東京観光ぶらぶら記2022~昼酒したら東京スカイツリー編~ [日本の旅(関東)]
久しぶりに会ったYちゃんと柴又帝釈天をぶらぶらした後、
私は柴又だし「鰻」を食べる気満々だったのですが、
Yちゃんは居酒屋ぽい感じのところでビールが呑みたいような雰囲気だったので、
以前一度だけ入ったことのある前野屋さん(日本そば)に行きました。
柴又駅から歩いて数分
前回(日曜)と違って平日のお昼だったせいか店内の混雑もさほどでなく、
4人掛けテーブル席に着席すると、前回対応してくれたおじいちゃんが
今回も注文をとってくれました。
はい、かんぱい♪
車がないとあちこちにいけない(電車の運行本数が少ない)地方住まいで
休みの日に呑むといっても近所か家しかない、という理由で、
今回の旅行中は「昼酒」したかったらしいです。
在宅勤務で引きこもりで歩かない話を私がしたら彼女も車移動ばかりで
一日数百歩しか歩かない日も多いとのこと、旅行中は毎日1万歩くらい歩いていて
非日常空間を楽しんでいる様子でした。(^-^)
鯖の昆布〆
前回来た時メニューで気になっていたお料理、Yちゃんも気になっていたらしく
注文しました。〆鯖をとろろ昆布で包んだようなお料理でした。
お上品に5切れくらいかと思っていたらこのボリューム、さすが下町です。
しっかり酢〆されている鯖に旨味のある昆布の味が良く合います。
記事を書きながら熱燗が合いそうだなあと思いました。
もつ煮
私が食べたくて注文しましたが、Yちゃん、普段あまり食べる機会がないらしく
美味しい美味しいとばくばく食べてくれました。
日本酒も注文してしまった。(^-^)
夜の部もあるので軽くにしておきますが、こういう昼酒、憧れていたらしく、
結局お蕎麦屋さんにきていて食べずにお会計したのですが(笑)
お店のおじいちゃんに「お蕎麦屋さんなのにお蕎麦食べないでごめんなさい、
でもお料理美味しかったです!」と可愛らしく(60過ぎに見えない)挨拶して
おじいちゃんも嬉しそうだったので結果オーライです。
出前用スーパーカブ!
令和の時代にもまだ観られる(現役)と楽しい気持ちになります。
と、お蕎麦を食べなかった理由ですが、この後、高木屋さんで草団子を食べるため。
帝釈天に向かう参道に何軒もお団子やさんがあって目移りしていたようです。
お店の模型がありました
緑色(お団子生地)も見えます
入口で注文して(先払い)からテーブル席で待ちます。
平日の13時過ぎ、中途半端な時間だったかか先客1組、後客ゼロ。
非常にゆったりのんびり待ちながら店内を眺めます。
私は柴又だし「鰻」を食べる気満々だったのですが、
Yちゃんは居酒屋ぽい感じのところでビールが呑みたいような雰囲気だったので、
以前一度だけ入ったことのある前野屋さん(日本そば)に行きました。
前回(日曜)と違って平日のお昼だったせいか店内の混雑もさほどでなく、
4人掛けテーブル席に着席すると、前回対応してくれたおじいちゃんが
今回も注文をとってくれました。
車がないとあちこちにいけない(電車の運行本数が少ない)地方住まいで
休みの日に呑むといっても近所か家しかない、という理由で、
今回の旅行中は「昼酒」したかったらしいです。
在宅勤務で引きこもりで歩かない話を私がしたら彼女も車移動ばかりで
一日数百歩しか歩かない日も多いとのこと、旅行中は毎日1万歩くらい歩いていて
非日常空間を楽しんでいる様子でした。(^-^)
前回来た時メニューで気になっていたお料理、Yちゃんも気になっていたらしく
注文しました。〆鯖をとろろ昆布で包んだようなお料理でした。
お上品に5切れくらいかと思っていたらこのボリューム、さすが下町です。
しっかり酢〆されている鯖に旨味のある昆布の味が良く合います。
記事を書きながら熱燗が合いそうだなあと思いました。
私が食べたくて注文しましたが、Yちゃん、普段あまり食べる機会がないらしく
美味しい美味しいとばくばく食べてくれました。
夜の部もあるので軽くにしておきますが、こういう昼酒、憧れていたらしく、
結局お蕎麦屋さんにきていて食べずにお会計したのですが(笑)
お店のおじいちゃんに「お蕎麦屋さんなのにお蕎麦食べないでごめんなさい、
でもお料理美味しかったです!」と可愛らしく(60過ぎに見えない)挨拶して
おじいちゃんも嬉しそうだったので結果オーライです。
令和の時代にもまだ観られる(現役)と楽しい気持ちになります。
と、お蕎麦を食べなかった理由ですが、この後、高木屋さんで草団子を食べるため。
帝釈天に向かう参道に何軒もお団子やさんがあって目移りしていたようです。
平日の13時過ぎ、中途半端な時間だったかか先客1組、後客ゼロ。
非常にゆったりのんびり待ちながら店内を眺めます。
この後は、京成線に乗って高砂駅経由で本所吾妻橋駅まで移動して、
押上駅の方が近いのですが、私の昔の勤め先が本所吾妻橋駅の近くだったので
自分が懐かしむためにその駅で降りた、というのと、本所吾妻橋駅から歩くと
東京スカイツリーの全体がよく見える(歩いていくと近づいてきてワクワクする)、
そんな理由もあって駅から歩きました。
インバウンドも本格的でないせいか(とはいえ意外と海外観光客多め)、
当日券が普通に購入できましたが、チケット購入に20分、エレベーターまで20分、
展望台まで一時間弱くらいはかかった感じです。
他の小学校もそうでしたが、屋上に学校名が書いてあるのですね。
緊急事態発生の時など空からも判別しやすいように、ってことなんでしょうか。
薄暗い中でソラカラちゃんに久しぶりに会いました。
東京スカイツリーオープン前は、おしなりくんがテレビでも話題になっていましたが
(押上と業平橋と、近所の地名を足して2で割った名前)
オープン後は、すっかり公式キャラクターのソラカラちゃんが全面に出ていて、
おしなりくん、目立っていないのですが元気かなあ。
(公式Twitterでは昨年大晦日まで呟いているので元気ぽい)
アサヒビールの本社ビル(ビールジョッキをイメージ)が出来たころ
ド派手なビルだなあと思ったのですが(隣の金の炎も)
このビル、高さが100m以下(未満?)知り驚きました。
(東京スカイツリーの6分の1くらいなんですよね)
30年以上前、はとバスツアーで行った東京タワーにのぼったとき、
霧で何も見えないのに「特別展望台にも行こうよ!」と張り切ったYちゃん、
別料金払ってのぼって更に何も見えない(眼下の東京プリンスホテルだけ少し見えた)
そんなことあったねぇ、と思い出し笑いしながら1つ下の階に降ります。
思ったより狭いスペースしかないのでかなり混雑していましたが
Yちゃん、スケスケのところに立ってテンション上がっていました。
(私は縮みあがりそうなので軽く覗いて終了)
今回来られなかったダンナに自慢げに送っていましたが、
柴又帝釈天も東京スカイツリーも初めてで喜んでくれて一安心。
この後、歩き疲れたのでコーヒーでまったりして、夜の部会場へ移動します♪
(つづく)
東京観光ぶらぶら記2022~柴又帝釈天編~ [日本の旅(関東)]
以前、20年ぶりに会った友人と品川で呑んだ話を書きましたが、
(宮﨑県民を秋田料理のお店に連れていきました)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2018-07-08-1
この友人が一昨年定年退職したのですが、時間が出来た(&制限解除になった)から
東京に遊びにいくから会えない?と連絡をくれたので都内をぶらぶらしました。
彼女とはちゅーちゅーねずみーランドで一緒にバイトしていた頃(30年以上前)
一緒にはとバス(東京タワーや皇居をめぐる東京半日観光コース)に乗ったことが
ありますが、それ以外に都内をぶらぶらしたことがなかったので、行ったことが
なさそうなところに連れていくことにしました。
彼女が宿泊していた品川まで迎えに行き(現地集合が難しそうに思えたため)
一緒に京急線~都営浅草線~京成線と移動しながら、
柴又駅に到着しました
寅さんの近くにはさくら(の銅像)もいます。
三松さん
ネットでここのラーメン(そば、うどんがメインのお店です)が美味しそうで
一度食べたいと思いながら未訪です。
駅近くは店舗建て直しで小ぎれいになっていますが昔ながらの呑み屋さんも
あったりして下町感が出ています。
金のう〇こ販売店
昨年柴又に来たときにもこのお店の写真を撮って記事に載せていますが
この賑やかというかざわざわというかなんとも言えない雰囲気、
いつも遠巻きに見てしまいます。(近づくと何か買いそうなので近づかない)



