京都旅行記2023~醍醐寺で特別拝観編②~ [日本の旅(京都)]
三宝院で太閤秀吉が花見をした建物を移設した純浄観を見て、
豪華な花見をする偉い人と、指示されてせっせと重労働で移設する労働者、
今の世の中にもどこか通じる悲しいヒエラルキーを想像してしまった後は
もう一つの特別拝観を行っている理性院(りしょういん)に向かいます。
三宝院の唐門(国宝)
物凄く大きい石版でした。
豪華な花見をする偉い人と、指示されてせっせと重労働で移設する労働者、
今の世の中にもどこか通じる悲しいヒエラルキーを想像してしまった後は
もう一つの特別拝観を行っている理性院(りしょういん)に向かいます。
三宝院の唐門(国宝)
物凄く大きい石版でした。
三宝院の勅使門ですが、平成22年(2010年)に創建当時の姿に再建されたそうで、
随分きれいで新しそう、と思ったらまだできて10年ちょっと。納得です。
仁王門のところで左折して
私でも迷わない(^^;看板がありました。
鳥居(長尾天満宮)を右手に見ながら歩いて
理性院に到着しました。
通常非公開ですが、冬の特別公開で入ることができました。
(特別公開のサイトより)
~探幽18歳の障壁画が残る醍醐寺別格本山~
醍醐寺の塔頭寺院で別格本山。
本堂内の中央の厨子には80年に一度のみ御開帳される秘仏・太元帥明王像(非公開)が
祀られており、向かって右手には平安時代後期の一木造の「不動明王坐像」(重文)、
左手には鎌倉時代作の毘沙門天立像を安置する。
客殿「上段の間」には、江戸初期の絵師・狩野探幽18歳の頃の作とされる
「水墨山水図」が残る。
現存する数少ない探幽十代の頃の障壁画としてその画風を知るうえで貴重な絵画である。
中はそれほど広い感じではなく、水墨画の説明を受けた後、
絵が遠くからしか見られないため、こういう説明用の資料が置いてありました。
ズームで撮影
全体が撮れないとこんな感じになっちゃいますね。(^^;
随分きれいで新しそう、と思ったらまだできて10年ちょっと。納得です。
仁王門のところで左折して
私でも迷わない(^^;看板がありました。
鳥居(長尾天満宮)を右手に見ながら歩いて
理性院に到着しました。
通常非公開ですが、冬の特別公開で入ることができました。
(特別公開のサイトより)
~探幽18歳の障壁画が残る醍醐寺別格本山~
醍醐寺の塔頭寺院で別格本山。
本堂内の中央の厨子には80年に一度のみ御開帳される秘仏・太元帥明王像(非公開)が
祀られており、向かって右手には平安時代後期の一木造の「不動明王坐像」(重文)、
左手には鎌倉時代作の毘沙門天立像を安置する。
客殿「上段の間」には、江戸初期の絵師・狩野探幽18歳の頃の作とされる
「水墨山水図」が残る。
現存する数少ない探幽十代の頃の障壁画としてその画風を知るうえで貴重な絵画である。
中はそれほど広い感じではなく、水墨画の説明を受けた後、
絵が遠くからしか見られないため、こういう説明用の資料が置いてありました。
ズームで撮影
全体が撮れないとこんな感じになっちゃいますね。(^^;
この後、本堂内で不動明王坐像(平安時代)と毘沙門天立像(鎌倉時代)を拝んで
入口の千体地蔵(写真を撮りませんでしたがインパクトのある光景でした)を見て
再び外に出たら途中で見かけた仁王門まで向かいます。
仁王門の左右には
(左)金剛力士像(吽形)(右)金剛力士像(阿形) いずれも勢増・仁増作
1134年作とのことですのでかなり歴史のある阿吽様たちですが、
迫力ある頭の割に体は少々細マッチョな感じに見えました。ちょっと優しめ?
と、仁王門を通って中に入ると、
広々としているのが逆に不自然に見えたのですが、
2018年の台風による被害跡でした
入口の千体地蔵(写真を撮りませんでしたがインパクトのある光景でした)を見て
再び外に出たら途中で見かけた仁王門まで向かいます。
仁王門の左右には
(左)金剛力士像(吽形)(右)金剛力士像(阿形) いずれも勢増・仁増作
1134年作とのことですのでかなり歴史のある阿吽様たちですが、
迫力ある頭の割に体は少々細マッチョな感じに見えました。ちょっと優しめ?
