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白山「満津美寿司」で納豆巻 [呑んだり食べたり(満津美寿司(2019年閉店))]

暮れも暮れ、年が変わろうって時に湿った話を書いちゃったのですが
(といっても私は湿った話と思ってないのですが(^_^.))
今年最後の記事は、今年もお世話になった満津美寿司さんの記事です♪

お邪魔したのは12月初旬。友人との忘年会です。

相変わらず予約でいっぱいなのでのれんは中に入っていましたが、
こんばんは~とご挨拶しながらカウンター席に着席。
当日、実は体調イマイチで呑んだり食べたりもほどほどかな、、、って感じだったのですが、
R0014771.JPG ビール呑んでいる内に忘れてた。(笑)
R0014773.JPG お通し
油揚げを開いて裏返しにして野菜などを巻いて煮た、と思われる一品と。
R0014774.JPG 久しぶり[黒ハート]の塩辛
これは後ほど日本酒を注文するまで食べずにとっておきました。(^_^)

R0014772.JPG いかげそ 
本当にどうしてこんなに美味しいの~?と思います。

R0014775.JPGで、お約束の元酒 呑み納めです
R0014776.JPG 素敵なおつくり
R0014777.JPG ラヴたこ吸盤[黒ハート]
R0014778.JPG 赤貝のヒモをさよりで巻いてあって美味 R0014779.JPG 友人注文 野菜の旨煮
野菜それぞれ味付けが違う(別々に煮てある)ことに友人感激していました。。

R0014780.JPG で、お代わりして
R0014781.JPG ほわっほわの穴子
体調イマイチだった己のことを忘れて食べて呑んで、、、〆に入ります。

R0014783.JPG つやつやのこはだ
R0014784.JPG とろけるぅん、うに
R0014785.JPG 世界で一番好きな満津美さんのナットゥ巻き
ここのはね、本当に美味しくて絶対食べたい。(わたしだけかもしれないけど)

優しい大将と、いつも歯切れよいトークに目配り気配りの(大将の)弟さん、
私が行く度「元酒、二本冷やしてあるからねぇ」と声かけしてくれるおばちゃんなどなど、
本当に居心地よく食べて呑める満津美さんには今年もお世話になりました。<(_ _)>

来年も新年会で早々にお世話になる予定ですが、、楽しみたいです。(^_^)



昨年の大みそかに書いたのですが、人生は珍事だな、って思う一年でした。

蟹工船企業を春先に脱出し、転職活動も捗らぬまま旅行したり気分転換していたら
今度は父が他界し、その直後に内定もらって秋にまたまた転職、
試用期間も無事終えてこうやって年末を迎えることができました。

色々な人との出会いもあり、自分の世界がまだ広がっていくことを感じていますし、
この年で勉強することもいっぱいあるんだなってことを知ることのできた一年でもありました。

って、知るだけじゃダメなんだよね、実際勉強しないと。。。。 そこは頑張ります。(^_^)

こつこつ続けているこのブログも無事10年目に入り、
継続は力なり、という気持ちも強い今日この頃。

読んでくださる皆さんにも感謝感謝です。

ブログに対していいことばかりでないともおもっていますが、
それを上回る良いことがある内は続けていこうかと思っていますので、
来年も呑んで食べてばかりではありますが、お時間のあるときにお立ち寄りください。

一年間の御礼を込めて。

良い年をお迎えくださいませ♪





タグ:元酒 白山
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父の詫び状⑤ [いろいろ②]

無事、通夜、告別式を終え、父の骨と一緒に帰宅し、、、翌日。

それまで話しかけなかった父にお線香をあげるとなると思わず話しかける私。
生きているときにもう少し優しくしておけばよかったかもしれないな。
そんなことを思いながらお線香をあげて手を合わせ。


告別式が終わっても、、まだ色々と手続することってあるんですね。


最初に母と行ったのは近所の市役所出張所。


死亡届を出して、ここで出来る手続をお願いします、、、と伝えると、
手続一覧表を見せながら、◎◎はここ、△△はここ、と立て板に水の説明。

端末に父の死亡を入力したようで、あとは介護保険証を受け取ったところで
「ここで出来るのはここまでですから」と突き放すように言われました。


ぜいきんどろぼうめ。


そんな悪態つきたくなりますよね。

今の時代、通信事情も情報管理も進んでいるのですから、
住民票のあるところで死亡届を出せば、
色々な関連部署と連携して一括手続してくれればいいのに。

今回本当にそう感じました。

その後、これまで通っていた病院の予約を取り消したり急患で運ばれたときの御代を払ったり、、、
そして翌日、一人で本籍のあった新宿区役所へ。。。

相続などの関連だと、出生から死亡までの謄本をとらないといけないんですよね。
となると、新宿で出生届されていない場合、遡って違う役所にもいかねればならないわけで、
新宿区役所で「ここはどこの国?」って雰囲気の中(ある意味アジアンなんですけどね)、
都合4種類の謄本(法改正とかがあると謄本かわるね)をとって、、、
ここで出生が届けられていなかったので、遡ったところで今度は江東区役所へ。。。


