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映画「アタック・ザ・ブロック」を観る [映画(あ行)]

ニック・フロスト出演作品というだけで借りました。

アタック・ザ・ブロック [DVD]

アタック・ザ・ブロック [DVD]

  • 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
  • メディア: DVD
あらすじはYahoo!映画さんより。

南ロンドンの公共団地で、不良少年たちが看護師のサム(ジョディ・ウィッテカー)を
恐喝していたところ、突如、いん石の落下とともにエイリアンが出現。
リーダー格のモーゼズ(ジョン・ボイエガ)らは、エイリアンを殺してしまう。
すると、さらに凶暴なエイリアンが次々と飛来。団地を襲撃するエイリアンに、
モーゼズは反撃を決意する。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


怖くも面白くもないんですけどー。

ニックフロストが出ていると笑えるだろうという高い期待があるのですが、
自分で上げた高い期待値を見事に裏切る笑いの少なさに逆に(笑)。

ブロックって団地のことらしいのですが、
低所得者層の住む団地をエイリアンが襲うという設定はまあ面白いかと思いつつ、
最初に不良少年たちが団地に住む看護師を襲って金品を奪う、
うわー、こんな話だったのかよ、とがっかりしたら、
さらに不良少年が悪事。(若いからというのは理由にならないと思ってます)

不良少年の悪事と態度の悪さにすっかり不快になったところで
エイリアンが登場する、そこで不良少年たちがエイリアンに立ち向かって、
実はいい子たちだった、という演出なんだと思います。

ただ、

エイリアンがゴリラに見えるから!(笑)

もう途中からコメディでないそんなところで笑ってしまい、
ミジンコも怖くないじゃん、とホラー映画を避けている私でさえもが
笑いに包まれながらゴリラそっくりのエイリアンと必死に戦う不良少年、
頑張れと少年たちを応援する団地住民たち。

エイリアンに立ち向かう姿を見ていると冒頭の不快な不良行動も少しは
マイルドになってくるのですが、如何せんエイリアンがおかしすぎて、
おまけに最高級レベル粘度のねばねばスライムみたいなものが襲ってきて、
さらに、ニックフロスト(薬物栽培して販売している悪い人)の設定が
面白くなかったりする残念感(一番期待していた人の役柄が面白くない不運)、
意外と次々と少年たちがエイリアンに殺されていくのは驚きましたが
主人公(モーゼスという名前の不良グループリーダー)は最後まで生き残るお約束、
そして、看護師以外が逮捕されるものの、看護師が彼ら(不良少年)は悪くない、
と発言するので不良少年たちも軽い罪で解放されるのかな、と思ったところで
映画は終了します。

実際に、ジョー・コーニッシュ監督が少年の強盗にあった自身の経験をもとに
今作を作ったというのですが、少年たちのおかれた環境も多分に影響していると
言いたいのか、こういう若い人たちに対しても救いとか許しみたいなものを
与えたいと思ったのか、監督優しいね、と思いつつ、やはりエイリアンがゴリラ、
にしか見えなかったなあという印象が色濃く残ってしまった、
「アタック・ザ・ブロック」でありました。



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水天宮前「一久」で焼き鳥 [呑んだり食べたり(焼き鳥/もつ焼き)]

旅行記やら婆1号の入院話をアップしていたら飲み記事が少しだけ溜まってきましたので
アップします。(^-^)

今回は9月初旬に訪れた水天宮前の一久さん。
以前も落語会の帰りに寄ったのですが、今回も落語会で大笑いした後にお邪魔しました。

IMG_7339.JPG


(食べログ)https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13048583/

IMG_7340.JPGまずはビールで乾杯♪

IMG_7341.JPG健康的にキャベツ
生野菜が以前はそんなに得意ではなくてキャベツも加熱したほうが好きでしたが、
最近はこういう大きなキャベツをかじりながら飲むと自分に言い訳できるような、
そんな心持です。(笑)
IMG_7342.JPGたれは2種
マヨネーズは何につけても美味しいので最強だと思いますが、
カロリーが低そうな(^-^;しょうゆベースのたれにつけていただきました。
IMG_7343.JPG茹で立て枝豆
すぐ出てくる冷凍枝豆も決して嫌いではありませんが、
茹で立てで枝豆の香りがぷんぷんする方がやっぱり好きですね。

で、今回は串焼き8本にご飯がつくコースをいただきました。
IMG_7344.JPG
秋は銀杏、青いのを観ると秋なんだなあとしみじみ感じます。
IMG_7345.JPG
ささみに山葵。ツンと鼻にくる山葵と柔らかくてたんぱくな身が合います。
IMG_7346.JPG
もも。皮目がパリッとして身は噛むとじゅわ―な食感。
IMG_7347.JPGお酒 おすすめ3種
私は豊盃を注文。
IMG_7348.JPG
つくねはあまり自分から注文しませんが、丸くてホワッとして美味でした。IMG_7349.JPG
レバーはねっとりしっとり、日本酒によく合います。
IMG_7350.JPG熱々トマト
口の中で熱々トマト汁がハジケルので要注意。
IMG_7351.JPG次は何をお願いしたんだっけ(もう失念)IMG_7352.JPGはつIMG_7353.JPG
ボリューム満点の手羽先に続いて
IMG_7354.JPG万願寺
IMG_7355.JPGえっと。(銘柄失念)

串8本でかなりおなかいっぱいのところに、
IMG_7356.JPGごはん
いつもなら炭水化物スキップですが、とうもろこしごはん、めちゃウマで感激。
IMG_7357.JPGおしんこでさっぱりIMG_7358.JPG鳥スープ
鳥のうまみたっぷりでこれまた感激の味でした。
IMG_7359.JPGデザート ライチだっけこれ
落語会終わりからの呑みなので短時間で勢いつけて飲んで食べましたが、
お店の方の丁寧な仕事ぶりと対応にゆったりとした気持ちで過ごせました。

都内はまだ22時閉店というルールの頃で閉店間際ですみません、というと、
いえいえ、いいんですよ、と嫌な顔をされずにホッとしたのですが、
お店の方のお話では、9月に入って予約が増えたものの、8人の予約を、と言われると、
はさすがにどうだろうとお断りしているそうで、確かに、私も2人とか3人で食事する程度で
あまり大勢はなあ、と思っているので、自分が2人で来ていて近くに8人のグループが
酔いとともに大声で騒いでいたら居心地悪くてそのお店にはしばらく行かないだろうな、
って思うし、そういう点ではお店側のお客さんをたくさん入れて儲けるという気持ちより、
安全にお客さんに過ごしてほしいという気持ちが強いのを感じて嬉しい気持ちになりました。

現在は都の要請も解除されて営業時間が遅くまでになったと思いますので、
次回はもうちょっとゆっくり食べて飲みたいと思った一久さんでありました。



タグ:水天宮前
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2回目の入院~自宅でリハビリ編~ [いろいろ②]

