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男女平等 [いろいろ②]

一昨日アップしたファイアフライ通りで感じたことや
昨日アップした昔の日記に書いてあったことも併せて、
先月ニュースになっていた「男女平等」というキーワードについて、
五十路を過ぎた私なりに考えてみました。

オリンピックに女性が出場できるようになったのもそんなに長い歴史ではなく、
女性の参政権も戦後のこと、そうなるまでに活動された方々のおかげで、
完全に平等とは言えないものの、私は現代の世界で生きることができるわけです。

私が社会人になったころはバブル真っ盛りのころ、
男女雇用機会均等法が施行されてましたが、入社時の資格は同じ四大卒でも
女性はひとつ下の資格からスタートするという説明を入社後に聞きました。
入社前、総合職を希望したものの、うちは総合職の女性社員はいないから、
と言われて一般職で入社したんですよね。
同期の男性(文系)は複数年浪人した人ばかり(酷いと2浪1留とか)、
それでも売り手市場だったので内定をもらってから研修と称して旅行に
連れていかれたり宴会でもてなされたり。(V)o¥o(V)
同期で仕事ができる人もいましたが、なんでこいつが?と疑問符のつく人も
いましたから、なぜ男だからとか、女だからとか、そんな線引きでしか
考えられないんだろう、って腑に落ちなかったんですよね。

男性は、同期をまとめて定期的に昇格させていきますが(管理職になる手前まで)、
女性はバブルが弾けた後は特に昇格凍結とかよくわからない理由をつけては
昇格させてもらえず(評価そんなに悪くなかったんだけど)
私の5期下の女性から、男女同じ資格からスタート、と条件が変更となったので、
5歳下の女性社員と同じ資格でほぼ同じタイミングで上がっていく、という、
自分の5年間の働いたことへの評価はなんだろうと、テンションが下がって
この頃から古い体質の会社から転職しようという気持ちが芽生えていきました。
(実際転職できたのはその20年くらい後ですけどね(笑))

総合職への変更を希望した時も、小論文と面接の試験があって
(男性社員だと最初から総合職で入社しているので小論文を書く事もなく)
よほど女性を総合職にしたくないんだろうなと思った、ということが
日記に書いてあってそうだったんだよなあと思い出しました。
(日記は既にシュレッダーばさみでじょきじょきしちゃったから
 こうやってblogに備忘録で書いたりする訳です(笑))

また、入社当時は、女性社員によるお茶出しも当然と思われていて、
更に、役員の入る会議がお昼にかかると出前をとって食事を出す、
それが当然女性社員の仕事、とばかりに指示されては対応していたのですが、
一般社員が食べていた仕出し弁当を出せばよいのに、役員の選民意識が強い、
というか、役員にゴマするオッサンが多く、そんなまずい弁当を出したら
自分の評価に傷がつくとでも思っていたのかもしれませんね。
頻度が多い時は週に何度も食事&お茶出し、なんてこともありました。
違うビルに会社が引っ越して社食ができてから会議時の食事出しもなくなり、
社員(たとえ部長でも)はお茶は社員各自で淹れるようにと、
当時の社長から指示が出てからお役御免になったのですが、
そんな中で役員にはお茶を出せと言われて渋々やっていました。( 一一)

入社した頃には既に産休の制度はありましたが、制度を使おうとすると、
「よほど能力がある人なら産後に復帰してもらいたいが、
 そういう人でなければ退職してもらいたい」
って、普通に人事が暗に辞めろという感じで言っていたんですよね。
それでも制度利用を希望した人には、
「辞めないなら復帰の時、元の部署に戻さないから」って
労基に訴えたらアウトだろうってことを普通に言うような会社でした。

私が退職した平成時代の後半は、産休制度を複数回利用する女性社員も増えていて
(産休取得時、一時期欠員になるのを補充しない会社なので同じ部署の人たちが
 業務を手分けするのが大変だという話は聞いています)
労基でアウトになったらいけないからという目線で取得させているみたいで、
取得する社員や、その社員と同じ部署の社員たちのことを考えているようには見えない。

と、社会人になってから30年くらい経って環境が変化していて当然なのですが
(変化していなかったら逆に怖いし)
私が20年以上勤めた会社を辞めた原因の一つが元上司(男性)の言葉でした。

「うちは製造業だから女は出世できない」

そんな言葉です。言われたのは四半世紀前くらいなので私もまだ20代でした。
当の本人は既に言ったことさえ覚えていないと思いますが、
「製造業でも社内には様々な業務があり、それぞれの業務に適正のある人を
 選べばいいだけで、性別で分けるものではない。」
と私は反発して答えたのですが、そうやって答えるから女性は感情的でダメだ
って言われたんですよね。

その10年くらい後、女性の技術職が1人、営業職が1人、新卒で入社すると
これからは女性も男性と同じように活躍してもらう、と総合職で採用し、
いや、それはいいことだけれど、年長の女性社員達にも目を向けろよ、と
この上司の矛盾に疑問が増幅していきました。
結局、この女性社員2人は私と同じタイミングで早期退職で辞めたのですが、
2人と話す機会があって聞いてみたら、結構プレッシャーが強くて
大変だったんだなあ、って逆に気の毒に思えました。

女性を総合職で採用する、ということが元上司のような人たちには
会社として世の中の流れに合わせて前進している、
自分グッジョブ的に思っていたのかもしれませんが、
それに併せて年長女性社員達も引き上げていこうという考えがなく、
若い女性総合職にばかり期待していたことがそれがプレッシャーになる、
そんなことは微塵も考えていなかったんでしょうね。

私に女性の出世は無理といった元上司はぐんぐん出世して、
おじさん社員達は皆陰では文句や悪口を言いまくるものの、
本人の前ではイエスマンだらけ、この人たち本当に管理職?状態で、
部下に指示する時も「〇〇さん(元上司)が言ってるから」という、
自分で責任とらないんでしょ、って言い方する人ばかりでした。
まあ、サラリーマンだから自分の身が一番大事なんでしょうが、
それでよく管理職とか役員でいられるな、恥ずかしくないのかな、って
思います。(V)o¥o(V)

私には別に自分が出世したいというガツガツした気持ちとか、
守るべき家族もいないので(婆1号は経済的には自立してるので)、
元上司の言うことに疑問があれば、それは本人にとっても会社にとっても
良いことではないからと、臆することなく疑問を呈していたのですが、
自分の意見に反論する態度が感情的な女が言うことだから、
その程度しか思われていなかったみたいです。
おまけに、自分の意見に間違いなし、と、変に揺るぎない姿勢で
他人の意見に耳を傾ける気持ちがなかったんですよね。
この元上司、私の上司としての期間が結構長かったのですが、
その長さの分だけ、いやそれ以上に男尊女卑な態度が受け入れられなかった。
きっとこの人は死ぬまで態度を変えることはないだろうな、と思ったこと、
そんな環境で定年まで働くことが自分にとってよいこととは思えなかったこと、
自分の人生をずっとこんな調子で渋々過ごすことへの疑問が湧いた、
それが会社を辞める決断につながっていったんだろうな、と思います。

今の会社ではお仕事柄、コーポ―トガバナンスコードにも関わることがあって、
上場企業として多様性を重んじないといけない、ということも理解しています。
(そんな基準とか言われてやる前に、前向きに取り組まないといけないんですけど)
昨今は女性の管理職、役員の比率を上げろという動きが強くなっていますが、
先月の森さん女性蔑視発言からのオリンピック要職を女性で固める、
みたいな流れは良いのかよくないんだか、なんとも言えない気持ちになりました。

