京都旅行記2021~神護寺編①~ [日本の旅(京都)]
宋から運ばれてきた茶の実を茶園で育てたお寺で鳥獣戯画(の複製)を観た後は、
同じ高雄エリアにある神護寺に行きました。
同じ高雄エリアにある神護寺に行きました。
この橋を渡る前、
有料駐車場のおじさんが声をかけてきて、
神護寺に行くには橋の向こうの坂道を15分くらい歩くこと、
門をくぐって一番奥にある地蔵院の近くからかわらけ投げができること、
本堂で薬師如来像が今なら拝めることなどを丁寧に説明してくれました。
このおじさん、脳疾患の後遺症があるみたいで、うつぼ父と同じように
病気に罹って話すのも大変そうだけれど一生懸命観光客に説明してくれて
有料駐車場のおじさんが声をかけてきて、
神護寺に行くには橋の向こうの坂道を15分くらい歩くこと、
門をくぐって一番奥にある地蔵院の近くからかわらけ投げができること、
本堂で薬師如来像が今なら拝めることなどを丁寧に説明してくれました。
このおじさん、脳疾患の後遺症があるみたいで、うつぼ父と同じように
病気に罹って話すのも大変そうだけれど一生懸命観光客に説明してくれて
(おそらくそれでおじさんの士気も上がっているような)
ありがたいと思いながら、
擬宝珠をみながら
橋を渡り
この階段を15分。。
道のり長そうです。(+o+)
観光ホテルの喫茶室 どこか昭和な趣
大丈夫 今日は全然多くないから。(^-^;
西明寺は今回は訪問しませんでしたが
また機会があれば訪れてみたいですね。
前方に大学の卒業旅行と思しき若い女性3人組が楽しそうに階段を上っていましたが、
私うつぼ(運動嫌い)は序盤からぜーぜーしながら汗もかきつつ必死に上りました。
橋のたもとで説明してくれたおじさんの15分は誇張だと思っていましたが、
まじで15分かかりました。久しぶりにちゃんと運動した気分です。(笑)
あと少しで楼門
遠目に写っていますが、楼門、改修中で全体が見えなかったのが残念。
かわらけも一緒に購入しました
奥に奥に進みます
(神護寺ホームページ)http://www.jingoji.or.jp/
高雄山神護寺は高雄山の中腹にあって、高雄、槇尾、栂尾の三尾きっての古刹。
奈良時代、和気清麻呂の氏寺として創建され、のちに空海が高野山へ入山する前、
14年間住職をつとめたのがこの神護寺なんですね。
ご本尊は薬師如来、これは地蔵院を観た後にお参りします。
地蔵院
ちょうどこの近くで林友会と書かれたベストを着たおじちゃんが
敷地内の草木の手入れをされていたのですが、
誰もいないからなのか、明らかに観光客だというのが分かったからなのか、
こんにちは!と明るい表情で話しかけてくれました。
秋篠宮ご夫妻が新婚当時に神護寺を訪れ、地蔵院でお参りした後、
奥の建物の縁側からかわらけ投げをしたそうで、その後ほどなく(^-^;して
お生まれになったのが真子様。
(地蔵院のご利益があったのではないかというのがおじさんのご意見でした)
その後、裕仁様が生まれてまだ小さい頃ご夫妻と3人で再び神護寺にいらっしゃったものの、
公式訪問ではなく完全プライベートでの訪問だったせいか事前連絡がなく、
地蔵院近くの売店のおばちゃんがご夫妻と裕仁様に気づいて!慌てて連絡、
ご住職が急いで一番良い衣を羽織ってご挨拶にきた、、のだそうです。
というエピソードを聞くと、この地蔵院でお二人がお参りして、
この建物の縁側からかわらけ投げ
そして真子ちゃんが生まれて、すっかり大きく成長されて数年前の会見で
ああよかったねぇ、と思った後の大混乱(☜いまここ)でマスゴミの下衆な報道に
すっかりげんなりしているのですがこじれていくばかりな状況で、
絡まりまくった糸が解けるにはまだ時間がかかるのかな、真子ちゃんには幸せになって
ほしいなと、エピソードを聞いて現場をみながらしみじみ思いました。
私もここからかわらけ投げ
昨年行った天橋立で投げたかわらけは思った方向に飛んでいかず、
かなり至近距離の輪っかのはるか遠くに飛んでいきましたが、
今回は輪っかなし
どこに飛んでいっても大丈夫と輪っかに入れないといけないプレッシャーなく、
京都を訪れることができたことへの感謝と、婆1号が穏やかに過ごせますように、
とお願いしながら投げました。
投げたかわらけ、あっという間に視界から消えていきました。
無事、かわらけも投げたところで次は金堂に向かいます。
巨大な椿の木
私の身長を遥かに超える高さの椿。野生だとこのくらいワイルドに大きくなるのかな。
