「ぶらり銚子電鉄ニコニコ途中下車の旅」2024~圓福寺編③~ [日本の旅(関東)]
土砂降りが時折小降りになるものの雨が上がる気配のない銚子で、
なんでも鑑定団に出たというお宝たちを見学した後は、歩いて飯沼観音に
向かいますがその前にお寺敷地内でもうちょっと見学。
入口近くにある歌碑。
参加者のお一組が埼玉からのご参加と聞いたご住職が埼玉に因んだもの、
として紹介してくれました。
江戸時代、埼玉(入間郡越生町)の豪商の鈴木金兵衛さん(俳号:古帳庵)が
俳諧の友である銚子の豪商、田中玄蕃、野崎小平次らに招かれた時によんだ句が
「ほととぎす 銚子は國の とっぱつれ」、今では銚子を代表する句となって
いるそうです。確かに銚子は関東の最東端ですから、とっぱずれ、ですね。
この他、祠みたいなところに入っている神龍丸という船の船首像を観ました。
(写真撮ったのですがぼやけすぎてさすがに載せられません(^-^;)
この船、国木田独歩の父である専八が乗っていた播磨龍間藩の御用船で、
異国のご婦人の姿をしているのですが婦人病を治してくれるという信仰が
あるそうです。私も病がちな年頃で色々あるので手を合わせました。
昨日の記事でも書きましたが、圓福治飯沼観音は坂東三十三所の第二十七番、
本尊の十一面観世音を漁夫の清六と長蔵が海から拾い上げて、
彼らが後に出家して観清(清六)、音長(長蔵)と称し、草庵を結んんで尊像を
安置加持して諸人の病を癒し、虐除(ぎゃくよけ)法師と呼ばれたそうです。
その後、弘法大師が巡錫したとき、海中から拾われたままの状態だったため、
台座や光背を作って開眼供養を行い、その後、この地の海上長者と称する豪族が、
財を提供し壮麗な伽藍を建立されました。
その後広い敷地に多宝塔や大師堂、鐘楼堂なども整備されていた圓福寺さんも
第二次世界大戦の空襲で多くが焼失(その後おそらく再建)し、現在のように
2ヶ所に分かれてしまっているので、横断歩道を渡ったりと数分歩きます。
仁王門には阿形と吽形がいらっしゃいました。
トイレの仏様
以前も記事でご紹介しましたが、敷地内の洗手間には仏様がいらっしゃいますが、
不浄除け、金運上昇にご利益があるそうです。
桜もかなり咲いていましたがこの雨で花びらが散っているのが残念。。。
望願叶石、というのが木の下に置いてあったのですが、あまり欲張っても
いけないな、と思いながら「二度と転びませんように(笑)」と願いました。
この石(飯沼水準原標石)についても以前記事で書いたような記憶があるのですが、
1872年12月、明治政府が招聘したオランダの土木技師者(LA リンド氏)によって
日本における河川測量の原点として、圓福寺境内に設置されたものだそうです。
2015年、「日本選奨土木遺産」に指定されたという説明もあり、建築関連に興味の
ある方だと興味が湧く石なのでしょうね。
本堂と五重塔。雨が凄くてスマホのカメラも濡れていて写真もこんな感じ。
大仏様
第二次世界大戦で被弾された大仏様ですが、その後被弾部分は修復されて
今はこんな感じで丸い模様が入ったように見えます。
銚子の地酒 菰樽はずっと見ていても飽きません
以前酒蔵にお酒を買いにいきましたが、飯沼観音様から数分の距離にあります。
本堂には十一面観音様が安置されていますが、その両脇の天井には
坂東三十三所の観音様の絵が描かれています。
反対側にも秩父だったか西国だったか同じように観音様の絵が描かれていますが、
絵馬も置いてあって願い事を書くことができます。
(その横には観音様を海から拾った清六さんの像もあります)
今回の参加者でお子さんは小学生男子1人だったので、ガイドで同行していた
車掌の馬上さんにべったりくっついていて(彼女にしたいと思っていたらしい)
その光景がずっと微笑ましかったのですが、絵馬に願い事を書くときも男子は
とても楽しそうで、おそらく中年や老年の大人たちと一緒に銚子旅といっても
あまり楽しくはなかったかのかもしれないと思うと馬上さんの存在は「神」です。
と、観音様に手を合わせた後は、再び大師堂に移動します。
この時も雨はザンザン振り、撥水加工されていない上着も水分で重たくなり、
再び濡れた靴を脱いで絨毯に足跡をつけながら畳のお部屋へ。
頂戴しました
銚子に茶畑は有りませんがお寺ならではのお心遣いですね。
1グループに1包配給
旅程表に書いてあった「さのや」さんの今川焼。
観音様の裏手にお店があるのは知っているのですが、いつも混んでいて
(地元の方もお土産などで大量に購入されています)
あとは今川焼が大きいのでこれを食べるとご飯食べられない、と思って
未だに食べたことがなかった今川焼きが今回いただけてラッキーです。
白あん、つぶあんの2種類、Sちゃんと半分ずつ分けていただきました。
手で半分にするともうもう上がってくる湯気、出来立て熱々で皮もかりっとしていて、
ずっしりあんこもそれほど甘くなくてくどさがなく、あっという間に完食。
次回銚子に行く時はさのやさんに絶対行こう、と思いました。
今川焼をいただいたところで圓福寺さんの見学は終了。