退院した日、婆1号と兄は途中で買い物してお刺身やらを買いこんで、
豪勢に退院祝いを行ったのですが、
IMG_7360.JPGたこ吸盤
わたしの好物をちゃんと買ってきてくれた婆1号のやさしさに感謝です。。。
翌日は、一旦自宅に戻ってから北海道すなお水産に行って調達し、
IMG_7302.JPGかに(半分)
他にもいくらとウニを買って、
IMG_7310.JPG豪華にお祝い2回目
と、病院食にすっかり飽きていた婆1号も喜んでくれた翌週はリハビリです。
毎日行くのかと思ったら週2回と言われて拍子抜けしたのですが、
予約した時間の30分前に自分でタクシーを呼んで出かけていって、
帰りは駅までバスで戻ってきて買い物してタクシーで帰宅、の繰り返し。

私がゴールド免許保持者ながらもう四半世紀運転していない紙ドライバーで
「こういうとき、お前が運転してくれたら楽なのに」と言われましたが、
在宅勤務中だからどっちみち病院の送迎はできないよ、と答えてお茶を濁し。
その後も何度も運転できないことを残念がられたのですが、
運転も適性があって、私みたいなすぐカッとなるような人は運転しない方が
いいんだってと言い訳しました。(まあ、本当にそう思ってるんですけどね)

会社の同じ部門の人たちには母骨折~入院、手術、退院を経て暫く実家で在宅勤務、
と伝えてあったので実家で在宅勤務することは特に会社からダメと言われることは
なかったのですが、実家にインターネットがないので、会社のスマホのデザリングで
Wi-Fiを飛ばしてインターネット接続して仕事しておりました。
会社指示で在宅勤務ということなのでデザリングを使って容量上限に至り低速に、
ということもなく(容量制限を外してもらっていたので)、
サクサクとインターネットにつながる快適さに感謝です。

自宅では7時30分ごろから仕事をはじめ特に忙しくなければ17時ごろには終業、
そんなパターンだったので同じようにと思っていたのですが、
朝ごはんは7時から食べ始めて7時30分ごろから仕事が始められるものの、
掃除洗濯以外の時間はだいたい隣の部屋にいる婆1号。

テレビの音は情報番組か録画した2時間サスペンスかクラシック、クイズ番組。
テレビに突っ込み入れたりサスペンスの展開にケチつけたり、
クイズに一生懸命答えたり。。
テレビを見てないときはパズルを解きながら聞くクラシックやポップス。

生活音というのでしょうか、在宅勤務を始めたとき、周りに家族がいる人は
大変だろうなとボンヤリ思っていましたが、やっと自分も体感できました。(笑)

急にオンラインで話したり、会社の電話(私の会社スマホに転送中)にかかってきて
私がいきなり画面や電話に向かって話し始めると、テレビの音量を下げたりしてくれて
それは気を遣わせて悪かったなあ、と思いましたが、娘が一人で黙々と仕事して
会社に行かなくてもそれで成立するなんて時代も変わったなと、
婆1号、思ったらしいです。
テレビで見て言葉だけ知っていたテレワークを間近でみて実感した、感じ。

あとは、婆1号も年を取ったな、と改めて思いました。
普段電話で話しても直接顔を見るのは月に数回、そんなに老けていないと
思っていましたが、毎日見ていると、あれだけ几帳面だったのが結構ずぼら、
(といっても私よりは綺麗好きで片付け好きですが)
同じことを話しても新しいことはあまり覚えていない、そんなことは
歳をとったらそうなるだろうな、と頭の中で理解していてもいざそういうのを
毎日見ることになるとやはり寂しい気持ちになりますね。(;_;)

土日はすることがないので一緒にテレビを見たり、録画した2時間サスペンスを見たり。
観光協会タイアップの観光スポット出まくりで殺人が起きるサスペンス、
出てくる人に突っ込みいれながら見ると結構面白いですね。
坂上忍が犯人じゃないキャラ設定っておかしいんじゃないか、とか。(笑)

あとは、実家の庭の草むしりとか、枝の剪定とか、重たいごみ捨てとか、
こんなこと一人でよくやってたな、感心するばかり。

途中、飲み会があったり、自宅の郵便物も気になったり、で週に2日くらいは帰宅して
婆1号も一人でゆったりしていましたが、2週間経ったところで、
私は夏休みでGoTo(今年中には記事アップします(笑))で1週間旅して不在。
その間、兄がちょくちょく様子を見に行ってくれました。

旅行から戻ってきて再び実家、週2回のリハビリを続ける婆1号、
退院後3週目に白ぽっちゃり先生の診察を受けたのですが、
その時、(私が術後すぐ見せられた)レントゲン写真を見せられて、
こんなにプレートとかクリップとか入ってますから力を入れたりするのは
もうちょっと我慢してくださいね、と言われたらしく、
自分の肘に大量のプレートとクリップが入っているのを見せられて
怖くなったらしいです。
白ぽっちゃり先生が手術翌日に説明するといっていたのでその時にレントゲンも
見せたと思っていたら未だだったのを知った私ですが、
事の大きさと白ぽっちゃり先生の頑張りを知った婆1号は先生の言うことは
ちゃんと守らないとと気持ちが引き締まったみたいです。

そんな婆1号に力入れないでね、とか、薬ちゃんとのんだ?とか聞く私に
実家滞在4週目くらいから婆1号もイライラしてきたみたいで、
毎日1回くらいは互いが切れる、みたいなことが常態化してきて、
婆1号のストレスになるならもうちょっとしたら私もそろそろお役御免かな、と
思っていた5週目、術後8週間経ったところで白ぽっちゃり先生の診察。
この日はCTをとってから診察だたったのですが、骨もうまくくっついて
力を入れるような作業(極端なものは当然NG)はOK、車の運転もいいですよ、と
先生のお墨付きをいただきました。

婆1号の嬉しそうな姿を見ると、痛いのを我慢してよく頑張ったな、と
私も心中泣いておりました。(さすがに面と向かって泣けない)

で、車を運転するならまずは団地内で軽く運転して練習してね、というと、
お前なんて運転できないくせにと鼻で笑ってきた婆1号。
私が用事があって自宅に帰っている間に、そっと練習していたようです。(笑)

退院後7週目、週初めのリハビリに自分で運転して行ってくると、
嬉しそうに出かけた婆1号の姿に大丈夫かな、とホッとしたのですが、
(とはいえ、帰ってくるのが遅くて心配したら逆に怒られた私)
その翌日、平日ながら週の途中で夕食後に自宅に帰る私に、
今までありがとうね、と言ってくれた婆1号。
父が嫌いで父が病気になってもろくに実家に寄り付かず、
父が亡くなったあとも月に1度くらいしか実家に帰らず、
家のことは殆ど何も手伝わずただ食事しに帰ってくるような私でしたが、
今回の件で婆1号とたくさん話が出来たこと、本人が望む限り実家での生活を
させたいけれど老後についてもうちょっと考えないといけないこと、
兄とも久しぶりに話したりお酒を飲んだりできたこと、
実家で在宅勤務しながら過ごせたのも会社の在宅勤務指示が延長されたお陰で
有休や介護休暇を使わず済んだこと、
骨を折って痛みを我慢して頑張ってリハビリした婆1号には申し訳ないというか
感謝というか、ですが、不幸中の幸いであったかと思えばこそ、
もうちょっと婆1号との時間を大切に過ごしていきたいと思わせてくれた、
2回目の入院でありました。


