ペーパードライバー教習を受けてみた~決心つくまで編~ [いろいろ②]
今回はタイトルの通りで先日ペーパードライバー教習を受けました。
(今月の話なのでさほど後手ではありません(笑))
昨年、運転免許証の更新に行った話を書いた際に、
婆1号にペーパードライバー教習を受けて欲しいと言われた話を書いたのですが、
その続きというか、婆1号はその時そんなことを言ったのは既に記憶にないので
(昔のことはよく覚えていますが直近の話はすぐ忘れる年頃になりました)
でも、言われた私は「ペーパードライバー教習」と言う言葉がそれ以降ずっと
頭にこびりついたまま、また婆1号に言われたらどうしよう、断れないかな、
我ながら情けないというかなんというかモヤモヤした状態が続いておりました。
年が明けてちょっとしたころ、
「今年が免許の更新時期なんだけど、更新しないことにしたから」
(返納せず更新しない、ということらしいです)
婆1号に言われました。
月に1度くらい実家に来る兄が、
「車はそのまま置いていてほしい、俺が来たときは買い物に連れていくから」
と言ったので婆1号もそれなら車はそのまま置いておこうと思ったらしいのですが
実際買い物に連れていくという理由もあれど、ガソリン代、高速代無料(婆1号もち)で
一人で外出したいというのも実家に車があってほしい理由らしいです。(笑)
というわけで、実家に車が置いてある状態で婆1号が免許更新せず、となったのが7月、
その1か月前くらいから、
「免許は更新しないから●月●日以降は運転できなくなるから」と何度も言うようになり、
「うつぼがペーパードライバー教習に行ってうちで運転してくれれば私も楽なのに」
と、プレッシャーをかけてくるようになりました。
婆1号は私にプレッシャーをかけるつもりはないと思いますが、
何度も言われる方はプレッシャーに感じる訳です。(笑)
「まだリハビリやってるからどうかなー?」
なんとか運転しないで済む理由を探す(セコイ)私に対して、
「先生に聞いてみなさいよ、『運転してもいいですか?』って。
お母さんは運転できなくなるんだからそのくらい考えてちょうだい」
超プレッシャー。( 一一)
理学療法士の先生に聞いてみたら「大丈夫じゃないですか?」と
私の期待に反する回答だったのですが、理由を説明したら笑っていました。
理学療法士の先生は大丈夫というけれど、執刀した主治医は違うかもしれない。
自分に都合のいいように解釈して、
「理学療法士の先生に聞いたら主治医に聞いた方がいいですよって言われちゃった」
と、嘘をつきました。(笑)
それで納得していた婆1号ですが、主治医の診察日が近づいてきた私に
「主治医の先生に『運転できますか?』ってちゃんと聞きなさいよ」
再びプレッシャーをかけてきて、7月下旬に主治医の診察日となりました。
「え?運転大丈夫でしょ?なんでそんなことを聞くの?」
主治医の先生の回答は実にあっさりしたものでした。
斯々云々、説明したら、主治医の先生も笑っていたのですが、
実際、中途半端にしか左手を上げられないので左折右折の時にハンドル回せるかな、
という不安があったのは事実です。(肩を捻る動作も上手にできないし)
というわけで、この時はもう逃げられないと思って婆1号に報告したら
「よかった!これでお母さん、タクシー使わなくて済むわね!」
と喜んでいました。
とはいえ、言ったことをすぐ忘れてしまうので、
教習を受ける前は運転する自信がないという私に理解を示して、
実家に帰るときタクシーで駅前に婆1号がやってきて一緒に買い物して
タクシーで実家に帰る、というパターンを何度か繰り返していたら、
「タクシーで移動できるから無理しておまえが運転することないわよ。
大体20年以上運転していない人の運転なんて怖くて乗れたもんじゃない。」
と言い始めました。
かと思うと、
「早く教習に行ってくれないとタクシー使わないといけないでしょ。」
と言ったりもして。
えーどっちなのー?(?_?)
タクシーで移動できるから運転しなくていい、と、運転してくれないと移動できない、
を交互に繰り返す婆1号に私はどうしたらいいのだろう、と迷ったのですが、
昔昔、教習所に通って運転免許を取得できたんだし(30年以上前の話ですが)
ペーパードライバー教習に行けば運転の勘とか思い出せるだろうし、
実家の近所(田舎)は車も少ないし、実家の車は軽自動車だからなんとかいけるだろう、
いやだいやだ、とやらないで済む理由ばかりを探していた己を反省し、
やっと教習所にいく決心がつきました。
(つづく)
(今月の話なのでさほど後手ではありません(笑))
昨年、運転免許証の更新に行った話を書いた際に、
婆1号にペーパードライバー教習を受けて欲しいと言われた話を書いたのですが、
その続きというか、婆1号はその時そんなことを言ったのは既に記憶にないので
(昔のことはよく覚えていますが直近の話はすぐ忘れる年頃になりました)
でも、言われた私は「ペーパードライバー教習」と言う言葉がそれ以降ずっと
頭にこびりついたまま、また婆1号に言われたらどうしよう、断れないかな、
我ながら情けないというかなんというかモヤモヤした状態が続いておりました。
年が明けてちょっとしたころ、
「今年が免許の更新時期なんだけど、更新しないことにしたから」
(返納せず更新しない、ということらしいです)
婆1号に言われました。
月に1度くらい実家に来る兄が、
「車はそのまま置いていてほしい、俺が来たときは買い物に連れていくから」
と言ったので婆1号もそれなら車はそのまま置いておこうと思ったらしいのですが
実際買い物に連れていくという理由もあれど、ガソリン代、高速代無料(婆1号もち)で
一人で外出したいというのも実家に車があってほしい理由らしいです。(笑)
というわけで、実家に車が置いてある状態で婆1号が免許更新せず、となったのが7月、
その1か月前くらいから、
「免許は更新しないから●月●日以降は運転できなくなるから」と何度も言うようになり、
「うつぼがペーパードライバー教習に行ってうちで運転してくれれば私も楽なのに」
と、プレッシャーをかけてくるようになりました。
婆1号は私にプレッシャーをかけるつもりはないと思いますが、
何度も言われる方はプレッシャーに感じる訳です。(笑)
「まだリハビリやってるからどうかなー?」
なんとか運転しないで済む理由を探す(セコイ)私に対して、
「先生に聞いてみなさいよ、『運転してもいいですか?』って。
お母さんは運転できなくなるんだからそのくらい考えてちょうだい」
超プレッシャー。( 一一)
理学療法士の先生に聞いてみたら「大丈夫じゃないですか?」と
私の期待に反する回答だったのですが、理由を説明したら笑っていました。
理学療法士の先生は大丈夫というけれど、執刀した主治医は違うかもしれない。
自分に都合のいいように解釈して、
「理学療法士の先生に聞いたら主治医に聞いた方がいいですよって言われちゃった」
と、嘘をつきました。(笑)
それで納得していた婆1号ですが、主治医の診察日が近づいてきた私に
「主治医の先生に『運転できますか?』ってちゃんと聞きなさいよ」
再びプレッシャーをかけてきて、7月下旬に主治医の診察日となりました。
「え?運転大丈夫でしょ?なんでそんなことを聞くの?」
主治医の先生の回答は実にあっさりしたものでした。
斯々云々、説明したら、主治医の先生も笑っていたのですが、
実際、中途半端にしか左手を上げられないので左折右折の時にハンドル回せるかな、
という不安があったのは事実です。(肩を捻る動作も上手にできないし)
というわけで、この時はもう逃げられないと思って婆1号に報告したら
「よかった!これでお母さん、タクシー使わなくて済むわね!」
と喜んでいました。
とはいえ、言ったことをすぐ忘れてしまうので、
教習を受ける前は運転する自信がないという私に理解を示して、
実家に帰るときタクシーで駅前に婆1号がやってきて一緒に買い物して
タクシーで実家に帰る、というパターンを何度か繰り返していたら、
「タクシーで移動できるから無理しておまえが運転することないわよ。
大体20年以上運転していない人の運転なんて怖くて乗れたもんじゃない。」
と言い始めました。
かと思うと、
「早く教習に行ってくれないとタクシー使わないといけないでしょ。」
と言ったりもして。
えーどっちなのー?(?_?)
タクシーで移動できるから運転しなくていい、と、運転してくれないと移動できない、
を交互に繰り返す婆1号に私はどうしたらいいのだろう、と迷ったのですが、
昔昔、教習所に通って運転免許を取得できたんだし(30年以上前の話ですが)
ペーパードライバー教習に行けば運転の勘とか思い出せるだろうし、
実家の近所(田舎)は車も少ないし、実家の車は軽自動車だからなんとかいけるだろう、
いやだいやだ、とやらないで済む理由ばかりを探していた己を反省し、
やっと教習所にいく決心がつきました。
(つづく)
タグ:珍事 ペーパードライバー教習
映画「サバカン」を観る [映画(さ行)]
何も予習せず、タイトルだけで選んで鑑賞した映画です。
あらすじはYahoo!映画さんより。
1986年、長崎。小学5年生の久田(番家一路)は、
愛情深い両親(尾野真千子、竹原ピストル)と弟と共に
時にはけんかもしながら暮らしていた。
彼はあることを機に、家が貧しいためにクラスメートから避けられている
竹本(原田琥之佑)とイルカを見るためにブーメラン島に行くことになる。
この冒険をきっかけに二人の絆は深まっていくが、ある事件が起きる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
またねー!
