SSブログ

ペーパードライバー教習を受けてみた~教習編①~ [いろいろ②]

ぐずぐず決心した後、無事教習所に入所して10日後、
1回目のペーパードライバー教習の日がやってきました。

江戸川を渡って教習所に到着し、教習手帳のバーコードを機械にかざして
原簿を受け取った後は、配車票を発券してもらい、受付前の椅子に座って待機。
やはり緊張するものですね。周囲は若い方ばかりでなんだか浮いているし。(笑)
免許を取るんだ!という明るい希望に満ちた若者に対して、
運転できるかな、という不安に包まれた五十路のおばさん、対極な感じです。

「焦らす落ち着いて頑張りましょう」というアナウンスが流れた後、
時間になると教官の先生がぞろぞろ登場し、その日対応する生徒の名前を呼び、
呼ばれた生徒は教官と一緒に教習車に行って教習を受けるというスタイルでした。
(昔通った教習所は時間になったら自分で自分の乗る号車を確認して移動していた)
IMG_6742.JPGこのプレートをつけます
仮免許じゃなくて取敢えずでも運転免許もってるからですね。

1回目の担当は、日テレの安村アナ似、30代くらいの先生で、
勝手におっさん先生(私と同年代)を期待していたので拍子抜けしました。
おそらく、先生も若い子じゃなくておばさんで拍子抜けしていたかもしれません。(笑)

よろしくお願いします、と挨拶して教習車に乗って最初は先生の運転で教習所内を5周、
最初にペーパードライバー教習を申し込んだきっかけを聞かれると思っていたのですが、
そんな私の事情(どうでもいいんでしょうね)などは一切聞かれることなく、
「大事なことはなんですか?」といきなり聞かれたので「目視でしょうか」と答えると、
「そうですね、バックミラーやサイドミラーで確認することも大事ですが、
 ミラーに写らないものもありますから必ず曲がるときは目視、これは大事です、
 あとは、適切な姿勢で運転するために座席を自分に最適な状態に合わせましょう」
と言ったところで運転者交代、私が運転席に座ることになりました。

ド緊張。((((;゚Д゚))))

先生に言われたように座席を合わせてミラーを調節して、
ギアをドライブにしてからサイドブレーキをおろして出発。
ああ、運転するってこんな感じだったんだなあ、と思い出しながら、
免許を取ってから10年くらいは実家で運転してたものの引っ越ししてから運転せず、
今回25年ぶりの運転であること、実家の母の免許不更新で今回教習を申し込んだこと、
先生に聞かれなかったものの、自分から話してみたら反応マジ薄でした。(:_;)

いや、マジ薄っていうより、反応なかった、、、、です。

反応がなかったことで己の緊張度合が高まったというか、
まっすぐなところで40㌔出してと言われても前方の車が気になって35㌔しか出せず、
左折するとき脱輪が怖くて一旦右に軽くハンドルを切って怒られ、
次の左折指示では左折前に車を道路の左に寄せていないと再び怒られ、
(バイクが追い抜いて巻き込む可能性があるから寄せないといけないと注意され)
見通しが悪いところで一時停止して右折する際も、左手からきた車が停止してどうぞと
合図してくれたので行こうとすると補助ブレーキが作動し、目視が足りないと怒られて。
(今回はたまたま譲ってもらったから右折できたんですからね、
 ちゃんとみないで右折していたら事故起こしていますよと怒られた)

ションボリ。(;_:)

その怒り方がまたネチッとした感じで先生のイラつきレベル(高)が伝わるというか、
どんどん自分が萎縮していって今度は悲しい気持ちになってしまい、
「早く終わってほしい(:_;)」と思いながら教習所内をぐるぐる運転し、
教習が終わり所定の位置まで車を戻す段では、ペダルから足離していいからと言われて
先生のハンドル捌きでのろのろ移動して停車してやっと教習終了。

若い先生だし、ブランクが長くて不安なおばちゃんの緊張を解きほぐしてくれるような、
楽しくてフレンドリーな教習を期待して臨んだ自分が間違っていたのかもしれません。
おそらく私の運転が下手くそ過ぎて褒めどころがなく、おまけに先生が聞いていないのに
ベラベラ喋って、うざい婆と思われたのかもしれません。

でも、ペーパードライバー教習を受ける人ってブランクが長くて自信がない人が
受けるものだし(自信があったら受けないでしょう)、生徒の立場になって考えて
ほしかったなあ、しみじみ思いました。
リハビリ(まだ通ってます)だと、ちょっとできるとすぐ褒めてくれるので、
それに慣れ過ぎていたのかもしれませんが(笑)、それにしても先生怖かった。。。
憔悴して教習所の階段を降りる途中で、講師の一覧表を見つけて先生の写真を見つけて
その下に書いてあるコメントを見たら、

「貴方の運転スタイルを
  一緒に作っていきましょう」



まじか。(笑)

自分の運転スタイルをつくる以前の状態だったのかな、私、と思いながら
教習所を後にして、楽しみしていた外呑みの気力も消えてしまったので
帰宅してからお疲れさま会(家呑み)をささやかに開催しました。