周りを気にせずすくすく成長している感じが羨ましく見えました。
これなんだったかな
その場で何か感じて写真を撮っているはずなんですが、
ろくに旅メモを記録せずに写真撮りっぱなしで(雑な性格です)
写真を拡大したら「歓喜天」と書いてあるように見えたので、
こうやって記事を書く段になって調べてみたら(このパターン多い)
仏教の守護神である天部の1つというのは分かりましたが
槇尾山西明寺には歓喜天が秘仏として祀られているというのは見つけたのですが、
神護寺にあるのはなぜなのか、、結局分かりませんでした。
もうちょっと調べてみて分かったら追記します。
閼伽井
こうやって書いて、「あかい」と読むんですね。初めて知りました。
閼伽、が、功徳、功徳水などを意味して、それが湧いてくるのが閼伽井。
要は井戸、なんだと思いますが水が湧くということはご利益があるということですね。
金堂
入母屋造で、本瓦葺きの本格的な密教仏堂。
この建物は昭和初期に山口玄洞さんという実業家の寄進によって建てられたものだそうです。
この金堂が建てられるまでは、入口に近い方の毘沙門堂が金堂だったそうですが、
完成後は薬師如来さまもこの金堂に安置されています。
中に入ります
金堂の中は撮影禁止でしたが、薬師如来さまを間近に拝むことができます。
中にいらっしゃるお寺の職員の方が説明してくれましたが、国宝2号の薬師如来さま、
繁忙期は近くで見ることができないそうですが、今回のようなオフシーズンには
近くで見られるそうでそういう意味では紅葉や桜の時期ではないので周りの風景は
若干寂しい感じでしたが、平安時代から無傷のままこうやってご本尊として金堂に
いらっしゃるお姿を拝めることはありがたいですね。
感謝の気持ちで、薬壺を左手で胸のあたりの位置で持っているお姿に手を合わせました。
ちなみに、ご本尊の薬師如来立像の左右には日光・月光菩薩立像と十二神将立像、
左右端には四天王立像が安置されています。
下から見上げた金堂
5月1日から5日間だけ(毎年ですが今年は残念ながら中止)虫干しと称して、
神護寺が所有する国宝の特別展示があるという説明も聞いたのですが、
ゴールデンウィークの特別展示、非常に興味があるものの物理的にうかがえず、
一度でいいので見てみたい気持ちはあるんですが行けそうもありません。( 一一)
鐘楼
この鐘楼についても金堂の中で説明を聞きましたが、
国宝の梵鐘がさげてあるものの常時非公開のため見ることはできないそうです。
鐘を鳴らすこともないというのでかつては鐘をついていてどんな音が鳴って
いたのかな、なんて思いましたが見ることも聞くこともできない鐘楼、って
あるんだなあとちょっとびっくり。
というわけで長くなってきたので、神護寺、もう1回続きま~す。
(つづく)
ありがたいと思いながら、
擬宝珠をみながら
橋を渡り
この階段を15分。。
道のり長そうです。(+o+)
観光ホテルの喫茶室 どこか昭和な趣
大丈夫 今日は全然多くないから。(^-^;
西明寺は今回は訪問しませんでしたが
また機会があれば訪れてみたいですね。
前方に大学の卒業旅行と思しき若い女性3人組が楽しそうに階段を上っていましたが、
私うつぼ(運動嫌い)は序盤からぜーぜーしながら汗もかきつつ必死に上りました。
橋のたもとで説明してくれたおじさんの15分は誇張だと思っていましたが、
まじで15分かかりました。久しぶりにちゃんと運動した気分です。(笑)
あと少しで楼門
遠目に写っていますが、楼門、改修中で全体が見えなかったのが残念。
かわらけも一緒に購入しました
奥に奥に進みます
(神護寺ホームページ)http://www.jingoji.or.jp/
高雄山神護寺は高雄山の中腹にあって、高雄、槇尾、栂尾の三尾きっての古刹。
奈良時代、和気清麻呂の氏寺として創建され、のちに空海が高野山へ入山する前、
14年間住職をつとめたのがこの神護寺なんですね。
ご本尊は薬師如来、これは地蔵院を観た後にお参りします。
地蔵院
ちょうどこの近くで林友会と書かれたベストを着たおじちゃんが
敷地内の草木の手入れをされていたのですが、
誰もいないからなのか、明らかに観光客だというのが分かったからなのか、
こんにちは!と明るい表情で話しかけてくれました。
秋篠宮ご夫妻が新婚当時に神護寺を訪れ、地蔵院でお参りした後、
奥の建物の縁側からかわらけ投げをしたそうで、その後ほどなく(^-^;して
お生まれになったのが真子様。
