金沢旅行記2023~あとは帰る編~ [日本の旅(北陸)]
小松空港内をぶらぶらしてお土産を買ってすることがなくなってしまったので、
lovin姐さんゑ
(顔出しの位置が低くて屈まないと顔が出せなさそう(^-^;)
保安検査もスイスイ通過し、
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ラウンジでまったり
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落ち着いた雰囲気です
端っこのソファ席に座ったのですが、近くにいたおじさんが牛乳をお代わりするのに
何度も目の前を通過するので何回くらいお代わりするのか気になってみていたら、
4杯目の牛乳を飲んだ後におじさん、寝てしまいました。
大人になってからお腹ごろごろになりがちであまり牛乳は飲まなくなったのですが、
嬉しそうにお代わりのコップを持って歩いているおじさんを見たら
私も牛乳飲もうかなという気持になりました。(^-^)
フライトの出発時刻まで1時間を切ったあたりでラウンジも混み始め、
私の目の前のカウンター席では私より年長のご夫婦が楽しそうにビールを呑んでいて、
一人旅は気楽だけれど二人で旅するのも楽しそうだなあ、と羨ましく思ったり、
近くのソファ席にやってきたアラフォーぽい夫婦2組がやってきて隣のテーブルも使って
「優先席」の札が置いてあるソファ席に「優先席を使う人なんて来ないから大丈夫よ」」と
大量の荷物を置いた後、柿の葉寿司を食べながら大声で話している光景にいらついたり
(ラウンジがほぼ満席になっても荷物をソファ席から移動させずに喋っていたので
貸切じゃないんだしなあ、なんて思ってしまいました。)
早めに移動しようと、ラウンジを出て搭乗口に移動しました。
と、搭乗予定の機材の到着が10分遅れで、出発も10分遅れとなりましたが、
こういう時に慌ただしく対応されている地上スタッフや乗務員、お掃除の方々等のお陰で
それ以上遅れることなく無事搭乗できました。
帰りも同じ機材です
搭乗前、飛行中は揺れが強いため、本日は冷たいお飲み物の提供のみ、とか、
お手洗いは搭乗前にお済ませ下さい、と何度もアナウンスがあったので、
どのくらい揺れるんだろうという不安と共に飛行機に乗っております。
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(顔出しの位置が低くて屈まないと顔が出せなさそう(^-^;)
保安検査もスイスイ通過し、
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端っこのソファ席に座ったのですが、近くにいたおじさんが牛乳をお代わりするのに
何度も目の前を通過するので何回くらいお代わりするのか気になってみていたら、
4杯目の牛乳を飲んだ後におじさん、寝てしまいました。
大人になってからお腹ごろごろになりがちであまり牛乳は飲まなくなったのですが、
嬉しそうにお代わりのコップを持って歩いているおじさんを見たら
私も牛乳飲もうかなという気持になりました。(^-^)
フライトの出発時刻まで1時間を切ったあたりでラウンジも混み始め、
私の目の前のカウンター席では私より年長のご夫婦が楽しそうにビールを呑んでいて、
一人旅は気楽だけれど二人で旅するのも楽しそうだなあ、と羨ましく思ったり、
近くのソファ席にやってきたアラフォーぽい夫婦2組がやってきて隣のテーブルも使って
「優先席」の札が置いてあるソファ席に「優先席を使う人なんて来ないから大丈夫よ」」と
大量の荷物を置いた後、柿の葉寿司を食べながら大声で話している光景にいらついたり
(ラウンジがほぼ満席になっても荷物をソファ席から移動させずに喋っていたので
貸切じゃないんだしなあ、なんて思ってしまいました。)
早めに移動しようと、ラウンジを出て搭乗口に移動しました。
と、搭乗予定の機材の到着が10分遅れで、出発も10分遅れとなりましたが、
こういう時に慌ただしく対応されている地上スタッフや乗務員、お掃除の方々等のお陰で
それ以上遅れることなく無事搭乗できました。
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搭乗前、飛行中は揺れが強いため、本日は冷たいお飲み物の提供のみ、とか、
お手洗いは搭乗前にお済ませ下さい、と何度もアナウンスがあったので、
どのくらい揺れるんだろうという不安と共に飛行機に乗っております。
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隣の席に座っているのがスーツを着ているもののサラリーマンには見えないおじさんで、
背が高く筋肉質ぽい感じ、姿勢がよくて耳にイヤホンをつけていてSPのように見えました。
(通路を挟んだところに政治家ぽいおじさんと秘書ぽいおじさんが座っていたし)
SPさん(⇐勝手に命名)、ビニール袋に入ったお弁当3個を足元に置いていたのですが、
CAさんに離着陸時は前の席のスペースに入れて下さいと注意されていました。
どこかでいただいたお弁当を食べる時間がなかったのか、レストランで食事して
お弁当が余ってしまったのか、って感じかもしれませんが、背もたれによりかからず
背筋を正して座っているSPさん(身長190㌢くらい)が気になってチラ見してました。(^-^;
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2015年のアシアナ航空の事故機に乗っていたちょびひげM兄さんが大変だったのを
当時テレビの生中継で観ていた&兄さんからお話聞いたこともあって、
それ以前から毎回安全のビデオ(とかデモ)は毎回みていますが、
事故以降はもっと熱心に観るようになりました。
安全無事故運航は色々な人達のお陰で成り立っていることに感謝しながら毎回飛行機に
乗りたいと思っています。
離陸後10分くらいで冷たい飲み物をCAさんが配っていましたが、ここで飲まなくてもいいか、
とパスしたら、その10分後にはCAさんも再び着席し、到着15分前ごろから機体が大きく揺れて、
ひえーと思っていたら、近くの赤ちゃんも絶叫していたものの、隣のSPさんは姿勢を崩さず
前を凝視するようなお姿で座っていらっしゃいました。
定刻より少々遅れて羽田空港に到着し、ゲートについてすぐ降機することができましたが、
SPさんと政治家&秘書ぽい3人はJALスタッフの方に案内されて真っ先に降機し、
ボーディングブリッジをちょっと歩いたところにある階段を下りていきました。
(3人が降りた後、JALスタッフがチェーンをかけて他の人が降りられないようにしていた)
階段降りたところにお迎えの車が来ているのかもしれないな、なんて思いながら、
庶民の私は出口まではるばる歩いて北千住行の高速バスに何とか乗ることができたので、
羽田から1時間40分くらいで帰宅できました。(モノレールで帰るよりこれでも早いです)
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(銭屋五兵衛記念館に行く途中に洗手間をお借りしたセブンイレブンで購入)
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お店のおばちゃんが「明日までもつから」と勧めてくれたので買ったのが、
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米八というお店の安宅乃関所寿司という名前の押し寿司、
鯖、紅鮭、海老、鯛の具材がちょっとずつ重なって並べてあって
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今回久しぶりの金沢を訪れましたが、メジャーな観光スポット以外でも
金沢の歴史や土地について学べる良い機会となりました。
思いつきで慌ただしく手配して訪れたので次回はもうちょっと余裕をもって計画して
訪れてみたいです。(^-^)
(これにて金沢旅行記2023 おわり)
金沢旅行記2023~小松空港ぶらぶら編~ [日本の旅(北陸)]
回転寿司のお店で美味しい地元のお魚に満足した後は、小松空港にバスで移動します。
バスの待合室が混んでいて座れなかったので、大混雑の駅ビル内をぶらぶらし、
バス出発時刻の5分前に戻る途中で見かけたのが
こんな注意書き
外国人観光客が日本ではいつでもコンビニでお酒が買えると喜んで外呑みしているのを
テレビでも実際でも見たことがありますが(昼以降しかお酒が買えない国が多い)
日本人のグループでの路上飲酒も含めて、駅前など人の往来の多いところで、
周囲を気にせずに飲んだり騒いだりというのは、本人たちはよいかもしれませんが、
観ている方は決していい気持ちにはなりませんしねぇ。( 一一)
お行儀悪い人がいなくなりますようにと思いながらバスに乗車し一路小松空港へ。
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海が見えました
空港までの最終バスが満席で乗れないと、、なんて思って早めのバスに乗ったら
(それでも8割くらいの混み具合)
小松空港には飛行機の出発時刻の2時間以上前に到着していました。(笑)
クラスjにアップグレードできてラッキー♪
お腹は空いていないので暫し空港内をぶらぶらしました。
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恐竜が結構激しく動いていましたが、福井って恐竜王国なんですね。
福井も大学生の頃に行った東尋坊くらいしか記憶がなく(40年近く前の話)
福井も宿題にしようと思います
義経に弁慶?
小松空港のエリアに安宅の関の跡があるのですね。(歌舞伎の勧進帳の舞台)
ネットの便利さのお陰で勉強になりました。(^-^;
桜の木が華やかです
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-8d3e2.jpeg)
空港の出発ロビーの端の方には飛行機デザインのグッズのお店や、
ビジネスエリア(簡易型の個室)がありましたが、
羽田行まで時間があるせいか空港内は空いていて、ベンチも座りたい放題。
ビジネスエリアなどを見ると、以前はテナントが入っていたのが、
コロナ禍でフライト激減の煽りでテナントが撤退しちゃったのかなあという感じ。
2年前の夏に成田空港(ヘラルボニーの展示をみるため)に行った時に
ガラッガラのチェックインカウンターと臨時休業のお店をみてショックでしたが、
地方空港も同様に打撃を受けたのだろうと思いました。
ライオンズクラブの獅子になごんだ後、
保安検査場の近くへ移動します。
こまQ!