(まとまりないんですが、これにてひとまず終わり)



タグ:珍事
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2回目の入院~術後編~ [いろいろ②]

無事手術が終わってほっとした私、なんとか電車に間に合って自宅に帰り、
ホッとした勢いで少し飲んでから爆睡した翌朝、兄からLINE。
いくらメールしても反応ないし、電話にも出ないんだけれど大丈夫なのか?
心配で心配で泣きそうな文面だったので、まだ回復室にいるんじゃないの?
病室の金庫に携帯入ってるから、病室に戻って落ち着いたら連絡あると思うけど。
と答えると少しホッとしていました。
婆1号が大好きな兄なので(^-^;居ても立っても居られない、みたいな
状態でしたが、他人が先にこういう状態になると私はしっかりできるものです。

で、お昼ごろ、婆1号からメール。

やっと一人でトイレに行けました。
心配ないよ、ありがとう。

(´;ω;`)

導尿管外れてパンツ穿けたんだ。ホッとしてウルル。

白ぽっちゃり先生から説明を聞いているかもしれないけれど、
1週間くらいは患部を固定しないといけないから、
厚手のギブスみたいなものを巻くけれど、外して少し痺れが続いても
長時間正座して立ち上がったときと同じでその内なおりますって言ってたから
ギブス外れたら頑張り過ぎないでリハビリ頑張らないとね。

と返事しました。

あとは、親戚(婆1号の妹ほか)には簡単に報告しておいたから、と伝えました。
(婆1号本人もその後、兄、兄嫁、妹にメールで連絡したらしい)

この翌日、婆1号の洗濯物(手術時に使ったタオル類など)を受け取りに
病院に行きましたが、コロナウィルス感染拡大防止を理由に家族の面会も禁止に
なってしまったので、ナースステーションで看護師さんに用件を伝えて
洗濯物を受け取るのみ、婆1号にはもうしばらく会えないんだなあ、と
すぐそばの病室にいるのに会えない残念感を引きずりながら実家に帰って
窓を開けて風を通して(古い家なのでやはり空気がこもっているとどこか匂う)
洗濯して庭に水やり(滅多にいかないのであまり意味なし)したり、、で1週間。

抜糸の日だったのですが、婆1号から電話あり、
「一部まだ傷がちゃんと固まっていないから抜糸できないって言われて
 全部は抜糸してもらえなかった」
残念そうな声で言われました。

高齢で傷の治りが悪いのかとその時は思ったのですが、
あとから傷口を見て肘にウネウネと縫われた長い傷を見ると、
こんなごつごつしたところを縫うのも大変だし、そこの傷口が治るのも
時間がかかるんだろうな、と納得しました。
(私のへそ下5針の傷とは全く違う万里の長城みたいな傷口を見てびっくり)

一部しか抜糸できなかった翌日(週末)、婆1号がテレビに飽きただろうと
家で楽しんでいるパズル(クロスワードとかナンプレとかお絵かきロジック)を
洗濯物と一緒に看護師さんに届けて、駅に行くバスがすぐ来たので乗ったら
婆1号からメールあり。

「食堂で待ってて、お水買いにいくからそこで会えるでしょ」って。

面会禁止だから会えないだろうとさっさとバスに乗ったらそんなメールが来て
婆1号も不安だったのにそんな気持ちも察することなくバスに乗ってしまい、
申し訳ない気持ちになりました。

その日、濃厚接触者の疑いも晴れて瓢箪から駒で入れた個室から大部屋へ移動。
術後2週間でやっとすべて抜糸。
持って行ったパズルも右手でボールペンを持てるようなってきて、
へたくそながら字も書けるようになって、今日は1ページできたよ、と
メールがあったり、と、少しずつですが回復してきているのを感じました。

と、抜糸して安心した翌日(週末)、頼まれた爪切りをもって、
洗濯物の受取&届で病院に向かう途中、婆1号から電話あり。
白ぽっちゃり先生がレントゲンを撮ってみたら患部がちゃんと治っていないのが
分かったからもう一度ギプスしますっていってギプスされちゃって
また腕が動かせないのよ、って。( 一一)
場合によってはもう一度手術するかもしれないって言われたらしく、
ギプスをするとペンが持ちにくいのでパズルもできないし、
不便でしょうがないよ、と残念そうな声の婆1号。

( ゚Д゚)

そんなことあるんですね。喜んだのもつかの間みたいなこと。
これは食堂で何とかあって直接話をして励ましたいな、と思って、
いつものように1階の総合受付で用件を伝えて病室フロアに行って
ナースステーションで洗濯物を渡した後、食堂に移動して待っていると婆1号登場。
頼まれていた爪切りを出してはい、爪切るから手を出して、というと、
自分で売店に行って爪切り買って切っちゃったというので手を見ると、

あれ、ギプスがない?(。´・ω・)?

移動中に電話くれてギプスまたつけられたって言ってたよね?と聞くと、
電話を切った後、ギプスをはめる前に検査したCTの結果が出て、
それで観たらちゃんと患部が治ってる!って白ぽっちゃり先生が婆1号のところに
やってきて嬉しそうに報告して、こんな縁起悪いギプスは私が捨ててきますから!
と外してどこかにもっていって捨てたみたいよ、と婆1号も嬉しそうでした。

白ぽっちゃり先生にしてみればちゃんと処置したはずなのに、
レントンゲンを見てショックだったのでしょうね、
婆1号が落ち込む前に先生が落ち込んでいるみたいで
なんだか可哀想だったけれど、ダメならもう一度手術してもらうしかないし、
でも、CTで大丈夫ってわかって本当によかったよ、先生も。と婆1号。
自分のことながら白ぽっちゃり先生を心配する婆1号も面白いな、と思いながら、
とりあえずこれで退院できるかな、とホッとしました。

IMG_7170.JPG 病院の外にある大きな木
日曜日に病院にくると救急の受付から入るので、
帰りにこの木を見ながら帰ったのですが、退院も近づいてきたので
この木をみるのも最後になるのだろうな、と思って思わず撮影。(^-^;

その後、毎日のメールのやりとりで、大部屋も窓側になったので外の景色が見られること、
同室のおばあちゃんがボケててナースコールを頻繁に押すのにイラつくこと、
右手が少しずつ上げられるるようになってきたけれど口元までは届かないので
相変わらず左手で食べていること、日々の様子を伝えてくれたのでさほどの
心配はしていませんでしたが、最初は美味しいと言っていた病院食が
美味しくないから早く自宅に戻って美味しい食事がしたい、と言い出したので
だいぶ元気が出てきたのかな(笑)と思うようになりました。

