映画「パーム・スプリングス」を観る [映画(は行)]
YouTubeを見ているとこの映画の予告編が結構流れていて、
気になって映画館へ観に行きました。
気になって映画館へ観に行きました。
あらすじはYahoo!映画さんより。
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明日が来るって素晴らしい。
所謂タイムループものなので、
この作品をふと思い出したのですが、今作はファンタジーというよりは
コメディ要素の多い作品だったと思います。
毎日目が覚めると気の乗らない(恋人の友人の)11月9日の結婚式。
どうせまた一晩寝て起きたら今日(11月9日)なのだからと、
ずっと一人で同じ日を繰り返していた(他にも今日を繰り返していた人いるんだけど後述)
ナイルズ、彼が止めたのに同じタイムループに入ってきたサラ、2人で過ごす時間が
楽しく面白く、色々なことを試したり(卑猥なタトゥーが出来上がっていく様に(笑))
しているものの、いつまで経っても明日が来ないことに我慢できなくなったサラが
タイムループから脱出するためにいきなり量子力学について必死に学び始める、
というのがアリエネー感ありありでしたが、結果オーライですし、ネットで学んで
動物で実験して(あのヤギ?可哀想だったけれど)自分でその方法を実行する、
もうこのまま今日が続いてもいいと思っていたナイルズも、あるきっかけで
サラと一緒にタイムループを脱出しようと決断する、これでタイムループを
脱出できないとハッピーエンドにならないし、と、それほどのドキドキ感は
ありませんでしたが、無事明日(11月10日)を迎えられた場面では一安心。
ナイルズ役のアンディ・サムバーグも、サラ役のクリスティン・ミリオティも
それまで知らない俳優さんですが、どこか親近感を感じるキャラクターと風貌で
やりたい放題な様子もイラつかずに笑ってみられました。
タイムループにはまった他の人物が、爺さんのロイ、
この作品で鬼教師だったJ.K.シモンズが好演していて、
作品全体をうまくまとめていたような気がします。
ナイルズと出会ってタイムループに入ってしまったことを恨み、
時折、ナイルズを殺そうとする役柄でしたが、
どこか憎めないキャラクターというか、作品後半でナイルズがロイの家まで行くと、
そこから見えるロイの悲哀も感じられて、年を取ってからできた子供たちの成長を
見届けられないと語る姿に思わず私もウルっとしてしまいました。
といっても子供2人のうち、息子の奇行(犬のう〇こに水やりしている(笑))には
この先を見られないのは逆によいのかもしれないな、でも、ロイもいつかタイムループを
脱出してほしいな、と思いながら見終わりました。
あと一人、意外だったのが、結婚式後のパーティでナイルズに
「今日のスピーチは今までで一番よかった」と話しかけるおばあちゃん、
後半でもこの発言があるのですが、このおばあちゃん、ナイルズよりも早い時点で
タイムループにはまってしまっていたのかもしれない、と作品が終わる直前で
びっくりしました。(◎_◎;)
恐竜が出てきたりするところはあまりピンとこなかったので、
特に要らないシーンだったようにも思えましたが、
作品全体をうまくまとめていたような気がします。
ナイルズと出会ってタイムループに入ってしまったことを恨み、
時折、ナイルズを殺そうとする役柄でしたが、
どこか憎めないキャラクターというか、作品後半でナイルズがロイの家まで行くと、
そこから見えるロイの悲哀も感じられて、年を取ってからできた子供たちの成長を
見届けられないと語る姿に思わず私もウルっとしてしまいました。
といっても子供2人のうち、息子の奇行(犬のう〇こに水やりしている(笑))には
この先を見られないのは逆によいのかもしれないな、でも、ロイもいつかタイムループを
脱出してほしいな、と思いながら見終わりました。
あと一人、意外だったのが、結婚式後のパーティでナイルズに
「今日のスピーチは今までで一番よかった」と話しかけるおばあちゃん、
後半でもこの発言があるのですが、このおばあちゃん、ナイルズよりも早い時点で
タイムループにはまってしまっていたのかもしれない、と作品が終わる直前で
びっくりしました。(◎_◎;)
恐竜が出てきたりするところはあまりピンとこなかったので、
特に要らないシーンだったようにも思えましたが、
全体的にはタイムループにはまった2人が意外とダメキャラで、
(サラの呑みっぷりにはどこか同じにおいを感じましたが(笑))
親近感もありつつ、諦めないでタイムループを脱出しなさいよ、と
ナイルズにイラつきながらも最後にはホッとしてすっきりした気分になれる、
ネアカ映画「パーム・スプリングス」でありました。
(サラの呑みっぷりにはどこか同じにおいを感じましたが(笑))
親近感もありつつ、諦めないでタイムループを脱出しなさいよ、と
ナイルズにイラつきながらも最後にはホッとしてすっきりした気分になれる、
ネアカ映画「パーム・スプリングス」でありました。
小伝馬町「和酒彩菜 遊月亭」で蛍烏賊 [呑んだり食べたり(居酒屋)]
やっと和歌山旅行(2日目は大阪)を書き終えたので、
暫く呑み記事と(引きの悪い(笑))映画記事をアップします。
今回は4月初旬に訪れた小伝馬町の「和酒彩菜 遊月亭」さんです。
(食べログ)https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13113211/
21時(アルコールは20時)までの営業予約があれば営業します、ということだったので、
予約して3人でお店に行くと2階へ案内されました。
2階席、15,6人くらいの宴会も出来るくらいのスペースに3人。(笑)
ゆったりと3人で距離をとって座って、
乾杯♪
お通しは味噌ピーナツ
お砂糖とお味噌を絡めてあってこれは日本酒も合いそう。
お料理はおまかせでお願いしたので何が出てくるのか分からないのですが、
(それがこのお店では楽しみだったりします)
味噌ピーナツが出てきた時点で期待も高まります。
ごま豆腐
ルッコラと、アボカドのディップ付き。
アボカドは山葵とお醤油で味付けしてあって、ごま豆腐にもルッコラにも合う合う。
届いたばかりの新鮮野菜がいつも美味しいのですが、まさかルッコラにアボカドを
組み合わせて出てくるとは思わずびっくり。美味しくて2度びっくりです。
視界に入った峠のかまめし
親にせがんで買ってもらってお釜を自宅に持ち帰っても結局使うことなく
暫くすると廃棄、という思いでしか残っていない峠のかまめし。(^-^;
巨大ボトルに入ったテキーラ
玉兎という酒屋も経営しているので日本酒以外のお酒も色々あるのですが
3リットルだったか巨大ボトルのテキーラ、これだけ減っているのが凄いです。
続いてかぶ
「あやめ」という名前のかぶですが、瑞々しくてうんまいです。
肉みそをつけて食べると更に美味
かぶの葉っぱもシャキシャキしていて美味しくいただきました。
最初のお酒は天美
山口県のお酒。
遊月亭さんと同じ系列の「朔」(本郷三丁目)でもいただいたことがありますが、
穏やかというか優しい感じのお酒。
この後は、徳利が空く度に1階にもっていって、店主たけるさんに色々と注いで
いただいたのでボトル写真は最後にいただいたお酒までありません。(^-^;
春は蛍烏賊
出始めの頃は小ぶりですが、4月になるとこのくらいぷっくり。
旬の時期は何度食べても飽きないくらい好きです。
(小さい頃は目玉が怖くて食べられなかったんですが)
蛍烏賊の下の海藻はアカモク。あきた美彩館でたべるギバサと同じ。
ざくざく切ってないのですが、歯ごたえがあって噛むと粘りがあって美味。
これはお水ですが
器は鶴齢の「雪男」。ワンカップのデザインも楽しいものが多いですね。
桜鯛
きれいな色の鯛は、
鍋でしゃぶしゃぶします。
うまいぞ
と、鯛を食べ終わったところで、
蛍烏賊!
ボイルした蛍烏賊で満足していた後にまさかの生蛍烏賊が登場しました。
柚子胡椒おろしと味噌だれだったかな
鯛の頭やネギ、レモンもいれて
しゃぶしゃぶ
初めて呑む静岡の萩錦で〆
届いたばかりのじゃがいも、もって帰る?と言われて、
ありがたくもらって帰ろうとしたら、たけるさんの営む玉兎さんが、
遊月亭となりの建物の2階からお引越しということで、
まだ開店準備中だけど見ますか?というので案内してもらいました。
(Facebook)https://www.facebook.com/shuho.tamausagi
レイアウトをまだ検討中の頃の店内だったのですが、
こんな感じ。
お店でいただくお酒も買えるので早くいかねば、と思っています。
今回は、蛍烏賊をボイルとしゃぶしゃぶで楽しめると思っていなかったので、
大量のあかもくもいただけて春を美味しくいただけました。(^-^)
いつも新鮮な野菜やお魚(お肉のときもあります)と美味しいお酒を
楽しませていただけて今回も感謝感謝の遊月亭さんでありました。
暫く呑み記事と(引きの悪い(笑))映画記事をアップします。
今回は4月初旬に訪れた小伝馬町の「和酒彩菜 遊月亭」さんです。
(食べログ)https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13113211/
21時(アルコールは20時)までの営業予約があれば営業します、ということだったので、
予約して3人でお店に行くと2階へ案内されました。
2階席、15,6人くらいの宴会も出来るくらいのスペースに3人。(笑)
ゆったりと3人で距離をとって座って、
乾杯♪
お通しは味噌ピーナツ
お砂糖とお味噌を絡めてあってこれは日本酒も合いそう。
お料理はおまかせでお願いしたので何が出てくるのか分からないのですが、
(それがこのお店では楽しみだったりします)
味噌ピーナツが出てきた時点で期待も高まります。
ごま豆腐
ルッコラと、アボカドのディップ付き。
アボカドは山葵とお醤油で味付けしてあって、ごま豆腐にもルッコラにも合う合う。
届いたばかりの新鮮野菜がいつも美味しいのですが、まさかルッコラにアボカドを
組み合わせて出てくるとは思わずびっくり。美味しくて2度びっくりです。
視界に入った峠のかまめし
親にせがんで買ってもらってお釜を自宅に持ち帰っても結局使うことなく
暫くすると廃棄、という思いでしか残っていない峠のかまめし。(^-^;
巨大ボトルに入ったテキーラ
玉兎という酒屋も経営しているので日本酒以外のお酒も色々あるのですが
3リットルだったか巨大ボトルのテキーラ、これだけ減っているのが凄いです。
続いてかぶ
「あやめ」という名前のかぶですが、瑞々しくてうんまいです。
肉みそをつけて食べると更に美味
かぶの葉っぱもシャキシャキしていて美味しくいただきました。
最初のお酒は天美
山口県のお酒。
遊月亭さんと同じ系列の「朔」(本郷三丁目)でもいただいたことがありますが、
穏やかというか優しい感じのお酒。
この後は、徳利が空く度に1階にもっていって、店主たけるさんに色々と注いで
いただいたのでボトル写真は最後にいただいたお酒までありません。(^-^;
春は蛍烏賊
出始めの頃は小ぶりですが、4月になるとこのくらいぷっくり。
旬の時期は何度食べても飽きないくらい好きです。
(小さい頃は目玉が怖くて食べられなかったんですが)
蛍烏賊の下の海藻はアカモク。あきた美彩館でたべるギバサと同じ。
ざくざく切ってないのですが、歯ごたえがあって噛むと粘りがあって美味。
これはお水ですが
器は鶴齢の「雪男」。ワンカップのデザインも楽しいものが多いですね。
桜鯛
きれいな色の鯛は、
鍋でしゃぶしゃぶします。
うまいぞ
と、鯛を食べ終わったところで、
蛍烏賊!