(小松空港のキャラクターです)https://www.komatsuairport.jp/cmn/komaq.html
小松空港に関する展示コーナーがあったので(ここも昔テナントだったのかも)見学。-934b0.jpeg)
-3d3a7.jpeg)
左から、タイガーエア(A320-232)、キャセイパシフィック航空(A330-300)、
大韓航空(A380-800)、エバー航空(A330-200)、中国東方航空(B777-300)-06ed1.jpeg)
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シルクウェイ航空(B747-400F)、カーゴルックス(B747-8F)、
日本航空(B767-300ER)、アイベックスエアウェイズ(CRJ-700NextGen)、
全日本空輸(B787-8)
小松空港に就航している航空会社(貨物含む)の保有機材の模型の展示ですが、
大韓航空のA380 は大型すぎて小松空港に来ることはなさそうですね。(^-^;
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過去の特別塗装機や小松空港の歴史など
今は東京から新幹線で移動できるので飛行機も競合が厳しいと思いますが
私自身はどちらかといえば飛行機の方が楽しいかなと思っています。
ただ、定時運航、悪天候時のイレギュラー対応などを考えると確実性の点では新幹線に
軍配かなとうまく住み分けが出来て地方空港も盛り上がっていけばいいなと思いました。
この後は、保安検査を通ってラウンジでちょっと過ごしたら飛行機に乗ります!
(つづく)
バス出発時刻の5分前に戻る途中で見かけたのが
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外国人観光客が日本ではいつでもコンビニでお酒が買えると喜んで外呑みしているのを
テレビでも実際でも見たことがありますが(昼以降しかお酒が買えない国が多い)
日本人のグループでの路上飲酒も含めて、駅前など人の往来の多いところで、
周囲を気にせずに飲んだり騒いだりというのは、本人たちはよいかもしれませんが、
観ている方は決していい気持ちにはなりませんしねぇ。( 一一)
お行儀悪い人がいなくなりますようにと思いながらバスに乗車し一路小松空港へ。
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空港までの最終バスが満席で乗れないと、、なんて思って早めのバスに乗ったら
(それでも8割くらいの混み具合)
小松空港には飛行機の出発時刻の2時間以上前に到着していました。(笑)
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お腹は空いていないので暫し空港内をぶらぶらしました。
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恐竜が結構激しく動いていましたが、福井って恐竜王国なんですね。
福井も大学生の頃に行った東尋坊くらいしか記憶がなく(40年近く前の話)
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小松空港のエリアに安宅の関の跡があるのですね。(歌舞伎の勧進帳の舞台)
ネットの便利さのお陰で勉強になりました。(^-^;
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空港の出発ロビーの端の方には飛行機デザインのグッズのお店や、
ビジネスエリア(簡易型の個室)がありましたが、
羽田行まで時間があるせいか空港内は空いていて、ベンチも座りたい放題。
ビジネスエリアなどを見ると、以前はテナントが入っていたのが、
コロナ禍でフライト激減の煽りでテナントが撤退しちゃったのかなあという感じ。
2年前の夏に成田空港(ヘラルボニーの展示をみるため)に行った時に
ガラッガラのチェックインカウンターと臨時休業のお店をみてショックでしたが、
地方空港も同様に打撃を受けたのだろうと思いました。
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保安検査場の近くへ移動します。
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(小松空港のキャラクターです)https://www.komatsuairport.jp/cmn/komaq.html
小松空港に関する展示コーナーがあったので(ここも昔テナントだったのかも)見学。
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左から、タイガーエア(A320-232)、キャセイパシフィック航空(A330-300)、
大韓航空(A380-800)、エバー航空(A330-200)、中国東方航空(B777-300)
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シルクウェイ航空(B747-400F)、カーゴルックス(B747-8F)、
日本航空(B767-300ER)、アイベックスエアウェイズ(CRJ-700NextGen)、
全日本空輸(B787-8)
小松空港に就航している航空会社(貨物含む)の保有機材の模型の展示ですが、
大韓航空のA380 は大型すぎて小松空港に来ることはなさそうですね。(^-^;
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今は東京から新幹線で移動できるので飛行機も競合が厳しいと思いますが
私自身はどちらかといえば飛行機の方が楽しいかなと思っています。
ただ、定時運航、悪天候時のイレギュラー対応などを考えると確実性の点では新幹線に
軍配かなとうまく住み分けが出来て地方空港も盛り上がっていけばいいなと思いました。
この後は、保安検査を通ってラウンジでちょっと過ごしたら飛行機に乗ります!
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~すし玉さんでお寿司編~ [日本の旅(北陸)]
思いの外、記事が長引いてしまった銭屋五兵衛さんですが、
お陰で江戸時代の豪商について学ぶことができました。
(読んで下さった皆様にも感謝です)
この後、金沢に来たのだから近江市場か東茶屋街に行こうかな、と
一瞬思ったものの、友人のご親戚がどじょうの蒲焼のお店を運営しているのを聞いて
そのお店に行ってみることにしました。
場所は近江市場(観光客向け)ではなく金沢中央市場で、記念館からはバス停まで
10分くらい歩いてバスで移動します。
これは違うどじょうかばやき屋さんの看板
金沢では昔からどじょうのかば焼きが食べられてるそうで、
おそらく滋養強壮によいからなのかなと思いつつ、鍋、柳川、みたいな
イメージしかなかった私には興味の湧くどじょうのかば焼きです。
バスの車窓から見えた中華料理店
名前のインパクトで思わず写真を撮ってしまったようです。
食べログを見たら懐かしい感じで美味しそうなお料理の写真が出てきました。
バスに乗って10分くらいだったかで中央市場入口に到着、ここから市場までは
歩いて10分弱。と、バスを降りて小雨だったので最初気づかなかったのですが、
歩いている途中で急な土砂降り(:_;)。しまった、、、折りたたみ傘をバスの中に
置いてきてしまった、、急いで走ってコンビニに入って傘を探すと折り畳み傘が
売切れで大きなサイズのビニール傘のみだったので帰りの機内でかさばるなあ、と
思いながら、目先の土砂降り対策のために購入しました。(予想外の散財です)
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意外と遠い。。
店主さんの似顔絵と思しきラーメン屋さんを通って市場のお店が並ぶところに着くと、
営業時間外でした。(◎_◎;)
市場は朝早く開くぶん、閉まるのも早いのですね。(そんなことすっかり忘れていた私)
金沢どじょう販売、ここは次回の宿題にしたいと思います。
傘をなくし(置き忘れ)、お目当ての店は開いていないという、自業自得状態で
金沢駅に向かおうとGoogleマップで検索したら歩いて20分という表示だったので、
小雨(途中で止みました)だったこともあり、再び歩く事にしました。
旅先だと結構歩いて気分転換できます(疲れますが(笑))
ピクミンブルームでお花をまきなっがら歩いたのですが少々のんびり歩いたため、
金沢駅までは結局30分くらいかかりました。
繁華街は駅から少々離れた香林坊というエリアで駅前はどちらかというとビジネス街、
という感じですが、駅に近いところでも空きテナントがあちこちにあるのを見ると、
観光都市の金沢でも空きテナントがあるんだなあとちょっと驚きました。
(観光用ではなくビジネス用テナントだからなのかもしれませんね)
やっと駅について向かったのが前日閉店で入れなかった駅ビル内の回転寿司店。
すし玉さん
お陰で江戸時代の豪商について学ぶことができました。
(読んで下さった皆様にも感謝です)
この後、金沢に来たのだから近江市場か東茶屋街に行こうかな、と
一瞬思ったものの、友人のご親戚がどじょうの蒲焼のお店を運営しているのを聞いて
そのお店に行ってみることにしました。
場所は近江市場(観光客向け)ではなく金沢中央市場で、記念館からはバス停まで
10分くらい歩いてバスで移動します。
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金沢では昔からどじょうのかば焼きが食べられてるそうで、
おそらく滋養強壮によいからなのかなと思いつつ、鍋、柳川、みたいな
イメージしかなかった私には興味の湧くどじょうのかば焼きです。
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名前のインパクトで思わず写真を撮ってしまったようです。
食べログを見たら懐かしい感じで美味しそうなお料理の写真が出てきました。
バスに乗って10分くらいだったかで中央市場入口に到着、ここから市場までは
歩いて10分弱。と、バスを降りて小雨だったので最初気づかなかったのですが、
歩いている途中で急な土砂降り(:_;)。しまった、、、折りたたみ傘をバスの中に
置いてきてしまった、、急いで走ってコンビニに入って傘を探すと折り畳み傘が