顔も知らないジイサンが筆頭者なのでジイサンの名前を書き、
申請者のところに私の名前、筆頭者との関係に「孫(笑)」と書いて謄本取得。。


ここで出生届がされていたので、私は2箇所の役所回りで済みましたが、
転々と戸籍を移していると全ての役所で謄本とらないといけない、、、
ってすごくエネルギーが要りますよね。


80近い年寄りの母にそんなことさせられないです。 
都内に出るだけで大変なのですから。(実家、田舎だから)


この後、お香典リストをつくって、お返しを選んで。
父がお世話になったリハビリの病院とデイサービス施設何カ所かを訪問し、挨拶。


こうやって少しずつ父の足跡を消していくというか整理していくというか、、、で
母や私の気持も落ち着いていくのかな、、、そんな気持ちになりました。


①でも書きましたが、私は父が好きではないので、
今回亡くなったことについては悲しい気持ちは全然なく、
やっと寿命がきて仏様がお迎えにきたんだろう、って気持ちだったりします。


ただ、父が私や母に最後にしてくれたこと、そんなことを色々考えたりします。


急患でICUに入った後、12日間がんばってくれたのは、
母や私が気持ちを落ち着けて整理して、お別れの準備を慌てずにさせてくれたこと。


ICUに通うことで、今の救急医療の素晴らしさを垣間見せてくれたこと。


亡くなった後、ご近所さんが自宅にやってきてくれて色々話をしたときに
父の外面の良さ(←いい意味で)を知る機会をもらったこと。

ご挨拶にきてくれたご近所のオバちゃんが
「内面よくて外面悪い人より、お父さんは内面悪くても外面よかったからいいんじゃない?」
慰めだかなんだか分からないけれど、
そういわれて、そっかそうだよね、なんて気持ちになりましたし。(笑)


大嫌いな親戚とも話す機会をくれたこと。(ある意味修行のような)


こういうときに、誰(主に親戚ですが)が本当に母や私のことを大事に感じていてくれるか、
これから誰ときちんと付き合っていけばいいか、、、見極めさせてくれたこと。
(口ばっかりで調子良いだけの人も分かったし)


父急変の知らせがあった時、
寿輔師匠の独演会の打ち上げで乾杯!したばかりだったので、
まったく意地悪して邪魔してさ、、、なんて思ったり、
派遣がきまって働きはじめよう、、、という矢先の話だったので、
父を嫌っていた私にそれが跳ね返ってきたのかと、、、、父を恨みがましく思いました。


でもね。


友人に「辛いことも楽しいと思えるように対応すればきっといいことあるから」て言われて
ちょっとそういう悪態つくのもよくないか、って思ったら、考え方が変わりました。


私がぷーたろーの時にこうなったのは、
お母さんをちゃんと支えてあげてね、って父からの依頼だったのではないかって。

父には2年前に仕事を辞めたことはずっと黙っていました。
話せば何でそんないい会社を辞めたんだ、いつまでもグジグジ言われるのが分かっていたので
父が死ぬまで話すつもりもなかったのですが、、実は気づいていたのかもしれません。


それから、母が思いの外よぼよぼしているのを気づかせてくれたのも父。


これまでは、父があまりによぼよぼだったので、
母については元気なオバアサン、って思っていたのですが、
病院に通ったときにずっと見ていた母、お葬式で立ち振る舞う母、本当に年寄りだな、って。


そんなよぼよぼの母に介護されている父もさすがにこれ以上は悪いと思ったのかもしれないな、
そんなことを考えました。


母が孤独で老け込んでいかないように、、ちゃんと面倒みないといけないな、
私にそう思わせてくれたのも父のお陰かもしれません。


というわけで、超身内の父を見送ることで、色々学びよい経験をすることができたこと、
父の外から見える一面を垣間見ることが出来たこと、そんなことを思い返すと、、、
最後の最後になったものの、父には感謝の気持を持つことができて、
幸せだと思えるのでありました。



(父の詫び状、これにておわり)















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父の詫び状④ [いろいろ②]

御通夜当日。


朝、のんびり母と起きて、スケジュールの確認をして午後。


兄一家が到着すると、それまでの静かな空気が一変。


化粧したかったのにダメって言われたとむっとしている姪(年頃の高校生)、
兄嫁のスマホでパズドラに夢中になっている甥(反抗期の中学生)、
なんだか慌ただしくしている兄。 


その後、セレモニーホールに着くと、既に遠方の親戚はほとんど到着していて、
会いたくないと思っていた親戚にもニコニコとご挨拶。


そして、納棺式。


末期の水として、本日は焼酎と日本酒をご用意しておりますが、
生前はどちらがお好きだったのでしょうか?と訪ねる納棺士さんに、


「日本酒です!」


母、私、即答。(笑)


ということで、綿棒に日本酒を含ませて、父の唇にちょんちょんつけて。
そして、手足をぬるま湯につけたタオルで拭き拭き。


甥は、死んだジイチャンを観るのが嫌だったらしく、拭けなかったのですが、
私は左足と右手と額を拭きました。(もちろん別々のタオルでね)


