リンクトイン [いろいろ②]
カタカナのタイトルで何?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、
本日はリンクトインというアプリの話です。
リンクトイン(Linkedin)を始めたのはロンドンオリンピックが開催された2012年、
新卒から20年ちょっと働いた会社を退職した(早期退職に応募)後、
友人(外資系企業勤務)からヘッドハンティングの可能性もあるからリンクトインに
自分の職歴を登録した方がいいよ、と勧められたのがきっかけです。
(URL)https://jp.linkedin.com/
とりあえず自分のプロフィールや略歴を登録したのですが、
日系企業(製造業)の事務職を20年ちょい、管理職経験なし、という略歴で
ヘッドハンティングがくるはずもなく、何通か人材紹介の会社からメッセージは
きたものの書類選考であっさり辞退されてしまうの繰り返し、の後、
リンクトイン経由での転職活動は休火山(いや死火山かも)状態になりました。
誰でも閲覧できるので(昔の勤め先の人が検索してくることも想定し)
その後の転職先の情報は一切書かず、最初に登録してから未更新のまま10年。
途中、昔の勤め先の海外法人の方が私のことを探してメッセージを送ってきてくれて
その人は嫌いではないというか、逆にお互い同じ人のことで嫌な思いをした同士、
といった感じの人だったのでやりとりが一時期だけですがかなり盛り上がりました。
(その後は何度かやりとりしたものの現在は音信不通)
最近は、今の仕事で社外の方と初めてコンタクトする時にその方の略歴を調べる、
特に外資系、金融関連は必ずここで略歴が見つかるので重宝しています。
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/LinkedIn
wikiを読んで、リンクトインがビジネスに活用できるSNSだということを
初めて知りました。(^-^;
確かに、ブログ友でもまめに自分の活動をリンクトインにアップしている人、
いたりするので、使い方によってはいいものなのでしょうね。
と、自分の転職には無用の長物だったリンクトインで最近動きがありました。
(といっても転職活動での動きではありません。(笑))
1月下旬、リンクトインに登録しているgmailにメッセージが届いた連絡あり、
開けてみたら送信してきたのはスロベニアのTさん。
Tさんとは2008年のクロアチア、セルビア出張の時、担当代理店の営業マンとして
同行してもらった方なのですが、
なんで今頃連絡くれたの??(◎_◎;)
っていうか私のこと覚えてくれている!(^-^)

(https://jp.freepik.com/free-vector/map-of-europe-with-countries-of-colors_2090828.htmよりダウンロードした地図に書き込みました)
非常に見づらいのですが、青く丸した3つの国、
左からスロベニア、クロアチア、セルビア、です。
スロベニアとクロアチアはアドリア海をはさんでイタリアのお隣さん、
セルビアはブルガリアやルーマニアのお隣さんの国です。
出張後は海外の展示会でお会いすることが何回かありましたが、
会社のメールアドレス(⇐最終出社日翌日から即使えなくなった(笑))から
退職のご挨拶を送った時にコンタクトをとったきり、それから10年半くらい経っていて
どうして連絡くれたのか、、分からないけれどメッセージをいただいたことが
なんだか嬉しく思えました。
メッセージ自体は「明けましておめでとう」といった感じの新年ご挨拶と、
以前こちらにきてくれたことは今でも覚えています、という内容でした。
2008年の出張は年の前半、まだリーマンショックが起きる前、
これからは東欧(旧共産圏)にも商機が増えていくだろうという見立てのもと、
会社の偉い人が出張するのにおまけでついていったという感じだったのですが、
Tさんと上司(代理店社長)のNさん、セルビアでは営業担当のZ君のおかげで
珍道中みたいな出張ながら旧ユーゴスラビアが解体された後どうなったのか、
自分で調べたことと現地で垣間見たもの、私なりに学びのあった出張でした。
その後、民族浄化やそのために他国へ避難する人たちについて映画でも
知る機会がありましたが、
本日はリンクトインというアプリの話です。
リンクトイン(Linkedin)を始めたのはロンドンオリンピックが開催された2012年、
新卒から20年ちょっと働いた会社を退職した(早期退職に応募)後、
友人(外資系企業勤務)からヘッドハンティングの可能性もあるからリンクトインに
自分の職歴を登録した方がいいよ、と勧められたのがきっかけです。
(URL)https://jp.linkedin.com/
とりあえず自分のプロフィールや略歴を登録したのですが、
日系企業(製造業)の事務職を20年ちょい、管理職経験なし、という略歴で
ヘッドハンティングがくるはずもなく、何通か人材紹介の会社からメッセージは
きたものの書類選考であっさり辞退されてしまうの繰り返し、の後、
リンクトイン経由での転職活動は休火山(いや死火山かも)状態になりました。
誰でも閲覧できるので(昔の勤め先の人が検索してくることも想定し)
その後の転職先の情報は一切書かず、最初に登録してから未更新のまま10年。
途中、昔の勤め先の海外法人の方が私のことを探してメッセージを送ってきてくれて
その人は嫌いではないというか、逆にお互い同じ人のことで嫌な思いをした同士、
といった感じの人だったのでやりとりが一時期だけですがかなり盛り上がりました。
(その後は何度かやりとりしたものの現在は音信不通)
最近は、今の仕事で社外の方と初めてコンタクトする時にその方の略歴を調べる、
特に外資系、金融関連は必ずここで略歴が見つかるので重宝しています。
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/LinkedIn
wikiを読んで、リンクトインがビジネスに活用できるSNSだということを
初めて知りました。(^-^;
確かに、ブログ友でもまめに自分の活動をリンクトインにアップしている人、
いたりするので、使い方によってはいいものなのでしょうね。
と、自分の転職には無用の長物だったリンクトインで最近動きがありました。
(といっても転職活動での動きではありません。(笑))
1月下旬、リンクトインに登録しているgmailにメッセージが届いた連絡あり、
開けてみたら送信してきたのはスロベニアのTさん。
Tさんとは2008年のクロアチア、セルビア出張の時、担当代理店の営業マンとして
同行してもらった方なのですが、
なんで今頃連絡くれたの??(◎_◎;)
っていうか私のこと覚えてくれている!(^-^)
(https://jp.freepik.com/free-vector/map-of-europe-with-countries-of-colors_2090828.htmよりダウンロードした地図に書き込みました)
非常に見づらいのですが、青く丸した3つの国、
左からスロベニア、クロアチア、セルビア、です。
スロベニアとクロアチアはアドリア海をはさんでイタリアのお隣さん、
セルビアはブルガリアやルーマニアのお隣さんの国です。
出張後は海外の展示会でお会いすることが何回かありましたが、
会社のメールアドレス(⇐最終出社日翌日から即使えなくなった(笑))から
退職のご挨拶を送った時にコンタクトをとったきり、それから10年半くらい経っていて
どうして連絡くれたのか、、分からないけれどメッセージをいただいたことが
なんだか嬉しく思えました。
メッセージ自体は「明けましておめでとう」といった感じの新年ご挨拶と、
以前こちらにきてくれたことは今でも覚えています、という内容でした。
2008年の出張は年の前半、まだリーマンショックが起きる前、
これからは東欧(旧共産圏)にも商機が増えていくだろうという見立てのもと、
会社の偉い人が出張するのにおまけでついていったという感じだったのですが、
Tさんと上司(代理店社長)のNさん、セルビアでは営業担当のZ君のおかげで
珍道中みたいな出張ながら旧ユーゴスラビアが解体された後どうなったのか、
自分で調べたことと現地で垣間見たもの、私なりに学びのあった出張でした。
その後、民族浄化やそのために他国へ避難する人たちについて映画でも
知る機会がありましたが、
旧ユーゴスラビアから解体後にイギリスに移民でやってきた女性を描いた作品、
こういう作品を観て、日本が本当に平和なのだと実感しました。
と、シリアスになってしまったのですが、2008年の出張でも、
解体後のクロアチアとセルビアをちょっとだけ見る機会があったのはありがたかったです。
(当時の出張の様子はよろしければこちらからどうぞ)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2008-12-18
で、今回連絡をくださったTさんの顔を思い出しながら返事を書きました。
メッセージをくれたことへのお礼、転職して今は違う業界で働いていること、
昨年左肩(本当は左上腕)を骨折して大変だったけれど今はだいぶよくなっていること、
2008年の出張のことは今でもよく覚えているけれど、Tさんの他に一緒に移動してくれた
Nさん(Tさんの上司で代理店の社長)、Z君(セルビアの営業担当)もお元気ですか?