その後、リハビリを受ける患者の病棟に引っ越して毎日リハビリ、
そして、術後3週間が経ったころ、退院のお許しが出ました。

兄が迎えに行ったので私はその日は夕方仕事を終えてから実家に行きましたが、
退院後5週間(術後8週間)は重たいものを持ったり強い力で引っ張ったりしては
行けないって言われたから気を付けないとね、と退院できてうれしそうな婆1号。

退院したら後は大丈夫、と言われたのですが、さすがに高齢で怪我治りかけの婆1号を
一人で過ごさせるのは不安なので、しばらくの間、実家で過ごして平日は在宅勤務、
とすることにしました。

婆1号は、大丈夫よー、自分で何でもできるからー、というのですが、
病院と違って自宅は広いし段差もあるし、リスクがいっぱい。
本人の前向きな気持ちに回復が追い付いていませんし、
兄と説得して主に私、時々兄、が実家に泊まって婆1号と過ごすことにしました。

(つづく)



タグ:珍事
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2回目の入院~手術編②~ [いろいろ②]

予定時間をはるかに過ぎた7時間後、夜勤担当の看護師さんに尋ねたら、
婆1号の手術が順調に進んでいるのを聞いてホッとしてお腹が急に空いたので、
1階の売店横に設置されている冷凍食品の自販機に行きました。

IMG_7143.JPGニチレイ
大きな病院で見かけるような気がしますが需要が大きい、、、としても、
から揚げとかフライドポテトとか、入院している人には
食べちゃまずいんじゃないのかな的なメニューが多い気がしています。
IMG_7144.JPG台湾飯なんてのもありました
ルーローハンみたいなでもひき肉みたいな、台湾飯、
チャレンジしようかと思ったのですが微妙かもしれないとパスして、
IMG_7148.JPGたこ焼き
これなら失敗はないだろうと思って選んだのですが、
IMG_7149.JPGあれ
ソースをつける関係なのか、開けたらさかさまに入っていました。

粉ばっかり。(;_;)

ほんの気持ちです、程度のちっちゃいタコ、を口の中で探しながら、
もったりした粉ばかりのタコ焼きをいただきました。
ま、空腹なんでとりあえずお腹がちょっとたまっただけでもありがたいです。

婆1号はまだ麻酔して手術中、がんばっているのですから
粉ばっかりとか文句言っちゃいけませんね。

とはいえ、こんな時はビールで流したいと思っても病院ですから
ビールが飲めるわけもなく、ビール飲みたいよー、と友人にLINEしながら
待つこと更に1時間半。

病院から駅に向かうバスもなくなったし、タクシーで帰るかな、
実家は一人じゃ怖いからなんとか電車で自宅に戻りたいんだけど、
Yahoo!路線で帰る時間を何度も検索していたら。

すっかり暗く静かになった22時過ぎの廊下、
遠くからゴロゴロ、、、、みたいな音がしたと思ったら、
婆1号ののったストレッチャーが目の前を通過しました。

ストレッチャーを押していたのは婆1号のことを尋ねた夜勤担当の看護師さんと
白ぽっちゃり先生でした。

執刀医自らがストレッチャーを押してる。。。。。

執刀医とというか、外科医というか、手術室で真剣な目つきでいる、
そんなイメージをもったのはT宮J郎さん(Mr.タイムショック)ですが、
現実、そんな先生ってどのくらいいるんでしょうね。

私の胆石のときの主治医(執刀医)も、当時のブログ記事を読み返すと、

白衣の代わりにチェックのシャツ&だぶだぶジーンズを履いて紙袋を持っていたら、、、
「アキバ系のオタク」って感じに見えなくもなーい。。。。

こんな風に表現していました。失礼千万だな、私。(反省)

婆1号が戻ってきたら急に洗手間に行きたくなり、急いで行って戻ってくると、
白ぽっちゃり先生が、あ、こちらに来てもらっていいですか、と
ナースステーションの入口から手招きしてきたので
はい、すみません、とダッシュで移動。といっても10mくらの距離です。

中に入って椅子に座って先生とお話。

骨の折れ方がかなり複雑で処置に時間がかかってしまいご心配をおかけしたこと、
骨にプレートを何枚かあててつないであるので時間とともに機能回復は可能、
ただし、1か月くらいは力のある作業は避けないと、折角くっつけたものがまた
ハズレてしまうので注意してほしいこと、などなど手術の説明と今後の注意について
丁寧に説明いただきました。

併せて見せてもらった術後の婆1号の右肘のレントゲンを見せてもらうと、
細長いプレートが3枚とクリップみたいなものがたくさん写っていました。
これはそのまま体内に入っていても大丈夫ですよ、と説明され、
私も胆管にチタンクリップ入ってるからそれと同じかしらね、なんて思いながら
現代の医療の進化に驚くのでありました。

お母さんはまだ麻酔から覚め切っていないので、明日説明しますからね、と
白ぽっちゃり先生が言ってくれたので、長時間ありがとうございました、と
90度お辞儀でお礼を申し上げた後は、看護師さんに案内されて婆1号のところへ。

回復室というのでしょうか、術後一晩過ごすお部屋みたいで、
酸素マスクをつけながら半分くらい目を開けてこちらを見ている婆1号の
弱弱しい姿(麻酔が覚め切っていないので余計そう見える)にウルウルしながら、
頑張ったね、9時間近く先生も頑張ってくれたし、お母さんも頑張りました、と
言いながら私うつぼ泣いておりました。

何か言いたそうにしているのに言葉が出ない婆1号を見ていてウルウルしたのですが、
そのあと、ふと思い出したのは自分の術後。

麻酔から覚め切らない状態で、自分の石が何個あったとか、胆のうは?とか聞いた後、
パンツ3枚しかもってきていない、と言って婆1号を唖然とさせたのですが、
もうろうとする婆1号を見ながら、私もこんな状態だったらパンツ3枚とか
言っても仕方ないんじゃないかな、と20年も前の話を今更ながら思い出し、
自分のアホみたいな発言を正当化できるような気がしました。。。(笑)

今回の主役は婆1号なのですが、つい自分の方に話をもっていてしまい反省。(^-^;

看護師さんが、おつかれさまでした、と言ってくれたので、
どうもありがとうございましたとお礼を伝えて、婆1号にもおやすみね、と
言ってから、兄に手術が終わったと報告、タクシーで最寄り駅まで移動して、
なんとか自宅に帰れる時間の電車に乗れたので午前様で帰宅し、
ビールを飲んでからホッとして爆睡しました。。。

手術は無事終わりましたが、あとは本人の快復ですね。


(つづく)





















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2回目の入院~手術編①~ [いろいろ②]

入院してちょうど1週間、手術日当日となりました。

付き添いというか身内というか手術日にくる場合は、
開始予定時刻の2時間前にきてください、と言われていたのですが、
婆1号の場合、主治医の白ぽっちゃり先生の予定がはっきりせず
(午前中に緊急患者がきたりする可能性もあるので)
とりあえず10時にきてくださいと看護師さんに言われたので、
真面目に9時30分には病院に到着していました。

1階の総合受付で本日婆1号手術のため付添で参りましたと伝えて
面会証を受け取り整形外科のフロアに移動して
ナースセンターで同じことを伝えて食堂で待機。
近くの病室にいる婆1号とはメールでやり取りするという、
手術の時間までは会えないのがどこかもどかしいな、と思いながら
有休をとっていたのですがこの日は3か月に1度忙しいタイミング、
同じ部門の人には大丈夫、心配しないでと言われていたものの、
そりゃ気になるわけなので電源のとれるテーブルを確保してからは
PCの電源を入れてお仕事しておりました。

あ、いまの会社はそんなにブラックじゃありません。
超ブラックだったのは以前1年だけ在籍した北の蟹工船企業。(笑)

と、婆1号から「13:15から手術だって言われたよ」とメールあり、
その前に1階の売店で買ってきたパンやらを食べて待機。
13時10分ごろ、看護師さんに連れられた婆1号が点滴棒を引きながら
食堂前に登場しました。

あれ、ストレッチャーに乗ってないんだ?

