映画「キャメラを止めるな!」を観る [映画(か行)]
映画館で見そびれた映画、Amazonプライムで鑑賞しました。
あらすじはYahoo!映画さんより。
日本で大ヒットしたゾンビ映画がフランスでリメイクされることになり、
ワンカット撮影で30分間の生放送を依頼されたフランス人監督(ロマン・デュリス)。
撮影には監督を志しているが空気の読めない彼の娘、
熱中すると現実とフィクションの区別がつかなくなる妻(ベレニス・ベジョ)も加わり、
現場は大混乱に陥ってしまう。
問題続出の製作チームは、全く話のかみ合わない日本人プロデューサー(竹原芳子)と
ぶつかり合いながら撮影に奮闘する。
日本で大ヒットしたゾンビ映画がフランスでリメイクされることになり、
ワンカット撮影で30分間の生放送を依頼されたフランス人監督(ロマン・デュリス)。
撮影には監督を志しているが空気の読めない彼の娘、
熱中すると現実とフィクションの区別がつかなくなる妻(ベレニス・ベジョ)も加わり、
現場は大混乱に陥ってしまう。
問題続出の製作チームは、全く話のかみ合わない日本人プロデューサー(竹原芳子)と
ぶつかり合いながら撮影に奮闘する。
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映画館で観なくてよかったかもー。
リメイクというのはどうしてもオリジナルと比べてしまうので、
よほどのことがないとオリジナル越えしないような気がするのですが、
↑これはオリジナルよりよかったと思えたリメイク版。
今作もリメイクで比較的オリジナルに忠実に作っているものの、
オリジナルにあった「低予算でチープだけれど工夫していて面白い」感が薄く、
おまけに、オリジナルを見て展開が分かっているので、
中盤からのワンカット撮影の内幕みたいな映像も驚きがマイルドになってしまった、
そんな感じで観終わりました。
今作もリメイクで比較的オリジナルに忠実に作っているものの、
オリジナルにあった「低予算でチープだけれど工夫していて面白い」感が薄く、
おまけに、オリジナルを見て展開が分かっているので、
中盤からのワンカット撮影の内幕みたいな映像も驚きがマイルドになってしまった、
そんな感じで観終わりました。
監督はこの作品を手掛けたミシェル・アザナヴィシウス、
映画の中の監督役と奥さん役の2人(ロマン・デュリス、ベレニス・ベジョ)は
私も観たことのある↑の映画に出ていたりかなり豪華らしいのですが、
なんだかそんなオーラが出ているようで少々違和感がありました。
リメイクで面白かったのはフランス人なのに撮影している映画の役名が日本名、
なんでだろう、と思ったらその理由が後半分かるというところくらいかな、
というのが正直なところで、監督と娘が理解し合う場面も弱めだったのが残念。
プロデューサーを演じたどんぐりさん(現在の芸名は竹原芳子さん)も
笑えるような笑えないような、どちらかといえば通訳役の人の方が面白い、
せっかくオリジナルの出演者が登場しても活かしきれていないような感じ。
と、見終わってもやっとしたのでオリジナルを改めて観ました。
やっぱりオリジナルの方が中盤からのネタ晴らしが分かっていても面白い!
このあたりは日本人的なものを求めた結果なのかもしれませんが、
オリジナルに軍配をあげてしまった「キャメラを止めるな!」でありました。
私も観たことのある↑の映画に出ていたりかなり豪華らしいのですが、
なんだかそんなオーラが出ているようで少々違和感がありました。
リメイクで面白かったのはフランス人なのに撮影している映画の役名が日本名、
なんでだろう、と思ったらその理由が後半分かるというところくらいかな、
というのが正直なところで、監督と娘が理解し合う場面も弱めだったのが残念。
プロデューサーを演じたどんぐりさん(現在の芸名は竹原芳子さん)も
笑えるような笑えないような、どちらかといえば通訳役の人の方が面白い、
せっかくオリジナルの出演者が登場しても活かしきれていないような感じ。
と、見終わってもやっとしたのでオリジナルを改めて観ました。
やっぱりオリジナルの方が中盤からのネタ晴らしが分かっていても面白い!
このあたりは日本人的なものを求めた結果なのかもしれませんが、
オリジナルに軍配をあげてしまった「キャメラを止めるな!」でありました。
映画「こころの通訳者たち」を観る [映画(か行)]
5年前のオープンからたまに通っている田端のミニシアターChupkiさんが
製作に携わった映画(先行上映)をChupkiさんまで観に行きました。

(映画のホームページ)https://cocorono-movie.com/
あらすじはYahoo!映画さんより。
上映する全ての映画に音声ガイドと字幕を付ける、
日本で初めてのユニバーサルシアター「シネマ・チュプキ・タバタ」。
代表の平塚千穂子氏のもとに、舞台手話通訳者の活動を記録した
『ようこそ 舞台手話通訳の世界へ』に目の不自由な人のための音声ガイドを
つけたいという相談が舞い込む。
集まった舞台手話通訳者や目の不自由な人たちが、音声ガイド作りのための
アイデアを出し合う。
製作に携わった映画(先行上映)をChupkiさんまで観に行きました。

(映画のホームページ)https://cocorono-movie.com/
あらすじはYahoo!映画さんより。
上映する全ての映画に音声ガイドと字幕を付ける、
日本で初めてのユニバーサルシアター「シネマ・チュプキ・タバタ」。
代表の平塚千穂子氏のもとに、舞台手話通訳者の活動を記録した
『ようこそ 舞台手話通訳の世界へ』に目の不自由な人のための音声ガイドを
つけたいという相談が舞い込む。
集まった舞台手話通訳者や目の不自由な人たちが、音声ガイド作りのための
アイデアを出し合う。
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諦めず、妥協せずに作り上げていく姿、見習わないといけないな、と思いました。
短編ドキュメンタリー「ようこそ舞台手話通訳の世界へ」に音声ガイドを付ける、
というドキュメンタリー映画なのですが、聴覚障碍者のために舞台のセリフを
舞台手話通訳者3人が同じ舞台に立って手話通訳する、その手話通訳の部分を
今度は、視覚障碍者が聴く音声ガイドにする、という複雑な作業です。
舞台のセリフ⇒手話通訳⇒音声ガイドへ変換
もともとあったセリフを手話通訳にしてそれを音声ガイドにする、
一体どうなるんだろう、どうやって手話を音声ガイドで表現するんだろう、
皆目想像つかないまま観ていると、Chupkiの代表、平塚さんを中心に
何度も議論を繰り返しよりよりものを作っていこうとする過程で、
手話の奥深さを知ることになります。
舞台手話通訳を担当した3人(加藤さん、水野さん、高田さん)、
視覚障碍者で音声ガイドについてレビューする難波さん、石井さん、白井さん、
ナレーション担当の彩木さん、手話についてアドバイスする廣川さんなどなど、
通常の音声ガイドにはセリフにセリフをかぶせないことが鉄則であるのに、
今作では舞台で流れるセリフに舞台手話通訳者の訳している内容(言葉)を
ナレーションでかぶせていく、そこに平塚さんが舞台手話通訳者の動きを
合わせて伝えることで音声ガイドが完成するまで、
聴覚障碍者側の意見(手話の歴史なども交えて)、視覚障碍者の意見、
そこに平塚さんの意見を時にぶつけあいながら作り上げていく姿、
最後の完成した音声ガイド、エンドロールに流れる白井さんの歌、
(石井さんのラップも素晴らしかった)
観終わった後、場内から拍手が湧き上がる素晴らしい作品でした。
私自身、手話について知識がなさすぎたのですが、舞台手話通訳の場合、
セリフ全部を通訳するのではなく、肝となる言葉を手で通訳しながら、
あとは表情で表現するということ、実際、手話自体、顔の表現がとても大事だと
いうことを知りました。
一方、視覚障碍者は視覚の部分を聴覚、嗅覚などの感覚で補っていくこと、
成人してから視力を失った難波さん(失ってから合気道を学んでいる)、
突然視力を失った石井さん(風を感じながら海でぱどリングを楽しんだり)、
特に響いたのは、難波さんの言葉だったのですが、視力を失ったことで
出来なくなったことを嘆くのではなく、視力を失って入院していたベッドの上から、
何ができるようになったのか考えるようにした、という言葉でした。
私自身が骨折してできなくなったことが多く、まだできないというか元に戻らない
ことが多いのを鬱々思っていたところでこの言葉を聞いて、そうやって思えば
骨折した時よりもできることは増えているし、という心持になりました。
(でももっとリハビリ頑張らないといけないなという気にもなりました)
バリアフリーシアターとしてオープンしてから5年のChupkiさん、
今回の映画製作に関連してクラウドファンディングに参加しましたが、
鑑賞した日、帯広から映画を観に上京された視覚障碍者の男性が
映画に感激したとおっしゃっていたを間近に聞いて私も感激したのですが、
本当の意味でのバリアフリーの輪がどんどん大きくなっていく中で、
私も微力ながらでもサポートしていきたいと思ったChupkiさん、
自分と違う環境にいる方を理解するきっかけを与えていただいたことに感謝の
「こころの通訳者たち」でありました。
※都内では新宿のK'sシネマさんでも上映予定です。
上映館がもっと増えていくことを願っています。(^-^)
というドキュメンタリー映画なのですが、聴覚障碍者のために舞台のセリフを
舞台手話通訳者3人が同じ舞台に立って手話通訳する、その手話通訳の部分を