で、家呑み前に婆1号に報告すると、
「そんなに大変なら無理しなくていいわよ。」と言われて。

(;_:)


更に自信がなくなりました。。。


あと2回、教習受けようかどうしようか、悩みます。


(つづく)



nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ペーパードライバー教習を受けてみた~教習所に入所編~ [いろいろ②]

決心がつくまでぐずぐずし過ぎた私ですが(引っ張ってすみません)
やっと教習所へ申込に行きました。
IMG_6719.JPGその前に近所で中華そば
この日は海苔をサービスしてくれました。
(いつも何かしらトッピングサービスしてくれて申し訳ないけれどうれしい)
5年前のオープン以来、時折食べにいくラーメン屋のお兄さん(超フレンドリー)が
「今日はこれから実家ですか?」と聞いてきたので
「教習所に行くんですよ、ペーパードライバー教習を申込みに。」と答えると
「車買うんですか!」と笑顔で答えるお兄さん。
「いや、車を買うんじゃなくて、、、」とここまでに至る事情を説明すると、
「親孝行ですね!」と褒めてくれたので悪い気はしませんでした。(笑)

ラーメン屋さんにも背中を押してもらったような気分で電車に乗って江戸川を越え、
電車に乗っていると線路沿いに見える教習所(スーパーの屋上にある)に行きました。
自分の住んでいるM戸市内にも教習所はあると思うのですが、送迎バスに乗るのも
なんだか面倒なので電車に乗って駅から歩いていけるところ、と考えて、
真っ先に思い浮かんだのがここでした。

入口から中に入ると手指消毒の後は階段で3階まで上がらないといけなくて
(古い建物なので来客用のエレベータがなかったようです)
いきなり階段、、、と汗だくになって受付に到着し、番号札をとって待つこと5分。
呼ばれて窓口に行くと、同年代と思しきおばちゃんが手続きを担当してくれました。

「ペーパードライバー教習ですね、では、免許証、ご提示ください」

言われるままに免許証をお財布から出して提示すると、

「え?マニュアル免許なんですか?」驚くおばちゃん。

マニュアル免許だからってそんなに驚かなくても。。。( 一一)

「オートマ免許が身障者のみ対象だった時代で、
 マニュアル免許で取得するしかなかったんです。」と答えると、

「私もマニュアル免許しかなかったころにとったんですよ。(^-^)
 じゃ、どうします?マニュアル免許で教習うけますか?」

絶対無理。(:_;)

「いや、今更クラッチ踏んでギア操作とかできないので
 (車がガックンガックンなってもいいならできるかもしれないけど)
 オートマ車で講習を受けたいです。」

申込書に自分の免許の記載内容を転記して(これが結構面倒だった)、
入所金と教習代(基本の3回分)、26,400円(税込)というのが高いのか安いのか、
35年くらい前に免許をとったころは15万円くらいバイト代をつぎ込んだので
それに比べるとこのくらいだったら支払えるな、という感覚です。

「基本が3回なので教習1回だけでいい、というのはお受けしていません、
 3回は受けていただきます、それ以上実車で教習を受けたい場合は、
 1回ずつ追加料金(確か5000円くらい)を支払っていただければ
 受けられますから言ってくださいね。」

いや、基本の3回で自信つけますから!

自信がないからとずるずる追加しているとキリがないし、
そんなに長々と通いたくないし、そんな気持ちが湧いてきて、
「3回で自信つけられるようにがんばりまーす」と答える自分がいました。

ちなみに基本の3回は、1回目が教習所内、2回目以降は先生の許可が出れば路上、
許可が出なかったら3回とも教習所内になっちゃうの?いや、そうならないように
頑張らないといけない、気持ち引き締まる私でした。

IMG_6722.JPG
安全運転教室(ペーパードライバー教習)っていうんですね。

代金はクレジットカードで支払い、続いて3回分の教習を予約しました。
申込に行ったころはとても混んでいて8月下旬あたりならとりやすいですよ、
というおばちゃんの説明に、本当なら申し込んですぐ実車教習を受けないと
自分の緊張の糸が切れそうに思えたのですが、予約できないなら仕方ない、
と、10日くらい先、とその1週間後(2日連続)で予約しました。
2時限までだったら続けてとれますがどうしますか?と聞かれたのですが、
50分×2回を続けて運転し続ける自信がないのでバラバラの日程で予約した後は、
安全運転教育教習手帳を受け取り、
(手帳自体は昔と雰囲気同じでしたが、バーコード付きで時代を感じました。
 また、免許取得を目指す人はオレンジ色、ペーパードライバー教習は白、
 と判別しやすいように色が分けられていました)
予約の受付時間(開始の25分前から10分前まで)と受付方法(バーコードをかざして
自分のデータを受け取ったら受付に行って配車してもらう)を説明してもらい、
「がんばってくださいね!」とおばちゃんに励まされて申込完了しました。

あとは、3回、実車教習で勘と自信を取り戻すのみです。
がんばりまーす。(^-^)


(つづく)




nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ペーパードライバー教習を受けてみた~決心つくまで編~ [いろいろ②]