売切れで大きなサイズのビニール傘のみだったので帰りの機内でかさばるなあ、と
思いながら、目先の土砂降り対策のために購入しました。(予想外の散財です)
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店主さんの似顔絵と思しきラーメン屋さんを通って市場のお店が並ぶところに着くと、
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市場は朝早く開くぶん、閉まるのも早いのですね。(そんなことすっかり忘れていた私)
金沢どじょう販売、ここは次回の宿題にしたいと思います。
傘をなくし(置き忘れ)、お目当ての店は開いていないという、自業自得状態で
金沢駅に向かおうとGoogleマップで検索したら歩いて20分という表示だったので、
小雨(途中で止みました)だったこともあり、再び歩く事にしました。
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ピクミンブルームでお花をまきなっがら歩いたのですが少々のんびり歩いたため、
金沢駅までは結局30分くらいかかりました。
繁華街は駅から少々離れた香林坊というエリアで駅前はどちらかというとビジネス街、
という感じですが、駅に近いところでも空きテナントがあちこちにあるのを見ると、
観光都市の金沢でも空きテナントがあるんだなあとちょっと驚きました。
(観光用ではなくビジネス用テナントだからなのかもしれませんね)
やっと駅について向かったのが前日閉店で入れなかった駅ビル内の回転寿司店。
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(食べログ)https://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17001242/
入口で名前を書いて座って待っていると(私の前に10人くらい待っていた)、
15分くらいで名前が呼ばれてカウンター席に案内されて着席。
私の前に並んでいたおばちゃんが、これから寿司を食べるというのに
(よほどお腹が空いていたのかパンを食べているのを横目に見ながら待ちました。(^-^;)
目の前のレーンは回っていませんでした
スシローでの事件もあってレーンを回さず注文に応じて握るようになるお店が
増えているのでしょうね。お店にしてみれば廃棄ロスは少なくなるでしょうが、
醤油さしやガリなどの容器の管理に手間が増えて大変しょうね。
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折角なのでこれは注文しないと
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好物
注文しようと思いつつ、ここで食べなくてもいいかなと思って今回はパス。
折角北陸に来ているので北陸ならではのネタを注文することにしました。
北陸のお酒がいっぱい(^O^)/
最初に運ばれてきたのは納豆巻
北陸ならでは、でもなんでもないのですが、納豆は外せない自分がおります。(^-^)
お伴に宗玄を一合だけいただきました
本醸造かな しっかりした飲み口がうまいです
朝獲れ三種盛り
のどぐろ、鯛昆布〆、右は板さんの声がちっちゃくて聞き取れませんでしたが、
小さめのネタ(ちょっと残念)ながら旨味のある身が美味でした。
のどぐろ、レモンと塩で食べましたが美味~。
富山湾盛り
白海老、ホタルイカ、蟹の3種類。
おぼろ昆布で巻いたシャリの上にのった白海老が特に美味でした。
がす海老
北陸で獲れる海老で関東では殆ど見たことがないので注文しましたが、
香ばしい殻の中から旨味のあるプリっとした海老の身がこれまた美味しい。
入口で名前を書いて座って待っていると(私の前に10人くらい待っていた)、
15分くらいで名前が呼ばれてカウンター席に案内されて着席。
私の前に並んでいたおばちゃんが、これから寿司を食べるというのに
(よほどお腹が空いていたのかパンを食べているのを横目に見ながら待ちました。(^-^;)
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スシローでの事件もあってレーンを回さず注文に応じて握るようになるお店が
増えているのでしょうね。お店にしてみれば廃棄ロスは少なくなるでしょうが、
醤油さしやガリなどの容器の管理に手間が増えて大変しょうね。
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注文しようと思いつつ、ここで食べなくてもいいかなと思って今回はパス。
折角北陸に来ているので北陸ならではのネタを注文することにしました。
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北陸ならでは、でもなんでもないのですが、納豆は外せない自分がおります。(^-^)
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のどぐろ、鯛昆布〆、右は板さんの声がちっちゃくて聞き取れませんでしたが、
小さめのネタ(ちょっと残念)ながら旨味のある身が美味でした。
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白海老、ホタルイカ、蟹の3種類。
おぼろ昆布で巻いたシャリの上にのった白海老が特に美味でした。
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北陸で獲れる海老で関東では殆ど見たことがないので注文しましたが、
香ばしい殻の中から旨味のあるプリっとした海老の身がこれまた美味しい。
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いか耳、と、生たこの炙り。
北陸ならでは、といいながら、地物か分からないけれど自分が食べたいものを
注文してしまいました。(いかはゲソと耳が特に好き)
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隣のご夫婦(私と同年代ぽい)は、のどぐろと甘エビを2皿ずつ食べてお会計していましたが、
回転寿司って食べたいものを食べたいだけささっと食べられるというのがいいですね。
私も前日入れなかったお店に入って美味しいお魚が食べられて大満足。
この後は、小松空港に向かって帰りまーす。
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~銭屋五兵衛記念館編④~ [日本の旅(北陸)]
午前中に観た大野弁吉さん(からくり)よりも人間臭さが前面に漂う展示に
会ったことがないものの(時代が違うから当たり前なのですが)
変に親近感が湧いた銭屋五兵衛さんの展示、あとちょっと続きます。
海運業の他にも偉業あり
河北潟の埋め立てでは、4500石(15000㎥くらい)の新田開発を行ったそうですが、
工事が意外と難航し、湖水に金銀を投げすてるようなものと五兵衛自身が後悔しつつ、
辛抱すれば自ずと藩と領民の利益になるだろうと、出資に反対した息子や手代たちを
説得したそうですが、この埋め立てによって、魚が死んだと無実の罪をきせられ、
(反対勢力によって罠にはめられてしまったということですね)
投獄されそして獄舎でお亡くなりになったというのも、その後も引き続き新田造成が
行われていたことからも五兵衛産の判断は間違っていなかったのだと思います。
その他、宮腰湊(五兵衛さんの北前船の拠点)の賑わい。
五兵衛さんの成功によってこの港を使って材木積船で港で働く人が増えて賑わったそうで、
埋め立てで五兵衛さんが無罪の罪をきせられた時、宮腰町奉行が銭屋没落後に材木入荷の
確保策を町役人に確認していたという表記に成功者を妬む悪人どもの悪だくみ、
イラついてしまいました。(V)o¥o(V)
また、殖産興業として加賀特産の菅笠や小松のござ、砺波の川上布、福光の曽代糸、
白山麓の牛首紬などが五兵衛さんの船で全国に運ばれ、地元の繊維産業や特産物の生産が
銭屋の販路拡大によって活性化したそうですね。
それなのに獄舎で亡くなるなんて。。。(:_;)
その後の銭屋ファミリーについて
1852年11月、五兵衛さんが獄舎で亡くなった翌月、一番番頭の次郎兵衛さんが牢死、
同じ月に判決が出て三男(要蔵)と手代(市兵衛)の磔の刑執行、
1854年7月、五兵衛の妻(まき)が亡くなると、没収された銭屋の家財・蔵荷物が競売され、
1857年10月、五兵衛の孫(長男喜太郎の長女 千賀)が代牢願を提出すると、
2ヶ月後に長男喜太郎が永牢の罪を許され出牢、
1859年12月、銭屋の家名再興を嘆願(その後も何度も嘆願)、
1864年4月、喜太郎が嫡子(余計松)に家督を譲り、翌月籠の中で自害、
余計松は余三郎を名乗るが家名断絶の処罰を受けていたため清水屋を名乗り、
1866年11月、500石積船を購入するが、
1881年、宮腰の店を閉じ、青森に移転。
反対勢力によって無実の罪を着せられることがなかったら銭屋さんの祖先は
今でも金沢で商売なさっていたかもしれませんが、ドラマチックな展開ですね。
(追記)
夏炉冬扇さんからどうやって名誉回復したのだろうというコメントを頂戴し、
確かにどうやって名誉回復したのだろうと調べてみて以下のような記事を見つけました。
https://ike-katsu.blogspot.com/2016/06/blog-post_14.html
徳川政府が墨守した鎖国体制の犠牲者として慰霊され(⇐錢五の伝説関連ですね)
検証され、密貿易が暴露されるのを恐れた政府によって厳罰を受けたとして、
海外貿易の先駆者として名誉回復、現在に至るのかもしれませんね。
と、結局のところ、五兵衛さんに対しては悲しい気持ちになって展示コーナー見学終了。
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重さ当て
千両箱をちょっと持ってみたらかなり重かったので
「うん、わからない」と早々に回答を諦めました。
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和傘と水引の展示をさらっと見た後、
銭屋の茶室を見たら外に出て
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曇天なので庭園散策は諦めて、
