思うのですが、
本人が施設に入るほどよぼよぼではないし、長年住んだ実家、知り合いがいるのが
いいというのでそのままにしていますが、私や兄がいない時にぽっくり家で死ぬ、
そんな旅立ち方がいいのかな、と本人は思っているようです。
(自宅で亡くなると発見した私が警察の聴取を受けるのも仕方ないと言っている)
どうしても一人で動けなくなったら兄の家(慣れない埼玉県)に行く、と言って
いますが、病院で長期間寝たきりになるくらいならということみたいなので、
本人が大丈夫と言っている限りは近所のおばちゃんのサポートもいただきながら、
好きなようにさせるのがいいのかな、なんて思いました。
夕食後、兄は自分の家に帰り、私は泊まって翌日は実家で在宅勤務。
新しい働き方として在宅勤務が選べる勤め先でよかったと思いながら2人で過ごし、
何かあったら我慢せず言ってほしいこと、平日も必要であれば実家に来るから
遠慮しないでほしいこと(婆1号、非常に我慢強いため念押し)を伝えて
私も自宅に戻りました。
という、珍事なのか分かりませんが、羽田空港から慌ただしかった2日間、
その後は、穏やかに過ごしている婆1号ですが、いつかは誰もが通る道、
自分の生活があるといっても婆1号の気持ちを尊重しながら見守らないと、
そんな気持ちになった青森旅行記となりました。
(これにて青森旅行記2023 おわり)
タグ:珍事
青森旅行記2023~羽田空港に戻る編~ [日本の旅(東北)]
やっと羽田空港に戻ります。(^-^)
事前改札の後、出発20分前から搭乗が始まり一番前の窓側に着席。
近くに座る上級会員ぽいおじさんがCAさんに上から目線で話しかけているのを見て
ああいうのは反面教師にしないとな、と思ったのですが、対応しているCAさん、
見た目がどこか「お多福さん」って感じの中年女性で、その受け答えがてきぱきと、
こういうおじさんの対応にも慣れている感じで見ていて頼もしく思えました。
お多福さん(親しみを込めてこう呼ばせていただきます(^-^))がこのフライトの
客室責任者だったのですが、てきぱきと対応し明るい方で観ていて好感を持ちました。
乗客が全員搭乗した後ドアを閉める際にもボーディングブリッジ側のスタッフの方に
「ありがとうございます!気を付けていってまいります!」と声かけしていて、
いつも見ているJALのCAさんとどこか違うフレンドリーな雰囲気を感じました。
もう一人、前方席担当のCAさん(エレガントな夜会巻きの女性CAさん)は、
「ドアが閉まるまで寒くて申し訳ありません」と申し訳なさそうに声かけしてくれて
「いえいえ、暑いのは苦手ですが寒いのは大丈夫です」と答えたら、
「まあ、羨ましいですー!」とスマイルで返されたのですが、こういうCAさんの方が
JALのCAさんのイメージだったので、お多福さんの存在が気になって仕方なく、
視界に入るときついつい目線を向けて見てしまいました。
バシネットを外した跡があるので元国際線機材でしょうね
(三沢便の機材に比べてクラスJのシートがくたびれた感じなので古い機材だと思われ)
私の一席空けて隣には若いお兄さんが座ったのですが、全体的に醸し出す雰囲気が
K-POPのアーティストみたいな雰囲気(お化粧していた)、金のアンクレット、
目の覚めるようなスカイブルーの超高級ブランドバッグを私とお兄さんの間の空席に
置いてシートベルトをかけて、ご本人はヨギボーの枕を首にかけて寝ていました。
世の中色々な人がいるんだなと思いながら目線はお多福さんを追いかけていた私、
ドアが閉まった後も、コックピットに乗客数(外国人乗客有無)などを丁寧に報告、
乗客のシートベルト状況もてきぱきと確認している姿を追いかけながら、
トーイングカーも気になってみてしまう
事前改札の後、出発20分前から搭乗が始まり一番前の窓側に着席。
近くに座る上級会員ぽいおじさんがCAさんに上から目線で話しかけているのを見て
ああいうのは反面教師にしないとな、と思ったのですが、対応しているCAさん、
見た目がどこか「お多福さん」って感じの中年女性で、その受け答えがてきぱきと、
こういうおじさんの対応にも慣れている感じで見ていて頼もしく思えました。
お多福さん(親しみを込めてこう呼ばせていただきます(^-^))がこのフライトの
客室責任者だったのですが、てきぱきと対応し明るい方で観ていて好感を持ちました。
乗客が全員搭乗した後ドアを閉める際にもボーディングブリッジ側のスタッフの方に
「ありがとうございます!気を付けていってまいります!」と声かけしていて、
いつも見ているJALのCAさんとどこか違うフレンドリーな雰囲気を感じました。
もう一人、前方席担当のCAさん(エレガントな夜会巻きの女性CAさん)は、
「ドアが閉まるまで寒くて申し訳ありません」と申し訳なさそうに声かけしてくれて
「いえいえ、暑いのは苦手ですが寒いのは大丈夫です」と答えたら、
「まあ、羨ましいですー!」とスマイルで返されたのですが、こういうCAさんの方が
JALのCAさんのイメージだったので、お多福さんの存在が気になって仕方なく、
視界に入るときついつい目線を向けて見てしまいました。
(三沢便の機材に比べてクラスJのシートがくたびれた感じなので古い機材だと思われ)
私の一席空けて隣には若いお兄さんが座ったのですが、全体的に醸し出す雰囲気が
K-POPのアーティストみたいな雰囲気(お化粧していた)、金のアンクレット、
目の覚めるようなスカイブルーの超高級ブランドバッグを私とお兄さんの間の空席に
置いてシートベルトをかけて、ご本人はヨギボーの枕を首にかけて寝ていました。
世の中色々な人がいるんだなと思いながら目線はお多福さんを追いかけていた私、
ドアが閉まった後も、コックピットに乗客数(外国人乗客有無)などを丁寧に報告、
乗客のシートベルト状況もてきぱきと確認している姿を追いかけながら、
定刻にドアが閉まった飛行機はほどなくし吹雪く中滑走路に向かい、無事離陸。
お多福さんのアナウンスによれば、上昇時と降下時に気流の関係で揺れるとのこと、
その通り離陸後10分くらい結構揺れました。
揺れのためシートベルトサインが消えるまで時間がかかったのもありますが、
その間、お多福さんがアナウンス、シートベルトをしっかり締めるように、の他に、
ドリンクサービスの説明も丁寧に行っていました。
(ビーフコンソメスープ、スカイタイム、コーヒー、、、ご用意していますといった感じ)
夜会巻きCAさんが「淹れたてでーす」と言っておいてくれただけあって熱くてすぐ飲めず、
しばらくフーフーしてからいただきました。
飲み終わってコップをCAさんに渡して暫くしたところでシートベルトサインが点灯し、
降下準備、機体が揺れ始め、いわき(福島県)あたりを通過しているのをフライトマップで
確認してちょっとうとうとしたら、
着陸したのであとは自宅に帰るだけ、と思ったのですが、
この後、ちょっとした出来事がありました。
(つづく)
タグ:JL
青森旅行記2023~青森空港に向かう編~ [日本の旅(東北)]
~>゜)~~~オハヨウゴザイマス。
たくさん呑んで爆睡した後は、夜中に何度か起きて二度寝して、7時過ぎに起床。
たくさん呑んで爆睡した後は、夜中に何度か起きて二度寝して、7時過ぎに起床。
朝食会場に行くと、前日(日曜日)と異なり月曜日は全体的に空いていて
この日は両手にビニール手袋着用のお願いもなく(手袋自体置いてなかった)
前日より控え目にしました
前日あった麻婆豆腐を食べようと思ったらこの日は置いてなくて(日替わりなんですね)