生きていたときの父なんて、絶対触りたくなかったんですが、
(特に足なんて水虫だったりするし)
不思議と亡くなった後は、ちゃんと旅だってほしかったりするので拭けたりするんですよね。


と、皆で父を拭き清めた後、どなたか足袋を履かせてください、と納棺士さんが言うので、
ここで手を挙げた方がいいよね、って感じで、左足に足袋を履かせ、
「力のある男性のみなさんで棺に入れて差し上げてください」と言われて、
男性のみなさん、殆ど70代で心配だし、と私も手を挙げ、父を持ち上げて棺に入れ。


納棺式ってこういう儀式なんですね。
初めての経験ですが、こうやって亡くなった人を少しずつ送っていくのかな、
なんて思いました。


その後、到着した檀家のご住職にご挨拶してお布施を渡して。


そして御通夜。


思いの外たくさんのご近所さんが手を合わせてくださって驚きつつ、
私が歳くった分、近所のおじさんおばさんもジイサンバアサンになっていて、
時の流れを感じました。。。。



御通夜の御斎では、ご近所さんの一部と親戚の一部がまるで居酒屋状態になっていましたが、
父を偲ぶというより単なる呑み会みたいな雰囲気にちょっとがっかり。。。



そして翌日の告別式。


前日と異なり、とても参列者が少ない中、初七日法要まで済ませて出棺。


祭壇のお花を棺にみんなで納めるのですが、
涙もろいオバちゃんが泣いたのが引き金のように皆泣き始め。


それまで、好きでもないジイチャンの葬式でよろしくない態度だった姪が、


「オジイチャン、結婚式の姿をみせられなくてごめんね」


大きな声で言って泣いているのを観て親戚さらに泣き泣きで。


私はね、全然違う反応しちゃったんですよ。



「◎◎(姪)が見せる前に、私が結婚式の姿見せてないんだって」


思わず、そんな言葉が口をついて出たら。


親戚、爆笑していました。


珍事です。(笑)



そんなこんなでお花を入れ終わり、車に棺を乗せて火葬場へ。




火葬場で父が骨になる間、お清めの席で食事、、、だったのですが、
ここでも一部の親戚が昼から酒盛り状態になっていました。。



もうちょっと時と場を考えてくれてもいいのにね。(^_^.)



1時間ちょっとで、骨になった父を迎えに行くと、、、
まだ熱々で湯気モウモウの父の骨から立ち上るニオイが鼻にきて。


おそらく、一生忘れることのない焼けたニオイ。


そんなニオイを感じながら、箸わたしで骨を骨壺に入れて、
あとは職員の方にお願いしましたが、意外に骨がしっかりしていて、
ギュウギュウ押しながら骨をいれないと入らない状態。


最後に、好んで身に着けていたループタイとメガネを入れてもらって、
一緒に自宅に戻りました。。。。



その後、セレモニーホールの方が、喪主の札で飾った生花を持ってきてくれたので飾り、
位牌のご相談。


うちの祖父母、50回忌も終えていたのですが、先祖代々にまとめていいのって33回忌以降。


とっくにまとめてよかったのに、する必要もなかったからしなかったのですが、
今回父の位牌を作ると仏壇が混みあうので、祖父母の分は一つにまとめることにして。


何でも注文すれば対応してくれるセレモニーホールのきめ細やかさには感心。
ま、それだけ儲かるもんね。


セレモニーホールの方が帰った後、兄一家も帰ってくれたので(どこかホッとする私)
母と着替えて、当日も宿泊予定の親戚と居酒屋で夕食。


やっと母がリラックスする姿を観られて私も緊張が解けたのでした。。。。




(つづく)




 


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父の詫び状③ [いろいろ②]

今回、、本当に面倒だと思ったのは親戚関係でのやりとりでした。


父も母も兄弟姉妹が多い人なので、おじさん、おばさんが多いんです。



仲の良い親戚は一握り、あとは別に会いたいとも思わないって感じで、
とはいえ、父のお葬式ですからちゃんと連絡はしないと、です。


仲の良い親戚は、手伝えることはないかと自発的に聞いてきて、
じゃあ、、これをお願いしますって言えばちゃんと動いてくれる。
食事作る気力もないでしょ、って宅急便で美味しいものを送ってくれる。



それは、ホントに一握り。



あとはねぇ、、、まあほぼ全員70代なので我が強いっていうかなんというか、
連絡すると嘆き悲しむんですが、、、遠方からやってくるのが大変とかなんとか、
とにかく説明が面倒。 母も途中で切れそうになっていました。。。



特に、そんなに近くない親戚(というか私は親戚だと思ってないけれど)のおばさんが酷くて、
一人で電車にも乗れないというのに通夜と告別式に出たいとか言い出して。
このおばさんのこと、父、ものすごく嫌っていたんで(というか私も嫌っている)
どうか無理なさらずに、お気持ちだけいただきますから、、なんて感じで婉曲に断ったものの、
そういう人に限って行間を読めないっていうかなんていうか、、、、絶対いきます!と言い張って。