本当にいい思い出でした。欧州は地政学的に不安定なところも多いでしょうし、
インフレで日本よりも大変と聞いていますが、元気でいてくれればと願っています、
と書いて送ったところ。
Nさんは10年前にリタイアしたけれど元気、Z君は転職して違う業界に行ったけれど
元気、コロナ禍から回復してきて自分の仕事は忙しくなっているけれど、
セルビアには(ビザなしで入国できるため)ロシアからもウクライナからも沢山の人が
やってきています、連絡とれてよかった、ありがとう、という返事がきました。
NさんとZ君とは、セルビアでの会食時の思い出が今でも色濃く頭に残っています。
(カラ・ジョージで笑いをとった私です)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2008-12-26-1
こういう作品を観て、日本が本当に平和なのだと実感しました。
と、シリアスになってしまったのですが、2008年の出張でも、
解体後のクロアチアとセルビアをちょっとだけ見る機会があったのはありがたかったです。
(当時の出張の様子はよろしければこちらからどうぞ)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2008-12-18
で、今回連絡をくださったTさんの顔を思い出しながら返事を書きました。
メッセージをくれたことへのお礼、転職して今は違う業界で働いていること、
昨年左肩(本当は左上腕)を骨折して大変だったけれど今はだいぶよくなっていること、
2008年の出張のことは今でもよく覚えているけれど、Tさんの他に一緒に移動してくれた
Nさん(Tさんの上司で代理店の社長)、Z君(セルビアの営業担当)もお元気ですか?
本当にいい思い出でした。欧州は地政学的に不安定なところも多いでしょうし、
インフレで日本よりも大変と聞いていますが、元気でいてくれればと願っています、
と書いて送ったところ。
Nさんは10年前にリタイアしたけれど元気、Z君は転職して違う業界に行ったけれど
元気、コロナ禍から回復してきて自分の仕事は忙しくなっているけれど、
セルビアには(ビザなしで入国できるため)ロシアからもウクライナからも沢山の人が
やってきています、連絡とれてよかった、ありがとう、という返事がきました。
NさんとZ君とは、セルビアでの会食時の思い出が今でも色濃く頭に残っています。
(カラ・ジョージで笑いをとった私です)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2008-12-26-1
数独が好きなおじいちゃんのNさん、柔道黒帯で日本が大好きといってくれたZ君、
そして、いつも冷静沈着、丁寧対応でいつもサポートしてくれたTさん、
会社は変わってもこうやってつながれるというのは今のSNS時代なのだな、と
自分の存在を忘れずにいてくれる人がいたことはありがたいと思いながら、
アカウントを残しておいてよかった、と思ったリンクトインでありました。
(それだけのことがいいたくて記事にしました。お粗末。)
あけましておめでとうございます [いろいろ②]

みなさま、あけましておめでとうございます。
年々光陰矢の如しな感じで令和もあっという間に5年になった感じです。
昨年は春に転倒して骨折(まだリハビリ中)して健康の有難みを感じた次第ですが、

久しぶりに酒断ちしたり牛乳を呑んだり、骨強化につとめています。
(酒断ちは短期間で現在は通常モードです(笑))
段差のないところでも躓きそうになるのは足腰が弱っているからかと
自宅でゆるめのスクワットなどをするようになりましたが、
今年こそ外で運動する癖をつけないといけないなという気持ちになっております。
人生の大イベントぽいものがないまま半世紀を超えてしまった感ありですが、
違う意味でのイベント(転職とか骨折とか)は時折経験して私なりには
メリハリがついているような、そんな日々、とはいえ、痛いのはもう嫌なので
転倒しないように気を付けないと、と思っています。

昨年末少々弱気なことも書いてしまいましたが、
今年も自分の日々徒然を綴っていきたいと思いますので、
よろしくお願いします。
みなさまにとっても素晴らしい一年になりますように。
A~ムウェイ [いろいろ②]
最近のニュースを見てAムウェイってまだ活動していたと驚いたのですが、
私自身の昔の経験を思い出しました。
(このニュース)https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2210/14/news156.html
7月の悲しい事件で炙り出されたカルト団体についても「え、まだ存在していたの?」
と驚いたのですが(同級生のお姉さんが某淳子さんと同じ合同●●式に参加していた)
今回のAムウェイについても30年以上前にちょっとしたことがありました。
大学生の頃、高校の同級生(Sちゃん)の家に遊び(泊まり)に行きました。
Sちゃんは、大学浪人中にバイト先で出会った男性と結婚し、家を飛び出して
千葉から神奈川県に引っ越していたのでちょっとした小旅行気分で訪れたのですが、
食事してSちゃんと話していたところ(夜結構遅い時間)にダンナが帰ってきました。
ダンナ、Sちゃんが大学受験して4年間大学に通えるように、と、
お給料はいいけれど過酷な労働で有名だった(今は改善されていると思いますが)
宅配便会社に勤めていました。冬でも半袖のドライバーで有名な会社です。
朝6時前には家を出て、ニュースステーションが始まった頃に帰ってくるような日々、
それもこれもSちゃんのため、と聞いて、なんていい人なんだ、、、と思っていたら、
「うつぼちゃん、A~ムウェイって聞いたことある?」
と聞いてきました。
今でも覚えているのですが、Aのあとを伸ばして何度も社名を連呼するダンナでした。
明日も早いんだから寝た方がいいんじゃないの、と思いながら、
「いえ、初めて聞きました」と答えると、「そう、初めてなんだ!」と嬉しそうに
他の部屋へ行って、なにやら色々と手にして戻ってきたダンナのプレゼンテーションが
始まりました。
Aムウェイとは、良い製品を提供している会社で、その良い製品を使う人の輪を広げていく、
世の中の人がみんなAムウェイの製品を使うようになるために俺は頑張っているんだ、
使う人の輪を広げていけば、俺自身にもお金がたくさん入る仕組みになっていて、
一旦その権利を得たら、それを自分の子供にも引き継いでいける素晴らしいシステムで、
今の仕事はお給料がいいけれどとにかく仕事がきつい、このままずっと同じことを続けて
いけると思わないし、そのためにもAムウェイで頑張って先々の生活を安定したものに
したいと思っているんだ。
熱く語るダンナ。
と、嫌そうな顔してダンナを見ているSちゃん。
それってネズミ講(当時マルチ商法という言葉があったか覚えていませんが)じゃね?
私自身の昔の経験を思い出しました。
(このニュース)https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2210/14/news156.html
7月の悲しい事件で炙り出されたカルト団体についても「え、まだ存在していたの?」
と驚いたのですが(同級生のお姉さんが某淳子さんと同じ合同●●式に参加していた)
今回のAムウェイについても30年以上前にちょっとしたことがありました。
大学生の頃、高校の同級生(Sちゃん)の家に遊び(泊まり)に行きました。
Sちゃんは、大学浪人中にバイト先で出会った男性と結婚し、家を飛び出して
千葉から神奈川県に引っ越していたのでちょっとした小旅行気分で訪れたのですが、
食事してSちゃんと話していたところ(夜結構遅い時間)にダンナが帰ってきました。
ダンナ、Sちゃんが大学受験して4年間大学に通えるように、と、
お給料はいいけれど過酷な労働で有名だった(今は改善されていると思いますが)
宅配便会社に勤めていました。冬でも半袖のドライバーで有名な会社です。
朝6時前には家を出て、ニュースステーションが始まった頃に帰ってくるような日々、
それもこれもSちゃんのため、と聞いて、なんていい人なんだ、、、と思っていたら、
「うつぼちゃん、A~ムウェイって聞いたことある?」
と聞いてきました。
今でも覚えているのですが、Aのあとを伸ばして何度も社名を連呼するダンナでした。
明日も早いんだから寝た方がいいんじゃないの、と思いながら、
「いえ、初めて聞きました」と答えると、「そう、初めてなんだ!」と嬉しそうに
他の部屋へ行って、なにやら色々と手にして戻ってきたダンナのプレゼンテーションが
始まりました。
Aムウェイとは、良い製品を提供している会社で、その良い製品を使う人の輪を広げていく、
世の中の人がみんなAムウェイの製品を使うようになるために俺は頑張っているんだ、
使う人の輪を広げていけば、俺自身にもお金がたくさん入る仕組みになっていて、
一旦その権利を得たら、それを自分の子供にも引き継いでいける素晴らしいシステムで、
今の仕事はお給料がいいけれどとにかく仕事がきつい、このままずっと同じことを続けて
いけると思わないし、そのためにもAムウェイで頑張って先々の生活を安定したものに
したいと思っているんだ。
熱く語るダンナ。
と、嫌そうな顔してダンナを見ているSちゃん。
それってネズミ講(当時マルチ商法という言葉があったか覚えていませんが)じゃね?