じわり。(:_;)
主役の2人(久ちゃんと竹ちゃん)が互いが見えなくなるまで
またねー!と言い続ける場面を見て、私も昔は友達とバイバイする時にまたねー!って
言ってたなあ、いつから言わなくなっちゃったんだろう、と思いました。
長崎というと大学生の頃、1度しか行ったことのない場所ですが、
今作を見て長崎にって島原鉄道に乗りたくなりました。
(舞台の長与駅はJRですが映画で使われたのは島原鉄道の古部駅)
映画の舞台は1986年、私はそのひと昔前位に小学生だったので、
映画と時代がずれているものの、それでもどこか懐かしい風景は変わらず
自分が小学生の頃のことを思い出しました。
個人的にツボにはまったのは、
LARKの傘立て(同じものが実家にあった(笑))、
久ちゃんのひもぐつ(私は同じようなデザインで緑色の靴を履いていた)、
リュック(紐でキュッと絞るタイプ)にチェック柄の水筒、
麦茶ポットにストライプ柄のベルトに自転車、、あたりです。
あと、ブーメラン島にイルカがいる、という噂、
ヤンキーが言ってるから間違いない、と真顔で言う竹ちゃんに
ヤンキーを信じるなんて、と思わず噴いた私です。
そして、イルカに乗る、という竹ちゃんの発言に、
漁師の父親を亡くした竹ちゃんが、貧乏を同級生にからかわれて笑われて
でも、久ちゃんだけが笑わなかったという理由で夏休みの冒険に誘う、
竹ちゃんがタンクトップ2枚を着まわしていることから貧乏といじめられるのですが、
その後の場面でいや、タンクトップ以外も持ってるじゃん、という、
若干冷めてた自分のツッコミもあったのですが(心が汚れた大人です(笑))
急こう配のタンタン岩、ブーメラン島、長崎の海と山とミカン畑、
自然が少年たちの夏休みを盛り上げて見せてくれるような心持でした。
この2人の冒険と友情を育んでいくのを周りで盛り上げるのが、
久ちゃんの両親(尾野真千子と竹原ピストルの掛け合いが楽しかった)、
久ちゃんの弟(久ちゃんを演じた番家一路君の実弟だそうですね)、
感激屋の小学校の担任、みかん畑を所有する内田のじいさん(岩松了が好演)、
ヤンキーに絡まれる2人を助ける金山とブーメラン島で出会う由香、など、
悪い人が竹ちゃんをいじめる同級生くらいで、他はみんないい人で、
もちろん久ちゃんと竹ちゃんをたくさん盛り上げてくれました。
竹ちゃんを演じる原田琥之佑君が原田芳雄のお孫さんというのを鑑賞後に
インタビュー記事で知ったのですが、彼が見たおじいちゃんの演技(作品)で
挙げていたのが
あらすじはYahoo!映画さんより。
1986年、長崎。小学5年生の久田(番家一路)は、
愛情深い両親(尾野真千子、竹原ピストル)と弟と共に
時にはけんかもしながら暮らしていた。
彼はあることを機に、家が貧しいためにクラスメートから避けられている
竹本(原田琥之佑)とイルカを見るためにブーメラン島に行くことになる。
この冒険をきっかけに二人の絆は深まっていくが、ある事件が起きる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
またねー!
じわり。(:_;)
主役の2人(久ちゃんと竹ちゃん)が互いが見えなくなるまで
またねー!と言い続ける場面を見て、私も昔は友達とバイバイする時にまたねー!って
言ってたなあ、いつから言わなくなっちゃったんだろう、と思いました。
長崎というと大学生の頃、1度しか行ったことのない場所ですが、
今作を見て長崎にって島原鉄道に乗りたくなりました。
(舞台の長与駅はJRですが映画で使われたのは島原鉄道の古部駅)
映画の舞台は1986年、私はそのひと昔前位に小学生だったので、
映画と時代がずれているものの、それでもどこか懐かしい風景は変わらず
自分が小学生の頃のことを思い出しました。
個人的にツボにはまったのは、
LARKの傘立て(同じものが実家にあった(笑))、
久ちゃんのひもぐつ(私は同じようなデザインで緑色の靴を履いていた)、
リュック(紐でキュッと絞るタイプ)にチェック柄の水筒、
麦茶ポットにストライプ柄のベルトに自転車、、あたりです。
あと、ブーメラン島にイルカがいる、という噂、
ヤンキーが言ってるから間違いない、と真顔で言う竹ちゃんに
ヤンキーを信じるなんて、と思わず噴いた私です。
そして、イルカに乗る、という竹ちゃんの発言に、
海のトリトン、懐かしいなあ、と思い出しましたが、
それより早く頭に浮かんだのは城みちるでした。(^-^;
それより早く頭に浮かんだのは城みちるでした。(^-^;
漁師の父親を亡くした竹ちゃんが、貧乏を同級生にからかわれて笑われて
でも、久ちゃんだけが笑わなかったという理由で夏休みの冒険に誘う、
竹ちゃんがタンクトップ2枚を着まわしていることから貧乏といじめられるのですが、
その後の場面でいや、タンクトップ以外も持ってるじゃん、という、
若干冷めてた自分のツッコミもあったのですが(心が汚れた大人です(笑))
急こう配のタンタン岩、ブーメラン島、長崎の海と山とミカン畑、
自然が少年たちの夏休みを盛り上げて見せてくれるような心持でした。
この2人の冒険と友情を育んでいくのを周りで盛り上げるのが、
久ちゃんの両親(尾野真千子と竹原ピストルの掛け合いが楽しかった)、
久ちゃんの弟(久ちゃんを演じた番家一路君の実弟だそうですね)、
感激屋の小学校の担任、みかん畑を所有する内田のじいさん(岩松了が好演)、
ヤンキーに絡まれる2人を助ける金山とブーメラン島で出会う由香、など、
悪い人が竹ちゃんをいじめる同級生くらいで、他はみんないい人で、
もちろん久ちゃんと竹ちゃんをたくさん盛り上げてくれました。
竹ちゃんを演じる原田琥之佑君が原田芳雄のお孫さんというのを鑑賞後に
インタビュー記事で知ったのですが、彼が見たおじいちゃんの演技(作品)で
挙げていたのが
この作品で、今後俳優の道を進むのであれば楽しみだなと思いました。
2人の夏休みがある事件で終わってしまい、離れ離れにという展開に
驚きつつ、その後の2人(久ちゃんのその後は草彅君)についても描かれていて
温かい気持ちで観終わりましたが、忘れかけていたころの気持ちを思い出させて
もらったような「サバカン」でありました。
2人の夏休みがある事件で終わってしまい、離れ離れにという展開に
驚きつつ、その後の2人(久ちゃんのその後は草彅君)についても描かれていて
温かい気持ちで観終わりましたが、忘れかけていたころの気持ちを思い出させて
もらったような「サバカン」でありました。
銀座「トロワフレーシュ」で炭火焼 [呑んだり食べたり(お肉系)]
遠方に住む友人が久しぶりに上京してきたのですが(8月初旬)、
中間の快気祝いでもどう?と言ってくれたので、
嬉しいお誘いを受けて久しぶりに銀座に行きました。
場所は日比谷駅から歩いていく場合は、コリドー街の梅ヶ丘美登利寿司のあたりで
左折して一本隣の細い道を新橋方向に進んでいったところにあります。
(トロワフレーシュさん)http://www.trois-fleches.com/
半個室のように区切られた一角のテーブル席に着席。
こういうバターの形、見たのは初めてかもしれません。
(正方形とか丸い形とかが多いイメージです)
ビールで乾杯するとお肉が運ばれてきました。
凄い
事前にネットで予習していったのですが、色々な方の記事で紹介されていた写真と同じ、
目の前に広がる和牛ワールドに「全部食べたい(無理)」と思ってしまいました。
一番上がヒレ、その下にイチボ、下の3つはすべてサーロイン、牛の種類が違うので
サーロインといってもそれぞれ違うんですよ(真ん中は短角牛、左右両脇は黒毛和牛)
という説明でした。
1種類200gから、前菜も種類豊富なお店と聞いていたので前菜も食べたいし、
でも折角だからお肉も食べたいし、、でも前菜も色々食べたいし、初っ端から迷いまくり、
ヒレとイチボを200gずつお願いしました。
前菜は、冷たいもの、温かいもの、それぞれ6~7種類ずつあったような記憶ですが、
だいたい皆さん、2種類ずつ、3種類ずつ、って感じでご注文されていますね、
というご説明あったので、食べ盛りの食べ放題は遥か昔の状態になってしまった身として
無理せず冷温2種類ずつお願いしました。
注文後カリカリのバゲットが運ばれきました 最初は雲丹
カリフラワーのムースだったかな、と、コンソメジュレに雲丹。
焼いたとうもろこし(甘い)がのっていて美味です。
井草のミニ畳に載っているのも見て楽しいですね。(^-^)
友人は水茄子のサラダ
ちょっといただきましたが、さっぱりしていて夏を感じます。
ワインはソムリエさんにおまかせしました 友人の注文 スモークサーモン
こんなに身が厚いと思わなかったので驚きましたが、
燻した香りが食べるときにふわっと香って身の味の濃さをよく合っていました。
(これも物欲しそうな顔をしていたら友人が一口分けてくれました)私は白身魚
といってもこの写真だと分かりづらいのですが、
白身魚をすり身にしてそうめん状にして火を通したものの上に、
おかひじき、海ブドウ、とたっぷりのカラスミ。贅沢な一品です。
お魚の優しい味わいにおかひじきと海ブドウの食感(しゃきしゃきぷちぷち)と
カラスミの旨味が絡んでこれも大変美味。
ロゼと白の後は 温かい前菜
帆立です
貝が好きなので注文したのですが、予想していない形で現れました。
半分にきってねじったみたいですね、プリプリの帆立の身にディル?セルフィーユ?が
入ったオランデーズソースがよく合っていました。
今回の前菜の中で一番気に入ったのがこの帆立でした。
続いてホッキ
ホッキ貝も好きなので注文したのですがプリプリの身、噛むと濃い味、
更に贅沢キャビア、思わず「これは日本酒が呑みたくなりますね」と言ったら、
日本酒もありました。(◎_◎;)
まさかこういうお店で日本酒が出てくるとは思っていなかったので
驚きつつ、おちょこでちょっと飲ませてもらいましたが純米酒によく合います、ホッキ。
この後もお見立てワインをいただき お肉用のプレ―ト登場
丁寧にカットしていただき
イチボ(左)とヒレ(右)
紀州の備長炭でじっくり丁寧に焼かれたお肉、外は香ばしく、
中のお肉は(ミディアムでお願いしました)きれいなロゼ色、噛むと旨味が広がって