高齢の母が一番テンパって大変なのに、
こういうおばはんがいたりするので無駄にエネルギーを使うというか、母辟易。。。



そんなやりとりの間に、ご近所さんとか近くに住む親戚が実家にやってきて、
安置されている父にお線香をあげてくださるのを対応したり。。。。



ご近所さんからは、おにぎりやサラダ、煮物などを沢山差し入れしていただいたので、
自炊せずに済んだので、ホントに有難い気持ちになりながら、、
親戚とのやりとりではマジでくたびれました。。。



その間、納棺士の方が毎日父のお手当をしにきてくれたのですが、
それはもう丁寧で(っていうか、お値段もそれなりでしたからね)
頭に被っていたネットをきれいに外してもらって(額に網網の跡がついていたけれど)
毎日毎日きれいに体を清めてお化粧してもらい、納棺士のお仕事って大変なのね、
なんてある意味社会勉強の気分になりました。。。。



で、御通夜当日になりました。



ちゃんと見送らないと、です。



(つづく)



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父の詫び状② [いろいろ②]

父が旅立つのも近い、、と思い始めた頃、というか、それ以前から、
お葬式はセレモニーホールみたいなところにしようね、と母と話していたのですが
(昔は自宅で執り行うのが一般的なエリアですが、、自宅だとあれこれ大変だし)
母に待合室で聞いてみたら「駅前のセレモニーホールの会員に入ってるから」と即答。


私の父よりもっと以前から同じ病気に罹っていたおじさんが近所にいて、
2年くらい前に父より先に旅立っていったのですが、その奥さんからセレモニーホールの話を聞き、
施設見学会にも参加して「ここならお父さんを送るのにいいかな」と思って入会していた母。


相談できる人が近所にいるのは知っていましたし、
私もその奥さんとはよくお話ししていたのですが、そこまで相談して決めていたとは。。。


とはいえ、そういうことなら、段取りもしやすいというものです。


父が解剖されている間、遺族控室でセレモニーホールに電話。
そして、病院から自宅へ父を運んでもらうのをまず依頼。
そのあと、檀家の寺に電話して、坊守に日程を相談して。


それでも解剖が4時間かかったので、父の嫌な思い出話やらなやら。


「お父さんが嫌いなはわかるけれど、もう旅だっていくんだし、水に流してあげれば?」


友人にそう言われていたので、
亡くなる前は「父よ、もう嫌な思い出は忘れてあげるから」なんて思っていたのが、
再び、総決算状態になっておりました。(^_^.)


解剖が終わり、、、霊安室に安置された父は脳も解剖した為、頭にネットを被っていて。
転んで頭から血を出して処置してもらってネット被って、、、みたいな姿に見えました。
不謹慎なんですが。


担当してくださったICUの先生が、母から見るとイケメンだったようで、
(私にはイケメンというよりは優しい表情の先生に見えたんですけどね)
「お母さん、大丈夫ですか?ちゃんと休めましたか?」と毎回会うたび母に聞いてくれたので、
「あの人が独身なら、うつぼと結婚してくれればいいのに。。」真顔で言っていたのですが、
霊安室でお線香をあげて、父を乗せた車をずっと見送ってくださった姿に、


「うつぼの婿になってくれたら、お母さん、本当に嬉しいのに。。。」


ストレッチャーにのせられて車に乗る父の隣でマジ顔で何度もつぶやいていました。。


先生は10歳も下だし、こういう人はちゃんと奥さんも子供もいるんだから、
そういう無茶苦茶な妄想はしないように、、、、、母に釘を刺しました。(笑)


父を乗せた車が病院を出た時は、ぽつぽつと降り始めた雨が、
自宅に到着したら豪雨滝雨。


セレモニーホール(葬儀屋さん)のおじさん2人がびしょ濡れになりながら、
狭い玄関を何度も切り返しながら父を運びこんでくれました。


その後、布団の上に寝かして整えてくださった後、
今度は営業担当と思しき若いオニイチャンが登場し、、、通夜葬儀の打ち合わせ。



こんな若いのに、しっかりしてるわねぇ。。。 と母。



おくりびと、の影響もあるのかしらね、その後も、若い社員の方々におあいしましたので、
今は若い人にも働いてみたいと思われる業界なのかな、、、、なんてふと思いました。



オニイチャンとの打ち合わせ、、、とても丁寧だったのですが、、
母が決めかねている項目などで私がくちを挟むと
「おふくろが決めるんだからお前は黙ってろ!」とその時だけ、兄、発言。



今までのお仕事経験上、私の方がこの手の話はなれているので、
私がリードして話を進めていたのが兄は面白くなかったんでしょうね。。。
でも、話が長引けば長引くほど、母も疲れが増すだけなので、、
とにかくちゃちゃっと済ませたかったので、
母が判断しやすい方に話をもっていって3時間弱で終了。



お見積りをみて「お葬式って高いねぇ」、、、、母と驚きましたが、
殆どが生のお花の代金なんですよね。
音響演出代13万円ってのに驚いて、「これはなんですか?」って聞いたら
シンセサイザーの生演奏で今は主流です、って説明でシブシブ承諾したのですが、
実際の演奏などを聞くと、これはボッタ栗ぽいかな、っていうのが正直な感想でした。。。