三沢でも見た豚バラ焼きが置いてありました。
お肉多めでごちそうさま
外は雪
早朝、JALからメールが届いていたのですが、予約していたフライトについて天候調査中、
天候不良で条件付き(ダイバートや青森空港戻り)の可能性あり、とのこと。
4年前の行きのフライトが羽田空港戻りになったことをふと思い出しました。
(ゴーアラウンドを初めて体験したのもこの時)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2019-09-07-1
この時は往路だったので(単なる観光で急ぐ旅でもなかった)羽田空港に戻ってから
旅行会社にその旨伝えてツアー自体をキャンセルしましたが(キャンセル料はゼロ)、
帰りの飛行機が引き返しになったら、、、なんて、想像したくないです。( 一一)
最悪の場合、青森空港からバスで青森駅に再び戻ってきて、新青森駅まで移動して新幹線、
という移動手段もあるのですが、そうなると青森空港から最短で4時間くらい?かかるので
(空港から青森駅まで戻るだけでも時間がかかり、しかも新幹線利用は自費)、
翌日仕事だし、予約した飛行機で予定通り羽田空港に戻りたい、フライトはお昼の時間帯で
まだ4時間くらいありますが、天候が良化して飛行機が飛びますようにと祈りながら
早めに空港に行くことにしました。
外は晴れているような曇天のような
雪が降る中、歩いて青森駅まで行って、バス乗り場に行くと、
こんな停留所があるのを知りました
昭和と名の付く大仏。
大仏というと、鎌倉で観たのもウン十年前が最後、最近、銚子(圓福寺)で観ることしか
なかったので、俄然興味が湧きました。(次回の宿題にします)
駅前も雪で煙っていました
青森空港行のバスに乗車したのは10人弱。
羽田以外の行先のフライトにちょうどいい時間で乗車人数も少なかったみたいですが、
スーツケースなどの荷物は自分でバス外側(下部)に収納するように言われました。
以前は運転手さんが収納してくれたような記憶ですが、破損などの責任がとれないから、
なのでしょうかね。(といっても他で自分で収納と言われたことがないのでびっくり)
また、以前は乗車前に待合室でチケットを購入しなければいけなかったのが、
交通系ICが使えるようになったせいか、券売機でチケットが買えなくなっていて
これもびっくりしました。時代の流れで色々ルールが変わるのは分かるのですが、
バスに乗ろうと思うと、その土地土地でルールが違うなあと思って時に戸惑うのもので、
運営会社関係なく運賃支払いのルールなどが統一されていくと利用者は便利だろうな
なんて思いました。
渋滞なく40分くらいで青森空港に到着
予約しているフライトの出発時刻の2時間ちょっと前に到着し(国内線なのに(笑))
アップグレードできるか自動チェックイン機に行ってみたら、天候調査中の表示で
遅い時間帯のフライト変更はできるものの(通常はツアーなのでフライト変更不可)
座席変更やアップグレードはできない状態になっていました。
フジドリームエアウェイズの広告
この日は両手にビニール手袋着用のお願いもなく(手袋自体置いてなかった)
前日あった麻婆豆腐を食べようと思ったらこの日は置いてなくて(日替わりなんですね)
三沢でも見た豚バラ焼きが置いてありました。
早朝、JALからメールが届いていたのですが、予約していたフライトについて天候調査中、
天候不良で条件付き(ダイバートや青森空港戻り)の可能性あり、とのこと。
4年前の行きのフライトが羽田空港戻りになったことをふと思い出しました。
(ゴーアラウンドを初めて体験したのもこの時)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2019-09-07-1
この時は往路だったので(単なる観光で急ぐ旅でもなかった)羽田空港に戻ってから
旅行会社にその旨伝えてツアー自体をキャンセルしましたが(キャンセル料はゼロ)、
帰りの飛行機が引き返しになったら、、、なんて、想像したくないです。( 一一)
最悪の場合、青森空港からバスで青森駅に再び戻ってきて、新青森駅まで移動して新幹線、
という移動手段もあるのですが、そうなると青森空港から最短で4時間くらい?かかるので
(空港から青森駅まで戻るだけでも時間がかかり、しかも新幹線利用は自費)、
翌日仕事だし、予約した飛行機で予定通り羽田空港に戻りたい、フライトはお昼の時間帯で
まだ4時間くらいありますが、天候が良化して飛行機が飛びますようにと祈りながら
早めに空港に行くことにしました。
雪が降る中、歩いて青森駅まで行って、バス乗り場に行くと、
昭和と名の付く大仏。
大仏というと、鎌倉で観たのもウン十年前が最後、最近、銚子(圓福寺)で観ることしか
なかったので、俄然興味が湧きました。(次回の宿題にします)
青森空港行のバスに乗車したのは10人弱。
羽田以外の行先のフライトにちょうどいい時間で乗車人数も少なかったみたいですが、
スーツケースなどの荷物は自分でバス外側(下部)に収納するように言われました。
以前は運転手さんが収納してくれたような記憶ですが、破損などの責任がとれないから、
なのでしょうかね。(といっても他で自分で収納と言われたことがないのでびっくり)
また、以前は乗車前に待合室でチケットを購入しなければいけなかったのが、
交通系ICが使えるようになったせいか、券売機でチケットが買えなくなっていて
これもびっくりしました。時代の流れで色々ルールが変わるのは分かるのですが、
バスに乗ろうと思うと、その土地土地でルールが違うなあと思って時に戸惑うのもので、
運営会社関係なく運賃支払いのルールなどが統一されていくと利用者は便利だろうな
なんて思いました。
予約しているフライトの出発時刻の2時間ちょっと前に到着し(国内線なのに(笑))
アップグレードできるか自動チェックイン機に行ってみたら、天候調査中の表示で
遅い時間帯のフライト変更はできるものの(通常はツアーなのでフライト変更不可)
座席変更やアップグレードはできない状態になっていました。
昨年広告を観た時は名古屋(小牧)のみでしたが神戸便も就航したのですね。
青森から神戸に行けるのかあ、東京と単純往復しないで周遊するのも楽しそう、
そんな気分でラウンジに行きリンゴジュースをいただいて時間を過ごしながら
フライトの運行状況について情報が更新されているかどうか確認していると、
途中からやってきた中年夫婦(私より年上ぽい)が大声で会話し続けて。( 一一)
周りが一人客ばかりで静かなので目だっていましたが、自分も気をつけなきゃ、
なんて気分になりました。
と、搭乗予定の機材が無事到着し、運行状況についても天候調査中から定刻出発予定に
表示が変わったので一安心。というわけで、自動チェックイン機に再び行ってクラスJに
アップグレードしました。
4月12日以降、国内線の運賃体系が変わるのと合わせて、出発当日のアップグレードに
ついても値上がりするようですが、安い団体運賃の分際(私)で当日空席があれば
アップグレードできるだけでもありがたい、と思わないと、ですね。
とりあえず、飛行機が定刻出発となり、アップグレードも出来てホッとしたところで
空港1階にある青森漁連の売店でホヤを買い、保安検査を撮ってゲートに向かいます。
(保安検査を通ってからラウンジに折り畳み傘を忘れたのをアナウンスされたのですが
戻って再び保安検査を通るのが面倒で傘は諦めました。。。。)
新千歳空港行のANA

こちらが羽田空港行
ホワイトインパルス!