赤ワインと一緒にいただいて至福です。
イチボはシュラスコのピカーニャと同じですが、今回は切り方が厚めなので
噛んでじっくり味わうという感じでした。(^-^)
食後にポートワインと
デザートもいただいてしまいました。。
(デザートの種類もたくさんあったのですが、プリンとアイスのみで)
場所柄接待需要の多いお店のようですが、スタッフの方々の対応が非常にスムーズで
丁寧で、でもフレンドリーな雰囲気、お料理もお酒もどれもすべて美味しくて、
最初から最後まで夢心地、、まだリハビリ通いが続く中で、こうやって中間の快気祝いの
場を作ってくれた友人に感謝しながら久しぶりにたくさん食べて呑んでしまいました。
自力で行くには敷居の高いお店ですが、今度は私が頑張って友人を誘いたいと思った
トロワフレーシュさんでありました。
中間の快気祝いでもどう?と言ってくれたので、
嬉しいお誘いを受けて久しぶりに銀座に行きました。
場所は日比谷駅から歩いていく場合は、コリドー街の梅ヶ丘美登利寿司のあたりで
左折して一本隣の細い道を新橋方向に進んでいったところにあります。
(トロワフレーシュさん)http://www.trois-fleches.com/
半個室のように区切られた一角のテーブル席に着席。
こういうバターの形、見たのは初めてかもしれません。
(正方形とか丸い形とかが多いイメージです)
ビールで乾杯するとお肉が運ばれてきました。
凄い
事前にネットで予習していったのですが、色々な方の記事で紹介されていた写真と同じ、
目の前に広がる和牛ワールドに「全部食べたい(無理)」と思ってしまいました。
一番上がヒレ、その下にイチボ、下の3つはすべてサーロイン、牛の種類が違うので
サーロインといってもそれぞれ違うんですよ(真ん中は短角牛、左右両脇は黒毛和牛)
という説明でした。
1種類200gから、前菜も種類豊富なお店と聞いていたので前菜も食べたいし、
でも折角だからお肉も食べたいし、、でも前菜も色々食べたいし、初っ端から迷いまくり、
ヒレとイチボを200gずつお願いしました。
前菜は、冷たいもの、温かいもの、それぞれ6~7種類ずつあったような記憶ですが、
だいたい皆さん、2種類ずつ、3種類ずつ、って感じでご注文されていますね、
というご説明あったので、食べ盛りの食べ放題は遥か昔の状態になってしまった身として
無理せず冷温2種類ずつお願いしました。
注文後カリカリのバゲットが運ばれきました 最初は雲丹
カリフラワーのムースだったかな、と、コンソメジュレに雲丹。
焼いたとうもろこし(甘い)がのっていて美味です。
井草のミニ畳に載っているのも見て楽しいですね。(^-^)
友人は水茄子のサラダ
ちょっといただきましたが、さっぱりしていて夏を感じます。
ワインはソムリエさんにおまかせしました 友人の注文 スモークサーモン
こんなに身が厚いと思わなかったので驚きましたが、
燻した香りが食べるときにふわっと香って身の味の濃さをよく合っていました。
(これも物欲しそうな顔をしていたら友人が一口分けてくれました)私は白身魚
といってもこの写真だと分かりづらいのですが、
白身魚をすり身にしてそうめん状にして火を通したものの上に、
おかひじき、海ブドウ、とたっぷりのカラスミ。贅沢な一品です。
お魚の優しい味わいにおかひじきと海ブドウの食感(しゃきしゃきぷちぷち)と
カラスミの旨味が絡んでこれも大変美味。
ロゼと白の後は 温かい前菜
帆立です
貝が好きなので注文したのですが、予想していない形で現れました。
半分にきってねじったみたいですね、プリプリの帆立の身にディル?セルフィーユ?が
入ったオランデーズソースがよく合っていました。
今回の前菜の中で一番気に入ったのがこの帆立でした。
続いてホッキ
ホッキ貝も好きなので注文したのですがプリプリの身、噛むと濃い味、
更に贅沢キャビア、思わず「これは日本酒が呑みたくなりますね」と言ったら、
日本酒もありました。(◎_◎;)
まさかこういうお店で日本酒が出てくるとは思っていなかったので
驚きつつ、おちょこでちょっと飲ませてもらいましたが純米酒によく合います、ホッキ。
この後もお見立てワインをいただき お肉用のプレ―ト登場
丁寧にカットしていただき
イチボ(左)とヒレ(右)
紀州の備長炭でじっくり丁寧に焼かれたお肉、外は香ばしく、
中のお肉は(ミディアムでお願いしました)きれいなロゼ色、噛むと旨味が広がって
赤ワインと一緒にいただいて至福です。
イチボはシュラスコのピカーニャと同じですが、今回は切り方が厚めなので
噛んでじっくり味わうという感じでした。(^-^)
食後にポートワインと
デザートもいただいてしまいました。。
(デザートの種類もたくさんあったのですが、プリンとアイスのみで)
場所柄接待需要の多いお店のようですが、スタッフの方々の対応が非常にスムーズで
丁寧で、でもフレンドリーな雰囲気、お料理もお酒もどれもすべて美味しくて、
最初から最後まで夢心地、、まだリハビリ通いが続く中で、こうやって中間の快気祝いの
場を作ってくれた友人に感謝しながら久しぶりにたくさん食べて呑んでしまいました。
自力で行くには敷居の高いお店ですが、今度は私が頑張って友人を誘いたいと思った
トロワフレーシュさんでありました。
タグ:銀座
映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」を観る [映画(は行)]
ビーチボーイズは知っているもののファンということもなく、
でも曲は結構知っているから、という理由で映画館で観ました。
あらすじはYahoo!映画さんより。
1962年にデビューアルバム「サーフィン・サファリ」をリリースした、ビーチ・ボーイズ。
その創設メンバーであるブライアン・ウィルソンは、コンポーザーとして
「カリフォルニア・ガールズ」「リトル・ガール」といった人気ナンバー、
「ペット・サウンズ」などのアルバムを生み出す。
だが、薬物依存症を発症したことでツアーから離脱し、メンバーともすれ違うようになる。
さらに精神科医ユージン・ランディ氏によって洗脳まがいの治療を施された上に、
弟デニスを亡くしてしまう。
でも曲は結構知っているから、という理由で映画館で観ました。
あらすじはYahoo!映画さんより。
1962年にデビューアルバム「サーフィン・サファリ」をリリースした、ビーチ・ボーイズ。
その創設メンバーであるブライアン・ウィルソンは、コンポーザーとして
「カリフォルニア・ガールズ」「リトル・ガール」といった人気ナンバー、
「ペット・サウンズ」などのアルバムを生み出す。
だが、薬物依存症を発症したことでツアーから離脱し、メンバーともすれ違うようになる。
さらに精神科医ユージン・ランディ氏によって洗脳まがいの治療を施された上に、
弟デニスを亡くしてしまう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ビーチ・ボーイズファンというほどでもない私も楽しめました。(^-^)
小学生の頃、人生最初にはまった洋楽がクイーンだったせいか、
ビーチ・ボーイズ走っているけれど陽気なサーフィンミュージック、
勝手ないイメージのまま、気づけば五十路になっていた私です。
映画を観た後、Spotifyで検索して聴きながら帰途についたのですが、
意外とたくさん彼らの曲を知っていたということに気づきました。
彼らの曲を知っていたけれど、メロディを口ずさめるけれど、
メンバーにブライアン・ウィルソンがいることを知っているくらいで、
それも、彼の娘が結成したウィルソン・フィリップスの曲で知った、
(調べたらそれも1990年とずいぶん昔の話でした(^-^;)
ビーチ・ボーイズといってもその程度の知識だったので、今作を見て、
ブライアン・ウィルソンが天才であること、それが故に様々な苦悩を抱えて
アルコールやドラッグにどっぷりつかったりしたこと、
陽気に聴こえていた音楽の背景にある彼の才能と繊細さと苦労を垣間見た、
そんな気持ちになりました。
私が陽気だと思っていたのは私が生まれる前あたりの作品(サーフィンUSAとか)、
ビートルズのラバーソウルに影響を受けて発表したアルバムが、
ペット・サウンズ(MONO & STEREO)+1(SHM-CD)
- アーティスト: ザ・ビーチ・ボーイズ
- 出版社/メーカー: Universal Music
- 発売日: 2016/04/06
- メディア: CD
"God only knows"、聴けば知っている曲ですが、この曲、確かにビートルズの影響を
受けたのも分かります。ただ、このアルバムがこれまでのサウンドとかけ離れていて
商業的には思ったほどではなく、レコード会社からも敬遠されてしまい、
その後のアルバム制作中にブライアン・ウィルソンは精神を病んでアルコールやドラッグに
どっぷりつかってしまい(暴力的だった父親も精神的に負に作用したように見えた)
メンバーで弟だったデニスをなくし、更に、あくどい精神科医の拘束(9年間も)もあって、
と、波乱の人生だったことを今作で知りました。
長年ブライアン・ウィルソンと親交のあるローリングストーン紙の記者の
ジェイソン・ファインと一緒にドライブしながら思い出の場所をたどっていくのが
中心になっていますが、心を開いて話せる相手とドライブしながらだったからこそ、
ブライアン・ウィルソンも過去の辛い話ができたのではないかと思います。
(一緒に話して音楽を聴いているときの彼の姿が時につらそうでしたが、
楽しそうにしている様子は見ていてほほえましかった)
20歳そこそこで大ヒットを飛ばし、3年間でアルバム10枚を作るという、
(儲けようとするレコード会社にいいように使われていたようにも見えました)
その精神力と才能は素晴らしいという言葉では表現しきれないですね。
エルトン・ジョンや、ブルース・スプリングスティーン(久しぶりに観た)、
今年初めに亡くなったテイラー・ホーキンスなどのミュージシャンが登場し、
ブライアン・ウィルソンについて語る中で、エルトン・ジョンが彼の家に
行った話、エルトン・ジョンだけでなく、スライ・ストーンや、