で、見積もり見て花が高い!と思いましたが、母が父を花で囲みたいっていうし、で
ま、仕方ないわね、って感じで納得して、その日は終了。



翌日から親戚(ものすごく多い)に連絡して、
遠方からやってくる親戚用に近所の宿泊を手配して。


これがまた大変だったりしました。。。



(つづく)





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父の詫び状① [いろいろ②]

暮れも暮れてときにナンですが、、年内に、、、と思ってアップすることにしました。



 

初秋のある日、うつぼ父、旅立っていきました。


以前からブログを読んでいただいている方は何となく察していらっしゃると思いますが、
私は父がずっと嫌いでした。


でもね、嫌いだった人でも親は親。


旅立つ父を見送ったことは今後の私にとって大きな経験となるでしょうし、
それを忘れたくないのもあって、今回ブログに記憶を書き残すことにしました。




父が嫌いな理由は、、、、
とてもブログに書ききれるものではありませんし、そんなことを書くほど子供じゃないし、
おそらく、父親が嫌いな世の女性と根本的な理由は同じ、、かと思いますので、
想像していただける部分はあろうかと思います。。。






私の父は、いわゆる戦中派なのですが、定年前に心疾患で手術を経験し、
その後、会社を退職した後、旅行に行ったりパソコン教室に行ったり、、
色々と彼なりに仕事人間からの脱皮を図ろうとしていたようでした。


それが、今から10年ちょっと前、脳疾患で倒れてからというもの、
入院、リハビリ、、退院、、、した後、、、、状態は徐徐に悪くなっていき、、
もちろん本人は大変だったと思うのですが、
その間、自宅介護をしていた母にしてみればある意味苦行のようなものだったというか、
いつまでこんな状態が続いて母が疲弊していくのかな、なんてずっと思っていました。


父にしてみれば、仕事人間、世代的には家庭を省みずに働いて家族を養う、
それが男の甲斐性、でしたので、、、自分が病気になったのも家族の為に働き過ぎたからだ、
そんなことを言って家で悪態をつくことも多々ありましたねぇ。。。


実家に帰ってももともと嫌いな父と話すのも面倒になって、適当にちょっと話す程度、
最近は話しかけてくる内容も意味不明だったりしたので、軽く無視していたり、、
なんて感じで。


そんなある日、母から電話があり、父が入院したと言われ、
暫く入院しているのであれば、母を連れ出して食事などにも行けるかな、
そんな軽い気持ちで思っていたのですが。


その翌日、ちょうど、寿輔師匠の独演会を楽しみ、打ち上げに参加して、
かんぱーい♪とビールに口を付けたところで母から「父危篤」の電話。


師匠と後援会の方に、「親が急変したと連絡がありましたので、失礼します」と、会場を後に
急いで電車に乗って実家エリア(田舎)にある大学病院へ。。


元々の病気と関係があるのか、、分からないのですが、
全然違うところで病状が悪化していたらしく、、緊急手術をしたものの、
本人の体力が戻るかどうか、、という説明をお医者さんから聞いて一旦帰宅した後、
安定したり不整脈が出たりの繰り返し。


いつまでこういう状態が続くのか。


本人は意識がないというものの辛いだろうし、
毎日病院に通う母も高齢で疲れきっているし。


そんな状態で1週間。


私は父が安定している時は友達と食事したり、自宅で休んだり、でしたが、
再び危篤の呼び出しがあって、病院へ。


その後、病院の家族控室に母と泊まって、
昼間はICUの待合室で急変なければいいね、なんて話ながら待機。


病院の家族控室、、地下にあるのですが、、、
もう夜になるとまっくらだし静かだし、、何より、某◎フトバンクが「圏外」。



圏外。(笑)



でも、疲れているのか、母も私も早く寝てそのまま朝まで爆睡。。。。




ちょうど当時ぷーたろーだった私も、
さすがにこのままだと社会にもどれないのでは、と派遣登録して、
やっと決まって働きはじめようとしたところでしたので。



お父さん、これまで私が冷たくしたのを恨んで嫌がらせしてんじゃないの?
ったく、性格わるいぜ。


なんて心の中で悪態ついたりしたんです、最初の頃は。


でもね、途中から気持ちが変わってきたというか。


もしかしたら、私がぷーたろーで時間のある時だから具合悪くなったのかな、
高齢の母を支えられるようにって仕向けたのかな。


そんな気持ちに変わっていきました。



なんというか、土俵の徳俵に足がかかっているところで、
ものすごく踏ん張っている粘り強い力士。



例えが変なのですが、父がそんな感じに思えたりしたんです。



まるで私たちが落ち着けるまで粘っているような。



待合室でそんな話を母としながら、
不謹慎ですが、父が旅立っていったときのことなども話し始め、
ある程度、段取りというか話が出来たころ。



心肺停止、ずっとICUにはいってから手当してくださった先生に宣告され、
旅だっていきました。。



先生からや看護師の方々からは、


「年寄りだけれどはきはきしているお母さん(婆1号)」

「オロオロせず、ハキハキして段取りのよい娘(婆3号こと私)」


そんな風に見られていたらしく、入院してから亡くなるまでの説明と、
出来れば今後の救急医療の研究に、、と解剖の依頼があったので承諾し、
解剖4時間の後、父は自宅に戻りました。。。。



救急の先生、私より小柄ながら、ものすごい存在感があったのですが、
最後、手を尽くして父が亡くなった後、霊安室でお線香を上げてくださった姿は、
今までより小柄に見えてしまいました。
(ま、私がデカ女ってことなのですが(^_^.))