(地蔵院のご利益があったのではないかというのがおじさんのご意見でした)
その後、裕仁様が生まれてまだ小さい頃ご夫妻と3人で再び神護寺にいらっしゃったものの、
公式訪問ではなく完全プライベートでの訪問だったせいか事前連絡がなく、
地蔵院近くの売店のおばちゃんがご夫妻と裕仁様に気づいて!慌てて連絡、
ご住職が急いで一番良い衣を羽織ってご挨拶にきた、、のだそうです。
というエピソードを聞くと、この地蔵院でお二人がお参りして、
この建物の縁側からかわらけ投げ
そして真子ちゃんが生まれて、すっかり大きく成長されて数年前の会見で
ああよかったねぇ、と思った後の大混乱(☜いまここ)でマスゴミの下衆な報道に
すっかりげんなりしているのですがこじれていくばかりな状況で、
絡まりまくった糸が解けるにはまだ時間がかかるのかな、真子ちゃんには幸せになって
ほしいなと、エピソードを聞いて現場をみながらしみじみ思いました。
私もここからかわらけ投げ
昨年行った天橋立で投げたかわらけは思った方向に飛んでいかず、
かなり至近距離の輪っかのはるか遠くに飛んでいきましたが、
今回は輪っかなし
どこに飛んでいっても大丈夫と輪っかに入れないといけないプレッシャーなく、
京都を訪れることができたことへの感謝と、婆1号が穏やかに過ごせますように、
とお願いしながら投げました。
投げたかわらけ、あっという間に視界から消えていきました。
無事、かわらけも投げたところで次は金堂に向かいます。
巨大な椿の木
私の身長を遥かに超える高さの椿。野生だとこのくらいワイルドに大きくなるのかな。
周りを気にせずすくすく成長している感じが羨ましく見えました。
これなんだったかな
その場で何か感じて写真を撮っているはずなんですが、
ろくに旅メモを記録せずに写真撮りっぱなしで(雑な性格です)
写真を拡大したら「歓喜天」と書いてあるように見えたので、
こうやって記事を書く段になって調べてみたら(このパターン多い)
仏教の守護神である天部の1つというのは分かりましたが
槇尾山西明寺には歓喜天が秘仏として祀られているというのは見つけたのですが、
神護寺にあるのはなぜなのか、、結局分かりませんでした。
もうちょっと調べてみて分かったら追記します。
閼伽井
こうやって書いて、「あかい」と読むんですね。初めて知りました。
閼伽、が、功徳、功徳水などを意味して、それが湧いてくるのが閼伽井。
要は井戸、なんだと思いますが水が湧くということはご利益があるということですね。
金堂
入母屋造で、本瓦葺きの本格的な密教仏堂。
この建物は昭和初期に山口玄洞さんという実業家の寄進によって建てられたものだそうです。
この金堂が建てられるまでは、入口に近い方の毘沙門堂が金堂だったそうですが、
完成後は薬師如来さまもこの金堂に安置されています。
中に入ります
金堂の中は撮影禁止でしたが、薬師如来さまを間近に拝むことができます。
中にいらっしゃるお寺の職員の方が説明してくれましたが、国宝2号の薬師如来さま、
繁忙期は近くで見ることができないそうですが、今回のようなオフシーズンには
近くで見られるそうでそういう意味では紅葉や桜の時期ではないので周りの風景は
若干寂しい感じでしたが、平安時代から無傷のままこうやってご本尊として金堂に
いらっしゃるお姿を拝めることはありがたいですね。
感謝の気持ちで、薬壺を左手で胸のあたりの位置で持っているお姿に手を合わせました。
ちなみに、ご本尊の薬師如来立像の左右には日光・月光菩薩立像と十二神将立像、
左右端には四天王立像が安置されています。
下から見上げた金堂
5月1日から5日間だけ(毎年ですが今年は残念ながら中止)虫干しと称して、
神護寺が所有する国宝の特別展示があるという説明も聞いたのですが、
ゴールデンウィークの特別展示、非常に興味があるものの物理的にうかがえず、
一度でいいので見てみたい気持ちはあるんですが行けそうもありません。( 一一)
鐘楼
この鐘楼についても金堂の中で説明を聞きましたが、
国宝の梵鐘がさげてあるものの常時非公開のため見ることはできないそうです。
鐘を鳴らすこともないというのでかつては鐘をついていてどんな音が鳴って
いたのかな、なんて思いましたが見ることも聞くこともできない鐘楼、って
あるんだなあとちょっとびっくり。
というわけで長くなってきたので、神護寺、もう1回続きま~す。
(つづく)
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