この後は、銚子電鉄らしい企画がありました。(笑)
(つづく)
なんでも鑑定団に出たというお宝たちを見学した後は、歩いて飯沼観音に
向かいますがその前にお寺敷地内でもうちょっと見学。
入口近くにある歌碑。
参加者のお一組が埼玉からのご参加と聞いたご住職が埼玉に因んだもの、
として紹介してくれました。
江戸時代、埼玉(入間郡越生町)の豪商の鈴木金兵衛さん(俳号:古帳庵)が
俳諧の友である銚子の豪商、田中玄蕃、野崎小平次らに招かれた時によんだ句が
「ほととぎす 銚子は國の とっぱつれ」、今では銚子を代表する句となって
いるそうです。確かに銚子は関東の最東端ですから、とっぱずれ、ですね。
この他、祠みたいなところに入っている神龍丸という船の船首像を観ました。
(写真撮ったのですがぼやけすぎてさすがに載せられません(^-^;)
この船、国木田独歩の父である専八が乗っていた播磨龍間藩の御用船で、
異国のご婦人の姿をしているのですが婦人病を治してくれるという信仰が
あるそうです。私も病がちな年頃で色々あるので手を合わせました。
昨日の記事でも書きましたが、圓福治飯沼観音は坂東三十三所の第二十七番、
本尊の十一面観世音を漁夫の清六と長蔵が海から拾い上げて、
彼らが後に出家して観清(清六)、音長(長蔵)と称し、草庵を結んんで尊像を
安置加持して諸人の病を癒し、虐除(ぎゃくよけ)法師と呼ばれたそうです。
その後、弘法大師が巡錫したとき、海中から拾われたままの状態だったため、
台座や光背を作って開眼供養を行い、その後、この地の海上長者と称する豪族が、
財を提供し壮麗な伽藍を建立されました。
その後広い敷地に多宝塔や大師堂、鐘楼堂なども整備されていた圓福寺さんも
第二次世界大戦の空襲で多くが焼失(その後おそらく再建)し、現在のように
2ヶ所に分かれてしまっているので、横断歩道を渡ったりと数分歩きます。
仁王門には阿形と吽形がいらっしゃいました。
トイレの仏様
以前も記事でご紹介しましたが、敷地内の洗手間には仏様がいらっしゃいますが、
不浄除け、金運上昇にご利益があるそうです。
桜もかなり咲いていましたがこの雨で花びらが散っているのが残念。。。
望願叶石、というのが木の下に置いてあったのですが、あまり欲張っても
いけないな、と思いながら「二度と転びませんように(笑)」と願いました。
この石(飯沼水準原標石)についても以前記事で書いたような記憶があるのですが、
1872年12月、明治政府が招聘したオランダの土木技師者(LA リンド氏)によって
日本における河川測量の原点として、圓福寺境内に設置されたものだそうです。
2015年、「日本選奨土木遺産」に指定されたという説明もあり、建築関連に興味の
ある方だと興味が湧く石なのでしょうね。
本堂と五重塔。雨が凄くてスマホのカメラも濡れていて写真もこんな感じ。
大仏様
第二次世界大戦で被弾された大仏様ですが、その後被弾部分は修復されて
今はこんな感じで丸い模様が入ったように見えます。
銚子の地酒 菰樽はずっと見ていても飽きません
以前酒蔵にお酒を買いにいきましたが、飯沼観音様から数分の距離にあります。
本堂には十一面観音様が安置されていますが、その両脇の天井には
坂東三十三所の観音様の絵が描かれています。
反対側にも秩父だったか西国だったか同じように観音様の絵が描かれていますが、
絵馬も置いてあって願い事を書くことができます。
(その横には観音様を海から拾った清六さんの像もあります)
今回の参加者でお子さんは小学生男子1人だったので、ガイドで同行していた
車掌の馬上さんにべったりくっついていて(彼女にしたいと思っていたらしい)
その光景がずっと微笑ましかったのですが、絵馬に願い事を書くときも男子は
とても楽しそうで、おそらく中年や老年の大人たちと一緒に銚子旅といっても
あまり楽しくはなかったかのかもしれないと思うと馬上さんの存在は「神」です。
と、観音様に手を合わせた後は、再び大師堂に移動します。
この時も雨はザンザン振り、撥水加工されていない上着も水分で重たくなり、
再び濡れた靴を脱いで絨毯に足跡をつけながら畳のお部屋へ。
頂戴しました
銚子に茶畑は有りませんがお寺ならではのお心遣いですね。
1グループに1包配給
旅程表に書いてあった「さのや」さんの今川焼。
観音様の裏手にお店があるのは知っているのですが、いつも混んでいて
(地元の方もお土産などで大量に購入されています)
あとは今川焼が大きいのでこれを食べるとご飯食べられない、と思って
未だに食べたことがなかった今川焼きが今回いただけてラッキーです。
白あん、つぶあんの2種類、Sちゃんと半分ずつ分けていただきました。
手で半分にするともうもう上がってくる湯気、出来立て熱々で皮もかりっとしていて、
ずっしりあんこもそれほど甘くなくてくどさがなく、あっという間に完食。
次回銚子に行く時はさのやさんに絶対行こう、と思いました。
今川焼をいただいたところで圓福寺さんの見学は終了。
この後は、銚子電鉄らしい企画がありました。(笑)
(つづく)