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映画「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」を観る [映画(は行)]

以前、シネスイッチ銀座で上映しているときに観そびれたので、
田端のChupkiさんで上映されているのを知り観に行きました。

花のあとさき.jpg
あらすじはYahoo!映画さんより。

1950年(昭和25年)、埼玉県秩父市に位置する楢尾の男性と結婚した小林ムツさんは、
9人家族の中で暮らすことになる。
無口だが優しい夫の公一さんとの間に2人の子供が生まれ、平穏な毎日が続いていくが、
やがて村の養蚕と炭焼きの時代が終わりを告げる。
住宅ブームで一時は飛ぶように売れた杉も売れなくなり、次第に荒れていく秩父の山々に
夫婦は心を痛めていた。


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秩父の山でムツおばあちゃんもお花に寄り添っているような気持ちになりました。
平成後半に、しかも埼玉にこういう集落があったということに驚いたのですが、
婆1号(うつぼ母)も長野の山奥で生まれ育っていた話を聞いていたのを思い出しました。
険しい山を切り開いて集落をつくり住んでいた話を聞くと、学校に行くにもまず山道を歩いて
山の下の道まで出ててから学校に行く、その山道を長野にいって登ったことがありますが、
よくこんな急な山道を毎日降りたり登ったりしていたと驚いた記憶。
婆1号が就職で東京に行った後、山にあった家家はすべて山の下にお引越しして、
今は各家のお墓が残っているだけですが、そんな遠い頃の話と思っていたような集落が
秩父にあったということに驚きつつ、日本の経済成長とともに畑を切り開いて道ができ、
それに合わせて若者が都会に出ていき、畑を継ぐものもいなくなって、という流れの中で
ムツさんが集落の主要産業だった養蚕のために栽培していた桑畑(段々畑)に花木を植えて
それが育つことで畑が山に還っていく、ムツさんが嬉しそうに花を説明する姿を見ると、
嫁いだ頃は水道もなく険しい道を天秤棒担いで水くみにいって、子供を育てながら
大変な畑仕事に養蚕と休む間もなく忙しかった日々を辛かったとはいわず、
ニコニコ思い出しながら語る姿に思わずウルっとしてしまいました。

所謂限界集落の話ですが、住民が少なくなっていく中でも助け合い、
どうしてももう無理だ、と思うまでは山で暮らすと決めている人たち、
途中、足を骨折して、山の下にある子供の家に引っ越す80代のおばあちゃん、
(お名前忘れてしまいましたが小柄で可愛らしいおばあちゃん)
畑仕事で活き活きとしていた姿が、子供の家にいるときに沈んだ感じで、
足が治って山に戻った時にとてもうれしそうな表情だったのですが、
ムツさんも一緒に花木を植えていたご主人を亡くしてちょっと気弱になって
冬は息子さんの家に行くことにするといったときの寂しそうな表情、
その後、春になって戻ってきて嬉しそうな表情を見せていたのは、
おそらく辛い思い出があるとしても、自分が一番落ち着ける場所は山、
ということなんでしょうね。

ムツさんが畑に花木を植えていけば安気する、と「安気」という言葉を何度も
使うのですが、山で暮らすことがムツさんにとっては安気すること、
ムツさんとご主人の植えた花木が大きく育って山をきれいに染める光景に
日頃ちょっとしたことでムカついたり心配する自分の心の狭さを感じました。( 一一)

息子さんの家から山に戻ってきたとき、ムツさんが覚悟したように、
荒れてしまった畑にハナモモの小さい木を植える姿が印象的だったのですが、
結局その後、ムツさんは天に旅立たれ、その後、残っていたご夫婦も亡くなって
集落に人がいなくなった後の山に咲き誇る花々が映し出されたところで、
ムツさんと公一さんの植えた木が大きく成長して畑が山に還っていったことを
改めて感じました。

畑だけでなく、手入れに手間のかかる杉の木も安い輸入建材で需要が減って
所有者が手入れをしなくなってくる状況も中盤で映るのですが、
手をかけて出荷もできない(できても割に合わない価格で売らざるを得ない)、
そうであればもう手入れしない、という状態を見て、
経済成長と人間の生活の豊かさ(物理的)と引き換えになくなっていくもの、
普段自分が目にする機会がなかなかないものをこうやって画面越しにムツさんや
村の人々が教えてくれたような気がしました。

ムツさんが畑に花木を植えたのも終活のように思えましたが、
後悔しないで生きていく、自分の最期も他人様に迷惑をなるべくおかけしないように
できることをやっておくことが大事なんだよな、ムツさんの笑顔を花々を観ながら
改めて感じた「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」でありました。




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