今度は、視覚障碍者が聴く音声ガイドにする、という複雑な作業です。
舞台のセリフ⇒手話通訳⇒音声ガイドへ変換
もともとあったセリフを手話通訳にしてそれを音声ガイドにする、
一体どうなるんだろう、どうやって手話を音声ガイドで表現するんだろう、
皆目想像つかないまま観ていると、Chupkiの代表、平塚さんを中心に
何度も議論を繰り返しよりよりものを作っていこうとする過程で、
手話の奥深さを知ることになります。
舞台手話通訳を担当した3人(加藤さん、水野さん、高田さん)、
視覚障碍者で音声ガイドについてレビューする難波さん、石井さん、白井さん、
ナレーション担当の彩木さん、手話についてアドバイスする廣川さんなどなど、
通常の音声ガイドにはセリフにセリフをかぶせないことが鉄則であるのに、
今作では舞台で流れるセリフに舞台手話通訳者の訳している内容(言葉)を
ナレーションでかぶせていく、そこに平塚さんが舞台手話通訳者の動きを
合わせて伝えることで音声ガイドが完成するまで、
聴覚障碍者側の意見(手話の歴史なども交えて)、視覚障碍者の意見、
そこに平塚さんの意見を時にぶつけあいながら作り上げていく姿、
最後の完成した音声ガイド、エンドロールに流れる白井さんの歌、
(石井さんのラップも素晴らしかった)
観終わった後、場内から拍手が湧き上がる素晴らしい作品でした。
私自身、手話について知識がなさすぎたのですが、舞台手話通訳の場合、
セリフ全部を通訳するのではなく、肝となる言葉を手で通訳しながら、
あとは表情で表現するということ、実際、手話自体、顔の表現がとても大事だと
いうことを知りました。
一方、視覚障碍者は視覚の部分を聴覚、嗅覚などの感覚で補っていくこと、
成人してから視力を失った難波さん(失ってから合気道を学んでいる)、
突然視力を失った石井さん(風を感じながら海でぱどリングを楽しんだり)、
特に響いたのは、難波さんの言葉だったのですが、視力を失ったことで
出来なくなったことを嘆くのではなく、視力を失って入院していたベッドの上から、
何ができるようになったのか考えるようにした、という言葉でした。
私自身が骨折してできなくなったことが多く、まだできないというか元に戻らない
ことが多いのを鬱々思っていたところでこの言葉を聞いて、そうやって思えば
骨折した時よりもできることは増えているし、という心持になりました。
(でももっとリハビリ頑張らないといけないなという気にもなりました)
バリアフリーシアターとしてオープンしてから5年のChupkiさん、
今回の映画製作に関連してクラウドファンディングに参加しましたが、
鑑賞した日、帯広から映画を観に上京された視覚障碍者の男性が
映画に感激したとおっしゃっていたを間近に聞いて私も感激したのですが、
本当の意味でのバリアフリーの輪がどんどん大きくなっていく中で、
私も微力ながらでもサポートしていきたいと思ったChupkiさん、
自分と違う環境にいる方を理解するきっかけを与えていただいたことに感謝の
「こころの通訳者たち」でありました。
※都内では新宿のK'sシネマさんでも上映予定です。
上映館がもっと増えていくことを願っています。(^-^)
映画「川っぺりムコリッタ」を観る [映画(か行)]
予習なし、不思議なタイトルというだけでみた映画です。

あらすじはYahoo!映画さんより。
できるだけ人と関わらずに生きたいと思い、北陸の小さな街にある塩辛工場で
働くことにした青年・山田(松山ケンイチ)。
工場の社長からハイツムコリッタという古い安アパートを紹介されて住み始めた彼は、
風呂上がりに飲む冷えた牛乳をささやかな楽しみにする静かな毎日を送る。
そんな中、隣人の島田(ムロツヨシ)が風呂を貸してほしいと部屋に上がりこんでくる。
それを機に島田との間に友情のような感情が芽生え、ほかの住人とも触れ合うように
なるが、北陸にやってきた理由を島田に知られてしまう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
知久さん!
(映画自体の感想そこじゃない(笑))
話自体、ほんわかしているといえばしていますし、クスっと笑う場面もありますが
コメディではなく意外と深くて、どこか暗さもあり、でも明るさもある、
不思議な映画でした。
山田(松山ケンイチ)が就職する富山のイカ塩辛工場の社長(緒方直人)が
がんばって更生、みたいなことを冒頭で言うので、予習していなくても、
山田は出所したてなのかな、と山田の置かれている立場(社会に戻って不安定)が
分かります。
仕事はなんとか続けるけれど周りに自分の前科がばれて、、どうなるのかな、
と想像しながら見続けているのですが、同僚(江口のりこ)は最初から知っていて
おそらくアパート「ムコリッタ」の大家(満島ひかり)もなんとなくわかっていて、
ビックリするのは隣人の島田(個性的なムロツヨシ)、そこで何かが大崩れする、
ということもなく、そんな山田の置かれた立場(幼いころ別れた父の死も含めて)を
みんながそっとふんわり優しく(お仕着せとかわざとらしい感じではなく)包む、
そんな映画だと思いました。
知久さんに気づいたのは比較的前半、山田が川っぺりを歩いていると、
高架下に住んでいるホームレスの1人が、アパートの住人(吉岡秀隆)の息子が
粗大ごみの山(赤電話、ピンク電話、黒電話などなどレトロなゴミが大量)の上で
ピアニカを演奏しているときに一緒にギターを演奏する、という場面が出てきて、
ギターの構え方、弾いているメロディ、ニット帽かぶっているけれどこのシルエット、
知久さんみたいだなあ、と思ったら、気になって気になってものすごく気になって、
松山ケンイチはこの先不幸になることはないだろうし(勝手にきめつけている)
ムロツヨシもいい人そうだから悲しい結末にはなるわけないだろうし、
じゃあ、このホームレスが知久さんかどうか、完全にここがメインの鑑賞目的に
なっている自分がおりました。(良い子は真似しない方がいいです)
知久さんが登場しないので、でも、明らかに音楽は知久さんが担当している、
(ピアニカもつかってどこか悲し気で、でも楽しそうな独特のメロディ)
確証ないまま確信して、あとはエンドロールをガン見しよう、と思っていたら、
本筋でも(⇐本当はここが一番大事なんですが)、松山ケンイチだけでなく、
ムロツヨシも大家役の満島ひかりもみんな色々と辛い経験をもっていて、
辛いのは自分だけではないのだ、という励ましをもらったところでエンドロール、
知久さんのお名前をかなり早いところで発見してホッとしました。
(勘違いじゃなかったという安堵)
知久さん、平成初めのころにイカ天に登場した「たま」が解散した後は、
パスカルズというグループで活動されているそうですが、
今作の映画も全面的にパスカルズが担当されていて、
映画で描かれている世界観(富山の射水市の風景も)音楽と非常に合っているのを
感じて穏やかな気持ちで観終わりました。
タイトルのムコリッタとは、仏教用語で1日を30で割った48分を意味するそうで、
物事が変化する時間、生と死の間にある時間として描く意味でタイトルに使われた、
ということのようです。
刹那というのは同じ仏教用語で時間の一番短い単位と今回知りましたが、
2年前に亡くなったアパートの住人のおばちゃん(岡本さん)が刹那、ムコリッタと
よく口にしていたというエピソードも絡めつつ、どこか不思議な語感の言葉を
私も観終わった後は思わず口にしていました。
山田は幼いころ分かれた父の死、島田は息子の死、大家の南も夫の死、それぞれが
抱える身内の死についても描かれていますが、 亡くなった岡本さんが現れて
山田も話しかけられて、その話を聞いた南が羨ましがるという場面が
ちょっとファンタジーというかおどろおどろしくないというか、各々抱える悲しみは
感じましたがそこにどっぷりはいってしまう、ということもなく描かれていたのは
観ている側には他の話題にも入り込めてよかったと思います。
映画を観ていると自然の大らかさと脅威(大雨による川の氾濫)、
人を信じることの大切さ(登場する方々は皆さんクセがあるのですが)を
美味しそうな風景(イカの塩辛とすき焼きが鑑賞後むしょうに食べたくなった)と
絡めながら描いているのを感じました。
鑑賞後に知ったのですが、監督の萩上直子さん、
この監督さんと知り、今作がすっと自分に入ってきたのは荻上監督作品だから、
と思わず納得してしまいました。
私がみた上記作品よりはクスっと笑う部分が少なめ(控えめ)かもしれませんが、
男性を主役に据えるとこういう感じになるんだなあと思いつつ、自分の命を大切に
無理に多くを求めることなく日々感謝の気持ちで過ごしていければいいな、と
思った(知久さんに気をとられた割にちゃんと見ています(笑))、
「川っぺりムコリッタ」でありました。
(知久さん!)

あらすじはYahoo!映画さんより。
できるだけ人と関わらずに生きたいと思い、北陸の小さな街にある塩辛工場で
働くことにした青年・山田(松山ケンイチ)。
工場の社長からハイツムコリッタという古い安アパートを紹介されて住み始めた彼は、
風呂上がりに飲む冷えた牛乳をささやかな楽しみにする静かな毎日を送る。
そんな中、隣人の島田(ムロツヨシ)が風呂を貸してほしいと部屋に上がりこんでくる。
それを機に島田との間に友情のような感情が芽生え、ほかの住人とも触れ合うように
なるが、北陸にやってきた理由を島田に知られてしまう。
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知久さん!
