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2回目の入院~術後編~ [いろいろ②]

無事手術が終わってほっとした私、なんとか電車に間に合って自宅に帰り、
ホッとした勢いで少し飲んでから爆睡した翌朝、兄からLINE。
いくらメールしても反応ないし、電話にも出ないんだけれど大丈夫なのか?
心配で心配で泣きそうな文面だったので、まだ回復室にいるんじゃないの?
病室の金庫に携帯入ってるから、病室に戻って落ち着いたら連絡あると思うけど。
と答えると少しホッとしていました。
婆1号が大好きな兄なので(^-^;居ても立っても居られない、みたいな
状態でしたが、他人が先にこういう状態になると私はしっかりできるものです。

で、お昼ごろ、婆1号からメール。

やっと一人でトイレに行けました。
心配ないよ、ありがとう。

(´;ω;`)

導尿管外れてパンツ穿けたんだ。ホッとしてウルル。

白ぽっちゃり先生から説明を聞いているかもしれないけれど、
1週間くらいは患部を固定しないといけないから、
厚手のギブスみたいなものを巻くけれど、外して少し痺れが続いても
長時間正座して立ち上がったときと同じでその内なおりますって言ってたから
ギブス外れたら頑張り過ぎないでリハビリ頑張らないとね。

と返事しました。

あとは、親戚(婆1号の妹ほか)には簡単に報告しておいたから、と伝えました。
(婆1号本人もその後、兄、兄嫁、妹にメールで連絡したらしい)

この翌日、婆1号の洗濯物(手術時に使ったタオル類など)を受け取りに
病院に行きましたが、コロナウィルス感染拡大防止を理由に家族の面会も禁止に
なってしまったので、ナースステーションで看護師さんに用件を伝えて
洗濯物を受け取るのみ、婆1号にはもうしばらく会えないんだなあ、と
すぐそばの病室にいるのに会えない残念感を引きずりながら実家に帰って
窓を開けて風を通して(古い家なのでやはり空気がこもっているとどこか匂う)
洗濯して庭に水やり(滅多にいかないのであまり意味なし)したり、、で1週間。

抜糸の日だったのですが、婆1号から電話あり、
「一部まだ傷がちゃんと固まっていないから抜糸できないって言われて
 全部は抜糸してもらえなかった」
残念そうな声で言われました。

高齢で傷の治りが悪いのかとその時は思ったのですが、
あとから傷口を見て肘にウネウネと縫われた長い傷を見ると、
こんなごつごつしたところを縫うのも大変だし、そこの傷口が治るのも
時間がかかるんだろうな、と納得しました。
(私のへそ下5針の傷とは全く違う万里の長城みたいな傷口を見てびっくり)

一部しか抜糸できなかった翌日(週末)、婆1号がテレビに飽きただろうと
家で楽しんでいるパズル(クロスワードとかナンプレとかお絵かきロジック)を
洗濯物と一緒に看護師さんに届けて、駅に行くバスがすぐ来たので乗ったら
婆1号からメールあり。

「食堂で待ってて、お水買いにいくからそこで会えるでしょ」って。

面会禁止だから会えないだろうとさっさとバスに乗ったらそんなメールが来て
婆1号も不安だったのにそんな気持ちも察することなくバスに乗ってしまい、
申し訳ない気持ちになりました。

その日、濃厚接触者の疑いも晴れて瓢箪から駒で入れた個室から大部屋へ移動。
術後2週間でやっとすべて抜糸。
持って行ったパズルも右手でボールペンを持てるようなってきて、
へたくそながら字も書けるようになって、今日は1ページできたよ、と
メールがあったり、と、少しずつですが回復してきているのを感じました。

と、抜糸して安心した翌日(週末)、頼まれた爪切りをもって、
洗濯物の受取&届で病院に向かう途中、婆1号から電話あり。
白ぽっちゃり先生がレントゲンを撮ってみたら患部がちゃんと治っていないのが
分かったからもう一度ギプスしますっていってギプスされちゃって
また腕が動かせないのよ、って。( 一一)
場合によってはもう一度手術するかもしれないって言われたらしく、
ギプスをするとペンが持ちにくいのでパズルもできないし、
不便でしょうがないよ、と残念そうな声の婆1号。

( ゚Д゚)

そんなことあるんですね。喜んだのもつかの間みたいなこと。
これは食堂で何とかあって直接話をして励ましたいな、と思って、
いつものように1階の総合受付で用件を伝えて病室フロアに行って
ナースステーションで洗濯物を渡した後、食堂に移動して待っていると婆1号登場。
頼まれていた爪切りを出してはい、爪切るから手を出して、というと、
自分で売店に行って爪切り買って切っちゃったというので手を見ると、

あれ、ギプスがない?(。´・ω・)?

移動中に電話くれてギプスまたつけられたって言ってたよね?と聞くと、
電話を切った後、ギプスをはめる前に検査したCTの結果が出て、
それで観たらちゃんと患部が治ってる!って白ぽっちゃり先生が婆1号のところに
やってきて嬉しそうに報告して、こんな縁起悪いギプスは私が捨ててきますから!
と外してどこかにもっていって捨てたみたいよ、と婆1号も嬉しそうでした。

白ぽっちゃり先生にしてみればちゃんと処置したはずなのに、
レントンゲンを見てショックだったのでしょうね、
婆1号が落ち込む前に先生が落ち込んでいるみたいで
なんだか可哀想だったけれど、ダメならもう一度手術してもらうしかないし、
でも、CTで大丈夫ってわかって本当によかったよ、先生も。と婆1号。
自分のことながら白ぽっちゃり先生を心配する婆1号も面白いな、と思いながら、
とりあえずこれで退院できるかな、とホッとしました。

IMG_7170.JPG 病院の外にある大きな木
日曜日に病院にくると救急の受付から入るので、
帰りにこの木を見ながら帰ったのですが、退院も近づいてきたので
この木をみるのも最後になるのだろうな、と思って思わず撮影。(^-^;

その後、毎日のメールのやりとりで、大部屋も窓側になったので外の景色が見られること、
同室のおばあちゃんがボケててナースコールを頻繁に押すのにイラつくこと、
右手が少しずつ上げられるるようになってきたけれど口元までは届かないので
相変わらず左手で食べていること、日々の様子を伝えてくれたのでさほどの
心配はしていませんでしたが、最初は美味しいと言っていた病院食が
美味しくないから早く自宅に戻って美味しい食事がしたい、と言い出したので
だいぶ元気が出てきたのかな(笑)と思うようになりました。

その後、リハビリを受ける患者の病棟に引っ越して毎日リハビリ、
そして、術後3週間が経ったころ、退院のお許しが出ました。

兄が迎えに行ったので私はその日は夕方仕事を終えてから実家に行きましたが、
退院後5週間(術後8週間)は重たいものを持ったり強い力で引っ張ったりしては
行けないって言われたから気を付けないとね、と退院できてうれしそうな婆1号。

退院したら後は大丈夫、と言われたのですが、さすがに高齢で怪我治りかけの婆1号を
一人で過ごさせるのは不安なので、しばらくの間、実家で過ごして平日は在宅勤務、
とすることにしました。

婆1号は、大丈夫よー、自分で何でもできるからー、というのですが、
病院と違って自宅は広いし段差もあるし、リスクがいっぱい。
本人の前向きな気持ちに回復が追い付いていませんし、
兄と説得して主に私、時々兄、が実家に泊まって婆1号と過ごすことにしました。

(つづく)



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