昔の勤め先も、現在女性管理職が(相変わらず)ゼロ、という中、
(過去に1人いましたが退職してしまったのでその後ずっとゼロ)
社外取締役に女性を一人いれることでコーポレートガバナンスコードは守ってます、
というアピールをしているのが開示資料でも分かるのですが、
お世話になった女性の先輩や後輩もバリバリ仕事ができても引き上げられず
一方、東証や機関投資家から突っ込まれないように社外取締役に女性を入れる、
そのやり方がなんだかセコク見えたりします。
今後女性の管理職も増やせ、と罰則付きの規定として言われたら
慌てて目につく女性社員を管理職に仕立てるんだろうなって。(笑)
なんかそういう光景が未だに目に浮かぶような会社です。

ちなみに、今の勤め先は女性の管理職はそこそいますが役員はゼロ。
今後どうするんだろうと思いますが、役員の人たちも頭が柔らか系が多いので
役員に引き上げたいと思う女性管理職について検討はしているのではないかと。

国会での女性議員を観ていると、女性を女性を!と叫ぶだけみたいに見えて、
あれじゃあなあって思います。
個人的に好きではないのが「女性ならではの」を枕につけて話す人。
他にも「女子力」とか「女性らしい」というのも好きではありません。
そうすれば、女性がんばれ!と思って投票する人もいるのでしょうが、
ヤジとか足を引っ張ることばかり言って具体的に前向きな発言をしているように
見えない女性には共感しづらいですね。

と、だらだら書いていてまとまりがなくなってきたのですが(笑)
今の時代、男性だから、とか、女性だから、とか区別するのもどうなんだろう、
そう思うことが増えました。
LGBTという考え方もあるわけで、性別に関係なく適材適所であればよいわけで、
女性だから無理、と考える元上司みたいな人もその内消えていくでしょうし、
急速に変化していくことは難しくても、私自身は社会人になってから30年くらいの
世の中の変化を見ていると確実に流れは変わっていることは感じています。

大坂なおみさんの有言実行なお姿を観ていると、感情的にならず伝えるべきことを
行動を伴って伝えることができる、年齢じゃないんだなって思いますが、
(年取ってるだけで人生の先輩的に上から目線になる人も見習ってほしい)
私もまったく規模感は違うとはいえ自分の思うことを行動として示すことも
できるのではないかな、と思うようになりました。
昔の勤め先を飛び出したことで、自分の考えを曲げない人たちから離れて
女性だからと差別されるイライラもなくなったことで精神が安定するように
なりました。
それもこれも早期退職で割増がもらえたことで自分のローンのことやら
自分の老後の人生も含めて先々の計画を立てることができたからですが、
そういう点では昔の勤務先には感謝しています。
(それ以外はいまだに思い出すとイラッとすることが多いです(笑))

完全に平等というのはおそらく不可能なのかなと思っています。
また、性別だけでなく人種や社会での階層、あらゆるところで差別が生まれ、
平等にといってもその実現には多くの困難を伴うものなのかもしれません。
男性だから、女性だから、ではなく、自分が一人の人間として何が出来るのか、
仕事でもプライベートでも、自分の存在意義を考えながら、
できることは実行に移していきたい、と思います。


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昔の日記 [いろいろ②]

以前「はじめての在宅勤務」という記事をぽつぽつ書いておりましたが、
在宅勤務期間も1年を越え、3週間くらい前から既に2年目に入っております。(笑)

長いですよねぇ、もう1年も経っちゃった。

電車通勤ライフに戻らぬまま、アフターコロナも通勤は月1度とかもっと頻度低いか、
いや四半期に1度くらい会社に行けばいいんじゃね、って感覚になっています。
勤務先の社長は歩いて会社に行けるところに住んでいるので毎日出勤していますが、
勤務先では、通勤する=仕事しているという考えではないので、
ここまで在宅勤務で持ち堪えられているということは(それなりの不便はありますが)
これまでの働き方を変えていくタイミングなんだろうと思います。

で、自宅に長時間いると、自宅が物だらけで汚いことに気づくわけです。
物が捨てられない性格ですが、最近はぷーたろーになった時、在宅勤務時、
粗大ごみや不燃ごみをガンガン捨てて現在はそれなりに長時間いても
ゲンナリするような汚さではなくなりました。
と、いろいろ捨ててもまだ物が多いんですよね、意外と。
人生もすっかり折り返しているわけで、これ以上物欲にまみれることなく、
物を減らしていくことが大事なのではないかと思うようになりました。

さすがにミニマリストほどのストイックさはないんですが。(^-^;

自分がこの世から旅立った時に、おそらく現状から考えると、
私の後始末をしてくれるというか、せざるを得ない立場にいるのは姪と甥。
彼らに私のいろんなもの(お金になるものは別です)を残して困惑させても、
と思ってまず処分することにしたのが昔の日記。

小学生の頃は仲の良い友達と(皆♀でしたけど)交換日記なんてやっていて、
あの日記はどこに行ってしまったんだろう、友達は処分してくれたかな、と
大したことは書いていないとは思いますが今読み返したら小恥ずかしい内容の
羅列なんだろうな、いや、何を書いていたんだろう、思い出せない私ですが、
ずっと引き出しに入れていた日記を処分することにしました。

大学生の途中から12年前まで書いていた日記です。

交換日記を書いていた小学生から大きくなって中学高校は日記って
書いていなかったような記憶ですが(今度家の中を探してみます)
大学生になって色々と悩み多き頃になったというかで書き始めたみたいです。

シュレッダーの機械は自宅にないので
(オフィス用だったら瞬時に粉砕できるんですけど)
ダイソーで買った300円のシュレッダーばさみを使ってじょきじょき。

最初、中は読まずにじょきじょきしようかと思ったのですが、
二度と読むことないんだし、読み返しながら捨ててもよいかと、
なぜか日付の新しい(といっても12年前)ところから読みはじめ、
読んではじょきじょき、読んではじょきじょき、のくり返し。

このはさみ、続けて切っていると結構手が疲れるので、
のんびり切ろうと思ったのも読みながらシュレッダーなら手が疲れないかなと
思ったのも理由だったりします。
(以前、クレジットカードや公共料金の請求書を大量に切ったら翌日神経痛に
 なったことがあって、溜め込みすぎた己を反省した経験によるものです)

基本的に、悩んだり怒ったり、そんなことばっかり書いてある日記、
まあ、日記にぶつけて気持ちを落ち着けたりしようとしていたんだと思いますが、
それにしても書いた本人が読み返して鬱々するくらい内容が暗い。(笑)
当時付き合っていた殿方についての悩み満載。

( 一一)

自分の書いた日記なのに読んでいてムカつくんですよ。
おめーなんでこんな鼻くそみたいなことで悩んで泣いてんだよって。

じょきじょき。

ずっとそんな弱気な自分の弱気な日記が続きながら、
時折会社の偉い人への怒り(V)o¥o(V)の羅列が続いたり。
見られたらまずいと思ったのか、イニシャルやあだ名(赤鬼とか爺とか(笑))で
書いてあって誰のことか分からないのが気になったりしましたが、

じょきじょき。

更に遡っていくと、以前ブログの記事に書いた昔のオトコが登場し、
嘘つき野郎の言うことを真に受けて悩んで泣いている自分が。。。。

こんなことで泣くんじゃないよ、ったく。(V)o¥o(V)

じょきじょき。

その合間に、脳疾患で訳の分からないことを言っては母を困らせた父の
どうにもならない(病気だから、でも許せない)事情を嘆く自分。

(;O;)