(映画自体の感想そこじゃない(笑))
話自体、ほんわかしているといえばしていますし、クスっと笑う場面もありますが
コメディではなく意外と深くて、どこか暗さもあり、でも明るさもある、
不思議な映画でした。
山田(松山ケンイチ)が就職する富山のイカ塩辛工場の社長(緒方直人)が
がんばって更生、みたいなことを冒頭で言うので、予習していなくても、
山田は出所したてなのかな、と山田の置かれている立場(社会に戻って不安定)が
分かります。
仕事はなんとか続けるけれど周りに自分の前科がばれて、、どうなるのかな、
と想像しながら見続けているのですが、同僚(江口のりこ)は最初から知っていて
おそらくアパート「ムコリッタ」の大家(満島ひかり)もなんとなくわかっていて、
ビックリするのは隣人の島田(個性的なムロツヨシ)、そこで何かが大崩れする、
ということもなく、そんな山田の置かれた立場(幼いころ別れた父の死も含めて)を
みんながそっとふんわり優しく(お仕着せとかわざとらしい感じではなく)包む、
そんな映画だと思いました。
知久さんに気づいたのは比較的前半、山田が川っぺりを歩いていると、
高架下に住んでいるホームレスの1人が、アパートの住人(吉岡秀隆)の息子が
粗大ごみの山(赤電話、ピンク電話、黒電話などなどレトロなゴミが大量)の上で
ピアニカを演奏しているときに一緒にギターを演奏する、という場面が出てきて、
ギターの構え方、弾いているメロディ、ニット帽かぶっているけれどこのシルエット、
知久さんみたいだなあ、と思ったら、気になって気になってものすごく気になって、
松山ケンイチはこの先不幸になることはないだろうし(勝手にきめつけている)
ムロツヨシもいい人そうだから悲しい結末にはなるわけないだろうし、
じゃあ、このホームレスが知久さんかどうか、完全にここがメインの鑑賞目的に
なっている自分がおりました。(良い子は真似しない方がいいです)
知久さんが登場しないので、でも、明らかに音楽は知久さんが担当している、
(ピアニカもつかってどこか悲し気で、でも楽しそうな独特のメロディ)
確証ないまま確信して、あとはエンドロールをガン見しよう、と思っていたら、
本筋でも(⇐本当はここが一番大事なんですが)、松山ケンイチだけでなく、
ムロツヨシも大家役の満島ひかりもみんな色々と辛い経験をもっていて、
辛いのは自分だけではないのだ、という励ましをもらったところでエンドロール、
知久さんのお名前をかなり早いところで発見してホッとしました。
(勘違いじゃなかったという安堵)
知久さん、平成初めのころにイカ天に登場した「たま」が解散した後は、
パスカルズというグループで活動されているそうですが、
今作の映画も全面的にパスカルズが担当されていて、
映画で描かれている世界観(富山の射水市の風景も)音楽と非常に合っているのを
感じて穏やかな気持ちで観終わりました。
タイトルのムコリッタとは、仏教用語で1日を30で割った48分を意味するそうで、
物事が変化する時間、生と死の間にある時間として描く意味でタイトルに使われた、
ということのようです。
刹那というのは同じ仏教用語で時間の一番短い単位と今回知りましたが、
2年前に亡くなったアパートの住人のおばちゃん(岡本さん)が刹那、ムコリッタと
よく口にしていたというエピソードも絡めつつ、どこか不思議な語感の言葉を
私も観終わった後は思わず口にしていました。
山田は幼いころ分かれた父の死、島田は息子の死、大家の南も夫の死、それぞれが
抱える身内の死についても描かれていますが、 亡くなった岡本さんが現れて
山田も話しかけられて、その話を聞いた南が羨ましがるという場面が
ちょっとファンタジーというかおどろおどろしくないというか、各々抱える悲しみは
感じましたがそこにどっぷりはいってしまう、ということもなく描かれていたのは
観ている側には他の話題にも入り込めてよかったと思います。
映画を観ていると自然の大らかさと脅威(大雨による川の氾濫)、
人を信じることの大切さ(登場する方々は皆さんクセがあるのですが)を
美味しそうな風景(イカの塩辛とすき焼きが鑑賞後むしょうに食べたくなった)と
絡めながら描いているのを感じました。
鑑賞後に知ったのですが、監督の萩上直子さん、
この監督さんと知り、今作がすっと自分に入ってきたのは荻上監督作品だから、
と思わず納得してしまいました。
私がみた上記作品よりはクスっと笑う部分が少なめ(控えめ)かもしれませんが、
男性を主役に据えるとこういう感じになるんだなあと思いつつ、自分の命を大切に
無理に多くを求めることなく日々感謝の気持ちで過ごしていければいいな、と
思った(知久さんに気をとられた割にちゃんと見ています(笑))、
「川っぺりムコリッタ」でありました。
(知久さん!)
映画「こどもかいぎ」を観る [映画(か行)]
久しぶりにシネスイッチ銀座まで行ってみた映画です。

あらすじはYahoo!映画さんより。
保育園に通う子供たちが「こどもかいぎ」を開き、あらゆるテーマで意見を交換する。
「どうして生まれてきたんだろう?」「話し合えばいいのに、どうして戦争するの?」
などのテーマなどが次々と飛び出す中、彼らは一生懸命自分の言葉で話そうとする。
意見の食い違いからときにはけんかしながらも、子供たちは対話によって多くのことを
学んでいく。

あらすじはYahoo!映画さんより。
保育園に通う子供たちが「こどもかいぎ」を開き、あらゆるテーマで意見を交換する。
「どうして生まれてきたんだろう?」「話し合えばいいのに、どうして戦争するの?」
などのテーマなどが次々と飛び出す中、彼らは一生懸命自分の言葉で話そうとする。
意見の食い違いからときにはけんかしながらも、子供たちは対話によって多くのことを
学んでいく。
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素直な気持ちで話し合うことが大事。
小さい時は思ったことははっきり言っていたのに大きくなるにつれて
遠慮したり忖度したり、はっきり言わずに物事をやりすごそうとする、
特に政治家、古い体質の会社、私も意外とそんな感じかもしれないし、
大人もこの映画を観て対話することの大切さを改めて感じるべきと思いました。
撮影に登場する保育園、様々な場面で様々な事件が起きます。
お昼ごはん中、ふざけていてお味噌汁をこぼしてアクロバティックに転ぶ男子、
(トッキ―という名前が表示されてましたがお茶目で面白い子でした)
突然の出来事に泣き叫ぶのですが、保育士はすぐ手を差し伸べず、
トッキ―と一緒にこぼれた食器などをどうするか考えてトッキーが自発的に
行動するよう促します。
外の庭で三輪車を貸してくれないと怒る女子、そんなときも保育士の先生は
貸してくれるよう他の子に話しかけるわけではなく、怒る女子と一緒に座って
誰か貸してくれないかなあ、とつぶやくのみ、と、貸してくれる子がいて
ずっと待っていた女子も嬉しそうに三輪車を漕いで庭をぐるぐる回るのですが、
何週かすると待っている子に貸してあげます。
(自分が待ち続ける子の気持ちが分かるので)
段ボールで作った秘密基地で遊ぶ男子を他の男子がおもちゃの剣でたたく場面、
なぜそうなるのか分からず、保育士が2人をピーステーブル(対話させる場)に
連れていくと、秘密基地が壊れる心配をして乱暴になってしまったことが分かり、
互いを理解します。
このピーステーブル、解決させるためにあるのではなく、互いの意見や気持ちを
聞くために使われますが、完ぺきな解決に至らずとも座って対面して対話する、
小さいころから対話することを学ぶよい機会になっていると思います。
映画のタイトルにもなっているこどもかいぎ、保育士の先生がファシリテーターと
なって色々なテーマで話し合うのですが、円になって座っていることがまず大変、
集中力が続かない子供たち、自分が話しているのに遮られたり聞いてもらえないと
泣いてしまう男子もいたりするのですが(この子の話が又長い(笑))
さやかちゃんという女子が最初ファシリテーターのかっきー先生に話しかけられても
答えることができずもじもじしていたのが、定期的に開かれるこどもかいぎを通じて
他の子どもたちやかっきー先生への信頼が増えていくにつれ心を開いて自ら話すように
なっていくのを見て、まるでおばあちゃんの気分でうるっとしたのは私です。
かっきー先生も子供の時に突拍子もない発想も基本的には受け入れて他の子供たちに
意見を聞く、交通整理をスムーズに行いながら子供たちが自由に発言する場を作る、
子供だからと思っていても意外と色々考えていること(仲間内の問題など)、
遠い遠い昔の自分の幼いころはどうだったんだろう、、、そんな気持ちで画面越しに
子供たちの発言、対話を時に笑い時にウルルしながら見ていました。
上映後、監督の豪田トモさんが舞台挨拶される幸運に恵まれましたが、
海外に行くときちんとしっかり自分の意見が言える、対話することになれている、
それに反して日本人は苦手なのは国民性なのだろうと思っていたら、
カナダ、スウェーデン、フィンランドなどの学校で生徒たちが対話しているのを見て
場数の問題なんだと気づいたそうです。