心の中で思ったのですが、Sちゃんのために一生懸命働いて夜遅く疲れて帰ってきて
それでこんなに熱く語っているダンナには反論してはいけないような気がして
おとなしく聞いていました。
ダンナ、仕事が過酷で辛くて、でもSちゃんとの生活のために辞められないし、
「安定」という言葉、というか、何かすがるものが欲しかったのかもしれません。
といっても、私が首を縦に振るわけもないのですが。
と、今度はダンナがアルミホイルを広げて
「うつぼちゃん、A~ムウェイの製品がどれだけいいか見せるからね」
とテレビで宣伝されている有名な歯磨き粉のチューブから、
チューっとアルミホイルの上に歯磨き粉をしぼり出しました。
「この歯磨き粉は研磨剤が入っているからアルミホイルも削っちゃうんだよ」
といいながら、歯磨き粉をアルミホイルの上で練り練りすると、
アルミが削れて灰色の歯磨き粉が出来上がりました。
「これで歯を磨いたら歯に良くないって分かるよね?
A~ムウェイの歯磨き粉は違うから、見ててね」
今度はAムウェイの歯磨き粉をアルミホイルの上に絞り出して練り練り。
アルミホイルは削れず歯磨き粉は白いまま。
他にも確か数点製品デモを見たはずですが、この歯磨き粉の思い出が強すぎて
殆ど覚えておりません(たしか台所洗剤(界面活性剤が入っていないのがウリ))。
デモが終った後「うつぼちゃんも一緒にやろうよ、ね?」と言われましたが
Sちゃんのダンナとはいえ、この日が初対面、おまけにネズミ講ときたら
一緒にやらないしな、と思ったものの、どう断っていいのか、と迷いつつ、
「製品が良いのは分かったし、購入する機会はあるかもしれないけれど、
販売する側で活動したいという気持にはなれないです。ごめんなさい。」
謝る私に、ダンナは食い下がってきたのですが、
Sちゃんが「私の友達まで巻き込まないで」と怒って終了となりました。
その翌年、Sちゃんは大学に入学し、大学院まで進んで海外留学まで果たしましたが
その間の生活をささえていたダンナとはその後別れて30年近く経ちました。
ダンナはどうしているんだろうか、悪い人ではなさそうだったし、
Aムウェイの渦に巻き込まれず、元気に暮らしていてくれればいいけれど、
そんなことをふと思い出した今回の一件でありました。
(ドントテルミーアライさんの動画を観て時の流れと共にある意味進化していてビックリ)
それでこんなに熱く語っているダンナには反論してはいけないような気がして
おとなしく聞いていました。
ダンナ、仕事が過酷で辛くて、でもSちゃんとの生活のために辞められないし、
「安定」という言葉、というか、何かすがるものが欲しかったのかもしれません。
といっても、私が首を縦に振るわけもないのですが。
と、今度はダンナがアルミホイルを広げて
「うつぼちゃん、A~ムウェイの製品がどれだけいいか見せるからね」
とテレビで宣伝されている有名な歯磨き粉のチューブから、
チューっとアルミホイルの上に歯磨き粉をしぼり出しました。
「この歯磨き粉は研磨剤が入っているからアルミホイルも削っちゃうんだよ」
といいながら、歯磨き粉をアルミホイルの上で練り練りすると、
アルミが削れて灰色の歯磨き粉が出来上がりました。
「これで歯を磨いたら歯に良くないって分かるよね?
A~ムウェイの歯磨き粉は違うから、見ててね」
今度はAムウェイの歯磨き粉をアルミホイルの上に絞り出して練り練り。
アルミホイルは削れず歯磨き粉は白いまま。
他にも確か数点製品デモを見たはずですが、この歯磨き粉の思い出が強すぎて
殆ど覚えておりません(たしか台所洗剤(界面活性剤が入っていないのがウリ))。
デモが終った後「うつぼちゃんも一緒にやろうよ、ね?」と言われましたが
Sちゃんのダンナとはいえ、この日が初対面、おまけにネズミ講ときたら
一緒にやらないしな、と思ったものの、どう断っていいのか、と迷いつつ、
「製品が良いのは分かったし、購入する機会はあるかもしれないけれど、
販売する側で活動したいという気持にはなれないです。ごめんなさい。」
謝る私に、ダンナは食い下がってきたのですが、
Sちゃんが「私の友達まで巻き込まないで」と怒って終了となりました。
その翌年、Sちゃんは大学に入学し、大学院まで進んで海外留学まで果たしましたが
その間の生活をささえていたダンナとはその後別れて30年近く経ちました。
ダンナはどうしているんだろうか、悪い人ではなさそうだったし、
Aムウェイの渦に巻き込まれず、元気に暮らしていてくれればいいけれど、
そんなことをふと思い出した今回の一件でありました。
(ドントテルミーアライさんの動画を観て時の流れと共にある意味進化していてビックリ)
ペーパードライバー教習を受けてみた~教習編②~ [いろいろ②]
失意のズンドコ節みたいな状態になってしまった1回目のペーパードライバ―教習、
友人(50過ぎてから免許取得した志の高い人)に話すと驚いていました。
今の時代、ちょっとなにかあるとクレームをつけられるので腫れものに触れるように
どの先生も優しくて楽しい教習生活だったのにうつぼの担当の先生、凄いね、って。
他の友人はアンケートとかあったら書いた方がいいんじゃないのと言ってくれましたが
(アンケートなくホームページから書き込む気力もなく)
相性がわるかったのかな、と思うことにしました。
私はこう思いましたが、先生には先生の言い分もあるでしょうし。
と、記事を書きながらGoogleの口コミを見たら先生の当たり外れが大きいとか、
個別の名前を挙げてディスっているコメントもありました。
(気持ちは分かりますが実名あげるのもどうなのかと思ってしまった)
私の担当だった先生の名前は見つからなかったものの、
こういうコメントのように自分にとっての当たりはずれ、みたいなものは、
どういうところに行ってもあるのかもしれませんね。
と、気持ちが盛り上がらないまま1週間過ぎて迎えたペーパードライバー教習2回目。
また同じ先生だったらどうしよう、私の運転スタイルを一緒に作ってくれなさそう、
と思いながら配車してもらうと違う先生でした。(^O^)/
2回目です
友人(50過ぎてから免許取得した志の高い人)に話すと驚いていました。
今の時代、ちょっとなにかあるとクレームをつけられるので腫れものに触れるように
どの先生も優しくて楽しい教習生活だったのにうつぼの担当の先生、凄いね、って。
他の友人はアンケートとかあったら書いた方がいいんじゃないのと言ってくれましたが
(アンケートなくホームページから書き込む気力もなく)
相性がわるかったのかな、と思うことにしました。
私はこう思いましたが、先生には先生の言い分もあるでしょうし。
と、記事を書きながらGoogleの口コミを見たら先生の当たり外れが大きいとか、
個別の名前を挙げてディスっているコメントもありました。
(気持ちは分かりますが実名あげるのもどうなのかと思ってしまった)
私の担当だった先生の名前は見つからなかったものの、
こういうコメントのように自分にとっての当たりはずれ、みたいなものは、
どういうところに行ってもあるのかもしれませんね。
と、気持ちが盛り上がらないまま1週間過ぎて迎えたペーパードライバー教習2回目。
また同じ先生だったらどうしよう、私の運転スタイルを一緒に作ってくれなさそう、
と思いながら配車してもらうと違う先生でした。(^O^)/
名前から推測すると(キラキラネームではない)年代が近いのではないかな、
期待しながら教習が始まると、私よりちょっと若そうな40代後半か50代前半くらい、
スポーツ刈りでカジュアルな服装のおじさんでした。
見た目は前回の先生より明らかに優しそうなので期待しちゃいます。(^-^)
最初先生が運転して路側帯みたいなところに車をとめてから、
「うつぼさん、今日は路上を走りましょうね。