父も6年以上前に亡くなったのでこれを読むとああそういうことあったなあ、
って思い出しますが、もうちょっと父に優しくすればよかったかな、なんて
今更思ったりしました。

そして、日記を書かなくなった頃につきあっていた殿方からもらった手紙が
日記の間からわらわら出てきて、

( ノД`)シクシク…

こんな時代もあったのねぇ。。。(若かった、私。)

じょきじょき。

他には、自分の体調不良(原因は胆石)と入院、実家暮らしのときに
やたらと干渉する親への不満。

9年近く前(ロンドンオリンピックの頃なんだと今更思い出し)に会社を辞めたころは、
既に日記は書かなくなっていましたが、20代の頃から会社への不満と転職したいという
フレーズばかり書いていて、実際転職活動も中途半端なまま、
結局、会社の早期退職に応募して退職してから40代での転職にやたらと苦労して、
転々として(北の蟹工船企業とか(笑))なんとか今の会社に転職できてやっと落ち着いた
ことを考えると、もっと昔に転職していたら人生違っていたのかなあ、と思ったり。

20年ちょい前、当時書いていた旅行記(WORDにベタ打ちでA4×20枚くらい)を
同僚20名くらいの読者にそっとメール配信しては好評だったことが書いてあって、
これで何とか稼いでいけないか、なんて図々しい(笑)ことを考えていた自分がいました。
最近日記を書かなくなったのは、年齢を重ねるとともに自分に変化があったから。
細かいことに気づかなくなった、自分の基準だけが世の中の基準ではないと思える、
というか、角がとれてきて鈍化してきた自分が現在いるわけですが、
(とはいえ、ブログではいろんな人を心中ドツイテいますが(笑))
SNS多様化で利用者も減っているブログが自分の気持ちの落ち着けどころ、
そんなことが日記に向き合わなくなった理由なのかもしれません。

あとは、老眼が進んで、ペンで何か書くというのが面倒になったのもあるけど。(笑)

自分の弱いところを書きつけられる場所が日記なんだと思いますが、
姪と甥に残しても2人が困るだけだし、もう日常の日記は書かないだろうな。
(旅行は相変わらずノートかスマホにメモで残していますが)

というわけで、日記の次はスケジュール帳や手紙もじょきじょきかな、と
思いながら、自分のこれまでを少しだけ思い出せた昔の日記でありました。


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あけましておめでとうございます [いろいろ②]


あけまして.png
令和2年がなんだったか分からないままアッという間に令和3年。
みなさまはどのような年越しでしょうか。
私うつぼは、実家で婆1号と地味に年越しです。。

毎回、前の年の己を振り返っては反省しているわけですが(笑)
昨年は3月からの在宅勤務などもあってすっかり出不精になりました。
おまけに、 

あけまして②.pngもう、ぶっくぶくです。(笑)
他責にしてはいけないんですが、往復三時間の電車通勤がなくなって
ラクチンだなと思うようになったのですが、人間、楽な方には慣れるのが早く、
終業後、日が暮れていたり夏日で暑かったりすると自宅引きこもり、って感じで
外に出る機会が格段に減りました。じゃあ、家の中で運動すればよいのですが、
ぐーたらな性格で(言い訳)でダメですね。続きません。
オンラインでストレッチプログラムを観られるように会社が手配してくれたので
もうちょっと体を動かさないといけないなと痛感しております。
って、そのストレッチやったらほぐし過ぎたのか翌日もみ返し。(笑)

長生きしたいわけではありませんが、一人でちゃんと生きていくためには
もうちょっと体力つけないといけないな、と、毎年同じことを言っているような
気もしますが(笑)、

 あけまして③.png 頑張らねば。
楽しく呑んだり食べたり旅行できるのも自分の健康あってこそ。
バリバリ健康ではないものの、そこそこでも健康でいられるようにしたいものです。

今年は早くワクチンを接種して、収束・終息に向かっていくことを願うばかり。
みなさまにとっても良い年になりますように。
あけまして④.png 
よろしくお願いします。(^-^)


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カスタマーサポートセンターです [いろいろ②]

みなさんのお家には固定電話ってまだありますか?

20代後半で一人暮らしを始めたとき携帯はもっていましたが、
当時は通話代が高かったので(J-phoneのエルプランって一番安いプランでした)、
やはり固定電話をもっていないといろいろな手続きでも困るだろうと、
(今でこそ携帯電話の番号で登録とか契約締結とかできると思いますが
 四半世紀前ってそういうのは難しかったんですよね)
NTTに行って固定電話を設置したのですが、今となっては通話する機会も減り、
メールかLINE(通話もできるし)などで連絡する機会が増えたので、
固定電話をどうしようか、やめても契約時に払ったお金(確か8万円弱支払った)も
かえってこないし、だからといって毎月基本料を支払うのもなんだかバカみたいだし、
でも、生保とか、昔固定電話で登録したところ(覚えていないところもある、きっと)
の登録内容を変更するのもなあ、「面倒」を理由に現在も家に置いてある固定電話。
現在、この固定電話は集合住宅で使っているケーブルテレビ経由にしたので
基本料金はかなり安くなりました。って使っていないんだけど。
自分でかけるときは全く使わず、受電のみ。
かけてくるのは生保数社と住宅ローン関連の銀行、あとは売込み。

生保もオプションをつけましょうという売込み電話、
銀行も住宅ローンを返済されたんですから投資信託を増額しませんか?

って、固定電話で受電している内容はすべて売込み。(笑)

今年3月から在宅勤務(来年3月までとりあえず継続です)なので、
日中に固定電話がなるととりあえずとっていたのですが、
売込み電話にイラついて断るのがメンドクサクなってしばらく放置していました。
留守番電話の音声が流れるとメッセージを入れずにすぐ切る=売込み電話なので、
出る必要ないですし。

そんな私がうっかり電話が鳴ってはいはいなんですかー、と固定電話まで行って
とってしまいました。

もしもし。(絶対名乗らない私)

あ、どうもー、カスタマーサポートセンターでーす!

やたらと威勢のいいアンちゃんでした。

「何の御用ですか?( 一一)」

当然ですが、どうせ売込みだろうお前、と、すぐ切る気で返すと、

オタクのインターネット、どちらをお使いですかー?
ケーブルテレビですかー?
それともどちらかのプロバイダーですかー?


ったく、図々しい。( 一一)

すみませんけど、どちらの会社のカスタマーサポートセンターですか?
それともそういう社名なんでしょうか?
うちのインターネットがどこか聞いてどうしたいんですか?

年寄り(具体的なイメージは婆1号)を騙そうとしてんじゃないのこいつ、
と思ったら、こんな言い方で返してました。

ですから、カスタマーサポートセンターです!
集合住宅はケーブルテレビとか決まったところでインターネットを入れてますから
私は一戸建てのお宅に一軒一軒お電話して、効果的なインターネットをご提案する、
そのためにお電話してるんです!

こいつバカ?

まあ、相手のペースに乗らないように言われているんでしょうね。
こんなことで年寄り騙して成績上げて良心痛まないのかよ。(V)o¥o(V)

うちが誰の家か名前も確認しないで話してますけど、
うちが一戸建で誰の家の電話かわかってかけてますか?
うちが集合住宅だったらご提案はされないんですか?

わかってますよー!
わかってるからどちらのインターネットか聞いてるんです!