そこで子供の対話について映画を作ろうと企画し、撮影に協力してくれる保育園を
探すのに1年、半年間保育園に通って一緒に遊んだりしながら信頼を得るようにして
撮影して編集もほぼ完成、劇場公開、と思ったところでコロナ禍で映画館休業。
このままお蔵入りさせるか(家1軒分くらいの製作費を使ったそうです)
と思っていたところで、小学校6年生の長女が分散登校でオンラインで昼食を
とっている風景を見て子供の方が大人の言うことを聞いて優秀ではないか、
色々なイベントが中止になり、黙食も言われた通りに行っている、
でも、この子供たち、本当は言いたいことが絶対あるはずで、それを大人はきちんと
聞けているのか、こんな今だからこそ赤字でもいいから映画を上映しよう、と
クラウドファンディングを行い劇場公開にこぎつけたそうです。
子供の発言力や対話力を伸ばす大事なことは3つ。
多様性、共感性、自己肯定感、これらで子供の可能性を伸ばしていくことができる、
今抱える問題を解決する力やSOSを発信する力、未来を作る力がはぐくまれていく、
という説明に、私も小さい頃、こういう場があれば、もっといいたいことをきちんと
相手に伝えることができたのではないかと、過去のコミュニケーション力不足で
揉めたり喧嘩したりしたことを思い出しました。
子供の言ったことだから、と上から目線で見るのではなく、
同じ目線で聞いたり共感することも大事なんでしょうね。
エンドロールで撮影から4年経ったこどもかいぎメンバーの現在が映し出されますが、
どの子たちも活き活きとした表情で自分の気持ちを語っているのを見て、
日本もこういう取り組み(政府にも監督を含めたメンバーで働きかけているそうです)で
はっきり答えずもやもやしたことばかりいう政治家がいなくなっていくのでは、
そんな期待も抱いた「こどもかいぎ」でありました。
映画「グレムリン」「グレムリン2」を観る [映画(か行)]
グレムリン、公開当時、映画館で観たことを思い出しながら
改めて続編と併せて鑑賞しました。
改めて続編と併せて鑑賞しました。
あらすじはYahoo!映画さんより。
(1)チャイナタウンの骨董屋で発明家ペルツァーが手に入れた不思議な動物モグワイ。
彼はそれを息子ビリーへクリスマス・プレゼントとして贈るが、モグワイには、
水に濡らさないこと、太陽光線に当てないこと、真夜中すぎにエサを与えないことの
三つの誓いが必要だった。だが、この誓いが破られた時、可愛いモグワイは恐るべき凶悪な
怪物グレムリンへと増殖していく。かくして平和な田舎町キングストン・フォールズは
悪夢のクリスマスを迎えることになるのだ。
(2)前作の主人公ビリーと恋人ケイトは二人そろってニューヨークで新生活を送っていた。
大富豪クランプの所有するクランプ・センターがその働き口だったが、ビリーはそこで、
チャイナタウン再開発のために発見されたモグワイと再会する。
しかしまたしても偶然と失敗が折り重なってモグワイの体からグレムリンが発生、
しかも今度はセンターの研究所で開発中のバイオ・テクノロジーと融合、
新種のグレムリンが大量発生してしまうのだ。
(1)チャイナタウンの骨董屋で発明家ペルツァーが手に入れた不思議な動物モグワイ。
彼はそれを息子ビリーへクリスマス・プレゼントとして贈るが、モグワイには、
水に濡らさないこと、太陽光線に当てないこと、真夜中すぎにエサを与えないことの
三つの誓いが必要だった。だが、この誓いが破られた時、可愛いモグワイは恐るべき凶悪な
怪物グレムリンへと増殖していく。かくして平和な田舎町キングストン・フォールズは
悪夢のクリスマスを迎えることになるのだ。
(2)前作の主人公ビリーと恋人ケイトは二人そろってニューヨークで新生活を送っていた。
大富豪クランプの所有するクランプ・センターがその働き口だったが、ビリーはそこで、
チャイナタウン再開発のために発見されたモグワイと再会する。
しかしまたしても偶然と失敗が折り重なってモグワイの体からグレムリンが発生、
しかも今度はセンターの研究所で開発中のバイオ・テクノロジーと融合、
新種のグレムリンが大量発生してしまうのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続編要らなかったかも。(笑)
1作目は映画館で観てパンフレットも買ったのですが、2作目は記憶がないので
おそらく映画館で見ていなかったと思われ、冒頭、NYが舞台になったんだ、
と思ったら登場した、
ダニエル・クランプ
金髪の不動産&メディア王で登場するおじさんの姿を見て、本人よく許可したな、と
思ってしまいました。(最後にいい人になるからかもしれないけれど)
1作目は、チャイナタウンで買ったギズモが禁止事項を破ってしまったビリーのせいで
グレムリン(小悪魔の意味だと今回初めて知りました)に変身、その後は、
家の中だけでなく町中にグレムリンが溢れて(水かけたせいで大量増殖)
町中大パニックになるのをビリーとケイト(フィービー・ケイツが超可愛い)が
中心になってやっつける、というめでたしな終わり方ですが、
今回映画を観て、ケイトがクリスマスになると思い出す悲しい思い出(お父さんが
サンタに扮して自宅の煙突に入って亡くなってしまったエピソード)、全然覚えて
いなかったことに気づきました。
ケイトに比べて能天気でちょっとバカっぽいビリーが引き起こした大パニックも
落ち着いてめでたしだったはずが続編ではチャイナタウンに戻ったはずのギズモが
ギズモを育てていた中国人のおじいさんが亡くなってから捕らえられて
クランプさんのビルに入る研究所に運ばれてしまう、そこでグレムリンが増殖して
NY大パニック、というスケール感というかレベル感がアップするのが逆にやりすぎの
感じがしてしまいました。
電子レンジやシュレッダーでグレムリンをやっつける場面は不快感もあったりして、
CGで出来ることを色々と映像化したかったのかな、という気もするのですが、
(ギズモがランボーに扮する場面もやりすぎな気がしました)
個人的にはクランプさん(偽物)とハルク・ホーガン(本物)が出てきたのが
ツボでしたが、ギズモが捕らえられている時間が長いのと、やたらとカメラを向ける
日本人(カツジという役名)の描き方がなんだか嫌な感じだったのもあって、
とりあえずパニックがクランプさんのお陰もあって落ち着いたものの、スッキリ感の
ない終わり方でした。
まだグレムリンが残っていそうな雰囲気を漂わせて終わっていたので
ヒットすれば3作目も作る気だったのかなと思ったのですが、これで3作目を作っても
収拾付けられなさそうで作らなくてよかったのではと思ったりしたのですが、
時代とはいえやたらと喫煙シーンがあるのも(業界への配慮なんでしょうかね)
今見ると若干引き気味になってしまい、フィービー・ケイツの可愛さも生かし切れて
いないのも残念で、1作目だけで観るのを止めておいて方がよかったかな、と
思ってしまった「グレムリン」「グレムリン2」でありました。
映画「君を想い、バスに乗る」を観る [映画(か行)]
大好きなティモシー・スポール主演というだけで
映画館(シネスイッチ銀座)に観に行ってしまった作品です。

あらすじはYahoo!映画さんより。
最愛の妻メアリー(フィリス・ローガン)に先立たれた
90歳のトム・ハーパー(ティモシー・スポール)は、
路線バスのフリーパスを使ってイギリス縦断の旅に出る。
長年暮らした家を離れ、妻と出会った思い出の地を目指すトム。
道中さまざまな人たちと出会い、トラブルに巻き込まれるが、
メアリーと交わした約束を胸に旅を続ける。
映画館(シネスイッチ銀座)に観に行ってしまった作品です。

あらすじはYahoo!映画さんより。
最愛の妻メアリー(フィリス・ローガン)に先立たれた
90歳のトム・ハーパー(ティモシー・スポール)は、
路線バスのフリーパスを使ってイギリス縦断の旅に出る。
長年暮らした家を離れ、妻と出会った思い出の地を目指すトム。
道中さまざまな人たちと出会い、トラブルに巻き込まれるが、
メアリーと交わした約束を胸に旅を続ける。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1300キロのバス旅。(◎_◎;)
歩いたら(休まず歩き続けたら)268時間の距離です。
(自転車だと82時間、車だと15時間、公共交通機関でも2日⇐Googleマップ調べ)
スコットランドの最北端からウェールズまでどうして行かなければならないんだろう、
しかもバス?(年金生活者なので予算がそんなにないのかと思ったのですが)、
そんな気持ちで観始めましたが、トムがバスで南下していく光景とトムとメアリーの
若い頃の光景が交差するように描かれていくので、どうしてトムがランズエンドを
目指すのか、その理由も最終的には分かった状態で最後のゴール場面を観客も観る、
フィクションなのにトムにとっての大事な瞬間を観客も共に分かち合う、
無事たどり着けて良かったねという安堵で映画を観終わりました。
原題は”The Last Bus"。
最後のバスというのはトム自身の人生最後のバス移動(旅)という意味?