折角運転免許を持っていてペーパードライバー教習に申し込まれたんだから、
外で練習しないと自信がつかないですからね。」
先生。(´;ω;`)
前回は今回の教習を盛り上げるための前フリだったんでしょうか。
今日はこの先生でよかった、路上に出る前にホッとして、運転席に座って出発。
駅前にある教習所なので外に出たところではバスや自転車がいてごちゃついていますが、
ちょっと走ると自然がいっぱいの公園もあったりして、景色がきれい。
「はい、ここは30㌔制限ですよ」
「一時停止線がありますね」
「50㌔制限ですからアクセル強めに踏んでみましょうね」
道路横の交通標識と道路の路面標示をきちんと見てルールに従って走行することの
大切さを丁寧に優しく(全然怒られなかった)教えてもらいました。
前回喋りすぎが先生の機嫌を損ねたかもしれないと思っていたので、
こちらからは一切話をせず、先生の言うことをひたすら復唱、そして安全運転、
駅前に近くなると飛び出してくる自転車が意外と多いと思いましたが、無事帰還。
「左右前後、交通標識と路面標示、きちんと確認して走行しましょうね。
うつぼさん、とても堂々と運転しています。(⇐見た目ではなく運転が(笑))
大丈夫、自信をもってくださいね。
車は自分だけの世界ではなくて周りのドライバーさんたちとルールを守って運転する、
そういうものですから、常に意識して運転しましょう。がんばってくださいね。」
先生、ありがとうございます。(^-^)
帰りに先生の写真の下に書いてあるコメントを見ると、
50分集中していきましょう
と書いてありました。先生のお陰で緊張少なめで集中できました。
前回でもうやめようと思いかけていましたが続けてよかった、と婆1号に伝えると
「あと何回乗れば家で運転できるんだい?」と聞かれました。
「免許持ってるから乗れないわけでもないけれど基本が3回で残り1回だから
残りの教習を受けてから運転するってことでいい?」と答えると、
「早く乗れるようになるといいね!」と婆1号。
「タクシーで移動できるから無理してお前が運転することないわよ。
大体20年以上運転していない人の運転なんて怖くて乗れたもんじゃない。」
そんなことを言ったことはすっかり忘却の彼方に飛んでいったようです。(笑)
と、残り1回も真面目に教習を受けようと、翌日再び教習所に向かいました。
配車票を見るとまた違う先生で名前の雰囲気は年代近いかもしれないという感じ。
あと1回です
現れた先生は、40代前半くらいかな、と言う感じの男性で、
「今日も路上ですけど特に練習したいところはありますか?」と聞かれたので
「とにかく路上に慣れたいです」と答えてこの日は最初から運転席に座って出発。
と、片側2車線の国道(自宅のあたりも走っている水戸街道)に入り、
江戸川を渡って、M戸市に入り、このままだと自宅あたりまで行きそうだな、と
思ったところで左折して違う道に行って再び江戸川を渡って東京都に戻り、
先生は制限速度と右折左折の指示しかしないので、復唱して走っていると、
途中で曲がるときにもう少し減速した方がいいですね、というのと、
左折するときはもっと左に寄ってくださいね、バイクが通り抜けて巻き込む可能性を
なくすためです、という2回、注意されました。(でも全然怖くなかった)
あとは、こまめにブレーキを踏むと煽り運転と勘違いされることがあるので
気をつけましょうと言われたのは免許取得時の教習所ではなかったことで、
イマドキのトピックスを反映した指導だなと思いました。
60㌔制限のところでなかなか60㌔出せず(後ろの車におせーなと思われたはず)、
スムーズな車の流れを作れなかったことを反省すると、
大丈夫ですよ、加速も減速も出来ていますから、あとは慣れでしょうね、
がんばってください、と言われて教習終了。
3回目の先生の写真の下に書いてあったコメントは、
リラックスしていきましょう
でした。
先生は殆ど話しませんでしたがそれでもリラックスできたかな、、と思います。
と3回の教習を経て、実家で軽自動車を運転し(苦手な車庫入れもなんとか)、
婆1号を買い物などに連れていけるようになりました。
最初に実家で運転した時怖くないか聞いたら(笑)
「思っていたほどは怖くない」という返事が返ってきたのですが、
それって、少しは怖いってことなんでしょうね。(笑)
婆1号には怖い思いをさせて申し訳ない気持ちです。。。。。
出来れば運転したくはないとかなりの間渋っていましたが、
必要に迫られると人間出来るものですね。
あと何年こういう生活を婆1号と過ごせるのか分かりませんが
(長くても4,5年くらいだと思いますが)
この歳でもやろうという気持があれば苦手意識を克服することができるものだと思った
今回のペーパードライバー教習でありました。
(これにて、ペーパードライバー教習を受けてみた おわり)
期待しながら教習が始まると、私よりちょっと若そうな40代後半か50代前半くらい、
スポーツ刈りでカジュアルな服装のおじさんでした。
見た目は前回の先生より明らかに優しそうなので期待しちゃいます。(^-^)
最初先生が運転して路側帯みたいなところに車をとめてから、
「うつぼさん、今日は路上を走りましょうね。
折角運転免許を持っていてペーパードライバー教習に申し込まれたんだから、
外で練習しないと自信がつかないですからね。」
先生。(´;ω;`)
前回は今回の教習を盛り上げるための前フリだったんでしょうか。
今日はこの先生でよかった、路上に出る前にホッとして、運転席に座って出発。
駅前にある教習所なので外に出たところではバスや自転車がいてごちゃついていますが、
ちょっと走ると自然がいっぱいの公園もあったりして、景色がきれい。
「はい、ここは30㌔制限ですよ」
「一時停止線がありますね」
「50㌔制限ですからアクセル強めに踏んでみましょうね」
道路横の交通標識と道路の路面標示をきちんと見てルールに従って走行することの
大切さを丁寧に優しく(全然怒られなかった)教えてもらいました。
前回喋りすぎが先生の機嫌を損ねたかもしれないと思っていたので、
こちらからは一切話をせず、先生の言うことをひたすら復唱、そして安全運転、
駅前に近くなると飛び出してくる自転車が意外と多いと思いましたが、無事帰還。
「左右前後、交通標識と路面標示、きちんと確認して走行しましょうね。
うつぼさん、とても堂々と運転しています。(⇐見た目ではなく運転が(笑))
大丈夫、自信をもってくださいね。
車は自分だけの世界ではなくて周りのドライバーさんたちとルールを守って運転する、
そういうものですから、常に意識して運転しましょう。がんばってくださいね。」
先生、ありがとうございます。(^-^)
帰りに先生の写真の下に書いてあるコメントを見ると、
50分集中していきましょう
と書いてありました。先生のお陰で緊張少なめで集中できました。
前回でもうやめようと思いかけていましたが続けてよかった、と婆1号に伝えると
「あと何回乗れば家で運転できるんだい?」と聞かれました。
「免許持ってるから乗れないわけでもないけれど基本が3回で残り1回だから
残りの教習を受けてから運転するってことでいい?」と答えると、
「早く乗れるようになるといいね!」と婆1号。
「タクシーで移動できるから無理してお前が運転することないわよ。
大体20年以上運転していない人の運転なんて怖くて乗れたもんじゃない。」
そんなことを言ったことはすっかり忘却の彼方に飛んでいったようです。(笑)
と、残り1回も真面目に教習を受けようと、翌日再び教習所に向かいました。
配車票を見るとまた違う先生で名前の雰囲気は年代近いかもしれないという感じ。
現れた先生は、40代前半くらいかな、と言う感じの男性で、