ボイルした蛍烏賊で満足していた後にまさかの生蛍烏賊が登場しました。
柚子胡椒おろしと味噌だれだったかな
鯛の頭やネギ、レモンもいれて
しゃぶしゃぶ
初めて呑む静岡の萩錦で〆
届いたばかりのじゃがいも、もって帰る?と言われて、
ありがたくもらって帰ろうとしたら、たけるさんの営む玉兎さんが、
遊月亭となりの建物の2階からお引越しということで、
まだ開店準備中だけど見ますか?というので案内してもらいました。
(Facebook)https://www.facebook.com/shuho.tamausagi
レイアウトをまだ検討中の頃の店内だったのですが、
こんな感じ。
お店でいただくお酒も買えるので早くいかねば、と思っています。
今回は、蛍烏賊をボイルとしゃぶしゃぶで楽しめると思っていなかったので、
大量のあかもくもいただけて春を美味しくいただけました。(^-^)
いつも新鮮な野菜やお魚(お肉のときもあります)と美味しいお酒を
楽しませていただけて今回も感謝感謝の遊月亭さんでありました。
和歌山旅行記2020~あとは帰る編~ [日本の旅(関西&東海)]
アドベンチャーワールドよりも長々と万博記念公園について書いておりましたが
本日でこの旅行記も終わらせます。
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本日でこの旅行記も終わらせます。
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伊丹空港に着いて最初に向かったのが、
JGCカウンター
クラスJにアップグレードできるか確認したところキャンセル待ちというので
多分無理だろうな、と思いながらキャンセル待ちをお願いしました。
GoToも盛んな頃で幹線なのでさすが混んでいるんだな、と思いながら、
551蓬莱に行くと大行列(◎_◎;)だったので早々に諦めて保安検査に行きました。
プライオリティレーンをありがたく使わせてもらったものの、前方にいたおじさんが
なにやら引っかかりやたらと時間がかかったので、私の目の前のスーツ姿のジジイが
メチャクチャいらついていたのを見たら同じようになってはいけないな、という気分に。(笑)
このジイサン、スーツ姿なので社用でJALをよく使う上級会員なんでしょうね。
こういうおっさんとかジジイ(昔の勤め先の役員もそうだった)が選民意識みたいに偉そうな
態度で並んでいたりCAさんに偉そうに話しかけている姿を見かけるJALですが、
ANAはどうなんでしょう、こういう人多いのかしらね。
とフードコートにやってきて、
前回の京都旅行の帰りは、ANAの方まで行って高いのに残念なラーメンを
食べた記憶が未だに残っているのですが(二度といかない(笑))
空港で過度な期待をしてもよくないのかな、と思いながら、
美々卯で注文して出来上がりまでお店近くに座って待ちます。
JAL側は赤基調です
(ANA側は青基調)
5分で出来上がり。
ビールセット
これで1,100円。あのラーメンより安いです。
(というかあのラーメンが高すぎたんだと思う)
ほろほろ豚角煮
優しいお出汁のきつねうどん
関西のこの薄い色のお出汁、これだけでもお酒呑めますね。(^-^)
出来立てのスイーツも食べられるみたいですが
このビールセットでお腹いっぱいになったので今回はパス。
焼き立てチーズケーキとかみたらしだんごとか、美味しそうですし、
次回時間とお腹に余裕があったら試してみたいですね。
この後、メゾンカイザーでパンを買うとビニール袋代が9円と言われて高いなと思いながら、
GoToクーポンを使って辻利でお土産を買うとこちらは袋代が無料。
お店によって違うんだなあと思いながら、
ラウンジでまったり
亀田製菓のソフトサラダをいただいてから
キャンセル待ちの結果を聞きにカウンターに向かいます。
クラスJにアップグレードできるか確認したところキャンセル待ちというので
多分無理だろうな、と思いながらキャンセル待ちをお願いしました。
GoToも盛んな頃で幹線なのでさすが混んでいるんだな、と思いながら、
551蓬莱に行くと大行列(◎_◎;)だったので早々に諦めて保安検査に行きました。
プライオリティレーンをありがたく使わせてもらったものの、前方にいたおじさんが
なにやら引っかかりやたらと時間がかかったので、私の目の前のスーツ姿のジジイが
メチャクチャいらついていたのを見たら同じようになってはいけないな、という気分に。(笑)
このジイサン、スーツ姿なので社用でJALをよく使う上級会員なんでしょうね。
こういうおっさんとかジジイ(昔の勤め先の役員もそうだった)が選民意識みたいに偉そうな
態度で並んでいたりCAさんに偉そうに話しかけている姿を見かけるJALですが、
ANAはどうなんでしょう、こういう人多いのかしらね。
とフードコートにやってきて、
前回の京都旅行の帰りは、ANAの方まで行って高いのに残念なラーメンを
食べた記憶が未だに残っているのですが(二度といかない(笑))
空港で過度な期待をしてもよくないのかな、と思いながら、
美々卯で注文して出来上がりまでお店近くに座って待ちます。
JAL側は赤基調です
(ANA側は青基調)
5分で出来上がり。
ビールセット
これで1,100円。あのラーメンより安いです。
(というかあのラーメンが高すぎたんだと思う)
ほろほろ豚角煮
優しいお出汁のきつねうどん
関西のこの薄い色のお出汁、これだけでもお酒呑めますね。(^-^)
出来立てのスイーツも食べられるみたいですが
このビールセットでお腹いっぱいになったので今回はパス。
焼き立てチーズケーキとかみたらしだんごとか、美味しそうですし、
次回時間とお腹に余裕があったら試してみたいですね。
この後、メゾンカイザーでパンを買うとビニール袋代が9円と言われて高いなと思いながら、
GoToクーポンを使って辻利でお土産を買うとこちらは袋代が無料。
お店によって違うんだなあと思いながら、
ラウンジでまったり
亀田製菓のソフトサラダをいただいてから
キャンセル待ちの結果を聞きにカウンターに向かいます。
飛行機やプッシュバックなどの車両を見ると心躍ります。
MRJ!
昨年10月に事実上の開発凍結となった国産ジェット機、
この先、開発再開されることがあるのでしょうか。。
空を飛ぶ光景を見たいけれど
この後、キャンセル待ちの結果を聞きにカウンターに行くと、
キャンセル待ちしているのが3人。
S(上級会員の中でも優先順位が高い人)が1人、
A(私のような平のJGC)が1人⇐私だけだと知る、
B(それ以外)が1人というたった3人しかキャンセル待ちしていないの?と驚き、
通路側1席、3人掛け真ん中1席の2席しか空いていないので、通路側が空いたら、
Sの方にアサインするので、うつぼ様の場合は真ん中席が空いた場合にアサインします、
と聞いて、もう搭乗も始まっているし、元々指定している窓側の普通席でいいか、と
では結構です、と断って素直に搭乗。
さすがに幹線らしく機材はB787
羽田行なので画面はレインボーブリッジ
電源もついていて便利です
周りはUSJのお土産を持った大学生くらいの男性グループ(5人か6人か)。
楽しい旅の帰りなのでグループの皆さんで大声で話していて、
おまけに隣のお兄ちゃんがガタイがよくて私の方まではみ出してきて。(V)o¥o(V)。
ああ、もうちょっと待ってクラスJが空いたらそっちに行けばよかったかもしれない、
そんな気持ちになりました。(;_:)
美味しんぼが読める機内
と、後ろの人が足元の荷物を前方に押し込もうとしているらしく、
前に座っている私の足元まで荷物がグイグイ押し込まれてきて。(V)o¥o(V)
イラついて足で荷物を後ろに押し返す、また後ろから荷物を押し込んでくる、押し返す。
いい加減にしろ。(V)o¥o(V)
心の中で後ろの人をドツキました。
座席ってその時の運なんだよなあ、としみじみ思いました。
飛行機は搭乗開始が早かったものの、荷物の積み込みに時間がかかるという理由で、
定刻よりも遅くドアが閉まりました。
もう夕方
いつもありがとうございます。
今回写真右の方がものすごく大きく手を振ってくれました。
地上の皆さんも安全運航にご尽力されていることに感謝です。
と、居心地の悪い機内ですが、お手振りで気持ちが温まりました。(^-^)
お手振り後、離陸して、
後ろの奴が何度も荷物を押してくるのが鬱陶しいと思いながら52分の飛行時間を
外が真っ暗になったころ羽田空港に着陸しました
追い風だったのか出発遅れを取り返すような感じで羽田に到着しましたが、
降機前にCAさんからアナウンスがあって、後方席に飲み物が提供できなかったとお詫び。
ジュースを出口で配ること、降機時はソーシャルディスタンスを保ってください、と
何度も言っていましたが、私の周りのアンちゃんたちは全く気にすることなく、
仲間同士で大声で話しながらグイグイ前進して降りていきました。
クラスJにすればよかった。(次回の教訓にします)
降機してからは京急で品川へそこから上野東京ラインで無事帰宅。
今回はクラウドファンディングでいただいた入園券でのアドベンチャーワールド、
永明に会えない残念はありましたが、こうやって年に一度訪れることができるのは
ありがたいことですね。
多田屋さんでのお酒、まるイさんのねぎたっぷりラーメンに加え、
今回は初めての万博記念公園で50年前にタイムスリップしながら、日本の経済発展の
一端を見ることができた、和歌山(&大阪)旅行でありました。
(和歌山旅行記2020 これにて終わり)
タグ:JL
和歌山旅行記2020~万博記念公園編⑥~ [日本の旅(関西&東海)]
さすがに今回で万博記念公園の記事を終わらせます。(笑)
EXPO'70パビリオンからホットドックで昼ビールの後は、
バラ園を通って民藝館に向かいます。
月の花
イサム・ノグチ作。
大阪万博開催中は、天の池の中にあって噴水の一部となっていたそうです。
これが噴水の一部って幻想的だったんでしょうね。
美しい♪
民藝館へ
東京の駒場にある日本民芸館が暮らしの中で培われた工芸品の実用性に即した美しさを
見てもらうために大阪万博に日本民芸館を出展し、閉会後は大阪日本民芸館として、
国内外の陶磁器や染織品などが展示されています。(館内撮影禁止)
入館時、検温と大阪府独自のアプリ(コロナ感染対策用ですが名前失念)を
入れてくださいというお願いがありました。
万博記念公園の入園券を見せるとちょと割引があったような記憶。
あまり広くないのでさらっと見学できましたが、洗手間に入ったら
和式メインでドアを開けてそのまま前進して用を足すタイプ。
(最近は入って横向きのタイプが多いのでびっくり)
再びバラを見ながら
今度は日本庭園に向かいましたが、
広いので軽く見学、
と思って右手に進むと、
松の州浜
川が河口付近から海へと注ぐ姿を象(かたど)ったもの。
西端の深山の泉からの湧水が南北二つの流れに分かれ、ここで合流して心字池へ流れる、
ということらしいのですが、曇天の中歩いていると大量のカラスが気になって。(;_:)
黒い点々がカラス違うところにもカラス
鳴き声も凄くて、カラスの住環境としては素晴らしいんだろうな、この庭園、
そんなことばかり気になって歩いておりました。
昔、仲良しKサンが朝の出勤時、最寄り駅まで歩いていたら、
耳にきらめくピアスをめがけて飛んできた話を聞いたことがあるので、
私のピアス(キラキラしていないんですが)めがけて飛んできたら、と
想像する度ぷるぷる震えます。
想像するのがヒッチコックの「鳥」レベルまで広がってしまい、
お庭の美しさを楽しむというよりカラスにいかに襲われないようにするか、
そんなことばかり考えていたので庭園の思い出、殆ど残っておりません。(笑)
心字池
松の州浜から繋がっている「心」という文字みたいに見える池。
こんな看板があちこちに立てかけてあって、対策のしようもないのかな、
とびくびくしながら
あっという間に散策終了。
ロボット?