おもちゃ博物館~高木屋~升本(亀有大根が食べられる)を観ながら
帝釈天に到着
おまいりした後は、前回同様裏手に回って邃渓園(すいけいえん)を見学します。
(宮﨑県民を秋田料理のお店に連れていきました)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2018-07-08-1
この友人が一昨年定年退職したのですが、時間が出来た(&制限解除になった)から
東京に遊びにいくから会えない?と連絡をくれたので都内をぶらぶらしました。
彼女とはちゅーちゅーねずみーランドで一緒にバイトしていた頃(30年以上前)
一緒にはとバス(東京タワーや皇居をめぐる東京半日観光コース)に乗ったことが
ありますが、それ以外に都内をぶらぶらしたことがなかったので、行ったことが
なさそうなところに連れていくことにしました。
彼女が宿泊していた品川まで迎えに行き(現地集合が難しそうに思えたため)
一緒に京急線~都営浅草線~京成線と移動しながら、
寅さんの近くにはさくら(の銅像)もいます。
ネットでここのラーメン(そば、うどんがメインのお店です)が美味しそうで
一度食べたいと思いながら未訪です。
駅近くは店舗建て直しで小ぎれいになっていますが昔ながらの呑み屋さんも
あったりして下町感が出ています。
昨年柴又に来たときにもこのお店の写真を撮って記事に載せていますが
この賑やかというかざわざわというかなんとも言えない雰囲気、
いつも遠巻きに見てしまいます。(近づくと何か買いそうなので近づかない)
おもちゃ博物館~高木屋~升本(亀有大根が食べられる)を観ながら
おまいりした後は、前回同様裏手に回って邃渓園(すいけいえん)を見学します。
アンティークのような照明(シャンデリア?)に見とれていた友人Yちゃん、
11月下旬に訪れたのでほんわか紅葉している池泉回遊式庭園を楽しみ
(甲羅干ししているカメさんたちものんびりしていました)
お酒がお供えしてありましたが、私もこのお水で己の汚れた心を洗い清めたい。
って、1回では無理ですね。(笑)
前回来たときは気づかなかったのですがYちゃんが気づいてくれました。
ネットで調べてみたら、日蓮聖人上人が鎌倉の草庵で焼き討ちに遭った時に現れ、
岩山に導いて岩窟に身を潜めて救ったという伝説の白猿の石像だそうです。
この白猿さん、日蓮宗題経寺(柴又帝釈天)の使いとも言われているそうです。
この後、本堂裏手の素晴らしい木造彫刻を見学しました。
宮﨑の田舎に住むYちゃんには見るもの全てが新鮮らしく一つひとつ感激していて
連れてきた甲斐がありました。
ここで時間はちょうどお昼過ぎ、柴又だから鰻が食べたい、というかと思ったら、
ビールが呑みたい!というので(笑)以前いったお蕎麦屋さんに移動します。
(つづく)
タグ:柴又
柴又帝釈天ぶらぶら記② [日本の旅(関東)]
遼寧園の美しい庭を眺めた後は、帝釈天の本堂に施された彫刻を見に移動します。
彫刻ギャラリー
(庭園の入園券を提示すると入れます)

お寺にきても本堂の中は観ても外側を意識的に見ることがなかったのですが、
こうやってまじまじと見ると細かい細工、龍などが生き生きと見えます。
本堂の下部
ここを歩いていってぐるっと曲がってから上に上がっていきます。
入ってすぐのところに帝釈堂の木彫について説明があったのでそのまま転記しますと、
帝釈堂の内外には数多くの木彫いがほどこされているが、
特に帝釈堂内陣の外側にある十枚の胴羽目彫刻は佛教経典の中で最も有名な「法華経」の
説話を選びだして彫刻したものである。
この法華経説話彫刻は、当山第十六世観明院日済上人の発願になるもので、
篤信者鈴木源次朗氏の丹誠協力を得て、大正末期より昭和九年に至る十数年の歳月を
費やして完成したものである。因みに大正十一年、まず加藤寅之助師が「法師守護の図」を
完成したが、氏の発案により残りの九枚を東京在住の名人彫刻師依頼することが決り、
大きな欅(けやき)の彫刻材が各師のもとに運び込まれた。しかるに大正十二年、
折からの関東大震災に遭って彫刻材を焼失したのである。そこで改めて欅の原材を
全国に求め、昭和初年ようやく巨大な欅材を得て、本格的な木彫工事がはじめられたので
ある。従って、得難い彫刻材と言い、木彫技術についても希有のもので文化財的価値の
極めて高いものである。
法華経説話彫刻を中心に堂の最上段には「十二支の図」その下に「天人図」
「説話彫刻図」「千羽鶴図」階下には「花鳥図」最下段には「亀図」が彫刻されている。
作者は複数の彫刻師によって刻まれたが、ことに「千羽鶴図」「花鳥図」「亀図」等は
千葉県鴨川出身の名人高石仙蔵師の彫りに成るものである。
従来、木彫は風雨塵埃にさらされ、金網等があり鑑賞しにくかったので、この度、堂周りに、
新たに廻廊をめぐらし、総ガラス張りの「彫刻ギャラリー」を完成したのである。
願くは参詣各位において充分に鑑賞されることを望むものである。
平成三年春、とあるので、30年くらい前に出来たギャラリーなんですね。
千羽鶴図と亀図かな
その場に作品名が書いてないので不明ですが、
最下段にあったのでそうかもしれない。いや、多分そうだと思います。

帝釈天板本尊出現を描いた明治2(1869)年の絵馬だそうです。
絵馬というのでこんなに大きいなんて、と驚きました。

祈願によって帝釈天が出現し、ご神水が湧き出る様子、の図だそうです。
帝釈天は仏教の守護神のひとつだそうですが、黒装束で無表情のお顔、
怒っても笑ってもいなくて不思議な表情でした。


年季の入った注意書き
彫刻に触って壊したらダメですよね。
有料とはいえこうやって見せていただけるだけでありがたいのに。
法華経の説話を見学します
(彫刻の下の文章は説明です)

「常不軽菩薩受難の図」
常不軽菩薩は、「常に人を軽蔑しない」という修行をしていましたが、
却って迫害を受けました。
また、「法華経」は、寒さに火を得たように、子のところに母親が来たように、
渡りに舟を得たように、闇に灯りを得たように救いの道を示します。

(庭園の入園券を提示すると入れます)
お寺にきても本堂の中は観ても外側を意識的に見ることがなかったのですが、
こうやってまじまじと見ると細かい細工、龍などが生き生きと見えます。
ここを歩いていってぐるっと曲がってから上に上がっていきます。
入ってすぐのところに帝釈堂の木彫について説明があったのでそのまま転記しますと、
帝釈堂の内外には数多くの木彫いがほどこされているが、
特に帝釈堂内陣の外側にある十枚の胴羽目彫刻は佛教経典の中で最も有名な「法華経」の
説話を選びだして彫刻したものである。
この法華経説話彫刻は、当山第十六世観明院日済上人の発願になるもので、
篤信者鈴木源次朗氏の丹誠協力を得て、大正末期より昭和九年に至る十数年の歳月を
費やして完成したものである。因みに大正十一年、まず加藤寅之助師が「法師守護の図」を
完成したが、氏の発案により残りの九枚を東京在住の名人彫刻師依頼することが決り、
大きな欅(けやき)の彫刻材が各師のもとに運び込まれた。しかるに大正十二年、
折からの関東大震災に遭って彫刻材を焼失したのである。そこで改めて欅の原材を
全国に求め、昭和初年ようやく巨大な欅材を得て、本格的な木彫工事がはじめられたので
ある。従って、得難い彫刻材と言い、木彫技術についても希有のもので文化財的価値の
極めて高いものである。
法華経説話彫刻を中心に堂の最上段には「十二支の図」その下に「天人図」
「説話彫刻図」「千羽鶴図」階下には「花鳥図」最下段には「亀図」が彫刻されている。
作者は複数の彫刻師によって刻まれたが、ことに「千羽鶴図」「花鳥図」「亀図」等は
千葉県鴨川出身の名人高石仙蔵師の彫りに成るものである。
従来、木彫は風雨塵埃にさらされ、金網等があり鑑賞しにくかったので、この度、堂周りに、
新たに廻廊をめぐらし、総ガラス張りの「彫刻ギャラリー」を完成したのである。
願くは参詣各位において充分に鑑賞されることを望むものである。
平成三年春、とあるので、30年くらい前に出来たギャラリーなんですね。
その場に作品名が書いてないので不明ですが、
最下段にあったのでそうかもしれない。いや、多分そうだと思います。
帝釈天板本尊出現を描いた明治2(1869)年の絵馬だそうです。
絵馬というのでこんなに大きいなんて、と驚きました。
祈願によって帝釈天が出現し、ご神水が湧き出る様子、の図だそうです。
帝釈天は仏教の守護神のひとつだそうですが、黒装束で無表情のお顔、
怒っても笑ってもいなくて不思議な表情でした。
彫刻に触って壊したらダメですよね。
有料とはいえこうやって見せていただけるだけでありがたいのに。
(彫刻の下の文章は説明です)
「常不軽菩薩受難の図」
常不軽菩薩は、「常に人を軽蔑しない」という修行をしていましたが、
却って迫害を受けました。
また、「法華経」は、寒さに火を得たように、子のところに母親が来たように、
渡りに舟を得たように、闇に灯りを得たように救いの道を示します。
「病即消滅の図」
「法華経」は、全世界の人々の病の良薬です。もしある人が病にかかり、
この法華経を聞く幸運に恵まれたら、たちどころに病はなおり、
風呂漆の境地を得ることができるのです。