ICUの医師や看護師の方々、、日々の救急患者に真摯に対応されている姿を
2週間くらい間近に見ることができたこと、自分の知らない世界を知ることができたというか、
こういう方々のお陰で私たちも安心して暮らせるのかもね、なんて母と話しました。


あと、、ブログで知り合ったお医者さんの某姐にも、LINEで色々と相談させていただき、
お医者さんの立場として、また、年上のオネエサンとして、また、親を亡くされた経験者として、
いろいろとアドバイスをいただき、母と心強い思いでいられました。。。。


姐、ありがとね。



ぷーたろーだったお陰で、父や母と接することが出来た時間は今後も大きな財産かな、
なんて思いながら、父と一緒に帰宅しましたが、、、この後もいろいろとやることがありましたので、
それはもう、フル回転で父を見送ることにエネルギーを注ぎました。




(つづく)

 
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映画「ラストベガス」を観る [映画(や・ら・わ行)]

デニーロ先生出演作品、というだけで借りました。

ラストベガス [DVD]

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あらすじはAmazonさんより。

アメリカの片田舎。
どこにでもいる仲良し4人組が今日も悪ふざけを楽しむ。
58年後・・・。
妻に先立たれ一人暮らしのパディ(ロバート・デニーロ)は隣の家族に世話を焼かれる生活。
発作持ちのアーチー(モーガン・フリーマン)は息子夫婦に介護される毎日。
錠剤の服用が欠かせないサム(ケビン・クライン)は老人向けのフィットネスに通う。
そんな中、唯一独身のビリー(マイケル・ダグラス)が、
友人の葬儀スピーチの最中に若いガールフレンドにプロポーズ!
一挙に盛り上がり、ラスベガスでバチェラー・パーティーだと久しぶりに4人が集まった。
カジノで大勝ち、飛び入りでビキニ・コンテストの審査員を勤めたり、
最高級クラブでハメをはずしたり。ラスベガスを思い切り楽しむビリー、アーチー、サムだったが、
パディは一人浮かぬ顔。
パディとビリーの間には、パディの亡き妻の件で、決してふさがることのない大きな溝があったのだ。
さらに彼らの目の前に現れた美人の歌手をめぐり、二人の間に火花が散る! !
波乱必至の独身最後のパーティーは一体どうなってしまうのか! ?



この4人が出て面白くない訳ないもんね。(笑)


ただ、ビリーを演じるマイケル・ダグラスみていたら、

恋するリベラーチェ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
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これ、思い出しちゃって。(笑)


(いやぁ、濃厚だったもんで)→ http://utsubohan.blog.so-net.ne.jp/2014-07-04-7


予告編観ていて、そんなに込み入ったことにならないというか、
小さい頃の仲良し4人がいいジイサンになって、
その間にビリー(ダグラス先生)とパディ(デニーロ先生の間に溝が出来ちゃったけど、
残り2人のアーチー(モーガンフリーマン)とサム(ケヴィンクライン)のお陰もあって仲直り
まあ、めでたしめでたし、、と、安心シナガラみられます。

とはいえ、一筋縄にはいかないのですが。


パディが過去のビリーのとった態度を許せなくて素直に4人の再会を楽しまない、
もうそこが頑固ジジイ過ぎたりするのですが、頑固ぶりにイライラし始めた頃に
まあ、雪解けしていったりするので、、さすがハリウッド映画。(笑)


とにかく4人の俳優さんが楽しく演じている感じが伝わる映画です。


特に、ケヴィン・クライン演じるサムがもうツボ。

一瞬だれだか分からなかったんですが、人工関節入れて膝がいたいヨボヨボなんだけど、
ラスベガスに行くと聞いて、奥さんがコンドームとバイアグラを渡してくれたりして、
(昔のように元気になって、という手紙つき)
それで俄然元気が出ちゃってラスベガスで弾ける気満々なんだけど、
ま、そんなにうまくいくわけなくて。(^_^.)