「今日も路上ですけど特に練習したいところはありますか?」と聞かれたので
「とにかく路上に慣れたいです」と答えてこの日は最初から運転席に座って出発。
と、片側2車線の国道(自宅のあたりも走っている水戸街道)に入り、
江戸川を渡って、M戸市に入り、このままだと自宅あたりまで行きそうだな、と
思ったところで左折して違う道に行って再び江戸川を渡って東京都に戻り、
先生は制限速度と右折左折の指示しかしないので、復唱して走っていると、
途中で曲がるときにもう少し減速した方がいいですね、というのと、
左折するときはもっと左に寄ってくださいね、バイクが通り抜けて巻き込む可能性を
なくすためです、という2回、注意されました。(でも全然怖くなかった)
あとは、こまめにブレーキを踏むと煽り運転と勘違いされることがあるので
気をつけましょうと言われたのは免許取得時の教習所ではなかったことで、
イマドキのトピックスを反映した指導だなと思いました。
60㌔制限のところでなかなか60㌔出せず(後ろの車におせーなと思われたはず)、
スムーズな車の流れを作れなかったことを反省すると、
大丈夫ですよ、加速も減速も出来ていますから、あとは慣れでしょうね、
がんばってください、と言われて教習終了。
3回目の先生の写真の下に書いてあったコメントは、
リラックスしていきましょう
でした。
先生は殆ど話しませんでしたがそれでもリラックスできたかな、、と思います。
と3回の教習を経て、実家で軽自動車を運転し(苦手な車庫入れもなんとか)、
婆1号を買い物などに連れていけるようになりました。
最初に実家で運転した時怖くないか聞いたら(笑)
「思っていたほどは怖くない」という返事が返ってきたのですが、
それって、少しは怖いってことなんでしょうね。(笑)
婆1号には怖い思いをさせて申し訳ない気持ちです。。。。。
出来れば運転したくはないとかなりの間渋っていましたが、
必要に迫られると人間出来るものですね。
あと何年こういう生活を婆1号と過ごせるのか分かりませんが
(長くても4,5年くらいだと思いますが)
この歳でもやろうという気持があれば苦手意識を克服することができるものだと思った
今回のペーパードライバー教習でありました。
(これにて、ペーパードライバー教習を受けてみた おわり)
タグ:珍事 ペーパードライバー教習
ペーパードライバー教習を受けてみた~教習編①~ [いろいろ②]
ぐずぐず決心した後、無事教習所に入所して10日後、
1回目のペーパードライバー教習の日がやってきました。
江戸川を渡って教習所に到着し、教習手帳のバーコードを機械にかざして
原簿を受け取った後は、配車票を発券してもらい、受付前の椅子に座って待機。
やはり緊張するものですね。周囲は若い方ばかりでなんだか浮いているし。(笑)
免許を取るんだ!という明るい希望に満ちた若者に対して、
運転できるかな、という不安に包まれた五十路のおばさん、対極な感じです。
「焦らす落ち着いて頑張りましょう」というアナウンスが流れた後、
時間になると教官の先生がぞろぞろ登場し、その日対応する生徒の名前を呼び、
呼ばれた生徒は教官と一緒に教習車に行って教習を受けるというスタイルでした。
(昔通った教習所は時間になったら自分で自分の乗る号車を確認して移動していた)
このプレートをつけます
仮免許じゃなくて取敢えずでも運転免許もってるからですね。
1回目の担当は、日テレの安村アナ似、30代くらいの先生で、
勝手におっさん先生(私と同年代)を期待していたので拍子抜けしました。
おそらく、先生も若い子じゃなくておばさんで拍子抜けしていたかもしれません。(笑)
よろしくお願いします、と挨拶して教習車に乗って最初は先生の運転で教習所内を5周、
最初にペーパードライバー教習を申し込んだきっかけを聞かれると思っていたのですが、
そんな私の事情(どうでもいいんでしょうね)などは一切聞かれることなく、
「大事なことはなんですか?」といきなり聞かれたので「目視でしょうか」と答えると、
「そうですね、バックミラーやサイドミラーで確認することも大事ですが、
ミラーに写らないものもありますから必ず曲がるときは目視、これは大事です、
あとは、適切な姿勢で運転するために座席を自分に最適な状態に合わせましょう」
と言ったところで運転者交代、私が運転席に座ることになりました。
ド緊張。((((;゚Д゚))))
先生に言われたように座席を合わせてミラーを調節して、
ギアをドライブにしてからサイドブレーキをおろして出発。
ああ、運転するってこんな感じだったんだなあ、と思い出しながら、
免許を取ってから10年くらいは実家で運転してたものの引っ越ししてから運転せず、
今回25年ぶりの運転であること、実家の母の免許不更新で今回教習を申し込んだこと、
先生に聞かれなかったものの、自分から話してみたら反応マジ薄でした。(:_;)
いや、マジ薄っていうより、反応なかった、、、、です。
反応がなかったことで己の緊張度合が高まったというか、
まっすぐなところで40㌔出してと言われても前方の車が気になって35㌔しか出せず、
左折するとき脱輪が怖くて一旦右に軽くハンドルを切って怒られ、
次の左折指示では左折前に車を道路の左に寄せていないと再び怒られ、
(バイクが追い抜いて巻き込む可能性があるから寄せないといけないと注意され)
見通しが悪いところで一時停止して右折する際も、左手からきた車が停止してどうぞと
合図してくれたので行こうとすると補助ブレーキが作動し、目視が足りないと怒られて。
(今回はたまたま譲ってもらったから右折できたんですからね、
ちゃんとみないで右折していたら事故起こしていますよと怒られた)
ションボリ。(;_:)
その怒り方がまたネチッとした感じで先生のイラつきレベル(高)が伝わるというか、
どんどん自分が萎縮していって今度は悲しい気持ちになってしまい、
「早く終わってほしい(:_;)」と思いながら教習所内をぐるぐる運転し、
教習が終わり所定の位置まで車を戻す段では、ペダルから足離していいからと言われて
先生のハンドル捌きでのろのろ移動して停車してやっと教習終了。
若い先生だし、ブランクが長くて不安なおばちゃんの緊張を解きほぐしてくれるような、
楽しくてフレンドリーな教習を期待して臨んだ自分が間違っていたのかもしれません。
おそらく私の運転が下手くそ過ぎて褒めどころがなく、おまけに先生が聞いていないのに
ベラベラ喋って、うざい婆と思われたのかもしれません。
でも、ペーパードライバー教習を受ける人ってブランクが長くて自信がない人が
受けるものだし(自信があったら受けないでしょう)、生徒の立場になって考えて
ほしかったなあ、しみじみ思いました。
リハビリ(まだ通ってます)だと、ちょっとできるとすぐ褒めてくれるので、
それに慣れ過ぎていたのかもしれませんが(笑)、それにしても先生怖かった。。。
憔悴して教習所の階段を降りる途中で、講師の一覧表を見つけて先生の写真を見つけて
その下に書いてあるコメントを見たら、
「貴方の運転スタイルを
一緒に作っていきましょう」
まじか。(笑)
自分の運転スタイルをつくる以前の状態だったのかな、私、と思いながら
教習所を後にして、楽しみしていた外呑みの気力も消えてしまったので
帰宅してからお疲れさま会(家呑み)をささやかに開催しました。
で、家呑み前に婆1号に報告すると、
「そんなに大変なら無理しなくていいわよ。」と言われて。
(;_:)
更に自信がなくなりました。。。
1回目のペーパードライバー教習の日がやってきました。
江戸川を渡って教習所に到着し、教習手帳のバーコードを機械にかざして
原簿を受け取った後は、配車票を発券してもらい、受付前の椅子に座って待機。
やはり緊張するものですね。周囲は若い方ばかりでなんだか浮いているし。(笑)