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記念館のすぐ近くにあった五兵衛さんの家(移築)を見学しました。
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筑200年
2階のお部屋から見える庭園
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スタッフの方にお手入れ大変そうですね、と話しかけると、
築200年ですから結構大変です、、と仰っていました。
と、金沢ゆかりの大野弁吉さんに続き、銭屋五兵衛さんについても知ることが出来て
(五兵衛さん、弁吉さんを資金サポートしていたらしいです)
こんな悪天候でも満足、と思いながら、バスで金沢駅方面に移動します。
(つづく)
会ったことがないものの(時代が違うから当たり前なのですが)
変に親近感が湧いた銭屋五兵衛さんの展示、あとちょっと続きます。
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河北潟の埋め立てでは、4500石(15000㎥くらい)の新田開発を行ったそうですが、
工事が意外と難航し、湖水に金銀を投げすてるようなものと五兵衛自身が後悔しつつ、
辛抱すれば自ずと藩と領民の利益になるだろうと、出資に反対した息子や手代たちを
説得したそうですが、この埋め立てによって、魚が死んだと無実の罪をきせられ、
(反対勢力によって罠にはめられてしまったということですね)
投獄されそして獄舎でお亡くなりになったというのも、その後も引き続き新田造成が
行われていたことからも五兵衛産の判断は間違っていなかったのだと思います。
その他、宮腰湊(五兵衛さんの北前船の拠点)の賑わい。
五兵衛さんの成功によってこの港を使って材木積船で港で働く人が増えて賑わったそうで、
埋め立てで五兵衛さんが無罪の罪をきせられた時、宮腰町奉行が銭屋没落後に材木入荷の
確保策を町役人に確認していたという表記に成功者を妬む悪人どもの悪だくみ、
イラついてしまいました。(V)o¥o(V)
また、殖産興業として加賀特産の菅笠や小松のござ、砺波の川上布、福光の曽代糸、
白山麓の牛首紬などが五兵衛さんの船で全国に運ばれ、地元の繊維産業や特産物の生産が
銭屋の販路拡大によって活性化したそうですね。
それなのに獄舎で亡くなるなんて。。。(:_;)
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1852年11月、五兵衛さんが獄舎で亡くなった翌月、一番番頭の次郎兵衛さんが牢死、
同じ月に判決が出て三男(要蔵)と手代(市兵衛)の磔の刑執行、
1854年7月、五兵衛の妻(まき)が亡くなると、没収された銭屋の家財・蔵荷物が競売され、
1857年10月、五兵衛の孫(長男喜太郎の長女 千賀)が代牢願を提出すると、
2ヶ月後に長男喜太郎が永牢の罪を許され出牢、
1859年12月、銭屋の家名再興を嘆願(その後も何度も嘆願)、
1864年4月、喜太郎が嫡子(余計松)に家督を譲り、翌月籠の中で自害、
余計松は余三郎を名乗るが家名断絶の処罰を受けていたため清水屋を名乗り、
1866年11月、500石積船を購入するが、
1881年、宮腰の店を閉じ、青森に移転。
反対勢力によって無実の罪を着せられることがなかったら銭屋さんの祖先は
今でも金沢で商売なさっていたかもしれませんが、ドラマチックな展開ですね。
(追記)
夏炉冬扇さんからどうやって名誉回復したのだろうというコメントを頂戴し、
確かにどうやって名誉回復したのだろうと調べてみて以下のような記事を見つけました。
https://ike-katsu.blogspot.com/2016/06/blog-post_14.html
徳川政府が墨守した鎖国体制の犠牲者として慰霊され(⇐錢五の伝説関連ですね)
検証され、密貿易が暴露されるのを恐れた政府によって厳罰を受けたとして、
海外貿易の先駆者として名誉回復、現在に至るのかもしれませんね。
と、結局のところ、五兵衛さんに対しては悲しい気持ちになって展示コーナー見学終了。
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千両箱をちょっと持ってみたらかなり重かったので
「うん、わからない」と早々に回答を諦めました。
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和傘と水引の展示をさらっと見た後、
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曇天なので庭園散策は諦めて、
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記念館のすぐ近くにあった五兵衛さんの家(移築)を見学しました。
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スタッフの方にお手入れ大変そうですね、と話しかけると、
築200年ですから結構大変です、、と仰っていました。
と、金沢ゆかりの大野弁吉さんに続き、銭屋五兵衛さんについても知ることが出来て
(五兵衛さん、弁吉さんを資金サポートしていたらしいです)
こんな悪天候でも満足、と思いながら、バスで金沢駅方面に移動します。
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~銭屋五兵衛記念館編③~ [日本の旅(北陸)]
銭屋五兵衛さんについては今回知ったお方なのですが、地域貢献もされたのに
悲しい晩年だったというイメージがずっとついて回ったままの状態で見学していると、
錢五さんの伝説
食いつきたくなるタイトルですね。もちろん食いつきました、私。
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①天保3年(1832年)4月、五兵衛は2300石積の太平丸に、
米、麦、大豆、小豆、砂糖、酒、醤油などを満載し、水夫12人を率いて出航。
②5月7日、出羽の港に寄港し、更にエトロフに向かって航海中、暴風に遭う。
③太平洋を漂流すること130日余りの後、サンフランシスコの西方5里(約20㌔m)の
ブレイタンの地に漂着。
一行のうち6名が亡くなり、五兵衛と6人の水夫は米国人に救われる。
ブレイタンがどの辺りかと思ってGoogleマップで調べてみたのですがよくわからず
とはいえ、アメリカまで漂流してしまったことにビックリです。
と思ったら隣にこんな表記が。
銭屋五兵衛の海外貿易については諸説紛々、中には全く現実味のない説もあり、
謎に包まれている。
しかし、五兵衛の巨万の富は並みの商売では不可能であり、当然密貿易も推測される。
加賀藩では多額の御用金を納めることを条件に、五兵衛の密貿易を黙認していたとも
いわれており、それが後々幕府の知るところとなり、藩では河北潟埋め立ての事件を
利用して五兵衛を抹殺したのだと言われている。
このように海外貿易は一概には否定できないので「錢五の伝説」として諸説を紹介。
えー、そういうことなのー。(^-^;
これを読むと商才があるのは当然ながらかなり人間くさいイメージも湧きました。
(お主も悪よのぉ、、的なイメージ(笑))
とはいえ、成功を妬む人、出る杭は打たれてしまうのか、というのは残念ですね。
そんな錢五さんの伝説の続きです。
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④先見の眼を持った五兵衛は早くも彼の地の製造事業を視察。
欧米通商の実状を見て学び、大きな影響を受けた。
⑤数か月滞在した後、米国の便船を乗り継いで、その年の11月に伊豆の下田に帰港。
⑥翌年(天保4年(1833年)5月、五兵衛は再び太平丸に乗り、
提灯、傘、竹杖、赤合羽、扇子、団扇などを積み込み、三宅島へ行くと称して出航。
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⑦太平洋を横断してブレイタンに到着し、
サンフランシスコの豪商、フレンチ・アンクスと再会、貿易をおこなった。
⑧五兵衛が帰国する際、フレンチ・アンクスは日本の開国を勧めたが、
五兵衛は祖国の国情を告げ、「願わくは20年後を待たれよ」と言い、
当時26歳であった使用人(他三郎)をフレンチ・アンクスに託し、帰国。
⑨名をフレデルストンと改めた他三郎は、弘化2年(1845年)、米国使節が雑賀に
来航した際、フレンチ・アンクスに従って帰国した。
確かに伝説ぽい。
北陸から青森を通って太平洋側に出て漂流して西海岸に漂着するのもびっくりですが、
しばらく滞在している間、五兵衛さんのご家族は心配していなかったのかという疑問が
どうしても湧いてしまいました。
海外で見聞を広めようとするのは真面目だけで野心もあったのだろうと思いつつ、
三宅島に行くと言って再びアメリカ西海岸に行って、使用人を置いてきてしまう、
まあ、自分が残るわけにはいかないのでしょうが、今の時代だったら、この人の下で
働いてどうなんだろう(使用人の他三郎、偉い)そんな気持ちになりました。(^-^;
と、事実かどうかはわからない伝説にツッコミを入れた後は、
北前船
1500石積級の常豊丸の実物の四分の一のサイズ。
展示でもかなり大きかったので実際は本当に大きかったのでしょうね。
海外貿易”説”として上述したアメリカだけでなく、樺太、ロシア、南はタスマニア島、
広域に移動し貿易していたという説もあるそうですが、本当だったら物凄い商才と
行動力だなあと思いました。
船の重さで吃水線も変わりますよね
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モーターがない時代、大きな船で長距離移動というのは重労働だったでしょうね。
と、五兵衛さんについて悲しさよりも何だかツッコミ始めたところで、
シアターがあったので
どうやったら動画が始まるんだろう、スクリーンに近づいてうろうろしていたら、
スタッフの方が「ご覧になりますか?今スタートさせますね」と操作してくれて、
五兵衛さんの物語スタート
貸切なので無問題です
アニメになると再び悲しい晩年の五兵衛さんのことが気の毒になったりして、
錢五の伝説で違う方向に振れかけた自分の気持ちが戻っておりました。。。。