他には、サムがバーで声をかけた女装のおじさん演じるロジャー・バート。

ミュージカルでもよく見かける人で、

プロデューサーズ コレクターズ・エディション [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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ここでもお釜を演じていたのですが、今作でのお釜ぶりもなかなか笑えました。
ごっついおじさんがデビュー当時のマドンナの女装してバーにいるというシチュエーションが
個人的にはすっかりツボにはまり(だってあまりにもごつすぎて)爆笑。


おそらく、中年男性には元気の出る映画かと。(^_^)

まあハリウッド映画ではありますが安心して見られて、
深く考えることもないので、軽い気持ちで観るには楽しい「ラストベガス」でありました。


(この曲が後半出てきてとても印象的)



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赤坂「あ・うん」で菊姫 [呑んだり食べたり(居酒屋)]

久しぶりに赤坂見附で呑みました。といっても、これも10月ごろの話。

あまり土地勘のないエリアなので、友人とぶらぶら歩きながら
細い道沿いにひっそり看板の出ているお店を見つけ入ってみました。

カウンターが6-7席にとテーブルがいくつか、という感じのこじんまりしたお店です。

(食べログ)→ http://tabelog.com/tokyo/A1308/A130801/13015145/

カウンターに着席し、
R0014014.JPGメニューを観ながらお料理を注文
お店の御主人がとても丁寧に対応してくださいました。

R0014012.JPGつきだし
和風のスペインオムレツって感じの玉子焼きでした。 
ビールには合うかなって感じで、今回最初から日本酒にしちゃったことを後悔。。。

R0014013.JPG1杯目は飛露喜で うんま♪

R0014017.JPG ぷりぷりなタコ
R0014018.JPG牡蠣のたたき
たたきってどんな料理かな、って思ったのですが、
片栗粉か小麦粉を軽くはたいて焼いてそこにポン酢をちゅっとたらした感じ。
R0014019.JPG ぷりっぷり
R0014020.JPGうるめ一夜干し
これが程よい塩加減と歯ごたえで美味しかったのですが、
店の女将さんが「これはね!四国から取り寄せてるから美味しいのよ!」と
聞いてないけど説明してくれました。(笑)

ご主人は穏やかというか優しい感じですが、
女将さんは賑やかというかよくいえば世話好き、言葉を返すとちょっとお節介な感じ。

 

R0014021.JPG で、菊姫をいただいて
R0014022.JPG うんま♪
R0014023.JPG ポテサラ
ちょっとつぶしすぎかなって感じが残念。。。
R0014024.JPGで、菊姫をお代わり。

R0014025.JPG 自家製アン肝
意外とさっぱりしていました。。 もうちょとネットリしていた方が好みかも。

R0014026.JPG なぜか最後にこんなものが出てきました

食べログのレビューを観てそうだよね、って思ったのですが、
女将さんの対応が私は苦手でした。

結構早いピッチで呑んでいたら、「そんなに呑んで大丈夫なの?」と言われ。
それが心配顔というより、ぐでんぐでんになったら困るのよね、って感じの雰囲気で。
まあ、さっぱりした性格の人なんだろうな、って思えばいいんですが。

それと、日本酒がね、    

R0014011.JPGこんな感じなんですが、
値段が書いていないという。。 お料理は値段がわかるので、お会計の金額から考えると、
1杯1000円以上はとっているような、、です。

おまけに、メニュー一番下の龍力 あらばしりをお願いしたら、
「それはね、1杯5000円するのよ、違うのにしたら?」みたいな感じで言われちゃって。

そんな高額なお酒、、、値段書いておいてよ、って思いました。

稀少なお酒だとまあ高いの分かりますが、せいぜい3000円くらいまでじゃないかな。


場所柄、お高めなのは分からないではないけれど、お料理が美味しかったのはよいとして、
女将さんの対応とか、お酒の値付けとか、、そういうのを考えると、
今回はいいお勉強になりました、って感じで再訪はなさそうな。。


多分、こういう女将さんの対応が好きで高くても大丈夫って人は常連になっていくのかな、
そんな気持ちになった、あ・うんさんでありました。。


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寿輔師匠と新蕎麦を楽しむ会♪ [落語・お笑い]

昨年も参加した会に今年もお声かけいただきました。(^_^)

(とても楽しかった昨年)→ http://utsubohan.blog.so-net.ne.jp/2013-10-10-10
               → http://utsubohan.blog.so-net.ne.jp/2013-10-10-11

うふ[黒ハート]

新蕎麦というだけに、行ったのは10月中旬でしたが、
まあ、後手後手記事は毎度のことなんで。(笑)

昨年と会場が違うということで若干迷いつつなんとか開演ぎりぎりに到着。


一番前の端っこに座ったところで、、、師匠登場。


今回も9月の「ひとり会」と同じく水色のお召しもので登場です。


ひとり会とか寄席と違って、普段あまり落語に触れていない方もいらっしゃるので
師匠もいつもと雰囲気違うというかなんというかで客いじり。


で、なんのネタをやろうかなって思ったんですが、
古典でも内容によってランクがある、、みたいなお話をされて。


みんな笑って面白い、、って思ってもBランク、Cランクなんてネタがほとんどで、
Aランクというのは、いくら名人でも反応がよくないってことがあったりするネタで、、
なんて話をした後、始めた噺が「堀の内」。


寄席でも殆ど聞いたことのないネタで、以前談笑さんが話していたのを聞いたものの、

(中野で聞いたんだよね)→ http://utsubohan.blog.so-net.ne.jp/2012-01-20

そそっかしい男の噺で、、確かにこれって最初にお客さんの(笑)をつかめばぐいぐいいけるけれど、
そうでなければ全然お客さんが反応しないって感じの難しいだろうなってネタです。