免許を取るんだ!という明るい希望に満ちた若者に対して、
運転できるかな、という不安に包まれた五十路のおばさん、対極な感じです。
「焦らす落ち着いて頑張りましょう」というアナウンスが流れた後、
時間になると教官の先生がぞろぞろ登場し、その日対応する生徒の名前を呼び、
呼ばれた生徒は教官と一緒に教習車に行って教習を受けるというスタイルでした。
(昔通った教習所は時間になったら自分で自分の乗る号車を確認して移動していた)
仮免許じゃなくて取敢えずでも運転免許もってるからですね。
1回目の担当は、日テレの安村アナ似、30代くらいの先生で、
勝手におっさん先生(私と同年代)を期待していたので拍子抜けしました。
おそらく、先生も若い子じゃなくておばさんで拍子抜けしていたかもしれません。(笑)
よろしくお願いします、と挨拶して教習車に乗って最初は先生の運転で教習所内を5周、
最初にペーパードライバー教習を申し込んだきっかけを聞かれると思っていたのですが、
そんな私の事情(どうでもいいんでしょうね)などは一切聞かれることなく、
「大事なことはなんですか?」といきなり聞かれたので「目視でしょうか」と答えると、
「そうですね、バックミラーやサイドミラーで確認することも大事ですが、
ミラーに写らないものもありますから必ず曲がるときは目視、これは大事です、
あとは、適切な姿勢で運転するために座席を自分に最適な状態に合わせましょう」
と言ったところで運転者交代、私が運転席に座ることになりました。
ド緊張。((((;゚Д゚))))
先生に言われたように座席を合わせてミラーを調節して、
ギアをドライブにしてからサイドブレーキをおろして出発。
ああ、運転するってこんな感じだったんだなあ、と思い出しながら、
免許を取ってから10年くらいは実家で運転してたものの引っ越ししてから運転せず、
今回25年ぶりの運転であること、実家の母の免許不更新で今回教習を申し込んだこと、
先生に聞かれなかったものの、自分から話してみたら反応マジ薄でした。(:_;)
いや、マジ薄っていうより、反応なかった、、、、です。
反応がなかったことで己の緊張度合が高まったというか、
まっすぐなところで40㌔出してと言われても前方の車が気になって35㌔しか出せず、
左折するとき脱輪が怖くて一旦右に軽くハンドルを切って怒られ、
次の左折指示では左折前に車を道路の左に寄せていないと再び怒られ、
(バイクが追い抜いて巻き込む可能性があるから寄せないといけないと注意され)
見通しが悪いところで一時停止して右折する際も、左手からきた車が停止してどうぞと
合図してくれたので行こうとすると補助ブレーキが作動し、目視が足りないと怒られて。
(今回はたまたま譲ってもらったから右折できたんですからね、
ちゃんとみないで右折していたら事故起こしていますよと怒られた)
ションボリ。(;_:)
その怒り方がまたネチッとした感じで先生のイラつきレベル(高)が伝わるというか、
どんどん自分が萎縮していって今度は悲しい気持ちになってしまい、
「早く終わってほしい(:_;)」と思いながら教習所内をぐるぐる運転し、
教習が終わり所定の位置まで車を戻す段では、ペダルから足離していいからと言われて
先生のハンドル捌きでのろのろ移動して停車してやっと教習終了。
若い先生だし、ブランクが長くて不安なおばちゃんの緊張を解きほぐしてくれるような、
楽しくてフレンドリーな教習を期待して臨んだ自分が間違っていたのかもしれません。
おそらく私の運転が下手くそ過ぎて褒めどころがなく、おまけに先生が聞いていないのに
ベラベラ喋って、うざい婆と思われたのかもしれません。
でも、ペーパードライバー教習を受ける人ってブランクが長くて自信がない人が
受けるものだし(自信があったら受けないでしょう)、生徒の立場になって考えて
ほしかったなあ、しみじみ思いました。
リハビリ(まだ通ってます)だと、ちょっとできるとすぐ褒めてくれるので、
それに慣れ過ぎていたのかもしれませんが(笑)、それにしても先生怖かった。。。
憔悴して教習所の階段を降りる途中で、講師の一覧表を見つけて先生の写真を見つけて
その下に書いてあるコメントを見たら、
「貴方の運転スタイルを
一緒に作っていきましょう」
まじか。(笑)
自分の運転スタイルをつくる以前の状態だったのかな、私、と思いながら
教習所を後にして、楽しみしていた外呑みの気力も消えてしまったので
帰宅してからお疲れさま会(家呑み)をささやかに開催しました。
で、家呑み前に婆1号に報告すると、
「そんなに大変なら無理しなくていいわよ。」と言われて。
(;_:)
更に自信がなくなりました。。。
あと2回、教習受けようかどうしようか、悩みます。
(つづく)
(つづく)
タグ:珍事 ペーパードライバー教習
ペーパードライバー教習を受けてみた~教習所に入所編~ [いろいろ②]
決心がつくまでぐずぐずし過ぎた私ですが(引っ張ってすみません)
やっと教習所へ申込に行きました。
その前に近所で中華そば
この日は海苔をサービスしてくれました。
(いつも何かしらトッピングサービスしてくれて申し訳ないけれどうれしい)
5年前のオープン以来、時折食べにいくラーメン屋のお兄さん(超フレンドリー)が
「今日はこれから実家ですか?」と聞いてきたので
「教習所に行くんですよ、ペーパードライバー教習を申込みに。」と答えると
「車買うんですか!」と笑顔で答えるお兄さん。
「いや、車を買うんじゃなくて、、、」とここまでに至る事情を説明すると、
「親孝行ですね!」と褒めてくれたので悪い気はしませんでした。(笑)
ラーメン屋さんにも背中を押してもらったような気分で電車に乗って江戸川を越え、
電車に乗っていると線路沿いに見える教習所(スーパーの屋上にある)に行きました。
自分の住んでいるM戸市内にも教習所はあると思うのですが、送迎バスに乗るのも
なんだか面倒なので電車に乗って駅から歩いていけるところ、と考えて、
真っ先に思い浮かんだのがここでした。
入口から中に入ると手指消毒の後は階段で3階まで上がらないといけなくて
(古い建物なので来客用のエレベータがなかったようです)
いきなり階段、、、と汗だくになって受付に到着し、番号札をとって待つこと5分。
呼ばれて窓口に行くと、同年代と思しきおばちゃんが手続きを担当してくれました。
「ペーパードライバー教習ですね、では、免許証、ご提示ください」
言われるままに免許証をお財布から出して提示すると、
「え?マニュアル免許なんですか?」驚くおばちゃん。
マニュアル免許だからってそんなに驚かなくても。。。( 一一)
「オートマ免許が身障者のみ対象だった時代で、
マニュアル免許で取得するしかなかったんです。」と答えると、
「私もマニュアル免許しかなかったころにとったんですよ。(^-^)
じゃ、どうします?マニュアル免許で教習うけますか?」
絶対無理。(:_;)
「いや、今更クラッチ踏んでギア操作とかできないので
(車がガックンガックンなってもいいならできるかもしれないけど)
オートマ車で講習を受けたいです。」
申込書に自分の免許の記載内容を転記して(これが結構面倒だった)、
入所金と教習代(基本の3回分)、26,400円(税込)というのが高いのか安いのか、
35年くらい前に免許をとったころは15万円くらいバイト代をつぎ込んだので
それに比べるとこのくらいだったら支払えるな、という感覚です。
「基本が3回なので教習1回だけでいい、というのはお受けしていません、
3回は受けていただきます、それ以上実車で教習を受けたい場合は、
1回ずつ追加料金(確か5000円くらい)を支払っていただければ
受けられますから言ってくださいね。」
いや、基本の3回で自信つけますから!