1人でかなりゆったりと見学していたのでこのあたりまでで1時間半くらい、
残りあとちょっとだけ展示があるので見学したら金沢駅方面に戻ります。
(つづく)
悲しい晩年だったというイメージがずっとついて回ったままの状態で見学していると、
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食いつきたくなるタイトルですね。もちろん食いつきました、私。
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①天保3年(1832年)4月、五兵衛は2300石積の太平丸に、
米、麦、大豆、小豆、砂糖、酒、醤油などを満載し、水夫12人を率いて出航。
②5月7日、出羽の港に寄港し、更にエトロフに向かって航海中、暴風に遭う。
③太平洋を漂流すること130日余りの後、サンフランシスコの西方5里(約20㌔m)の
ブレイタンの地に漂着。
一行のうち6名が亡くなり、五兵衛と6人の水夫は米国人に救われる。
ブレイタンがどの辺りかと思ってGoogleマップで調べてみたのですがよくわからず
とはいえ、アメリカまで漂流してしまったことにビックリです。
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銭屋五兵衛の海外貿易については諸説紛々、中には全く現実味のない説もあり、
謎に包まれている。
しかし、五兵衛の巨万の富は並みの商売では不可能であり、当然密貿易も推測される。
加賀藩では多額の御用金を納めることを条件に、五兵衛の密貿易を黙認していたとも
いわれており、それが後々幕府の知るところとなり、藩では河北潟埋め立ての事件を
利用して五兵衛を抹殺したのだと言われている。
このように海外貿易は一概には否定できないので「錢五の伝説」として諸説を紹介。
えー、そういうことなのー。(^-^;
これを読むと商才があるのは当然ながらかなり人間くさいイメージも湧きました。
(お主も悪よのぉ、、的なイメージ(笑))
とはいえ、成功を妬む人、出る杭は打たれてしまうのか、というのは残念ですね。
そんな錢五さんの伝説の続きです。
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④先見の眼を持った五兵衛は早くも彼の地の製造事業を視察。
欧米通商の実状を見て学び、大きな影響を受けた。
⑤数か月滞在した後、米国の便船を乗り継いで、その年の11月に伊豆の下田に帰港。
⑥翌年(天保4年(1833年)5月、五兵衛は再び太平丸に乗り、
提灯、傘、竹杖、赤合羽、扇子、団扇などを積み込み、三宅島へ行くと称して出航。
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⑦太平洋を横断してブレイタンに到着し、
サンフランシスコの豪商、フレンチ・アンクスと再会、貿易をおこなった。
⑧五兵衛が帰国する際、フレンチ・アンクスは日本の開国を勧めたが、
五兵衛は祖国の国情を告げ、「願わくは20年後を待たれよ」と言い、
当時26歳であった使用人(他三郎)をフレンチ・アンクスに託し、帰国。
⑨名をフレデルストンと改めた他三郎は、弘化2年(1845年)、米国使節が雑賀に
来航した際、フレンチ・アンクスに従って帰国した。
確かに伝説ぽい。
北陸から青森を通って太平洋側に出て漂流して西海岸に漂着するのもびっくりですが、
しばらく滞在している間、五兵衛さんのご家族は心配していなかったのかという疑問が
どうしても湧いてしまいました。
海外で見聞を広めようとするのは真面目だけで野心もあったのだろうと思いつつ、
三宅島に行くと言って再びアメリカ西海岸に行って、使用人を置いてきてしまう、
まあ、自分が残るわけにはいかないのでしょうが、今の時代だったら、この人の下で
働いてどうなんだろう(使用人の他三郎、偉い)そんな気持ちになりました。(^-^;
と、事実かどうかはわからない伝説にツッコミを入れた後は、
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1500石積級の常豊丸の実物の四分の一のサイズ。
展示でもかなり大きかったので実際は本当に大きかったのでしょうね。
海外貿易”説”として上述したアメリカだけでなく、樺太、ロシア、南はタスマニア島、
広域に移動し貿易していたという説もあるそうですが、本当だったら物凄い商才と
行動力だなあと思いました。
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モーターがない時代、大きな船で長距離移動というのは重労働だったでしょうね。
と、五兵衛さんについて悲しさよりも何だかツッコミ始めたところで、
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どうやったら動画が始まるんだろう、スクリーンに近づいてうろうろしていたら、
スタッフの方が「ご覧になりますか?今スタートさせますね」と操作してくれて、
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アニメになると再び悲しい晩年の五兵衛さんのことが気の毒になったりして、
錢五の伝説で違う方向に振れかけた自分の気持ちが戻っておりました。。。。
1人でかなりゆったりと見学していたのでこのあたりまでで1時間半くらい、
残りあとちょっとだけ展示があるので見学したら金沢駅方面に戻ります。
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~銭屋五兵衛記念館編②~ [日本の旅(北陸)]
記念館に来る前にその人生について予習していたので、海運業で豪商となった後の
悲しい晩年について頭に入った状態(入館したときから既にどこか悲しい気分)で
どこか複雑な気持ちが入り混じりながら展示コーナーを進んでおります。
苗字は清水さん(屋号が銭屋なんですね)
地名にちなんで苗字を名乗るというのは全国どこでもあったと思いますが、
私が住んでいる千葉県M戸市でも、M戸さんという方をお見掛けすることがあって
地名になじんでつけられらのかな、なんて思ったのと同じですね。
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家系図
銭屋の祖先は越前の戦国大名、朝倉氏の子孫であったと伝えられ、
五兵衛の6代前の吉右衛門の代に移住し金融業を営んだことから銭屋と名乗ったとか。
海の豪商となった五兵衛の家督は長男(喜太郎)が継ぎ、次男(佐八郎)がこれを
助けた、と説明に書いてありました。
銭屋五兵衛で銭五、なんですね
17歳で家業を相続、組合頭に就任し、
39歳で質流れの古船120石積を修理して海運業を始め、
49歳で2ヶ月間に亘る東巡紀行(市熱から日光・江戸見物、東海道)、
53歳で隠居、長男(喜太郎)に家督を譲り、
64歳で隠居所生活に入り(長男へ訓戒を与えたと書いてあった)、
70歳で御手船裁許(藩の公認を得ての海運)を命ぜられ、
73歳で御手船常豊丸を新造(隠居したといいながらも仕事熱心だったぽい)
74歳で永代渡海免許を拝領し、
76歳で御手船常豊丸が能登沖で破船、
79歳で藩から河北埋め立て工事が許可され工事開始、
80歳で河北潟の魚類が変死したため漁業禁止となり、
翌月、五兵衛一族および埋立工事関係者が逮捕、投獄されて、
2か月後に獄舎で死去。。。
最後の表記を見て悲しい気持ちになりました。(:_;)
隠居しても尚藩のために尽力した五兵衛を疎ましく思う勢力に
河北埋め立てが原因で魚が変死したと見せかけて陥れられる、、、
他人の活躍や成功を僻んだり妬んだりする人はいつの世にもいるのだと思うと
(今の時代も程度の差こそあれそういう人って意外といるように思っています)
悪いことをした人には当然ブーメランがかえればよいと思いますが、
悪人たちのせいで命を落とし、一族が没落していった銭屋ファミリーのことを思うと
切ない気持ちになりますね。
と入ったところで家系図と生涯を見ただけで目頭が熱くなったのですが、
幸い、一人で貸切状態で見学していたため、周囲から変な目で見られることなく
穏やかに見学することができました。
他には、
五兵衛さんの家にあった仏壇
実際使われていたものなどの展示を見たら先に進みます。
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日本のように四方が海だと海運業を営む人は多かったのでしょうね。
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北前船で運んでいた荷物の一例で、左から木綿、酒、昆布。
木綿は、北陸で生産された、新川木綿、能美木綿、能登木綿が銭屋の主な取扱い商品で、
酒については、灘、西宮、伊丹で酒造りが活発で需要も高まったことから、銭屋でも
一時期酒造を試みていたとか。
昆布については江戸時代の調理技術の発達によって調味料や食材として特に上方での
需要が高く重宝されたため、北前船の重要な交易品のひとつだったそうです。
ヒバも大事な取扱い商品だったそうです。
桑の葉と北前船について
江戸時代(18世紀)、農民は自給肥料に加えて、魚粕や油粕の金肥(購入肥料)を
積極的に取り入れるようになり、日本各地で季候・風土に合わせた商品作物として、
特に、綿・麻(衣料原料)・桑(養蚕用)・アブラナ(燈油)・紅花・茶・みかん等の
栽培が盛んになっていく中、窒素・リン・マグネシウムを土に投入することで、
土地が肥えることをしった農民が自給できない肥料を鰯とニシンの海産物に求め、
鰯は弁財船で千葉から、ニシンは北前船で北海道から乾燥した肥料として全国に運ばれ、
綿・絹の需要が高まりこれらの売買が農業に大きな役割を果たしたうです。
金肥を買う資金を産み、これが江戸時代の貨幣経済の流通を盛んにさせたと
説明に書いてありました。
要は、海運問屋によって運ばれた肥料を全国の農民が買い、作物を作り、
商品として全国に運ばれていったという循環が出来たということですね。(^-^)-87b55.jpeg)
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続いて銭屋の海運業(商い)についての説明がありました。
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銚子も!