「龍女成佛の図」
法華経では、女性が成佛できることを説示します。
今、龍王の娘で八才になる智慧にすぐれ弁舌さわやかなこの娘は多くの教えを理解し、
不動の境地に達しました。波の上にあって龍女が宝珠を佛に献げています。

「多宝塔出現の図」
法華経を進行するところでは、多宝塔(多宝如来の塔)が地面から湧き出してきて
人々の信仰をほめたたえます。人々は歓喜にふるえ一心にその塔を礼拝します。
人々の顔には法悦のほほえみが浮かんでいます。

「法師修行の図」
インドえは、法師たちは森の中や洞窟の中で独り静かに修行しています。
しかし、虎や狼の危険があり、心淋しく、修行はきびしいものです。
その修行者を励ますために、佛が立ち現れたり、象にのった普賢菩薩が姿を現すのです。
象に乗った普賢菩薩
「慈雨等潤の図」
佛の慈悲深い教えは、あまねく地上を潤す慈雨と同じです。
今、雷神と風神が現れて雨をふらし、大地には緑があふれ、さまざまな
花々が咲きほこります。天人さまたちも地上の楽園に舞いおりてきました。
雷神と風神
「三車火宅の図」
三車とは、羊・鹿・牛がひく三種の車のことで、火宅とは、燃える家のことです。
われわれ凡夫は、火宅の中で遊びたわむれる子供と同じで何の恐れも感じません。
父親は、子供たちを救出ために三つの車を用意したのです。
羊・鹿・牛

「供養塔の図」
今、日月燈明佛の眉間から光が放たれると、東方一萬八千の佛國土が照らし出されます。
それらの佛國土では、さかんに塔供養が行われているのが見えます。
このような光景が見られることは、法華経が演説される前ぶれです。
全てをじっくり見たわけではありませんが、こういうものを見ると、
日々真面目に生きていかなければいけないなという気持ちになります。
ぐるっと回って彫刻ギャラリーを出ると
本堂の正面に着きました
(ここからも外に出られますが、靴を庭園入口に預けていたので
結局そこまで戻りました(^-^;)


元々はお蕎麦屋さんで昼酒が主目的で行った柴又でしたが、
裏に庭園があることを今回知って、四季折々の風景を見に来たいなと思いました。
この世界観、やっぱり寅さんを一度はちゃんと見ないといけないですね。
と、昼酒にお散歩に楽しめた柴又帝釈天でありました。
(これにて柴又ぶらぶら記 おわり)
「法華経」は、全世界の人々の病の良薬です。もしある人が病にかかり、
この法華経を聞く幸運に恵まれたら、たちどころに病はなおり、
風呂漆の境地を得ることができるのです。
「龍女成佛の図」
法華経では、女性が成佛できることを説示します。
今、龍王の娘で八才になる智慧にすぐれ弁舌さわやかなこの娘は多くの教えを理解し、
不動の境地に達しました。波の上にあって龍女が宝珠を佛に献げています。
「多宝塔出現の図」
法華経を進行するところでは、多宝塔(多宝如来の塔)が地面から湧き出してきて
人々の信仰をほめたたえます。人々は歓喜にふるえ一心にその塔を礼拝します。
人々の顔には法悦のほほえみが浮かんでいます。
「法師修行の図」
インドえは、法師たちは森の中や洞窟の中で独り静かに修行しています。
しかし、虎や狼の危険があり、心淋しく、修行はきびしいものです。
その修行者を励ますために、佛が立ち現れたり、象にのった普賢菩薩が姿を現すのです。
「慈雨等潤の図」
佛の慈悲深い教えは、あまねく地上を潤す慈雨と同じです。
今、雷神と風神が現れて雨をふらし、大地には緑があふれ、さまざまな
花々が咲きほこります。天人さまたちも地上の楽園に舞いおりてきました。
「三車火宅の図」
三車とは、羊・鹿・牛がひく三種の車のことで、火宅とは、燃える家のことです。
われわれ凡夫は、火宅の中で遊びたわむれる子供と同じで何の恐れも感じません。
父親は、子供たちを救出ために三つの車を用意したのです。
「供養塔の図」
今、日月燈明佛の眉間から光が放たれると、東方一萬八千の佛國土が照らし出されます。
それらの佛國土では、さかんに塔供養が行われているのが見えます。
このような光景が見られることは、法華経が演説される前ぶれです。
全てをじっくり見たわけではありませんが、こういうものを見ると、
日々真面目に生きていかなければいけないなという気持ちになります。
(ここからも外に出られますが、靴を庭園入口に預けていたので
結局そこまで戻りました(^-^;)
元々はお蕎麦屋さんで昼酒が主目的で行った柴又でしたが、
裏に庭園があることを今回知って、四季折々の風景を見に来たいなと思いました。
この世界観、やっぱり寅さんを一度はちゃんと見ないといけないですね。
と、昼酒にお散歩に楽しめた柴又帝釈天でありました。
(これにて柴又ぶらぶら記 おわり)
タグ:柴又
柴又帝釈天ぶらぶら記① [日本の旅(関東)]
瓶ビールで軽く酔ったところでここまできてお参りしないわけないし、で、
柴又帝釈天に向かいます。
寅さんは未だに観たことがないのですが、初めて帝釈天に来たのが8年前、
その後殆どきていなかったのですが、江戸川を越えないといけませんが、
自宅からそんなに遠い東京でもないし、と今年に入ってからぽつぽつと
来るようになりました。
(コロナ前は物凄く混んでいて敬遠していたのもあります)
駅の近くの金のう●こ
テレビにもよく出るお店で、金運、なんでしょうね。
お店のお姉さんがとても親切そうで、通りがかる人と喋っているのを
良く観ますが、観光スポットも聞くと親切に教えてくれそうな雰囲気です。
lovin姐さんゑ
この顔出しパネルの後ろにある階段を上ると、「柴又おもちゃの博物館」。
土日祝日のみ開館していますが、ここもいずれ見学してみたいです。
柴又で博物館というと、以前「ザ・ノンフィクション(フジテレビ)」で紹介された
キャンディさんのコレクションが展示されているキャンディ・キャンディ博物館、
(駅から数分の昭和レトロ喫茶セピアの2階にあるらしい)
ここも一度訪れてみたいと思っています。
寅さんサミット(◎_◎;)
寅さんを知っている世代って私よりちょっと若いあたりくらいまででしょうか。
(公式サイトがありました)https://torasan-summit.jp/timetable/
コロナ禍でこういうイベントも企画しては延期とか中止だったでしょうから、
今年は盛り上がるといいですね。

表参道を通って
お参り
いつもなら本堂でお参りしたらそのまま帰ってしまうのですが、
この日はなぜか本堂の裏手まで回ってうろうろして庭園があることに気づきました。
邃渓園
(すいけいえん、と読むそうです)https://garden-guide.jp/spot.php?i=suikeien
へぇ、帝釈天(正式には題経寺)の裏に庭園があるんだ、と驚いたのですが、
折角やってきたので入園料400円を支払って中を見学することにしました。
入口にて
萩や薄、秋の植物が綺麗です。(庭園にあるものを飾っているみたい)
昭和40年、向島の庭師、永井楽山によって造られた池泉庭園です。
廊下の左手には
お庭
屏風絵は
横山大観でびっくり(下絵ですが)

前にいたニイハオさん(日本に住んでいる方たちみたいでしたが)が
ポーズをとりながら写真を撮ったり(若い女性2人組)通路に座り込んだりして、
来園者の進路を防ぐようなのんびりペースでお過ごしになっていたので、
ああ、この人たちの先に入っていればよかったのに、、と思ったのですが、
あまりにマイペースだったので「ごめんなさい、通ります」というと、
「あ、スミマセーン」と日本語で謝って退いてくれました。
こういう明かりも風情がありますね
屏風絵
折角なので反対の向きからも見てみました。


お猿さん、帝釈天の使いだそうで、この絵もそういうご縁でここにあるのかな、
なんて思いました。

萩
あれだけ暑かったのがいつのまにか金木犀の香りに虫の声、そして萩、
すっかり秋ですね。(訪問したのは10月初め)
回廊を歩いて庭をめぐります
以前は大客殿から庭を眺めるだけだったそうですが、その後回廊が出来たので、
私のような来場者も庭を一周しながら楽しむことができます。
木を組み合わせ方が美しい
こういう繊細で綺麗な細工を見ると心落ち着きます。
更に先を進むと、

晴れていると緑が綺麗に見えます。(^-^)
岩の上にごつごつがいくつも
亀(かなり大ぶり)
亀の甲羅干しは良く観ますが、この亀は岩の窪みにすっぽりはまって
安心してくつろいでいるように見えました。


入口からぐるっと回廊を渡って反対側に来ました。
池泉庭園だと、池をみながら緑を楽しめるのがいいですね。
(向こうに見える建物に横山大観の屏風絵が飾られています)
陶器の照明(カバー?)に
赤松を見ながら


御神水があったので手を清めました。
(鬼殺しのパックが置いてあって思わずガン見してしまった(笑))
角度を変えると今度は小川も見えて
入口付近の木
片側だけもじゃもじゃしていました