と、仁王門を通って中に入ると、
広々としているのが逆に不自然に見えたのですが、
2018年の台風による被害跡でした
翌年2019年は関東(千葉県もかなり被害を受け、うつぼ実家も3日間停電)が
被害を受けたのでその前年の西日本の台風のことも記憶にあります。
(関空が陸の孤島になってしまい飛行機が離発着できなかった)
その後、京都で訪れる先(高山寺や鞍馬寺など)で台風の爪痕が残っていて
倒木撤去にも巨額の費用が掛かって大変であることは聞いていましたが、
今回訪れた醍醐寺でもこのように広い面積で木が倒れたことを知りました。
自然災害は激甚レベルになると防ぎきれるものではないのですが、
こういう光景を見ると切ない気持ちになってしまいますね。
と、仁王門をくぐってすぐ台風の爪痕を観た後は中に歩を進めます。
清瀧宮(本殿だったかな)
(ここから先の説明は醍醐寺ホームぺージより記載しています)
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。
永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀り、その後、
この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになり
(文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517)に再建)
毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われて
いるそうです。今年は桜が早かったので後半は葉桜だったかもしれませんね。金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失、
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成。
金堂が醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊。
和歌山から移築、大変だったでしょうね。(移築と聞くと毎回この発想になります)
今回も京都にくることができたこと、醍醐寺をお参りすることができたことに感謝し、
薬師如来様に手を合わせました。この後、隣の不動堂でもお参りし、
真如三昧耶堂
もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3年(949)に創建、
文明2年(1470)に焼失、現在の堂は平成9年(1997)に真如三昧耶堂として建立。 観音堂
観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼び
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進に
より造築されたもの。
寄進でこんなに立派なお堂が出来るというのは(今は難しそうですが)
それだけ信心深い方が多かったということなのな、なんて思いました。
隣の弁天堂の近くには池があってカメもゆったり甲羅干し。
壽庵
湯葉カレーなど京都ぽいメニューが多い印象でした。
紅葉の季節 きれいでしょうね
このあたりで敷地の突き当りなので仁王門に向かって歩いて戻ります。
祖師堂
慶長10年(1605)9月座主義演准后(ぎえんじゅごう)により建立されたもので、
真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝が
祀られ、弘法大師の誕生日である6月15日には、降誕会が行われる。
弘法大師というと社会(歴史)の教科書で学んで名前は知っているものの、
具体的にどういうお寺が関連しているのかよく知らなかったのが、
この歳になってから京都のお寺を訪れるようになって色々と知るようになりました。五重塔(国宝)
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成。
初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれ、日本密教絵画の源流をなすものといわれ、
高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートル、相輪が塔の三分の一を占め、
安定感を与えている。京都府下で最も古い木造建築物。
昔の建造物を見ると、今のような建設機械や重機などがない時代にこれほど精巧に
造った方々の素晴らしさを感じます。(もちろん現代の建築も素晴らしいですが)
と、特別公開と醍醐寺の敷地内散策を楽しんだ後はランチタイムです。
(つづく)
被害を受けたのでその前年の西日本の台風のことも記憶にあります。
(関空が陸の孤島になってしまい飛行機が離発着できなかった)
その後、京都で訪れる先(高山寺や鞍馬寺など)で台風の爪痕が残っていて
倒木撤去にも巨額の費用が掛かって大変であることは聞いていましたが、
今回訪れた醍醐寺でもこのように広い面積で木が倒れたことを知りました。
自然災害は激甚レベルになると防ぎきれるものではないのですが、
こういう光景を見ると切ない気持ちになってしまいますね。
と、仁王門をくぐってすぐ台風の爪痕を観た後は中に歩を進めます。
清瀧宮(本殿だったかな)
(ここから先の説明は醍醐寺ホームぺージより記載しています)
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。
永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀り、その後、
この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになり
(文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517)に再建)
毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われて
いるそうです。今年は桜が早かったので後半は葉桜だったかもしれませんね。金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失、
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成。
金堂が醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊。
和歌山から移築、大変だったでしょうね。(移築と聞くと毎回この発想になります)
今回も京都にくることができたこと、醍醐寺をお参りすることができたことに感謝し、
薬師如来様に手を合わせました。この後、隣の不動堂でもお参りし、
真如三昧耶堂
もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3年(949)に創建、
文明2年(1470)に焼失、現在の堂は平成9年(1997)に真如三昧耶堂として建立。 観音堂
観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼び
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進に
より造築されたもの。
寄進でこんなに立派なお堂が出来るというのは(今は難しそうですが)
それだけ信心深い方が多かったということなのな、なんて思いました。
隣の弁天堂の近くには池があってカメもゆったり甲羅干し。
壽庵
湯葉カレーなど京都ぽいメニューが多い印象でした。
紅葉の季節 きれいでしょうね
このあたりで敷地の突き当りなので仁王門に向かって歩いて戻ります。
祖師堂
慶長10年(1605)9月座主義演准后(ぎえんじゅごう)により建立されたもので、
真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝が
祀られ、弘法大師の誕生日である6月15日には、降誕会が行われる。
弘法大師というと社会(歴史)の教科書で学んで名前は知っているものの、
具体的にどういうお寺が関連しているのかよく知らなかったのが、
この歳になってから京都のお寺を訪れるようになって色々と知るようになりました。五重塔(国宝)
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成。
初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれ、日本密教絵画の源流をなすものといわれ、
高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートル、相輪が塔の三分の一を占め、
安定感を与えている。京都府下で最も古い木造建築物。
昔の建造物を見ると、今のような建設機械や重機などがない時代にこれほど精巧に
造った方々の素晴らしさを感じます。(もちろん現代の建築も素晴らしいですが)
と、特別公開と醍醐寺の敷地内散策を楽しんだ後はランチタイムです。
(つづく)
タグ:京都
京都旅行記2023~醍醐寺で特別拝観編①~ [日本の旅(京都)]
(+o+)オハヨウゴザイマス。 京都滞在3日目の朝です。
前日早朝から飛ばした上に迷子が原因で歩きすぎたのもあってくたびれて、
この日予定していた清水寺&八坂の塔への朝練を諦めて二度寝しました。
(年齢を考えて行動しないといけないな、と反省しました(^^;)
二度寝して起きた後は、朝ごはんを食べて(なぜか写真なし)
四条から地下鉄で十条駅まで行ってここからバスで移動と思ったら、
Googleマップで表示されているバス停の場所にバス停なく(道の真ん中(笑))
バス停を見つけた、と思ったらバス出発した後でした。。。
時刻表を見ると次のバスは30分後。
違うルートを探しても結局着くのは同じだろう、と近くをぶらぶらして
バスを待つことにしました。
バス停から見える京阪バスの大きなビル
Googleマップも頼り切るとダメですね。反省。(^-^;
石田湯
表通りからちょっと中に入った住宅の多い一角で見かけた銭湯。
京都って銭湯が意外と多いイメージですが、私が住んでいるエリアは
どんどん銭湯が減って(月一度くらいのペースで通っていたのですが)
こういう光景を見ると羨ましい気持ちになります。
この後、無事バスに乗って30分くらいで醍醐寺に到着しました。
(醍醐寺ホームぺージ) https://www.daigoji.or.jp/
初めてきたお寺です。
平安時代に空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)によって開山、
相変わらずwikiに教えてもらいました。世界遺産です。
豊臣秀吉が晩年に「醍醐の花見」を行った場所なんですね。
と、wikiを見たら正室やら側室やらが輿の順番で揉めたというエピソードの方が
気になってしまったお花見です。
大河ドラマを全くみないため、彼女たちのドラマ(ありますよね、多分)、
結構女のドロドロした争いとかもありそうだな、なんて想像しました。
今回は、冬の特別拝観「京の冬の旅」で公開されていた三宝院と理性院を見学します。
特別公開(という言葉に弱い(笑))
最初は三宝院
拝観料を支払って三宝院の敷地内に入ると、
いきなり売店(物販熱心)
太閤しだれ桜
満開になったらきれいなんでしょうねぇ。(想像)
リーフレットには五重塔(これは違うエリアにあります)
醍醐寺の塔頭のひとつである三宝院は平安時代に創建された後、
応仁・文明の乱(1467-77)で被害を受けて荒廃したそうですが、
その後、慶長3年(1598)豊臣秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に
秀吉・秀頼援助のもと復興、秀吉が庭園に「藤戸石(覇者の象徴)」を主人石として
配置する力のいれようだったといただいたリーフレットに書いてありました。