こいつ絶対バカ。

ああ、そうですか。わかってかけているんですか。
うちは集合住宅でケーブルテレビの会社でインターネットを使ってますけどね。
会社名も名乗らないでいきなりインターネットのことを聞いてきたりして、
なにか問題があったら工事とか売り込むつもりですか?

言っている途端、電話を切られました。(笑)

迷惑電話サイトなどでも同じようなケースがあるので詐欺まがいというか詐欺、
なんだと思いますが、人を騙すような頭があるなら違うこと、世の中の役に立つことに
使いなさい、ってイラっと(V)o¥o(V)してしまったカスタマーサポートセンターからの
電話でありました。
















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冷蔵庫問題 [いろいろ②]

テレビや冷蔵庫、エアコンなど、みなさんは買い替えってどうやって判断されていますか?

私はぐーたらな性格なので、基本的には、

壊れてから買い替える。

という考えなのですが、
エアコンだと壊れてから次のものが届くまで暑さに耐えないといけないし、
冷蔵庫だと冷凍食品がどろどろに溶けて、注文から配送まで時間がかかって、
その間食品を保存できないし。
(まあ、テレビはしばらく映らなくても我慢できるけど。)

というわけで、基本的に壊れてからと考えているものの、
実際は、10年+αくらいかな、とざっくり期間を決めて買い替えています。

で、今回は冷蔵庫。

20代後半で実家を飛び出たときは秋葉原のロケット電器(もうないけど)で
冷蔵庫、エアコン、炊飯器などなどをまとめて買って値引きしてもらったので、
とにかく予算以内で揃えるというのが必須、メーカーはどこでもいいです、
って感じでしたが、さすがに四十を超えたあたりでメーカーも気にしようかな、と
目の付け所がシャープでしょ、と当時まだ日本の会社だったシャープ製の
両開き冷蔵庫を買いました。

量販店に行くと目移りしてしまうので近所のスーパーの狭い家電コーナーで
選択肢が二択とか三択みたいな中で選んだのがシャープだったのですが、
買って12年、時折保冷機能が低下するみたいなことがあったりして、
そろそろ買い替えようかどうしようか、と思っていました。

記事にはしなかったのですが、長期利用者になんの恩恵もなく長年不満に思っていた
某Sバンクからauに乗り換えたのが昨年秋。
その時auでんきでまとめて支払うようにすればお得ですよと言われて素直に従って、
東京電力で使った電気代をauでまとめてお支払いに切り替えたわけですが、
「auでんき」というスマホアプリを入れておきながら
(というか入れてくれたのはauショップのお姉さん)
気づいてみてみたら毎日の家電毎の電気代がざっくり計算できる、
そんな機能がついていることに今年10月ごろ気づきました。(気づくの遅すぎ)
今使っている家電の年数などを入力すると買い替えたほうがお得ですよ、とか
アドバイスしてくれるのでシミュレーションしてもらったら、
エアコンとテレビは今のものでも電気代は最新家電と変わらないと出たものの
冷蔵庫は買い替えたほうがいいですよって結果が出ました。

在宅勤務で外食(というか外呑み)が減った分で冷蔵庫買い替えちゃうかな。
ボーナスでボンと支払う勇気はないので外呑み分を積み上げた分で買おうかと
家電量販店に行く気力はないし、近所のスーパーの家電コーナーはなくなっているし、で
手っ取り早い密林に行って探しました。




シャープ SHARP 冷蔵庫(幅60.0cm・スリムタイプ) 350L 両開き 3ドア シルバー SJ-W352F-S

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  • 出版社/メーカー: シャープ
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: Tools & Hardware

今使っている両開きと同じようなサイズのものが見つかったので迷わずポチリ。
密林が提携しているクロネコヤマトグループの会社が配送&設置してくれるというので、
在宅勤務中のメリットを使って最短配送日(注文から3日)の平日でお願いしました。
設置料金が2000円くらいなのですが、玄関渡しというのも選択できるようになっていて、
玄関から台所まで運ぶのを自分でやる人ってどのくらいるんだろうと思いつつ、
私は一番ラクチンな設置対応つき、あとは今の冷蔵庫の引き取りもつけました。

で、配達日当日。

以前の勤務先の先輩から「冷蔵庫」という件名でメールが届きました。
冷蔵庫がどうかしたのかと自分の冷蔵庫とは違うと思いながらメールを読むと、
密林でうつぼさんが買った冷蔵庫の件で、クロネコヤマトから会社に電話が入って、
(まだ始業前の朝だったので電話が転送されていたため対応したのは警備員さん)
あやうくこっち(都内)に冷蔵庫が届きそうだったみたいだけれど、
警備員さんには密林に連絡して本人の携帯に電話するように伝えておいたから!
って書いてありました。

一瞬事情が呑み込めませんでした。(;゚Д゚)

密林で注文して昔の勤務先に送ったことってあったっけ。(。´・ω・)?

自分の注文履歴を見ると配達先はちゃんと私の自宅(千葉県)になっています。
じゃあ、なんで昔の勤務先に電話がいっちゃったんだろう、って自分のアカウントの
登録内容を見たら、連絡先の電話番号が昔の勤務先(の所属していた部署)の電話番号。

(◎_◎;)

焦りました。
密林で買い物して電話がかかってくることがなかったので、
というか、配達前に電話してくるようなものは密林で買ったことがなかったので、
登録した電話番号がそんなことになっていたことにまったく気づいていなかった私です。
ATMの振込(Mほ銀行)もずっと昔の勤務先になっていたのを修正しておらず、
不備があったらまずいな、と自分の携帯番号に変更したのが今年初め。
対応が遅すぎる自分を猛省したのですが、慌てて電話番号を携帯に変更し、
密林のカスタマーサポートへ電話しました。
事情を説明して担当の方には申し訳ないことをしましたと謝ると、
電話に出た女性が「お荷物はちゃんと千葉県に向かっていますが、ご自身でドライバーに
連絡されますか?」と聞いてきたので、はいそうします、と電話番号をうかがって電話。
ドライバーの方にお詫びして在宅していますので届けてください、とお願いしました。

連絡をくれた先輩にはすみませんでした、、、とお詫びメールを入れましたが、
マジでびっくりしたと返事が返ってきました。(汗)

そんなこんなで無事冷蔵庫が届き、古い冷蔵庫を撤去した後の汚れにドン引きしながら
せっせと掃除して、新しい冷蔵庫を設置してもらいました。
設置する時、ドライバーの方が、冷蔵庫を置くところに傷と凹みを防止するシートが
あるんですけどどうします?敷いた方がよいかと思いますがと半透明のシートを見せて
くれたのでなんとなく勢いで「はい、お願いします!」と希望して、値段を聞いたら
4,170円と言われて「高いし、なんだかよくわからないその端数」と思いながらも
そのまま了承して設置してもらって、今記事を書きながら密林で調べたら、

2,480円だってー。(笑) 
次回はこれ先に買っておけばいいんだね。
って、今使っているのそのまま使えばいいのか。 えー、ボラレた、私?