自分のそそっかしさを治そうと堀の内の御祖師様にお参りにいくはずが、
自宅の神田から向かったのがなぜか浦安ディズニーランド、、
ああいけないと方向転換しやっとのことで御祖師様に到着してお参りした後、
さ、、もってきた弁当でも、、と風呂敷に包んだ弁当箱を開けようとしたら、
風呂敷だと思ったのが女房の腰巻、中にくるまれていたのは枕、、トホホ、、、、
って感じでなんとか帰宅、、息子の金坊を銭湯に連れていって更にそそっかしさ全開。。。


東京エレキテル連合のネタもはさみつつ、テンポよくそそっかしい様子をたたみかけ、
最初に(笑)をとった後は笑いがさらに広がる、、、という感じでネタ終了。。。


ネタにもそんなランクがあるのねぇ、、なんて思いながら、
やはり師匠の噺は面白い、、と再認識して。



その後は宴会です。(^_^)



参加者からの差し入れも結構多いので(昨年は私も差し入れしましたが今年はせず(-.-))
打ちたてのお蕎麦とともに楽しみです。


IMG_3452.JPG 最初はビールで乾杯♪

IMG_3454.JPG 参加者の方の自宅でとれた落花生の差し入れも
IMG_3455.JPG 幌加内の新蕎麦がもう美味!
IMG_3456.JPGで、差し入れのポン酒をいただきまして。
IMG_3459.JPG これとね、越乃寒梅をいただきました。
で、IMG_3461.JPG このちょっと黄色いお酒

岩魚の骨酒です。。 
昨年もいただいましたが、参加者の方が釣られた岩魚の味がよく出ていてうんまー、です。

IMG_3460.JPG お酒を飲み終った後、岩魚をほぐしたものもいただきました。

IMG_3462.JPG お水もね

昨年もそうでしたが、とにかく蕎麦打ちの会主催の落語会らしく、
落語を楽しんだ後は、美味しいお蕎麦をたくさん食べられて大満足でした。

師匠とも色々お話しできたし、師匠の大ファンのMさん(素敵なマダムって感じの女性)とも
今まであまりお話ししたことがなかったのですが、ファンになったきっかけをお互い話したり、
帰りにお土産お蕎麦もいただいたりと、、、他では経験できない手作りの温かい落語会で、
来年も是非参加したい、と思った、新蕎麦を楽しむ会でありました。(^_^)


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品川「尊」で馬刺し [呑んだり食べたり(チェーン店)]

食事をした後、、の二次会で、「尊(みこと)」さんへ。

初めていくお店ですが、駅近で「馬刺したべたい!」と私が言い出したので、
店先のメニューで観て選んで入りました。。。

(食べログ)→ http://tabelog.com/tokyo/A1314/A131403/13153056/

少々遅めの時間だったからか、、謎ですが、半個室のようなスペースに案内してもらいました。
分煙しているか分かりませんが、戸で仕切られていると煙を気にせず、、いい感じ。(^_^)

R0013996.JPG で、日本酒からスタートです

九州料理のお店なので、焼酎のメニューがものすごい沢山なのですが、
乙類は苦手、、、なのでやっぱり日本酒がいいのね。(^_^)
R0013997.JPG 名前に惹かれて
R0013999.JPG 黒兜
きりっとしていてコクもあってかなり好み。
R0014000.JPG お通し 蛍烏賊の沖漬け
こんなお通し出されたら、ポン酒呑めってことだよね。(笑)

R0014001.JPG 馬刺し3種盛り
もも赤身、こうね(だったかな)、とたてがみ 
R0014002.JPG 赤身が一番好き♪
馬刺しというと、北千住の「かえる」さんを思い出しますが、
そこにいくと、、珍部分も食べられます。

気になる人は過去記事、、、探してみてね~。


R0014004.JPG アボカドサラダ
細かくカットされた野菜にネットりしたアボカドを合せて食べると、、、これがうまい。


R0014006.JPG きびなご一夜干し
きびなご、、、刺身でも一夜干しでも大好きなので、、、メニューで見かけて注文したら、
あれ???? なんか焼きが今一つ???って感じで、
「すみません、、、もうちょっと焼いていただけますか??」ってお願いしました。


R0014007.JPG 焼き直し後
一夜干しは外を少しカリッと焼いてくれると香ばしくて好きなので、
せっかくの素材ですから、焼き方もうまくやってくれると嬉しいですね。。。。

R0014008.JPG 東一 と繁升を呑んで
R0014009.JPG 〆は明太子茶漬けでさらさら。。


九州料理のお店なので、日本酒の種類が少な目、、、とはいえ、、、
結構面白い品揃えだったりして、、初めてのお店としては及第点かと。


きびなごの焼き方もお願いしたらちゃんと焼き直してくれて、、
お皿を替えて盛り直してくれる、、などの配慮も心地よかったし。


というわけで、冬に鍋、、、もよさそうなので、
ここはリピートしてみたいかな、と思った尊さんでありました。


 


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