小さい頃に観に行ったら楽しかっただろうな、と思いながら、
空港に向かう時間も迫ってまいりましたので正門に向かいます。
ノックアウトにブラッシングノックアウト、という名前のバラ。
調べたら耐病性の高いバラで、病気をノックアウトする、という意味で
つけられたようです。意味は分かるけど名前がストレートすぎる。(笑)
途中で見つけたナゲット専門店。
こういう公園内でナゲットの専門店って味に自信あるんでしょうね。
自ら高級と謳っている
食べている時間もないので今回はパスしましたが、ビールと一緒なら良さげ。
ありがとう、太郎。
ガチャガチャも太郎
石坂泰三氏
個人的には東芝の社長だった人というイメージが強いのですが、
日本万国博覧会会長として陣頭指揮を執った人だったんですね。
そんなことさえ今頃知りましたが(気づくの遅くてすみません)、
今回の万博記念公園、非常に楽しい訪問となりました。
この後はモノレールで伊丹空港まで18分。
途中千里中央を通ると大きな団地が見えたりして、戦後の日本経済成長の中で
建てられた団地なんだなあと思いながら伊丹空港に到着。
まずはJGCカウンターに向かいま~す。
(つづく)
EXPO'70パビリオンからホットドックで昼ビールの後は、
バラ園を通って民藝館に向かいます。
月の花
イサム・ノグチ作。
大阪万博開催中は、天の池の中にあって噴水の一部となっていたそうです。
これが噴水の一部って幻想的だったんでしょうね。
美しい♪
民藝館へ
東京の駒場にある日本民芸館が暮らしの中で培われた工芸品の実用性に即した美しさを
見てもらうために大阪万博に日本民芸館を出展し、閉会後は大阪日本民芸館として、
国内外の陶磁器や染織品などが展示されています。(館内撮影禁止)
入館時、検温と大阪府独自のアプリ(コロナ感染対策用ですが名前失念)を
入れてくださいというお願いがありました。
万博記念公園の入園券を見せるとちょと割引があったような記憶。
あまり広くないのでさらっと見学できましたが、洗手間に入ったら
和式メインでドアを開けてそのまま前進して用を足すタイプ。
(最近は入って横向きのタイプが多いのでびっくり)
再びバラを見ながら
今度は日本庭園に向かいましたが、
広いので軽く見学、
と思って右手に進むと、
松の州浜
川が河口付近から海へと注ぐ姿を象(かたど)ったもの。
西端の深山の泉からの湧水が南北二つの流れに分かれ、ここで合流して心字池へ流れる、
ということらしいのですが、曇天の中歩いていると大量のカラスが気になって。(;_:)
黒い点々がカラス違うところにもカラス
鳴き声も凄くて、カラスの住環境としては素晴らしいんだろうな、この庭園、
そんなことばかり気になって歩いておりました。
昔、仲良しKサンが朝の出勤時、最寄り駅まで歩いていたら、
耳にきらめくピアスをめがけて飛んできた話を聞いたことがあるので、
私のピアス(キラキラしていないんですが)めがけて飛んできたら、と
想像する度ぷるぷる震えます。
想像するのがヒッチコックの「鳥」レベルまで広がってしまい、
お庭の美しさを楽しむというよりカラスにいかに襲われないようにするか、
そんなことばかり考えていたので庭園の思い出、殆ど残っておりません。(笑)
心字池
松の州浜から繋がっている「心」という文字みたいに見える池。
こんな看板があちこちに立てかけてあって、対策のしようもないのかな、
とびくびくしながら
あっという間に散策終了。
ロボット?
小さい頃に観に行ったら楽しかっただろうな、と思いながら、
空港に向かう時間も迫ってまいりましたので正門に向かいます。
ノックアウトにブラッシングノックアウト、という名前のバラ。
調べたら耐病性の高いバラで、病気をノックアウトする、という意味で
つけられたようです。意味は分かるけど名前がストレートすぎる。(笑)
途中で見つけたナゲット専門店。
こういう公園内でナゲットの専門店って味に自信あるんでしょうね。
自ら高級と謳っている
食べている時間もないので今回はパスしましたが、ビールと一緒なら良さげ。
ありがとう、太郎。
ガチャガチャも太郎
石坂泰三氏
個人的には東芝の社長だった人というイメージが強いのですが、
日本万国博覧会会長として陣頭指揮を執った人だったんですね。
そんなことさえ今頃知りましたが(気づくの遅くてすみません)、
今回の万博記念公園、非常に楽しい訪問となりました。
この後はモノレールで伊丹空港まで18分。
途中千里中央を通ると大きな団地が見えたりして、戦後の日本経済成長の中で
建てられた団地なんだなあと思いながら伊丹空港に到着。
まずはJGCカウンターに向かいま~す。
(つづく)
タグ:大阪
和歌山旅行記2020~万博記念公園編⑤~ [日本の旅(関西&東海)]
やっとEXPO'70パビリオンの展示を見学し終えて入口まで来ました。
小ぶりな太郎がいいましたこれなに?
池田フォーン
当時、バシェの音響(楽器)彫刻の作品が17点、万博期間中にEXPO'70パビリオンの
前身である鉄鋼館に展示されていたそうですが、その楽器を制作したのが、
上の写真の方(フラソワ・バシェ)。会期中には来場者が自ら楽器を演奏することが
出来たそうですが、実際演奏してみるとこんな感じ。↓
意外とごっつい音に聞こえますが演奏するのが楽しそうです。
鉄鋼館のテーマ「鉄の歌」を表現するために彫刻家であるフランソワ・バシェと、
兄で音響技師であるベルナール・バシェが制作した音響彫刻楽器は、
叩いたりこすったりすると振動が倍増して不思議な音が出る彫刻として、
老若男女だれでも演奏できるものを日本に4か月滞在して制作した際、
それぞれの楽器の制作助手の名前をつけたので、今みられるこの楽器は、
池田さんが制作助手だったことから「池田フォーン」と呼ばれているそうです。
会期後、楽器が解体・保管されていたものを、大阪万博40周年(2010年)に
池田フォーンを、2014年に高木フォーンと川上フォーンを修復・復元したとか。
私が訪れたときは池田フォーンのみ展示されていましたが、
高木さんと川上さんはどこにいるのでしょう。(定期的に入れ替え?)
天皇陛下と秋篠宮
ちっちゃい。。(当たり前)
日本館サンダーバードみたいな日立パビリオン
プリクラはパス
イタリア館のコンパニオンさん
時節柄マスクされていましたが(笑)こうやって展示だけみていても
心躍りますね。今回伊丹空港に行く前に立ち寄ってよかったです。(^-^)
近くに平和の鐘
会期中は国連館に展示されていたそうですが、
1954年、中川千代治氏(元愛媛県宇和島市長で財団法人日本国際連合協会理事)が、
世界平和への願いを込めて、日本を含む世界60数カ国の人々から集めたコインなどから
「世界絶対平和萬歳」と刻印した鐘を鋳造し、国連本部に寄贈されたたものが、
会期中、NYの国連から万博会場に運ばれて展示された後、会期後は再び国連に
かえっていったので、私がみたのはその後つくられた姉妹鐘(レプリカ)。
レプリカも世界133国のコインで作られたというので凄いですね。
こうやって和歌山から大阪までやってこられたことに感謝しながら、平和を願って
鐘に向かって手を合わせました。
!!
近くにカフェがあったので軽く呑むことにしました。
ハイネケン(小缶)
ジョンソンビルのソーセージ、初めて食べましたがパリッとして美味。
この後も空港で呑むつもりなのでこのくらいでやめときます。(笑)
太郎
太郎に接近
背後から太郎
どの角度から見てもエネルギーを感じます。
(見ながらぼんやり太郎(岡本)の姿も見えてきます)
もうちょっと時間があるので、日本庭園の方へ向かっていくと、
博物館の看板に続いて、
民藝館の看板もあって悩みながら
バラ園
バラ園などに行くと大体オフシーズンで咲いていない状態のところか、
シーズン終わりかけみたいな寂しい状態のことが多いのですが、
今回は綺麗に咲いていましたので、こちらはのちほどゆっくり見学することに。
と、歩きながら博物館か民藝館か、どちらに行こうか迷いながら、
民藝館に行くことにしました。
(つづく)
池田フォーン
当時、バシェの音響(楽器)彫刻の作品が17点、万博期間中にEXPO'70パビリオンの
前身である鉄鋼館に展示されていたそうですが、その楽器を制作したのが、
上の写真の方(フラソワ・バシェ)。会期中には来場者が自ら楽器を演奏することが
出来たそうですが、実際演奏してみるとこんな感じ。↓
意外とごっつい音に聞こえますが演奏するのが楽しそうです。
鉄鋼館のテーマ「鉄の歌」を表現するために彫刻家であるフランソワ・バシェと、
兄で音響技師であるベルナール・バシェが制作した音響彫刻楽器は、
叩いたりこすったりすると振動が倍増して不思議な音が出る彫刻として、
老若男女だれでも演奏できるものを日本に4か月滞在して制作した際、
それぞれの楽器の制作助手の名前をつけたので、今みられるこの楽器は、
池田さんが制作助手だったことから「池田フォーン」と呼ばれているそうです。
会期後、楽器が解体・保管されていたものを、大阪万博40周年(2010年)に
池田フォーンを、2014年に高木フォーンと川上フォーンを修復・復元したとか。
私が訪れたときは池田フォーンのみ展示されていましたが、
高木さんと川上さんはどこにいるのでしょう。(定期的に入れ替え?)