頂いたリーフレットを手に中に入ると、
立派なお餅が飾ってありました。
昔はこういう(紅白ではないけれど)お餅を見る機会がありましたが、
今はなかなか見ることもなく暫し目が釘付けになりました。
最初に通ったのは葵の間。名前の通り葵の襖絵がありました。
続く秋草の間、勅使の間には長谷川等伯一派の「秋野図」などが、
表書院
石田遊汀の「孔雀と蘇鉄」、ちょっと南国な雰囲気の襖絵でした。
表書院は下段(27畳)、中段(18畳)、上段(15畳)と続いていて、
下段の間は畳を上げると能舞台になる「揚舞台の間」と呼ばれているそうです。
この絵が飾ってあるのは下段の間、ここが能舞台にもなるのですね。
前日早朝から飛ばした上に迷子が原因で歩きすぎたのもあってくたびれて、
この日予定していた清水寺&八坂の塔への朝練を諦めて二度寝しました。
(年齢を考えて行動しないといけないな、と反省しました(^^;)
二度寝して起きた後は、朝ごはんを食べて(なぜか写真なし)
四条から地下鉄で十条駅まで行ってここからバスで移動と思ったら、
Googleマップで表示されているバス停の場所にバス停なく(道の真ん中(笑))
バス停を見つけた、と思ったらバス出発した後でした。。。
時刻表を見ると次のバスは30分後。
違うルートを探しても結局着くのは同じだろう、と近くをぶらぶらして
バスを待つことにしました。
バス停から見える京阪バスの大きなビル
Googleマップも頼り切るとダメですね。反省。(^-^;
石田湯
表通りからちょっと中に入った住宅の多い一角で見かけた銭湯。
京都って銭湯が意外と多いイメージですが、私が住んでいるエリアは
どんどん銭湯が減って(月一度くらいのペースで通っていたのですが)
こういう光景を見ると羨ましい気持ちになります。
この後、無事バスに乗って30分くらいで醍醐寺に到着しました。
(醍醐寺ホームぺージ) https://www.daigoji.or.jp/
初めてきたお寺です。
平安時代に空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)によって開山、
相変わらずwikiに教えてもらいました。世界遺産です。
豊臣秀吉が晩年に「醍醐の花見」を行った場所なんですね。
と、wikiを見たら正室やら側室やらが輿の順番で揉めたというエピソードの方が
気になってしまったお花見です。
大河ドラマを全くみないため、彼女たちのドラマ(ありますよね、多分)、
結構女のドロドロした争いとかもありそうだな、なんて想像しました。
今回は、冬の特別拝観「京の冬の旅」で公開されていた三宝院と理性院を見学します。
特別公開(という言葉に弱い(笑))
最初は三宝院
拝観料を支払って三宝院の敷地内に入ると、
いきなり売店(物販熱心)
太閤しだれ桜
満開になったらきれいなんでしょうねぇ。(想像)
リーフレットには五重塔(これは違うエリアにあります)
醍醐寺の塔頭のひとつである三宝院は平安時代に創建された後、
応仁・文明の乱(1467-77)で被害を受けて荒廃したそうですが、
その後、慶長3年(1598)豊臣秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に
秀吉・秀頼援助のもと復興、秀吉が庭園に「藤戸石(覇者の象徴)」を主人石として
配置する力のいれようだったといただいたリーフレットに書いてありました。
頂いたリーフレットを手に中に入ると、
立派なお餅が飾ってありました。
昔はこういう(紅白ではないけれど)お餅を見る機会がありましたが、
今はなかなか見ることもなく暫し目が釘付けになりました。
最初に通ったのは葵の間。名前の通り葵の襖絵がありました。
続く秋草の間、勅使の間には長谷川等伯一派の「秋野図」などが、
表書院
石田遊汀の「孔雀と蘇鉄」、ちょっと南国な雰囲気の襖絵でした。
表書院は下段(27畳)、中段(18畳)、上段(15畳)と続いていて、
下段の間は畳を上げると能舞台になる「揚舞台の間」と呼ばれているそうです。
この絵が飾ってあるのは下段の間、ここが能舞台にもなるのですね。
上段の間
池泉式庭園もきれいです
敷居の上に座らないでください
有名なお寺に行くと海外からの観光客が座り込んだり寝そべったりしているのを
よく見かけてちょっと嫌な気分になるのですが(ここはお寺なんだよと言いたくなる)
こんな注意書きが書いてあるってインバウンドが多かった頃は酷かったのかな、
なんて思いました。
純浄観
太閤秀吉が醍醐の花見で使用した建物を槍山から移築したものと言われています。
襖絵は新しい感じ
と思ってリーフレットを見たら、平成になってから浜田泰介画伯によって
描かれたと書いてありました。
池泉式庭園もきれいです
敷居の上に座らないでください
有名なお寺に行くと海外からの観光客が座り込んだり寝そべったりしているのを
よく見かけてちょっと嫌な気分になるのですが(ここはお寺なんだよと言いたくなる)
こんな注意書きが書いてあるってインバウンドが多かった頃は酷かったのかな、
なんて思いました。
純浄観
太閤秀吉が醍醐の花見で使用した建物を槍山から移築したものと言われています。
襖絵は新しい感じ
と思ってリーフレットを見たら、平成になってから浜田泰介画伯によって
描かれたと書いてありました。
庭を見ながら移動しますが
肝心の藤戸石を撮り忘れ(^^; 本堂
快慶作の弥勒菩薩が特別公開されて見ることができました。
弘法大師と理源大師にも手を合わせて入口に戻り、
御朱印(種類色々あって結局全部いただいてしまいました)をいただいて、次は理性院に向かいます
(つづく)
肝心の藤戸石を撮り忘れ(^^; 本堂
快慶作の弥勒菩薩が特別公開されて見ることができました。
弘法大師と理源大師にも手を合わせて入口に戻り、
御朱印(種類色々あって結局全部いただいてしまいました)をいただいて、次は理性院に向かいます
(つづく)
タグ:京都
京都旅行記2023~割烹中山さんで夜の部編~ [日本の旅(京都)]