今回はタイトルの通りで先日ペーパードライバー教習を受けました。
(今月の話なのでさほど後手ではありません(笑))

昨年、運転免許証の更新に行った話を書いた際に、
婆1号にペーパードライバー教習を受けて欲しいと言われた話を書いたのですが、
その続きというか、婆1号はその時そんなことを言ったのは既に記憶にないので
(昔のことはよく覚えていますが直近の話はすぐ忘れる年頃になりました)
でも、言われた私は「ペーパードライバー教習」と言う言葉がそれ以降ずっと
頭にこびりついたまま、また婆1号に言われたらどうしよう、断れないかな、
我ながら情けないというかなんというかモヤモヤした状態が続いておりました。

年が明けてちょっとしたころ、
「今年が免許の更新時期なんだけど、更新しないことにしたから」
(返納せず更新しない、ということらしいです)
婆1号に言われました。

月に1度くらい実家に来る兄が、
「車はそのまま置いていてほしい、俺が来たときは買い物に連れていくから」
と言ったので婆1号もそれなら車はそのまま置いておこうと思ったらしいのですが
実際買い物に連れていくという理由もあれど、ガソリン代、高速代無料(婆1号もち)で
一人で外出したいというのも実家に車があってほしい理由らしいです。(笑)

というわけで、実家に車が置いてある状態で婆1号が免許更新せず、となったのが7月、
その1か月前くらいから、
「免許は更新しないから●月●日以降は運転できなくなるから」と何度も言うようになり、
「うつぼがペーパードライバー教習に行ってうちで運転してくれれば私も楽なのに」
と、プレッシャーをかけてくるようになりました。

婆1号は私にプレッシャーをかけるつもりはないと思いますが、
何度も言われる方はプレッシャーに感じる訳です。(笑)

「まだリハビリやってるからどうかなー?」
なんとか運転しないで済む理由を探す(セコイ)私に対して、

「先生に聞いてみなさいよ、『運転してもいいですか?』って。
 お母さんは運転できなくなるんだからそのくらい考えてちょうだい」

超プレッシャー。( 一一)

理学療法士の先生に聞いてみたら「大丈夫じゃないですか?」と
私の期待に反する回答だったのですが、理由を説明したら笑っていました。

理学療法士の先生は大丈夫というけれど、執刀した主治医は違うかもしれない。

自分に都合のいいように解釈して、
「理学療法士の先生に聞いたら主治医に聞いた方がいいですよって言われちゃった」
と、嘘をつきました。(笑)

それで納得していた婆1号ですが、主治医の診察日が近づいてきた私に
「主治医の先生に『運転できますか?』ってちゃんと聞きなさいよ」
再びプレッシャーをかけてきて、7月下旬に主治医の診察日となりました。

「え?運転大丈夫でしょ?なんでそんなことを聞くの?」
主治医の先生の回答は実にあっさりしたものでした。

斯々云々、説明したら、主治医の先生も笑っていたのですが、
実際、中途半端にしか左手を上げられないので左折右折の時にハンドル回せるかな、
という不安があったのは事実です。(肩を捻る動作も上手にできないし)

というわけで、この時はもう逃げられないと思って婆1号に報告したら
「よかった!これでお母さん、タクシー使わなくて済むわね!」
と喜んでいました。

とはいえ、言ったことをすぐ忘れてしまうので、
教習を受ける前は運転する自信がないという私に理解を示して、
実家に帰るときタクシーで駅前に婆1号がやってきて一緒に買い物して
タクシーで実家に帰る、というパターンを何度か繰り返していたら、
「タクシーで移動できるから無理しておまえが運転することないわよ。
 大体20年以上運転していない人の運転なんて怖くて乗れたもんじゃない。」
と言い始めました。

かと思うと、
「早く教習に行ってくれないとタクシー使わないといけないでしょ。」
と言ったりもして。

えーどっちなのー?(?_?)

タクシーで移動できるから運転しなくていい、と、運転してくれないと移動できない、
を交互に繰り返す婆1号に私はどうしたらいいのだろう、と迷ったのですが、
昔昔、教習所に通って運転免許を取得できたんだし(30年以上前の話ですが)
ペーパードライバー教習に行けば運転の勘とか思い出せるだろうし、
実家の近所(田舎)は車も少ないし、実家の車は軽自動車だからなんとかいけるだろう、
いやだいやだ、とやらないで済む理由ばかりを探していた己を反省し、
やっと教習所にいく決心がつきました。


(つづく)


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

お知らせ② [いろいろ②]

みなさま、おはようございます。(^-^)

5月初めにお知らせして以来となり少々ご無沙汰しておりました。

前回のお知らせ後、入院、手術、そして退院後、現在は週3回のリハビリを
真面目に行っています。(当然ですが現在お酒抜き生活)

今回骨折したのは腕で、入院前、退院後と、片手でタイピングしながら仕事は続けて
いたのですが、少しずつ痛みもとれて座り方次第では両手タイピングもできるように
なってきましたので(といってもかなりのろのろですが)
もうちょっとしたらブログも再開できるかと思っています。
書きたいネタはありますので(今回の件も落ち着いたら備忘録として)
皆さまのご訪問をお待ちしております。