一周して入口まで戻ってきました。
帝釈天の本堂の裏にこういう庭園アルトは知りませんでしたが、
うろうろしたお陰で秋を感じながら緑たくさんの庭を楽しめました。
この後は、入場券で入れる彫刻ギャラリーに移動します。
(つづく)
柴又帝釈天に向かいます。
寅さんは未だに観たことがないのですが、初めて帝釈天に来たのが8年前、
その後殆どきていなかったのですが、江戸川を越えないといけませんが、
自宅からそんなに遠い東京でもないし、と今年に入ってからぽつぽつと
来るようになりました。
(コロナ前は物凄く混んでいて敬遠していたのもあります)
テレビにもよく出るお店で、金運、なんでしょうね。
お店のお姉さんがとても親切そうで、通りがかる人と喋っているのを
良く観ますが、観光スポットも聞くと親切に教えてくれそうな雰囲気です。
この顔出しパネルの後ろにある階段を上ると、「柴又おもちゃの博物館」。
土日祝日のみ開館していますが、ここもいずれ見学してみたいです。
柴又で博物館というと、以前「ザ・ノンフィクション(フジテレビ)」で紹介された
キャンディさんのコレクションが展示されているキャンディ・キャンディ博物館、
(駅から数分の昭和レトロ喫茶セピアの2階にあるらしい)
ここも一度訪れてみたいと思っています。
寅さんを知っている世代って私よりちょっと若いあたりくらいまででしょうか。
(公式サイトがありました)https://torasan-summit.jp/timetable/
コロナ禍でこういうイベントも企画しては延期とか中止だったでしょうから、
今年は盛り上がるといいですね。
いつもなら本堂でお参りしたらそのまま帰ってしまうのですが、
この日はなぜか本堂の裏手まで回ってうろうろして庭園があることに気づきました。
(すいけいえん、と読むそうです)https://garden-guide.jp/spot.php?i=suikeien
へぇ、帝釈天(正式には題経寺)の裏に庭園があるんだ、と驚いたのですが、
折角やってきたので入園料400円を支払って中を見学することにしました。
萩や薄、秋の植物が綺麗です。(庭園にあるものを飾っているみたい)
昭和40年、向島の庭師、永井楽山によって造られた池泉庭園です。
前にいたニイハオさん(日本に住んでいる方たちみたいでしたが)が
ポーズをとりながら写真を撮ったり(若い女性2人組)通路に座り込んだりして、
来園者の進路を防ぐようなのんびりペースでお過ごしになっていたので、
ああ、この人たちの先に入っていればよかったのに、、と思ったのですが、
あまりにマイペースだったので「ごめんなさい、通ります」というと、
「あ、スミマセーン」と日本語で謝って退いてくれました。
折角なので反対の向きからも見てみました。
お猿さん、帝釈天の使いだそうで、この絵もそういうご縁でここにあるのかな、
なんて思いました。
あれだけ暑かったのがいつのまにか金木犀の香りに虫の声、そして萩、
すっかり秋ですね。(訪問したのは10月初め)
以前は大客殿から庭を眺めるだけだったそうですが、その後回廊が出来たので、
私のような来場者も庭を一周しながら楽しむことができます。
こういう繊細で綺麗な細工を見ると心落ち着きます。
晴れていると緑が綺麗に見えます。(^-^)
亀の甲羅干しは良く観ますが、この亀は岩の窪みにすっぽりはまって
安心してくつろいでいるように見えました。
入口からぐるっと回廊を渡って反対側に来ました。
池泉庭園だと、池をみながら緑を楽しめるのがいいですね。
(向こうに見える建物に横山大観の屏風絵が飾られています)
御神水があったので手を清めました。
(鬼殺しのパックが置いてあって思わずガン見してしまった(笑))
一周して入口まで戻ってきました。
帝釈天の本堂の裏にこういう庭園アルトは知りませんでしたが、
うろうろしたお陰で秋を感じながら緑たくさんの庭を楽しめました。
この後は、入場券で入れる彫刻ギャラリーに移動します。
(つづく)
タグ:柴又
銚子&宗吾参道旅行記2022~宗吾霊堂であじさい祭り&船橋でおまけ編~ [日本の旅(関東)]
佐倉惣五郎にまつわる思い出を確認した後は、紫陽花が沢山咲いている時期だったので、
本堂の裏(よりもっと先)にある紫陽花まつりを見学して帰ります。
スターアライアンス10周年
スターアライアンスが出来たのってずいぶん前じゃないの?と思って調べたら
1997年なんですね。今年で25周年。
プライベートで北米に行くときは安いウナイテッドばかりを利用していた私ですが、
仕事でJALを使うようになってJGC会員になってからはラウンジが使えるのを理由に
ワンワールド一辺倒みたいになりました。とはいえ、最近海外にも行っておらず、
先日、久しぶりにシンガポールとか行けないかなとチケットを検索したら、
チケット代と同額位のサーチャージ(&税金)がかかるのを知り早々に諦めました。
もうちょっと気軽にチケットが買えるようになったらまたアジア圏でも旅したいですね。


紫陽花って色々な形があるのが楽しいです
見分けられない。。
隅田の花火(多分)
サランピンク
カサノバブル―(恐らく)
カサノバブルーや隅田の花火などは紫陽花と言われなければ
紫陽花と思わずにきれいな花だな、と思ってしまいそうです。
かなり広くて歩くと滝汗でした


中村勘九郎さんの札がありました
宗吾霊350年の時にいらっしゃったみたいですね。
と、広い敷地をぐるぐる歩いて
日頃そんなにたくさんみることがない紫陽花を堪能したら、
惣五郎さんのお墓に手を合わせて
次回は汗をかかない時期にお参りにこようと思いながら宗吾参道駅まで戻り、
実家に帰るはずが実家の駅をはるかに通り過ぎた船橋駅まで行きました。
この日、JR船橋駅に銚子電鉄の竹本社長がいらっしゃるのをTwitterで観て
これは会いにいかなければ!という気持で船橋まで上ってしまった次第です。
竹本社長はここ2年くらいの間にJRバス(銚子から東京や新宿行)に
銚子電鉄商品を載せて(貨客混載)自ら手売りしたり、JR銚子駅と一緒に
銚子へ来てください、的なキャンペーンを行っています。
(銚子駅まではJR、その先は銚子電鉄に乗ってくださいね、と言う企画)
竹本社長![[ハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/80.gif)
真ん中にいるのはJR東日本千葉支社のキャラクターの駅長犬、
その隣にはJR船橋?銚子の駅長さんで2人とも白いスーツですが、
竹本社長、さすがのエコルック、半袖シャツが素敵です。


竹本社長に「今日、銚子に行ってきて、成田経由で船橋まで来ました!」と話しかけると
「ありがとうございます。ご自宅この辺ですか?」と竹本社長。
「トキ鉄の鳥塚社長のご近所なんです(去年直江津で聞いたらご近所だった)」と言うと、
「じゃあ、帰りはJRじゃなくて京成なんですね!JRも乗ってくださいね!」と言うので、
「松戸から銚子、銚子から成田まではJR乗ってますから今日は結構長距離です」と
傍からみればどうでもいいような会話にも竹本社長、ちゃんと乗ってくれました。
そんなところが好きです、竹本社長。(^-^)
ちなみに、竹本社長のそばに柏木常務がいらっしゃったのですが、
当日の朝、犬吠駅で観たときと同じアロハぽい装いでした。
ありがとうございます!
と、一生懸命銚子を宣伝する竹本社長を見て
帰途につきました。
銚子だけ行くのではなくなにか他にも行けないかと思って今回40年以上ぶりに
宗吾参道で降りた私ですが、劣化しつつある人形の悲哀とともに惣五郎さんの人生を
垣間見せてもらって記憶の焼き直しが出来た銚子と宗吾参道の旅でありました。
(これにて、銚子&宗吾参道旅行記2022 おわり)
本堂の裏(よりもっと先)にある紫陽花まつりを見学して帰ります。
スターアライアンスが出来たのってずいぶん前じゃないの?と思って調べたら
1997年なんですね。今年で25周年。
プライベートで北米に行くときは安いウナイテッドばかりを利用していた私ですが、
仕事でJALを使うようになってJGC会員になってからはラウンジが使えるのを理由に
ワンワールド一辺倒みたいになりました。とはいえ、最近海外にも行っておらず、
先日、久しぶりにシンガポールとか行けないかなとチケットを検索したら、
チケット代と同額位のサーチャージ(&税金)がかかるのを知り早々に諦めました。
もうちょっと気軽にチケットが買えるようになったらまたアジア圏でも旅したいですね。
カサノバブルーや隅田の花火などは紫陽花と言われなければ
紫陽花と思わずにきれいな花だな、と思ってしまいそうです。
宗吾霊350年の時にいらっしゃったみたいですね。
日頃そんなにたくさんみることがない紫陽花を堪能したら、
次回は汗をかかない時期にお参りにこようと思いながら宗吾参道駅まで戻り、
実家に帰るはずが実家の駅をはるかに通り過ぎた船橋駅まで行きました。
この日、JR船橋駅に銚子電鉄の竹本社長がいらっしゃるのをTwitterで観て
これは会いにいかなければ!という気持で船橋まで上ってしまった次第です。
竹本社長はここ2年くらいの間にJRバス(銚子から東京や新宿行)に
銚子電鉄商品を載せて(貨客混載)自ら手売りしたり、JR銚子駅と一緒に
銚子へ来てください、的なキャンペーンを行っています。
(銚子駅まではJR、その先は銚子電鉄に乗ってくださいね、と言う企画)
![[ハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/80.gif)
真ん中にいるのはJR東日本千葉支社のキャラクターの駅長犬、
その隣にはJR船橋?銚子の駅長さんで2人とも白いスーツですが、
竹本社長、さすがのエコルック、半袖シャツが素敵です。
竹本社長に「今日、銚子に行ってきて、成田経由で船橋まで来ました!」と話しかけると
「ありがとうございます。ご自宅この辺ですか?」と竹本社長。
「トキ鉄の鳥塚社長のご近所なんです(去年直江津で聞いたらご近所だった)」と言うと、
「じゃあ、帰りはJRじゃなくて京成なんですね!JRも乗ってくださいね!」と言うので、
「松戸から銚子、銚子から成田まではJR乗ってますから今日は結構長距離です」と
傍からみればどうでもいいような会話にも竹本社長、ちゃんと乗ってくれました。
そんなところが好きです、竹本社長。(^-^)
ちなみに、竹本社長のそばに柏木常務がいらっしゃったのですが、
当日の朝、犬吠駅で観たときと同じアロハぽい装いでした。
帰途につきました。
銚子だけ行くのではなくなにか他にも行けないかと思って今回40年以上ぶりに
宗吾参道で降りた私ですが、劣化しつつある人形の悲哀とともに惣五郎さんの人生を
垣間見せてもらって記憶の焼き直しが出来た銚子と宗吾参道の旅でありました。
(これにて、銚子&宗吾参道旅行記2022 おわり)
銚子&宗吾参道旅行記2022~宗吾御一代記館編~ [日本の旅(関東)]
補正された思い出通り、って感じでもなかったお蕎麦を食べた後は、
宗吾霊堂へ
ここは呑めるみたい
(と往路思ったのですが結局寄らずに帰ってしまいました(^^;)
紫陽花の季節(6月下旬)