パパス&ママス(ウィルソン・フィリップス誕生ってここなのね、と納得)も
訪れたという話に時代を感じつつ、当時のミュージシャンたちが集う様子を
想像しました。
今作を観なければ私にとってのビーチ・ボーイズは陽気なままでしたが、
ブライアン・ウィルソンの姿と人生を少しでも知ることが出来たことで、
彼の成長とともに変化していった楽曲も理解して改めて聴きたいと思った、
「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」でありました。
受けたのも分かります。ただ、このアルバムがこれまでのサウンドとかけ離れていて
商業的には思ったほどではなく、レコード会社からも敬遠されてしまい、
その後のアルバム制作中にブライアン・ウィルソンは精神を病んでアルコールやドラッグに
どっぷりつかってしまい(暴力的だった父親も精神的に負に作用したように見えた)
メンバーで弟だったデニスをなくし、更に、あくどい精神科医の拘束(9年間も)もあって、
と、波乱の人生だったことを今作で知りました。
長年ブライアン・ウィルソンと親交のあるローリングストーン紙の記者の
ジェイソン・ファインと一緒にドライブしながら思い出の場所をたどっていくのが
中心になっていますが、心を開いて話せる相手とドライブしながらだったからこそ、
ブライアン・ウィルソンも過去の辛い話ができたのではないかと思います。
(一緒に話して音楽を聴いているときの彼の姿が時につらそうでしたが、
楽しそうにしている様子は見ていてほほえましかった)
20歳そこそこで大ヒットを飛ばし、3年間でアルバム10枚を作るという、
(儲けようとするレコード会社にいいように使われていたようにも見えました)
その精神力と才能は素晴らしいという言葉では表現しきれないですね。
エルトン・ジョンや、ブルース・スプリングスティーン(久しぶりに観た)、
今年初めに亡くなったテイラー・ホーキンスなどのミュージシャンが登場し、
ブライアン・ウィルソンについて語る中で、エルトン・ジョンが彼の家に
行った話、エルトン・ジョンだけでなく、スライ・ストーンや、
パパス&ママス(ウィルソン・フィリップス誕生ってここなのね、と納得)も
訪れたという話に時代を感じつつ、当時のミュージシャンたちが集う様子を
想像しました。
今作を観なければ私にとってのビーチ・ボーイズは陽気なままでしたが、
ブライアン・ウィルソンの姿と人生を少しでも知ることが出来たことで、
彼の成長とともに変化していった楽曲も理解して改めて聴きたいと思った、
「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」でありました。
小伝馬町「和酒彩菜 遊月亭」で稚鮎 [呑んだり食べたり(居酒屋)]
先日呑み会三連荘の記事を書きましたが、その翌週、呑み友が退院祝いと称して
呑み会に誘ってくれました。(退院してから2ヶ月経ってますが(笑))
カチンカチンに凍ったおしぼり
一応お化粧しているので顔は拭けませんでしたが(笑)
小伝馬町駅から歩いて汗だくで到着したところでいただいたので
首に当てたりしてクールダウンできました。
はい、乾杯♪
外で呑むビールが美味しく思えます。(そのくらいまで快復)
最初にぽくぽく枝豆
冷凍枝豆も美味しく食べられますがやはり旬になると茹でたてが食べられるのが
嬉しいですね。(^-^)
お通し
サラミ、海老とキュウリの酢の物、もずくの3種類。
ちょっとずつ色々つまめるのが楽しいです。
鰯のつみれ
骨折した私のカルシウム補給になるようなお料理を
幹事さんが店主のたけるさんにリクエストしてくれていたようで、
鰯の旨味たっぷりのつみれ、美味しくいただきました。
お刺身
本マグロと帆立の2種類。
ねっとりとした旨味たっぷりのマグロにプリプリの帆立。
美味しい魚介類が食べられるとテンション上がります。
デザートワインのような日本酒をいただいて 稚鮎
カリッと揚げられた稚鮎、ほわっとした身に微かな苦み、
これはビールにも合いそうな一品です。
玉葱とワインビネガー?のタレにつけても美味
日本酒はおまかせ呑み放題にしたので店主さんが次々と出してくれるのを
うまいうまいと飲んでいたのですが、
ゆきの美人 秋田のお酒です
しっかりした味わいが好みでした。(^-^)
猪
臭みがまったくなく噛むと広がる濃ゆい味、美味です。
新潟の越の誉がよく合います!
ぷりぷりの海老
殻はサクサク、身はぷりぷり、美味しくて頭も食べてしまいました。
梅の宿 彩(純米酒)
奈良のお酒だそうです。さっぱりといただいて〆ました。
時折集まる酒友たちですが、骨折後集まったのが初めてだったせいか、
カルシウムをとるようにとカルシウム入りの肝油をいただいたり(笑)
彼らの骨折体験を聴いたり(私より先に骨折したことがある人達)
やっぱり外で呑むお酒とお料理は美味しいし、何気ない会話は楽しいな、
と思った遊月亭さんでの呑みでありました。
呑み会に誘ってくれました。(退院してから2ヶ月経ってますが(笑))
カチンカチンに凍ったおしぼり
一応お化粧しているので顔は拭けませんでしたが(笑)
小伝馬町駅から歩いて汗だくで到着したところでいただいたので
首に当てたりしてクールダウンできました。
はい、乾杯♪
外で呑むビールが美味しく思えます。(そのくらいまで快復)
最初にぽくぽく枝豆
冷凍枝豆も美味しく食べられますがやはり旬になると茹でたてが食べられるのが
嬉しいですね。(^-^)
お通し
サラミ、海老とキュウリの酢の物、もずくの3種類。
ちょっとずつ色々つまめるのが楽しいです。
鰯のつみれ
骨折した私のカルシウム補給になるようなお料理を
幹事さんが店主のたけるさんにリクエストしてくれていたようで、
鰯の旨味たっぷりのつみれ、美味しくいただきました。
お刺身
本マグロと帆立の2種類。
ねっとりとした旨味たっぷりのマグロにプリプリの帆立。
美味しい魚介類が食べられるとテンション上がります。
デザートワインのような日本酒をいただいて 稚鮎
カリッと揚げられた稚鮎、ほわっとした身に微かな苦み、
これはビールにも合いそうな一品です。
玉葱とワインビネガー?のタレにつけても美味
日本酒はおまかせ呑み放題にしたので店主さんが次々と出してくれるのを
うまいうまいと飲んでいたのですが、
ゆきの美人 秋田のお酒です
しっかりした味わいが好みでした。(^-^)
猪
臭みがまったくなく噛むと広がる濃ゆい味、美味です。
新潟の越の誉がよく合います!
ぷりぷりの海老
殻はサクサク、身はぷりぷり、美味しくて頭も食べてしまいました。
梅の宿 彩(純米酒)
奈良のお酒だそうです。さっぱりといただいて〆ました。
時折集まる酒友たちですが、骨折後集まったのが初めてだったせいか、
カルシウムをとるようにとカルシウム入りの肝油をいただいたり(笑)
彼らの骨折体験を聴いたり(私より先に骨折したことがある人達)
やっぱり外で呑むお酒とお料理は美味しいし、何気ない会話は楽しいな、
と思った遊月亭さんでの呑みでありました。
銚子&宗吾参道旅行記2022~宗吾霊堂であじさい祭り&船橋でおまけ編~ [日本の旅(関東)]
佐倉惣五郎にまつわる思い出を確認した後は、紫陽花が沢山咲いている時期だったので、
本堂の裏(よりもっと先)にある紫陽花まつりを見学して帰ります。
スターアライアンス10周年
スターアライアンスが出来たのってずいぶん前じゃないの?と思って調べたら
1997年なんですね。今年で25周年。
プライベートで北米に行くときは安いウナイテッドばかりを利用していた私ですが、
仕事でJALを使うようになってJGC会員になってからはラウンジが使えるのを理由に
ワンワールド一辺倒みたいになりました。とはいえ、最近海外にも行っておらず、
先日、久しぶりにシンガポールとか行けないかなとチケットを検索したら、
チケット代と同額位のサーチャージ(&税金)がかかるのを知り早々に諦めました。
もうちょっと気軽にチケットが買えるようになったらまたアジア圏でも旅したいですね。
紫陽花って色々な形があるのが楽しいです
見分けられない。。隅田の花火(多分)サランピンク
カサノバブル―(恐らく)
カサノバブルーや隅田の花火などは紫陽花と言われなければ
紫陽花と思わずにきれいな花だな、と思ってしまいそうです。
かなり広くて歩くと滝汗でした
中村勘九郎さんの札がありました
宗吾霊350年の時にいらっしゃったみたいですね。
と、広い敷地をぐるぐる歩いて
日頃そんなにたくさんみることがない紫陽花を堪能したら、
惣五郎さんのお墓に手を合わせて
次回は汗をかかない時期にお参りにこようと思いながら宗吾参道駅まで戻り、
実家に帰るはずが実家の駅をはるかに通り過ぎた船橋駅まで行きました。
この日、JR船橋駅に銚子電鉄の竹本社長がいらっしゃるのをTwitterで観て
これは会いにいかなければ!という気持で船橋まで上ってしまった次第です。
竹本社長はここ2年くらいの間にJRバス(銚子から東京や新宿行)に
銚子電鉄商品を載せて(貨客混載)自ら手売りしたり、JR銚子駅と一緒に
銚子へ来てください、的なキャンペーンを行っています。
(銚子駅まではJR、その先は銚子電鉄に乗ってくださいね、と言う企画)
竹本社長
真ん中にいるのはJR東日本千葉支社のキャラクターの駅長犬、
その隣にはJR船橋?銚子の駅長さんで2人とも白いスーツですが、
竹本社長、さすがのエコルック、半袖シャツが素敵です。
竹本社長に「今日、銚子に行ってきて、成田経由で船橋まで来ました!」と話しかけると
「ありがとうございます。ご自宅この辺ですか?」と竹本社長。
「トキ鉄の鳥塚社長のご近所なんです(去年直江津で聞いたらご近所だった)」と言うと、
「じゃあ、帰りはJRじゃなくて京成なんですね!JRも乗ってくださいね!」と言うので、
「松戸から銚子、銚子から成田まではJR乗ってますから今日は結構長距離です」と
傍からみればどうでもいいような会話にも竹本社長、ちゃんと乗ってくれました。
そんなところが好きです、竹本社長。(^-^)
ちなみに、竹本社長のそばに柏木常務がいらっしゃったのですが、
当日の朝、犬吠駅で観たときと同じアロハぽい装いでした。
ありがとうございます!