私のときもストレッチャーに乗らないんですか?と看護師さんに聞いて、
うつぼさん、目の前に手術室あるでしょって笑われたのですが、
今回の婆1号の場合は病棟の1つしたの階が手術室。
自分で歩ける人はストレッチャーに乗らなくても移動できるからなのかな。
長いパジャマのような手術着?を着た婆1号は足の浮腫み防止のため
医療用の着圧ソックスを履いていましが、白いハイソックスなので
お婆さんがハイソックス姿ってちょっと笑える、、、心中笑ったのはナイショです。
一緒にエレベータで降りて手術室に行って、中に消えていく姿を見たら、
不覚にもウルっとしてしまったのですが、婆1号は「行ってくるねー!」
明るく笑いながら手を振って消えていきました。。。

予定では3時間くらい。長くて5時間くらいでしょうかね。

と、時間の目安を看護師さんに言われていたので、
食堂に戻って仕事しながら3時間経過。

長引いているのかな?

そんな気持ちで仕事を続けていたのですが、17時過ぎにはすることもなくなり、
PCでネットサーフィン(会社のPCなんで私用で使うのはよくないんですが(^-^;)、
しながらまだかなまだかな、、、と待ち続けておりました。

日中混んでいた食堂も、退院する人のお迎えや、テレビを見に来た患者さん、
自販機のお水を買いにきて難儀する足を怪我された患者さんを手伝ったり、
なんとなく人の入れ替わりもあって賑やかだったのですが、18時を過ぎると
やってくる家族の方もいないし、患者さんは夕食の時間なので
私だけが一人ぽつんと座る食堂、、、超寂しい状態となりました。

5時間経過。。。(^-^;


6時間経過。。。( 一一)


7時間経過。。。(;_;)


どうしたのかな、なにかあったのかな、麻酔で問題あったとか、
手術中になにか問題発船したんじゃないかしら?

食堂以外のエリアが暗くなり、一人で座っていたので尚更ですが、
超不安な気持ちが渦巻きました。

もっと婆1号に優しくすればよかった。。

もっと婆1号と話をすればよかった。

もっと婆1号の気持ちになってあげればよかった。

(´;ω;`)ウゥゥ

暗い病院の食堂でウルルとぐずっている五十路のおばさん(私)がおりました。

と、出張で病院に来られない兄から「まだ終わらないの?」とLINEが。

まだ終わらないけれどナースセンターに聞いてくる。と返事をして、
ナースセンターに行って聞いてみると、
「まだ手術中ですが、中のことは分からないのでお待ちいただけますか?」

忙しい看護師さんに聞いて悪かったな、と思いつつも、
「長くて5時間と言われてもう7時間以上経っているので、何かあったら、と
 心配になったんですが、すみません。
 食堂で待っていますので何かあったらお声かけください。」
とお願いして食堂に戻りました。

ナースセンターに行って30分くらい経ったところでさきほどの看護師さんが
食堂にやってきました。

「お母さまですが、まだ手術中で特に問題ということではなくて、
 骨折された箇所が複雑で処置に時間がかかっているとのことです。
 ご心配されているのにさきほどきちんとご説明できず失礼しました。
 あ、お食事はされていますか?お腹空いているんじゃないですか?
 1階の売店は閉まっていますけれど近くにパンの自販機もありますから
 なにかお腹に入れてくださいね。ここで一人で待つのが大変でしたら
 和室もご用意しますから仰ってくださいね。」

(´;ω;`)

こんなときに優しい言葉をかけられるとダメですね。
うるうるしてしまいました。

「ご確認いただいてありがとうございます。
 1階に冷凍食品の自販機もありましたのでそこで買ってきて食べます。
 和室はご用意いただくとごろごろしているうちに爆睡しそうですから
 ここで待たせていただきます。」 

と答えると、

「大丈夫ですよ、ちゃんと叩き起こしますから!」

看護師さん、笑って答えてくれました。

看護師さんのご説明でちょっとほっとしたらお腹が空いてきました。。。


(長くなってまいりましたので、つづく)






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2回目の入院~入院編②~ [いろいろ②]

無事入院した婆1号ですが、大部屋(4人部屋)にいるので連絡は主にメール。
右手が使えないので左手で器用にメールを打って(ガラホ)送ってくるのが凄いな、と
感心していたのですが、さらに偉いというかありがたいと思ったのは、
メールを兄と私それぞれに送ってくることでした。
兄とは最近連絡もとらずに疎遠になっていたのが、今回の骨折でLINEで連絡をとるように
なったのでどちらか片方に連絡すればよいのですが、片方に送るのは不公平、と思っている
らしく、同じ内容(その日の診察内容など)を2人に送る婆1号は偉いなと思います。

兄とは別に仲が悪いわけじゃないんですけどね。(^-^;

入院した翌日、とりあえず土曜日だったのですることもないし、と、
県内移動ながら片道2時間弱を移動して病院へ。
婆1号には実家に泊まればいいのに、と言われたのですが、
はじめての入院の記事でも書いた通り、自分が育った家ながら今となっては私の部屋もなく
(引越し後、机とタンスを婆1号に速攻捨てられた私(笑))
まして婆1号がいない家にいるのは寂しいというか怖いというかで自宅に戻って再度移動。

ま、行ったり来たり、移動していると、なんだかやった感が生まれるからね。(笑)

そして病院に行くと(食堂での面会なら可能)手術に必要なもの一覧を見せてきて、
これ買ってきてちょうだい、と言われたのがバスタオル3-4枚、フェイスタオル3-4枚、
T字帯、とあとはこまごましたもの。

T字帯ってなにに使うのかしら?」

不思議がる婆1号。

こんな時に自分の20年前の経験が役に立つもんです。(^-^)