天皇陛下と秋篠宮
ちっちゃい。。(当たり前)
日本館サンダーバードみたいな日立パビリオン
プリクラはパス
イタリア館のコンパニオンさん
時節柄マスクされていましたが(笑)こうやって展示だけみていても
心躍りますね。今回伊丹空港に行く前に立ち寄ってよかったです。(^-^)
近くに平和の鐘
会期中は国連館に展示されていたそうですが、
1954年、中川千代治氏(元愛媛県宇和島市長で財団法人日本国際連合協会理事)が、
世界平和への願いを込めて、日本を含む世界60数カ国の人々から集めたコインなどから
「世界絶対平和萬歳」と刻印した鐘を鋳造し、国連本部に寄贈されたたものが、
会期中、NYの国連から万博会場に運ばれて展示された後、会期後は再び国連に
かえっていったので、私がみたのはその後つくられた姉妹鐘(レプリカ)。
レプリカも世界133国のコインで作られたというので凄いですね。
こうやって和歌山から大阪までやってこられたことに感謝しながら、平和を願って
鐘に向かって手を合わせました。
!!
近くにカフェがあったので軽く呑むことにしました。
ハイネケン(小缶)
ジョンソンビルのソーセージ、初めて食べましたがパリッとして美味。
この後も空港で呑むつもりなのでこのくらいでやめときます。(笑)
太郎
太郎に接近
背後から太郎
どの角度から見てもエネルギーを感じます。
(見ながらぼんやり太郎(岡本)の姿も見えてきます)
もうちょっと時間があるので、日本庭園の方へ向かっていくと、
博物館の看板に続いて、
民藝館の看板もあって悩みながら
バラ園
バラ園などに行くと大体オフシーズンで咲いていない状態のところか、
シーズン終わりかけみたいな寂しい状態のことが多いのですが、
今回は綺麗に咲いていましたので、こちらはのちほどゆっくり見学することに。
と、歩きながら博物館か民藝館か、どちらに行こうか迷いながら、
民藝館に行くことにしました。
(つづく)
タグ:大阪
和歌山旅行記2020~万博記念公園編④~ [日本の旅(関西&東海)]
万博記念公園の記事、あと3回続きます。(笑)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
うつぼ家白黒テレビ時代(その頃はまだ東京に住んでいた)に、
遠く大阪で超近未来的な技術の数々が披露されていたことを
五十路になってから知った(&半端ない驚き)私うつぼ、
ここにくる機会もそうそうないだろう、と展示内容をじっくり見学しました。
広い
ジオラマですが、色紙で作られたものでどこか温かみがあります。
手前が電気通信館、奥の丸いのが5個連なっているのが(説明雑)日本館。
ネットで調べてみたら、日本館、1つだと狭くて5つだと大きすぎて、
電気代等の維持費もかかるため、万博閉会後の転用が叶わず1975年に解体された、
というのを知りました。
技術の粋を集めてって感じだったのかもしれませんが、今の時代だと尚更再利用とか
転用を念頭にデザインすることが多いでしょうし、今度の大阪万博はこういう奇抜な
デザインの建造物は見られるのかな、なんて思いました。
太郎
太郎さんの右側のドームがいくつか連なっているのはフランス館。
楽しい♪
ちょっと高い台に乗りながら見られるのですが、ぐるっと一周するだけで
なんだか楽しい気分になれました。
手前(左下)の白いドームがアメリカ館、で、その隣がオーストラリア館。
その隣の青いドームがドイツ館で、その隣がフランス館。
手前が三菱未来館で、黄色い風船みたいなのが化学工業館。
太郎
静かに(さすがに一人で声だして話していたら怪しい人になるので)一周して興奮しました。
座ってみました。
手に包まれているような気分で恥ずかしい気持ちとホッとする気持ちが混在。
万国博ホール関連
手前に当時のチケットの展示がありましたが、
ここはポスター類の展示です。
万国博レコード祭りって(笑)
そうですよね、当時はまだレコード。(CDを見たのは私が大学生になった頃)
マシュケナダ 家にレコードありました
実は一度も読んだことのない赤毛のアン、と、「悲しい天使」メリー・ホプキン。
ベンジー(映画)の主題歌を歌っていた人というイメージ。(レコード持ってます)
で、万国博レコード祭りをよく見ると、
レコート会社別に所属歌手を集めてコンサート、って感じですが、
タイガースは単体で行うというのは圧倒的な集客力なのでしょうね。
個人的は東芝のコンサートに岡崎友紀の名前があって懐かしくなりました。
ちあきなおみ、の下に森山加代子!
意外と歌手の名前を見て思い出すものだな、と思いながら、
大阪府民の皆さん、パビリオンだけでなくこういう興行も楽しめたというのが
羨ましく思えました。
続いて、大阪万博で海外から紹介されたもの。
ヨーグルト!
ブルガリア館に本場のヨーグルトがあることを明治乳業のスタッフが聞きつけて
会場で試食したことが開発の契機となり、翌年、明治ブルガリアヨーグルトが完成、
日本初のプレーンヨーグルトとして紹介されたという説明に、
明治乳業さん、グッジョブという気持ちになりました。
フランスパンも
ドンクが半年間で1億7千万円を売り上げ全国にフランスパンが知られるように
なったそうですが、当時の2億弱って物凄い金額ですね。びっくり。
ファーストフードやファミレス
アメリカンパーク内にケンタッキー・フライド・チキンが初上陸、
ハンバーガーやホットドッグが販売されて食文化の国際化が
一気に進むきっかけになったそうです。
加えて、セントラルキッチンシステムを持つファミレスのロイヤルも会場内で
期間中売上高1位となる人気だったそうです。
万博のような大きなイベントが普及を加速させるんでしょうね。
LANも(驚)
50年前にLAN。驚きました。
会場の管理・運営を円滑に行うための施設オペレーション・コントロール・センターで
日本で初めての大がかりな情報通信システムを完備し、会場内各所の端末設備と
通信回路で結ばれたそうです。
入退場数の正確なチェック、駐車場への誘導、迷子探し、催事の検索などの
膨大な情報サービスを担ったという説明に、
うつぼ家白黒テレビ時代(しつこくてすみません)にLANがあったとは!
驚くばかりでございました。
エアドーム
東京ドームあたりが最初かと勘違いしていました。(笑)
アメリカ館、冨士グループパビリオンで空気膜構造が使われて、
空気で支える構造がこれまでの建築に対する概念を変えたとか。
パビリオンのその後
日本館のように解体されたものもありますが、一部は移築されたものの、
その後老朽化で解体、というものも多いみたいですね。
サンヨー館のようにカナダの図書館として移築されたものや、
長野県諏訪市のドライブインとして移築されたアイルランド館、
長野県霧ケ峰のお寺になったラオス館や、
兵庫県の老人ホームに変身したドミニカ館、モーリシャス館、ベネズエラ館など、
実際その建物を見る機会がなかったのは残念ですが、万博閉会後に様々な場所で
活躍していたということを知りました。
凄かったんだなあ大阪万博、と改めてというか初めてみるものだらけで
次回の大阪万博、行ってみようかな、という気持ちになりました。
前列左から、テーマ館、エスコートガイド、住友童話館、タカラビューティリオン
後列左から、ペプシ館、生活産業館
楽しかった!(^-^)
と、楽しくて2時間くらい滞在、見学していたらお腹が空いてきたので軽く呑みます♪
(つづく)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
うつぼ家白黒テレビ時代(その頃はまだ東京に住んでいた)に、
遠く大阪で超近未来的な技術の数々が披露されていたことを
五十路になってから知った(&半端ない驚き)私うつぼ、
ここにくる機会もそうそうないだろう、と展示内容をじっくり見学しました。
広い
ジオラマですが、色紙で作られたものでどこか温かみがあります。
手前が電気通信館、奥の丸いのが5個連なっているのが(説明雑)日本館。
ネットで調べてみたら、日本館、1つだと狭くて5つだと大きすぎて、
電気代等の維持費もかかるため、万博閉会後の転用が叶わず1975年に解体された、
というのを知りました。
技術の粋を集めてって感じだったのかもしれませんが、今の時代だと尚更再利用とか
転用を念頭にデザインすることが多いでしょうし、今度の大阪万博はこういう奇抜な
デザインの建造物は見られるのかな、なんて思いました。
太郎
太郎さんの右側のドームがいくつか連なっているのはフランス館。
楽しい♪
ちょっと高い台に乗りながら見られるのですが、ぐるっと一周するだけで
なんだか楽しい気分になれました。
手前(左下)の白いドームがアメリカ館、で、その隣がオーストラリア館。
その隣の青いドームがドイツ館で、その隣がフランス館。
手前が三菱未来館で、黄色い風船みたいなのが化学工業館。
太郎
静かに(さすがに一人で声だして話していたら怪しい人になるので)一周して興奮しました。
座ってみました。
手に包まれているような気分で恥ずかしい気持ちとホッとする気持ちが混在。
万国博ホール関連
手前に当時のチケットの展示がありましたが、
ここはポスター類の展示です。
万国博レコード祭りって(笑)
そうですよね、当時はまだレコード。(CDを見たのは私が大学生になった頃)
マシュケナダ 家にレコードありました
実は一度も読んだことのない赤毛のアン、と、「悲しい天使」メリー・ホプキン。
ベンジー(映画)の主題歌を歌っていた人というイメージ。(レコード持ってます)
で、万国博レコード祭りをよく見ると、
レコート会社別に所属歌手を集めてコンサート、って感じですが、
タイガースは単体で行うというのは圧倒的な集客力なのでしょうね。
個人的は東芝のコンサートに岡崎友紀の名前があって懐かしくなりました。
ちあきなおみ、の下に森山加代子!
意外と歌手の名前を見て思い出すものだな、と思いながら、
大阪府民の皆さん、パビリオンだけでなくこういう興行も楽しめたというのが
羨ましく思えました。
続いて、大阪万博で海外から紹介されたもの。
ヨーグルト!