自信がないからとずるずる追加しているとキリがないし、
そんなに長々と通いたくないし、そんな気持ちが湧いてきて、
「3回で自信つけられるようにがんばりまーす」と答える自分がいました。
ちなみに基本の3回は、1回目が教習所内、2回目以降は先生の許可が出れば路上、
許可が出なかったら3回とも教習所内になっちゃうの?いや、そうならないように
頑張らないといけない、気持ち引き締まる私でした。

安全運転教室(ペーパードライバー教習)っていうんですね。
代金はクレジットカードで支払い、続いて3回分の教習を予約しました。
申込に行ったころはとても混んでいて8月下旬あたりならとりやすいですよ、
というおばちゃんの説明に、本当なら申し込んですぐ実車教習を受けないと
自分の緊張の糸が切れそうに思えたのですが、予約できないなら仕方ない、
と、10日くらい先、とその1週間後(2日連続)で予約しました。
2時限までだったら続けてとれますがどうしますか?と聞かれたのですが、
50分×2回を続けて運転し続ける自信がないのでバラバラの日程で予約した後は、
安全運転教育教習手帳を受け取り、
(手帳自体は昔と雰囲気同じでしたが、バーコード付きで時代を感じました。
また、免許取得を目指す人はオレンジ色、ペーパードライバー教習は白、
と判別しやすいように色が分けられていました)
予約の受付時間(開始の25分前から10分前まで)と受付方法(バーコードをかざして
自分のデータを受け取ったら受付に行って配車してもらう)を説明してもらい、
「がんばってくださいね!」とおばちゃんに励まされて申込完了しました。
あとは、3回、実車教習で勘と自信を取り戻すのみです。
がんばりまーす。(^-^)
(つづく)
やっと教習所へ申込に行きました。
この日は海苔をサービスしてくれました。
(いつも何かしらトッピングサービスしてくれて申し訳ないけれどうれしい)
5年前のオープン以来、時折食べにいくラーメン屋のお兄さん(超フレンドリー)が
「今日はこれから実家ですか?」と聞いてきたので
「教習所に行くんですよ、ペーパードライバー教習を申込みに。」と答えると
「車買うんですか!」と笑顔で答えるお兄さん。
「いや、車を買うんじゃなくて、、、」とここまでに至る事情を説明すると、
「親孝行ですね!」と褒めてくれたので悪い気はしませんでした。(笑)
ラーメン屋さんにも背中を押してもらったような気分で電車に乗って江戸川を越え、
電車に乗っていると線路沿いに見える教習所(スーパーの屋上にある)に行きました。
自分の住んでいるM戸市内にも教習所はあると思うのですが、送迎バスに乗るのも
なんだか面倒なので電車に乗って駅から歩いていけるところ、と考えて、
真っ先に思い浮かんだのがここでした。
入口から中に入ると手指消毒の後は階段で3階まで上がらないといけなくて
(古い建物なので来客用のエレベータがなかったようです)
いきなり階段、、、と汗だくになって受付に到着し、番号札をとって待つこと5分。
呼ばれて窓口に行くと、同年代と思しきおばちゃんが手続きを担当してくれました。
「ペーパードライバー教習ですね、では、免許証、ご提示ください」
言われるままに免許証をお財布から出して提示すると、
「え?マニュアル免許なんですか?」驚くおばちゃん。
マニュアル免許だからってそんなに驚かなくても。。。( 一一)
「オートマ免許が身障者のみ対象だった時代で、
マニュアル免許で取得するしかなかったんです。」と答えると、
「私もマニュアル免許しかなかったころにとったんですよ。(^-^)
じゃ、どうします?マニュアル免許で教習うけますか?」
絶対無理。(:_;)
「いや、今更クラッチ踏んでギア操作とかできないので
(車がガックンガックンなってもいいならできるかもしれないけど)
オートマ車で講習を受けたいです。」
申込書に自分の免許の記載内容を転記して(これが結構面倒だった)、
入所金と教習代(基本の3回分)、26,400円(税込)というのが高いのか安いのか、
35年くらい前に免許をとったころは15万円くらいバイト代をつぎ込んだので
それに比べるとこのくらいだったら支払えるな、という感覚です。
「基本が3回なので教習1回だけでいい、というのはお受けしていません、
3回は受けていただきます、それ以上実車で教習を受けたい場合は、
1回ずつ追加料金(確か5000円くらい)を支払っていただければ
受けられますから言ってくださいね。」
いや、基本の3回で自信つけますから!
自信がないからとずるずる追加しているとキリがないし、
そんなに長々と通いたくないし、そんな気持ちが湧いてきて、
「3回で自信つけられるようにがんばりまーす」と答える自分がいました。
ちなみに基本の3回は、1回目が教習所内、2回目以降は先生の許可が出れば路上、
許可が出なかったら3回とも教習所内になっちゃうの?いや、そうならないように
頑張らないといけない、気持ち引き締まる私でした。
安全運転教室(ペーパードライバー教習)っていうんですね。
代金はクレジットカードで支払い、続いて3回分の教習を予約しました。
申込に行ったころはとても混んでいて8月下旬あたりならとりやすいですよ、
というおばちゃんの説明に、本当なら申し込んですぐ実車教習を受けないと
自分の緊張の糸が切れそうに思えたのですが、予約できないなら仕方ない、
と、10日くらい先、とその1週間後(2日連続)で予約しました。
2時限までだったら続けてとれますがどうしますか?と聞かれたのですが、
50分×2回を続けて運転し続ける自信がないのでバラバラの日程で予約した後は、
安全運転教育教習手帳を受け取り、
(手帳自体は昔と雰囲気同じでしたが、バーコード付きで時代を感じました。
また、免許取得を目指す人はオレンジ色、ペーパードライバー教習は白、
と判別しやすいように色が分けられていました)
予約の受付時間(開始の25分前から10分前まで)と受付方法(バーコードをかざして
自分のデータを受け取ったら受付に行って配車してもらう)を説明してもらい、
「がんばってくださいね!」とおばちゃんに励まされて申込完了しました。
あとは、3回、実車教習で勘と自信を取り戻すのみです。
がんばりまーす。(^-^)
(つづく)
タグ:珍事 ペーパードライバー教習
ペーパードライバー教習を受けてみた~決心つくまで編~ [いろいろ②]
今回はタイトルの通りで先日ペーパードライバー教習を受けました。
(今月の話なのでさほど後手ではありません(笑))
昨年、運転免許証の更新に行った話を書いた際に、
婆1号にペーパードライバー教習を受けて欲しいと言われた話を書いたのですが、
その続きというか、婆1号はその時そんなことを言ったのは既に記憶にないので
(昔のことはよく覚えていますが直近の話はすぐ忘れる年頃になりました)
でも、言われた私は「ペーパードライバー教習」と言う言葉がそれ以降ずっと
頭にこびりついたまま、また婆1号に言われたらどうしよう、断れないかな、
我ながら情けないというかなんというかモヤモヤした状態が続いておりました。
年が明けてちょっとしたころ、
「今年が免許の更新時期なんだけど、更新しないことにしたから」
(返納せず更新しない、ということらしいです)
婆1号に言われました。
月に1度くらい実家に来る兄が、
「車はそのまま置いていてほしい、俺が来たときは買い物に連れていくから」
と言ったので婆1号もそれなら車はそのまま置いておこうと思ったらしいのですが
実際買い物に連れていくという理由もあれど、ガソリン代、高速代無料(婆1号もち)で
一人で外出したいというのも実家に車があってほしい理由らしいです。(笑)
というわけで、実家に車が置いてある状態で婆1号が免許更新せず、となったのが7月、
その1か月前くらいから、
「免許は更新しないから●月●日以降は運転できなくなるから」と何度も言うようになり、
「うつぼがペーパードライバー教習に行ってうちで運転してくれれば私も楽なのに」
と、プレッシャーをかけてくるようになりました。
婆1号は私にプレッシャーをかけるつもりはないと思いますが、
何度も言われる方はプレッシャーに感じる訳です。(笑)
「まだリハビリやってるからどうかなー?」
なんとか運転しないで済む理由を探す(セコイ)私に対して、
「先生に聞いてみなさいよ、『運転してもいいですか?』って。
お母さんは運転できなくなるんだからそのくらい考えてちょうだい」
超プレッシャー。( 一一)
理学療法士の先生に聞いてみたら「大丈夫じゃないですか?」と
私の期待に反する回答だったのですが、理由を説明したら笑っていました。
理学療法士の先生は大丈夫というけれど、執刀した主治医は違うかもしれない。
自分に都合のいいように解釈して、
「理学療法士の先生に聞いたら主治医に聞いた方がいいですよって言われちゃった」
と、嘘をつきました。(笑)
それで納得していた婆1号ですが、主治医の診察日が近づいてきた私に
「主治医の先生に『運転できますか?』ってちゃんと聞きなさいよ」
再びプレッシャーをかけてきて、7月下旬に主治医の診察日となりました。
「え?運転大丈夫でしょ?なんでそんなことを聞くの?」
主治医の先生の回答は実にあっさりしたものでした。
斯々云々、説明したら、主治医の先生も笑っていたのですが、
実際、中途半端にしか左手を上げられないので左折右折の時にハンドル回せるかな、
という不安があったのは事実です。(肩を捻る動作も上手にできないし)
というわけで、この時はもう逃げられないと思って婆1号に報告したら
「よかった!これでお母さん、タクシー使わなくて済むわね!」
と喜んでいました。
とはいえ、言ったことをすぐ忘れてしまうので、
教習を受ける前は運転する自信がないという私に理解を示して、
実家に帰るときタクシーで駅前に婆1号がやってきて一緒に買い物して
タクシーで実家に帰る、というパターンを何度か繰り返していたら、
「タクシーで移動できるから無理しておまえが運転することないわよ。
大体20年以上運転していない人の運転なんて怖くて乗れたもんじゃない。」
と言い始めました。
かと思うと、
「早く教習に行ってくれないとタクシー使わないといけないでしょ。」
と言ったりもして。
えーどっちなのー?(?_?)