胆石の手術で、全身麻酔の術後、導尿管を入れたのですが、その時T字帯をつけられて。
もちろん私自身は自身にT字帯を装着している状態は見ていませんが(想像するのみ)
導尿管を外してもらったらパンツはけるよ、って教えてあげました。
フェイスタオルは何に使うかわからないけれど、バスタオルは手術台の上に敷いて、
その上にお母さんがのっかれば、術後ストレッチャーにうつしやすいからじゃないの?
と答えると、うつぼが手術したおかげでそうやって教えてもらえてよかったよ、と
素直に喜ぶというか疑問がとけてスッキリした様子。

病院の売店でT字帯を購入し、最寄り駅近くのスーパーでタオル類を買って、
IMG_7094.JPGお蕎麦屋さんで昼酒
人の為になることを行っている自分にグッジョブ的な、
入院2日目に既にそんな気分になる私もメデタイわけですが(笑)
真夏で暑かったので自宅に帰る前についつい飲んでしまいました。。

そして翌日、再び病院に行って婆1号にタオルやT字帯などなどを渡して
早く手術して(まだこの時日程が確定しませんでした)リハビリして、
自宅に帰れるようにしないとね、と励ましました。
と、私が励まさなくても、本人は早く帰りたいので非常に前向き、
落ち込む様子を見ることなく逆に私がほっとしたのですが、
昔から他の人に迷惑をかけてはいけないという精神で生き続けた人なので
泣き言を言ったり弱音を吐いたり、本当はしたいかもしれないけれど
そういう様子を見せない姿に、甘えていいいのにな、なんて
少々寂しくも思ったりしました。

骨折したときも、仕事中の兄と私に迷惑をかけてはいけないと、
夕方になってから電話で報告した婆1号、
社会人になってから老いていく婆1号をもう少し甘やかしてあげれば
よかったかもしれないな、なんて気持ちになりました。(;_:)

と、
「入院しからなのかもしれないけどね、あれだけ痛かった膝が痛くないのよ。
 治ったのかしらね。」と婆1号。

歳をとるにつれ膝の痛みを我慢しながら生活しているのですが、
お医者さんにもらった痛み止めも癖になるからよくないと服用せず、
痛いと言っていたのですが、急に治るわけないし、でもなんでだろうと思ったら。

「それってさ、肘の痛み止めが膝にも効いてるんじゃないの?」

私もさすがに気づきました。(笑)

「ああ、そうなのね、肘の痛み止めが膝にも効いてるんだね。
 ああそうかそうか。だから膝が痛くないんだ」

婆1号納得。

そりゃ、痛み止め(のむタイプ)がピンポイントに右肘だけにきくわけなくて、
膝にも効いているわけですから、不思議でもなんでもないのですが、
婆1号には膝が痛くないことが嬉しいようでした。
「じゃあ、毎日痛み止めのめばいいじゃん」というと、
「肘が治ったら痛み止めはやめる、
 だって、癖になったら本当に痛いとき効かなくなるでしょ。」
真顔でこたえられて、自分の思ったとおりにしてくださいと、
頑固な性格は治らないんだろうな、、って思いました。

IMG_7100.JPGそして自宅に帰る前に昼酒
二連荘で訪れたので蕎麦屋のお姉さんに顔を覚えられたようです。(笑)

その翌日からは平日なので在宅勤務で仕事していましたが、
婆1号から電話が夕方ありました。

「レントゲン撮ったんだけど、私の前にレントゲン撮った人が
 PCR検査で陽性反応が出たらしくてね、私も濃厚接触者だからって
 個室に移されちゃたからメールじゃなくても電話できるからね」

大部屋希望で入院したのが、病院理由で個室に移してもらって嬉しそうでした。

病院もこういう時期ですから大変ですし、
レントゲン技師の人(この人も濃厚接触者になるんですよね)に至っては
毎日何十人とレントゲンを撮るわけですからリスクもあるわけで、
そんな中でいろいろ配慮していただいていることに有難い気持ちになりました。

この話を聞いた兄が真っ先に心配したのは「個室の差額をうちが支払うのか」で、
いやいや、そうじゃないだろう、婆1号の心配しろよ、とさすがに苛つきましたが、
もしこちらに請求されたら私が交渉するから大丈夫だよと答えると、
そうか、お前が交渉してくれるなら大丈夫だ、となぜかほっとしていました。
結局、退院時の請求でも個室の差額ベッド代は請求されなかったので
病院側の理由で移動させたんだから当然そうだろうと思っていながら
交渉しないで済んでラッキー、心中そう思ったのはナイショです。

と、個室の差額ベッド代の心配のことを先に書いてしまいましたが、
幸い、婆1号はその後の検査(2回)とも陰性でした。
病院の感染リスク、クラスター発生などニュースでも知っていましたが、
あれだけ配慮しても感染する可能性あるのだなと改めて思いましたし、
そうやって日々尽力されている医療従事者を頭ごなしに非難する、
(たとえば有名人だとM井Y月とか)
実際その場にほんの少しだけ垣間見る機会のあった私には日本で感染者や
重症患者が他国に比べて抑えられるのは医療従事者のお陰なのだと実感しました。

その後、個室で快適(他の患者さんの独り言やいびきが聞こえないかららしい)に
過ごした婆1号に手術前に先生(白ぽっちゃり)から話があると急に言われて
私は都合つけられず兄が同席して手術内容を聞いて同意書にサイン、
私は同意書にサインした兄が来られないというので手術当日に病院に行きました。

毎日電話で婆1号と話していたので本人の前向きな気持ちを少しでもサポートは
出来ていたと思いますが、本人のアグレッシブというかポジティブというか、
そんな姿勢は崩れることもなく、手術当日を迎えました。


(つづく)






 




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2回目の入院~入院編①~ [いろいろ②]

骨折した婆1号が大学病院で紹介された市立病院に入院するまで2日(晩)あるので
入院するまで、私が2泊、実家に泊まることにしました。

転んだ当日、翌日、翌々日と長時間病院に滞在していた婆1号、
自宅に戻ったらさすがにどっと疲れた様子。

そりゃそうですよね、婆1号もすでに八十路半ば。
五十路の私だって、腕が痛いのに病院で長時間待つのが3日も続いたら疲れます。( 一一)

転んで痛いのを我慢しながら整形外科に電話して事情を説明して、
そこから自分でタクシーを呼んで整形外科にいって長時間待った後診察、
翌日は紹介された大学病院に一人で行って検査と診察を受けた翌日、
やっと同席した兄と私、一緒に聞いていただけでほっとして緊張が解けて
どっと疲れた、そんな感じでした。

実家の台所は母の台所、普段あまり実家の台所で料理することがないのですが、
暫くはここで私も料理することになるのかな、と、
自宅でもほとんど自炊しないのにこういう事態になるとは、
仏様がちゃんとやりなさい、と言っているような、そんな気持ちになりました。

とはいえ、私も自分が怪我したわけではないのに疲れてしまったので、
その日は買ってきたお寿司を食べて終了、翌日は朝から婆1号の朝ごはんを作ったり
ちょうど東京オリンピック開催がらみで連休だった時期なので、買い物に行って
暫く病院食を食べ続けなければならないことを考えて和牛を買ってすき焼きしたり、
右手が使えないというので左手の爪を切ってあげたり(他人の爪を切るのは怖い)、
背中を洗って欲しいという婆1号の為に三助(笑)に変身したり。。。
そんな感じで一日過ぎて入院日当日。

