銚子&宗吾参道旅行記2022~宗吾御一代記館編~ [日本の旅(関東)]
補正された思い出通り、って感じでもなかったお蕎麦を食べた後は、
宗吾霊堂へ
ここは呑めるみたい
(と往路思ったのですが結局寄らずに帰ってしまいました(^^;)
紫陽花の季節(6月下旬)
影がない。。(´Д`)
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA_(%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B8%82)
昨日も簡単に書きましたが佐倉(木内)惣五郎の霊が祀られているので宗吾霊堂と
呼ばれていて私も東勝寺というのは今回調べて知りました。
成田山新勝寺も成田山と呼び続けていて新勝寺であることを知ったのは社会人に
なってからですが、宗吾霊堂に関しては知ろうという頭がなかったみたいです。反省。
まずはお参りから
本堂にもたくさんの紫陽花が飾られていました。
40年以上ご無沙汰していたことをお詫びしつつ、またお参り出来たことに感謝しながら
手を合わせました。
で、ここ。↓
今回の旅の一番の目的はここ、宗吾御一代記館です。
小学校低学年の頃に来たきりなので40年以上ぶり(50年は経っていない)、
母方の祖母と大叔母さんと一緒にここを訪れたのですが、
将軍に直訴したため処刑される場面で2人が大泣きしながら、
「可哀想だぁ~可哀想だぁぁぁぁ~(:_;)」と言って、
小銭を惣五郎の蝋人形に向かって投げていたことが今でも記憶にあって、
あの場面、今みたらどうなんだろうか、と思ってやってきた次第です。
本堂の裏手を進んでいくとひっそりしたところにあります。
中に入ろうとしたら、昭和の事務服って感じの制服を着たおばちゃんが、
「ちょっと前に入った人達が見学していますけど、5分くらい待ってもらうと
他に誰もいないところで見学できますよ」
と親切にアドバイスしてくれました。(笑)
完全貸切状態を想像していたので先客がちょっと前にいることに驚いたのですが、
では、少し待たせてもらいますね、と入館料700円(⇐ちょっと強気)を支払って、
待っている間、おばちゃんに小学生の時に祖母と大叔母と来た時の話をしたら
「結構そういう方多いかもしれませんね。
小さい頃みたけれど数十年ぶりに来たっていう方、多いです。」
私と同じような世代の方は幼いころの思い出ですりこまれているインパクトの強い場所、
なのかもしれません。
で、写真撮影はできますか?と聞くと、「撮影禁止なんです」と
申し訳なさそうに言われてしまい、残念ながら撮影できなかったのですが、
ネットで検索していたら撮影して丁寧な説明を書いている方がいらっしゃったので
リンクを貼っておきます。(当時は撮影できたのかもしれませんね)
(4travel) https://4travel.jp/travelogue/10864639
各場面、説明のパネルの他にボタンを押すと説明の音声が流れるのですが、
途中接触が悪くて音声が流れないところがあるのでそこは説明のパネルを読んでください、
と言われてしまい、え、修理しないの?と思ってしまったのですが、
この入館者数だと維持するのも大変で細かい修理まで手が回らないのかもしれません。。
と、5分入口で待ってから前後に誰もいない状態になったところで
足を踏み入れると漂う古い匂い。( 一一)
66体の人形で描く佐倉惣五郎の義民伝、66体というのが多いのか少ないのか、
恐らく人形の数が多い(とはいえ、時折人を描いたパネルもあったりする)と
アピールしているのだと思いますが、私が小学生の頃に来たころから人形の入れ替えが
されていないのでは?と言う雰囲気でした。
最後の「第13景 供養の踊り」の女性の人形の顔が蜘蛛の巣状にひび割れていて
かなりホラーな雰囲気を醸し出していたりと、人形のお手入れも惣五郎を中心に行って
いるような(女性の人形は修復の優先順位が低そうな)そんな気がしました。
祖母と大叔母が大泣きしていた「第12景 悲しみの刑場」改めて見ると、
農民のために直訴したが故に子供たちも全員処刑される、
(従来処刑されない女子も男子名に改名の上処刑されたそうです)
五十路になった私も今見ると大泣きして小銭を投げていた2人の気持ちが分かるような
気がしました。といっても私は小銭は投げませんでしたが。(^^;
途中、天井からつるされたミラーボールがぐるぐる回ってる場面もあったりと、
古い施設内で工夫しているのは感じましたが、古い匂いに時の流れを感じるというか、
あの頃から40年以上も経つんだし、自分も年をとったな、としみじみ感じました。
また行くかと言われたら、あと1回くらいは行っちゃうかな、って感じです。
隣の霊宝殿にもちょっと立ち寄って(惣五郎の着物などの他に場所が近いからなのか
Qちゃんの色紙も飾られていました(笑))
苑内の紫陽花をこの後は見学します。