飛行機の安全運航のために滑走路に積もる雪をまめに除雪するホワイトインパルス。
この時期しか見られないのですが、出動しているということは天候不順ということで、
ホワイトインパルスが頑張ってくれても強風などの場合は飛行機が欠航になることも
あるので新幹線より飛行機は天候によって運航が左右されやすいのだと思いますが、
多くの方々のお陰で飛行機に乗って安全に移動できることに感謝しないと、ですね。
と、無事定刻出発と表示されたフライトの搭乗開始時刻になりました。
あとは羽田空港に戻るのみ。![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
(つづく)
青森から神戸に行けるのかあ、東京と単純往復しないで周遊するのも楽しそう、
そんな気分でラウンジに行きリンゴジュースをいただいて時間を過ごしながら
フライトの運行状況について情報が更新されているかどうか確認していると、
途中からやってきた中年夫婦(私より年上ぽい)が大声で会話し続けて。( 一一)
周りが一人客ばかりで静かなので目だっていましたが、自分も気をつけなきゃ、
なんて気分になりました。
と、搭乗予定の機材が無事到着し、運行状況についても天候調査中から定刻出発予定に
表示が変わったので一安心。というわけで、自動チェックイン機に再び行ってクラスJに
アップグレードしました。
4月12日以降、国内線の運賃体系が変わるのと合わせて、出発当日のアップグレードに
ついても値上がりするようですが、安い団体運賃の分際(私)で当日空席があれば
アップグレードできるだけでもありがたい、と思わないと、ですね。
とりあえず、飛行機が定刻出発となり、アップグレードも出来てホッとしたところで
空港1階にある青森漁連の売店でホヤを買い、保安検査を撮ってゲートに向かいます。
(保安検査を通ってからラウンジに折り畳み傘を忘れたのをアナウンスされたのですが
戻って再び保安検査を通るのが面倒で傘は諦めました。。。。)
飛行機の安全運航のために滑走路に積もる雪をまめに除雪するホワイトインパルス。
この時期しか見られないのですが、出動しているということは天候不順ということで、
ホワイトインパルスが頑張ってくれても強風などの場合は飛行機が欠航になることも
あるので新幹線より飛行機は天候によって運航が左右されやすいのだと思いますが、
多くの方々のお陰で飛行機に乗って安全に移動できることに感謝しないと、ですね。
と、無事定刻出発と表示されたフライトの搭乗開始時刻になりました。
あとは羽田空港に戻るのみ。
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
![[飛行機]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/37.gif)
(つづく)
青森旅行記2023~黒木ママと再会編~ [日本の旅(東北)]
雪道を歩いた疲れなのかホテルに戻って爆睡し、気づけば日が暮れていました。(^-^;
黒木ママとは18時半過ぎにのらくろさんで集合と約束していたので慌てましたが、
ホテルと目と鼻の先の距離なので、ホテルを出たら、
黒木ママとは18時半過ぎにのらくろさんで集合と約束していたので慌てましたが、
ホテルと目と鼻の先の距離なので、ホテルを出たら、
(念のため食べログを貼っておきます)https://tabelog.com/aomori/A0201/A020101/2007663/
お店に入ったらカウンターに黒木ママが既に座っていました。
ご無沙汰してます!と挨拶し、互いにお土産を交換し、
(なんとなく手ぶらで会いづらいような気がしてチョコレートを持参、
黒木ママからはねぶた祭関連グッズをいただきました)
テーブルには既に2人分のお通し(スパゲティサラダ&ポテトサラダ)が
置いてありました。相変わらずボリューム満点です。
オーナーのたけちゃんに「はい、いらっしゃい!」とマジックハンドでおしぼりを渡され、
(初めて見た時は驚きましたがすっかり慣れました(笑))
(まだ子供の猫で来るようになってまだ日が浅いみたいですがすっかり慣れていました)
最初に黒木ママに会ったのは一昨年の2021年。
(ホヤが美味しかった)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2021-09-11-2
のらくろさんでお会いして色々話してお店のカードをいただいたものの、
翌年連絡しようかどうしようか迷って連絡せずにお店に突撃し、
(ラウンジ黒木、という名前のお店です)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2022-07-01-3
既にしこたま呑んでいたので記憶もぼんやりながら楽しくお話しして
お土産に日本酒の小瓶をもらってホテルまで15分くらい歩いて戻った、という思い出。
この後、SMSでお礼のメッセージを送ると、LINEで私のアカウントを探してくれて
その後はたまにLINEで連絡を取り合うようになりました。
うつぼさんにはねぶたの時期に来てほしいなあ、という連絡をいただいたのですが、
青森が一年で最高にハイシーズンな時期に行く財力はないしなあ、と、
(おそらくいつもいっている真冬の4~5倍くらいしそう)
今回もツアー代金が安い(でも大雪などでフライトが条件付きになりやすいリスクも高い)
真冬に来てしまいました。
ねぶた、やはり一度現地で観てみたい気持ちはあるので、何とか一度は頑張って
きてみようかな。(大きな宿題です)
山葵醤油で和えた状態で出してくれます。
ぷりっぷりの帆立、ひもの部分もきれいに処理してあってコリコリ美味。
(青森にライブで来たのかなあ)
途中、黒木ママのお店のお客さんが違うところで呑んだ後、ママに電話してから
のらくろさんにやってきて3人でお話したりしたのですが、休みでも色々大変、
(急に電話があってこれからお店開けてくれない?と言われることもあるらしい)
と思いつつ、お客さんが帰った後は2人で50代のおばさんらしい話もしたりして、
この歳になって友達が出来るもんなんだな、としみじみ思いながら3時間半で宴会終了。
(千葉県、しかも私が通っていた高校の近くにあるのでたけちゃんに親近感)
黒木ママとはハグして、また会いましょうね、と挨拶してお別れしましたが、
遠い地に来て知り合いが出来てこうやって呑むことができるようになって、
青森にくる楽しみが増えました。
と、のらくろさんの向かいにあるホテルに戻ったらバタンキュー、爆睡しておりました。
(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜
(つづく)
青森旅行記2023~弘前ぶらぶら編~ [日本の旅(東北)]
歩道が雪だらけと分かっていながら、弘前れんが倉庫美術館から再び歩いて弘前駅へ、
駅前のイトーヨーカドーまで戻ってきました
こういう全国チェーン展開のスーパーも地元色のある食料品があると思って
時間があれば中を見学するのが結構好きだったりします。
というわけで地下1階の食料品売り場に行ってみると、
鶏めし
鶏めし、というと青森県の野辺地駅で買ったことを思い出したのですが、
(そぼろだけでなく照り焼きの鶏肉も入っていて美味しかった)
2019年に販売終了していたことを今回知りました。
原材料調達や人員確保にかかる経営環境変化が理由のようですが、
昔は、電車に乗るときの楽しみといえば駅弁、だったのが旅のお伴の選択肢も増えて
時代も変わったでしょうし(私も電車に乗るとき駅弁を買わないことが増えました)、
乗降人数の少ない駅の廃駅、廃路線も(特に北海道とか)増えている中で、
デパートの催事などでの常連なお弁当(いかめし、とか峠のかまめし、とか)で
なければ、人材を確保してお弁当を作り続けていくことが大変になっているのかなと
思いました。
田酒の酒粕入り饅頭
(青森で有名なイギリスパンをつくっている工藤パンがつくっています)
十和田バラ焼おむすび
これはチンして温めて食べた方が美味しそう。
千葉では観たことのないお弁当やおむすびを観た後は鮮魚コーナーへ。
野辺地産のホタテ 1枚100円!