ブルガリア館に本場のヨーグルトがあることを明治乳業のスタッフが聞きつけて
会場で試食したことが開発の契機となり、翌年、明治ブルガリアヨーグルトが完成、
日本初のプレーンヨーグルトとして紹介されたという説明に、
明治乳業さん、グッジョブという気持ちになりました。
フランスパンも
ドンクが半年間で1億7千万円を売り上げ全国にフランスパンが知られるように
なったそうですが、当時の2億弱って物凄い金額ですね。びっくり。
ファーストフードやファミレス
アメリカンパーク内にケンタッキー・フライド・チキンが初上陸、
ハンバーガーやホットドッグが販売されて食文化の国際化が
一気に進むきっかけになったそうです。
加えて、セントラルキッチンシステムを持つファミレスのロイヤルも会場内で
期間中売上高1位となる人気だったそうです。
万博のような大きなイベントが普及を加速させるんでしょうね。
LANも(驚)
50年前にLAN。驚きました。
会場の管理・運営を円滑に行うための施設オペレーション・コントロール・センターで
日本で初めての大がかりな情報通信システムを完備し、会場内各所の端末設備と
通信回路で結ばれたそうです。
入退場数の正確なチェック、駐車場への誘導、迷子探し、催事の検索などの
膨大な情報サービスを担ったという説明に、
うつぼ家白黒テレビ時代(しつこくてすみません)にLANがあったとは!
驚くばかりでございました。
エアドーム
東京ドームあたりが最初かと勘違いしていました。(笑)
アメリカ館、冨士グループパビリオンで空気膜構造が使われて、
空気で支える構造がこれまでの建築に対する概念を変えたとか。
パビリオンのその後
日本館のように解体されたものもありますが、一部は移築されたものの、
その後老朽化で解体、というものも多いみたいですね。
サンヨー館のようにカナダの図書館として移築されたものや、
長野県諏訪市のドライブインとして移築されたアイルランド館、
長野県霧ケ峰のお寺になったラオス館や、
兵庫県の老人ホームに変身したドミニカ館、モーリシャス館、ベネズエラ館など、
実際その建物を見る機会がなかったのは残念ですが、万博閉会後に様々な場所で
活躍していたということを知りました。
凄かったんだなあ大阪万博、と改めてというか初めてみるものだらけで
次回の大阪万博、行ってみようかな、という気持ちになりました。
前列左から、テーマ館、エスコートガイド、住友童話館、タカラビューティリオン
後列左から、ペプシ館、生活産業館
楽しかった!(^-^)
と、楽しくて2時間くらい滞在、見学していたらお腹が空いてきたので軽く呑みます♪
(つづく)
タグ:大阪
和歌山旅行記2020~万博記念公園編③~ [日本の旅(関西&東海)]
大阪万博の渦に飲み込まれるように順路に従って進んでいくと、
天井に顔が!
テーマ館
この一部として太陽の塔が建設され、その塔の中にあったのが生命の樹。
太郎(太陽の塔)の中にこうやって生命の樹があったというのを
ここで初めて知りました。
塔内部の「生命の樹」を軸に、地下、地上、空中の3展示部門があって、
過去、現在、未来の世界の展示を通じて生命の威厳を表現したそうですが、
太郎(太陽の塔)の中にも太郎(生命の樹)があったなんて。
さすが太郎(岡本)。
すごいぞ太郎。
太陽の塔がシンボルゾーンの大屋根を突き抜けるように聳え立っていたことも
今回知ったくらい大阪万博知識のないため、一つ一つに驚きながら順路を進みました。
(知らなさすぎって言われても仕方ないくらい知らずに五十路になっていました)これは模型ですが
シンボルゾーン内に飾られていた世界の人々の写真。
こうやってスパイラル状に展示されていたそうです。
と歩いていると、途中の階段のところにコンパニオンさんのユニフォーム。
左から、三菱未来館、日立グループ館、東芝IHI館、リコー館
今みても古臭さを感じないというか(流行って繰り返すし)目に新鮮。
華やかです
と、各パビリオンの紹介に続いて、パビリオン以外の施設などの紹介。
移動芸能って表現が面白いと思ったのですが、
ジャグリングという言葉は当時あったのかどうか。
海外から曲芸の方がやってきて近くで観られるなんて楽しかったでしょうね。
万国博ホールはポピュラー音楽向けに使用されたホールだそうですが、
老朽化で2004年に解体されて跡地は日本庭園前の駐車場として使われています。
お祭り広場。祭りというと違うもの(サブちゃん)を思い浮かべる私です。(笑)
フェスティバルホールも万博関連だというのは今回知りましたが、
クラシックなどのコンサート用に建てられてその後建て替え(2013年)、
現在も使われているホールなんですね。
水上ステージ
両端に噴水、観客が水辺で憩いながら楽しめる空間で、
ステージ、水中、空中での演技を含めて高飛び込みやスカイダイビング、
音楽噴水などが見られたそうで、ピエール・カルダン(懐)が来日した際は、
このステージでファッションショーが行われたという説明でしたが、
こうやって見るとパビリオン以外にも楽しむ場所がたくさんあったのだと
その充実ぶりにびっくり。
デメ
デク
お祭り広場に置かれた2つのロボット。
高さ14m(高!)、デメは、頭部に操縦室、胴体に照明、音響装置をもって、
周辺の音や光を収集してメインコントロール室へ送信すると、
処理された情報に基づいて、照明、音響、煙、匂い?を送出する仕組みで、
デクはサブコントロールステーションとして使われたという説明なんですが、
50年前にそんなハイテクなものが作られていたとは!またまたびっくり。
当時の興行チケット
天井に顔が!
テーマ館
この一部として太陽の塔が建設され、その塔の中にあったのが生命の樹。
太郎(太陽の塔)の中にこうやって生命の樹があったというのを
ここで初めて知りました。
塔内部の「生命の樹」を軸に、地下、地上、空中の3展示部門があって、
過去、現在、未来の世界の展示を通じて生命の威厳を表現したそうですが、
太郎(太陽の塔)の中にも太郎(生命の樹)があったなんて。
さすが太郎(岡本)。
すごいぞ太郎。
太陽の塔がシンボルゾーンの大屋根を突き抜けるように聳え立っていたことも
今回知ったくらい大阪万博知識のないため、一つ一つに驚きながら順路を進みました。
(知らなさすぎって言われても仕方ないくらい知らずに五十路になっていました)これは模型ですが
シンボルゾーン内に飾られていた世界の人々の写真。
こうやってスパイラル状に展示されていたそうです。
と歩いていると、途中の階段のところにコンパニオンさんのユニフォーム。
左から、三菱未来館、日立グループ館、東芝IHI館、リコー館
今みても古臭さを感じないというか(流行って繰り返すし)目に新鮮。
華やかです
と、各パビリオンの紹介に続いて、パビリオン以外の施設などの紹介。
移動芸能って表現が面白いと思ったのですが、
ジャグリングという言葉は当時あったのかどうか。
海外から曲芸の方がやってきて近くで観られるなんて楽しかったでしょうね。
万国博ホールはポピュラー音楽向けに使用されたホールだそうですが、
老朽化で2004年に解体されて跡地は日本庭園前の駐車場として使われています。
お祭り広場。祭りというと違うもの(サブちゃん)を思い浮かべる私です。(笑)
フェスティバルホールも万博関連だというのは今回知りましたが、
クラシックなどのコンサート用に建てられてその後建て替え(2013年)、
現在も使われているホールなんですね。
水上ステージ
両端に噴水、観客が水辺で憩いながら楽しめる空間で、
ステージ、水中、空中での演技を含めて高飛び込みやスカイダイビング、
音楽噴水などが見られたそうで、ピエール・カルダン(懐)が来日した際は、
このステージでファッションショーが行われたという説明でしたが、
こうやって見るとパビリオン以外にも楽しむ場所がたくさんあったのだと
その充実ぶりにびっくり。
デメ
デク
お祭り広場に置かれた2つのロボット。
高さ14m(高!)、デメは、頭部に操縦室、胴体に照明、音響装置をもって、
周辺の音や光を収集してメインコントロール室へ送信すると、
処理された情報に基づいて、照明、音響、煙、匂い?を送出する仕組みで、
デクはサブコントロールステーションとして使われたという説明なんですが、
50年前にそんなハイテクなものが作られていたとは!またまたびっくり。
当時の興行チケット
セルジオメンデス!
クラシックはボリショイ・バレエなどのチケットもありました。
豪華なラインナップ、見ているだけで羨ましい気持ちになりました。
巨大な手
こうやって座るんですね
赤塚先生!
万博会場にニャロメ!(笑)
縁の下の力持ち
通信系ですが
縁の下の力持ち、電話取次などの方もこういうユニフォームで映えていますね。
私が新卒で社会人になったころも、会社の大代表にも交換の方がいらっしゃって
いつもてきぱき丁寧に取次して下さったことを思い出しますが、
それよりも以前(20年以上前)にこうやって交換で活躍された方がいらっしゃった、
そういうのも興味深く見ました。
無線機
広い会場内では必須アイテムですが、こういう無線機をもって会場にいて、
迷子さんとか緊急の申し送りなどを現場に伝えたりしていたんだな、
と光景を思い浮かべました。
ピーポー関連
クラシックはボリショイ・バレエなどのチケットもありました。
豪華なラインナップ、見ているだけで羨ましい気持ちになりました。
巨大な手
こうやって座るんですね
赤塚先生!
万博会場にニャロメ!(笑)
縁の下の力持ち
通信系ですが
縁の下の力持ち、電話取次などの方もこういうユニフォームで映えていますね。
私が新卒で社会人になったころも、会社の大代表にも交換の方がいらっしゃって
いつもてきぱき丁寧に取次して下さったことを思い出しますが、
それよりも以前(20年以上前)にこうやって交換で活躍された方がいらっしゃった、
そういうのも興味深く見ました。
無線機
広い会場内では必須アイテムですが、こういう無線機をもって会場にいて、
迷子さんとか緊急の申し送りなどを現場に伝えたりしていたんだな、
と光景を思い浮かべました。
ピーポー関連
会場内に10か所の医療緊急所、9時~22時30分まで対応していたそうなので、
今では考えられないくらいの長時間対応していたということでしょうかね。
場内パトロールや患者の緊急搬送を行う体制も敷いていたというので、
国際的な催しで十分にできるような体制だったのかと思いました。
こういうのを見ても、万博会場で働けることに対するプライド、というか、
働けることが嬉しい(家族の自慢にもつながる)、そういう時代だったのかな、と
感じますね。
エキスポエンジェル、とエキスポシスター
エンジェルはよくわからないのですが、シスターは警備関連の仕事を
司っていたみたいですね。
個人的にはユニフォームにあまり共感しづらい部分もありますが(自分の元勤務先)、
こういう国際イベントでのユニフォームは見ていて楽しいですね。
此の自転車は
電気自転車
会場なの緊急連絡や取材に備えて10台の電気自転車、20台の自転車を報道関係者に
貸し出したそうですが、電気自動車は三洋電機(懐)が市販に先立って提供したもの。
プレスセンター前にも充電設備を設けたそうですが、当時から電気自転車があったとは、
市販だったら物凄いお値段だったと思いますが、こういうイベントで使うというのは
日本の最先端技術を披露する良い場だったのでしょうね。
ピクトグラム
東京オリンピック開催時に出来たものですが、こうやってみると
当初のデザインから理解しやすくデザイン変更されているみたいですね。
電気自動車
50年間に電気自動車!