銚子では醤油や鰯(肥料ですね)を
同じ千葉県の小湊では塩を運んでいたのですね。(親近感が増しました)
取扱い商品も多岐にわたっています
兵庫、大阪ではお酒ですね(^-^)
北前船の収益は、船頭による「買積み」の商才にかかっていて、
安値で各地の特産物を買い付けて、高値で売れる港で売りさばくという
北前船独特の商いである「買積み」が非常に大事だったそうです。
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-38389.jpeg)
銭屋の本店と支店(信用取引や情報交換による全国のネットワーク)を使って
本店を中心に青森、大阪、京都、江戸の商人と頻繁に価格や景気、
農作物の作況に関する情報を手紙でやりとりし、相互の代金決済を為替で行い、
必要であれば便船で決済金の輸送も行っていたそうです。
今のように振込などがない時期に信用関係を築いて遠方と商売するというのは
やはり商才に長けていないと無理でしょうね。
上右の青森と北海道のやりとりでは、青森に駐在員を置いて支店業務を行い、
材木、米、大豆、昆布などを取引していたという説明でした。
江戸時代にこんなに活発に交易がおこなわれていたことを知って驚いたのですが、
北前船と聞いたことがあってもここまで知らない自分が鈍いのかもしれませんね。(笑)
この後は、北前船の模型の展示コーナーに進みます。
(つづく)
悲しい晩年について頭に入った状態(入館したときから既にどこか悲しい気分)で
どこか複雑な気持ちが入り混じりながら展示コーナーを進んでおります。
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地名にちなんで苗字を名乗るというのは全国どこでもあったと思いますが、
私が住んでいる千葉県M戸市でも、M戸さんという方をお見掛けすることがあって
地名になじんでつけられらのかな、なんて思ったのと同じですね。
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銭屋の祖先は越前の戦国大名、朝倉氏の子孫であったと伝えられ、
五兵衛の6代前の吉右衛門の代に移住し金融業を営んだことから銭屋と名乗ったとか。
海の豪商となった五兵衛の家督は長男(喜太郎)が継ぎ、次男(佐八郎)がこれを
助けた、と説明に書いてありました。
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17歳で家業を相続、組合頭に就任し、
39歳で質流れの古船120石積を修理して海運業を始め、
49歳で2ヶ月間に亘る東巡紀行(市熱から日光・江戸見物、東海道)、
53歳で隠居、長男(喜太郎)に家督を譲り、
64歳で隠居所生活に入り(長男へ訓戒を与えたと書いてあった)、
70歳で御手船裁許(藩の公認を得ての海運)を命ぜられ、
73歳で御手船常豊丸を新造(隠居したといいながらも仕事熱心だったぽい)
74歳で永代渡海免許を拝領し、
76歳で御手船常豊丸が能登沖で破船、
79歳で藩から河北埋め立て工事が許可され工事開始、
80歳で河北潟の魚類が変死したため漁業禁止となり、
翌月、五兵衛一族および埋立工事関係者が逮捕、投獄されて、
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最後の表記を見て悲しい気持ちになりました。(:_;)
隠居しても尚藩のために尽力した五兵衛を疎ましく思う勢力に
河北埋め立てが原因で魚が変死したと見せかけて陥れられる、、、
他人の活躍や成功を僻んだり妬んだりする人はいつの世にもいるのだと思うと
(今の時代も程度の差こそあれそういう人って意外といるように思っています)
悪いことをした人には当然ブーメランがかえればよいと思いますが、
悪人たちのせいで命を落とし、一族が没落していった銭屋ファミリーのことを思うと
切ない気持ちになりますね。
と入ったところで家系図と生涯を見ただけで目頭が熱くなったのですが、
幸い、一人で貸切状態で見学していたため、周囲から変な目で見られることなく
穏やかに見学することができました。
他には、
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実際使われていたものなどの展示を見たら先に進みます。
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日本のように四方が海だと海運業を営む人は多かったのでしょうね。
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北前船で運んでいた荷物の一例で、左から木綿、酒、昆布。
木綿は、北陸で生産された、新川木綿、能美木綿、能登木綿が銭屋の主な取扱い商品で、
酒については、灘、西宮、伊丹で酒造りが活発で需要も高まったことから、銭屋でも
一時期酒造を試みていたとか。
昆布については江戸時代の調理技術の発達によって調味料や食材として特に上方での
需要が高く重宝されたため、北前船の重要な交易品のひとつだったそうです。
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江戸時代(18世紀)、農民は自給肥料に加えて、魚粕や油粕の金肥(購入肥料)を
積極的に取り入れるようになり、日本各地で季候・風土に合わせた商品作物として、
特に、綿・麻(衣料原料)・桑(養蚕用)・アブラナ(燈油)・紅花・茶・みかん等の
栽培が盛んになっていく中、窒素・リン・マグネシウムを土に投入することで、
土地が肥えることをしった農民が自給できない肥料を鰯とニシンの海産物に求め、
鰯は弁財船で千葉から、ニシンは北前船で北海道から乾燥した肥料として全国に運ばれ、
綿・絹の需要が高まりこれらの売買が農業に大きな役割を果たしたうです。
金肥を買う資金を産み、これが江戸時代の貨幣経済の流通を盛んにさせたと
説明に書いてありました。
要は、海運問屋によって運ばれた肥料を全国の農民が買い、作物を作り、
商品として全国に運ばれていったという循環が出来たということですね。(^-^)
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続いて銭屋の海運業(商い)についての説明がありました。
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同じ千葉県の小湊では塩を運んでいたのですね。(親近感が増しました)
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北前船の収益は、船頭による「買積み」の商才にかかっていて、
安値で各地の特産物を買い付けて、高値で売れる港で売りさばくという
北前船独特の商いである「買積み」が非常に大事だったそうです。
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銭屋の本店と支店(信用取引や情報交換による全国のネットワーク)を使って
本店を中心に青森、大阪、京都、江戸の商人と頻繁に価格や景気、
農作物の作況に関する情報を手紙でやりとりし、相互の代金決済を為替で行い、
必要であれば便船で決済金の輸送も行っていたそうです。
今のように振込などがない時期に信用関係を築いて遠方と商売するというのは
やはり商才に長けていないと無理でしょうね。
上右の青森と北海道のやりとりでは、青森に駐在員を置いて支店業務を行い、
材木、米、大豆、昆布などを取引していたという説明でした。
江戸時代にこんなに活発に交易がおこなわれていたことを知って驚いたのですが、
北前船と聞いたことがあってもここまで知らない自分が鈍いのかもしれませんね。(笑)
この後は、北前船の模型の展示コーナーに進みます。
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~銭屋五兵衛記念館編①~ [日本の旅(北陸)]
オシャレな雰囲気の中でランチした後は、再び土砂降りの中を歩く、と思ったら、
雨が小降りになっていてホッとしました。
今度はクルーズ船に乗って寄港したいです
30分弱歩けば目的地だったのですが、
Googleマップで示された道のもう一本向こうを左折してしまい(なぜか)
10分くらい行ったところで間違いに気づいて曲がり角ポイントに戻って、
正しい方向に進んだため、結果的には45分くらい歩いている自分がおりました。
(京都での方向間違いに比べると大したことないような気がしています(笑))
無事、正しい方向に進み始めたところで、ピクミンブルームで見つけたスポットに
サンタさんを発見
大野港のバス停からからくり記念館に向かう途中でもこのサンタを見かけたのですが、
このエリアでは木を斜めに切って絵を描く風習があるのか、、謎です。
寒かったので途中で洗手間休憩
(洗手間を使わせていただいたのでちゃんとお買い物しました)
煮干しの香りがするラーメン屋さんを通過し
おまわりさん(緊張)
今の詐欺、結構巧妙なんですよね
婆1号にも知らない人から電話があって兄や私の振りをしたら「合言葉は?」と
聞くように言い聞かせています。(一般的な家庭ではあり得ない言葉を設定(笑))
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やっと到着
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北前船の大錨を見ながら中へ
入館料は500円です
(銭屋五兵衛記念館ホームぺージ)https://www.zenigo.jp/
和傘・水引展も開催中
と、看板を見ながら中に入ると、
五兵衛さん、はじめまして
(入口正面の高いところに五兵衛さんの凧が飾ってありました)
訪れる前に軽く調べていったのですが、
銭屋五兵衛さんは1773年(安永2年)金沢生まれ、両替商(屋号が銭屋)の六代目で、
17歳で家督を継いだ後、50代後半で家業を息子に継がせた後は、北前船で海運業を営み、
大海運業者として加賀藩の経済に貢献したものの、反対勢力によって無実の罪で獄死。
という、栄華を誇ったもののその後、彼の活躍を妬む勢力によって悲しい結末となった
そんなイメージでした。
と、最初から悲しい気持ち(予習するとそういうことになるんですね(:_;))のまま
展示コーナーを進みます。
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銭屋(両替商)の店構え(復元)と使われていた道具の展示。
銭屋五兵衛(幼名は茂助)が生まれた宮腰(みやのこし)の下通町から隣の越前町まで
銭屋一族の店や屋敷が多くあったそうで、五兵衛26歳の時、町の中心である味噌屋町に
本宅を移し、従来の質商の他に古着・呉服商を始め、以前住んでいた旧宅と醤油醸造を
弟(又五郎)に譲り、味噌屋町の組合頭、貯用銀裁許などの町の役職を歴任、
40歳の時、木材問屋職に就任したことで海運事業拡大のきっかけをつかんだそうです。
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両替商の看板?