とげくり蟹
名前は聞いたことがあるものの食べたことがないのですが、
ネットで調べたらシャコと同じく青森の花見に欠かせない、
春の到来を感じる蟹なんですね。
毛蟹みたいな味で一杯600円台、近所のスーパーにあったら自宅で茹でて
茹でたてを食べながら呑む己を想像しました。(うまい肴にうまい酒、ですね)
ねぶた漬け
つがる漬けも売っていて(お土産屋さんで買うよりお手頃な感じ)
これまで松前漬け、ねぶた漬け、つがる漬けの違いが分からなかったので
Yahoo!知恵袋さんで調べてみたら具材の違いとか、数の子の調理の仕方だったり、
(知恵袋すごい)https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1433735119
地域によって作り方や素材がちょっとずつ変わっていくんですね。
で、この日、お昼には煮干しラーメン!と駅前のお店(はっぴぃ食堂)をチェックして、
途中迷いながらお店は見つかったものの、
お休みだったー。(+o+)
電車の時間もあるので駅から遠くに行くのもなあ、と思いながら
駅ビルに入っている立ち食いソバに入店。
あれ、ちょっと高い
基本は天玉そば、の私、迷わずチケットを買って受け取ると、
立体的な天ぷら
おそばはヤワヤワ、汁は意外と薄味で、天ぷらは汁にとけると
あっと言う間に溶けます
卵をどんぶり底に沈めて火を通してから食べるのが好きなのですが、
お汁がそんなに熱くなかったので卵は結局殆ど生のままだったのが残念でした。
隣に座るおばあちゃん、月見そばを渡されて自分が注文したのはかけそばよ、と
店員さんにいう光景を横目に見ながら(おばあちゃんが間違って食券を買っていた)
お腹はいっぱいになったものの頭の中がずっと煮干しラーメンだったので
どこかモヤモヤした気持ちのままお昼ご飯終了。
食べ終わって駅ビルをぶらぶらしたら電車に乗って青森駅に移動して、
ホテルに戻る前に、大通りにある百貨店(さくら野)の地下を散策しました。


大戸瀬産の真さばとなめたがれい。
大戸瀬、どのあたりか調べたら、五能線の途中にある日本海側の方の漁場なんですね。
なめたがれい、煮付けて食べたら美味しいだろうな、と想像しながらさくら野を出て
途中のコンビニでコーヒーを買ってホテルに戻り、
弘前のイトーヨーカドーで買ったアップルパイ
ラグノオという弘前にあるお菓子メーカーで、空港などのお土産屋さんで見かける
スティックタイプのアップルパイを作っている会社なのですが、
何軒か並んでいた洋菓子のお店の中でも甘くなさそうに見えて買いました。
ここで買った後、駅に併設されているA-FACTORYで限定50個で販売されていた
アップルパイも焼きたてでバターの香りがとても美味しそうだったのですが、
2個は無理だし、と結局この1個だけ。
りんごたっぷり
お店のおばちゃんにスプーンをお願いしたものの入っていなくて(>_<)
手づかみでいただきましたが、紅玉と新ふじ(だったかな)2種類のりんごが入っていて
爽やかな甘さとほのかな酸味が美味しいアップルパイでした。
弘前の雪道歩行が思いのほか効いていたみたいでホテルの部屋に戻ったらどっと疲れて
しばしゴロゴロしていたら寝落ちしていました。(昼寝です)
この後は、黒木ママと久しぶりに呑みます。楽しみ♪
(つづく)
スプーンお願いしたのに入ってないから手づかみ(笑)うまい
こういう全国チェーン展開のスーパーも地元色のある食料品があると思って
時間があれば中を見学するのが結構好きだったりします。
というわけで地下1階の食料品売り場に行ってみると、
鶏めし、というと青森県の野辺地駅で買ったことを思い出したのですが、
(そぼろだけでなく照り焼きの鶏肉も入っていて美味しかった)
2019年に販売終了していたことを今回知りました。
原材料調達や人員確保にかかる経営環境変化が理由のようですが、
昔は、電車に乗るときの楽しみといえば駅弁、だったのが旅のお伴の選択肢も増えて
時代も変わったでしょうし(私も電車に乗るとき駅弁を買わないことが増えました)、
乗降人数の少ない駅の廃駅、廃路線も(特に北海道とか)増えている中で、
デパートの催事などでの常連なお弁当(いかめし、とか峠のかまめし、とか)で
なければ、人材を確保してお弁当を作り続けていくことが大変になっているのかなと
思いました。
(青森で有名なイギリスパンをつくっている工藤パンがつくっています)
これはチンして温めて食べた方が美味しそう。
千葉では観たことのないお弁当やおむすびを観た後は鮮魚コーナーへ。
名前は聞いたことがあるものの食べたことがないのですが、
ネットで調べたらシャコと同じく青森の花見に欠かせない、
春の到来を感じる蟹なんですね。
毛蟹みたいな味で一杯600円台、近所のスーパーにあったら自宅で茹でて
茹でたてを食べながら呑む己を想像しました。(うまい肴にうまい酒、ですね)
つがる漬けも売っていて(お土産屋さんで買うよりお手頃な感じ)
これまで松前漬け、ねぶた漬け、つがる漬けの違いが分からなかったので
Yahoo!知恵袋さんで調べてみたら具材の違いとか、数の子の調理の仕方だったり、
(知恵袋すごい)https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1433735119
地域によって作り方や素材がちょっとずつ変わっていくんですね。
で、この日、お昼には煮干しラーメン!と駅前のお店(はっぴぃ食堂)をチェックして、
途中迷いながらお店は見つかったものの、
電車の時間もあるので駅から遠くに行くのもなあ、と思いながら
駅ビルに入っている立ち食いソバに入店。
基本は天玉そば、の私、迷わずチケットを買って受け取ると、
おそばはヤワヤワ、汁は意外と薄味で、天ぷらは汁にとけると
卵をどんぶり底に沈めて火を通してから食べるのが好きなのですが、
お汁がそんなに熱くなかったので卵は結局殆ど生のままだったのが残念でした。
隣に座るおばあちゃん、月見そばを渡されて自分が注文したのはかけそばよ、と
店員さんにいう光景を横目に見ながら(おばあちゃんが間違って食券を買っていた)
お腹はいっぱいになったものの頭の中がずっと煮干しラーメンだったので
どこかモヤモヤした気持ちのままお昼ご飯終了。
食べ終わって駅ビルをぶらぶらしたら電車に乗って青森駅に移動して、
ホテルに戻る前に、大通りにある百貨店(さくら野)の地下を散策しました。
大戸瀬産の真さばとなめたがれい。
大戸瀬、どのあたりか調べたら、五能線の途中にある日本海側の方の漁場なんですね。
なめたがれい、煮付けて食べたら美味しいだろうな、と想像しながらさくら野を出て
途中のコンビニでコーヒーを買ってホテルに戻り、
ラグノオという弘前にあるお菓子メーカーで、空港などのお土産屋さんで見かける
スティックタイプのアップルパイを作っている会社なのですが、
何軒か並んでいた洋菓子のお店の中でも甘くなさそうに見えて買いました。
ここで買った後、駅に併設されているA-FACTORYで限定50個で販売されていた
アップルパイも焼きたてでバターの香りがとても美味しそうだったのですが、
2個は無理だし、と結局この1個だけ。
お店のおばちゃんにスプーンをお願いしたものの入っていなくて(>_<)
手づかみでいただきましたが、紅玉と新ふじ(だったかな)2種類のりんごが入っていて
爽やかな甘さとほのかな酸味が美味しいアップルパイでした。
弘前の雪道歩行が思いのほか効いていたみたいでホテルの部屋に戻ったらどっと疲れて
しばしゴロゴロしていたら寝落ちしていました。(昼寝です)
この後は、黒木ママと久しぶりに呑みます。楽しみ♪
(つづく)
スプーンお願いしたのに入ってないから手づかみ(笑)うまい
青森旅行記2023~弘前れんが倉庫美術館編③~ [日本の旅(東北)]
(三沢航空科学館の時と異なり、弘前れんが倉庫美術館については今回で書き終えます。)
れんが倉庫オーナーの吉井さんの一言から実現した奈良美智さんの展示会の様子を
知ることができて人の力がつながっていくことの凄さを感じた後は、2階に移動して、
奈良美智さんの半生についてちょっとだけ見学。
手書きの説明
1960年代、奈良さんが保育園から小学校4年生まで過ごした場所の記憶地図。
当時、草原や田畑だったところが70年を過ぎると住宅地に変わってしまった。
原っぱを突っ切って学校へ行くこともできなくなり、道路もどんどんアスファルトに
舗装されていった。
めだかが泳いでいた小川もコンクリートのU字溝に変わってしまった。
ため池も埋め立てられたしいつの間にか銭湯もなくなった。
小さな木造の駅は建て替えられてスーパーマーケットも隣に建った。
信号が増えて小学校と中学校をむすぶ歩道橋もできた。
家の屋根に登るとずっと遠くを流れる大きな河にかかる橋のらんかんの灯りが見えたっけ。
今はもちろん住宅の屋根しかみえない。
それでも僕の故郷の空はまだまだ広いし、遠くの山並みは昔と同じくどっしりと構えて
くれている。
私は東京から千葉の田舎、当時住宅地として造成されたばかりの団地に親が家を建て、
引っ越したのですが、奈良さん(私よりはちょっと年上)の体験したような変化、
似たようなことは同じく経験したような気がします。
小さい時に遊んだ沼とか竹林があった場所には家が建っていて、駅も立派になって
スーパーもできたし、学校に行く道すがらには歩道橋、でも、未だに田んぼはたくさん、
自宅から実家に帰ると若い時は東京まで遠いと不満ばかりいっていた場所が今は大事な
場所になっています。(とはいえ、婆1号が虹の橋を渡った後、実家はなくなるかもですが)
大量のLPレコード
奈良さんが収集して聴いたレコードの数々です。





その枚数にも圧倒されたのですが知らないアーティストが多めで(年代が少しずれている?)