影がない。。(´Д`)
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA_(%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B8%82)
昨日も簡単に書きましたが佐倉(木内)惣五郎の霊が祀られているので宗吾霊堂と
呼ばれていて私も東勝寺というのは今回調べて知りました。
成田山新勝寺も成田山と呼び続けていて新勝寺であることを知ったのは社会人に
なってからですが、宗吾霊堂に関しては知ろうという頭がなかったみたいです。反省。
まずはお参りから


本堂にもたくさんの紫陽花が飾られていました。
40年以上ご無沙汰していたことをお詫びしつつ、またお参り出来たことに感謝しながら
手を合わせました。
で、ここ。↓

今回の旅の一番の目的はここ、宗吾御一代記館です。
小学校低学年の頃に来たきりなので40年以上ぶり(50年は経っていない)、
母方の祖母と大叔母さんと一緒にここを訪れたのですが、
将軍に直訴したため処刑される場面で2人が大泣きしながら、
「可哀想だぁ~可哀想だぁぁぁぁ~(:_;)」と言って、
小銭を惣五郎の蝋人形に向かって投げていたことが今でも記憶にあって、
あの場面、今みたらどうなんだろうか、と思ってやってきた次第です。


本堂の裏手を進んでいくとひっそりしたところにあります。
中に入ろうとしたら、昭和の事務服って感じの制服を着たおばちゃんが、
「ちょっと前に入った人達が見学していますけど、5分くらい待ってもらうと
他に誰もいないところで見学できますよ」
と親切にアドバイスしてくれました。(笑)
完全貸切状態を想像していたので先客がちょっと前にいることに驚いたのですが、
では、少し待たせてもらいますね、と入館料700円(⇐ちょっと強気)を支払って、
待っている間、おばちゃんに小学生の時に祖母と大叔母と来た時の話をしたら
「結構そういう方多いかもしれませんね。
小さい頃みたけれど数十年ぶりに来たっていう方、多いです。」
私と同じような世代の方は幼いころの思い出ですりこまれているインパクトの強い場所、
なのかもしれません。
で、写真撮影はできますか?と聞くと、「撮影禁止なんです」と
申し訳なさそうに言われてしまい、残念ながら撮影できなかったのですが、
ネットで検索していたら撮影して丁寧な説明を書いている方がいらっしゃったので
リンクを貼っておきます。(当時は撮影できたのかもしれませんね)
(4travel) https://4travel.jp/travelogue/10864639
各場面、説明のパネルの他にボタンを押すと説明の音声が流れるのですが、
途中接触が悪くて音声が流れないところがあるのでそこは説明のパネルを読んでください、
と言われてしまい、え、修理しないの?と思ってしまったのですが、
この入館者数だと維持するのも大変で細かい修理まで手が回らないのかもしれません。。
と、5分入口で待ってから前後に誰もいない状態になったところで
足を踏み入れると漂う古い匂い。( 一一)
66体の人形で描く佐倉惣五郎の義民伝、66体というのが多いのか少ないのか、
恐らく人形の数が多い(とはいえ、時折人を描いたパネルもあったりする)と
アピールしているのだと思いますが、私が小学生の頃に来たころから人形の入れ替えが
されていないのでは?と言う雰囲気でした。
最後の「第13景 供養の踊り」の女性の人形の顔が蜘蛛の巣状にひび割れていて
かなりホラーな雰囲気を醸し出していたりと、人形のお手入れも惣五郎を中心に行って
いるような(女性の人形は修復の優先順位が低そうな)そんな気がしました。
祖母と大叔母が大泣きしていた「第12景 悲しみの刑場」改めて見ると、
農民のために直訴したが故に子供たちも全員処刑される、
(従来処刑されない女子も男子名に改名の上処刑されたそうです)
五十路になった私も今見ると大泣きして小銭を投げていた2人の気持ちが分かるような
気がしました。といっても私は小銭は投げませんでしたが。(^^;
途中、天井からつるされたミラーボールがぐるぐる回ってる場面もあったりと、
古い施設内で工夫しているのは感じましたが、古い匂いに時の流れを感じるというか、
あの頃から40年以上も経つんだし、自分も年をとったな、としみじみ感じました。
また行くかと言われたら、あと1回くらいは行っちゃうかな、って感じです。
隣の霊宝殿にもちょっと立ち寄って(惣五郎の着物などの他に場所が近いからなのか
Qちゃんの色紙も飾られていました(笑))


苑内の紫陽花をこの後は見学します。
(つづく)
(と往路思ったのですが結局寄らずに帰ってしまいました(^^;)
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA_(%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B8%82)
昨日も簡単に書きましたが佐倉(木内)惣五郎の霊が祀られているので宗吾霊堂と
呼ばれていて私も東勝寺というのは今回調べて知りました。
成田山新勝寺も成田山と呼び続けていて新勝寺であることを知ったのは社会人に
なってからですが、宗吾霊堂に関しては知ろうという頭がなかったみたいです。反省。
本堂にもたくさんの紫陽花が飾られていました。
40年以上ご無沙汰していたことをお詫びしつつ、またお参り出来たことに感謝しながら
手を合わせました。
で、ここ。↓
今回の旅の一番の目的はここ、宗吾御一代記館です。
小学校低学年の頃に来たきりなので40年以上ぶり(50年は経っていない)、
母方の祖母と大叔母さんと一緒にここを訪れたのですが、
将軍に直訴したため処刑される場面で2人が大泣きしながら、
「可哀想だぁ~可哀想だぁぁぁぁ~(:_;)」と言って、
小銭を惣五郎の蝋人形に向かって投げていたことが今でも記憶にあって、
あの場面、今みたらどうなんだろうか、と思ってやってきた次第です。
本堂の裏手を進んでいくとひっそりしたところにあります。
中に入ろうとしたら、昭和の事務服って感じの制服を着たおばちゃんが、
「ちょっと前に入った人達が見学していますけど、5分くらい待ってもらうと
他に誰もいないところで見学できますよ」
と親切にアドバイスしてくれました。(笑)
完全貸切状態を想像していたので先客がちょっと前にいることに驚いたのですが、
では、少し待たせてもらいますね、と入館料700円(⇐ちょっと強気)を支払って、
待っている間、おばちゃんに小学生の時に祖母と大叔母と来た時の話をしたら
「結構そういう方多いかもしれませんね。
小さい頃みたけれど数十年ぶりに来たっていう方、多いです。」
私と同じような世代の方は幼いころの思い出ですりこまれているインパクトの強い場所、
なのかもしれません。
で、写真撮影はできますか?と聞くと、「撮影禁止なんです」と
申し訳なさそうに言われてしまい、残念ながら撮影できなかったのですが、
ネットで検索していたら撮影して丁寧な説明を書いている方がいらっしゃったので
リンクを貼っておきます。(当時は撮影できたのかもしれませんね)
(4travel) https://4travel.jp/travelogue/10864639
各場面、説明のパネルの他にボタンを押すと説明の音声が流れるのですが、
途中接触が悪くて音声が流れないところがあるのでそこは説明のパネルを読んでください、
と言われてしまい、え、修理しないの?と思ってしまったのですが、
この入館者数だと維持するのも大変で細かい修理まで手が回らないのかもしれません。。
と、5分入口で待ってから前後に誰もいない状態になったところで
足を踏み入れると漂う古い匂い。( 一一)
66体の人形で描く佐倉惣五郎の義民伝、66体というのが多いのか少ないのか、
恐らく人形の数が多い(とはいえ、時折人を描いたパネルもあったりする)と
アピールしているのだと思いますが、私が小学生の頃に来たころから人形の入れ替えが
されていないのでは?と言う雰囲気でした。
最後の「第13景 供養の踊り」の女性の人形の顔が蜘蛛の巣状にひび割れていて
かなりホラーな雰囲気を醸し出していたりと、人形のお手入れも惣五郎を中心に行って
いるような(女性の人形は修復の優先順位が低そうな)そんな気がしました。
祖母と大叔母が大泣きしていた「第12景 悲しみの刑場」改めて見ると、
農民のために直訴したが故に子供たちも全員処刑される、
(従来処刑されない女子も男子名に改名の上処刑されたそうです)
五十路になった私も今見ると大泣きして小銭を投げていた2人の気持ちが分かるような
気がしました。といっても私は小銭は投げませんでしたが。(^^;
途中、天井からつるされたミラーボールがぐるぐる回ってる場面もあったりと、
古い施設内で工夫しているのは感じましたが、古い匂いに時の流れを感じるというか、
あの頃から40年以上も経つんだし、自分も年をとったな、としみじみ感じました。
また行くかと言われたら、あと1回くらいは行っちゃうかな、って感じです。
隣の霊宝殿にもちょっと立ち寄って(惣五郎の着物などの他に場所が近いからなのか
Qちゃんの色紙も飾られていました(笑))
苑内の紫陽花をこの後は見学します。
(つづく)
タグ:宗吾参道
銚子&宗吾参道旅行記2022~宗吾参道へ移動編~ [日本の旅(関東)]
袖山さんに会えた銚子電鉄往復も終わり、次の目的地に移動するのですが、
成田行まで時間があったのでしばし銚子駅前をぶらぶらしました。
Suica、使えません。
(Beicaはいつか使えるようになるかもしれませんが(笑))