という珍事に珍事が重なる事態でしたが、無事に設置された冷蔵庫、
汚してはいけないと日に何度も拭き拭きし、大事に使っております。
au電気で毎日の利用料を調べても1日あたり10円以上は安くなっているので
(わたしの場合開け閉め回数が一般的な家庭より格段に少ないし(笑))
買い替えたなりの効果はあるのかな、と思っておりますが、
密林とかネット販売系の登録情報は自分の環境の変化に合わせて確認しないと
いけないわね、という教訓とともに電気代がお得になった今回の冷蔵庫問題でありました。









タグ:珍事
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教えていただいてありがとうございますぅ [いろいろ②]

変なタイトルなのですが、
先日会社の電話(在宅勤務中なので私の会社スマホに転送中)で
こんなフレーズを聞く機会がありました。

会社のホームページに部門代表の電話を載せてあるので、
3月から在宅勤務が始まり4月に入ってさすがに電話に出ないのでもよくないだろうと、
部門で一番ペーペーに私の会社スマホに転送するようにしたのが4月半ばから。

いまの勤務先は外資ではなく日本の会社なのですが、
役職の高い人になればなるほどパフォーマンスアピールできる仕事には熱心なのに
アピールしづらくて地味なことはやりたがらない雰囲気だったりします。
総務の偉い人達もそんな感じで会社の基本的な部分(地味な仕事)には興味なく、
こういう電話の転送も会社全体でお知らせせず、転送してほしいと自発的に申請して
きた部門にのみ対応するという不親切。
さらに、在宅勤務を続けていることも対外的にお知らせしないまま8か月経過。
本社代表電話に電話をしても未だに感染拡大防止で在宅勤務を継続しているので、
直接担当部署に電話してくださいという音声が流れるのみという、
担当部署が分からないから代表にかけている人にも冷たい対応だったりします。

それで何が起きるかというと、ホームページに掲載されているお問合せ先番号に
用事のある人が電話をかけてくるわけで、転送されている私のところでも
それを受ける機会が増えています。

昔の勤務先でも売込み電話は頻繁にとって撃退していたので慣れてはいますが、
関係ない私の所属部署にまでかけてくる人が増えました。
(大体社長につなげとか図々しいことをいってくる)
頻繁にかかってくるのでさすがになんとかしてくれよと思って、
総務に改善をお願いしたものの馬耳東風で状況が変わりません。(V)o¥o(V)
(しょうもない理由を付けて善処する気がない)

そんなときに、またかかってきた営業電話。

M&Aコンサルの売込みで社長とアポイントをとりたい、と言ってきたので、
かけてきた番号は会社の代表電話ではないこと、面識があれば直接の連絡先を
ご存じでしょうからそちらに直接かけなおしてほしいこと、毎度のことながら
図々しい態度の相手(今回はオネエチャン)に答えると。

教えていただきありがとうございますぅ

連呼。


あー、イラっとする。(V)o¥o(V)

ございますぅ の  が特にイラつくんですが、
私は面識ないんですけどぉ、会社としてはお会いしたことがあるのでぇ
(そんなことないだろうと心の中で突っ込み)
確認して電話してみますぅ。

なんだか呑気な返事が返ってきました。(V)o¥o(V)

在宅勤務が続いてますからおかけいただいてもつながらないかも
しれませんけど。

どうせ他の連絡先なんて知らないだろって思いながらそういうと、

教えていただきありがとうございますぅ

ボタンで押して流れてくる音声みたいでさらにイラつきました。
こういう売込みって、目的の人にリーチしてアポとらないと評価されない、
って思うので、こんな感じだとアポもとれないだろうな、と思いながら、
これ以上優しくする必要ないしな、と思いながら、では、これで失礼します、
と電話を切ろうとすると、

色々教えていただき
 ありがとうございますぅ♪


「色々」をつけて答えてきました。(笑)

昔ほど、ごりごりに図々しい売込み電話は減りましたが、
こちらからなにか答えると「なるほどなるほど」と返事してくる人とか
(自分より若い人が使う「なるほど」は丁寧な言葉だとは思っていませんし、
 繰り返されるとお前バカにしてんのかよとイラついてしまう私)
面識ないのに社長に取り次いでもらえると思っている頭がお花畑みたいな人とか
営業電話の割にはゆるい人が多いような気がしますが、
在宅勤務で自分の業務と関係のない電話対応が増えたうえに、
こんな感じの脱力系だったりすると、
電車通勤がなくなった在宅勤務のメリットを感じる一方で、
こういう電話が増えて精神的にイラつくデメリットも感じてしまった
教えていただきありがとうございますぅ、でありました。




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2回目の入院~自宅でリハビリ編~ [いろいろ②]

退院した日、婆1号と兄は途中で買い物してお刺身やらを買いこんで、
豪勢に退院祝いを行ったのですが、
IMG_7360.JPGたこ吸盤
わたしの好物をちゃんと買ってきてくれた婆1号のやさしさに感謝です。。。
翌日は、一旦自宅に戻ってから北海道すなお水産に行って調達し、
IMG_7302.JPGかに(半分)
他にもいくらとウニを買って、
IMG_7310.JPG豪華にお祝い2回目
と、病院食にすっかり飽きていた婆1号も喜んでくれた翌週はリハビリです。
毎日行くのかと思ったら週2回と言われて拍子抜けしたのですが、
予約した時間の30分前に自分でタクシーを呼んで出かけていって、
帰りは駅までバスで戻ってきて買い物してタクシーで帰宅、の繰り返し。

私がゴールド免許保持者ながらもう四半世紀運転していない紙ドライバーで
「こういうとき、お前が運転してくれたら楽なのに」と言われましたが、
在宅勤務中だからどっちみち病院の送迎はできないよ、と答えてお茶を濁し。
その後も何度も運転できないことを残念がられたのですが、
運転も適性があって、私みたいなすぐカッとなるような人は運転しない方が
いいんだってと言い訳しました。(まあ、本当にそう思ってるんですけどね)

会社の同じ部門の人たちには母骨折~入院、手術、退院を経て暫く実家で在宅勤務、
と伝えてあったので実家で在宅勤務することは特に会社からダメと言われることは
なかったのですが、実家にインターネットがないので、会社のスマホのデザリングで
Wi-Fiを飛ばしてインターネット接続して仕事しておりました。
会社指示で在宅勤務ということなのでデザリングを使って容量上限に至り低速に、
ということもなく(容量制限を外してもらっていたので)、
サクサクとインターネットにつながる快適さに感謝です。

自宅では7時30分ごろから仕事をはじめ特に忙しくなければ17時ごろには終業、
そんなパターンだったので同じようにと思っていたのですが、
朝ごはんは7時から食べ始めて7時30分ごろから仕事が始められるものの、
掃除洗濯以外の時間はだいたい隣の部屋にいる婆1号。

テレビの音は情報番組か録画した2時間サスペンスかクラシック、クイズ番組。
テレビに突っ込み入れたりサスペンスの展開にケチつけたり、
クイズに一生懸命答えたり。。
テレビを見てないときはパズルを解きながら聞くクラシックやポップス。

生活音というのでしょうか、在宅勤務を始めたとき、周りに家族がいる人は
大変だろうなとボンヤリ思っていましたが、やっと自分も体感できました。(笑)

急にオンラインで話したり、会社の電話(私の会社スマホに転送中)にかかってきて
私がいきなり画面や電話に向かって話し始めると、テレビの音量を下げたりしてくれて
それは気を遣わせて悪かったなあ、と思いましたが、娘が一人で黙々と仕事して
会社に行かなくてもそれで成立するなんて時代も変わったなと、
婆1号、思ったらしいです。
テレビで見て言葉だけ知っていたテレワークを間近でみて実感した、感じ。

あとは、婆1号も年を取ったな、と改めて思いました。
普段電話で話しても直接顔を見るのは月に数回、そんなに老けていないと
思っていましたが、毎日見ていると、あれだけ几帳面だったのが結構ずぼら、
(といっても私よりは綺麗好きで片付け好きですが)
同じことを話しても新しいことはあまり覚えていない、そんなことは
歳をとったらそうなるだろうな、と頭の中で理解していてもいざそういうのを
毎日見ることになるとやはり寂しい気持ちになりますね。(;_;)