ジャクソン・ブラウン、フリートウッドマック、ジミー・ヘンドリックス、ビートルズ、
ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、10cc、クリーム、フリー、ドアーズ、
キャロル・キング、リタ・クーリッジ、ローリング・ストーンズ、ライ・クーダー、
ジョン・レノン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ピンク・フロイド、
ハーマンズ・ハーミッツ、ジョーン・ジェットなどなど、詳しくはないけれど聞いたことは
あるというアーティスト、私もこれだけありました。(でも全体に比べて少ないか)
こうやってLPを観ると、高校、大学生の頃、貸しレコード(友&愛とか)で聞いたっけ、
どうしてもというときはお小遣いでLPを買っていましたが、ジャケットを観る楽しみ、
今の音楽配信では楽しめないなあ、世の中便利になるとどこか失うものもあるのかな、
(それでも便利な方に流れやすいですね)と思いました。
続いて奈良さんの本棚
手に取ってみられるので(誰もいなかったし)
これをゆっくり読ませてもらいました
上から覗いたように描く妹尾河童さんの独特の目線が面白い本でした。
と、一通り見学して、
入口の犬に挨拶したら、
再び弘前駅まで歩きました。
雪道、往路よりは若干溶けていましたがそれでもかなり苦戦しつつなんとか弘前駅の
近くまで戻った後は、弘前をちょっとだけぶらぶらします。
(つづく)
れんが倉庫オーナーの吉井さんの一言から実現した奈良美智さんの展示会の様子を
知ることができて人の力がつながっていくことの凄さを感じた後は、2階に移動して、
奈良美智さんの半生についてちょっとだけ見学。
1960年代、奈良さんが保育園から小学校4年生まで過ごした場所の記憶地図。
当時、草原や田畑だったところが70年を過ぎると住宅地に変わってしまった。
原っぱを突っ切って学校へ行くこともできなくなり、道路もどんどんアスファルトに
舗装されていった。
めだかが泳いでいた小川もコンクリートのU字溝に変わってしまった。
ため池も埋め立てられたしいつの間にか銭湯もなくなった。
小さな木造の駅は建て替えられてスーパーマーケットも隣に建った。
信号が増えて小学校と中学校をむすぶ歩道橋もできた。
家の屋根に登るとずっと遠くを流れる大きな河にかかる橋のらんかんの灯りが見えたっけ。
今はもちろん住宅の屋根しかみえない。
それでも僕の故郷の空はまだまだ広いし、遠くの山並みは昔と同じくどっしりと構えて
くれている。
私は東京から千葉の田舎、当時住宅地として造成されたばかりの団地に親が家を建て、
引っ越したのですが、奈良さん(私よりはちょっと年上)の体験したような変化、
似たようなことは同じく経験したような気がします。
小さい時に遊んだ沼とか竹林があった場所には家が建っていて、駅も立派になって
スーパーもできたし、学校に行く道すがらには歩道橋、でも、未だに田んぼはたくさん、
自宅から実家に帰ると若い時は東京まで遠いと不満ばかりいっていた場所が今は大事な
場所になっています。(とはいえ、婆1号が虹の橋を渡った後、実家はなくなるかもですが)
奈良さんが収集して聴いたレコードの数々です。
その枚数にも圧倒されたのですが知らないアーティストが多めで(年代が少しずれている?)
ジャクソン・ブラウン、フリートウッドマック、ジミー・ヘンドリックス、ビートルズ、
ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、10cc、クリーム、フリー、ドアーズ、
キャロル・キング、リタ・クーリッジ、ローリング・ストーンズ、ライ・クーダー、
ジョン・レノン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ピンク・フロイド、
ハーマンズ・ハーミッツ、ジョーン・ジェットなどなど、詳しくはないけれど聞いたことは
あるというアーティスト、私もこれだけありました。(でも全体に比べて少ないか)
こうやってLPを観ると、高校、大学生の頃、貸しレコード(友&愛とか)で聞いたっけ、
どうしてもというときはお小遣いでLPを買っていましたが、ジャケットを観る楽しみ、
今の音楽配信では楽しめないなあ、世の中便利になるとどこか失うものもあるのかな、
(それでも便利な方に流れやすいですね)と思いました。
手に取ってみられるので(誰もいなかったし)
Amazonで中古なら購入できるみたいです。
様々な17歳が写し出されているのですが、どうみても同年代だなあ、と思ったら、
途中で工藤夕貴さんと姿月あさとさんも載っていてびっくり。(当然ながら若かった)
普通の高校生もいれば、若妻、ヤンキー、舞妓さんなどなど。
今の17歳とはやはり時代が違うんだなあ、でも、みんなそれぞれ夢や目標があって
自分のようにゆらゆら過ごしていたのとは違うなあと思いながらちょっと尊敬の念も
もちながら写真に写る17歳が今どうしているのか気になりました。
河童さん著書
このシリーズ、私はインド編しか読んだことがありませんが、様々な17歳が写し出されているのですが、どうみても同年代だなあ、と思ったら、
途中で工藤夕貴さんと姿月あさとさんも載っていてびっくり。(当然ながら若かった)
普通の高校生もいれば、若妻、ヤンキー、舞妓さんなどなど。
今の17歳とはやはり時代が違うんだなあ、でも、みんなそれぞれ夢や目標があって
自分のようにゆらゆら過ごしていたのとは違うなあと思いながらちょっと尊敬の念も
もちながら写真に写る17歳が今どうしているのか気になりました。
上から覗いたように描く妹尾河童さんの独特の目線が面白い本でした。
と、一通り見学して、
再び弘前駅まで歩きました。
雪道、往路よりは若干溶けていましたがそれでもかなり苦戦しつつなんとか弘前駅の
近くまで戻った後は、弘前をちょっとだけぶらぶらします。
(つづく)
青森旅行記2023~弘前れんが倉庫美術館編②~ [日本の旅(東北)]
「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」
という展示タイトルからしてなんだろう、と興味が湧くのですが、
れんが倉庫オーナーの吉井さんによる言葉だったことを知って
吉井さんが奈良さんのファンであったということもありますが、
たられば、みたいなこと、一つのきっかけで大きく動く事を感じながら
展示の見学を勧めます。
という展示タイトルからしてなんだろう、と興味が湧くのですが、
れんが倉庫オーナーの吉井さんによる言葉だったことを知って
吉井さんが奈良さんのファンであったということもありますが、
たられば、みたいなこと、一つのきっかけで大きく動く事を感じながら
展示の見学を勧めます。
wikiを観ると、戦後からシードルづくりを始めて、フランスから技術顧問を招いて
指導を受けて昭和30年代(1950年代)に「朝日シードル」を販売したものの、
当時の日本人の嗜好に合わず計画の3分の1しか売れなかった、、そして、
ニッカウヰスキーに譲渡され、東北向けのウィスキー製造も行っていたものの、
その後手狭になって移転したため、酒造を行っていたのはそれまでで、その後は倉庫として
使われていたそうです。
時代のニーズになかなか合わなかったというのが残念ですが、
今、弘前ではシードルが製造されるようになっていて人気ありますもんね。
私自身は、大学生の頃、イギリスの地方都市に留学していた同級生を訪ねた時、
大学、ドミトリーや銀行など生活に必要な施設が一体となった町みたいなところで
当然、ここの学生が大半のパブでサイダー(シードルの英語読み)を呑んだのが最初。
ドライタイプ(辛口)がさっぱり美味しかった、のですが、日本に戻ってから呑まなく
なったものの、こうやって記事を書いていたら呑みたくなりました。(^-^;
吉井さんの一言からここまで活動が広がっていったんですね。
壁に飾ってあったり、アルバムに入っていたり、
ものすごくたくさんの写真、展示会を作り上げていく皆さんの写真に溢れていました。
上右(の右側に立つ男性)は奈良さん、みたいですね。(^-^;
先に進むと、当時の展示された雰囲気を楽しめるコーナーがありました。
奈良さんの作品、どこかクスっと笑えたり、脱力したりという印象ですが、
特に地元の方々が展示会を訪れて楽しまれている姿を想像しました。
触っては観ましたが、乗るのはさすがに(壊す可能性もあるし)、、と断念。
当時のれんが倉庫の風景(今より周囲が緑でいっぱい)や展示風景の写真を見たら、
(つづく)
青森旅行記2023~弘前れんが倉庫美術館編①~ [日本の旅(東北)]
歩道の雪に苦戦しながらたどり着いた弘前れんが倉庫美術館。
寒い弘前ですがレンガの色が暖かくてホッとします
(ホームページ)https://www.hirosaki-moca.jp/
一昨年に続いて2回目の訪問です。常設展のないユニークな美術館ですが、
今回の展示は「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」というタイトル。
美術館のホームぺージにこのタイトルの意味が説明されているので
そのまま転載させていただきますと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本展では、美術館になる前の煉瓦倉庫で開催された、
弘前市出身の現代美術家・奈良美智(1959-)による三度の展覧会の軌跡を、