いつものJR銚子駅ツートップに挨拶して改札を出ると、
前回も観たパネル
ただよく見ると、下の部分が前回はあやめ、今回は菜の花?変わっていました。
大衆酒場ドリーム前のボンビー像に挨拶して
しばし歩いて銚子セレクト市場に到着
lovin姐さんゑ
開店したばかりでお惣菜がなかったのが残念でしたが、
これをいただきます
ヤマサの醤油工場見学の際に売店で食べてから気に入っています。
醤油のコクがソフトクリームによく合います。(^-^)
これも気になりますね
美味しかった!
と、のんびりしていたら成田行の出発時刻まで15分を切っていることに気づき、
(正確にはソフトクリームを食べ始めたのが13分前)
かなり焦って食べて(それでも美味しい)急いで駅に戻って先手間をすませて、
階段を上って成田線の電車が止まっているホームに急ぎました。


写メをとる余裕はなんとなくありました。(笑)
乗って1分くらいで無事発車した成田行、隣の松岸駅でいつもきになっているのが、
宮内食堂さん
地方の定食屋さんだと思うのですが、宮内食堂と書いている文字の上に、
小さく赤い文字で「ワンコップ」と書いてあるのがいつも気になって。
お姉さん二人が近くのボックス席でパンを齧ってるのを横目に爆睡し、
のどかな風景を眺めたら
成田駅に到着
ここから京成線の成田駅まで歩いて移動し、上りの電車に乗って、
宗吾参道駅
京成線の車両基地がある駅ですが、降りたのはおそらく40年以上ぶり。
目的地はここ、宗吾霊堂です
小さい頃、うつぼ家で車を買ってから初詣に成田山新勝寺に行くついでというかで、
宗吾霊堂にも寄ることがあったのですが、行かなくなって既に40年以上経ちます。
今回、銚子に行って、成田経由で実家に帰るなら寄ってみようかな、と思って
途中下車したのですが、駅から宗吾霊堂まで歩いて15分。
この日も猛暑日だったので汗だくになりそうです。(;_:)
義民ロードっていうのね
宗吾霊堂は、佐倉惣五郎(本名は木内惣五郎)を祀ったお寺(鳴鐘山東勝寺)のことで
佐倉市で育った私には、農民を救うため、将軍(徳川家綱)に直訴した英雄として
本を読んで学んだこともある方なわけですが、歌舞伎が好きな方だと、佐倉義民伝として
有名なのでご存じかもしれませんね。
今回、宗吾霊堂にお参りするほかに過去の思い出をたどる場所があるので向かいますが、


日陰なし
強風に吹かれながら日傘をさして坂道をひたすら上って
(途中のお店も廃業しているみたいで寂しい雰囲気)、
やっと参道ぽい雰囲気のところにやってくると、
お蕎麦やさん
昔あったのか記憶がないのですが、地元客と思しきひとたちでかなり賑わっていました。
ここでもいいかな、と一瞬心が揺れたのですが、いやいや思い出の場所へ、と
その先を歩いて、
船が見えたらお店です
甚兵衛そばさん
(食べログ)https://tabelog.com/chiba/A1204/A120402/12010622/
宗吾霊堂にお参りにくるとここで蕎麦を食べるのが贅沢に思えた場所です。
開店直後に入ったので口切客となりましたが、入口で食券を買うのも昔と同じ。
担当のおばあちゃん、40年以上前はもちょっと若くて食券売っていたのかも、
と思いながらお金を払って、着席。