展示の説明を読んで、この三ケ条を見ると、五兵衛さんというのは実行の人、
というイメージを持ちました。判断力、決断力に長けた人だったのでしょうね。
と、最初の展示から出来た人間のイメージで見学している己を振り返ると
何だか恥ずかしい気持ちになってしまいましたが、この先の展示も楽しみです。(^-^)
(つづく)
雨が小降りになっていてホッとしました。
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Googleマップで示された道のもう一本向こうを左折してしまい(なぜか)
10分くらい行ったところで間違いに気づいて曲がり角ポイントに戻って、
正しい方向に進んだため、結果的には45分くらい歩いている自分がおりました。
(京都での方向間違いに比べると大したことないような気がしています(笑))
無事、正しい方向に進み始めたところで、ピクミンブルームで見つけたスポットに
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大野港のバス停からからくり記念館に向かう途中でもこのサンタを見かけたのですが、
このエリアでは木を斜めに切って絵を描く風習があるのか、、謎です。
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(洗手間を使わせていただいたのでちゃんとお買い物しました)
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婆1号にも知らない人から電話があって兄や私の振りをしたら「合言葉は?」と
聞くように言い聞かせています。(一般的な家庭ではあり得ない言葉を設定(笑))
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(銭屋五兵衛記念館ホームぺージ)https://www.zenigo.jp/
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と、看板を見ながら中に入ると、
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(入口正面の高いところに五兵衛さんの凧が飾ってありました)
訪れる前に軽く調べていったのですが、
銭屋五兵衛さんは1773年(安永2年)金沢生まれ、両替商(屋号が銭屋)の六代目で、
17歳で家督を継いだ後、50代後半で家業を息子に継がせた後は、北前船で海運業を営み、
大海運業者として加賀藩の経済に貢献したものの、反対勢力によって無実の罪で獄死。
という、栄華を誇ったもののその後、彼の活躍を妬む勢力によって悲しい結末となった
そんなイメージでした。
と、最初から悲しい気持ち(予習するとそういうことになるんですね(:_;))のまま
展示コーナーを進みます。
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銭屋(両替商)の店構え(復元)と使われていた道具の展示。
銭屋五兵衛(幼名は茂助)が生まれた宮腰(みやのこし)の下通町から隣の越前町まで
銭屋一族の店や屋敷が多くあったそうで、五兵衛26歳の時、町の中心である味噌屋町に
本宅を移し、従来の質商の他に古着・呉服商を始め、以前住んでいた旧宅と醤油醸造を
弟(又五郎)に譲り、味噌屋町の組合頭、貯用銀裁許などの町の役職を歴任、
40歳の時、木材問屋職に就任したことで海運事業拡大のきっかけをつかんだそうです。
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展示の説明を読んで、この三ケ条を見ると、五兵衛さんというのは実行の人、
というイメージを持ちました。判断力、決断力に長けた人だったのでしょうね。
と、最初の展示から出来た人間のイメージで見学している己を振り返ると
何だか恥ずかしい気持ちになってしまいましたが、この先の展示も楽しみです。(^-^)
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~海の食堂 Bay Arceでランチ編~ [日本の旅(北陸)]
金沢港クルーズターミナルに入って着ているものが乾いてきたものの
じめっとした生乾き状態のまま、、
レストラン「Bay Arce」さんへ。
(食べログ)https://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17012248/
1人でもネット予約できるので満席で入れないよりは、、と予約した際、
「海を観ながらお食事したいので、可能であれば窓側の席に座りたいです」
無理を承知で希望欄に書いたところ、
窓側の可愛らしいソファ席に案内されました♪
1人でこういう席に案内された経験がないので(入口近くや窓から離れた席ばかり)
ただ、こんな可愛らしい席に、ずぶぬれ(生乾き)のおばちゃんが一人で座ることに
なんだか申し訳ない気持ちになりました。
(前後は私より若めの女性グループやファミリーが座っていて一人客、浮きました(笑))
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ビールに合いそうなフリット類
サンドイッチやパスタなどが美味しそうだったのですがアラカルトメニューは
14時からということで、
ランチメニューから選びます
ハントンライス(石川県のソウルフード)も気になったのですが
3月初旬のパスタのことを思い出し、その後リカバーしたにもかかわらず
自分の味覚に異常がないことを確認したくて(笑)再びパスタを注文してしまいました。
じめっとした生乾き状態のまま、、
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(食べログ)https://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17012248/
1人でもネット予約できるので満席で入れないよりは、、と予約した際、
「海を観ながらお食事したいので、可能であれば窓側の席に座りたいです」
無理を承知で希望欄に書いたところ、
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1人でこういう席に案内された経験がないので(入口近くや窓から離れた席ばかり)
ただ、こんな可愛らしい席に、ずぶぬれ(生乾き)のおばちゃんが一人で座ることに
なんだか申し訳ない気持ちになりました。
(前後は私より若めの女性グループやファミリーが座っていて一人客、浮きました(笑))
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サンドイッチやパスタなどが美味しそうだったのですがアラカルトメニューは
14時からということで、
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3月初旬のパスタのことを思い出し、その後リカバーしたにもかかわらず
自分の味覚に異常がないことを確認したくて(笑)再びパスタを注文してしまいました。
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これが晴れていればもっと遠くも見えるんだろうな、と思いながら
目に留まった置物(写真右上)、値札がついていました。(^-^;
(売り物ということもなさそうなので値札剥がし忘れ、みたいです)
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ただ、私の前にいたおばちゃんは、お皿が山になるほど盛っていたので、
それと比べると控え目かな、って感じです。
海の家というのだからシーフード(烏賊とか海老とか)があるかと思ったら、
その時の仕入れによるのでしょうね、わかさぎと甘鯛、どちらも南蛮漬けでした。
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甘鯛とわかさぎもちょっとずつとりましたが、それより多くよだれ鶏と豚しゃぶを
とってしまいましたが、どれも美味しかったので結果オーライです。
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オシャレ雑貨のお店で売っていそうなお皿です。(自宅にこういうお皿はありません(笑))
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多分、ぼらではない魚の卵なのかもしれませんね、見た目黄色で綺麗ですが、
あまり味がないというか(塩気薄)からすみではないだろう、という感じでした。
とはいえ、パスタは柔らかめながら塩気もほどよく(醍醐寺の時と全然違う)、
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ここのお会計で全国旅行支援のクーポン券を使うことが出来て二度満足。
食べ終わってお店を出ることにはほぼ満席(ご夫婦、家族が多め)でしたので、
早めの時間帯で予約したお陰で窓側の素敵な席に座って美味しく食べられたと
更に満足してお店を出ました。
この後は、再び土砂降りの中、歩いて銭屋五兵衛記念館に向かいます。
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~金沢港クルーズターミナル編~ [日本の旅(北陸)]
着ているものが水分で重たくなって靴もぐじゅっとした状態でランチに向かうのも
どこか寂しいのですが、早くこの悪天候から屋内に入って落ち着きたい、そんな気持ちで
早足で歩きました。
少しずつ見えてきた建物
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この船は?
どこか寂しいのですが、早くこの悪天候から屋内に入って落ち着きたい、そんな気持ちで
早足で歩きました。
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船体も見たのですが船の名前が見つからず、自衛隊の船なのかなと思ったのですが、
結局よくわからないまま記事を書いております。(^-^;
悪天候で自分の周りに誰もいない寂しさを感じながら歩いておりましたが、
普段は大型客船が寄港するターミナルだそうです。
やっと着きました
結局よくわからないまま記事を書いております。(^-^;
悪天候で自分の周りに誰もいない寂しさを感じながら歩いておりましたが、
普段は大型客船が寄港するターミナルだそうです。
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(ホームぺージ)https://www.kanazawa-cruise.jp/
見た目が新しそうだったので調べてみたら、金沢港開港50周年記念の2020年6月に
オープンしたとのこと、まだできて3年弱ですから新しい雰囲気に納得です。
中に入ったところにチラシが置いてあるコーナーがあったので見ていたら
さかなざわさちこさん!
(着ぐるみだとかなり大きいみたいですが一度見てみたい)
先ほど見てきた金沢いきいき魚市のちらしにいらっしゃいました、さちこさん。
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先ほど見てきたからくり記念館、とこれからいく銭屋五兵衛博物館のチラシを見て、
雨が降っていない屋内に着いてほっとしたものの、今度は洋服のぐじゅぐじゅが
気になりつつ、中を暫し散策します。
白いグランドピアノ
最近こういう街角ピアノ、多いですね。和歌山の南紀白浜空港でも見たことがありますが、
小さい頃ピアノを習っていたのに今はさっぱりご無沙汰の私も、たまには練習しようかな、
ピアノを見るとそんな気持ちになります。
2階から見た1階フロア
かなり広いのですが、クルーズ船が接岸したら賑やかなのでしょうね。
クルーズ船の2隻同時接岸の場合にも対応可能なCIQ(税関、入国審査、検疫)がウリ、
みたいですが、新しい施設だからこそできることなのかもしれませんね。
と、2020年6月オープンで思い出したのは、時期的に2020年1月、コロナウィルスが
中国から感染拡大していく中、日本でも未知のウィルスと感染を恐れていたころ、
ダイヤモンドプリンセス号で陽性患者が発生し、船内隔離の措置がとられたことでした。
船旅(こんな時期に遊んでいる)が悪のように報道されていたのを思い出すと
人間の心は本当に狭量で自分と異なることを否定しがちだなあと思います。
当時は未知のウィルスで誰もが警戒していましたので私も快くは思っていなかったのですが、
船内隔離で乗客や船のスタッフだけでなく、船に必要物資を届ける人たちもいつまで続くのか、
と、心身ともに大変だったでしょうね。
これからクルーズ旅が増えていくのを見越して作ったターミナルなんだろうと思うと、
今でこそクルーズ旅がまた活況なイメージですがオープン当時は大変だったのだろうと
思いました。
そんな2階にはクルーズ船の模型コーナー
飛鳥Ⅱ
ダイヤモンド・プリンセス
コスタ・フォーチュナ
(イタリアのクルーズ船だそうです)
にっぽん丸
ロストラル