と、一生懸命銚子を宣伝する竹本社長を見て
帰途につきました。
銚子だけ行くのではなくなにか他にも行けないかと思って今回40年以上ぶりに
宗吾参道で降りた私ですが、劣化しつつある人形の悲哀とともに惣五郎さんの人生を
垣間見せてもらって記憶の焼き直しが出来た銚子と宗吾参道の旅でありました。
(これにて、銚子&宗吾参道旅行記2022 おわり)
本堂の裏(よりもっと先)にある紫陽花まつりを見学して帰ります。
スターアライアンス10周年
スターアライアンスが出来たのってずいぶん前じゃないの?と思って調べたら
1997年なんですね。今年で25周年。
プライベートで北米に行くときは安いウナイテッドばかりを利用していた私ですが、
仕事でJALを使うようになってJGC会員になってからはラウンジが使えるのを理由に
ワンワールド一辺倒みたいになりました。とはいえ、最近海外にも行っておらず、
先日、久しぶりにシンガポールとか行けないかなとチケットを検索したら、
チケット代と同額位のサーチャージ(&税金)がかかるのを知り早々に諦めました。
もうちょっと気軽にチケットが買えるようになったらまたアジア圏でも旅したいですね。
紫陽花って色々な形があるのが楽しいです
見分けられない。。隅田の花火(多分)サランピンク
カサノバブル―(恐らく)
カサノバブルーや隅田の花火などは紫陽花と言われなければ
紫陽花と思わずにきれいな花だな、と思ってしまいそうです。
かなり広くて歩くと滝汗でした
中村勘九郎さんの札がありました
宗吾霊350年の時にいらっしゃったみたいですね。
と、広い敷地をぐるぐる歩いて
日頃そんなにたくさんみることがない紫陽花を堪能したら、
惣五郎さんのお墓に手を合わせて
次回は汗をかかない時期にお参りにこようと思いながら宗吾参道駅まで戻り、
実家に帰るはずが実家の駅をはるかに通り過ぎた船橋駅まで行きました。
この日、JR船橋駅に銚子電鉄の竹本社長がいらっしゃるのをTwitterで観て
これは会いにいかなければ!という気持で船橋まで上ってしまった次第です。
竹本社長はここ2年くらいの間にJRバス(銚子から東京や新宿行)に
銚子電鉄商品を載せて(貨客混載)自ら手売りしたり、JR銚子駅と一緒に
銚子へ来てください、的なキャンペーンを行っています。
(銚子駅まではJR、その先は銚子電鉄に乗ってくださいね、と言う企画)
竹本社長
真ん中にいるのはJR東日本千葉支社のキャラクターの駅長犬、
その隣にはJR船橋?銚子の駅長さんで2人とも白いスーツですが、
竹本社長、さすがのエコルック、半袖シャツが素敵です。
竹本社長に「今日、銚子に行ってきて、成田経由で船橋まで来ました!」と話しかけると
「ありがとうございます。ご自宅この辺ですか?」と竹本社長。
「トキ鉄の鳥塚社長のご近所なんです(去年直江津で聞いたらご近所だった)」と言うと、
「じゃあ、帰りはJRじゃなくて京成なんですね!JRも乗ってくださいね!」と言うので、
「松戸から銚子、銚子から成田まではJR乗ってますから今日は結構長距離です」と
傍からみればどうでもいいような会話にも竹本社長、ちゃんと乗ってくれました。
そんなところが好きです、竹本社長。(^-^)
ちなみに、竹本社長のそばに柏木常務がいらっしゃったのですが、
当日の朝、犬吠駅で観たときと同じアロハぽい装いでした。
ありがとうございます!
と、一生懸命銚子を宣伝する竹本社長を見て
帰途につきました。
銚子だけ行くのではなくなにか他にも行けないかと思って今回40年以上ぶりに
宗吾参道で降りた私ですが、劣化しつつある人形の悲哀とともに惣五郎さんの人生を
垣間見せてもらって記憶の焼き直しが出来た銚子と宗吾参道の旅でありました。
(これにて、銚子&宗吾参道旅行記2022 おわり)
銚子&宗吾参道旅行記2022~宗吾御一代記館編~ [日本の旅(関東)]
補正された思い出通り、って感じでもなかったお蕎麦を食べた後は、
宗吾霊堂へ
ここは呑めるみたい
(と往路思ったのですが結局寄らずに帰ってしまいました(^^;)
紫陽花の季節(6月下旬)
影がない。。(´Д`)
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA_(%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B8%82)
昨日も簡単に書きましたが佐倉(木内)惣五郎の霊が祀られているので宗吾霊堂と
呼ばれていて私も東勝寺というのは今回調べて知りました。
成田山新勝寺も成田山と呼び続けていて新勝寺であることを知ったのは社会人に
なってからですが、宗吾霊堂に関しては知ろうという頭がなかったみたいです。反省。
まずはお参りから
本堂にもたくさんの紫陽花が飾られていました。
40年以上ご無沙汰していたことをお詫びしつつ、またお参り出来たことに感謝しながら
手を合わせました。
で、ここ。↓
今回の旅の一番の目的はここ、宗吾御一代記館です。
小学校低学年の頃に来たきりなので40年以上ぶり(50年は経っていない)、
母方の祖母と大叔母さんと一緒にここを訪れたのですが、
将軍に直訴したため処刑される場面で2人が大泣きしながら、
「可哀想だぁ~可哀想だぁぁぁぁ~(:_;)」と言って、
小銭を惣五郎の蝋人形に向かって投げていたことが今でも記憶にあって、
あの場面、今みたらどうなんだろうか、と思ってやってきた次第です。
本堂の裏手を進んでいくとひっそりしたところにあります。
中に入ろうとしたら、昭和の事務服って感じの制服を着たおばちゃんが、
「ちょっと前に入った人達が見学していますけど、5分くらい待ってもらうと
他に誰もいないところで見学できますよ」
と親切にアドバイスしてくれました。(笑)
完全貸切状態を想像していたので先客がちょっと前にいることに驚いたのですが、
では、少し待たせてもらいますね、と入館料700円(⇐ちょっと強気)を支払って、
待っている間、おばちゃんに小学生の時に祖母と大叔母と来た時の話をしたら
「結構そういう方多いかもしれませんね。
小さい頃みたけれど数十年ぶりに来たっていう方、多いです。」
私と同じような世代の方は幼いころの思い出ですりこまれているインパクトの強い場所、
なのかもしれません。
で、写真撮影はできますか?と聞くと、「撮影禁止なんです」と
申し訳なさそうに言われてしまい、残念ながら撮影できなかったのですが、
ネットで検索していたら撮影して丁寧な説明を書いている方がいらっしゃったので
リンクを貼っておきます。(当時は撮影できたのかもしれませんね)
(4travel) https://4travel.jp/travelogue/10864639
各場面、説明のパネルの他にボタンを押すと説明の音声が流れるのですが、
途中接触が悪くて音声が流れないところがあるのでそこは説明のパネルを読んでください、
と言われてしまい、え、修理しないの?と思ってしまったのですが、
この入館者数だと維持するのも大変で細かい修理まで手が回らないのかもしれません。。
と、5分入口で待ってから前後に誰もいない状態になったところで
足を踏み入れると漂う古い匂い。( 一一)
66体の人形で描く佐倉惣五郎の義民伝、66体というのが多いのか少ないのか、
恐らく人形の数が多い(とはいえ、時折人を描いたパネルもあったりする)と
アピールしているのだと思いますが、私が小学生の頃に来たころから人形の入れ替えが
されていないのでは?と言う雰囲気でした。
最後の「第13景 供養の踊り」の女性の人形の顔が蜘蛛の巣状にひび割れていて
かなりホラーな雰囲気を醸し出していたりと、人形のお手入れも惣五郎を中心に行って
いるような(女性の人形は修復の優先順位が低そうな)そんな気がしました。
祖母と大叔母が大泣きしていた「第12景 悲しみの刑場」改めて見ると、
農民のために直訴したが故に子供たちも全員処刑される、
(従来処刑されない女子も男子名に改名の上処刑されたそうです)
五十路になった私も今見ると大泣きして小銭を投げていた2人の気持ちが分かるような
気がしました。といっても私は小銭は投げませんでしたが。(^^;
途中、天井からつるされたミラーボールがぐるぐる回ってる場面もあったりと、
古い施設内で工夫しているのは感じましたが、古い匂いに時の流れを感じるというか、
あの頃から40年以上も経つんだし、自分も年をとったな、としみじみ感じました。
また行くかと言われたら、あと1回くらいは行っちゃうかな、って感じです。
隣の霊宝殿にもちょっと立ち寄って(惣五郎の着物などの他に場所が近いからなのか
Qちゃんの色紙も飾られていました(笑))
苑内の紫陽花をこの後は見学します。
(つづく)
宗吾霊堂へ
ここは呑めるみたい
(と往路思ったのですが結局寄らずに帰ってしまいました(^^;)
紫陽花の季節(6月下旬)
影がない。。(´Д`)