なのかと思ったのですが、今回の邦題、そんなに悪くないというか、
トムが妻メアリーのことを想いながらバスで南下していく話なので邦題からも
映画の物語が想像できてよかったかなと思います。
これだけ長距離、しかもトムがおじいちゃん(90歳の設定)なので、
一筋縄ではいかないのは想定していましたが、カバンを盗まれそうになったり、
無料パス(スコットランドのみ有効)でイングランドでは使えないと、
なにもない田舎でトムにバスを降りろと命令する運転手に嫌がらせされたり、
最終バスを寝過ごして真夜中に知らない町に放り出されてしまったり、
ロンドンでイスラム系女性を庇ったら反イスラムみたいな男性に絡まれたり
(そこで怯まずバスを降りろと言うトムはとても強かった)
メアリーとの思い出の宿に行って2人の思い出の部屋を予約したはずが泊まれなかったり、
旅の途中に起きるトラブルや嫌な思い、このままじゃランズエンドに到着できないかも、
と心配になってしまうこともありましたが、一方で、乗っていたバスが故障すると
元自動車整備工だったトムが直す、それを他の乗客がSNSにアップしたところから、
行く先々でトム本人は知らぬままトムの姿がSNSに紹介され、
いつしかバスの英雄(Bus Hero)と呼ばれてSNSで有名人になっていき、
ゴールのランズエンドでは多くの人がトムの到着を待って温かく迎える展開でした。
(迎えた人たちも日常生活で何か物足りなさがある人達なのかもしれませんね)
本人の承諾なしにSNSにアップするのもどうなんだろうと思いましたが、
そのお陰でトムを取り巻く環境が後半は良くなっていくのが現代ですね。
見ている途中まで、病気で先が長くないと思っていたのは妻メアリーでしたが、
癌で余命短いと診断されていたのはトムの方で(怪我が化膿して入院した場面で判明)
元気だったメアリーが先に急逝してしまったことが分かります。
自分の命があとわずか、と理解しているトムが、メアリーが亡くなった後、
2人の思い出(娘のお墓がある)の地にメアリー(のお骨)を連れていかなければ、
という強い決意があったからこ行動につながっていったと思いますが、
その中で、トムが出会う人々で、バス乗り越しで途方に暮れるトムを家に招いた夫婦、
陰湿な運転手に田舎で放り出されたトムを家に連れていくウクライナ移民家族、
バス停で知り合う若い男女グループ(アメイジンググレースを歌うトムがよかった)、
世の中、悪い人もいればいい人もいる、ムカついた後に報われた気持ちでほっとする、
SNSについても良くも悪くも振れ幅が大きい拡散力があるとはいえ、今作については
性善説に基づいて現代のツールとして描かれていた印象でした。
トムが紙の地図に描いたルート(途中、風で飛ばされちゃいますが)が、
SNSの発信地(点)をつないでいくのと同じように思えたという点ではSNSがあったから
この作品に厚みが出たような気がしました。
トムを演じたティモシー・スポール、実際より30歳暗い上の役柄を演じていますが
全く違和感がなく、ティモシー・スポールが演じたからこそのトムのキャラクターは
ちょっと頑固ですが親近感を感じる素敵なおじいちゃんでした。
古いカバン(コロコロではなくトムが若い頃から使っていたようなカバン)を手に
メアリーと一緒にバスで旅していたトム、冒頭だけ音楽が流れていましたが、
それ以降はBGMもなく、静かにイギリスの景色とともにバスが南下していく展開で、
私自身も老いた時、誰かとの約束があるわけではありませんが、こうやって自分の人生を
振り返りながら遠くまで行ってみるのもよいのかな、と自分自身にもあてはめて考えた
「君を想い、バスに乗る」でありました。
映画「ガンパウダー・ミルクシェイク」を観る [映画(か行)]
予告編を観て楽しそうな映画かな、と思って映画館で鑑賞しました。

あらすじはYahoo!映画さんより。
クライム・シティの暗殺組織に所属する女殺し屋サム(カレン・ギラン)は、
ある夜標的の娘であるエミリー(クロエ・コールマン)を保護したことで、
組織から追われる身となってしまう。
襲い掛かってくる刺客たちをかわし夜の街を疾走する二人は、
元殺し屋の3人の女たちが運営する図書館に駆け込む。
そこは本だけでなく、数多くの銃火器が隠されている武器庫でもあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんかモヤモヤが残る。( 一一)
痛快活劇を期待してみたらモヤモヤ残る、そんな映画でした。
私より細かく鑑賞して細かく記事を書いているYaCoHaさんの感想を読んで
ほほぉと思ったのですが、主人公のカリスマ性(物足りない)もあったのかな、
予告編はよくできていて(笑)細かいところを気にしなければまあ楽しいかな。
そんなに期待値高い状態で見ていたわけではないのに爽快感漲って観終わる、
というよりは、どこかもやッとしたまま観終わりました。
監督のやりたいこと(色々な映画のオマージュっぽい場面もあったような)を
モリモリ盛り込んだけれどつながりがあまりうまくいっていないような、
キャスティングやアクションシーン(頑張っているけれどちょっと物足りない)の
もうちょっとうまくまとまりそうなのに勿体ない感じがちらちらして、
一方で血しぶきバイオレンス(漫画っぽく描きたかったんだと思います)が
ホラー映画苦手な私にはお腹いっぱいで爽快痛快とならんかったのかな、
と思います。
かといって、ロジャー・コーマン先生並みのB級作品かというと、
そこまで振り切っていないし(振り切っていても違う意味で怖いけど(笑))
もうちょっとテンポよく展開させて主人公サムとお母さんや、
図書館にいる元殺し屋3人組との関係を描くと深みも出たのかな、と思いました。
サムを演じたカレン・ギラン、多分見たのは初めてですが、
雰囲気はよくて背が高いのでアクションシーンは見栄えするタイプながら
頑張って演じているのにちょっと物足りない感があって残念。

あらすじはYahoo!映画さんより。
クライム・シティの暗殺組織に所属する女殺し屋サム(カレン・ギラン)は、
ある夜標的の娘であるエミリー(クロエ・コールマン)を保護したことで、
組織から追われる身となってしまう。
襲い掛かってくる刺客たちをかわし夜の街を疾走する二人は、
元殺し屋の3人の女たちが運営する図書館に駆け込む。
そこは本だけでなく、数多くの銃火器が隠されている武器庫でもあった。
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なんかモヤモヤが残る。( 一一)
痛快活劇を期待してみたらモヤモヤ残る、そんな映画でした。
私より細かく鑑賞して細かく記事を書いているYaCoHaさんの感想を読んで
ほほぉと思ったのですが、主人公のカリスマ性(物足りない)もあったのかな、
予告編はよくできていて(笑)細かいところを気にしなければまあ楽しいかな。
そんなに期待値高い状態で見ていたわけではないのに爽快感漲って観終わる、
というよりは、どこかもやッとしたまま観終わりました。
監督のやりたいこと(色々な映画のオマージュっぽい場面もあったような)を
モリモリ盛り込んだけれどつながりがあまりうまくいっていないような、
キャスティングやアクションシーン(頑張っているけれどちょっと物足りない)の
もうちょっとうまくまとまりそうなのに勿体ない感じがちらちらして、
一方で血しぶきバイオレンス(漫画っぽく描きたかったんだと思います)が
ホラー映画苦手な私にはお腹いっぱいで爽快痛快とならんかったのかな、
と思います。
かといって、ロジャー・コーマン先生並みのB級作品かというと、
そこまで振り切っていないし(振り切っていても違う意味で怖いけど(笑))
もうちょっとテンポよく展開させて主人公サムとお母さんや、
図書館にいる元殺し屋3人組との関係を描くと深みも出たのかな、と思いました。
サムを演じたカレン・ギラン、多分見たのは初めてですが、
雰囲気はよくて背が高いのでアクションシーンは見栄えするタイプながら
頑張って演じているのにちょっと物足りない感があって残念。
マデリン役のカーラ・グギノ、アントニオバンデラスの奥さん役(スパイ)を
20年くらい前に演じていたと鑑賞後に調べて知って驚いたのですが、
最後までおとなしいおばちゃんかと思ったらまさかの展開、
(彼女が9歳のエミリーを連れて逃げると思ったら違う展開にはびっくり)
スローモーションで戦うマデリンが映し出される場面で流れるのが、
ジャニス・ジョプリンの「心のカケラ」でここが個人的には一番盛り上がりました。
20年くらい前に演じていたと鑑賞後に調べて知って驚いたのですが、
最後までおとなしいおばちゃんかと思ったらまさかの展開、
(彼女が9歳のエミリーを連れて逃げると思ったら違う展開にはびっくり)
スローモーションで戦うマデリンが映し出される場面で流れるのが、
ジャニス・ジョプリンの「心のカケラ」でここが個人的には一番盛り上がりました。
サムのお母さん(元殺し屋のスカーレット)、どこかで観たことがあると思ったら
プロレス一家のお母さんを演じていたレナ・ヘディ。
仕事に失敗して消えてしまったお母さんが突如サムの前に現れて、現役時代並みに
バリバリ闘う場面、ブランクないのか、とツッコミ入れそうになりましたが、
まあ映画ですからね。かっこいいお母さんでした。
図書館の3人の残り2人がアンジェラ・バセットとミシェル・ヨー。
アンジェラ・バセットは知的に闘う強い女、って感じでしたが、
ミシェル・ヨー(この2人はダイバーシティの観点で配置されている印象)は
細すぎて、その細さでクソ重い鎖で大男をしとめる体力がアンビリーバボー、
漫画だとしてもなんかそれってどうなのよ、とここもツッコミポイントでしたが
ミシェル・ヨーは出ているだけでいいか、なんか許せる自分がいます。
記事を書く段になって気づいたのが、殺し屋に指示を出す組織のボス、
ネイサンを演じていたのがポール・ジアマッティだったこと。
歯医者にやってくる悪い3人組が笑気ガスで笑いながら暴れる場面を見て