(つづく)
宗吾霊堂へ
ここは呑めるみたい
(と往路思ったのですが結局寄らずに帰ってしまいました(^^;)
紫陽花の季節(6月下旬)
影がない。。(´Д`)
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA_(%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B8%82)
昨日も簡単に書きましたが佐倉(木内)惣五郎の霊が祀られているので宗吾霊堂と
呼ばれていて私も東勝寺というのは今回調べて知りました。
成田山新勝寺も成田山と呼び続けていて新勝寺であることを知ったのは社会人に
なってからですが、宗吾霊堂に関しては知ろうという頭がなかったみたいです。反省。
まずはお参りから
本堂にもたくさんの紫陽花が飾られていました。
40年以上ご無沙汰していたことをお詫びしつつ、またお参り出来たことに感謝しながら
手を合わせました。
で、ここ。↓
今回の旅の一番の目的はここ、宗吾御一代記館です。
小学校低学年の頃に来たきりなので40年以上ぶり(50年は経っていない)、
母方の祖母と大叔母さんと一緒にここを訪れたのですが、
将軍に直訴したため処刑される場面で2人が大泣きしながら、
「可哀想だぁ~可哀想だぁぁぁぁ~(:_;)」と言って、
小銭を惣五郎の蝋人形に向かって投げていたことが今でも記憶にあって、
あの場面、今みたらどうなんだろうか、と思ってやってきた次第です。
本堂の裏手を進んでいくとひっそりしたところにあります。
中に入ろうとしたら、昭和の事務服って感じの制服を着たおばちゃんが、
「ちょっと前に入った人達が見学していますけど、5分くらい待ってもらうと
他に誰もいないところで見学できますよ」
と親切にアドバイスしてくれました。(笑)
完全貸切状態を想像していたので先客がちょっと前にいることに驚いたのですが、
では、少し待たせてもらいますね、と入館料700円(⇐ちょっと強気)を支払って、
待っている間、おばちゃんに小学生の時に祖母と大叔母と来た時の話をしたら
「結構そういう方多いかもしれませんね。
小さい頃みたけれど数十年ぶりに来たっていう方、多いです。」
私と同じような世代の方は幼いころの思い出ですりこまれているインパクトの強い場所、
なのかもしれません。
で、写真撮影はできますか?と聞くと、「撮影禁止なんです」と
申し訳なさそうに言われてしまい、残念ながら撮影できなかったのですが、
ネットで検索していたら撮影して丁寧な説明を書いている方がいらっしゃったので
リンクを貼っておきます。(当時は撮影できたのかもしれませんね)
(4travel) https://4travel.jp/travelogue/10864639
各場面、説明のパネルの他にボタンを押すと説明の音声が流れるのですが、
途中接触が悪くて音声が流れないところがあるのでそこは説明のパネルを読んでください、
と言われてしまい、え、修理しないの?と思ってしまったのですが、
この入館者数だと維持するのも大変で細かい修理まで手が回らないのかもしれません。。
と、5分入口で待ってから前後に誰もいない状態になったところで
足を踏み入れると漂う古い匂い。( 一一)
66体の人形で描く佐倉惣五郎の義民伝、66体というのが多いのか少ないのか、
恐らく人形の数が多い(とはいえ、時折人を描いたパネルもあったりする)と
アピールしているのだと思いますが、私が小学生の頃に来たころから人形の入れ替えが
されていないのでは?と言う雰囲気でした。
最後の「第13景 供養の踊り」の女性の人形の顔が蜘蛛の巣状にひび割れていて
かなりホラーな雰囲気を醸し出していたりと、人形のお手入れも惣五郎を中心に行って
いるような(女性の人形は修復の優先順位が低そうな)そんな気がしました。
祖母と大叔母が大泣きしていた「第12景 悲しみの刑場」改めて見ると、
農民のために直訴したが故に子供たちも全員処刑される、
(従来処刑されない女子も男子名に改名の上処刑されたそうです)
五十路になった私も今見ると大泣きして小銭を投げていた2人の気持ちが分かるような
気がしました。といっても私は小銭は投げませんでしたが。(^^;
途中、天井からつるされたミラーボールがぐるぐる回ってる場面もあったりと、
古い施設内で工夫しているのは感じましたが、古い匂いに時の流れを感じるというか、
あの頃から40年以上も経つんだし、自分も年をとったな、としみじみ感じました。
また行くかと言われたら、あと1回くらいは行っちゃうかな、って感じです。
隣の霊宝殿にもちょっと立ち寄って(惣五郎の着物などの他に場所が近いからなのか
Qちゃんの色紙も飾られていました(笑))
苑内の紫陽花をこの後は見学します。
(つづく)
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