土日はすることがないので一緒にテレビを見たり、録画した2時間サスペンスを見たり。
観光協会タイアップの観光スポット出まくりで殺人が起きるサスペンス、
出てくる人に突っ込みいれながら見ると結構面白いですね。
坂上忍が犯人じゃないキャラ設定っておかしいんじゃないか、とか。(笑)

あとは、実家の庭の草むしりとか、枝の剪定とか、重たいごみ捨てとか、
こんなこと一人でよくやってたな、感心するばかり。

途中、飲み会があったり、自宅の郵便物も気になったり、で週に2日くらいは帰宅して
婆1号も一人でゆったりしていましたが、2週間経ったところで、
私は夏休みでGoTo(今年中には記事アップします(笑))で1週間旅して不在。
その間、兄がちょくちょく様子を見に行ってくれました。

旅行から戻ってきて再び実家、週2回のリハビリを続ける婆1号、
退院後3週目に白ぽっちゃり先生の診察を受けたのですが、
その時、(私が術後すぐ見せられた)レントゲン写真を見せられて、
こんなにプレートとかクリップとか入ってますから力を入れたりするのは
もうちょっと我慢してくださいね、と言われたらしく、
自分の肘に大量のプレートとクリップが入っているのを見せられて
怖くなったらしいです。
白ぽっちゃり先生が手術翌日に説明するといっていたのでその時にレントゲンも
見せたと思っていたら未だだったのを知った私ですが、
事の大きさと白ぽっちゃり先生の頑張りを知った婆1号は先生の言うことは
ちゃんと守らないとと気持ちが引き締まったみたいです。

そんな婆1号に力入れないでね、とか、薬ちゃんとのんだ?とか聞く私に
実家滞在4週目くらいから婆1号もイライラしてきたみたいで、
毎日1回くらいは互いが切れる、みたいなことが常態化してきて、
婆1号のストレスになるならもうちょっとしたら私もそろそろお役御免かな、と
思っていた5週目、術後8週間経ったところで白ぽっちゃり先生の診察。
この日はCTをとってから診察だたったのですが、骨もうまくくっついて
力を入れるような作業(極端なものは当然NG)はOK、車の運転もいいですよ、と
先生のお墨付きをいただきました。

婆1号の嬉しそうな姿を見ると、痛いのを我慢してよく頑張ったな、と
私も心中泣いておりました。(さすがに面と向かって泣けない)

で、車を運転するならまずは団地内で軽く運転して練習してね、というと、
お前なんて運転できないくせにと鼻で笑ってきた婆1号。
私が用事があって自宅に帰っている間に、そっと練習していたようです。(笑)

退院後7週目、週初めのリハビリに自分で運転して行ってくると、
嬉しそうに出かけた婆1号の姿に大丈夫かな、とホッとしたのですが、
(とはいえ、帰ってくるのが遅くて心配したら逆に怒られた私)
その翌日、平日ながら週の途中で夕食後に自宅に帰る私に、
今までありがとうね、と言ってくれた婆1号。
父が嫌いで父が病気になってもろくに実家に寄り付かず、
父が亡くなったあとも月に1度くらいしか実家に帰らず、
家のことは殆ど何も手伝わずただ食事しに帰ってくるような私でしたが、
今回の件で婆1号とたくさん話が出来たこと、本人が望む限り実家での生活を
させたいけれど老後についてもうちょっと考えないといけないこと、
兄とも久しぶりに話したりお酒を飲んだりできたこと、
実家で在宅勤務しながら過ごせたのも会社の在宅勤務指示が延長されたお陰で
有休や介護休暇を使わず済んだこと、
骨を折って痛みを我慢して頑張ってリハビリした婆1号には申し訳ないというか
感謝というか、ですが、不幸中の幸いであったかと思えばこそ、
もうちょっと婆1号との時間を大切に過ごしていきたいと思わせてくれた、
2回目の入院でありました。


(まとまりないんですが、これにてひとまず終わり)



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2回目の入院~術後編~ [いろいろ②]

無事手術が終わってほっとした私、なんとか電車に間に合って自宅に帰り、
ホッとした勢いで少し飲んでから爆睡した翌朝、兄からLINE。
いくらメールしても反応ないし、電話にも出ないんだけれど大丈夫なのか?
心配で心配で泣きそうな文面だったので、まだ回復室にいるんじゃないの?
病室の金庫に携帯入ってるから、病室に戻って落ち着いたら連絡あると思うけど。
と答えると少しホッとしていました。
婆1号が大好きな兄なので(^-^;居ても立っても居られない、みたいな
状態でしたが、他人が先にこういう状態になると私はしっかりできるものです。

で、お昼ごろ、婆1号からメール。

やっと一人でトイレに行けました。
心配ないよ、ありがとう。

(´;ω;`)

導尿管外れてパンツ穿けたんだ。ホッとしてウルル。

白ぽっちゃり先生から説明を聞いているかもしれないけれど、
1週間くらいは患部を固定しないといけないから、
厚手のギブスみたいなものを巻くけれど、外して少し痺れが続いても
長時間正座して立ち上がったときと同じでその内なおりますって言ってたから
ギブス外れたら頑張り過ぎないでリハビリ頑張らないとね。

と返事しました。

あとは、親戚(婆1号の妹ほか)には簡単に報告しておいたから、と伝えました。
(婆1号本人もその後、兄、兄嫁、妹にメールで連絡したらしい)

この翌日、婆1号の洗濯物(手術時に使ったタオル類など)を受け取りに
病院に行きましたが、コロナウィルス感染拡大防止を理由に家族の面会も禁止に
なってしまったので、ナースステーションで看護師さんに用件を伝えて
洗濯物を受け取るのみ、婆1号にはもうしばらく会えないんだなあ、と
すぐそばの病室にいるのに会えない残念感を引きずりながら実家に帰って
窓を開けて風を通して(古い家なのでやはり空気がこもっているとどこか匂う)
洗濯して庭に水やり(滅多にいかないのであまり意味なし)したり、、で1週間。

抜糸の日だったのですが、婆1号から電話あり、
「一部まだ傷がちゃんと固まっていないから抜糸できないって言われて
 全部は抜糸してもらえなかった」
残念そうな声で言われました。

高齢で傷の治りが悪いのかとその時は思ったのですが、
あとから傷口を見て肘にウネウネと縫われた長い傷を見ると、
こんなごつごつしたところを縫うのも大変だし、そこの傷口が治るのも
時間がかかるんだろうな、と納得しました。
(私のへそ下5針の傷とは全く違う万里の長城みたいな傷口を見てびっくり)

一部しか抜糸できなかった翌日(週末)、婆1号がテレビに飽きただろうと
家で楽しんでいるパズル(クロスワードとかナンプレとかお絵かきロジック)を
洗濯物と一緒に看護師さんに届けて、駅に行くバスがすぐ来たので乗ったら
婆1号からメールあり。

「食堂で待ってて、お水買いにいくからそこで会えるでしょ」って。

面会禁止だから会えないだろうとさっさとバスに乗ったらそんなメールが来て
婆1号も不安だったのにそんな気持ちも察することなくバスに乗ってしまい、
申し訳ない気持ちになりました。

その日、濃厚接触者の疑いも晴れて瓢箪から駒で入れた個室から大部屋へ移動。
術後2週間でやっとすべて抜糸。
持って行ったパズルも右手でボールペンを持てるようなってきて、
へたくそながら字も書けるようになって、今日は1ページできたよ、と
メールがあったり、と、少しずつですが回復してきているのを感じました。