ではでは~。


うつぼ


nice!(5)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

お知らせ [いろいろ②]

毎日記事アップを日課としております「うつぼの日々徒然」ですが
暫くお休みします。

ゴールデンウィーク前半、外出中に転んで腕を強打してしまい、
キーボードを打つのもままならず、とはいえ、現在繁忙期で仕事はせねば、で
ブログ記事を書く余裕気力がないのが正直なところです。
(昨日迄はケガする前に投稿予約しておりました。)

と書いたところで整形外科に行ったら骨折してました。(;゚Д゚)
来週手術の予定です。

備忘録的に後々記事にするかもしれませんが、健康のありがたみを
しみじみ感じています。

少々弱気な状態ですが、無理せず戻ってまいりますので
お待ちいただければ幸いです。

ではでは~。


うつぼ

nice!(7)  コメント(9) 
共通テーマ:日記・雑感

あけましておめでとうございます [いろいろ②]

あけまして①.pngあけましておめとうございます
昨年は気づけば1年経っていた、という感じで過ぎ去っていきましたが、
在宅勤務ももうすぐ丸2年経ちますが、こんなにも自分の生活スタイルが変わるとは、
2年前のお正月、まったく想像していませんでした。
あけまして②.png

以前、在宅勤務のその後について記事にした時も書きましたが、
定期券が切れてからの生活は、東京が遠くに思えるようになりました。(笑)
(といっても葛飾区とかは江戸川を挟んでお隣なので遠くありませんが(^-^;)
あけまして③.png
通勤分の時間が浮いているのに何をしているのかよく分からないというか、
仕事が終わると大体日が暮れていて他に何もする気が起きず、とりあえず近所に
買い物にいって早めに夕飯を食べて早く寝てしまう生活になりました。

もともと運動嫌いもあって殆ど自宅引きこもりで酒量は増えているという悪循環、
基礎代謝も落ちて摂取カロリーが多いのですから推して知るべし。
でもわかっているけれど本人に緊迫感がないため無駄肉が着実に増えています。
あけまして④.png
毎年言ってる気がする。(笑)
でも、自分の体、自分の健康は自分で守るしかないですもんね。
あけまして⑤.png
こんな私ですが、今年もブログに遊びにきてくださいね。
宜しくお願いします。(^-^)


nice!(7)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

在宅勤務 その後 [いろいろ②]

在宅勤務についてはしつこいくらい書いておりますが、
半年前に書いたのが最後くらいなので久しぶりですが(笑))
未だに在宅勤務は続いています。
本来であれば5月くらいから新しい働き方として在宅勤務も選べる、という
会社の説明でしたが(そのための支度金も既にいただきました)、
その後も感染拡大が止まらない状態だったので感染拡大予防のための在宅勤務、
という状況が続きました。

って、まだ続いています。(笑)

もともとが話好きな性格なので、出社していたころは近くに座る方とお話する機会も
ありましたが、現在は仕事に関連する人とメールでコミュニケーションなので
オンラインで話をするのも一日一回あるかどうか、という状態。
友人にはメンタルやられないようにうまく気分転換するようにと言われています。
出社時と比べて話す機会が激減すると、顔が固まるような気がして
最近顔のストレッチ動画を探してお昼休みにせっせと顔を動かすような日々です。

会社では出社比率を3割以内(感染者急拡大の頃は1割以内)に抑えるという方針を
ずっと続けていたのですが、11月半ばの上限4割以内に緩和されました。
私自身は、5月と6月(株主総会の季節)に出社した後は在宅勤務状態でしたが、
10月末、4か月ぶりに出社しました。

会社のルールとして、事前のPCR検査(結果を送信フォームで報告)、
出社当日は抗原検査、結果を送信フォームで再度報告して、
陰性であれば晴れてオフィスに入れる、というルール。
滅多に会社にいかない私は滅多にないことなのでよいとして、
週に数日出社している社員だとPCR検査も週2回(現在は緩和されて1回)、
抗原検査は毎日とかなりの負担だろうな、と思いながら、
事前にPCR検査を受けて(結果のメールを開けるときはドキドキです)
5時台の電車に乗って遥か遠くの会社に到着し、指定された会議室で抗原検査。
唾液をスポイトで3滴、検査用のプレートに落とせって書いてあるのですが、
ねばつく己の唾液をスポイトで3滴(それ以上だと検査結果に支障を来すという説明)
小さいプレートに落とすだけで一苦労(´Д`)でしたが、陰性だったので報告して、
オフィスに入ってお仕事しました。2日間。

やはり、複合機があるのは印字して資料チェックできて便利だなと思ったり、
出社すると嫌でも歩くので歩数計の数字も在宅勤務と段違いだなあと思ったり、
外で食べるランチは高いけれど美味しいな、と思ったり
久しぶりに会う他部門の人との会話も新鮮だし、メリットもあるんだなと思いつつ、
会社が自宅から遠いところにあることをしみじみ感じました。