と、自分の当時の年齢(記憶ないんで)と比較して考えると、
当時のうつぼ家のテレビは白黒だったので(カラーになったのはそのあと)
そんなうつぼ家と違って大阪万博の先端技術だらけな様子をみて
この万博にかける意気込みの凄さを今更ながら感じる私です。
って、まだ展示は続くので記事もあと3回くらい続きます。(^-^)
(つづく)
今では考えられないくらいの長時間対応していたということでしょうかね。
場内パトロールや患者の緊急搬送を行う体制も敷いていたというので、
国際的な催しで十分にできるような体制だったのかと思いました。
こういうのを見ても、万博会場で働けることに対するプライド、というか、
働けることが嬉しい(家族の自慢にもつながる)、そういう時代だったのかな、と
感じますね。
エキスポエンジェル、とエキスポシスター
エンジェルはよくわからないのですが、シスターは警備関連の仕事を
司っていたみたいですね。
個人的にはユニフォームにあまり共感しづらい部分もありますが(自分の元勤務先)、
こういう国際イベントでのユニフォームは見ていて楽しいですね。
此の自転車は
電気自転車
会場なの緊急連絡や取材に備えて10台の電気自転車、20台の自転車を報道関係者に
貸し出したそうですが、電気自動車は三洋電機(懐)が市販に先立って提供したもの。
プレスセンター前にも充電設備を設けたそうですが、当時から電気自転車があったとは、
市販だったら物凄いお値段だったと思いますが、こういうイベントで使うというのは
日本の最先端技術を披露する良い場だったのでしょうね。
ピクトグラム
東京オリンピック開催時に出来たものですが、こうやってみると
当初のデザインから理解しやすくデザイン変更されているみたいですね。
電気自動車
50年間に電気自動車!
と、自分の当時の年齢(記憶ないんで)と比較して考えると、
当時のうつぼ家のテレビは白黒だったので(カラーになったのはそのあと)
そんなうつぼ家と違って大阪万博の先端技術だらけな様子をみて
この万博にかける意気込みの凄さを今更ながら感じる私です。
って、まだ展示は続くので記事もあと3回くらい続きます。(^-^)
(つづく)
タグ:大阪
和歌山旅行記2020~万博記念公園編②~ [日本の旅(関西&東海)]
東京オリンピックに続いての大阪万博、日本の戦後復興の勢いの中で進められた
大プロジェクトだったんだなあ、と思いながらEXPO'70パビリオンの見学は続き、
各パビリオンのリーフレットの展示コーナーにきました。
大プロジェクトだったんだなあ、と思いながらEXPO'70パビリオンの見学は続き、
各パビリオンのリーフレットの展示コーナーにきました。
(左上) チェコスロバキア、ウガンダ
(左下) キューバ、ポルトガル
(右) イタリア、タンザニア
(左上) マルタ、コロンビア、ザンビア、コスタリカ
(左下) キリスト教館(バチカン市国)、チリ、F?、パナマ、ソ連
(右上) 日本、ギリシャ、ビルマ
(右下) オランダ、アラブ連合共和国
住友童話館などの企業パビリオン
(左) クボタ館、鉄鋼館
(右) ガスパビリオン、虹の塔(日本専売公社)、リコー館
こうやってみると解体された国(チェコ、ソ連)や、
国名が変わった国(ビルマ)、企業パビリオンも現在ならどういう企業が
出てくるのかな、なんて思いながら見ました。
日本専売公社も今はJTですもんね。
続いて、パビリオンの外観とコンパニオンの写真が展示されているコーナーへ。
モルモン教のパビリオンがあったというのに驚きました。(◎_◎;)
(上段)英国館、ブラジル館、日立グループ館、電力館
(中段) スカンジナビア館、古河パビリオン、香港館、ブルガリア館
(下段) イタリア館、チリ館、コロンビア館、ソ連館
(上段) メキシコ館、RCD館(トルコ、パキスタン、イラン)、ギリシア館、
インターナショナルプレース4(アイルランド、アラブ連合、ベトナム)
(中段) アルジェリア館、スイス館、オンタリオ州(カナダ)、大韓民国館
(下段) ドイツ館、中華民国館、ニュージーランド館、インドネシア館
(上段) EC館(ベルギー、ドイツ、ルクセンブルグ、フランス、イタリア、オランダ)
キリスト教館、タイ館、クウェート館
(中段) アブダビ館、ケベック州館(カナダ)2種、ポルトガル館
(下段) ワシントン州館、サンヨー館、ブリティッシュ・コロンビア州館(カナダ)、
日本館
(上段) 日本館、ワコール・リッカーミシン館、地方時自体館、サントリー館
(中段) 電気通信館、三菱未来館、生活産業館、虹の塔(日本専売公社)
(下段) アイ・ビー・エム館、化学工業館、モルモン・パビリオン、リコー館
OECD館、コダック館、タカラ・ビューティリオン、国連館、フジパン・ロボット館
ミニスカートの時代、コンパニオンさん、とても華やかです。(^-^)
その先に進むと、当時万博会場内を移動するためのモノレールに乗った気分で
会場を一周する映像のコーナー。
展示内容が盛りだくさんで急に情報が押し寄せてくる感じが凄いのですが、
もし、自分が関西圏に住んでいたら行きたかったなあ、と今の時代に見ても
ワクワク感が止まらない大阪万博、まだまだ展示が続きます。(^-^)
(つづく)
タグ:大阪
和歌山旅行記2020~万博記念公園編①~ [日本の旅(関西&東海)]
和歌山旅行記というタイトルなのですが、旅の終盤は大阪です。(^-^;
伊丹空港に行く前に近場で訪れることができる場所は、と探したら、
(大阪、未だに色々な場所の位置関係がよくわかっていなかったりします)
万博記念公園が出てきて、ああそういえば、伊丹空港から乗った京都行のバスの
車窓からみたのが太郎、そうだ、太郎(=太陽の塔)を見に行こう、と思ったのが
今回訪れた理由です。
太陽の塔なのですが、私の頭の中では「(岡本)太郎」と呼んでいます。
岡本太郎先生、ごめんなさい。<(_ _)>
関東で生まれ育ったので大阪万博については遠いところで開催された万国博覧会、
うつぼ家、時代の流行りとか大きなイベントに一切流されない家だったため、
当然のことながら大阪万博にも興味なく、うつぼ家では殆ど話題にならなかった、
そんな家もあったのだと今思い返すと不思議なのですが(マイナー一家です)、
中年になってから京都に再び行くようになって、伊丹空港からの車窓での体験、
太郎を直に見てみたい、という気持ちになって今回やっと来ることができました。
といっても、大阪万博=太郎、なのでそれ以外は全く知りません。
正式には日本万国博覧会、というんですね。
私が高校生の時に友人たちと訪れたつくば博は「国際科学技術博覧会」。
つくば博と呼んでいたので大阪と同じ万博かと思っていのですが違うのかしらね。
創立記念日(4月の平日)にクラスの友達数人といったのですが、
千葉県(北総)から隣県ながら茨城県つくば市への移動は果てしなく遠く、
ロケーションが理由で開幕当初は来場者が少ないと問題になっていたので
4月に訪れたときはガラガラでパビリオン入り放題だったのはよかったのですが、
ちょっとした食事でもかなりぼった栗価格だったのを未だに覚えています。
パビリオンで記録に残っているのは集英社館のミイラくらいかな。(笑)
と、いうわけではじめての大阪万博、の記念公園だったので、
意外と楽しくて面白くて、恐ろしい枚数の写真を撮りました。
取敢えず記事をアップするのにかなり間引きしたつもりなのですが、
多分5回くらい記事が続くと思います。どうか適当に読んでやってください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
公園の入口で入園料(260円)を支払って中に入ります。
チケットにも太郎。
広いなあ
モノレールの線路を挟んで両側の敷地に遊園地も含めて設備が建てられて
一日で見るのは大変だったのではないかというほどの広さにまずびっくり。
伊丹空港に行く前に近場で訪れることができる場所は、と探したら、
(大阪、未だに色々な場所の位置関係がよくわかっていなかったりします)
万博記念公園が出てきて、ああそういえば、伊丹空港から乗った京都行のバスの
車窓からみたのが太郎、そうだ、太郎(=太陽の塔)を見に行こう、と思ったのが
今回訪れた理由です。
太陽の塔なのですが、私の頭の中では「(岡本)太郎」と呼んでいます。
岡本太郎先生、ごめんなさい。<(_ _)>
関東で生まれ育ったので大阪万博については遠いところで開催された万国博覧会、
うつぼ家、時代の流行りとか大きなイベントに一切流されない家だったため、
当然のことながら大阪万博にも興味なく、うつぼ家では殆ど話題にならなかった、
そんな家もあったのだと今思い返すと不思議なのですが(マイナー一家です)、
中年になってから京都に再び行くようになって、伊丹空港からの車窓での体験、
太郎を直に見てみたい、という気持ちになって今回やっと来ることができました。
といっても、大阪万博=太郎、なのでそれ以外は全く知りません。
正式には日本万国博覧会、というんですね。
私が高校生の時に友人たちと訪れたつくば博は「国際科学技術博覧会」。
つくば博と呼んでいたので大阪と同じ万博かと思っていのですが違うのかしらね。
創立記念日(4月の平日)にクラスの友達数人といったのですが、
千葉県(北総)から隣県ながら茨城県つくば市への移動は果てしなく遠く、
ロケーションが理由で開幕当初は来場者が少ないと問題になっていたので
4月に訪れたときはガラガラでパビリオン入り放題だったのはよかったのですが、
ちょっとした食事でもかなりぼった栗価格だったのを未だに覚えています。
パビリオンで記録に残っているのは集英社館のミイラくらいかな。(笑)
と、いうわけではじめての大阪万博、の記念公園だったので、
意外と楽しくて面白くて、恐ろしい枚数の写真を撮りました。
取敢えず記事をアップするのにかなり間引きしたつもりなのですが、
多分5回くらい記事が続くと思います。どうか適当に読んでやってください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
公園の入口で入園料(260円)を支払って中に入ります。
チケットにも太郎。
広いなあ
モノレールの線路を挟んで両側の敷地に遊園地も含めて設備が建てられて
一日で見るのは大変だったのではないかというほどの広さにまずびっくり。
入ってすぐ太郎(太陽の塔)
おぉぉぉぉぉ(◎_◎;)
やはり目の前に立ってみると物凄い迫力です。
50年前からずっと立っているって私と同年代。
これをみると
万博の5年後くらいにサントリーのウィスキーのCMで太郎さんが登場し、
「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」という、
(太郎さんが底に顔をデザインしたグラスをプレゼントしたんでしたよね)
まだお酒も飲めない小学生なのに太郎さんの語り口と表情、
実際、グラスの底に刻まれた顔を見て未だに刷り込まれている状態の私ですが、
そのCMの方が先にインパクトがあったのでそれより前の太郎(太陽の塔)をみると
ああ、この後にあのグラスの底に顔、だったんだ、、としみじみ。
と、公園に入っていきなり太郎さんに驚いて写メを撮った後は、
ロッカーに荷物を預けました
かなり古めのロッカー、一部使えずビニールテープが貼ってあって、
万博後50年経って色々な意味で公園の維持が大変なんだろうな、と
ロッカーに貼ってある黄色いテープを見ながら思いました。
太陽の後は、EXPO'70パビリオンに行こうと進んで右折して、
案内が出ているので素直に右折
休憩所
って書いてあったのですが、日中でもかなり中は薄暗く怖い感じ。(´゚д゚`)
万博開催期間中はこういうところに座って暫し休憩、って感じだったのかな。
EXPO'70パビリオンへ
到着
吉本新喜劇によるポスター
大坂に来ると、吉本の芸人さんを使った広告なども多いみたいで、
ああ大阪だなあと思います。(^-^)
入館料は210円(安)
1970年の大阪万博開催時に鉄鋼館として使われた建物が今はEXPO'70パビリオンとして
使われているそうです。
おぉぉぉぉぉ(◎_◎;)
やはり目の前に立ってみると物凄い迫力です。
50年前からずっと立っているって私と同年代。
これをみると
万博の5年後くらいにサントリーのウィスキーのCMで太郎さんが登場し、
「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」という、
(太郎さんが底に顔をデザインしたグラスをプレゼントしたんでしたよね)
まだお酒も飲めない小学生なのに太郎さんの語り口と表情、
実際、グラスの底に刻まれた顔を見て未だに刷り込まれている状態の私ですが、
そのCMの方が先にインパクトがあったのでそれより前の太郎(太陽の塔)をみると
ああ、この後にあのグラスの底に顔、だったんだ、、としみじみ。
と、公園に入っていきなり太郎さんに驚いて写メを撮った後は、
ロッカーに荷物を預けました
かなり古めのロッカー、一部使えずビニールテープが貼ってあって、
万博後50年経って色々な意味で公園の維持が大変なんだろうな、と
ロッカーに貼ってある黄色いテープを見ながら思いました。
太陽の後は、EXPO'70パビリオンに行こうと進んで右折して、
案内が出ているので素直に右折
休憩所
って書いてあったのですが、日中でもかなり中は薄暗く怖い感じ。(´゚д゚`)
万博開催期間中はこういうところに座って暫し休憩、って感じだったのかな。
EXPO'70パビリオンへ
到着
吉本新喜劇によるポスター
大坂に来ると、吉本の芸人さんを使った広告なども多いみたいで、
ああ大阪だなあと思います。(^-^)
入館料は210円(安)
1970年の大阪万博開催時に鉄鋼館として使われた建物が今はEXPO'70パビリオンとして
使われているそうです。
太郎!