兄がやってきて車で入院する病院へ。
祝日だったので緊急外来の入口から入ってくださいと言われて、検温、手指消毒の後、
廊下のベンチで待つこと2時間。

救急車がやってきては急患患者を運んできて診察室に運ばれる、そんな光景を
婆1号、兄、私の3人でぼけ―っと見て、病院って大変だよね、と言いながら
とりあえず呼ばれるまでじっと待ちました。

そして、やっと呼ばれて救急の診察室へ。

時折姿が見えていた白ぽっちゃりの30代くらいの男性医師が担当の方で、
まさかあの人じゃないよね、って3人で話していたその先生が担当とは。( 一一)

先生に遠くから3人で失礼なことを言っておりました。ごめんなさい。<(_ _)>

大学病院でとったレントゲンを見ながらこれは手術が必要ですね、
ちょっと患部を見せて下さいね、と先生が簡易ギブスを外したら、
婆1号の右腕、紫色に腫れてまくっていました。

ひぇーーーーっ。( ゚Д゚)

凍り付く兄、私、そして婆1号(本人)。

まだかなり腫れていますからまずは冷やして腫れをおさめてからでないと
手術できませんから冷やしましょう、手術してから2か月くらいは安静に、
重たいものを持ったり強い力で引っ張ったりはダメでしょうが、
頑張ってリハビリすれば日常生活も大丈夫だと思いますよ。

と、白ぽっちゃり先生が言ってくれたので、婆1号も少しほっとしたようで
前向きに気持ちをすぐ切り替えていました。

診察後、また待合室で待ってから、看護師さんに呼ばれて整形外科の病棟へ。
大部屋に行って荷物を置いて、病院ぎに着替えてから面会者と会えるような
スペース(食堂と呼ばれていた)に戻ってきた婆1号、初めての入院の時と同じく、
いつもより小さく見えて心中ウルっとしてしまいました。。

既に昼食時間のころだったので、「婆1号さん、お昼ご飯出ますからね」と
看護師さんが食事のトレーを運んでくれました。

鯖の味噌煮にごはん、切り干し大根とフルーツ。

婆1号、入院して少しホッとしたのか美味しい美味しい、と食べていました。
初めての入院で入っていた大学病院の食事より美味しいと言って食べていたので
大学病院より明るい雰囲気だし、こっちに入院できてよかったかな、と私も一安心。

食後、看護師さんに呼ばれて病室に戻っていってこの日は婆1号とお別れです。

自宅にいるより看護師さんとお医者さんが常駐している病院に入っていれば
家族は安心ですが、本人はこんなところは早く出たいからリハビリがんばらないと、
と、手術前からなんだか前向きな姿勢で気合が入っていました。

病院を出ると、兄が「飯食うか」というので、車で少しいったところのファミレスへ。
ビール安いからお前は呑めばいいよ、と言ってくれたので、
IMG_7078.JPG安いと思って注文したら、
赤い199円という数字の下に、「土日祝+100円」の文字。(笑)
299円でも安いと思うのですが何だか軽い詐欺に遭った気分になりました。
IMG_7079.JPG美味しかったから結果オーライ。
と、飲めばいいといった割に支払う気配のない兄。(笑)
私が結局支払いました。。。

とりあえず、入院したものの、手術まで時間もあるし、
手術してから抜糸してリハビリして退院してからも通いでリハビリ。

道のりは長いです。


(つづく)





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2回目の入院~診察編~ [いろいろ②]

今年に入ってから「はじめての入院」という記事を書いたのですが、
婆1号、人生(そして今年に入って)2回目の入院を経験しました。

(婆1号、はじめての入院)⇒ https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2020-02-19


3月から在宅勤務が続いている私ですが、
以前は週1くらいだったのが殆ど毎日婆1号に電話するようになりました。

私自身も会話が少なくなってついつい話したくなるみたいです。(笑)

でも、毎日電話したところで話題が豊富なわけでもなく(自宅引きこもりだし)
電話しても「はい、特になんにもありませーん」と答えるのが常というか
お互い元気な証拠、みたいな感じだったのですが。

7月下旬のある日の夕方。
いつものように仕事が終わった後、婆1号に電話して「はい、特にありません!」と
いつものように生存確認的にお決まりのフレーズを言うと。

こっちは色々あったのよ。

(?_?)


え、なになにー、何があったの?と聞いてみると、
その日のお昼前に自宅で物干し竿に洗濯物を干そうとして、
バランスを崩して転んで腕を折ったという婆1号。

干そうとしていたのは私の使っているタオルケット。
兄が泊まった時、私のタオルケットを使ってしまったので、
加齢臭(私もあるけど兄の方が濃い)がついてイヤー、と言ったら、
久しぶりの晴れ間に、うつぼのタオルケットを洗わないと、
そう思って洗って干そうと思ったという婆1号。

私が原因みたいなもんです。( 一一)
半分冗談で言ったつもりだったのですが、真に受けて洗おうとしてくれて、
それで怪我したのですから、私が悪かったのかもしれないな、
そんな気持ちになりました。

と思ったのですが(;_;)
婆1号は骨折した割に話しぶりはいつもと変わらず、
大丈夫?病院に行ったんだよね?と聞いてみると、
痛いので明らかに骨が折れたと判断し、タクシーを呼んで
いつも膝のリハビリに行っている整形外科をたずねたら、
予約がないので合間に診察しますねと言われて待つこと3時間。

腕を吊ったお婆さんが一人で待合室で待ち続けるというのも
その光景を想像するとなんだ可哀想なのですが、
こういう時、予約していないから待つのは仕方ない、
そういうマインドで待ち続けられる性格なのは偉いなと思います。

で、やっと先生の時間が出来たので診察室に呼ばれた後、
レントゲンを撮って、あ、骨折していますね、ここでは手術出来ないから、
大きな病院(大学病院or市立病院)に明日行ってください、と言われ、
はじめての入院でお世話になった大学病院を希望して、
紹介状を書いてもらって帰ってきたと淡々と説明してくれました。

父が心筋梗塞で倒れたときも、脳疾患でおかしくなったときも、
慌てているはずなのに落ち着いて見える母こと婆1号が
自分が骨折してもなんだか落ち着いているので感心しました。

本人が言うには、泣いても折れた腕が治るわけじゃないからね、
だそうです。マインド強いです、婆1号。

私だったら無理だろうな、って思います。(^-^;

翌日大学病院の整形外科をおとずれるというので一緒に行く?と聞いたら
一人で行けるから、お前は入院するときについてきてくれればいいから、
と私が会社を休むことを気にしてなのか大丈夫大丈夫と繰り返すので、
翌日は自宅で在宅勤務しながら婆1号の診察結果(午後)が気になっていたら
(それならついていけばよかったんですけどね)
夕方にやっと電話。

