京都旅行記2021~大河内山荘庭園編~ [日本の旅(京都)]
土砂降りの中の天龍寺観光を終えた後は、テレビで何度もみたことのある竹林の道へ。
前日訪れた化野念仏寺の案内も。
ここだけ30分って他の観光地より遠い感じがしますが。(^-^;
竹林!
幻想的です
実家近辺に昔は竹林がたくさんあったのを思い出すと、
なんでそんなに京都の竹林を観に人があつまるのか謎でしたが、
こういう風景だと竹林=竹の子とれるかな、みたいな発想にはならず
美しい、とか幻想的、とかそういう気持ちになりますね。
でも、ここにギュウギュウに人が歩いている光景は伏見稲荷の鳥居と同じく
一気に興覚めしてしまいそうです。( 一一)
次に向かうのは大河内山荘庭園
結婚式の写真撮影中
日程変更できなかったのでしょうね。
こんなどしゃ降りで大変な時に白無垢姿でほほ笑む新婦さん、
とてもハッピーに見えました。(羨ましかった)
大河内山荘庭園に到着
(京都府観光ガイド)https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=3683&r=1622071558.962
入園料は1,000円とちょっとお高めに見えますが、お抹茶付きのお値段です。
小倉山(⇐百人一首)の南面に映画俳優の大河内伝次郎がつくった庭園なので
大河内山荘庭園と呼ぶのですが、大河内伝次郎がお亡くなりになった後に
生まれたため(嘘ついてません)リアルタイムに知っている人でもなく
白黒映画の時代劇俳優、という程度の知識でした。
出演作品も一度も見たことがないのですが、Amazon Primeで見られる作品があるようなので
食わず嫌いにならずに見てみようかな、と思います。(見たらとりあえず記事は書くつもり)
昭和初期の銀幕スターの山荘にやってきましたが、混んでいるかと思ったら、
朝9時頃でどしゃ降りという悪天候だったせいか、見かけたのは1人だけでした。
で、着いて早々なのですが、雨宿りもかねて、
ここだけ30分って他の観光地より遠い感じがしますが。(^-^;
竹林!
幻想的です
実家近辺に昔は竹林がたくさんあったのを思い出すと、
なんでそんなに京都の竹林を観に人があつまるのか謎でしたが、
こういう風景だと竹林=竹の子とれるかな、みたいな発想にはならず
美しい、とか幻想的、とかそういう気持ちになりますね。
でも、ここにギュウギュウに人が歩いている光景は伏見稲荷の鳥居と同じく
一気に興覚めしてしまいそうです。( 一一)
次に向かうのは大河内山荘庭園
結婚式の写真撮影中
日程変更できなかったのでしょうね。
こんなどしゃ降りで大変な時に白無垢姿でほほ笑む新婦さん、
とてもハッピーに見えました。(羨ましかった)
大河内山荘庭園に到着
(京都府観光ガイド)https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=3683&r=1622071558.962
入園料は1,000円とちょっとお高めに見えますが、お抹茶付きのお値段です。
小倉山(⇐百人一首)の南面に映画俳優の大河内伝次郎がつくった庭園なので
大河内山荘庭園と呼ぶのですが、大河内伝次郎がお亡くなりになった後に
生まれたため(嘘ついてません)リアルタイムに知っている人でもなく
白黒映画の時代劇俳優、という程度の知識でした。
出演作品も一度も見たことがないのですが、Amazon Primeで見られる作品があるようなので
食わず嫌いにならずに見てみようかな、と思います。(見たらとりあえず記事は書くつもり)
昭和初期の銀幕スターの山荘にやってきましたが、混んでいるかと思ったら、
朝9時頃でどしゃ降りという悪天候だったせいか、見かけたのは1人だけでした。
で、着いて早々なのですが、雨宿りもかねて、
お茶をいただきに移動
もらったリーフレットが既に雨に濡れ
当然ですが、誰もいないお茶室。(というか休憩エリアみたいな感じ)
結構広かったのでオーバーツーリズムの頃は混雑していたんだろうな、と思っていると、
あっという間に運ばれてきました
屋根の下で落ち着けるのもありましたが、やはりお茶をいただくとホッとする、
日本人でよかったな、と思います。
(お茶が飲めるようになったのは三十路過ぎからという遅咲きです)
落雁がついていたので何気なく包装の裏を見てみると、
あれ、小布施。(笑)