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA_(%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B8%82)
昨日も簡単に書きましたが佐倉(木内)惣五郎の霊が祀られているので宗吾霊堂と
呼ばれていて私も東勝寺というのは今回調べて知りました。
成田山新勝寺も成田山と呼び続けていて新勝寺であることを知ったのは社会人に
なってからですが、宗吾霊堂に関しては知ろうという頭がなかったみたいです。反省。
まずはお参りから
本堂にもたくさんの紫陽花が飾られていました。
40年以上ご無沙汰していたことをお詫びしつつ、またお参り出来たことに感謝しながら
手を合わせました。
で、ここ。↓
今回の旅の一番の目的はここ、宗吾御一代記館です。
小学校低学年の頃に来たきりなので40年以上ぶり(50年は経っていない)、
母方の祖母と大叔母さんと一緒にここを訪れたのですが、
将軍に直訴したため処刑される場面で2人が大泣きしながら、
「可哀想だぁ~可哀想だぁぁぁぁ~(:_;)」と言って、
小銭を惣五郎の蝋人形に向かって投げていたことが今でも記憶にあって、
あの場面、今みたらどうなんだろうか、と思ってやってきた次第です。
本堂の裏手を進んでいくとひっそりしたところにあります。
中に入ろうとしたら、昭和の事務服って感じの制服を着たおばちゃんが、
「ちょっと前に入った人達が見学していますけど、5分くらい待ってもらうと
他に誰もいないところで見学できますよ」
と親切にアドバイスしてくれました。(笑)
完全貸切状態を想像していたので先客がちょっと前にいることに驚いたのですが、
では、少し待たせてもらいますね、と入館料700円(⇐ちょっと強気)を支払って、
待っている間、おばちゃんに小学生の時に祖母と大叔母と来た時の話をしたら
「結構そういう方多いかもしれませんね。
小さい頃みたけれど数十年ぶりに来たっていう方、多いです。」
私と同じような世代の方は幼いころの思い出ですりこまれているインパクトの強い場所、
なのかもしれません。
で、写真撮影はできますか?と聞くと、「撮影禁止なんです」と
申し訳なさそうに言われてしまい、残念ながら撮影できなかったのですが、
ネットで検索していたら撮影して丁寧な説明を書いている方がいらっしゃったので
リンクを貼っておきます。(当時は撮影できたのかもしれませんね)
(4travel) https://4travel.jp/travelogue/10864639
各場面、説明のパネルの他にボタンを押すと説明の音声が流れるのですが、
途中接触が悪くて音声が流れないところがあるのでそこは説明のパネルを読んでください、
と言われてしまい、え、修理しないの?と思ってしまったのですが、
この入館者数だと維持するのも大変で細かい修理まで手が回らないのかもしれません。。
と、5分入口で待ってから前後に誰もいない状態になったところで
足を踏み入れると漂う古い匂い。( 一一)
66体の人形で描く佐倉惣五郎の義民伝、66体というのが多いのか少ないのか、
恐らく人形の数が多い(とはいえ、時折人を描いたパネルもあったりする)と
アピールしているのだと思いますが、私が小学生の頃に来たころから人形の入れ替えが
されていないのでは?と言う雰囲気でした。
最後の「第13景 供養の踊り」の女性の人形の顔が蜘蛛の巣状にひび割れていて
かなりホラーな雰囲気を醸し出していたりと、人形のお手入れも惣五郎を中心に行って
いるような(女性の人形は修復の優先順位が低そうな)そんな気がしました。
祖母と大叔母が大泣きしていた「第12景 悲しみの刑場」改めて見ると、
農民のために直訴したが故に子供たちも全員処刑される、
(従来処刑されない女子も男子名に改名の上処刑されたそうです)
五十路になった私も今見ると大泣きして小銭を投げていた2人の気持ちが分かるような
気がしました。といっても私は小銭は投げませんでしたが。(^^;
途中、天井からつるされたミラーボールがぐるぐる回ってる場面もあったりと、
古い施設内で工夫しているのは感じましたが、古い匂いに時の流れを感じるというか、
あの頃から40年以上も経つんだし、自分も年をとったな、としみじみ感じました。
また行くかと言われたら、あと1回くらいは行っちゃうかな、って感じです。
隣の霊宝殿にもちょっと立ち寄って(惣五郎の着物などの他に場所が近いからなのか
Qちゃんの色紙も飾られていました(笑))
苑内の紫陽花をこの後は見学します。
(つづく)
タグ:宗吾参道
銚子&宗吾参道旅行記2022~宗吾参道へ移動編~ [日本の旅(関東)]
袖山さんに会えた銚子電鉄往復も終わり、次の目的地に移動するのですが、
成田行まで時間があったのでしばし銚子駅前をぶらぶらしました。
Suica、使えません。
(Beicaはいつか使えるようになるかもしれませんが(笑))
いつものJR銚子駅ツートップに挨拶して改札を出ると、
前回も観たパネル
ただよく見ると、下の部分が前回はあやめ、今回は菜の花?変わっていました。
大衆酒場ドリーム前のボンビー像に挨拶して
しばし歩いて銚子セレクト市場に到着
lovin姐さんゑ
開店したばかりでお惣菜がなかったのが残念でしたが、
これをいただきます
ヤマサの醤油工場見学の際に売店で食べてから気に入っています。
醤油のコクがソフトクリームによく合います。(^-^)
これも気になりますね
美味しかった!
と、のんびりしていたら成田行の出発時刻まで15分を切っていることに気づき、
(正確にはソフトクリームを食べ始めたのが13分前)
かなり焦って食べて(それでも美味しい)急いで駅に戻って先手間をすませて、
階段を上って成田線の電車が止まっているホームに急ぎました。
写メをとる余裕はなんとなくありました。(笑)
乗って1分くらいで無事発車した成田行、隣の松岸駅でいつもきになっているのが、
宮内食堂さん
地方の定食屋さんだと思うのですが、宮内食堂と書いている文字の上に、
小さく赤い文字で「ワンコップ」と書いてあるのがいつも気になって。
お姉さん二人が近くのボックス席でパンを齧ってるのを横目に爆睡し、
のどかな風景を眺めたら
成田駅に到着
ここから京成線の成田駅まで歩いて移動し、上りの電車に乗って、
宗吾参道駅
京成線の車両基地がある駅ですが、降りたのはおそらく40年以上ぶり。
目的地はここ、宗吾霊堂です
小さい頃、うつぼ家で車を買ってから初詣に成田山新勝寺に行くついでというかで、
宗吾霊堂にも寄ることがあったのですが、行かなくなって既に40年以上経ちます。
今回、銚子に行って、成田経由で実家に帰るなら寄ってみようかな、と思って
途中下車したのですが、駅から宗吾霊堂まで歩いて15分。
この日も猛暑日だったので汗だくになりそうです。(;_:)
義民ロードっていうのね
宗吾霊堂は、佐倉惣五郎(本名は木内惣五郎)を祀ったお寺(鳴鐘山東勝寺)のことで
佐倉市で育った私には、農民を救うため、将軍(徳川家綱)に直訴した英雄として
本を読んで学んだこともある方なわけですが、歌舞伎が好きな方だと、佐倉義民伝として
有名なのでご存じかもしれませんね。
今回、宗吾霊堂にお参りするほかに過去の思い出をたどる場所があるので向かいますが、
日陰なし
強風に吹かれながら日傘をさして坂道をひたすら上って
(途中のお店も廃業しているみたいで寂しい雰囲気)、
やっと参道ぽい雰囲気のところにやってくると、
お蕎麦やさん
昔あったのか記憶がないのですが、地元客と思しきひとたちでかなり賑わっていました。
ここでもいいかな、と一瞬心が揺れたのですが、いやいや思い出の場所へ、と
その先を歩いて、
船が見えたらお店です
甚兵衛そばさん
(食べログ)https://tabelog.com/chiba/A1204/A120402/12010622/
宗吾霊堂にお参りにくるとここで蕎麦を食べるのが贅沢に思えた場所です。
開店直後に入ったので口切客となりましたが、入口で食券を買うのも昔と同じ。
担当のおばあちゃん、40年以上前はもちょっと若くて食券売っていたのかも、
と思いながらお金を払って、着席。
入口では米屋製品も販売されていました
昔は外で行列作って待ってでも食べたかったのですが今はどうなんでしょうね。
お正月は混みそうですが。
成田行まで時間があったのでしばし銚子駅前をぶらぶらしました。
Suica、使えません。
(Beicaはいつか使えるようになるかもしれませんが(笑))
いつものJR銚子駅ツートップに挨拶して改札を出ると、
前回も観たパネル
ただよく見ると、下の部分が前回はあやめ、今回は菜の花?変わっていました。
大衆酒場ドリーム前のボンビー像に挨拶して
しばし歩いて銚子セレクト市場に到着
lovin姐さんゑ
開店したばかりでお惣菜がなかったのが残念でしたが、
これをいただきます
ヤマサの醤油工場見学の際に売店で食べてから気に入っています。
醤油のコクがソフトクリームによく合います。(^-^)
これも気になりますね
美味しかった!