前日のレントゲンを持参したものの、
それで診察や手術の判断ができない(責任とれない)理由で再度レントゲン、
そして時節柄PCR検査も受けてから診察を受けたら、
自然治癒できないわけではないけれど、その場合、右手(折ったのは利き腕)で
箸がもてなくなるかもしれませんよ、って言われたらしく、

箸が持てなくなるのはイヤ。(;_;)

事の重大さにここでやっと気づいてさすがに心配になったそうです。
おまけに、診察してくれた先生が、
「今日、ご家族はどなたか来ていないんですか?」と
骨折したお婆さんに誰もついてこないことを訝ったのを見て、
更に不安になったらしく、帰宅後電話。

偉いのは、兄と私、両方に電話して同じことを2度説明するんですよね。
まあ、そうやって自分で事情をさらに理解しようとするのかもしれませんが、
兄か私どちらかに連絡して伝えておいて、でも済むのに、片方だけに連絡するのは
不公平だからという気持ちもあるみたいです。

明日も病院に行って入院日などを決めるから、
お前か兄ちゃん、どっちか来てくれると嬉しいんだけど。

というので、有休使って病院に行くからというと、心配した兄も来ると言ったらしく、
2人も要らないのよ、どっちか一人でいいんだけれど、といわれたのですが、
兄もお医者さんを目の前にパニックになって話が呑み込めない可能性があるので
私も同席する事にしました。

で、翌日。

午前中、1回目の入院でお世話になった先生の診察を受けて、
(全身麻酔で手術できるかどうかの診断)
午後に整形外科の先生の診察、と、入院日の相談。

予約時間が午後なので午前中の患者さんの診察が延びると
当然ながら後ろ倒しになるのと緊急患者がくると優先されるので、
予約した時間の2時間後、もう他に患者さんがいない待合室で
婆1号、兄、私と3人で待ち続けてやっと呼ばれました。

担当の先生、まだ30そこそこって感じで若いです。
パット見、顔立ちくっきりしていてチャラさも漂って。(ごめんなさい)
前日、その先生の上司(中年の偉い雰囲気を漂わせている先生)に
箸が持てなくなるかも、と言われて不安になった婆1号ですが、
若い先生の説明は落ち着いて聞いていました。

手術が必要で、術後は運動機能回復のため、リハビリも行っていくこと、
入院日は早い方がいいが、この病院だと3週間先にならないと手術が出来ない状況で
そうなると固定している腕の運動機能がどんどん落ちていって術後のリハビリも
きつくなるので、早く入院できる他の病院を探して3日後に入院できるところが
あるのでそこに入院して手術を受けてください。

なんとなく、たらいまわし的な。( 一一)

大学病院は混んでいるんでしょうね。
紹介してくれたのが最初訪れた整形外科でも提案された市立病院なので、
そこなら父も通院していた病院で知っているので不安はなく、
紹介状を書いてもらい、3日後に市立病院へ入院することになりました。

とはいえ、先生も口頭で日時を言うだけだったので、本当にその日で
よいのかと不安になった私たちですが、不安はあるものの、
本人(婆1号)が見ていると非常に前向きなので応援するしかありませんね。

というわけで、3日後の入院まで、実家で母に付き添うことになりました。


(つづく)



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東京税関問題 [いろいろ②]

昨日までだらだら書いていたシンガポール旅行記2017ですが、
羽田についてからの税関のアンちゃん係官の態度が帰宅後も脳裏に残ってしまい、
帰宅して1週間くらい経ったところで(感情的に書かないと自分で思えるようになった頃)
税関もご意見箱みたいなのがあるのかと調べてみたらありました。

https://www.customs.go.jp/tokyo/e/index.htm
https://www.customs.go.jp/quest/index.htm


該当する項目がよく分からず「税関手続に関するご意見・ご要望」を選んで
意見を送ったのですが、「密輸に関する情報」なんて項目があったりして、
税関のお仕事は凄いんだな、と思いました。
が、アンちゃん係官の態度はやはり納得できない。(V)o¥o(V)

アンちゃん係官とのやりとりについて書いた後、
久しぶりの海外旅行を楽しんで日本に帰ってきたところで、
薬物所持の疑いをもたれたことは非常に残念であり、
カバンの中を見ることが税関業務上必要だと判断されれば当然検査は受けるが、
係官の態度が上から目線で「あなた持っているでしょう」と決めつけるような
物の言い方は気持ちのいいものではない。
日々、水際で禁止物の持ち込みを阻止される税関のお仕事は大変だと思うが、
税関検査時の接し方について、もう少しご配慮いただきたい。

といった内容を書いて送信しました。

任意となっていましたが名前や連絡先も書いて、返答希望としたのですが、
返事なんてこないだろうなと思っていたら1週間くらい経ってメールのお返事が。

そのままコピペしようかと思ったのですがさすがにそれはよろしくないと思い、
要旨のみ書きますと。


税関検査時に不快な思いをさせてたことへのお詫び。

東京税関では昨今の国内外の情勢等を踏まえて
 海外か
らの覚醒剤をはじめとする不正薬物や拳銃等の国内への流入阻止、
 現在
社会問題とされている金地金の密輸に対する水際取締りの強化を行っている。
 
・一方、税関検査はお客様の承諾・ご理解を得たうえで行うものであり
 その対応にあたって、職員に対し、検査前・検査終了後の謝辞励行を含め、
 接遇・言動には十分注意するよう指導等しているが、
 
ご指摘いただいた「係官の言い方・帰国した旅客にもう少し配慮ある対応(聞き方)」
 を真摯に受け止め、お客様のプライバシーへ
の配慮の観点・行政サービスの一層の
 向上を図る観点からも、改めて、職員一
人ひとりが税関検査にあたっての接遇等の
 必要性・重要性を理解するよう、周
知徹底を図りたい

税関検査により不快な思いをさせたことて改めてお詫び&税関行政に対するご理解と
 ご協力を
お願いする

と、東京税関総務部 税関広報広聴室からお返事をいただきました。

ある程度の雛形はあると思いますが、ひたすら謝ればいいや的な返事ではなく、
ちゃんと私の意見を読んで内容を理解した上で書いてくれたように思いました。

その後海外に行ったのは一度だけ(一昨年の台湾旅行)で、
その時は帰りが成田だったので税関の担当も中年の方が多い印象で、
特に何も突っ込まれることなくサクサク通過したので、
その後、あのアンちゃん係官が上から目線な物言いを改めているのかどうか、、、
不明です。(^-^;

ネットで調べてみれば、羽田や成田などで税関で引っかかってカバンを開けた、
みたいな人は結構出てくるので私の場合もそんなに珍しいケースではないと
思ったりはしていますが、やはりアンちゃん係官の態度だけは私の許容範囲を
超えていたので今回税関のホームページから意見として連絡したわけです。
それに対して丁寧な返事をいただいたこと、文面からも、日々、水際で真剣に
働いているんだな、と思い、感謝もしないといけないな、と思った、
東京税関への問合せに対するお返事でありました。


















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