早朝から酒蔵見学したり迷子になってすっかり疲れてしまったのですが、
夜の部はお待ちかねの祇園割烹中山さんで夜の部です。(^O^)/
おじゃましまーす
L字カウンターの真ん中に座って(この日はカウンターにもう一人)
経木メニューを眺めながら
乾杯♪
おまかせでお願いしていたつもりが通っていなかったのでアラカルトで
色々といただきました。
お通しは湯葉&いくら 豪華です
お造りも豪華
夜の部はお待ちかねの祇園割烹中山さんで夜の部です。(^O^)/
おじゃましまーす
L字カウンターの真ん中に座って(この日はカウンターにもう一人)
経木メニューを眺めながら
乾杯♪
おまかせでお願いしていたつもりが通っていなかったのでアラカルトで
色々といただきました。
お通しは湯葉&いくら 豪華です
お造りも豪華
マグロがとろける脂、特に美味しくいただけました。
英勲にスイッチ
英勲にスイッチ
蓋を開ける瞬間、楽しいです。(^-^)
揚げ出し豆腐
京都のお豆腐も美味しいからだと思いますが大将の出汁が美味しいから更に美味しい。
私にとっては世界一の揚げ出し豆腐です。
牡蠣の松前焼
女将さんと映画の話になって、女将さんが大好きなイ・ビョンホンの最新映画を
見そびれたものの(非常なんとか)、インド映画の「RRR」が面白かったというと、
息子さんがこの日観に行っているとのことでした。(女将さんは未見)
映画の話の流れで自宅でNetflixなどを見る話題になると、最近の若い人は早送りで
観るのに慣れているのが凄いという話題になりました。
私も以前ビデオを早送り(テレビ番組の録画)したことはありますが、映画などを早送り、
というのは殆どしていないので驚いたのですが時の流れなのかと思いつつ、作りてのことを
考えるとじっくり見たいと思う自分がおりました。
翌日も中山さんで食事の予定だったのですが、女将さんは予定があるそうで不在とのこと、
今回一度だけでも会えたのでよかったと思いながら翌日の不在は残念。。。
今回お初でお会いした常連の男性(歳は私より若めかな)が興味深かったといういか、
ひたすら焼きフグを楽しまれていて(中山さんの焼きふぐが大好きとのこと)
そうか、一人で鍋は難しくても焼きフグならいけるかな、次回は食べたいもののリストに
入れたいと思いました。(焼いているときの香ばしいタレの香りが素敵だった)
満腹になるまえに失礼して歩いてホテルまで戻りましたが、
この日、3万歩近く歩いている自分に驚きつつ、お風呂に入った後、
音羽屋さんの大仏餅(左)を食べて
柚子の香りを楽しみながら美味しくいただき就寝。
(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜
(つづく)
揚げ出し豆腐
京都のお豆腐も美味しいからだと思いますが大将の出汁が美味しいから更に美味しい。
私にとっては世界一の揚げ出し豆腐です。
牡蠣の松前焼
女将さんと映画の話になって、女将さんが大好きなイ・ビョンホンの最新映画を
見そびれたものの(非常なんとか)、インド映画の「RRR」が面白かったというと、
息子さんがこの日観に行っているとのことでした。(女将さんは未見)
映画の話の流れで自宅でNetflixなどを見る話題になると、最近の若い人は早送りで
観るのに慣れているのが凄いという話題になりました。
私も以前ビデオを早送り(テレビ番組の録画)したことはありますが、映画などを早送り、
というのは殆どしていないので驚いたのですが時の流れなのかと思いつつ、作りてのことを
考えるとじっくり見たいと思う自分がおりました。
翌日も中山さんで食事の予定だったのですが、女将さんは予定があるそうで不在とのこと、
今回一度だけでも会えたのでよかったと思いながら翌日の不在は残念。。。
今回お初でお会いした常連の男性(歳は私より若めかな)が興味深かったといういか、
ひたすら焼きフグを楽しまれていて(中山さんの焼きふぐが大好きとのこと)
そうか、一人で鍋は難しくても焼きフグならいけるかな、次回は食べたいもののリストに
入れたいと思いました。(焼いているときの香ばしいタレの香りが素敵だった)
満腹になるまえに失礼して歩いてホテルまで戻りましたが、
この日、3万歩近く歩いている自分に驚きつつ、お風呂に入った後、
音羽屋さんの大仏餅(左)を食べて
柚子の香りを楽しみながら美味しくいただき就寝。
(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜
(つづく)
京都旅行記2023~東本願寺で特別拝観編~ [日本の旅(京都)]
京都で迷子(途中で間違いに気づく(笑))になって超大回りでたどり着いた東本願寺、
「僧侶がご案内する特別拝観 東本願寺 諸殿」
参加証を受け取ったら開始時刻になりました。
(東本願寺ホームぺージ)https://www.higashihonganji.or.jp/
あれ? この人が 案内してくれるのかな。
剃髪していなくて結婚指輪してる若いお坊さんでした
勝手にお経で鍛えた喉が渋いおじいちゃん僧侶を想像していたので、
かなりびっくりした後、
そうだ東本願寺って浄土真宗だった、ということに気づきました。
うつぼ実家が檀家のお寺も浄土真宗
ご住職は剃髪していないし、結婚しているし、お酒も飲むし、、、
その姿を思い出す目の前にいるお坊さんのことも受け入られました。
最初に御影堂と阿弥陀堂
中の写真はありません。(お堂の中で写真を撮るものではないし撮影禁止ですし)
月末から行われる親鸞聖人の行事の準備のため、一部しか観られなかったのですが、
案内してくれたお坊さん、カンペを読みながら一生懸命説明してくれました。
(マイク使っていたのに遠くにいたせいかよく聞こえませんでした(^-^;)
大橇(おおぞり)
お寺の建築に使う木材を運ぶのに使われた大橇だそうですが、
明治時代、新潟県上越市から運搬中雪崩に巻き込まれて多くの方々が亡くなった、
という説明が書いてありました。
今のような重機もトラックもない時代、危険と重労働だったのだろう、と想像しました。