在宅勤務も2年目になるとランチタイムに外に出ることも面倒になってきて
(週1回くらいは外に出るようにしていますが)
自分で適当に作って食べるのですが、そういうことが多いと出社したときの
ランチが美味しく思える(自炊は飽きる)ようです。(笑)
また、定期券がなくなると東京に出かけるときの交通費が意外と馬鹿にならない、
そんなことにも気づきました。
業後に出かけて気分転換はしたいけれど、交通費もかかるしなあ、
でも、やっぱり映画は映画館で観たいし、未だに葛藤しながら東京まで映画に行き、
Suicaのオートチャージの請求書を見てうわぁーと思う今日この頃です。

会社からの指示では、感染拡大防止策としての在宅勤務は来年3月末まで。
4月からは、新しい働き方として、在宅勤務、出社、サテライトオフィス、
自分の働き方に合う方法を選んで働いてよいということになっていて、
新しい働き方の導入は当初の予定から1年遅れて、という感じですが、
私自身は四半期に一度くらいは出社(業務上出社したほうが効率がよい)、
残りは週3-4日くらい在宅勤務、残り1-2日はサテライトオフィス、
サテライトオフィスに行くことで、外向きに気持ちを切り替えることで
オンオフをはっきりできるのと(お化粧もするし(笑))
サテライトオフィスに行くときは帰りにプライベートの用事も組み合わせて
有意義に時間を過ごせればいいな、そんな気持ちになっています。

せめて屋外ではマスク無しで過ごせるようになりたい。
できれば室内でもマスク無しで過ごしたい。
周りの酔客を気にせず笑って話して楽しく外呑みしたい。

こんな期待を持ちながら現在は在宅勤務しているようなところもありますが、
次の出社は1月末ごろになりそう(感染者が再び増えたら出社なし)で、
年内は粛々と自宅でお仕事ですが、新しい働き方としての在宅勤務になる日が
早く訪れますようにと願う、在宅勤務 その後(まだ継続中)でありました。


nice!(6)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

Gショック [いろいろ②]

今回は時計の話ではなく、G(頭文字から推測してください)の話です。

話が話なんで、続きが読みたい奇特な方はこちらからどうぞ。


タグ:珍事
nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

返金問題 [いろいろ②]

呑み記事ストックが落ち着いてしまいましたので、本日は珍事記事です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
珍事ってほどでもないのですが、先日クレジットカードでちょっと問題が起きました。
皆さんもお使いかと思いますが、クレジットカードを何枚か決済用に使っています。

メインで使っているのはJALカード(マイルを貯める&JGC維持のため)ですが、
利用明細が紙で郵送されなくなって(多分、手続き忘れが原因だと思いますが)
スマホやPCでカードの利用明細と月額の請求(メールで連絡がある)を確認して
いたのですが、次回のご請求とメールが来てみたら??なことがありました。

Jらんで予約したツアーを9月にキャンセルしたのですが、
スマホで見られる利用明細では返金分がマイナスで、キャンセル手数料がプラスで
記載されているのに11月請求には手数料が入っていて返金分が入っておらず、
ツアーキャンセルという同じ取引で発生した費用が片方だけしか反映されていない。

(?_?)なぜ。

今、問い合わせもチャットでお願いします、と書いてあり、
キーワードでAI(コールセンターにいそうなお姉さんのイラスト付き)が回答する、
そういうものが増えていますが、このカード会社も同じだったので、
返金、請求、とキーワードを入れてみたら、全く筋違いな回答が出てきた上に、
「お役に立ちましたか?」とお姉さんが聞いてきました。

いや、全然役に立ってねーし。(V)o¥o(V)

思い切り、「いいえ」をクリックすると、画面上のお姉さんが申し訳無さそうな表情で
お役に立てず申し訳ありません、と詫びてきました。

回答が役に立たなかったらこちらにお電話を、みたいな誘導もなかったので、
ホームページで問い合わせ先を探しましたが、電話してほしくないのか見つからず、
結局Google先生に、○○カード、問い合わせ、というキーワードで探してもらい、
なんとか電話番号を見つけて(フリーダイヤルじゃない)電話しました。

朝、電話してみたのですが、お決まりのように、

「ただいま電話が大変混み合っております。
 恐れ入りますが暫くしておかけなおしいただくか、
 このままお待ちください。」


という音声が流れたのでフリーダイヤルでないとはいえかけ直すのも面倒なので
そのまま待っていると、カード番号、暗証番号を入力してください、と音声が流れ、
素直にそれぞれの番号を入力して暫くすると、「オペレータにおつなぎします」という
音声の後、女性のオペレータさんが出ました。

「うつぼ様、いつもご利用いただきありがとうございます」

と名前つきで言われたのですが、
オペレータさんのモニター上に私の名前が出てそれを言うルールになっているとはいえ、
個人的にはそれが丁寧な対応というほどにも思えない天邪鬼です。(笑)

ツアーキャンセルして手数料と返金分がスマホでは9月初旬に記載されているが、
11月請求分には手数料のみ反映されているのは支払いと返金のタイミングが違うという
ことなのか、それとも反映漏れなのか、返金は別途違う形で連絡をいただけるのか、
担当の方に確認の上、折り返しご連絡いただきたい。