仕事に失敗して消えてしまったお母さんが突如サムの前に現れて、現役時代並みに
バリバリ闘う場面、ブランクないのか、とツッコミ入れそうになりましたが、
まあ映画ですからね。かっこいいお母さんでした。
図書館の3人の残り2人がアンジェラ・バセットとミシェル・ヨー。
アンジェラ・バセットは知的に闘う強い女、って感じでしたが、
ミシェル・ヨー(この2人はダイバーシティの観点で配置されている印象)は
細すぎて、その細さでクソ重い鎖で大男をしとめる体力がアンビリーバボー、
漫画だとしてもなんかそれってどうなのよ、とここもツッコミポイントでしたが
ミシェル・ヨーは出ているだけでいいか、なんか許せる自分がいます。
記事を書く段になって気づいたのが、殺し屋に指示を出す組織のボス、
ネイサンを演じていたのがポール・ジアマッティだったこと。
このイメージが強すぎてその後作品に出ているのに気づかないことが多々あったとはいえ、
今作で一番いやな奴を何度も大写しで演じていたのに気づかず反省しました。(´Д`)
今作で一番いやな奴を何度も大写しで演じていたのに気づかず反省しました。(´Д`)
歯医者にやってくる悪い3人組が笑気ガスで笑いながら暴れる場面を見て
歯医者が自分で笑気ガスを吸っておかしくなるこの映画を思い出しましたが、
ポイントポイントで笑えるところもあるので悪い印象はないのに、
それでも全体で観るとスッキリ感がないのは編集の問題もあるんでしょうか。
サムにお父さんを殺されたエミリーがそれでもサムについていき、
途中ですさまじいバトルを目にして(サムたちがエグイ殺し方をする)
それでもサムの部下だといってついていく姿を見ると「なんてエェ子や」と
言いたくなる自分がおりましたが、主人公や彼女をとりまくキャラクターに
もうちょっと共感することができたらもうちょっと入り込んでみて最後はすっきり、
となったかもしれないなと思った「ガンパウダー・ミルクシェイク」でありました。
ポイントポイントで笑えるところもあるので悪い印象はないのに、
それでも全体で観るとスッキリ感がないのは編集の問題もあるんでしょうか。
サムにお父さんを殺されたエミリーがそれでもサムについていき、
途中ですさまじいバトルを目にして(サムたちがエグイ殺し方をする)
それでもサムの部下だといってついていく姿を見ると「なんてエェ子や」と
言いたくなる自分がおりましたが、主人公や彼女をとりまくキャラクターに
もうちょっと共感することができたらもうちょっと入り込んでみて最後はすっきり、
となったかもしれないなと思った「ガンパウダー・ミルクシェイク」でありました。
映画「ゴーストバスターズ1・2」を観る [映画(か行)]
最近公開された続編は観ていないのですが、Amazon primeで1作目を見つけて
久しぶりに1と2を観ました。
久しぶりに1と2を観ました。
![ゴーストバスターズ コレクターズ・エディション [AmazonDVDコレクション] ゴーストバスターズ コレクターズ・エディション [AmazonDVDコレクション]](https://m.media-amazon.com/images/I/517SR1+jLpL._SL160_.jpg)
ゴーストバスターズ コレクターズ・エディション [AmazonDVDコレクション]
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: DVD
あらすじはYahoo!映画さんより。
(1)
ピーター(ビル・マーレイ)、レイモンド(ダン・エイクロイド)、
イゴン(ハロルド・ライミス)は、ゴーストバスターズを名乗って幽霊退治業を
スタートさせる。
次々と幽霊を退治して注目を浴び有名になっていくゴーストバスターズ。
一方、門の神ズールと鍵の神ビンツが人間の体を利用して融合を果たそうとしており、
これが実現すると悪魔が世界を支配する危機的状況に陥ってしまうのだが……。
(2)
前作から5年後、ニューヨークの地下でスライムと化した無数の怨念が地表へ出現する。
その背後に中世ヨーロッパの悪神ビーゴの存在を突き止めた元ゴーストバスターズの面々は、
再び幽霊退治に乗り出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1だけでいいかも。(笑)
どちらも映画館でリアルタイムで観ているのですが(パンフレットも購入)
面白かったはずなのに続編の記憶があんまりなくて続けてみて感じたのは、
1作目のマシュマロマンにかなうキャラクターが出てこなかったかなのか、
なんて思いました。(2作目は自由の女神と大量のスライム)
往々にして続編には期待値が上がるのでそこにヒットせず、映画館で笑ったはずが
今見ると前半の展開が面白くて期待値が更に上がっていく割に謎のスライムが
なんだか分からず一体なんだなんだとスピード感が落ちて自由の女神が
マンハッタンをドスンドスン歩くという展開があまりピンと来ず。(^-^;
1作目、久しぶりに観たマシュマロマンの帽子に”STAY PUFT(いつでもふわふわ"と
書いてあるのを見てふわふわなのに目つきの悪いマシュマロマンにツボりました。
自由の女神にはそのあたりの遊び心の施しようもなかったのかと思いますが、
物足りなさを感じたのはそういうところにもあったのかもしれません。
続編で面白かったのは、自由の女神にスライムをかければ動くのでは、という
発想になる前段で、スライムに音楽を聞かせると活性化するという場面。
レイモンドかピーターが「ポール・ヤングの歌を聞かせたら?」と提案するのに
イゴンが「いや、ジャッキー・ウィルソンがいい」と”Higher and Higher”を
聴かせるとスライムがメチャクチャ活性化する場面。
1作目よりちょっと後、2作目よりちょっと前にヒット曲を出していたのが
ポール・ヤング、当時人気のあった歌手よりふた昔前くらいの歌手の曲を
聴かせるというのが制作側もちょっとした笑いどころに設定したのだと
思っていますが、久しぶりにポール・ヤングの曲が聞きたくなりました。
とりあえず続編のツボはこのあたりくらいです。(笑)
1作目はゴースト・バスターズという職業がどうやって生まれたのか、
嘘くさいことを真面目にやる3人、特に今も様々な映画で観るビル・マーレイの存在、
アホっぽくてちょっと嘘くささも感じるキャラクター、今もそんな感じのところは
ありますが、どこか憎めない感があって楽しめました。
(冒頭の研究室の透視テストの場面からしてうさん臭さ満開で笑えます)
また、1作目の方が勧善懲悪の描き方がすっきりしていて見やすい感じでした。
(環境保護局のペックの二枚舌ぶりが小粒の割にムカつくくらい悪かった)
ゴースト・バスターズのわき役で好きなのが、ディナ(シガニー・ウィーバー)の
隣人を演じたリック・モラニス。
このあたりのちょッと間抜けなんだけれど憎めないキャラクターを好演していて
ゴースト・バスターズでも変に主軸に絡んで問題起こすみたいな展開が面白く
(続編はちょっとやりすぎな感じもありましたが)
彼を映画の中で観つける、というのが鑑賞の楽しみ方のようになっておりました。
後は、シガニー・ウィーバーのお色気。(笑)
彼女の映画で印象深いのはこのあたりですが、エイリアンは観ていないので、
コメディやドラマ系で観るシガニー・ウィーバーという点では今作も楽しい映画です。
あと、今回久しぶりにレイ・パーカーJr.の歌を聴いたのですが、
今更あれこれってなんか他の曲に似ている?空耳?と思いながらネットで
検索して、この記事でなんだかホッとしてしまいました。
https://disc.nsmy.net/blog-entry-219.html
ヒューイ・ルイスが断ったお陰でレイ・パーカーJr.の作った曲が聞けたわけですが、
その前に、Mの「ポップ・ミューヂック」もあったかぁ、、しかもレイ・パーカーJr.、
両方に訴えられていたとは、、ヒットしてそれってなんだか気の毒だな、と、
この曲以外実は知らないということを記事を書きながら気づいた私です。
と、30年以上(1作目は40年近く?)経つ割にはそんなに色あせていないのですが、
続編までの5年間でPCが登場したりCG技術が格段に向上していたり、という流れを
感じながらゆるいおばけ退治を楽しめた「ゴーストバスターズ1・2」でありました。
(1)
ピーター(ビル・マーレイ)、レイモンド(ダン・エイクロイド)、
イゴン(ハロルド・ライミス)は、ゴーストバスターズを名乗って幽霊退治業を
スタートさせる。
次々と幽霊を退治して注目を浴び有名になっていくゴーストバスターズ。
一方、門の神ズールと鍵の神ビンツが人間の体を利用して融合を果たそうとしており、
これが実現すると悪魔が世界を支配する危機的状況に陥ってしまうのだが……。
(2)
前作から5年後、ニューヨークの地下でスライムと化した無数の怨念が地表へ出現する。
その背後に中世ヨーロッパの悪神ビーゴの存在を突き止めた元ゴーストバスターズの面々は、
再び幽霊退治に乗り出す。
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1だけでいいかも。(笑)
どちらも映画館でリアルタイムで観ているのですが(パンフレットも購入)
面白かったはずなのに続編の記憶があんまりなくて続けてみて感じたのは、
1作目のマシュマロマンにかなうキャラクターが出てこなかったかなのか、
なんて思いました。(2作目は自由の女神と大量のスライム)
往々にして続編には期待値が上がるのでそこにヒットせず、映画館で笑ったはずが
今見ると前半の展開が面白くて期待値が更に上がっていく割に謎のスライムが
なんだか分からず一体なんだなんだとスピード感が落ちて自由の女神が
マンハッタンをドスンドスン歩くという展開があまりピンと来ず。(^-^;
1作目、久しぶりに観たマシュマロマンの帽子に”STAY PUFT(いつでもふわふわ"と
書いてあるのを見てふわふわなのに目つきの悪いマシュマロマンにツボりました。