この後、高廊下を歩いて、宮御殿を通って大寝殿に向かいます。
蓮如上人御影道中駕籠
(wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%A6%82%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E5%BE%A1%E5%BD%B1%E9%81%93%E4%B8%AD
毎年春に行われている行事だそうですが、
今の時代、駕籠に乗る人もそれ以上に担ぐ人も大変そうです。(^-^;
竹内栖鳳の襖絵を白書院で見学
この説明もお坊さんの声が小さく、また他のツアーの人もたくさんいてよく聞こえず。
スズメがリアルだなあ(「風竹野雀」」という作品」)、
シロサギの羽根がふわふわだなあ(「古柳眠鷺」という作品)程度の感想です。
親鸞聖人御誕生850年
立教開宗800年(親鸞聖人50歳の時に開宗されたのですね)、
3月末から記事を書いている今も行われている行事です。
白書院を出て梅を見ながら向かうのは能舞台。
この能舞台で西川貴教さんが歌ったという説明は聞こえました。
能舞台とTMレボリューション西川さんとい組合せが意外ですが、
こういうコラボに柔軟なのも浄土真宗だからなのかな、と思いながら
続いて白書院に向かいます。
白書院は、1911年(明治44年)宗祖親鸞聖人650回御遠忌に
大阪の戸田猶七氏の寄進で再建された来賓接対用の建物だそうです。
藤の花
親鸞聖人が藤原氏ということで藤の花が描かれているそうです。
群鶴図
(描いた方の説明あったかもしれませんが聞いておらず(:_;))
二重格天井
天井を見れば部屋の格が分かるという説明でしたが、
これほど手のかかった天井、確かに来賓用に使われているのも納得です。
安民豊国
閑院宮載親王による筆だそうです。
今の日本がそうなのか、考えてしまったのですが、迷子になったりしても
こうやってお東さん(東本願寺)を訪れることが出来ることは幸せですね。
見学終了
イヤホン返却時にもらう記念品をもらいそびれ(スタッフの方が気づいてくれず)
戻ってもらう気もせずそのまま帰ろうと思って門を出たら、
あれ
あれれ?!
見覚えのあるこけしが横たわっていました。
昨年の春、清水寺でお会いした「花子」さんでした。
昨年
今年
清水寺で見たときより巨大感を感じました。(◎_◎;)
迷って歩いたのですっかりくたびれたままホテルに戻り、
少しだけ休んだら、夜の部に繰り出します!
「僧侶がご案内する特別拝観 東本願寺 諸殿」
参加証を受け取ったら開始時刻になりました。
(東本願寺ホームぺージ)https://www.higashihonganji.or.jp/
あれ? この人が 案内してくれるのかな。
剃髪していなくて結婚指輪してる若いお坊さんでした
勝手にお経で鍛えた喉が渋いおじいちゃん僧侶を想像していたので、
かなりびっくりした後、
そうだ東本願寺って浄土真宗だった、ということに気づきました。
うつぼ実家が檀家のお寺も浄土真宗
ご住職は剃髪していないし、結婚しているし、お酒も飲むし、、、
その姿を思い出す目の前にいるお坊さんのことも受け入られました。
最初に御影堂と阿弥陀堂
中の写真はありません。(お堂の中で写真を撮るものではないし撮影禁止ですし)
月末から行われる親鸞聖人の行事の準備のため、一部しか観られなかったのですが、
案内してくれたお坊さん、カンペを読みながら一生懸命説明してくれました。
(マイク使っていたのに遠くにいたせいかよく聞こえませんでした(^-^;)
大橇(おおぞり)
お寺の建築に使う木材を運ぶのに使われた大橇だそうですが、
明治時代、新潟県上越市から運搬中雪崩に巻き込まれて多くの方々が亡くなった、
という説明が書いてありました。
今のような重機もトラックもない時代、危険と重労働だったのだろう、と想像しました。
この後、高廊下を歩いて、宮御殿を通って大寝殿に向かいます。
蓮如上人御影道中駕籠
(wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%A6%82%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E5%BE%A1%E5%BD%B1%E9%81%93%E4%B8%AD
毎年春に行われている行事だそうですが、
今の時代、駕籠に乗る人もそれ以上に担ぐ人も大変そうです。(^-^;
竹内栖鳳の襖絵を白書院で見学
この説明もお坊さんの声が小さく、また他のツアーの人もたくさんいてよく聞こえず。
スズメがリアルだなあ(「風竹野雀」」という作品」)、
シロサギの羽根がふわふわだなあ(「古柳眠鷺」という作品)程度の感想です。
親鸞聖人御誕生850年
立教開宗800年(親鸞聖人50歳の時に開宗されたのですね)、
3月末から記事を書いている今も行われている行事です。
白書院を出て梅を見ながら向かうのは能舞台。
この能舞台で西川貴教さんが歌ったという説明は聞こえました。
能舞台とTMレボリューション西川さんとい組合せが意外ですが、
こういうコラボに柔軟なのも浄土真宗だからなのかな、と思いながら
続いて白書院に向かいます。
白書院は、1911年(明治44年)宗祖親鸞聖人650回御遠忌に
大阪の戸田猶七氏の寄進で再建された来賓接対用の建物だそうです。
藤の花
親鸞聖人が藤原氏ということで藤の花が描かれているそうです。
群鶴図
(描いた方の説明あったかもしれませんが聞いておらず(:_;))
二重格天井
天井を見れば部屋の格が分かるという説明でしたが、
これほど手のかかった天井、確かに来賓用に使われているのも納得です。
安民豊国
閑院宮載親王による筆だそうです。
今の日本がそうなのか、考えてしまったのですが、迷子になったりしても
こうやってお東さん(東本願寺)を訪れることが出来ることは幸せですね。
見学終了
イヤホン返却時にもらう記念品をもらいそびれ(スタッフの方が気づいてくれず)
戻ってもらう気もせずそのまま帰ろうと思って門を出たら、
あれ
あれれ?!