と、のんびりしていたら成田行の出発時刻まで15分を切っていることに気づき、
(正確にはソフトクリームを食べ始めたのが13分前)
かなり焦って食べて(それでも美味しい)急いで駅に戻って先手間をすませて、
写メをとる余裕はなんとなくありました。(笑)
乗って1分くらいで無事発車した成田行、隣の松岸駅でいつもきになっているのが、
宮内食堂さん
地方の定食屋さんだと思うのですが、宮内食堂と書いている文字の上に、
小さく赤い文字で「ワンコップ」と書いてあるのがいつも気になって。
お姉さん二人が近くのボックス席でパンを齧ってるのを横目に爆睡し、
のどかな風景を眺めたら
成田駅に到着
ここから京成線の成田駅まで歩いて移動し、上りの電車に乗って、
宗吾参道駅
京成線の車両基地がある駅ですが、降りたのはおそらく40年以上ぶり。
目的地はここ、宗吾霊堂です
小さい頃、うつぼ家で車を買ってから初詣に成田山新勝寺に行くついでというかで、
宗吾霊堂にも寄ることがあったのですが、行かなくなって既に40年以上経ちます。
今回、銚子に行って、成田経由で実家に帰るなら寄ってみようかな、と思って
途中下車したのですが、駅から宗吾霊堂まで歩いて15分。
この日も猛暑日だったので汗だくになりそうです。(;_:)
義民ロードっていうのね
宗吾霊堂は、佐倉惣五郎(本名は木内惣五郎)を祀ったお寺(鳴鐘山東勝寺)のことで
佐倉市で育った私には、農民を救うため、将軍(徳川家綱)に直訴した英雄として
本を読んで学んだこともある方なわけですが、歌舞伎が好きな方だと、佐倉義民伝として
有名なのでご存じかもしれませんね。
今回、宗吾霊堂にお参りするほかに過去の思い出をたどる場所があるので向かいますが、
日陰なし
強風に吹かれながら日傘をさして坂道をひたすら上って
(途中のお店も廃業しているみたいで寂しい雰囲気)、
やっと参道ぽい雰囲気のところにやってくると、
お蕎麦やさん
昔あったのか記憶がないのですが、地元客と思しきひとたちでかなり賑わっていました。
ここでもいいかな、と一瞬心が揺れたのですが、いやいや思い出の場所へ、と
その先を歩いて、
船が見えたらお店です
甚兵衛そばさん
宗吾霊堂にお参りにくるとここで蕎麦を食べるのが贅沢に思えた場所です。
開店直後に入ったので口切客となりましたが、入口で食券を買うのも昔と同じ。
担当のおばあちゃん、40年以上前はもちょっと若くて食券売っていたのかも、
と思いながらお金を払って、着席。
入口では米屋製品も販売されていました
昔は外で行列作って待ってでも食べたかったのですが今はどうなんでしょうね。
お正月は混みそうですが。
時節柄の値上がり
座った途端 おいていかれた3点
フロア担当のおばちゃんたちもここでの勤務歴が長そうな感じの人ばかりでした。
メニューが少ないのでここでじっくり腰を据えて呑むという感じのお店ではないです。
割り箸入れも食堂とかラーメン屋さんみたい
5分くらいで到着
船の形をしているせいろ、甚兵衛の渡しがモデルになっているのですが、
甚兵衛さんという船乗りが直訴した惣五郎を逃がすために船を出した、
というのが(甚兵衛さんもその後自ら身投げ)甚兵衛の渡しと言われていて
小さいころはそんなことも知らずに船の形のせいろにのったお蕎麦、と
テンション上げていましたが(しかも2枚ぺろりと食べていた)、
大人になって渡し船の形、せつなく思えてしまいますね。
お蕎麦は乾麺ですが茹で方が巧いのでつるつるっとのど越しよく、
ただおつゆがぬるくて残念でしたが、思い出はきれいに補正されているのか
もっと美味しいと思っていたので普通に美味しい、という感じでした。
このマーク
椅子にも刻まれています。
蕎麦湯の入れ物にネギがくっついていた(笑)
蕎麦湯をのんでいたらさげますねー、とおばちゃんがせいろを運んでいきました。
混んでいるときは分かりますが店内3組でもそれやるのね、と思いながら長居無用と
お店を出ました。
次回宗吾参道(宗吾霊堂)に来るときは手前にあったお蕎麦屋さんに行って
蕎麦前で呑んで〆にもりそばにしよう。(^^;
この後は、今回の旅の一番の目的の場所に向かいます。
(つづく)
座った途端 おいていかれた3点
フロア担当のおばちゃんたちもここでの勤務歴が長そうな感じの人ばかりでした。
メニューが少ないのでここでじっくり腰を据えて呑むという感じのお店ではないです。
割り箸入れも食堂とかラーメン屋さんみたい
5分くらいで到着
船の形をしているせいろ、甚兵衛の渡しがモデルになっているのですが、
甚兵衛さんという船乗りが直訴した惣五郎を逃がすために船を出した、
というのが(甚兵衛さんもその後自ら身投げ)甚兵衛の渡しと言われていて
小さいころはそんなことも知らずに船の形のせいろにのったお蕎麦、と
テンション上げていましたが(しかも2枚ぺろりと食べていた)、
大人になって渡し船の形、せつなく思えてしまいますね。
お蕎麦は乾麺ですが茹で方が巧いのでつるつるっとのど越しよく、
ただおつゆがぬるくて残念でしたが、思い出はきれいに補正されているのか
もっと美味しいと思っていたので普通に美味しい、という感じでした。
このマーク
椅子にも刻まれています。
蕎麦湯の入れ物にネギがくっついていた(笑)
蕎麦湯をのんでいたらさげますねー、とおばちゃんがせいろを運んでいきました。
混んでいるときは分かりますが店内3組でもそれやるのね、と思いながら長居無用と
お店を出ました。
次回宗吾参道(宗吾霊堂)に来るときは手前にあったお蕎麦屋さんに行って
蕎麦前で呑んで〆にもりそばにしよう。(^^;
この後は、今回の旅の一番の目的の場所に向かいます。
(つづく)
銚子&宗吾参道旅行記2022~銚子電鉄編②~ [日本の旅(関東)]
キャベツ畑がとうもろこし畑に変わっているものの、
既視感たっぷりの銚子電鉄記事ですが、終点外川駅まできたら折り返します。
(今回も銚子電鉄は一往復のみです)
既視感たっぷりの銚子電鉄記事ですが、終点外川駅まできたら折り返します。
(今回も銚子電鉄は一往復のみです)
澪つくし号!
関東地方で初めての観光遊覧車という説明を見ると、
当時の銚子市や銚子電鉄の勢いを感じます。(ドラマは1985(昭和60)年)
一日4往復、ドラマを見た人たちがこぞって銚子にやってきていたんだろうな、と
今の銚子電鉄からは想像しづらいのですが満員御礼状態な様子を想像しました。
だよね
ヘッドマークは復刻しているのは知っていましたが、
そのうち、ルヴァン靖子さんと川野太郎さんがやってきて、
澪つくし再現的な場面が銚子電鉄で観られたら楽しいでしょうね。
お約束の駅舎とコラボベンチを見たら電車に再び乗ります。
銚子に戻るときは折角なのでピンクニュージンジャー号の車両ではなく、
きゃりーぱみゅぱみゅ号の車両に座ります。
この先がきゃりーちゃん
思っていたより普通かも(^-^;
この車両だけだったらインパクトがあると思うのですが、
隣のピンクニュージンジャー号があまりにも凄すぎて、きゃりーちゃんの世界が
ひたすら普通に可愛らしく見えてしまう不思議。
(外川駅、紫陽花がきれいでした)
銚子電鉄は問題ガール!(笑)
問題を逆手にとるというか自虐的にアピールすることで遠方の方にもファンが増えた、
と思っていますが、今回のきゃりーちゃんによる援軍はインパクトあるでしょうね。
ぱみゅぱみゅちゃんのアナウンス聴きながら(時折車掌の馬上さんアナウンスもあり)、
問題が車内にたくさん掲げてあったので見てみると、
関東の最東端で食品製造業。(笑)
商工リサーチでも食品製造業に分類されているのもある意味アピールポイントですね。
Beica(笑)
この話、昨年直江津のイベント(えちごトキめき鉄道との姉妹鉄道締結式)で
竹本社長が話していて爆笑したのですが、その時の記事から抜粋しますと、
改札でBeicaを見せると、駅員がピッと言って改札を通れるシステムで、
たとえば、亀田製菓もよし、 ポン菓子もよし、ポップコーンはダメ、
もし、外人のベイカーさんが来たら駅員が上司に連絡して1時間議論、
ベイカーさんも米菓の一部だろう、と、駅員がピッといって改札を通れる。
関東地方で初めての観光遊覧車という説明を見ると、
当時の銚子市や銚子電鉄の勢いを感じます。(ドラマは1985(昭和60)年)
一日4往復、ドラマを見た人たちがこぞって銚子にやってきていたんだろうな、と
今の銚子電鉄からは想像しづらいのですが満員御礼状態な様子を想像しました。
だよね
ヘッドマークは復刻しているのは知っていましたが、
そのうち、ルヴァン靖子さんと川野太郎さんがやってきて、
澪つくし再現的な場面が銚子電鉄で観られたら楽しいでしょうね。
お約束の駅舎とコラボベンチを見たら電車に再び乗ります。
銚子に戻るときは折角なのでピンクニュージンジャー号の車両ではなく、
きゃりーぱみゅぱみゅ号の車両に座ります。
この先がきゃりーちゃん
思っていたより普通かも(^-^;
この車両だけだったらインパクトがあると思うのですが、
隣のピンクニュージンジャー号があまりにも凄すぎて、きゃりーちゃんの世界が
ひたすら普通に可愛らしく見えてしまう不思議。
(外川駅、紫陽花がきれいでした)
銚子電鉄は問題ガール!(笑)
問題を逆手にとるというか自虐的にアピールすることで遠方の方にもファンが増えた、
と思っていますが、今回のきゃりーちゃんによる援軍はインパクトあるでしょうね。
ぱみゅぱみゅちゃんのアナウンス聴きながら(時折車掌の馬上さんアナウンスもあり)、
問題が車内にたくさん掲げてあったので見てみると、
関東の最東端で食品製造業。(笑)
商工リサーチでも食品製造業に分類されているのもある意味アピールポイントですね。
Beica(笑)
この話、昨年直江津のイベント(えちごトキめき鉄道との姉妹鉄道締結式)で
竹本社長が話していて爆笑したのですが、その時の記事から抜粋しますと、
改札でBeicaを見せると、駅員がピッと言って改札を通れるシステムで、
たとえば、亀田製菓もよし、
ベイカーさんの件で吹いたのですが、駅員がピッと言うという発想も
お金のない銚子電鉄ならでは、ですね。
今回、久しぶりのピンクニュージンジャー号&お初のきゃりーぱみゅぱみゅ号を
見ることが出来てよかった!と銚子電鉄でテンションが上がったところで
次の目的地に向かいます!