油長さんのお通しが蕗味噌だったころ、京都でとれるんですか?と聞いたら
群馬のものだけれどお酒に合えば京都のものでなくてもいいでしょう、と言われ、
確かに京都にこだわる必要はないし、と思っていましたが、和菓子で他県のものが
提供されているとは。すごいな小布施堂。
(いつも小布施堂なのか、訪問時たまたまだったのかは不明です)
いただいたはがき
お天気がいいとこんなに緑が美しく見えるんですねぇ。
お抹茶でリラックスした後は、庭園を一気に見学します。
混雑時の対策なのか、順路は一方通行になっています。
最初にたどり着いたのが大乗閣という建物。
この山荘の中心施設で、数寄屋風の書院や泉殿のように突出した寝殿(写真右のお部屋かな)、
如庵写しの茶室や民家風の勝手や土間を一体化させた斬新な建物だそうです。
中に入れないのが残念ですが、スターが忙しい仕事から解放されて、
心静かにここで過ごしていたのかな、なんて想像してしまいました。
四方山です
順路に従って進みます
高台から庭園の花木と合わせて遠くに山を見る、贅沢な空間です。
曇天
曇天だとこの程度しか山が見えませんが晴天の日は遠くの山々もきれいに見えて
美しい風景を大河内さんも楽しまれていたんでしょうね。
見どころが多いと言われれば期待しちゃうこれ何
見どころ多いといわれて歩いてみたものの、自分が花木の名前に疎いので
きれいに咲いているなあと思っただけですが、植える花木も大河内さんが
もらったリーフレットが既に雨に濡れ
当然ですが、誰もいないお茶室。(というか休憩エリアみたいな感じ)
結構広かったのでオーバーツーリズムの頃は混雑していたんだろうな、と思っていると、
あっという間に運ばれてきました
屋根の下で落ち着けるのもありましたが、やはりお茶をいただくとホッとする、
日本人でよかったな、と思います。
(お茶が飲めるようになったのは三十路過ぎからという遅咲きです)
落雁がついていたので何気なく包装の裏を見てみると、
あれ、小布施。(笑)
油長さんのお通しが蕗味噌だったころ、京都でとれるんですか?と聞いたら
群馬のものだけれどお酒に合えば京都のものでなくてもいいでしょう、と言われ、
確かに京都にこだわる必要はないし、と思っていましたが、和菓子で他県のものが
提供されているとは。すごいな小布施堂。
(いつも小布施堂なのか、訪問時たまたまだったのかは不明です)
いただいたはがき
お天気がいいとこんなに緑が美しく見えるんですねぇ。
お抹茶でリラックスした後は、庭園を一気に見学します。
混雑時の対策なのか、順路は一方通行になっています。
最初にたどり着いたのが大乗閣という建物。
この山荘の中心施設で、数寄屋風の書院や泉殿のように突出した寝殿(写真右のお部屋かな)、
如庵写しの茶室や民家風の勝手や土間を一体化させた斬新な建物だそうです。
中に入れないのが残念ですが、スターが忙しい仕事から解放されて、
心静かにここで過ごしていたのかな、なんて想像してしまいました。
四方山です
順路に従って進みます
高台から庭園の花木と合わせて遠くに山を見る、贅沢な空間です。
曇天
曇天だとこの程度しか山が見えませんが晴天の日は遠くの山々もきれいに見えて
美しい風景を大河内さんも楽しまれていたんでしょうね。
見どころが多いと言われれば期待しちゃうこれ何
見どころ多いといわれて歩いてみたものの、自分が花木の名前に疎いので
きれいに咲いているなあと思っただけですが、植える花木も大河内さんが
選定したのかな、四季折々楽しめるようにお庭をつくれる気力、だけでなく
財力もないと、ですね。そのお陰で私も楽しませていただいておりますが。
雨に濡れる緑を通って
石塔が見えてきて
黄色いお花を見て
持仏堂というお堂がありました。
説明書きによれば、山荘の全てはここから始まり、
1931(昭和6)年、すでに大スターだった大河内伝次郎が関東大震災からの念願であった
持仏堂を建て、撮影の合間にここで念仏し、瞑想し、静寂を得たことで、
映画づくりから庭づくりに芸術性を見出し、滴水庵の庭から大乗閣の庭へと
1962(昭和37)年、64歳で逝去するまで創作にあけくれた、と書いてありました。
撮影所(太秦?)から時折持仏堂にきては心を落ち着かさせていた、というのが、
大スターが大スターとして存在し続ける支えになっていたということなのかもしれませんね。
滴水庵