最近、太郎というと、河野の太郎さんも私の記憶スペースに若干入ってきていますが、
(麻生は敢えて思い浮かべないようにしている(笑))
やはり太郎といえば岡本です。
この太郎さん、万博エリアの真ん中のシンボルゾーンにあったものなんですね。
今と違って建物の屋根を突き抜ける格好で展示されていたというのも
今回初めて知りました。(そのくらい大阪万博の知識なし、です(^-^;)
展示スペースを順路通りに進むと、最初は万博の歴史。
私自身はパリ万博(渋沢栄一が訪れた)とか、シカゴ万博(名残が水族館で残っている)、
そういうイメージですが、ホスト国として開催するというのは名誉だったのでしょうね。
このシンボルマークは私もなんとなく記憶にあります。
史上最大のプロジェクト!
戦後復興として東京オリンピックが開催されたのが1964年、
その翌年にプロジェクトが始まり、5年で開催までこぎつけたというのは、
確かに、日本という国としてのプライドもあったでしょうし、
戦後復興のシンボルとして国威発揚的な意味合いもあったのかな、なんて
思いました。
設計図
これで一部なのでしょうが膨大な設計図を具現化したというのは
その後の日本経済成長の起爆剤にもなったのだろうなというのが
(特にゼネコン)こういう図面からもうかがえます。
1968年 建設ラッシュ
現在よりも工期の長い環境下で万博会場を施工するというのも、
現在のオリンピック施設建設であれこれ揉めているのを見ていると、
勢いとか熱量も違ったのかな、なんて思いますね。
20代前半くらいまでは電話でコンサートチケットを手配していた身としては
こういうチケット販売も海外の方への割り振りを含めて手配するのは大変だったのでは
そんなことを感じました。
切手とかたばことか。(今、切手シート収集家ってどのくらいいるのかな)
今はたばこに万博のマークをプリントするというのは考えづらいのですが、
やはり国家的なイベントで、国民全体が応援するような勢いだったんでしょうね。
(一部例外:うつぼ家)
会場完成後に引き渡された鍵かな
序盤から国家的なプロジェクトだなあと思いながら見ていると、
換気や距離、時節柄な対応ですね
公式ガイド
こういうのを見ながら色々なパビリオンを回るのが楽しかったのでしょうね。
この後に、
確かに私が小さい頃の大人とか子供ってこんな感じの装い。
万博見学の七つ道具として、
サングラス、帽子、ズック(笑)靴、といったレジャー用のもの、
パビリオン待ちにビニール風呂敷や折り畳み簡易椅子、
会場で迷子にならないための方位磁石(!)、
買い物するための小銭などがあげられていました。
個人的にはビニール風呂敷って私も遠足のときに水玉模様の風呂敷を持参していたので
読みながら妙な親近感を感じてしまいました。(笑)
また、ファッションとして、当時女性の外出着として着物も多く、
手荷物も風呂敷に包んで、というスタイルが多かったこと、
子供や若者が被っていたテンガロンやチューリップハット(懐)、
団体客がはぐれないように揃いの法被やワッペンを身につけていたというのが、
スマホもない時代の工夫に思えました。
お子さんが腕につけたワッペン
登録されたワッペンの6桁の番号でコンピュータが迷子を照会し、
テレビ電話で親子の確認をしたという説明が書いてあってびっくり。
私がまだ生まれて間もない頃にそんな技術があったことにびっくりしたのですが、
日本で出来る最新鋭の技術が万博で実際使われていたということを知りました。
序盤で驚きっぱなしで順路に従って進んでいくと、
来場者ベスト10
米ソ、かと思ったら、ソ連の次にカナダ、その次にアメリカって、
米ソでワンツーフィニッシュじゃないんだな、と少々驚きました。
60分以上って
TDSでも60分くらいな許容範囲内って思う人が多い時代ですが、
50年前、60分待ちってどのくらいの我慢レベルだったのか、
実際はもっともっと長く列に並ばないとパビリオンの中に入れなかったのでは?
こういうアナログな看板を見てもいろいろ考えていましますね。
いろんな№1
待ち時間の長さ№1って。(笑)⇐(アメリカ館)
色々な数字
来場者数も凄いのですが
患者数( 一一)
特に夏場は並んでいて気分の悪くなる人も多かったのかもしれませんね。
全体図
太郎♪
実際に見たこともない万博ながら序盤からワクワクしてきました。
というわけで、展示はまだまだ続きます♪
(つづく)
最近、太郎というと、河野の太郎さんも私の記憶スペースに若干入ってきていますが、
(麻生は敢えて思い浮かべないようにしている(笑))
やはり太郎といえば岡本です。
この太郎さん、万博エリアの真ん中のシンボルゾーンにあったものなんですね。
今と違って建物の屋根を突き抜ける格好で展示されていたというのも
今回初めて知りました。(そのくらい大阪万博の知識なし、です(^-^;)
展示スペースを順路通りに進むと、最初は万博の歴史。
私自身はパリ万博(渋沢栄一が訪れた)とか、シカゴ万博(名残が水族館で残っている)、
そういうイメージですが、ホスト国として開催するというのは名誉だったのでしょうね。
このシンボルマークは私もなんとなく記憶にあります。
史上最大のプロジェクト!
戦後復興として東京オリンピックが開催されたのが1964年、
その翌年にプロジェクトが始まり、5年で開催までこぎつけたというのは、
確かに、日本という国としてのプライドもあったでしょうし、
戦後復興のシンボルとして国威発揚的な意味合いもあったのかな、なんて
思いました。
設計図
これで一部なのでしょうが膨大な設計図を具現化したというのは
その後の日本経済成長の起爆剤にもなったのだろうなというのが
(特にゼネコン)こういう図面からもうかがえます。
1968年 建設ラッシュ
現在よりも工期の長い環境下で万博会場を施工するというのも、
現在のオリンピック施設建設であれこれ揉めているのを見ていると、
勢いとか熱量も違ったのかな、なんて思いますね。
20代前半くらいまでは電話でコンサートチケットを手配していた身としては
こういうチケット販売も海外の方への割り振りを含めて手配するのは大変だったのでは
そんなことを感じました。
切手とかたばことか。(今、切手シート収集家ってどのくらいいるのかな)
今はたばこに万博のマークをプリントするというのは考えづらいのですが、
やはり国家的なイベントで、国民全体が応援するような勢いだったんでしょうね。
(一部例外:うつぼ家)
会場完成後に引き渡された鍵かな
序盤から国家的なプロジェクトだなあと思いながら見ていると、
換気や距離、時節柄な対応ですね
公式ガイド
こういうのを見ながら色々なパビリオンを回るのが楽しかったのでしょうね。
この後に、
確かに私が小さい頃の大人とか子供ってこんな感じの装い。
万博見学の七つ道具として、
サングラス、帽子、ズック(笑)靴、といったレジャー用のもの、
パビリオン待ちにビニール風呂敷や折り畳み簡易椅子、
会場で迷子にならないための方位磁石(!)、
買い物するための小銭などがあげられていました。
個人的にはビニール風呂敷って私も遠足のときに水玉模様の風呂敷を持参していたので
読みながら妙な親近感を感じてしまいました。(笑)
また、ファッションとして、当時女性の外出着として着物も多く、
手荷物も風呂敷に包んで、というスタイルが多かったこと、
子供や若者が被っていたテンガロンやチューリップハット(懐)、
団体客がはぐれないように揃いの法被やワッペンを身につけていたというのが、
スマホもない時代の工夫に思えました。
お子さんが腕につけたワッペン
登録されたワッペンの6桁の番号でコンピュータが迷子を照会し、
テレビ電話で親子の確認をしたという説明が書いてあってびっくり。
私がまだ生まれて間もない頃にそんな技術があったことにびっくりしたのですが、
日本で出来る最新鋭の技術が万博で実際使われていたということを知りました。
序盤で驚きっぱなしで順路に従って進んでいくと、
来場者ベスト10
米ソ、かと思ったら、ソ連の次にカナダ、その次にアメリカって、
米ソでワンツーフィニッシュじゃないんだな、と少々驚きました。
60分以上って
TDSでも60分くらいな許容範囲内って思う人が多い時代ですが、
50年前、60分待ちってどのくらいの我慢レベルだったのか、
実際はもっともっと長く列に並ばないとパビリオンの中に入れなかったのでは?