見覚えのあるこけしが横たわっていました。
昨年の春、清水寺でお会いした「花子」さんでした。
昨年
今年
清水寺で見たときより巨大感を感じました。(◎_◎;)
迷って歩いたのですっかりくたびれたままホテルに戻り、
少しだけ休んだら、夜の部に繰り出します!
(つづく)
タグ:京都
京都旅行記2023~京都で迷子編~ [日本の旅(京都)]
昨日、珍事と書きましたがタイトルの通り迷子になった話です。(笑)
京都国立博物館で前田珈琲が満席で入れなかったお陰で見つけて入った世界カフェ。
オムライスがかなり大きくて満腹太郎になったので、東本願寺まで15分歩けば
少しはこなれるだろう、と思いながら歩いていると、
豊国神社
京都国立博物館で前田珈琲が満席で入れなかったお陰で見つけて入った世界カフェ。
オムライスがかなり大きくて満腹太郎になったので、東本願寺まで15分歩けば
少しはこなれるだろう、と思いながら歩いていると、
豊国神社
3年前、漫画で豊臣秀吉について学んだあとに訪れた神社です。
この神社と近くにある耳塚を見て悲しい気持ちになったのを思い出したのですが、豊国神社の位置
Googleマップで国立館から東本願寺の道を調べて
「まっすぐ歩いて15分。碁盤の目だから迷わず行ける。オッケー!」と
自信たっぷりだった私ですが、実は最初から違う道に行ってしまい、
そこで世界カフェにたどり着き、更にまっすぐ進んだので豊国神社を目にしたこと、
この時点で全く気付いておりません。(笑)
この日はお天気もよくぽかぽかしていたので
「春の散歩は最高!」
という気分で歩いていた(おまけに一人なので間違いを指摘する人がいない)ので
碁盤の目の方向を間違ったまま直進したため、思いきり違う方向に歩きました。
途中で見かけた和菓子屋さん
(音羽屋さん)https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26005908/
食べログにはお店の所在エリアを「清水五条」と書いてあったので、
博物館から西に進むはずが北上していたことが今更分かります。反省。(^-^;
地元のおばあちゃんが買っていたので私もお店に入ってみると、
どこか懐かしい雰囲気のお店でした
お店のおじちゃんは見事なパンチヘアで「はい、いらっしゃい!」とフレンドリー、
びっ栗(笑)
「びっ栗とか大仏餅とか名前が楽しいですね」、と話しかけながら、
「えび餅って初めてきいたんですけど(海老のような赤い色のお餅)
京都ではよく食べるお餅なんですか?」と聞いてみたら、
「地元の人は食べるんじゃないかなー」というお答えでした。
買ってみればよかったなと今更思ったのですが切って焼いて食べたら
香ばしそうな綺麗な色のお餅で(多分海老入ってるんだろうな)
また音羽屋さんの前を通ることがあったら買って食べてみたいです。
と、結局私が買ったのは大仏餅と普通の豆大福。
ありがとうございました
五条あたりと分かっているのにまだ気づいていません(笑)
文房具屋さんや
飲食店の店先で活海老を見たり
桶屋さん
お勝手用品のお店 昭和感が出ています
ナカオレコード店さん
浅草のヨーロー堂みたい
(演歌メインでカセットも沢山販売されている雷門近くの老舗店です)
ときょろきょろしていたら、住所表示に「宮川町」と書いてあって、
あれ、宮川町って祇園の花街のひとつじゃなかったっけ、ということに気づき、
あれ、祇園まで来てるって北上してる!気づけば祇園の南座まで来ていました。(笑)なにやってるのよ、私。( ノД`)
このあたりの道もかなり混んでいてタクシーを拾えたとしても渋滞にはまるかも、
なんて思ったらとりあえず早足で向かえばいいか、と東本願寺まで歩くことに。
予約したイベントのちょうど30分前、遅れたら参加できないので必死です。(笑)
鴨川を挟んで迷走
Googleマップを見ながら必死で早足で歩いていたら3月初旬で滝汗でしたが、
この神社と近くにある耳塚を見て悲しい気持ちになったのを思い出したのですが、豊国神社の位置
Googleマップで国立館から東本願寺の道を調べて
「まっすぐ歩いて15分。碁盤の目だから迷わず行ける。オッケー!」と
自信たっぷりだった私ですが、実は最初から違う道に行ってしまい、
そこで世界カフェにたどり着き、更にまっすぐ進んだので豊国神社を目にしたこと、
この時点で全く気付いておりません。(笑)
この日はお天気もよくぽかぽかしていたので
「春の散歩は最高!」
という気分で歩いていた(おまけに一人なので間違いを指摘する人がいない)ので
碁盤の目の方向を間違ったまま直進したため、思いきり違う方向に歩きました。
途中で見かけた和菓子屋さん
(音羽屋さん)https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26005908/
食べログにはお店の所在エリアを「清水五条」と書いてあったので、
博物館から西に進むはずが北上していたことが今更分かります。反省。(^-^;
地元のおばあちゃんが買っていたので私もお店に入ってみると、
どこか懐かしい雰囲気のお店でした
お店のおじちゃんは見事なパンチヘアで「はい、いらっしゃい!」とフレンドリー、
びっ栗(笑)
「びっ栗とか大仏餅とか名前が楽しいですね」、と話しかけながら、
「えび餅って初めてきいたんですけど(海老のような赤い色のお餅)
京都ではよく食べるお餅なんですか?」と聞いてみたら、
「地元の人は食べるんじゃないかなー」というお答えでした。
買ってみればよかったなと今更思ったのですが切って焼いて食べたら
香ばしそうな綺麗な色のお餅で(多分海老入ってるんだろうな)
また音羽屋さんの前を通ることがあったら買って食べてみたいです。
と、結局私が買ったのは大仏餅と普通の豆大福。
ありがとうございました
五条あたりと分かっているのにまだ気づいていません(笑)
文房具屋さんや
飲食店の店先で活海老を見たり
桶屋さん
お勝手用品のお店 昭和感が出ています
ナカオレコード店さん
浅草のヨーロー堂みたい
(演歌メインでカセットも沢山販売されている雷門近くの老舗店です)
ときょろきょろしていたら、住所表示に「宮川町」と書いてあって、
あれ、宮川町って祇園の花街のひとつじゃなかったっけ、ということに気づき、
あれ、祇園まで来てるって北上してる!気づけば祇園の南座まで来ていました。(笑)なにやってるのよ、私。( ノД`)
このあたりの道もかなり混んでいてタクシーを拾えたとしても渋滞にはまるかも、
なんて思ったらとりあえず早足で向かえばいいか、と東本願寺まで歩くことに。
予約したイベントのちょうど30分前、遅れたら参加できないので必死です。(笑)
鴨川を挟んで迷走
Googleマップを見ながら必死で早足で歩いていたら3月初旬で滝汗でしたが、
開始3分前くらいに東本願寺に到着。
間に合ったのは良いのですが、イベントの受付がどこなのか分からず、
焦って門をくぐって受付を探したら
あった。。。。
私と同じようにギリギリに到着して受付している人が結構多くてホッとして
(自分だけだと先に受付して待っている人の白い目が刺さってきそうな気がして)
受付して(参加料金もここで支払)、イヤフォンと参加証を受けとりました。
よかった間に合って。
この後は、特別拝観に進みます。
(つづく)
間に合ったのは良いのですが、イベントの受付がどこなのか分からず、
焦って門をくぐって受付を探したら
あった。。。。
私と同じようにギリギリに到着して受付している人が結構多くてホッとして
(自分だけだと先に受付して待っている人の白い目が刺さってきそうな気がして)
受付して(参加料金もここで支払)、イヤフォンと参加証を受けとりました。
よかった間に合って。
この後は、特別拝観に進みます。
(つづく)
京都旅行記2023~世界カフェでランチ編~ [日本の旅(京都)]
正伝寺から京都駅に戻ってきて大混雑のバスでたどり着いた京都国立博物館。
この日は大きな展示というほどではなく「京都の仏像と神像」を鑑賞。
数年前に訪れるようになった高山寺の薬師如来像もありました。(撮影禁止)
鑑賞後、ちょうどお昼だったので館内のレストラン、と思ったらクローズ。
(といっても前回食べた時はちょっと残念な感じでした)
じゃあ、入口のところにある前田珈琲に、と行ってみたら大行列。( 一一)
ウェイティングリストを観ても私の前に20人くらいいたので早々に諦め、
次の訪問先である東本願寺方面に歩きながら入れるところを探すことにしました。
(途中で見つからなくても東本願寺の目の前に餃子の王将があるという安心感(^^;)
と、博物館から歩く事数分で、
世界カフェ?