大乗閣の南方庭園内にある平屋の茶屋で入母屋造、鹿王院の僧より滴水禅師ゆかりの茶室を
譲り受けて「滴水庵」と名付けたそうです。
外から撮影しました
(中に入れませんが外からも見えるようになっていた)
茶道を習う機会もないまま五十路になってしまったのですが、
こういうところでお茶をたてていただく、趣深いだろうなと妄想。
山の中腹に見えたのが
この建物
Googleマップで調べたら大悲閣千光寺というお寺です。
角倉了以(江戸時代の豪商)が大櫃川を開削する工事で亡くなった人を弔うために、
嵯峨の中院にあった千光寺を移転、建立したもので、ご本尊は千手観音菩薩(源信作)。
伊勢湾台風(昭和34(1959)年)で大悲閣、千光寺とも半ば倒壊し、
長年にわたって仮本堂と大悲閣はワイヤーで支えれていたのが
2012年から改修工事が始まり、足場も撤去されて全景が見られるようになったとのこと。
このお寺にお参りにいって景色を見るのも楽しそうですね。
宿題にします。(いつ行けるか分かりませんが宿題に)
屋根だけ見えるのが月香亭
うっすら遠くに比叡山
庭園の頂上付近にあるのでおそらく大乗閣よりも遠くの景色が見えるのではないかと。
ここでお月さまを見るというのも風流でしょうね。
と、大河内伝次郎という大スターを少しだけ身近に感じたところで、
入口に向かいます。
天龍寺から竹林の道まで行くのだからと軽い気持ちで予定に入れて
訪れただけ、だったのですが、昭和の大スターが30年かけて作り上げた庭園、
そこで過ごす贅沢な時間、想像しながら曇天とはいえ景色もそれなりに楽しめて、
訪れてよかったと思いました。
まだ朝の9時30分過ぎ。まだまだ嵐山散策は続きます。
(つづく)
財力もないと、ですね。そのお陰で私も楽しませていただいておりますが。
雨に濡れる緑を通って
石塔が見えてきて
黄色いお花を見て
持仏堂というお堂がありました。
説明書きによれば、山荘の全てはここから始まり、
1931(昭和6)年、すでに大スターだった大河内伝次郎が関東大震災からの念願であった
持仏堂を建て、撮影の合間にここで念仏し、瞑想し、静寂を得たことで、
映画づくりから庭づくりに芸術性を見出し、滴水庵の庭から大乗閣の庭へと
1962(昭和37)年、64歳で逝去するまで創作にあけくれた、と書いてありました。
撮影所(太秦?)から時折持仏堂にきては心を落ち着かさせていた、というのが、
大スターが大スターとして存在し続ける支えになっていたということなのかもしれませんね。
滴水庵
大乗閣の南方庭園内にある平屋の茶屋で入母屋造、鹿王院の僧より滴水禅師ゆかりの茶室を
譲り受けて「滴水庵」と名付けたそうです。
外から撮影しました
(中に入れませんが外からも見えるようになっていた)
茶道を習う機会もないまま五十路になってしまったのですが、
こういうところでお茶をたてていただく、趣深いだろうなと妄想。
山の中腹に見えたのが
この建物
Googleマップで調べたら大悲閣千光寺というお寺です。
角倉了以(江戸時代の豪商)が大櫃川を開削する工事で亡くなった人を弔うために、
嵯峨の中院にあった千光寺を移転、建立したもので、ご本尊は千手観音菩薩(源信作)。
伊勢湾台風(昭和34(1959)年)で大悲閣、千光寺とも半ば倒壊し、
長年にわたって仮本堂と大悲閣はワイヤーで支えれていたのが
2012年から改修工事が始まり、足場も撤去されて全景が見られるようになったとのこと。
このお寺にお参りにいって景色を見るのも楽しそうですね。
宿題にします。(いつ行けるか分かりませんが宿題に)
屋根だけ見えるのが月香亭
うっすら遠くに比叡山
庭園の頂上付近にあるのでおそらく大乗閣よりも遠くの景色が見えるのではないかと。
ここでお月さまを見るというのも風流でしょうね。
と、大河内伝次郎という大スターを少しだけ身近に感じたところで、
入口に向かいます。
天龍寺から竹林の道まで行くのだからと軽い気持ちで予定に入れて
訪れただけ、だったのですが、昭和の大スターが30年かけて作り上げた庭園、
そこで過ごす贅沢な時間、想像しながら曇天とはいえ景色もそれなりに楽しめて、
訪れてよかったと思いました。
まだ朝の9時30分過ぎ。まだまだ嵐山散策は続きます。
(つづく)
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