こういうアナログな看板を見てもいろいろ考えていましますね。
いろんな№1
待ち時間の長さ№1って。(笑)⇐(アメリカ館)
色々な数字
来場者数も凄いのですが
患者数( 一一)
特に夏場は並んでいて気分の悪くなる人も多かったのかもしれませんね。
全体図
太郎♪
実際に見たこともない万博ながら序盤からワクワクしてきました。
というわけで、展示はまだまだ続きます♪
(つづく)
タグ:大阪
和歌山旅行記2020~大阪へ移動編~ [日本の旅(関西&東海)]
~~~ヾ(^∇^)オハヨウゴザイマス
朝から呑んでいた割には目覚めも悪くなく(良いというほどでもなかった)起床。
無料朝食会場は8階なのでエレベータで移動すると、
連泊の方へのご案内
連泊でお掃除をスキップするとビールや緑茶、ミネラルウォーターがもらえるサービス。
京都で最近お世話になっているチェックイン四条烏丸さんではお掃除をスキップすると
1回あたり300円戻ってきますが、この手のホテルは人手不足なのかもしれませんね。
食券を渡します
こんな感じ
コーンフレークが置いてあったので久しぶりにちょっといただきましたが、
おむすびで出てくる朝食って初めてかもしれません。
ご近所のおばちゃんなのかな、どうぞ!と笑顔でトレーを渡してくれました。
朝から呑んでいた割には目覚めも悪くなく(良いというほどでもなかった)起床。
無料朝食会場は8階なのでエレベータで移動すると、
連泊の方へのご案内
連泊でお掃除をスキップするとビールや緑茶、ミネラルウォーターがもらえるサービス。
京都で最近お世話になっているチェックイン四条烏丸さんではお掃除をスキップすると
1回あたり300円戻ってきますが、この手のホテルは人手不足なのかもしれませんね。
食券を渡します
こんな感じ
コーンフレークが置いてあったので久しぶりにちょっといただきましたが、
おむすびで出てくる朝食って初めてかもしれません。
ご近所のおばちゃんなのかな、どうぞ!と笑顔でトレーを渡してくれました。
肉じゃが、玉子焼き、 キャベツの和え物につけもの、おむすび二個。
味噌汁はキャベツとえのき。優しくて美味しい朝ごはんでした。(^-^)
前回の川しまさんの朝ごはんもお母さんの手料理という感じで美味しかったのですが、
こういう朝ごはん、地味に好きだったりします。
大声でしゃべっているおっさん2人組とか、トレーを片づけないおっさんとか、
視界に入って少々苛つきましたが、朝ごはんが美味しいとテンションあがります。
美味しい朝ごはんをいただいた後、一旦部屋に戻って洗手間に入ると、
タオル掛け
養生テープ?ビニールテープ?が貼ってありました。
ねじ?両面テープ?だけでは耐えられずテープも貼ったような。(笑)
維持費のかかる古い建物をなるべくお金をかけずに修復したり、
宿泊客が便利に過ごせるように工夫したり(延長コードとか)、好感もてますね。
高級ホテルのような豪華な設備を求める人にはまったく勧められませんが、
予算を抑えたい人には悪くないホテルだと思います。
と、今回意外と楽しく過ごせたので、部屋に置いてあったアンケートに感想を書いて
1階のフロントに行ってチェックアウトをお願いしながら、アンケートを書きました、
とクーポンおじさんに渡すと、アンケートを書いていただいた方にボールペンくじを
引いてもらっているので、ちょっと待ってくださいね!とボールペンが10本くらい
入ったペン立てを持ってきて、はい、どうぞ!1本引いてください!というので
ボールペンを1本引いてみたら、
アスクルのボールペンでした(^-^;
当たりにはキャップの先に赤く印がつけてあるそうで、私はハズレ。
こういう手作り感、楽しいです。(^-^)
昨日はクーポンの件教えていただきありがとうございました、
チェックインの時にお渡しできずにすみません、と
クーポンおじさんに再びお礼とお詫びを言われてしまい、恐縮。
また、機会があればまた泊まってみたいです、ワカヤマ第1冨士ホテルさん、
お世話になりました。
今回、帰りのフライトは関空ではなく伊丹なので(その方がツアー料金が安い)
和歌山市駅から電車を乗り継ぎながら大阪に向かいますが、空港に行く前に
未訪の万博記念公園を訪れることにしました。
和歌山市駅に徒歩数分で到着
特急サザンに乗ります
特急指定券券売機
自由席(ロングシート)でもいいかと思ったのですが、
初めて乗る特急サザン、と思ったら、
勢いで買っていました。
って、520円なので勢いつけて買うほどでもないんですが。(笑)
入線~
上品というか地味な感じの座席
加太行きのド派手な電車と真逆な雰囲気の座席に着席すると、
頭のところのシートも糊が効いていてパリッとしていました。
想像していた通り空いている指定席、ゆったり移動できます。(^-^)
左手に海が見えました。
券売機でアサインされた座席が右側の席だったのですが、
空いていたので海が見えるところは暫し左側の席に移動して海を見ていました。
と海をぼんやり眺めていたら、
尾崎駅で指定席も人が増え、海側に座ったおじさんが思いきりカーテンを閉めたので、
海が見えなくなってしまいました。(;_:)
旅のお伴はスパイスガールズ
リアルタイムにはそんなに熱心に聴いていなかったのですが、
ロンドンオリンピックの閉会式に登場した時に人気あるんだなあ、と思ってから
たまに聴いています。
きしわだ
岸和田駅、初めてですが、私の中ではイコール清原です。(そんな世代)
ゆったり指定席で過ごした特急サザン、天下茶屋で下車したら、堺筋線に乗り換えます。
河原町行
京都に行く電車で途中降りるなんて悲しい。(;_:)
この電車で40分くらい移動して、
前回の川しまさんの朝ごはんもお母さんの手料理という感じで美味しかったのですが、
こういう朝ごはん、地味に好きだったりします。
大声でしゃべっているおっさん2人組とか、トレーを片づけないおっさんとか、
視界に入って少々苛つきましたが、朝ごはんが美味しいとテンションあがります。
美味しい朝ごはんをいただいた後、一旦部屋に戻って洗手間に入ると、
タオル掛け
養生テープ?ビニールテープ?が貼ってありました。
ねじ?両面テープ?だけでは耐えられずテープも貼ったような。(笑)
維持費のかかる古い建物をなるべくお金をかけずに修復したり、
宿泊客が便利に過ごせるように工夫したり(延長コードとか)、好感もてますね。
高級ホテルのような豪華な設備を求める人にはまったく勧められませんが、
予算を抑えたい人には悪くないホテルだと思います。
と、今回意外と楽しく過ごせたので、部屋に置いてあったアンケートに感想を書いて
1階のフロントに行ってチェックアウトをお願いしながら、アンケートを書きました、
とクーポンおじさんに渡すと、アンケートを書いていただいた方にボールペンくじを
引いてもらっているので、ちょっと待ってくださいね!とボールペンが10本くらい
入ったペン立てを持ってきて、はい、どうぞ!1本引いてください!というので
ボールペンを1本引いてみたら、
アスクルのボールペンでした(^-^;
当たりにはキャップの先に赤く印がつけてあるそうで、私はハズレ。
こういう手作り感、楽しいです。(^-^)
昨日はクーポンの件教えていただきありがとうございました、
チェックインの時にお渡しできずにすみません、と
クーポンおじさんに再びお礼とお詫びを言われてしまい、恐縮。
また、機会があればまた泊まってみたいです、ワカヤマ第1冨士ホテルさん、
お世話になりました。
今回、帰りのフライトは関空ではなく伊丹なので(その方がツアー料金が安い)
和歌山市駅から電車を乗り継ぎながら大阪に向かいますが、空港に行く前に
未訪の万博記念公園を訪れることにしました。
和歌山市駅に徒歩数分で到着
特急サザンに乗ります
特急指定券券売機
自由席(ロングシート)でもいいかと思ったのですが、
初めて乗る特急サザン、と思ったら、
勢いで買っていました。
って、520円なので勢いつけて買うほどでもないんですが。(笑)
入線~
上品というか地味な感じの座席
加太行きのド派手な電車と真逆な雰囲気の座席に着席すると、
頭のところのシートも糊が効いていてパリッとしていました。
想像していた通り空いている指定席、ゆったり移動できます。(^-^)
左手に海が見えました。
券売機でアサインされた座席が右側の席だったのですが、
空いていたので海が見えるところは暫し左側の席に移動して海を見ていました。
と海をぼんやり眺めていたら、
尾崎駅で指定席も人が増え、海側に座ったおじさんが思いきりカーテンを閉めたので、
海が見えなくなってしまいました。(;_:)
旅のお伴はスパイスガールズ
リアルタイムにはそんなに熱心に聴いていなかったのですが、
ロンドンオリンピックの閉会式に登場した時に人気あるんだなあ、と思ってから
たまに聴いています。
きしわだ
岸和田駅、初めてですが、私の中ではイコール清原です。(そんな世代)
河原町行
京都に行く電車で途中降りるなんて悲しい。(;_:)
この電車で40分くらい移動して、
南茨木で降りてモノレール乗り場へ。
乗客が線路と並行に並んで待っているのが印象的
ホームがあまり広くないのでそうやって並んでいるのかもしれませんが、
文化圏が違うからなのかこういう光景を見るのも興味深いです。
二駅で万博記念公園駅に到着
花に国境無し
巨大な木のボールが改札近くに
有名なたこ焼きさんを見ながら
太陽の塔方面に歩きます
万博=太陽の塔 それは太郎
目の前のいちゃいちゃカップルを抜き去って中へ
おぉ、太郎(違う)が近づいてきた!
260円を支払って、万博記念公園の中に入ります♪
(つづく)
乗客が線路と並行に並んで待っているのが印象的
ホームがあまり広くないのでそうやって並んでいるのかもしれませんが、
文化圏が違うからなのかこういう光景を見るのも興味深いです。
二駅で万博記念公園駅に到着
花に国境無し
巨大な木のボールが改札近くに
有名なたこ焼きさんを見ながら
太陽の塔方面に歩きます
万博=太陽の塔 それは太郎
おぉ、太郎(違う)が近づいてきた!
260円を支払って、万博記念公園の中に入ります♪
(つづく)