タクシーで移動できるから運転しなくていい、と、運転してくれないと移動できない、
を交互に繰り返す婆1号に私はどうしたらいいのだろう、と迷ったのですが、
昔昔、教習所に通って運転免許を取得できたんだし(30年以上前の話ですが)
ペーパードライバー教習に行けば運転の勘とか思い出せるだろうし、
実家の近所(田舎)は車も少ないし、実家の車は軽自動車だからなんとかいけるだろう、
いやだいやだ、とやらないで済む理由ばかりを探していた己を反省し、
やっと教習所にいく決心がつきました。
(つづく)
(今月の話なのでさほど後手ではありません(笑))
昨年、運転免許証の更新に行った話を書いた際に、
婆1号にペーパードライバー教習を受けて欲しいと言われた話を書いたのですが、
その続きというか、婆1号はその時そんなことを言ったのは既に記憶にないので
(昔のことはよく覚えていますが直近の話はすぐ忘れる年頃になりました)
でも、言われた私は「ペーパードライバー教習」と言う言葉がそれ以降ずっと
頭にこびりついたまま、また婆1号に言われたらどうしよう、断れないかな、
我ながら情けないというかなんというかモヤモヤした状態が続いておりました。
年が明けてちょっとしたころ、
「今年が免許の更新時期なんだけど、更新しないことにしたから」
(返納せず更新しない、ということらしいです)
婆1号に言われました。
月に1度くらい実家に来る兄が、
「車はそのまま置いていてほしい、俺が来たときは買い物に連れていくから」
と言ったので婆1号もそれなら車はそのまま置いておこうと思ったらしいのですが
実際買い物に連れていくという理由もあれど、ガソリン代、高速代無料(婆1号もち)で
一人で外出したいというのも実家に車があってほしい理由らしいです。(笑)
というわけで、実家に車が置いてある状態で婆1号が免許更新せず、となったのが7月、
その1か月前くらいから、
「免許は更新しないから●月●日以降は運転できなくなるから」と何度も言うようになり、
「うつぼがペーパードライバー教習に行ってうちで運転してくれれば私も楽なのに」
と、プレッシャーをかけてくるようになりました。
婆1号は私にプレッシャーをかけるつもりはないと思いますが、
何度も言われる方はプレッシャーに感じる訳です。(笑)
「まだリハビリやってるからどうかなー?」
なんとか運転しないで済む理由を探す(セコイ)私に対して、
「先生に聞いてみなさいよ、『運転してもいいですか?』って。
お母さんは運転できなくなるんだからそのくらい考えてちょうだい」
超プレッシャー。( 一一)
理学療法士の先生に聞いてみたら「大丈夫じゃないですか?」と
私の期待に反する回答だったのですが、理由を説明したら笑っていました。
理学療法士の先生は大丈夫というけれど、執刀した主治医は違うかもしれない。
自分に都合のいいように解釈して、
「理学療法士の先生に聞いたら主治医に聞いた方がいいですよって言われちゃった」
と、嘘をつきました。(笑)
それで納得していた婆1号ですが、主治医の診察日が近づいてきた私に
「主治医の先生に『運転できますか?』ってちゃんと聞きなさいよ」
再びプレッシャーをかけてきて、7月下旬に主治医の診察日となりました。
「え?運転大丈夫でしょ?なんでそんなことを聞くの?」
主治医の先生の回答は実にあっさりしたものでした。
斯々云々、説明したら、主治医の先生も笑っていたのですが、
実際、中途半端にしか左手を上げられないので左折右折の時にハンドル回せるかな、
という不安があったのは事実です。(肩を捻る動作も上手にできないし)
というわけで、この時はもう逃げられないと思って婆1号に報告したら
「よかった!これでお母さん、タクシー使わなくて済むわね!」
と喜んでいました。
とはいえ、言ったことをすぐ忘れてしまうので、
教習を受ける前は運転する自信がないという私に理解を示して、
実家に帰るときタクシーで駅前に婆1号がやってきて一緒に買い物して
タクシーで実家に帰る、というパターンを何度か繰り返していたら、
「タクシーで移動できるから無理しておまえが運転することないわよ。
大体20年以上運転していない人の運転なんて怖くて乗れたもんじゃない。」
と言い始めました。
かと思うと、
「早く教習に行ってくれないとタクシー使わないといけないでしょ。」
と言ったりもして。
えーどっちなのー?(?_?)
タクシーで移動できるから運転しなくていい、と、運転してくれないと移動できない、
を交互に繰り返す婆1号に私はどうしたらいいのだろう、と迷ったのですが、
昔昔、教習所に通って運転免許を取得できたんだし(30年以上前の話ですが)
ペーパードライバー教習に行けば運転の勘とか思い出せるだろうし、
実家の近所(田舎)は車も少ないし、実家の車は軽自動車だからなんとかいけるだろう、
いやだいやだ、とやらないで済む理由ばかりを探していた己を反省し、
やっと教習所にいく決心がつきました。
(つづく)
タグ:珍事 ペーパードライバー教習
お知らせ② [いろいろ②]
みなさま、おはようございます。(^-^)
5月初めにお知らせして以来となり少々ご無沙汰しておりました。
前回のお知らせ後、入院、手術、そして退院後、現在は週3回のリハビリを
真面目に行っています。(当然ですが現在お酒抜き生活)
今回骨折したのは腕で、入院前、退院後と、片手でタイピングしながら仕事は続けて
いたのですが、少しずつ痛みもとれて座り方次第では両手タイピングもできるように
なってきましたので(といってもかなりのろのろですが)
もうちょっとしたらブログも再開できるかと思っています。
書きたいネタはありますので(今回の件も落ち着いたら備忘録として)
皆さまのご訪問をお待ちしております。
ではでは~。
うつぼ
5月初めにお知らせして以来となり少々ご無沙汰しておりました。
前回のお知らせ後、入院、手術、そして退院後、現在は週3回のリハビリを
真面目に行っています。(当然ですが現在お酒抜き生活)
今回骨折したのは腕で、入院前、退院後と、片手でタイピングしながら仕事は続けて
いたのですが、少しずつ痛みもとれて座り方次第では両手タイピングもできるように
なってきましたので(といってもかなりのろのろですが)
もうちょっとしたらブログも再開できるかと思っています。
書きたいネタはありますので(今回の件も落ち着いたら備忘録として)
皆さまのご訪問をお待ちしております。
ではでは~。
うつぼ