一生に一度乗ってみたいと思うけれど予算をねん出できるのかどうか、、、
1週間くらいでも乗ってみたいんですけどねぇ。。(宿題です)
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模型の前にあるのは「金沢港まなび体験ルーム」。
このターミナルのある金沢港の地図(どうやって船が入ってくるのか表示したり)、
金沢港操船シミュレータ(多分有料)などがあってお子さんがたくさん楽しそうに
室内で過ごしていました。(私はそれを楽しそうに観ておりました)
気づけばランチで予約した時間(11時30分)になっておりました。
この後はオシャレランチでリラックスします。(^-^)
見た目が新しそうだったので調べてみたら、金沢港開港50周年記念の2020年6月に
オープンしたとのこと、まだできて3年弱ですから新しい雰囲気に納得です。
中に入ったところにチラシが置いてあるコーナーがあったので見ていたら
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(着ぐるみだとかなり大きいみたいですが一度見てみたい)
先ほど見てきた金沢いきいき魚市のちらしにいらっしゃいました、さちこさん。
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先ほど見てきたからくり記念館、とこれからいく銭屋五兵衛博物館のチラシを見て、
雨が降っていない屋内に着いてほっとしたものの、今度は洋服のぐじゅぐじゅが
気になりつつ、中を暫し散策します。
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最近こういう街角ピアノ、多いですね。和歌山の南紀白浜空港でも見たことがありますが、
小さい頃ピアノを習っていたのに今はさっぱりご無沙汰の私も、たまには練習しようかな、
ピアノを見るとそんな気持ちになります。
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かなり広いのですが、クルーズ船が接岸したら賑やかなのでしょうね。
クルーズ船の2隻同時接岸の場合にも対応可能なCIQ(税関、入国審査、検疫)がウリ、
みたいですが、新しい施設だからこそできることなのかもしれませんね。
と、2020年6月オープンで思い出したのは、時期的に2020年1月、コロナウィルスが
中国から感染拡大していく中、日本でも未知のウィルスと感染を恐れていたころ、
ダイヤモンドプリンセス号で陽性患者が発生し、船内隔離の措置がとられたことでした。
船旅(こんな時期に遊んでいる)が悪のように報道されていたのを思い出すと
人間の心は本当に狭量で自分と異なることを否定しがちだなあと思います。
当時は未知のウィルスで誰もが警戒していましたので私も快くは思っていなかったのですが、
船内隔離で乗客や船のスタッフだけでなく、船に必要物資を届ける人たちもいつまで続くのか、
と、心身ともに大変だったでしょうね。
これからクルーズ旅が増えていくのを見越して作ったターミナルなんだろうと思うと、
今でこそクルーズ旅がまた活況なイメージですがオープン当時は大変だったのだろうと
思いました。
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(イタリアのクルーズ船だそうです)
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一生に一度乗ってみたいと思うけれど予算をねん出できるのかどうか、、、
1週間くらいでも乗ってみたいんですけどねぇ。。(宿題です)
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模型の前にあるのは「金沢港まなび体験ルーム」。
このターミナルのある金沢港の地図(どうやって船が入ってくるのか表示したり)、
金沢港操船シミュレータ(多分有料)などがあってお子さんがたくさん楽しそうに
室内で過ごしていました。(私はそれを楽しそうに観ておりました)
気づけばランチで予約した時間(11時30分)になっておりました。
この後はオシャレランチでリラックスします。(^-^)
(つづく)
タグ:金沢
金沢旅行記2023~金沢港いきいき魚市編~ [日本の旅(北陸)]
金沢出身の大野弁吉さんについて学んでからくり人形の実物を楽しんだ後は、
記念館から歩いて15分くらいのところにある「金沢港いきいき魚市」に向かいましたが、
強風&土砂降りです(:_;)
時折ビニール傘が強風に煽られる中、潮の匂いにつつまれながら歩いていると、
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-c78a5.jpeg)
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「ヤマト醤油味噌」という醤油と味噌の醸造会社の前を通りました。
海、醤油といえば私の中では「銚子」ですが(ヤマサ&ヒゲタ醤油)
自分の知らない土地で銚子を連想させるような場所を見つけると
なんだか嬉しくなります。(^-^)
お天気がよければ&もうちょっと時間があれば立ち寄ってみたかったのですが、
ランチの予約をしていた関係であまり時間なく外観を見るのみでした。
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到着しました~
(いきいき魚市) https://ikiiki.or.jp/
近江市場のような観光客をターゲットとした市場のような感じかと思ったら、
(昔は地元向けだったのがいつの間にか観光客向けになっていったイメージ)
ホームぺージを見ると、漁師⇒産地仲買人⇒いきいき魚市という流れで新鮮な魚介が
運ばれてくる(産地仲買人に続く中央卸市場がない)ため、新鮮で価格も安い、
というのがウリらしく、からくり記念館のような場所(観光スポット少ない)に
あるので、県外やインバウンド観光客というより、県内や隣県の一般の方が
買いに来る、という市場だそうです。(行くまでちょっと勘違いしていました)
ほぼ四半世紀、結構歴史のある市場です
さかなざわさちこ?
(金沢の海の幸の好きな女の子らしいです)https://kanazawa-uminosachi.jp/introduction-of-sachan/
記念館から歩いて15分くらいのところにある「金沢港いきいき魚市」に向かいましたが、
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時折ビニール傘が強風に煽られる中、潮の匂いにつつまれながら歩いていると、
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「ヤマト醤油味噌」という醤油と味噌の醸造会社の前を通りました。
海、醤油といえば私の中では「銚子」ですが(ヤマサ&ヒゲタ醤油)
自分の知らない土地で銚子を連想させるような場所を見つけると
なんだか嬉しくなります。(^-^)
お天気がよければ&もうちょっと時間があれば立ち寄ってみたかったのですが、
ランチの予約をしていた関係であまり時間なく外観を見るのみでした。
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(いきいき魚市) https://ikiiki.or.jp/
近江市場のような観光客をターゲットとした市場のような感じかと思ったら、
(昔は地元向けだったのがいつの間にか観光客向けになっていったイメージ)
ホームぺージを見ると、漁師⇒産地仲買人⇒いきいき魚市という流れで新鮮な魚介が
運ばれてくる(産地仲買人に続く中央卸市場がない)ため、新鮮で価格も安い、
というのがウリらしく、からくり記念館のような場所(観光スポット少ない)に
あるので、県外やインバウンド観光客というより、県内や隣県の一般の方が
買いに来る、という市場だそうです。(行くまでちょっと勘違いしていました)
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(金沢の海の幸の好きな女の子らしいです)https://kanazawa-uminosachi.jp/introduction-of-sachan/
(こんなビデオも発見) https://youtu.be/jp6dXE1--G0
入口はこんな感じですが中に進むと人でいっぱいでした
まぐろ解体ショーは解体してサクに切り分けているところだったので、
物凄い数の人が群がっていて遠巻きに見学するのみ、
優勝という名前の立ち食い寿司
ミシュラン2つ星の「すし処めくみ」が監修したお店として昨年夏にオープン、
というのをネットで見つけたのですが、帰る頃(11時ちょっと前)には
カウンターも人でかなりいっぱいという感じで盛況でした。
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蟹蟹蟹
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あんこう、めぎす、ハタハタ、のどぐろなど、蟹以外も金沢港で水揚げされたお魚が
たくさん並んでいます。
たらのあら 一皿300円!
(家まで電車で一時間圏内だったら絶対買ってます
活蟹もありました
お値段は蟹もそんなに高くないような印象で、やはり地元の方が美味しいお魚を
求めてやってくる市場なんだろうなと思いました。
(車のナンバーも石川ナンバーが殆どでした)
加能ガニ?
(石川県で水揚げされるブランドガニ)https://www.pride-fish.jp/JPF/pref/detail.php?pk=1408962597
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水槽に寝そべるヒラメ?(カレイ?)やガス海老、ジャ海老などなど、
普段見ることのない海鮮を沢山みて(買って帰れないのが残念)
観光客ではなく地元客に溢れるローカルな雰囲気を満喫した後は、
ランチ会場(予約している金沢港クルーズターミナル)へ移動します。
再び土砂降りの中を歩きます
土砂降りで塗れた後、屋内で半渇きになって、再び土砂降りでずぶぬれ、
更に屋内で半渇きになった、、ところでまた外を歩いていますが、
靴はぐじゅぐじゅ、が、ぐじゅ、ってなったのが再びぐじゅぐじゅ、って感じでした。
バス移動するにもバスルートなく、タクシーもサービス圏外表示なので、
歩くしかないのですが、やはりお天気の良い時がいいですね。
がんばってあるきまーす。
(つづく)
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まぐろ解体ショーは解体してサクに切り分けているところだったので、
物凄い数の人が群がっていて遠巻きに見学するのみ、
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ミシュラン2つ星の「すし処めくみ」が監修したお店として昨年夏にオープン、
というのをネットで見つけたのですが、帰る頃(11時ちょっと前)には
カウンターも人でかなりいっぱいという感じで盛況でした。
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あんこう、めぎす、ハタハタ、のどぐろなど、蟹以外も金沢港で水揚げされたお魚が
たくさん並んでいます。
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(家まで電車で一時間圏内だったら絶対買ってます
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お値段は蟹もそんなに高くないような印象で、やはり地元の方が美味しいお魚を
求めてやってくる市場なんだろうなと思いました。
(車のナンバーも石川ナンバーが殆どでした)
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(石川県で水揚げされるブランドガニ)https://www.pride-fish.jp/JPF/pref/detail.php?pk=1408962597
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水槽に寝そべるヒラメ?(カレイ?)やガス海老、ジャ海老などなど、
普段見ることのない海鮮を沢山みて(買って帰れないのが残念)
観光客ではなく地元客に溢れるローカルな雰囲気を満喫した後は、
ランチ会場(予約している金沢港クルーズターミナル)へ移動します。
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土砂降りで塗れた後、屋内で半渇きになって、再び土砂降りでずぶぬれ、
更に屋内で半渇きになった、、ところでまた外を歩いていますが、
靴はぐじゅぐじゅ、が、ぐじゅ、ってなったのが再びぐじゅぐじゅ、って感じでした。
バス移動するにもバスルートなく、タクシーもサービス圏外表示なので、
歩くしかないのですが、やはりお天気の良い時がいいですね。
がんばってあるきまーす。
(つづく)
タグ:金沢