通話料がかかるのが気になりつつ伝えると、確認の上折り返しご連絡します、と
言ってくれたものの、それまでに、「ありがとうございます」といった後、
私の言ったことを復唱しては確認し、私がはい、というと「ありがとうございます」と
再び言ってさらに会話を続ける、みたいなやりとり。
相手がなにかいう度に、
「ありがとうございます」
というのが丁寧なコミュニケーション、みたいな感じのことをテレビで言っている人を
見たことがありますが、なんでもかんでも「ありがとうございます」と言わなくても
いいと思っているのでだんだんイラツイてきました。

コールセンターは基本的に外注で、オペレータさんに個別の取引内容の対応について
確認しても即答できないと思って担当から折り返しの連絡を希望と伝えたものの、
復唱(品質向上のため録音しているからなんでしょうね)が長々と続いて電話を切ると
通話時間10分。スマホで10分も電話したの超久しぶり。(笑)

オペレータさんのお名前を聞いて電話を切り、ご担当者からの電話を待つこと3日間。

まだ?(V)o¥o(V)

こんなに世の中便利な時代、なぜ確認に3日もかかるのか、
担当が忙しすぎて手が回らないのか、それだとしても、取敢えず確認しますので
しばらくお待ちください、くらい、一回電話して言えないのかなー。
私が忘れるのをカード会社が待っているとしたら悪質だし(気持ちがすっかり性悪説)、
そこそこの金額(私にとっては)なのにこの放置感がイラつくし切ない。

と思っていた4日目。

4か月ぶりに会社に出社してお仕事をしていると手元でぶるぶる震えるスマホ。
03から始まる番号なので何だろうと思って出てみると、

「●●カードの××(女性)と申します。
 お問合わせの件で電話しましたが今少しお時間よろしいでしょうか?」

コールセンターの愛想のよいオペレータさんとは全然違う雰囲気、
こういう電話ばかりかけていてこの人もイラついているんだろうか、
そんな感じの無表情というか抑揚のない話し方の方でした。

仕事中なので手短にお願いしますが、返金の件でしょうか、
確認いただけたんですよね?と聞き返すと、

「当方での返金手続き忘れでした。手数料引き落としの前日に返金手続きしますが
 お知らせを郵送しているのを受け取っていらしゃいますか?」

ごめんなさい感ゼロ。(笑)

2日前に郵送したみたいですが、何時ごろに投函したか分からず、
千葉県だからなのか、前日までに届いておらず。
まだ来ていませんが、じゃあ、今日あたり届くんでしょうかね。と答えると、
とにかく送りましたから11月〇日に返金しますから確認してください。
お手数をおかけしてすみませんでした、と早口で言ったかと思うと電話を切られました。

私が問合わせにかけた電話代も払ってほしいわよねえ。ヽ(`Д´)ノプンプン

恐らくこの郵送物を観たか確認するのに電話するまで時間がかかっていたみたいですが、
私が自分で気づかなかったら返金もなくツアーキャンセルしたのに行かない旅行の
代金払いっぱなしだったかと思うと釈然としないのですが、支払はとりっぱぐれが
ないようにカード会社も厳しくチェックする一方で、返金となると意外と杜撰なんだなと
思いつつ、私もカードの支払い内容はまめにチェックしないといけないな、と
思った今回の返金問題でありました。

タグ:珍事
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

成田空港と私 [いろいろ②]

旅記事の途中ではありますが、折角成田空港エリアにきましたので、
成田空港と私の思い出について本日はつらつら書こうと思います。

先に書いておきます。今回の記事は長いです。(笑)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以前、「飛行機と私」という記事をJGCになったころに書いたので、
内容が一部重複すると思いますのでご容赦いただきたいのですが、

(飛行機と私①)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2008-08-26-1
(飛行機と私②)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2008-10-06-1

成田空港に比較的近いエリアに実家があったので成田空港勤務の方が
近所に多かったのが成田空港への親近感が今も結構あったりします。

①実家から成田空港までそこそこ近い


一応、私うつぼ、東京生まれで未だに戸籍も東京都にはあるのですが(嘘じゃない)
所謂ドーナツ化現象が進む中、千葉の田舎に造成された戸建て団地に引っ越したのが
昭和40年代後半。(一応1970年代です)
その頃には新東京国際空港(成田空港)建設の計画が決まっていたのもあって、
私が引っ越してから同じ団地にお父さんがJAL勤務、というご家族がぽつぽつと
引っ越してきました。(近所の同級生のお父さんもJAL)、
お隣さんがパンナム(その後、太平洋路線が買収されウナイテッド)、
団地内の同級生のお父さんがノースウェスト、小学校でも低学年の頃から
転校生が増えるとその内の数%はお父さんがJAL勤務、中には海外からの帰任で
成田空港に近い場所にお引越しなんて方が多かったので、うつぼ父がまったく
飛行機に何の関連もない仕事をしているにも関わらず、同級生やご近所さんの
「航空会社勤務」というのがどこかキラキラして見えました。