と、抜糸して安心した翌日(週末)、頼まれた爪切りをもって、
洗濯物の受取&届で病院に向かう途中、婆1号から電話あり。
白ぽっちゃり先生がレントゲンを撮ってみたら患部がちゃんと治っていないのが
分かったからもう一度ギプスしますっていってギプスされちゃって
また腕が動かせないのよ、って。( 一一)
場合によってはもう一度手術するかもしれないって言われたらしく、
ギプスをするとペンが持ちにくいのでパズルもできないし、
不便でしょうがないよ、と残念そうな声の婆1号。

( ゚Д゚)

そんなことあるんですね。喜んだのもつかの間みたいなこと。
これは食堂で何とかあって直接話をして励ましたいな、と思って、
いつものように1階の総合受付で用件を伝えて病室フロアに行って
ナースステーションで洗濯物を渡した後、食堂に移動して待っていると婆1号登場。
頼まれていた爪切りを出してはい、爪切るから手を出して、というと、
自分で売店に行って爪切り買って切っちゃったというので手を見ると、

あれ、ギプスがない?(。´・ω・)?

移動中に電話くれてギプスまたつけられたって言ってたよね?と聞くと、
電話を切った後、ギプスをはめる前に検査したCTの結果が出て、
それで観たらちゃんと患部が治ってる!って白ぽっちゃり先生が婆1号のところに
やってきて嬉しそうに報告して、こんな縁起悪いギプスは私が捨ててきますから!
と外してどこかにもっていって捨てたみたいよ、と婆1号も嬉しそうでした。

白ぽっちゃり先生にしてみればちゃんと処置したはずなのに、
レントンゲンを見てショックだったのでしょうね、
婆1号が落ち込む前に先生が落ち込んでいるみたいで
なんだか可哀想だったけれど、ダメならもう一度手術してもらうしかないし、
でも、CTで大丈夫ってわかって本当によかったよ、先生も。と婆1号。
自分のことながら白ぽっちゃり先生を心配する婆1号も面白いな、と思いながら、
とりあえずこれで退院できるかな、とホッとしました。

IMG_7170.JPG 病院の外にある大きな木
日曜日に病院にくると救急の受付から入るので、
帰りにこの木を見ながら帰ったのですが、退院も近づいてきたので
この木をみるのも最後になるのだろうな、と思って思わず撮影。(^-^;

その後、毎日のメールのやりとりで、大部屋も窓側になったので外の景色が見られること、
同室のおばあちゃんがボケててナースコールを頻繁に押すのにイラつくこと、
右手が少しずつ上げられるるようになってきたけれど口元までは届かないので
相変わらず左手で食べていること、日々の様子を伝えてくれたのでさほどの
心配はしていませんでしたが、最初は美味しいと言っていた病院食が
美味しくないから早く自宅に戻って美味しい食事がしたい、と言い出したので
だいぶ元気が出てきたのかな(笑)と思うようになりました。

その後、リハビリを受ける患者の病棟に引っ越して毎日リハビリ、
そして、術後3週間が経ったころ、退院のお許しが出ました。

兄が迎えに行ったので私はその日は夕方仕事を終えてから実家に行きましたが、
退院後5週間(術後8週間)は重たいものを持ったり強い力で引っ張ったりしては
行けないって言われたから気を付けないとね、と退院できてうれしそうな婆1号。

退院したら後は大丈夫、と言われたのですが、さすがに高齢で怪我治りかけの婆1号を
一人で過ごさせるのは不安なので、しばらくの間、実家で過ごして平日は在宅勤務、
とすることにしました。

婆1号は、大丈夫よー、自分で何でもできるからー、というのですが、
病院と違って自宅は広いし段差もあるし、リスクがいっぱい。
本人の前向きな気持ちに回復が追い付いていませんし、
兄と説得して主に私、時々兄、が実家に泊まって婆1号と過ごすことにしました。

(つづく)



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2回目の入院~手術編②~ [いろいろ②]

予定時間をはるかに過ぎた7時間後、夜勤担当の看護師さんに尋ねたら、
婆1号の手術が順調に進んでいるのを聞いてホッとしてお腹が急に空いたので、
1階の売店横に設置されている冷凍食品の自販機に行きました。

IMG_7143.JPGニチレイ
大きな病院で見かけるような気がしますが需要が大きい、、、としても、
から揚げとかフライドポテトとか、入院している人には
食べちゃまずいんじゃないのかな的なメニューが多い気がしています。
IMG_7144.JPG台湾飯なんてのもありました
ルーローハンみたいなでもひき肉みたいな、台湾飯、
チャレンジしようかと思ったのですが微妙かもしれないとパスして、
IMG_7148.JPGたこ焼き
これなら失敗はないだろうと思って選んだのですが、
IMG_7149.JPGあれ
ソースをつける関係なのか、開けたらさかさまに入っていました。

粉ばっかり。(;_;)

ほんの気持ちです、程度のちっちゃいタコ、を口の中で探しながら、
もったりした粉ばかりのタコ焼きをいただきました。
ま、空腹なんでとりあえずお腹がちょっとたまっただけでもありがたいです。

婆1号はまだ麻酔して手術中、がんばっているのですから
粉ばっかりとか文句言っちゃいけませんね。

とはいえ、こんな時はビールで流したいと思っても病院ですから
ビールが飲めるわけもなく、ビール飲みたいよー、と友人にLINEしながら
待つこと更に1時間半。

病院から駅に向かうバスもなくなったし、タクシーで帰るかな、
実家は一人じゃ怖いからなんとか電車で自宅に戻りたいんだけど、
Yahoo!路線で帰る時間を何度も検索していたら。

すっかり暗く静かになった22時過ぎの廊下、
遠くからゴロゴロ、、、、みたいな音がしたと思ったら、
婆1号ののったストレッチャーが目の前を通過しました。

ストレッチャーを押していたのは婆1号のことを尋ねた夜勤担当の看護師さんと
白ぽっちゃり先生でした。

執刀医自らがストレッチャーを押してる。。。。。

執刀医とというか、外科医というか、手術室で真剣な目つきでいる、
そんなイメージをもったのはT宮J郎さん(Mr.タイムショック)ですが、
現実、そんな先生ってどのくらいいるんでしょうね。

私の胆石のときの主治医(執刀医)も、当時のブログ記事を読み返すと、

白衣の代わりにチェックのシャツ&だぶだぶジーンズを履いて紙袋を持っていたら、、、
「アキバ系のオタク」って感じに見えなくもなーい。。。。

こんな風に表現していました。失礼千万だな、私。(反省)

婆1号が戻ってきたら急に洗手間に行きたくなり、急いで行って戻ってくると、
白ぽっちゃり先生が、あ、こちらに来てもらっていいですか、と
ナースステーションの入口から手招きしてきたので
はい、すみません、とダッシュで移動。といっても10mくらの距離です。

中に入って椅子に座って先生とお話。

骨の折れ方がかなり複雑で処置に時間がかかってしまいご心配をおかけしたこと、
骨にプレートを何枚かあててつないであるので時間とともに機能回復は可能、
ただし、1か月くらいは力のある作業は避けないと、折角くっつけたものがまた
ハズレてしまうので注意してほしいこと、などなど手術の説明と今後の注意について
丁寧に説明いただきました。