(つづく)
銚子&宗吾参道旅行記2022~銚子電鉄編①~ [日本の旅(関東)]
昨日まで銚子旅行記2022(弐)を書いておりましたが、
この日帰り旅行の2週間後に訪れた銚子、と、このブログで書くのは初めての
宗吾参道を訪れた時の話をアップします。
銚子の既視感(笑)はどうぞご容赦の上読んでやってください。<m(__)m>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6月初めに銚子を訪れた時、車掌の袖山さんから7月からは運転がメインになると聞き、
車掌の袖山さんに会えるのも6月いっぱい、、、と思ったら急に銚子に行きたくなり、
リハビリ中でも安心な(知っているところだと不安が少ない)銚子に行きました。
我孫子駅の弥生軒
5時台なので当然開いていませんが、日が長くなって外はすっかり明るいです。
この日帰り旅行の2週間後に訪れた銚子、と、このブログで書くのは初めての
宗吾参道を訪れた時の話をアップします。
銚子の既視感(笑)はどうぞご容赦の上読んでやってください。<m(__)m>
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6月初めに銚子を訪れた時、車掌の袖山さんから7月からは運転がメインになると聞き、
車掌の袖山さんに会えるのも6月いっぱい、、、と思ったら急に銚子に行きたくなり、
リハビリ中でも安心な(知っているところだと不安が少ない)銚子に行きました。
我孫子駅の弥生軒
5時台なので当然開いていませんが、日が長くなって外はすっかり明るいです。
成田行に揺られて
米屋の看板が見えてきたらもうすぐ成田駅
到着
同じホームで銚子行に乗り換えるのですが20分以上ある&強風だったので、
階段を上がって待合室に行くと、
ドアが常に開いていて冷気だだもれ
換気のためですから仕方ありませんね。
案の定奥の席から埋まっていたので、入口付近の席に座ってぼーっとした後、
乗車
冬は暖房が最弱なのか入っていないのか、凍えそうな寒さの銚子行、
夏は夏で冷房効きすぎで凍えそうなのですが、この日は冷房ゆるく、
窓も開いていたので、持参したパーカーを着ることもありませんでした。(^-^)
目の前に座るおじさんが大きなカバンを2つ横に置いてスマホを観ていたのですが
イヤホンをしていないので大音響でハングル語が聞こえていました。
私自身がイヤホンして音楽を聴き始めた&おじさんが笑いながらスマホを観ていたので
おじさんもなんだか楽しそうだし、まいっか、という気分になりました。
変わらぬ風景
今回、銚子に行くのは袖山さんの車掌姿を目に焼き付けるのが目的で、
どちらかといえばその後にいく宗吾参道がメイン、、かもしれません。
(理由は後述しますが40年以上ぶりに訪れる場所です)
千葉トクだったか、当時県民割みたいなのがあったので宿泊してもよかったのですが、
銚子の宿泊、意外と高いので、今回は軽く1往復のみです。
風車の羽根がとれた小屋を通り
乗車します
きゃりーちゃん♪
車掌は袖山さんでした。(^O^)/
2週前に来たときに来月から運転業務にシフトすると聞いてきました、と言いながら、
好物の透明な液体(白ワイン)と社員の皆さんへ焼き菓子を渡しました。
やっぱり今日来てよかったなあ、と銚子での大きな目的を果たせた気分です。(笑)
と、ご挨拶できた充実感に漲りながら先頭車両に向かいます。
ニューピンクジンジャー号
天井にはなまめかしい光を放つライト
1月に乗った時はLEDが網棚上あたりに張り巡らされていた記憶なのですが、
その後、こういうライトも追加で設置したのかもしれませんね。
この日の日付は袖山さんの手書きでした!
岩下の新生姜とSide Mのコラボ、銚子電鉄とのコラボから更に進んでコラボ先同士が
更にコラボするという、コラボの相乗効果のような、ここにきゃりーちゃんも
絡まないかな、いや絡まないだろうな、想像しても無理そうな気がします。(笑)
色褪せてきたアルパカちゃん(昨年初めごろからこの車両に乗り続けている)、
その色褪せを補うかのような天井のライト、お金がない中での工夫が感じられます。
アルパカちゃんの上にSide Mのキャラクターが乗っていました。
これだけ銚子で観ていてSide Mについて全く知識がない自分もどうなんだろう、
とAmazonプライムとNetflix(加入している)で探したら見られず、
U-Nextなら見られるみたいですが、これ以上課金されるのも、、、でもみたい、、、
葛藤しています。(^-^;
笠上黒生駅で袖山さん(先頭に写ってる)は下車
タブレット交換後、銚子行に乗って折り返していきました。。
最初見た時あまりのけばけばしさに驚いた私もすっかり慣れた車両です。(笑)外はとうもろこし
緑のトンネル通過中
緑のトンネル(車両の周りが木だらけ)を通っているとき、車内暗くなるので
ピンクのイルミネーションが日中なのになまめかしく映えました。(笑)
仲ノ町駅から新入社員の明賀さん(背の高い車掌さん)や、柏木常務が乗ってきて
通勤時間帯なんだと思っていたのですが、
柏木常務ほかみなさん、犬吠駅で下車
以前も、売店横から柏木常務がガタガタ(銚電シールが出てくるがちゃがちゃ)を
もって設置したのを見たことがあるので、朝一は犬吠駅に来て一仕事なのかな、
と思っているとあっと言う間に終点の外川駅。
デハ1000形を見たら折り返します。
(つづく)
米屋の看板が見えてきたらもうすぐ成田駅
到着
同じホームで銚子行に乗り換えるのですが20分以上ある&強風だったので、
階段を上がって待合室に行くと、
ドアが常に開いていて冷気だだもれ
換気のためですから仕方ありませんね。
案の定奥の席から埋まっていたので、入口付近の席に座ってぼーっとした後、
乗車
冬は暖房が最弱なのか入っていないのか、凍えそうな寒さの銚子行、
夏は夏で冷房効きすぎで凍えそうなのですが、この日は冷房ゆるく、
窓も開いていたので、持参したパーカーを着ることもありませんでした。(^-^)
目の前に座るおじさんが大きなカバンを2つ横に置いてスマホを観ていたのですが
イヤホンをしていないので大音響でハングル語が聞こえていました。
私自身がイヤホンして音楽を聴き始めた&おじさんが笑いながらスマホを観ていたので
おじさんもなんだか楽しそうだし、まいっか、という気分になりました。
変わらぬ風景
今回、銚子に行くのは袖山さんの車掌姿を目に焼き付けるのが目的で、
どちらかといえばその後にいく宗吾参道がメイン、、かもしれません。
(理由は後述しますが40年以上ぶりに訪れる場所です)
千葉トクだったか、当時県民割みたいなのがあったので宿泊してもよかったのですが、
銚子の宿泊、意外と高いので、今回は軽く1往復のみです。
風車の羽根がとれた小屋を通り
乗車します
きゃりーちゃん♪
車掌は袖山さんでした。(^O^)/
2週前に来たときに来月から運転業務にシフトすると聞いてきました、と言いながら、
好物の透明な液体(白ワイン)と社員の皆さんへ焼き菓子を渡しました。
やっぱり今日来てよかったなあ、と銚子での大きな目的を果たせた気分です。(笑)
と、ご挨拶できた充実感に漲りながら先頭車両に向かいます。
ニューピンクジンジャー号
天井にはなまめかしい光を放つライト
1月に乗った時はLEDが網棚上あたりに張り巡らされていた記憶なのですが、
その後、こういうライトも追加で設置したのかもしれませんね。
この日の日付は袖山さんの手書きでした!
岩下の新生姜とSide Mのコラボ、銚子電鉄とのコラボから更に進んでコラボ先同士が
更にコラボするという、コラボの相乗効果のような、ここにきゃりーちゃんも
絡まないかな、いや絡まないだろうな、想像しても無理そうな気がします。(笑)
その色褪せを補うかのような天井のライト、お金がない中での工夫が感じられます。
アルパカちゃんの上にSide Mのキャラクターが乗っていました。
これだけ銚子で観ていてSide Mについて全く知識がない自分もどうなんだろう、
とAmazonプライムとNetflix(加入している)で探したら見られず、
U-Nextなら見られるみたいですが、これ以上課金されるのも、、、でもみたい、、、
葛藤しています。(^-^;
笠上黒生駅で袖山さん(先頭に写ってる)は下車
タブレット交換後、銚子行に乗って折り返していきました。。
緑のトンネル(車両の周りが木だらけ)を通っているとき、車内暗くなるので
ピンクのイルミネーションが日中なのになまめかしく映えました。(笑)
仲ノ町駅から新入社員の明賀さん(背の高い車掌さん)や、柏木常務が乗ってきて
通勤時間帯なんだと思っていたのですが、
柏木常務ほかみなさん、犬吠駅で下車
以前も、売店横から柏木常務がガタガタ(銚電シールが出てくるがちゃがちゃ)を
もって設置したのを見たことがあるので、朝一は犬吠駅に来て一仕事なのかな、
と思っているとあっと言う間に終点の外川駅。
デハ1000形を見たら折り返します。
(つづく)