自由の女神にはそのあたりの遊び心の施しようもなかったのかと思いますが、
物足りなさを感じたのはそういうところにもあったのかもしれません。
続編で面白かったのは、自由の女神にスライムをかければ動くのでは、という
発想になる前段で、スライムに音楽を聞かせると活性化するという場面。
レイモンドかピーターが「ポール・ヤングの歌を聞かせたら?」と提案するのに
イゴンが「いや、ジャッキー・ウィルソンがいい」と”Higher and Higher”を
聴かせるとスライムがメチャクチャ活性化する場面。
1作目よりちょっと後、2作目よりちょっと前にヒット曲を出していたのが
ポール・ヤング、当時人気のあった歌手よりふた昔前くらいの歌手の曲を
聴かせるというのが制作側もちょっとした笑いどころに設定したのだと
思っていますが、久しぶりにポール・ヤングの曲が聞きたくなりました。
とりあえず続編のツボはこのあたりくらいです。(笑)
1作目はゴースト・バスターズという職業がどうやって生まれたのか、
嘘くさいことを真面目にやる3人、特に今も様々な映画で観るビル・マーレイの存在、
アホっぽくてちょっと嘘くささも感じるキャラクター、今もそんな感じのところは
ありますが、どこか憎めない感があって楽しめました。
(冒頭の研究室の透視テストの場面からしてうさん臭さ満開で笑えます)
また、1作目の方が勧善懲悪の描き方がすっきりしていて見やすい感じでした。
(環境保護局のペックの二枚舌ぶりが小粒の割にムカつくくらい悪かった)
ゴースト・バスターズのわき役で好きなのが、ディナ(シガニー・ウィーバー)の
隣人を演じたリック・モラニス。
このあたりのちょッと間抜けなんだけれど憎めないキャラクターを好演していて
ゴースト・バスターズでも変に主軸に絡んで問題起こすみたいな展開が面白く
(続編はちょっとやりすぎな感じもありましたが)
彼を映画の中で観つける、というのが鑑賞の楽しみ方のようになっておりました。
後は、シガニー・ウィーバーのお色気。(笑)
彼女の映画で印象深いのはこのあたりですが、エイリアンは観ていないので、
コメディやドラマ系で観るシガニー・ウィーバーという点では今作も楽しい映画です。
あと、今回久しぶりにレイ・パーカーJr.の歌を聴いたのですが、
今更あれこれってなんか他の曲に似ている?空耳?と思いながらネットで
検索して、この記事でなんだかホッとしてしまいました。
https://disc.nsmy.net/blog-entry-219.html
ヒューイ・ルイスが断ったお陰でレイ・パーカーJr.の作った曲が聞けたわけですが、
その前に、Mの「ポップ・ミューヂック」もあったかぁ、、しかもレイ・パーカーJr.、
両方に訴えられていたとは、、ヒットしてそれってなんだか気の毒だな、と、
この曲以外実は知らないということを記事を書きながら気づいた私です。
と、30年以上(1作目は40年近く?)経つ割にはそんなに色あせていないのですが、
続編までの5年間でPCが登場したりCG技術が格段に向上していたり、という流れを
感じながらゆるいおばけ退治を楽しめた「ゴーストバスターズ1・2」でありました。
映画「キューティ・ブロンド」を観る [映画(か行)]
映画がブロードウェイでミュージカル化されたのは知っていながら
未だに観たことがなかったことに気づきAmazonプライムで鑑賞しました。
未だに観たことがなかったことに気づきAmazonプライムで鑑賞しました。
あらすじはYahoo!映画さんより。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんかホッとする。(笑)
キューティといったらハニーか鈴木だと思う世代ですが(笑)
なんだかこの邦題も安直感が漂っていて個人的には(´Д`)な感じです。
弁護士を目指す設定なので”Legally Blond”を「キューティ・ブロンド」って、
まあ、「愛と幸せの」とかもっと安直な邦題くっつけていないだけよいのかも
しれませんね、と思うことにします。
と、相変わらず邦題にツッコミを入れたところで。(笑)
20年前の作品ってこういう感じの分かりやすい流れでハッピーエンド、
って感じが多かったのかなあ、なんて思いながら見終わりました。
エルがいきなりハーバードのロースクールに入ってしまう、というのも
もともと頭がよかったという前提であってもあり得ない度が高いのですが、
そこで躓くと作品自体が成り立たないので(笑)優しい気持ちで観ていると、
自分を振った彼氏(性格悪い)が婚約した女(これまた性格悪い)、
授業で冷たくする教授(この人もある意味性格悪い)と困難な状況に置かれて
これは大変、というところに現れる弁護士(ルーク・ウィルソンで驚いた)、
ネイルサロンで知り合ったポーレットとの友情、持ち前のやる気と度胸、
法律を学んでいくうちにめきめきと力をつけて裁判のサポートを任され、
大学で学んでいたファッションなどの知識で証言者の嘘を見破り、
相手を思いやる気持ちで被告の信頼を勝ち得て裁判に勝つ、、、
その後主席で卒業する、めでたしめでたし。
描き方によっては陳腐になりがちなんだと思いますが、
性格悪かった元カレの婚約者も主人公(エル)に共感し、友人になる、
どこか救われる場面もあったりして、デキ過ぎ感のある結末とはいえ、
映画なのでこのくらい大団円で終わってくれると観てほっとします。
ちなみに、これまで観た映画の中で、鑑賞後もずっと引きずっていたのは
この作品です。大団円とは真逆な結末過ぎました。。。(^-^;
この映画を見ると、ミュージカル化されてヒットしたというのも納得です。
神田沙也加ちゃんもエルを演じていたのを昨年のニュースで拝見したのですが、
もっとこの映画を早く見て舞台版もみればよかったなあ、と思いました。(;_:)
舞台映えする映画だと思ったのは脇役のポーレットの存在で、
演じていたジェニファー・クーリッジ、観ていて、あれ、この人、どこかで観たことが
あるような気がすると思ったら、
陽気で天然ブロンド美人のエル・ウッズ。
大学ではファッション販促を専攻し、成績も優秀で女性社交クラブの会長を務める
ほどの人気者。
そんなエルがいま何よりも待ち望んでいるのが政治家志望の恋人ワーナーの
プロポーズの言葉。
しかしある日、ワーナーが切り出したのは別れ話。議員の妻にブロンドはふさわしくない
というのが理由。
突然のことに動転するエルだったが、ワーナーがハーバードのロー・スクールに進学すると
知ると、自分もそこに進みワーナーに認めてもらおうとファイトを燃やし、みごと超難関の
試験を突破するのだったが……。
大学ではファッション販促を専攻し、成績も優秀で女性社交クラブの会長を務める
ほどの人気者。
そんなエルがいま何よりも待ち望んでいるのが政治家志望の恋人ワーナーの
プロポーズの言葉。
しかしある日、ワーナーが切り出したのは別れ話。議員の妻にブロンドはふさわしくない
というのが理由。
突然のことに動転するエルだったが、ワーナーがハーバードのロー・スクールに進学すると
知ると、自分もそこに進みワーナーに認めてもらおうとファイトを燃やし、みごと超難関の
試験を突破するのだったが……。
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なんかホッとする。(笑)
キューティといったらハニーか鈴木だと思う世代ですが(笑)
なんだかこの邦題も安直感が漂っていて個人的には(´Д`)な感じです。
弁護士を目指す設定なので”Legally Blond”を「キューティ・ブロンド」って、
まあ、「愛と幸せの」とかもっと安直な邦題くっつけていないだけよいのかも
しれませんね、と思うことにします。
と、相変わらず邦題にツッコミを入れたところで。(笑)
20年前の作品ってこういう感じの分かりやすい流れでハッピーエンド、
って感じが多かったのかなあ、なんて思いながら見終わりました。
エルがいきなりハーバードのロースクールに入ってしまう、というのも
もともと頭がよかったという前提であってもあり得ない度が高いのですが、
そこで躓くと作品自体が成り立たないので(笑)優しい気持ちで観ていると、
自分を振った彼氏(性格悪い)が婚約した女(これまた性格悪い)、
授業で冷たくする教授(この人もある意味性格悪い)と困難な状況に置かれて
これは大変、というところに現れる弁護士(ルーク・ウィルソンで驚いた)、
ネイルサロンで知り合ったポーレットとの友情、持ち前のやる気と度胸、
法律を学んでいくうちにめきめきと力をつけて裁判のサポートを任され、
大学で学んでいたファッションなどの知識で証言者の嘘を見破り、
相手を思いやる気持ちで被告の信頼を勝ち得て裁判に勝つ、、、
その後主席で卒業する、めでたしめでたし。
描き方によっては陳腐になりがちなんだと思いますが、
性格悪かった元カレの婚約者も主人公(エル)に共感し、友人になる、
どこか救われる場面もあったりして、デキ過ぎ感のある結末とはいえ、
映画なのでこのくらい大団円で終わってくれると観てほっとします。
ちなみに、これまで観た映画の中で、鑑賞後もずっと引きずっていたのは
この作品です。大団円とは真逆な結末過ぎました。。。(^-^;
この映画を見ると、ミュージカル化されてヒットしたというのも納得です。
神田沙也加ちゃんもエルを演じていたのを昨年のニュースで拝見したのですが、
もっとこの映画を早く見て舞台版もみればよかったなあ、と思いました。(;_:)
舞台映えする映画だと思ったのは脇役のポーレットの存在で、
演じていたジェニファー・クーリッジ、観ていて、あれ、この人、どこかで観たことが
あるような気がすると思ったら、
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主人公のキャシーのお母さんを演じていた人だ!と気づきました。
(20年前も今もそんなに雰囲気が変わっていないような気がした)