入口では米屋製品も販売されていました
昔は外で行列作って待ってでも食べたかったのですが今はどうなんでしょうね。
お正月は混みそうですが。
成田行まで時間があったのでしばし銚子駅前をぶらぶらしました。
(Beicaはいつか使えるようになるかもしれませんが(笑))
いつものJR銚子駅ツートップに挨拶して改札を出ると、
ただよく見ると、下の部分が前回はあやめ、今回は菜の花?変わっていました。
開店したばかりでお惣菜がなかったのが残念でしたが、
ヤマサの醤油工場見学の際に売店で食べてから気に入っています。
醤油のコクがソフトクリームによく合います。(^-^)
と、のんびりしていたら成田行の出発時刻まで15分を切っていることに気づき、
(正確にはソフトクリームを食べ始めたのが13分前)
かなり焦って食べて(それでも美味しい)急いで駅に戻って先手間をすませて、
乗って1分くらいで無事発車した成田行、隣の松岸駅でいつもきになっているのが、
地方の定食屋さんだと思うのですが、宮内食堂と書いている文字の上に、
小さく赤い文字で「ワンコップ」と書いてあるのがいつも気になって。
お姉さん二人が近くのボックス席でパンを齧ってるのを横目に爆睡し、
ここから京成線の成田駅まで歩いて移動し、上りの電車に乗って、
京成線の車両基地がある駅ですが、降りたのはおそらく40年以上ぶり。
小さい頃、うつぼ家で車を買ってから初詣に成田山新勝寺に行くついでというかで、
宗吾霊堂にも寄ることがあったのですが、行かなくなって既に40年以上経ちます。
今回、銚子に行って、成田経由で実家に帰るなら寄ってみようかな、と思って
途中下車したのですが、駅から宗吾霊堂まで歩いて15分。
この日も猛暑日だったので汗だくになりそうです。(;_:)
宗吾霊堂は、佐倉惣五郎(本名は木内惣五郎)を祀ったお寺(鳴鐘山東勝寺)のことで
佐倉市で育った私には、農民を救うため、将軍(徳川家綱)に直訴した英雄として
本を読んで学んだこともある方なわけですが、歌舞伎が好きな方だと、佐倉義民伝として
有名なのでご存じかもしれませんね。
今回、宗吾霊堂にお参りするほかに過去の思い出をたどる場所があるので向かいますが、
強風に吹かれながら日傘をさして坂道をひたすら上って
(途中のお店も廃業しているみたいで寂しい雰囲気)、
やっと参道ぽい雰囲気のところにやってくると、
昔あったのか記憶がないのですが、地元客と思しきひとたちでかなり賑わっていました。
ここでもいいかな、と一瞬心が揺れたのですが、いやいや思い出の場所へ、と
その先を歩いて、
宗吾霊堂にお参りにくるとここで蕎麦を食べるのが贅沢に思えた場所です。
開店直後に入ったので口切客となりましたが、入口で食券を買うのも昔と同じ。
担当のおばあちゃん、40年以上前はもちょっと若くて食券売っていたのかも、
と思いながらお金を払って、着席。
昔は外で行列作って待ってでも食べたかったのですが今はどうなんでしょうね。
お正月は混みそうですが。
フロア担当のおばちゃんたちもここでの勤務歴が長そうな感じの人ばかりでした。
メニューが少ないのでここでじっくり腰を据えて呑むという感じのお店ではないです。
船の形をしているせいろ、甚兵衛の渡しがモデルになっているのですが、
甚兵衛さんという船乗りが直訴した惣五郎を逃がすために船を出した、
というのが(甚兵衛さんもその後自ら身投げ)甚兵衛の渡しと言われていて
小さいころはそんなことも知らずに船の形のせいろにのったお蕎麦、と
テンション上げていましたが(しかも2枚ぺろりと食べていた)、
大人になって渡し船の形、せつなく思えてしまいますね。
お蕎麦は乾麺ですが茹で方が巧いのでつるつるっとのど越しよく、
ただおつゆがぬるくて残念でしたが、思い出はきれいに補正されているのか
もっと美味しいと思っていたので普通に美味しい、という感じでした。
蕎麦湯をのんでいたらさげますねー、とおばちゃんがせいろを運んでいきました。
混んでいるときは分かりますが店内3組でもそれやるのね、と思いながら長居無用と
お店を出ました。
次回宗吾参道(宗吾霊堂)に来るときは手前にあったお蕎麦屋さんに行って
蕎麦前で呑んで〆にもりそばにしよう。(^^;
この後は、今回の旅の一番の目的の場所に向かいます。
(つづく)
銚子&宗吾参道旅行記2022~銚子電鉄編②~ [日本の旅(関東)]
キャベツ畑がとうもろこし畑に変わっているものの、
既視感たっぷりの銚子電鉄記事ですが、終点外川駅まできたら折り返します。
(今回も銚子電鉄は一往復のみです)
既視感たっぷりの銚子電鉄記事ですが、終点外川駅まできたら折り返します。
(今回も銚子電鉄は一往復のみです)
関東地方で初めての観光遊覧車という説明を見ると、
当時の銚子市や銚子電鉄の勢いを感じます。(ドラマは1985(昭和60)年)
一日4往復、ドラマを見た人たちがこぞって銚子にやってきていたんだろうな、と
今の銚子電鉄からは想像しづらいのですが満員御礼状態な様子を想像しました。
ヘッドマークは復刻しているのは知っていましたが、
そのうち、ルヴァン靖子さんと川野太郎さんがやってきて、
澪つくし再現的な場面が銚子電鉄で観られたら楽しいでしょうね。
お約束の駅舎とコラボベンチを見たら電車に再び乗ります。
銚子に戻るときは折角なのでピンクニュージンジャー号の車両ではなく、
きゃりーぱみゅぱみゅ号の車両に座ります。
この車両だけだったらインパクトがあると思うのですが、
隣のピンクニュージンジャー号があまりにも凄すぎて、きゃりーちゃんの世界が
ひたすら普通に可愛らしく見えてしまう不思議。
(外川駅、紫陽花がきれいでした)
問題を逆手にとるというか自虐的にアピールすることで遠方の方にもファンが増えた、
と思っていますが、今回のきゃりーちゃんによる援軍はインパクトあるでしょうね。
ぱみゅぱみゅちゃんのアナウンス聴きながら(時折車掌の馬上さんアナウンスもあり)、
問題が車内にたくさん掲げてあったので見てみると、
関東の最東端で食品製造業。(笑)
商工リサーチでも食品製造業に分類されているのもある意味アピールポイントですね。
この話、昨年直江津のイベント(えちごトキめき鉄道との姉妹鉄道締結式)で
竹本社長が話していて爆笑したのですが、その時の記事から抜粋しますと、
改札でBeicaを見せると、駅員がピッと言って改札を通れるシステムで、
たとえば、亀田製菓もよし、
ベイカーさんの件で吹いたのですが、駅員がピッと言うという発想も
お金のない銚子電鉄ならでは、ですね。
今回、久しぶりのピンクニュージンジャー号&お初のきゃりーぱみゅぱみゅ号を
見ることが出来てよかった!と銚子電鉄でテンションが上がったところで
次の目的地に向かいます!
(つづく)
銚子&宗吾参道旅行記2022~銚子電鉄編①~ [日本の旅(関東)]
昨日まで銚子旅行記2022(弐)を書いておりましたが、
この日帰り旅行の2週間後に訪れた銚子、と、このブログで書くのは初めての
宗吾参道を訪れた時の話をアップします。
銚子の既視感(笑)はどうぞご容赦の上読んでやってください。<m(__)m>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6月初めに銚子を訪れた時、車掌の袖山さんから7月からは運転がメインになると聞き、
車掌の袖山さんに会えるのも6月いっぱい、、、と思ったら急に銚子に行きたくなり、
リハビリ中でも安心な(知っているところだと不安が少ない)銚子に行きました。
我孫子駅の弥生軒
5時台なので当然開いていませんが、日が長くなって外はすっかり明るいです。
この日帰り旅行の2週間後に訪れた銚子、と、このブログで書くのは初めての
宗吾参道を訪れた時の話をアップします。
銚子の既視感(笑)はどうぞご容赦の上読んでやってください。<m(__)m>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6月初めに銚子を訪れた時、車掌の袖山さんから7月からは運転がメインになると聞き、
車掌の袖山さんに会えるのも6月いっぱい、、、と思ったら急に銚子に行きたくなり、
リハビリ中でも安心な(知っているところだと不安が少ない)銚子に行きました。
5時台なので当然開いていませんが、日が長くなって外はすっかり明るいです。
同じホームで銚子行に乗り換えるのですが20分以上ある&強風だったので、
階段を上がって待合室に行くと、
換気のためですから仕方ありませんね。
案の定奥の席から埋まっていたので、入口付近の席に座ってぼーっとした後、
冬は暖房が最弱なのか入っていないのか、凍えそうな寒さの銚子行、
夏は夏で冷房効きすぎで凍えそうなのですが、この日は冷房ゆるく、
窓も開いていたので、持参したパーカーを着ることもありませんでした。(^-^)
目の前に座るおじさんが大きなカバンを2つ横に置いてスマホを観ていたのですが
イヤホンをしていないので大音響でハングル語が聞こえていました。
私自身がイヤホンして音楽を聴き始めた&おじさんが笑いながらスマホを観ていたので
おじさんもなんだか楽しそうだし、まいっか、という気分になりました。
今回、銚子に行くのは袖山さんの車掌姿を目に焼き付けるのが目的で、
どちらかといえばその後にいく宗吾参道がメイン、、かもしれません。
(理由は後述しますが40年以上ぶりに訪れる場所です)
千葉トクだったか、当時県民割みたいなのがあったので宿泊してもよかったのですが、
銚子の宿泊、意外と高いので、今回は軽く1往復のみです。
車掌は袖山さんでした。(^O^)/
2週前に来たときに来月から運転業務にシフトすると聞いてきました、と言いながら、
好物の透明な液体(白ワイン)と社員の皆さんへ焼き菓子を渡しました。
やっぱり今日来てよかったなあ、と銚子での大きな目的を果たせた気分です。(笑)
と、ご挨拶できた充実感に漲りながら先頭車両に向かいます。
1月に乗った時はLEDが網棚上あたりに張り巡らされていた記憶なのですが、
その後、こういうライトも追加で設置したのかもしれませんね。
岩下の新生姜とSide Mのコラボ、銚子電鉄とのコラボから更に進んでコラボ先同士が
更にコラボするという、コラボの相乗効果のような、ここにきゃりーちゃんも
絡まないかな、いや絡まないだろうな、想像しても無理そうな気がします。(笑)
その色褪せを補うかのような天井のライト、お金がない中での工夫が感じられます。
アルパカちゃんの上にSide Mのキャラクターが乗っていました。
これだけ銚子で観ていてSide Mについて全く知識がない自分もどうなんだろう、
とAmazonプライムとNetflix(加入している)で探したら見られず、
U-Nextなら見られるみたいですが、これ以上課金されるのも、、、でもみたい、、、
葛藤しています。(^-^;
タブレット交換後、銚子行に乗って折り返していきました。。
緑のトンネル(車両の周りが木だらけ)を通っているとき、車内暗くなるので
ピンクのイルミネーションが日中なのになまめかしく映えました。(笑)
仲ノ町駅から新入社員の明賀さん(背の高い車掌さん)や、柏木常務が乗ってきて
通勤時間帯なんだと思っていたのですが、
以前も、売店横から柏木常務がガタガタ(銚電シールが出てくるがちゃがちゃ)を
もって設置したのを見たことがあるので、朝一は犬吠駅に来て一仕事なのかな、
と思っているとあっと言う間に終点の外川駅。
(つづく)
銚子旅行記2022(弐)~入梅鰯を食べたら帰る編~ [日本の旅(関東)]
今回の銚子電鉄は一往復で終了です。
この後は、銚子駅付近を散策して入梅鰯をいただいたら実家に帰ります。
最初に駅から漁港(利根川)の方に向かって歩いて、
定点観測スポット的な金物屋さん
銚子セレクト市場
昔、十字屋銚子店があった場所、閉店後、この市場が移転したそうですが、
百貨店って本当に減っているんだなあとこういうところでも感じます。
lovin姐さんゑ
ここで販売されているお惣菜を実家の夕飯用に調達しました。
銚子のキャベツを使ったキャベツメンチ、いわし天ぷら、銚子電鉄のぬれ煎餅、 と、
ちょうど運ばれてきた出来たての大塚支店の焼売を購入。
市場内のレストランで
鯖ラーメン、美味しそうだなあ、と入梅鰯が目的なのに気持ちが揺れ揺れです。
買い物した後は、突き当りを右折して、
見えてきたビル
この後は、銚子駅付近を散策して入梅鰯をいただいたら実家に帰ります。
最初に駅から漁港(利根川)の方に向かって歩いて、
昔、十字屋銚子店があった場所、閉店後、この市場が移転したそうですが、
百貨店って本当に減っているんだなあとこういうところでも感じます。
ここで販売されているお惣菜を実家の夕飯用に調達しました。
銚子のキャベツを使ったキャベツメンチ、いわし天ぷら、銚子電鉄のぬれ煎餅、
ちょうど運ばれてきた出来たての大塚支店の焼売を購入。
鯖ラーメン、美味しそうだなあ、と入梅鰯が目的なのに気持ちが揺れ揺れです。
買い物した後は、突き当りを右折して、
今年一月に訪れたユニークな博物館ですが、今回ここに来た理由はこれ。
大内かっぱハウスの相馬館長がメダカを買ってきてお引越ししたYouTubeを観たので、
実際どうなっているのかな、と思って立ち寄りました。
このまま黙って帰るのも、、、と思って入口のドアを開けて相馬館長と暫しお話。
テレビ取材でここが取り上げられた時、相馬館長が歌った歌、
この歌が良かったことを伝えて大内かっぱハウスを後にしました。
ここから銚子セレクト市場に戻って、鯖ラーメン、とお店に行くと、
これはいずれ、、と宿題にして、銚子駅方向に歩きながら銚子プラザホテルの廣半さんへ。
(食べログ)https://tabelog.com/chiba/A1205/A120501/12005893/
お店に着いたのは11時、店内ガラガラだったのでどこでも座り放題だろう、と
窓側の席に座っていいですかとお店のおばちゃんに聞いてみると、
「予約で埋まってますからカウンターに座ってください!」と言われてしまいました。
窓側席(テーブル6卓か7卓くらいある)が全部予約でいっぱいなの?
以前来た時(マンボー中だったかで店内ほぼ貸切状態)はフレンドリーだったのに
今回はずいぶん強気だなあと思いながらカウンター席に着席しました。
入梅鰯のご膳はいわし漬け丼と刺身、天ぷら、つみれ汁、とボリューム満点、
以前、鯖づくしセットをいただいて食べきれなかったことを思い出すと、
全部は無理そうだなあと思っていわし漬け丼とつみれ汁を注文しました。
と、漬け丼にはわかめの味噌汁がつくんですけど、どうします?と聞かれたので
お味噌汁は要りませんと答えると、お値段変わりませんよ、どうします?と再度聞かれ、
つみれ汁があるのでお味噌汁は要りません、と答えました。
つみれ汁にお味噌汁も付けたらお腹がガボガボになりそう。(笑)
注文後、電話が鳴って、はい、お一人ですね、どうぞどうぞ、と答えるおばちゃん、
その5分後にやってきた一人客のおじちゃん、窓側テーブルに案内されていました。
予約で埋まってなかった窓側席。(^-^;
レジを観ながら食べるのもなんだか寂しい。。
地元民と思しきお客さんたちの注文の半分以上が五目焼きそばで、
こういうところで鯖や鰯を注文するのって観光客なんだろうな、思っていたら、
注文して30分弱くらいでお料理が運ばれてきました。
けっこうなボリューム
うまみたっぷりのつみれ汁
漬け丼
ごはん少なめでお願いしたのですが、それでも鰯の盛りが凄いです。