併せて見せてもらった術後の婆1号の右肘のレントゲンを見せてもらうと、
細長いプレートが3枚とクリップみたいなものがたくさん写っていました。
これはそのまま体内に入っていても大丈夫ですよ、と説明され、
私も胆管にチタンクリップ入ってるからそれと同じかしらね、なんて思いながら
現代の医療の進化に驚くのでありました。

お母さんはまだ麻酔から覚め切っていないので、明日説明しますからね、と
白ぽっちゃり先生が言ってくれたので、長時間ありがとうございました、と
90度お辞儀でお礼を申し上げた後は、看護師さんに案内されて婆1号のところへ。

回復室というのでしょうか、術後一晩過ごすお部屋みたいで、
酸素マスクをつけながら半分くらい目を開けてこちらを見ている婆1号の
弱弱しい姿(麻酔が覚め切っていないので余計そう見える)にウルウルしながら、
頑張ったね、9時間近く先生も頑張ってくれたし、お母さんも頑張りました、と
言いながら私うつぼ泣いておりました。

何か言いたそうにしているのに言葉が出ない婆1号を見ていてウルウルしたのですが、
そのあと、ふと思い出したのは自分の術後。

麻酔から覚め切らない状態で、自分の石が何個あったとか、胆のうは?とか聞いた後、
パンツ3枚しかもってきていない、と言って婆1号を唖然とさせたのですが、
もうろうとする婆1号を見ながら、私もこんな状態だったらパンツ3枚とか
言っても仕方ないんじゃないかな、と20年も前の話を今更ながら思い出し、
自分のアホみたいな発言を正当化できるような気がしました。。。(笑)

今回の主役は婆1号なのですが、つい自分の方に話をもっていてしまい反省。(^-^;

看護師さんが、おつかれさまでした、と言ってくれたので、
どうもありがとうございましたとお礼を伝えて、婆1号にもおやすみね、と
言ってから、兄に手術が終わったと報告、タクシーで最寄り駅まで移動して、
なんとか自宅に帰れる時間の電車に乗れたので午前様で帰宅し、
ビールを飲んでからホッとして爆睡しました。。。

手術は無事終わりましたが、あとは本人の快復ですね。


(つづく)





















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2回目の入院~手術編①~ [いろいろ②]

入院してちょうど1週間、手術日当日となりました。

付き添いというか身内というか手術日にくる場合は、
開始予定時刻の2時間前にきてください、と言われていたのですが、
婆1号の場合、主治医の白ぽっちゃり先生の予定がはっきりせず
(午前中に緊急患者がきたりする可能性もあるので)
とりあえず10時にきてくださいと看護師さんに言われたので、
真面目に9時30分には病院に到着していました。

1階の総合受付で本日婆1号手術のため付添で参りましたと伝えて
面会証を受け取り整形外科のフロアに移動して
ナースセンターで同じことを伝えて食堂で待機。
近くの病室にいる婆1号とはメールでやり取りするという、
手術の時間までは会えないのがどこかもどかしいな、と思いながら
有休をとっていたのですがこの日は3か月に1度忙しいタイミング、
同じ部門の人には大丈夫、心配しないでと言われていたものの、
そりゃ気になるわけなので電源のとれるテーブルを確保してからは
PCの電源を入れてお仕事しておりました。

あ、いまの会社はそんなにブラックじゃありません。
超ブラックだったのは以前1年だけ在籍した北の蟹工船企業。(笑)

と、婆1号から「13:15から手術だって言われたよ」とメールあり、
その前に1階の売店で買ってきたパンやらを食べて待機。
13時10分ごろ、看護師さんに連れられた婆1号が点滴棒を引きながら
食堂前に登場しました。

あれ、ストレッチャーに乗ってないんだ?

私のときもストレッチャーに乗らないんですか?と看護師さんに聞いて、
うつぼさん、目の前に手術室あるでしょって笑われたのですが、
今回の婆1号の場合は病棟の1つしたの階が手術室。
自分で歩ける人はストレッチャーに乗らなくても移動できるからなのかな。
長いパジャマのような手術着?を着た婆1号は足の浮腫み防止のため
医療用の着圧ソックスを履いていましが、白いハイソックスなので
お婆さんがハイソックス姿ってちょっと笑える、、、心中笑ったのはナイショです。
一緒にエレベータで降りて手術室に行って、中に消えていく姿を見たら、
不覚にもウルっとしてしまったのですが、婆1号は「行ってくるねー!」
明るく笑いながら手を振って消えていきました。。。

予定では3時間くらい。長くて5時間くらいでしょうかね。

と、時間の目安を看護師さんに言われていたので、
食堂に戻って仕事しながら3時間経過。

長引いているのかな?

そんな気持ちで仕事を続けていたのですが、17時過ぎにはすることもなくなり、
PCでネットサーフィン(会社のPCなんで私用で使うのはよくないんですが(^-^;)、
しながらまだかなまだかな、、、と待ち続けておりました。

日中混んでいた食堂も、退院する人のお迎えや、テレビを見に来た患者さん、
自販機のお水を買いにきて難儀する足を怪我された患者さんを手伝ったり、
なんとなく人の入れ替わりもあって賑やかだったのですが、18時を過ぎると
やってくる家族の方もいないし、患者さんは夕食の時間なので
私だけが一人ぽつんと座る食堂、、、超寂しい状態となりました。

5時間経過。。。(^-^;


6時間経過。。。( 一一)


7時間経過。。。(;_;)


どうしたのかな、なにかあったのかな、麻酔で問題あったとか、
手術中になにか問題発船したんじゃないかしら?

食堂以外のエリアが暗くなり、一人で座っていたので尚更ですが、
超不安な気持ちが渦巻きました。

もっと婆1号に優しくすればよかった。。

もっと婆1号と話をすればよかった。

もっと婆1号の気持ちになってあげればよかった。

(´;ω;`)ウゥゥ

暗い病院の食堂でウルルとぐずっている五十路のおばさん(私)がおりました。

と、出張で病院に来られない兄から「まだ終わらないの?」とLINEが。

まだ終わらないけれどナースセンターに聞いてくる。と返事をして、
ナースセンターに行って聞いてみると、
「まだ手術中ですが、中のことは分からないのでお待ちいただけますか?」

忙しい看護師さんに聞いて悪かったな、と思いつつも、
「長くて5時間と言われてもう7時間以上経っているので、何かあったら、と
 心配になったんですが、すみません。
 食堂で待っていますので何かあったらお声かけください。」
とお願いして食堂に戻りました。

ナースセンターに行って30分くらい経ったところでさきほどの看護師さんが
食堂にやってきました。

「お母さまですが、まだ手術中で特に問題ということではなくて、
 骨折された箇所が複雑で処置に時間がかかっているとのことです。
 ご心配されているのにさきほどきちんとご説明できず失礼しました。
 あ、お食事はされていますか?お腹空いているんじゃないですか?
 1階の売店は閉まっていますけれど近くにパンの自販機もありますから
 なにかお腹に入れてくださいね。ここで一人で待つのが大変でしたら
 和室もご用意しますから仰ってくださいね。」

(´;ω;`)

こんなときに優しい言葉をかけられるとダメですね。
うるうるしてしまいました。

「ご確認いただいてありがとうございます。
 1階に冷凍食品の自販機もありましたのでそこで買ってきて食べます。
 和室はご用意いただくとごろごろしているうちに爆睡しそうですから
 ここで待たせていただきます。」 

と答えると、

「大丈夫ですよ、ちゃんと叩き起こしますから!」

看護師さん、笑って答えてくれました。

看護師さんのご説明でちょっとほっとしたらお腹が空いてきました。。。


(長くなってまいりましたので、つづく)






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