ポーレット、エルより年上ながらエルの優しさのお陰で男に振り回されない
自立した女性になっていくのが観ていてほほえましかったのですが、
こういうキャラクターを配置することで舞台としては映えそうだな、
と想像しました。
また、金髪に対する偏見で暗ににおわせていたのは、ジャクリーン・ケネディと
マリリン・モンローの対比なんだと思いますが、そういうステレオタイプ的な
発想をするバカ(エルの元カレ)が国会議員になんかなれんのかよ、と
思ってみていたらハーバードも補欠で入っていたというのが後半で分かり、
裕福な家だからと世の中を見下すような態度で結果的にはブーメラン、
という分かりやすい展開も眉間にシワ寄せて見る必要がないという点では
楽しい映画でした。
五十路も半ばを過ぎてこういう若い人の話を見ると己の若いときは
どうだったのか、と思い出せない悲しさを感じてしまいますが、
せめて映画の中では若い気分いなって笑って楽しみたい、という人には
おススメの「キューティ・ブロンド」でありました。
(20年前も今もそんなに雰囲気が変わっていないような気がした)
ポーレット、エルより年上ながらエルの優しさのお陰で男に振り回されない
自立した女性になっていくのが観ていてほほえましかったのですが、
こういうキャラクターを配置することで舞台としては映えそうだな、
と想像しました。
また、金髪に対する偏見で暗ににおわせていたのは、ジャクリーン・ケネディと
マリリン・モンローの対比なんだと思いますが、そういうステレオタイプ的な
発想をするバカ(エルの元カレ)が国会議員になんかなれんのかよ、と
思ってみていたらハーバードも補欠で入っていたというのが後半で分かり、
裕福な家だからと世の中を見下すような態度で結果的にはブーメラン、
という分かりやすい展開も眉間にシワ寄せて見る必要がないという点では
楽しい映画でした。
五十路も半ばを過ぎてこういう若い人の話を見ると己の若いときは
どうだったのか、と思い出せない悲しさを感じてしまいますが、
せめて映画の中では若い気分いなって笑って楽しみたい、という人には
おススメの「キューティ・ブロンド」でありました。
映画「ガガーリン」を観る [映画(か行)]
予告編を観て気になっていたフランス映画です。

あらすじはYahoo!映画さんより。
パリ郊外にある大規模公営住宅ガガーリンに暮らす、16歳のユーリ(アルセニ・バティリ)。
老朽化と2024年に開催されるパリ五輪のためにガガーリンの解体が決定して住人の退去が
進むが、彼は亡き母との思い出が詰まったこの場所を守りたいと考える。
友人のフサーム、ディアナと解体計画の阻止に奔走するうちに、自由で明るいディアナに
惹(ひ)かれていくユーリ。
刻々と期限が迫る中、宇宙飛行士になる夢を抱く彼は、無人となった団地が宇宙船に
見えるように手を加えようとする。

あらすじはYahoo!映画さんより。
パリ郊外にある大規模公営住宅ガガーリンに暮らす、16歳のユーリ(アルセニ・バティリ)。
老朽化と2024年に開催されるパリ五輪のためにガガーリンの解体が決定して住人の退去が
進むが、彼は亡き母との思い出が詰まったこの場所を守りたいと考える。
友人のフサーム、ディアナと解体計画の阻止に奔走するうちに、自由で明るいディアナに
惹(ひ)かれていくユーリ。
刻々と期限が迫る中、宇宙飛行士になる夢を抱く彼は、無人となった団地が宇宙船に
見えるように手を加えようとする。
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なぜ、フランスでガガーリン?
冒頭から最後までそこが分からない変なモヤモヤに包まれながら
冒頭から最後までそこが分からない変なモヤモヤに包まれながら
(先に調べておけばよかったのでモヤモヤは自己責任)
ほわっとした感覚のまま見終わりました。
観終わった後調べてみたら、
その舞台は実在したガガーリン団地。
60年代初頭、"赤いバンリュー"と呼ばれるパリ南東のイヴリー=シュル=セーヌに
建設されたこの公営住宅は、名前の由来である旧ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンも
訪れ、フランス共産党の成功の象徴となった。
だが、80年代以降、産業の空洞化と移民の流入によって次第に衰退し、
パリ・オリンピックを5年後に控えた2019年に老朽化した団地が取り壊された。
とありました。(News Weekの記事からそのまま転載)
映画の冒頭で、ガガーリンが訪れている映像が流れていたのってそういうことなのか、
観終わって気づいた私です。(笑)
フランス映画を観ていると移民の多い国なんだなあということを感じるのですが、
今回の主人公ユーリはアフリカ系(2世とか3世なのかな)、一緒に遊ぶ友人たちも
ロマ(演じていたリナ・クードリ、最近見た映画と全然イメージ違っていました)、
中東系と、郊外の古い団地(家賃が安い=低所得者向けということなのかと)で
生活する人たちを描いた作品で、取り壊しが決まってから実際の団地で撮影されたそうで、
実際の団地を使っている分、ドキュメンタリー色が強い印象を受けました。
オリンピック開催とともに古い建物取り壊しというと、
前回の北京オリンピック(夏)開催で強制立ち退きしている様子を思い出しますが、
今作での立ち退きもかなり強行というかあまり時間の猶予がない中で移転先を
探さないといけない住民たちの様子が見ていて切なくなりました。
その中でもユーリは母親が恋人の所に行ってしまい一人ぼっち、
母親のいるところに移転するはずが来られても困ると寸前で拒否されてしまい
(このお母さんもあまりに無責任だと鑑賞中ずっと腹が立っておりました)
生活のために家にあるものを売りにいく姿が16歳でそんなに大変なことに
なって、、、とみていて悲しくなってしまったのですが、
行く先もなく、ユーリが立ち退くことなく、自室を宇宙船に見立てて改造、
(そのお金はどこから出てくるのかという疑問は横に置いて鑑賞)
一人残ってガガーリン団地で生活していく様子を見ると、
母親のところに行くしかなかったけれど行くことさえできなかったユーリ、
団地の外に出ていくことへの不安を宇宙船を作ることで和らげていたのか、
そんな気持ちで観終わりました。
ユーリの宇宙船生活も楽しそうに見えましたが、ずっとそれが続けられるわけもなく、
命をおとすのではないかとハラハラみながらのラストの場面。
ハッピーエンドのようなそうでないような、どのようにも解釈できそうな、
観た人それぞれに委ねられているような、そんな気がしました。
ハッピーエンドだとしても、ユーリの置かれた状況、環境は過酷なものであって、
せめて母親がユーリと一緒に生活するように心変わりしてほしいと思いましたが、
古い建物(団地)が好きな人には映像だけでも盛り上がりそうな、
どこか不思議なファンタジーのような「ガガーリン」でありました。
ほわっとした感覚のまま見終わりました。
観終わった後調べてみたら、
その舞台は実在したガガーリン団地。
60年代初頭、"赤いバンリュー"と呼ばれるパリ南東のイヴリー=シュル=セーヌに
建設されたこの公営住宅は、名前の由来である旧ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンも
訪れ、フランス共産党の成功の象徴となった。
だが、80年代以降、産業の空洞化と移民の流入によって次第に衰退し、
パリ・オリンピックを5年後に控えた2019年に老朽化した団地が取り壊された。
とありました。(News Weekの記事からそのまま転載)
映画の冒頭で、ガガーリンが訪れている映像が流れていたのってそういうことなのか、
観終わって気づいた私です。(笑)
フランス映画を観ていると移民の多い国なんだなあということを感じるのですが、
今回の主人公ユーリはアフリカ系(2世とか3世なのかな)、一緒に遊ぶ友人たちも
ロマ(演じていたリナ・クードリ、最近見た映画と全然イメージ違っていました)、
中東系と、郊外の古い団地(家賃が安い=低所得者向けということなのかと)で
生活する人たちを描いた作品で、取り壊しが決まってから実際の団地で撮影されたそうで、
実際の団地を使っている分、ドキュメンタリー色が強い印象を受けました。
オリンピック開催とともに古い建物取り壊しというと、
前回の北京オリンピック(夏)開催で強制立ち退きしている様子を思い出しますが、
今作での立ち退きもかなり強行というかあまり時間の猶予がない中で移転先を
探さないといけない住民たちの様子が見ていて切なくなりました。
その中でもユーリは母親が恋人の所に行ってしまい一人ぼっち、
母親のいるところに移転するはずが来られても困ると寸前で拒否されてしまい
(このお母さんもあまりに無責任だと鑑賞中ずっと腹が立っておりました)
生活のために家にあるものを売りにいく姿が16歳でそんなに大変なことに
なって、、、とみていて悲しくなってしまったのですが、
行く先もなく、ユーリが立ち退くことなく、自室を宇宙船に見立てて改造、
(そのお金はどこから出てくるのかという疑問は横に置いて鑑賞)
一人残ってガガーリン団地で生活していく様子を見ると、
母親のところに行くしかなかったけれど行くことさえできなかったユーリ、
団地の外に出ていくことへの不安を宇宙船を作ることで和らげていたのか、
そんな気持ちで観終わりました。
ユーリの宇宙船生活も楽しそうに見えましたが、ずっとそれが続けられるわけもなく、
命をおとすのではないかとハラハラみながらのラストの場面。
ハッピーエンドのようなそうでないような、どのようにも解釈できそうな、
観た人それぞれに委ねられているような、そんな気がしました。
ハッピーエンドだとしても、ユーリの置かれた状況、環境は過酷なものであって、
せめて母親がユーリと一緒に生活するように心変わりしてほしいと思いましたが、
古い建物(団地)が好きな人には映像だけでも盛り上がりそうな、
どこか不思議なファンタジーのような「ガガーリン」でありました。