さまざまな資料、写真や映像で振り返ります。
1988年に渡独した奈良は、海外での活動も積極的に行う中で2000年に帰国します。
翌年から国内初の本格的な個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」が
全国を巡回し、2002年には煉瓦倉庫を会場として開催されました。
これを契機として、続く二つの展覧会
「From the Depth of My Drawer」(2005年)
「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」(2006年)が煉瓦倉庫で開かれました。
タイトル「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」は、
当時の煉瓦倉庫のオーナー・吉井千代子(吉井酒造株式会社社長)が、
奈良の作品に強く惹かれ、自分の倉庫で展示をしたいとギャラリーに問い合わせた
というエピソードにちなんでいます。
この一本の電話が、吉井と奈良の出会いにつながり、煉瓦倉庫での奈良美智展が
実現しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
弘前での最初の奈良美智展から20年を迎えて今回の展示が行われたそうです。
記事をアップしているのは3/19(日)ですが、展示会は21日(火)まで。
(いつもならアップしたころに展示会が終っていますが今回かろうじてまだ開催中)
入口に入って見えたのが、
展示会のタイトル
この一言があったから今の弘前れんが倉庫美術館があるということなのですね。
と思いながら観覧料(1300円)を支払って展示エリアに向かいます。
その手前に一昨年も見た作品
ジャン=ミッシェル・オトニエルさんの「エデンの結び目」。


煉瓦倉庫で開催された当時の展示会の様子が、当時の印刷物やグッズ、記録映像の資料、
展覧会準備の様子や展示風景を撮影した写真で構成されています。
(過去に出展された奈良美智の作品も一部展示)
(ホームページ)https://www.hirosaki-moca.jp/
一昨年に続いて2回目の訪問です。常設展のないユニークな美術館ですが、
今回の展示は「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」というタイトル。
美術館のホームぺージにこのタイトルの意味が説明されているので
そのまま転載させていただきますと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本展では、美術館になる前の煉瓦倉庫で開催された、
弘前市出身の現代美術家・奈良美智(1959-)による三度の展覧会の軌跡を、
さまざまな資料、写真や映像で振り返ります。
1988年に渡独した奈良は、海外での活動も積極的に行う中で2000年に帰国します。
翌年から国内初の本格的な個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」が
全国を巡回し、2002年には煉瓦倉庫を会場として開催されました。
これを契機として、続く二つの展覧会
「From the Depth of My Drawer」(2005年)
「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」(2006年)が煉瓦倉庫で開かれました。
タイトル「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」は、
当時の煉瓦倉庫のオーナー・吉井千代子(吉井酒造株式会社社長)が、
奈良の作品に強く惹かれ、自分の倉庫で展示をしたいとギャラリーに問い合わせた
というエピソードにちなんでいます。
この一本の電話が、吉井と奈良の出会いにつながり、煉瓦倉庫での奈良美智展が
実現しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
弘前での最初の奈良美智展から20年を迎えて今回の展示が行われたそうです。
記事をアップしているのは3/19(日)ですが、展示会は21日(火)まで。
(いつもならアップしたころに展示会が終っていますが今回かろうじてまだ開催中)
入口に入って見えたのが、
この一言があったから今の弘前れんが倉庫美術館があるということなのですね。
と思いながら観覧料(1300円)を支払って展示エリアに向かいます。
ジャン=ミッシェル・オトニエルさんの「エデンの結び目」。
煉瓦倉庫で開催された当時の展示会の様子が、当時の印刷物やグッズ、記録映像の資料、
展覧会準備の様子や展示風景を撮影した写真で構成されています。
(過去に出展された奈良美智の作品も一部展示)
奈良さんと担当される方々がアイデアを描いて議論して作り上げていった、
倉庫を使って展示するという状況で楽しくデザインされていたのだろうな、
と想像しました。
お子さんだけでなく大人も子供の気分で楽しく入場できそうですね。
これは展示会開催のクラウドファンディングの返礼品、と書いてあったような
そんな記憶ですが定かではありません。(ワンカップというのがツボで撮影しました)
展示会休館日の看板(左)も可愛らしいですし、
展示会で対応するスタッフ用の椅子には奈良さんの直筆コメントが書いてありました。
私が訪れた美術館も作られなかった、と思うと吉井さんの熱いお気持ちと、
それに応えようという奈良さんをはじめ関係者とボランティアの皆さんのお陰ですね。
このれんが倉庫のオーナーだった吉井さんの使っていたものが展示されていました。
大正時代に建てられたこのれんが倉庫も、日本酒(吉野桜)、シードルの醸造を経て、
1970年代後半から1997年までは政府米の倉庫として利用され、
その後、倉庫をどう活用するか、ということを考えられたのかな、と思いました。
奈良美智さんを知ったのはずいぶん前で、青森県立美術館でも作品を見る機会が
ありましたが、個人的にはそれほど興味を持っていたわけではなく、
弘前れんが倉庫美術館にやってきてから俄然興味が湧きました。
今回、更に、吉井さんの一本の電話からこの美術館が始まったという展示、
こういう展示ができるのも自由度の高い美術館なのだろうなと思いながら、
展示エリアを進んでいきます。
(つづく)
青森旅行記2023~弘前へ向かう編~ [日本の旅(東北)]
(+o+)オハヨウゴザイマス。
爆睡したものの朝までぐっすりできない年頃なので(笑)4時過ぎに目が覚め、
ごろごろして気づけば二度寝し、6時過ぎに起床。
朝食提供が始まる6時半を過ぎたころ、近くの部屋のドアの開閉音がバタンバタンと聞こえて
JALの名前がついていてもビジネスホテルなので(古いし)壁が薄いのかな、と思いました。
で、その後にシャワーでも、お風呂に行ってと蛇口をひねると、
超冷水( ゚Д゚)
おそらく1分以上冷たい水が出続けて(水道管凍ってる?)まさか給湯設備に何か、、
浴槽ですっぽんぽん状態で冷たい水が出続ける事態に唖然としていたら、
その後、少しずつぬるいお湯~なんとなく温かいお湯~熱いお湯と変化していきました。
雪国とはいえ、こういう経験が初めて(このホテルでも初めて)だったので、
ハズレの部屋だったのか運が悪かったのか、ま、お湯が出たから結果オーライなのですが
世の中いろいろなことが起きるものですね。油断大敵です。
という、ある意味一気に目が覚めるような出来事の後、7時半ごろ、1階の朝食会場へ。
小さいテーブルの前に壁、という一人用の席に案内されそうになったので、
(外が見える)カウンター席がいいです、と言ってカウンター席に案内してもらい、
両手にビニール手袋をはめてトレーをもって料理をとったのですが、
ブッフェだととり過ぎてしまう
海鮮多めです
海鮮丼用の具材、いかの塩辛、辛子明太子、サラダ、いか焼売、
帆立とリンゴのグラタン(白ワインが良く合いそうなお料理)、
前日も食べた貝焼き味噌。
陸奥湾のベビー帆立入りカレー
お味噌汁も帆立の稚貝が具材で、全体的に帆立祭りのような朝ごはん。
このほか、定番の納豆もいただいたので、満腹太郎になりました。
お米は青森県産の「青天の霹靂」、つやつやで美味しいお米でした。(^-^)
日曜日なので(一番混むであろう土曜日宿泊客で)レストランはほぼ満席。
意外と外国人(欧米?オーストラリア?)が多くて、駅前からの酸ヶ湯温泉行のバスが
外国人だらけだったのを思い出し、おそらくスキーかスノボでもやりきにきたのかな、
と思ったら、食後チェックアウトしてスノーボードをかついで駅に行く姿が見えたので
青森県って結構外国人観光客に人気あるんだなあと思いました。
食後しばしごろごろした後、9時前にホテルを出発し、
青森駅に向かいます
のらくろさん 夜お世話になります♪
その近くのらーめん砂小屋
以前あったのか記憶にないのですが、日曜日は朝ラー営業しているみたいです。
煮干しラーメンだったら朝からするする食べられるので需要あるのでしょうね。
2階にふくろうカフェ(1階はテナント募集)
青森でどのくらい需要あるんだろう、とハリーポッターのヘドウィグを思い浮かべて
自分がふくろうに餌やりする姿を想像しました。
青森のガストで両国のちゃんこ鍋が食べられます
いや、ここで食べなくても、という一人ノリツッコミをしながら青森駅に到着し、
まだSuicaが使えないので切符を買って改札を通りホームに向かいます。
けっぱれ!