アテンションプリーズ(ドラマ)のリアル世代ではないものの
(どちらかというとドジでのろまな亀世代)
やはり遠い夢みたいな海外旅行をかなえてくれる飛行機への憧れもありましたし、
なんといってもアップダウンクイズで10問正解したときのタラップセレモニーを
見るとテンションが上がっていたのと(鶴丸マークのバッグが欲しかった私)
パイロットや機関士(当時はこういうポジションの人がいたんですよね)のお家に
黒塗りハイヤーがお迎えにきて制服姿で颯爽と車に乗り込む姿がカッコよかったこと、
当時、航空会社の社員(と家族)は空席があれば無料で勤務先の飛行機に乗れるので、
1978年の成田空港開港後、結構豪華に海外旅行していたのを自慢する方も近所に
いて、そんな機会が皆無のうつぼ家では、〇〇さん家は今年も海外でいいねー、
なんて、という意味で羨ましく思っていました。(笑)


②京成スカイライナーの思い出

そんな成田空港開港と同時に京成電鉄がスカイライナーの運行を開始、
婆1号とうつぼ兄、私で婆1号の実家(長野県)に行った帰りに国鉄(笑)上野から
京成上野まで移動すると、うつぼ兄が「スカイライナーに乗りたい!」とごねて
3人でこげ茶にクリーム色のカラーリングのスカイライナーに乗って成田まで行って
(成田空港駅まで行く必要はないと婆1号が言ったので空港まで行くことが出来ず)
そこから折り返して実家最寄り駅まで移動したことを今でも覚えています。

(私にとってのスカイライナーはこのイメージがいまでも強いです)https://news.yahoo.co.jp/articles/d03ade4eb55faa387e4082a08094b8632d0275a7/images/000


ちなみに、このスカイライナーに、クッククックー私の青い鳥こと桜田淳子さんが
乗っていて、車内が結構ざわついていたので、サインもらってくる!と淳子さんが
乗車する車両まで行ってみると、強面スーツ姿のおじさん(多分今の私よりは若い)が
「ダメダメ、この先には行けないから」と言ってきたので、「サインがほしいです!」
と粘ろうとしたものの、「ダメダメ、帰って帰って!」と門前払いされ、
泣きながら婆1号とうつぼ兄の座る座席まで戻ったのは小学生の頃の私です。(笑)
でも、冷水器(自販機なんてない時代)で紙コップ(というか袋)に入れて飲んだ
お水が冷たくて美味しかったこと、冷房が効いていて快適だったことなどで、
サインがもらえなかったことは相殺されいたというか、その後は楽しい気持ちで
京成成田駅までスカイライナーに乗れました。(当時は引きずらない性格だった)

当時の成田空港駅は現在の東成田駅ですが、当時はこの駅で降りてから有料バスに乗って
成田空港(当時は第一ターミナルしかなかった)に行くという面倒な駅でした。
京成だって別にそんな面倒なことをしたかったわけではないのでしょうが、
国鉄が成田新幹線を計画していたので民間の京成が空港直結に出来ないというのも、
お客さんの利便性より政治家の利権と親方日の丸の国鉄の力の方が上だったという
ことなのかもしれませんね。
その後、国鉄が分割民営化でJRとなり(E電(笑)が普及しなかった民営化直後)、
成田新幹線計画も消えてなくなり、その後、空港直結の成田空港駅が出来て、
第二ターミナル完成と共に第二ビル駅も出来て利用客には便利になりました。
東成田駅については、肉乃小路ニクヨさんが東成田駅を訪れた様子をYouTubeで見て
久しぶりに訪れたくなっております。(^-^)


③成田市市史編纂室でのアルバイト

話があっちにもこっちにも行ってしまい恐縮ですが、
成田空港といえば、高校生の頃、春休みに成田市市史編纂室というところで
成田空港というか、三里塚闘争の新聞記事をひたすらハサミでじょきじょき切って
スクラップブックに貼り付けるというアルバイトをしたことがあります。
まだ飛行機に乗ったことがない頃のアルバイトですが、
記事を読んでもいいよと言われていたので読ませていただきました。

もともとは、当初の候補地が千葉県の浦安、八街、茨城県の霞ケ浦、
神奈川県の金沢八景、その中から千葉県の八街(ピーナツで有名なところ)に
内定したものの、反対が起きたので短期間でその近くの成田市三里塚であれば
土地の買収も国有地の活用も含めてスムーズに進むだろうとあっという間に
閣議決定してしまったことから、その後の三里塚闘争につながるわけですが、
騒音問題などを心配する周辺住民や空港建設地の土地所有者が強制的に
移転させられることへの不満から大きな反対運動に広がっていったんですよね。
三里塚芝山連合空港反対同盟が結成されて大きな反対運動が繰り広げられていった、
という中での新聞記事だったのですが、国鉄神田駅から丸太棒で反対派が改札を
強行突破した、とか、成田駅周辺の商店街の街灯を破壊しまくったとか、
そんなことがあったというのを成田空港建設で大変、というレベルの認識だった私も
新聞記事を読んでただただ驚きました。