こういうところで鯖や鰯を注文するのって観光客なんだろうな、思っていたら、
注文して30分弱くらいでお料理が運ばれてきました。
ごはん少なめでお願いしたのですが、それでも鰯の盛りが凄いです。
大ぶりの鰯を三枚におろして半身を半分にきって漬けにしてのせた感じで、
大きな切り身が8枚、おそらく入梅鰯2尾分のボリュームでした。
折角銚子に来て入梅鰯を残すのはもったいない、という気持で食べきりましたが、
おそろしく満腹太郎でした。(夕方までお腹が全然減らなかった)
激熱で持てなかった茶わん蒸し
味噌汁は要らないと言った代わりに出してくれたみたいですが、
鰯を食べてお腹いっぱいで茶わん蒸しは2口くらい食べて終了しました。
お気遣いなんだと思いますが、食べられずもうしわけなしです。(^-^;
お店に入って1時間くらいでお会計しましたが、結局テーブル席に座っていたのは
2組だけで、鰯は美味しいのにちょっとモヤモヤが残る廣半さんでありました。
日本初の修学旅行到達の地の碑を見たら
銚子駅に到着
また来ます。
駅前のNEW DAYSで鯖寿司を買うと200円値上げされていました。
今年に入って色々なものが値上げされているので仕方ないのですが、
1000円で買えたものが1200円となると一瞬買うのを考えてしまいます。
で、鯖寿司、焼き鯖寿司(プレーンと柚子味の2種)の3種類が販売されているのですが、
念のため、と、消費期限を確認すると、この日の朝9時までになっていて。(。´・ω・)?
当日納品されているもののはず、と思って店員さんに消費期限が間違っているみたいです、
と伝えて、鯖寿司1パックを買って、改札を通って
成田行に乗車します
乗った時、保冷バッグの中から漂う大塚支店の焼売の匂いが凄くて(;_:)、
蓬莱551みたい!と思いつつ、車内は空いてるから心配なし、
満腹過ぎて車内では爆睡してしまいました。
途中起きて写メ
あっと言う間に成田駅に着いたら京成線に乗り換えます
ホームの台は行商さん用
以前も書いたと思いますが、実家の最寄り駅にもあって、都内に行商にいくおばちゃんたちが
野菜などの品物の入ったカゴをこの台に置くために行商さんが乗り降りする駅には
今でもこうやっておいてあるのですが、小さい時にホーム沿いに長い距離で置いてあった台も
今ではこのくらいに減ってしまいました。
物流も発達してとれたての野菜も簡単に都内で手に入る時代に行商さんという存在が必要と
されなくなってきたのかな、と思うと時の流れを感じます。寂しいのですが。
スカイライナー
山本寛斎デザインと聞いたとき、なんで京成の車両をカンサイヤマモトが?
と不思議に思ったのですが、今ではすっかり見慣れました。
田んぼを見ながら帰宅
お土産いろいろ
プレミアムぬれ煎餅に鯖寿司
大塚支店の焼売


キャベツメンチといわし天ぷらと焼売をつつきながら鯖寿司を食べる、
豪華な夕飯となりました。(お酒はちょっとだけ)
アームホルダーがとれてから初めての長距離移動でしたが、
勝手知ったると言うか慣れているルートでの移動だったので不安もなく、
袖山さんと話して写経してぱみゅぱみゅの世界を楽しんで、
リハビリが続く中でもまた銚子に行けるかな、と自信がついた銚子行でありました。
(これにて銚子旅行記2022(弐) おわり)
大きな切り身が8枚、おそらく入梅鰯2尾分のボリュームでした。
折角銚子に来て入梅鰯を残すのはもったいない、という気持で食べきりましたが、
おそろしく満腹太郎でした。(夕方までお腹が全然減らなかった)
味噌汁は要らないと言った代わりに出してくれたみたいですが、
鰯を食べてお腹いっぱいで茶わん蒸しは2口くらい食べて終了しました。
お気遣いなんだと思いますが、食べられずもうしわけなしです。(^-^;
お店に入って1時間くらいでお会計しましたが、結局テーブル席に座っていたのは
2組だけで、鰯は美味しいのにちょっとモヤモヤが残る廣半さんでありました。
駅前のNEW DAYSで鯖寿司を買うと200円値上げされていました。
今年に入って色々なものが値上げされているので仕方ないのですが、
1000円で買えたものが1200円となると一瞬買うのを考えてしまいます。
で、鯖寿司、焼き鯖寿司(プレーンと柚子味の2種)の3種類が販売されているのですが、
念のため、と、消費期限を確認すると、この日の朝9時までになっていて。(。´・ω・)?
当日納品されているもののはず、と思って店員さんに消費期限が間違っているみたいです、
と伝えて、鯖寿司1パックを買って、改札を通って
乗った時、保冷バッグの中から漂う大塚支店の焼売の匂いが凄くて(;_:)、
蓬莱551みたい!と思いつつ、車内は空いてるから心配なし、
満腹過ぎて車内では爆睡してしまいました。
以前も書いたと思いますが、実家の最寄り駅にもあって、都内に行商にいくおばちゃんたちが
野菜などの品物の入ったカゴをこの台に置くために行商さんが乗り降りする駅には
今でもこうやっておいてあるのですが、小さい時にホーム沿いに長い距離で置いてあった台も
今ではこのくらいに減ってしまいました。
物流も発達してとれたての野菜も簡単に都内で手に入る時代に行商さんという存在が必要と
されなくなってきたのかな、と思うと時の流れを感じます。寂しいのですが。
山本寛斎デザインと聞いたとき、なんで京成の車両をカンサイヤマモトが?
と不思議に思ったのですが、今ではすっかり見慣れました。
キャベツメンチといわし天ぷらと焼売をつつきながら鯖寿司を食べる、
豪華な夕飯となりました。(お酒はちょっとだけ)
アームホルダーがとれてから初めての長距離移動でしたが、
勝手知ったると言うか慣れているルートでの移動だったので不安もなく、
袖山さんと話して写経してぱみゅぱみゅの世界を楽しんで、
リハビリが続く中でもまた銚子に行けるかな、と自信がついた銚子行でありました。
(これにて銚子旅行記2022(弐) おわり)
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