駅員さんからの激励の言葉がたくさん貼ってありました。
受験したのはもう遠い遠い昔の話でよく覚えていませんが、
なんとか乗り越えて今に至る、ような心持でおります。


弘前行に乗車し、新青森駅から乗って来た夜会巻きのお姉さんが
カバンを両脇に置いて足を組んでスマホを操作しているのを観ながら
「立っている人いるんだから2席分(3席分?)占拠するのやめた方が。。」
と、思いながらぽかぽか車内で爆睡してしまい、
あっと言う間に弘前駅
(お姉さん、弘前駅についたら猛ダッシュで降りていきました)

洗手間にて
電源を見つけると充電したくなる気持ちもわからないわけではないのですが、
他の用途で使っているのを外したらダメだろうって思ってしまいますね。
隣のキーホルダーは洗面台の所に飾ってあったもの。
これはピンクの雪だるまなのでしょうか。可愛いようなちょっとシュールなような。
まだ来いへ~
(いや、今着いたばかりです、と垂れ幕に一人ツッコミ)
りんご神社
この時期だけ飾ってあるみたいですね。
寒くない時に訪れたい遺跡
で、今回は、弘前れんが倉庫美術館に向かいます。
一昨年はバスで途中まで行って歩いたのですが、駅から歩いても17分、と
Googleマップ先生が教えてくれたので歩いていくことにしました。
はい、スタート
途中でみかけたアイリッシュパブ
最初は余裕があったのでこんな感じで写真を撮りながら歩いていたのですが、
雪だらけの歩道に苦戦
車道の雪は解けているのですが、歩道は住民の皆さんが雪かきしてあるところと
こんな感じで雪かきしていないところが混在していて、(していない方が多い)
車道も車が結構通っていたので地元の方が歩いている様子を見習いながら
歩道の雪をザクザク踏み分けながら歩きました。(結構足の裏に力が入ります)

結局、30分弱かけてなんとかたどり着きました、弘前れんが倉庫美術館。
今回はこれを鑑賞します!
(つづく)
爆睡したものの朝までぐっすりできない年頃なので(笑)4時過ぎに目が覚め、
ごろごろして気づけば二度寝し、6時過ぎに起床。
朝食提供が始まる6時半を過ぎたころ、近くの部屋のドアの開閉音がバタンバタンと聞こえて
JALの名前がついていてもビジネスホテルなので(古いし)壁が薄いのかな、と思いました。
で、その後にシャワーでも、お風呂に行ってと蛇口をひねると、
超冷水( ゚Д゚)
おそらく1分以上冷たい水が出続けて(水道管凍ってる?)まさか給湯設備に何か、、
浴槽ですっぽんぽん状態で冷たい水が出続ける事態に唖然としていたら、
その後、少しずつぬるいお湯~なんとなく温かいお湯~熱いお湯と変化していきました。
雪国とはいえ、こういう経験が初めて(このホテルでも初めて)だったので、
ハズレの部屋だったのか運が悪かったのか、ま、お湯が出たから結果オーライなのですが
世の中いろいろなことが起きるものですね。油断大敵です。
という、ある意味一気に目が覚めるような出来事の後、7時半ごろ、1階の朝食会場へ。
小さいテーブルの前に壁、という一人用の席に案内されそうになったので、
(外が見える)カウンター席がいいです、と言ってカウンター席に案内してもらい、
両手にビニール手袋をはめてトレーをもって料理をとったのですが、
海鮮丼用の具材、いかの塩辛、辛子明太子、サラダ、いか焼売、
帆立とリンゴのグラタン(白ワインが良く合いそうなお料理)、
前日も食べた貝焼き味噌。
お味噌汁も帆立の稚貝が具材で、全体的に帆立祭りのような朝ごはん。
このほか、定番の納豆もいただいたので、満腹太郎になりました。
お米は青森県産の「青天の霹靂」、つやつやで美味しいお米でした。(^-^)
日曜日なので(一番混むであろう土曜日宿泊客で)レストランはほぼ満席。
意外と外国人(欧米?オーストラリア?)が多くて、駅前からの酸ヶ湯温泉行のバスが
外国人だらけだったのを思い出し、おそらくスキーかスノボでもやりきにきたのかな、
と思ったら、食後チェックアウトしてスノーボードをかついで駅に行く姿が見えたので
青森県って結構外国人観光客に人気あるんだなあと思いました。
食後しばしごろごろした後、9時前にホテルを出発し、
以前あったのか記憶にないのですが、日曜日は朝ラー営業しているみたいです。
煮干しラーメンだったら朝からするする食べられるので需要あるのでしょうね。
青森でどのくらい需要あるんだろう、とハリーポッターのヘドウィグを思い浮かべて
自分がふくろうに餌やりする姿を想像しました。
いや、ここで食べなくても、という一人ノリツッコミをしながら青森駅に到着し、
まだSuicaが使えないので切符を買って改札を通りホームに向かいます。
駅員さんからの激励の言葉がたくさん貼ってありました。
受験したのはもう遠い遠い昔の話でよく覚えていませんが、
なんとか乗り越えて今に至る、ような心持でおります。
弘前行に乗車し、新青森駅から乗って来た夜会巻きのお姉さんが
カバンを両脇に置いて足を組んでスマホを操作しているのを観ながら
「立っている人いるんだから2席分(3席分?)占拠するのやめた方が。。」
と、思いながらぽかぽか車内で爆睡してしまい、
(お姉さん、弘前駅についたら猛ダッシュで降りていきました)
電源を見つけると充電したくなる気持ちもわからないわけではないのですが、
他の用途で使っているのを外したらダメだろうって思ってしまいますね。
隣のキーホルダーは洗面台の所に飾ってあったもの。
これはピンクの雪だるまなのでしょうか。可愛いようなちょっとシュールなような。
(いや、今着いたばかりです、と垂れ幕に一人ツッコミ)
この時期だけ飾ってあるみたいですね。
で、今回は、弘前れんが倉庫美術館に向かいます。
一昨年はバスで途中まで行って歩いたのですが、駅から歩いても17分、と
Googleマップ先生が教えてくれたので歩いていくことにしました。
最初は余裕があったのでこんな感じで写真を撮りながら歩いていたのですが、
車道の雪は解けているのですが、歩道は住民の皆さんが雪かきしてあるところと
こんな感じで雪かきしていないところが混在していて、(していない方が多い)
車道も車が結構通っていたので地元の方が歩いている様子を見習いながら
歩道の雪をザクザク踏み分けながら歩きました。(結構足の裏に力が入ります)
結局、30分弱かけてなんとかたどり着きました、弘前れんが倉庫美術館。
(つづく)
青森旅行記2023~弐乃助さんで夜の部編~ [日本の旅(東北)]
鍛え上げた肉体美と
マークのふんどしが似合うたっくんライブを観たあとは、
昨年と同じく、施設内の居酒屋「ふる河亭」で呑もうと思っていたのですが、
店内満席大混雑、私の前にも2組(5人)並んでいて、着席しているお客さんも
注文の品待ち状態の方が多い感じで(視界に入る厨房も大忙し)このまま並んでいたら
どのくらい待つか分からないだろうな(大方の人はお酒ものんびり呑みたいだろうし)
と思って違うお店で呑むことにしました。
ホテルに戻りながら大きめの居酒屋さんも満席だったり予約のみ、という感じで
lovin姐さん、タイガー、ありました!