記事の中には、バイト代をもらって反対活動に参加する大学生もいたり、
反対派の偉い人はそういう危ない場面には決していかずに遠くから見ている、
スカイライナーも開通前に反対派に車輛を燃やされてしまうとか、
本当に反対している人以外(アルバイトや洗脳されてしまった人)、
そんな人たちも多かったのではないか、高度経済成長期の日本でしたが、
学生運動、東大紛争もあったような時代で、何かそういう流れの中で権力に反対する、
そういう気持ちに流れていった人(バイト代が欲しかった人もいたと思いますが)が
群衆心理というか、本当に空港建設に反対していたのか分からない人も
こういう暴力的な活動に参加していたのではないかと記事をみて思いました。

そんなバイトを1週間くらいやってみて成田空港に興味を持つようになった頃、
高校通学で京成電鉄(成田空港行)に乗っていると、「中核派」と書かれたヘルメットを
被って覆面した集団が何十人も乗ってくるという光景に遭遇する機会が何度かありましたが
当時は既に車内でもおとなしく乗っていて一般の人に危害を加えるようなことはなく、
でも、何かされたらどうしよう、と、怖かったのは未だに覚えています。

インターネットが普及したばかりのころ、航空関連の2ちゃんねるみたいな掲示板があって
(エアタリフというサイトですが運営していた方(なかこー機長)がお亡くなりになって
現在はサイト自体閉鎖されています)私も情報収集に使わせていただいていたのですが、
今でも覚えているのが、成田空港の話題の掲示板での書き込み。

「千葉県の人はそんなに成田に空港がほしかったんですか?」

上に書いた通り、成田空港建設は政府主導で決めたこと、千葉県の政治家(自民党)は
空港を作ってほしかったかもしれませんが、住んでいる人は近所に空港があるからって
簡単に海外に行けるわけでもないし(確かに地域での雇用の創出はありますが)、
何言ってんのんこいつ、って思ったのですが、考えてみれば、東京だけでなく、
埼玉や神奈川から成田空港に行くだけでもうちょっとした小旅行ですから、
そりゃ文句を言いたくなるのもごもっともですね。(笑)
千葉県なのに「東京」と名の付く場所が多いのも県民としては微妙な気持ちですし
開港当初「新東京国際空港」と呼ばれていたのにずっと違和感があったので、
現在「成田国際空港」となって個人的にはほっとしています。
(とはいえ、出発空港をTYOで選択してフライト検索すると
 HND(羽田)、NRT(成田)利用で検索されちゃうんですよね。(笑))

結果的には思ったように用地買収できないまま開港して、
思ったように滑走路も拡張していけず、そうこうしているうちに羽田空港が
滑走路を増やして離発着便数を増やしていって国際線の儲かる路線は羽田に移す、
現在はそんな感じで成田空港にはLCC専用の第三ターミナルが出来て、
羽田と成田のすみわけが時代の流れとともにできていっているように見えます。

とはいえ、私自身は海外旅行といえばやはり成田空港から出発すると
テンションが更にあがるような世代です。(最近全然海外に行っていませんが)


④初めての海外旅行

初めての海外旅行も成田空港から出発。
ロンドンにいくにも予算が少なかったので(大学生だったし)、
当時旅行会社に勤めていた友人に一番安い航空会社でいいからと
チケットを手配してもらったのですが、それがパキスタン航空でした。(笑)
お金のないバックパッカーは当時パキスタン航空でカラチ経由、とか、
アエロフロートでモスクワ経由とか、日系なんてとても高くて乗れないので
海外の航空会社で行くしかなかったので、パキスタン航空、機体大丈夫かな、
ま、大丈夫か、みたいな感じで旅の支度をしていたら、出発間際になってから
「上司が初めての海外旅行でパキスタン航空は可哀想だから変えてあげなさい、
 って言ってくれたからキャセイ航空に変更したから」と連絡をくれて、
今は出来ない?海外発券(香港往復は日本発券、香港から先は香港発券)で
同じ値段でキャセイ航空を手配してもらった上に、出発日、友人が成田空港まで
見送りに来てくれるというなんだか大袈裟なセレモニー的な感じで出発した、
もう30年以上前の話なんですが、友人から渡されたカーボンコピーのチケット、
チェックインカウンターでの丁寧な対応、広々とした空港、手を振る友人、
今でもその光景が思い浮かびます。

その後も、プライベートでも仕事でも使っていた成田空港、
ラウンジが使えるようになってからは贅沢な時間を過ごさせてもらっていますが、
自分の中では一番しっくりくる空港です。
(羽田空港は建て直したりして昔訪れたときと違うのであまり親近感がない)

そんな成田空港に今回訪れて、あまりに寂しい光景をみて悲しくなったのですが、
早くコロナが終息して、人の往来が自由にできるようになって、飛行機に乗って
旅を自由に楽しめるときが早く戻ってきてほしいです。

と、まとまりがないのですが、成田空港の思い出はこのへんで。

明日から暫く航空科学博物館の記事をアップします♪



タグ:成田空港
nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感