(でも灯りがついていなかったのが心配です)
じゃあ、アウガ(駅前の商業ビル)地下のりんご箱さんに行こうと思ったら、
お店、閉業していました。(;_:)
青森にいく度、駅前が寂しくなっていき大通りのお店もテナント募集が増えていて、
コロナ禍で更にお店が減っていたような印象ですが、制限解除、全国旅行支援で
観光客がいきなり増えてもお店が急に増えるわけもないしなあ。
最悪、途中のさくら野(百貨店)でお惣菜買って部屋のみでもいいか、と思って
歩いていたら、
お店、ありました
(写真は翌朝撮ったものなのでシャッター閉まってます(^-^;)
(弐乃助さん)https://tabelog.com/aomori/A0201/A020101/2011239/
お店に入ると若い男性スタッフが「お一人ですか、どうぞカウンターに」と
明るく案内してくれて、ホッとしながら着席。
店内ねぶたも飾ってあって青森ぽい
私がお店に入ったのは19時30分ごろでまだカウンターもそこそこ空いていましたが、
私のように呑み屋を探してさまよっている人が多かったのか20時過ぎにはほぼ満席。



カウンターに置いてあったリーフレットを観たら、
駅前と私が入ったお店で郷土料理の居酒屋が2軒(壱乃助、弐乃助)、
このお店の上にワインバルとウィスキーバーがあって
昨年あったのか記憶がないのですが新しく出来たお店のようです。
地元の方向けというよりは観光客向けのお店って感じかな。
呑み放題には地酒が入っていないという説明だったので、
ではアラカルトにします、と伝えてタッチパネル式のメニューを確認します。
最近タッチパネル式、本当に多いですね
ちなみに、普通に紙のメニューもあって店員さんに注文もできるようです。
呑み比べセットも魅力的ですが
こっちかな

期間限定のお酒の他に、常時置いてあるお酒のメニューもあって目移りします。
最初は桃川の生原酒
お店のお兄さん、酔い注ぎっぷり
生原酒ですが意外とさっぱり
(桃川って独特の味がするような気がしますがこれもそんな感じ)
お通しのミニ冷奴は税込330円(ちょっと高め)
でも、日本酒と一緒に水を持ってきてくれるのは良心的
と、日本酒でまったりしながらお料理の注文、どうしようかと、

迷います
ニシンのお刺身も魅惑的、もつ煮も大好きだし、青森のもずく?迷いまくって
(でも、お昼食べ過ぎているのでそんなに食べられないし)
でっかい貝焼き味噌
「でっかい」と書いてあるのに気づかず、貝焼き味噌はやっぱり外せない、
という一念で注文したら通常の1.5倍以上(2倍弱くらい)のボリューム。
卵も帆立もたっぷりで美味しかったのですが、食べきるのに時間がかかりました。


けの汁のみながら呑めそう、と思いながら珍味にも惹かれて
ほやの塩辛(好物です)
ほやのお刺身も大好きなのですが、塩辛はお酒にぴったり。
![[黒ハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/136.gif)
昨年と同じく、施設内の居酒屋「ふる河亭」で呑もうと思っていたのですが、
店内満席大混雑、私の前にも2組(5人)並んでいて、着席しているお客さんも
注文の品待ち状態の方が多い感じで(視界に入る厨房も大忙し)このまま並んでいたら
どのくらい待つか分からないだろうな(大方の人はお酒ものんびり呑みたいだろうし)
と思って違うお店で呑むことにしました。
ホテルに戻りながら大きめの居酒屋さんも満席だったり予約のみ、という感じで
(でも灯りがついていなかったのが心配です)
じゃあ、アウガ(駅前の商業ビル)地下のりんご箱さんに行こうと思ったら、
お店、閉業していました。(;_:)
青森にいく度、駅前が寂しくなっていき大通りのお店もテナント募集が増えていて、
コロナ禍で更にお店が減っていたような印象ですが、制限解除、全国旅行支援で
観光客がいきなり増えてもお店が急に増えるわけもないしなあ。
最悪、途中のさくら野(百貨店)でお惣菜買って部屋のみでもいいか、と思って
歩いていたら、
(写真は翌朝撮ったものなのでシャッター閉まってます(^-^;)
(弐乃助さん)https://tabelog.com/aomori/A0201/A020101/2011239/
お店に入ると若い男性スタッフが「お一人ですか、どうぞカウンターに」と
明るく案内してくれて、ホッとしながら着席。
私がお店に入ったのは19時30分ごろでまだカウンターもそこそこ空いていましたが、
私のように呑み屋を探してさまよっている人が多かったのか20時過ぎにはほぼ満席。
カウンターに置いてあったリーフレットを観たら、
駅前と私が入ったお店で郷土料理の居酒屋が2軒(壱乃助、弐乃助)、
このお店の上にワインバルとウィスキーバーがあって
昨年あったのか記憶がないのですが新しく出来たお店のようです。
地元の方向けというよりは観光客向けのお店って感じかな。
呑み放題には地酒が入っていないという説明だったので、
ではアラカルトにします、と伝えてタッチパネル式のメニューを確認します。
ちなみに、普通に紙のメニューもあって店員さんに注文もできるようです。
(桃川って独特の味がするような気がしますがこれもそんな感じ)
と、日本酒でまったりしながらお料理の注文、どうしようかと、
ニシンのお刺身も魅惑的、もつ煮も大好きだし、青森のもずく?迷いまくって
(でも、お昼食べ過ぎているのでそんなに食べられないし)
「でっかい」と書いてあるのに気づかず、貝焼き味噌はやっぱり外せない、
という一念で注文したら通常の1.5倍以上(2倍弱くらい)のボリューム。
卵も帆立もたっぷりで美味しかったのですが、食べきるのに時間がかかりました。
けの汁のみながら呑めそう、と思いながら珍味にも惹かれて
ほやのお刺身も大好きなのですが、塩辛はお酒にぴったり。
長芋も帆立もいいなあ、と思いながら、
物凄い盛りで残してしまったことが悔やまれます。。。。
価格設定は少々高めの印象ですが、スタッフの方々の対応が明るく丁寧、
好感がもてましたので行き当たりばったりで入ったにしてはよかったと思います。
全国旅行支援クーポン3000円分にちょっと足してお会計したらホテルに戻ります。
とんかつのお店で、豚がフライパンもった絵がシュールな看板があった記憶ですが、
個人のお店なので店主高齢化で閉業など、の理由なのかもしれませんね。
とはいえ、定点観測的に観ていたお店がなくなるとやはり寂しいものがあります。
部屋着が少々臭い(ケラチンくさい)のがJAL系なのに残念と思いながら、
テレビを見ていたら(壁が薄いのか他の部屋の物音が結構聞こえました)
爆睡していました。
(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜
(つづく)