(ホームぺージ)https://sekaicafekyoto.com/
一瞬、店名が怪しく思えたのですが、今思い返すと「宇宙カフェ」だったら
怪しいけれど「世界カフェ」であればどこか国際的なイメージですね。
歩いていた通りにここ1軒だけお店があって、この先もうないかもしれないと思って
お店に近づいてみると、
メニュー
ランチもあると知りお腹もすいていたのでお店に入りました。
着席
お店に入った時はどんなお店か全くわからなかったのですが、
後で調べてみたら60か国以上の国から留学している学生さんたちが
日本文化に触れながらカフェで働いて地元の方々と交流する場、みたいです。
注文を取りに来てくれたのがイスラム用のヒジャブ?を着た女性で、
私が日本語で聞いて女性が英語で答えるというなんだか不思議なやりとりで注文。
(英語で交流するお店だと後で知りました。反省反省。(^-^;)
うどんにしようかなと思ったら曜日限定で、この日はカレーピラフかオムライスの二択。
オムライス、久しぶりだなあと思いながら注文すると、
厨房から卵を混ぜている音(泡だて器を使っているみたいな音)が聞こえました。
町家を改装したお店です
連絡先の交換はNGです
親しく交流するとしても一定のラインは引いて置いたほうがよいのでしょうね。
店内には地元にお住まいと思しきおじいちゃんと後から入ってきたおじさんが
楽しそうにスタッフの留学生の方々とお話されていました。
地元のイベントにも声をかけたりしているようで、遠い日本にきて楽しい思い出を
作ってほしいなとその光景をちょっと遠くの席から眺めておりました。
注文から10分で運ばれてきました 綺麗に焼いてあります
とろとろ卵も好きですがどちらかといえばしっかり焼いてある方が好みです。
(小さい頃食べたオムライスがしっかり焼いてあったのでその名残だと思います)
キャロットラぺ
干しブドウとナッツも入っていて体によいものを食べている気分になりました。
食べている途中で、若いお母さんと2,3歳くらいの男の子が来店されたのですが、
男の子がとてもご機嫌さんで、周りのおじちゃん、おばちゃんにも手を振ったり
笑いかけてくれたりして、店内が非常に和やかな雰囲気になりました。
(博物館内の)前田珈琲が満席で入れなくて逆によかったかもしれない。。
そんな気持ちになって美味しくオムライスを食べたら、
コーヒーをいただいてお会計
ヒジャブを着ている女性にどちらからですか?と聞いてみたら(英語で)
イランから留学しているとのことでした。
たまたま歩いていて目について入ったカフェで美味しいオムライスが食べられて
良かったとお礼を伝えると、またきてくださいね、と言われてしまったので、
千葉県(東京の隣)に住んでいるから半年に一度くらいかな、と答えると、
遠くから京都にきてくれてありがとう、という言葉をいただきました。
ありがとう、世界カフェ
ここで働く留学生はかなり多いようでこのイランからの女性にはもう会うことは
ないかもしれませんが、こういう場所の存在を知ることが出来たのもラッキーでした。
この後は、東本願寺に向かいますがここでちょっとした珍事(笑)が起きました。
(つづく)
この日は大きな展示というほどではなく「京都の仏像と神像」を鑑賞。
数年前に訪れるようになった高山寺の薬師如来像もありました。(撮影禁止)
鑑賞後、ちょうどお昼だったので館内のレストラン、と思ったらクローズ。
(といっても前回食べた時はちょっと残念な感じでした)
じゃあ、入口のところにある前田珈琲に、と行ってみたら大行列。( 一一)
ウェイティングリストを観ても私の前に20人くらいいたので早々に諦め、
次の訪問先である東本願寺方面に歩きながら入れるところを探すことにしました。
(途中で見つからなくても東本願寺の目の前に餃子の王将があるという安心感(^^;)
と、博物館から歩く事数分で、
世界カフェ?
(ホームぺージ)https://sekaicafekyoto.com/
一瞬、店名が怪しく思えたのですが、今思い返すと「宇宙カフェ」だったら
怪しいけれど「世界カフェ」であればどこか国際的なイメージですね。
歩いていた通りにここ1軒だけお店があって、この先もうないかもしれないと思って
お店に近づいてみると、
メニュー
ランチもあると知りお腹もすいていたのでお店に入りました。
着席
お店に入った時はどんなお店か全くわからなかったのですが、
後で調べてみたら60か国以上の国から留学している学生さんたちが
日本文化に触れながらカフェで働いて地元の方々と交流する場、みたいです。
注文を取りに来てくれたのがイスラム用のヒジャブ?を着た女性で、
私が日本語で聞いて女性が英語で答えるというなんだか不思議なやりとりで注文。
(英語で交流するお店だと後で知りました。反省反省。(^-^;)
うどんにしようかなと思ったら曜日限定で、この日はカレーピラフかオムライスの二択。
オムライス、久しぶりだなあと思いながら注文すると、
厨房から卵を混ぜている音(泡だて器を使っているみたいな音)が聞こえました。
町家を改装したお店です
連絡先の交換はNGです
親しく交流するとしても一定のラインは引いて置いたほうがよいのでしょうね。
店内には地元にお住まいと思しきおじいちゃんと後から入ってきたおじさんが
楽しそうにスタッフの留学生の方々とお話されていました。
地元のイベントにも声をかけたりしているようで、遠い日本にきて楽しい思い出を
作ってほしいなとその光景をちょっと遠くの席から眺めておりました。
注文から10分で運ばれてきました 綺麗に焼いてあります
とろとろ卵も好きですがどちらかといえばしっかり焼いてある方が好みです。
(小さい頃食べたオムライスがしっかり焼いてあったのでその名残だと思います)
キャロットラぺ
干しブドウとナッツも入っていて体によいものを食べている気分になりました。
食べている途中で、若いお母さんと2,3歳くらいの男の子が来店されたのですが、
男の子がとてもご機嫌さんで、周りのおじちゃん、おばちゃんにも手を振ったり
笑いかけてくれたりして、店内が非常に和やかな雰囲気になりました。
(博物館内の)前田珈琲が満席で入れなくて逆によかったかもしれない。。
そんな気持ちになって美味しくオムライスを食べたら、
コーヒーをいただいてお会計
ヒジャブを着ている女性にどちらからですか?と聞いてみたら(英語で)
イランから留学しているとのことでした。
たまたま歩いていて目について入ったカフェで美味しいオムライスが食べられて
良かったとお礼を伝えると、またきてくださいね、と言われてしまったので、
千葉県(東京の隣)に住んでいるから半年に一度くらいかな、と答えると、
遠くから京都にきてくれてありがとう、という言葉をいただきました。
ありがとう、世界カフェ
ここで働く留学生はかなり多いようでこのイランからの女性にはもう会うことは
ないかもしれませんが、こういう場所の存在を知ることが出来たのもラッキーでした。
この後は、東本願寺に向かいますがここでちょっとした珍事(笑)が起きました。
(つづく)
タグ:京都
京都旅行記2023~正伝寺編~ [日本の旅(京都)]
佐々木酒造での早朝酒蔵見学が予定時刻を15分くらい延びて8時45分終了。
その後、売店でお酒を買った後は、バスで再び四条のホテルまで戻りましたが、
ぼーっとしていたのか最寄バス停のひとつ手前でなぜか降りてしまい、
慌ててホテルに駆け込んだのが9時25分。ラストオーダー5分前に滑り込みセーフ。
前回感じのよかったスタッフのおばちゃんに会えずに残念でしたが、
モリモリです
おばんざい(里芋煮、湯葉小松菜煮びたし、水菜の胡麻和え)、
サラダに湯豆腐、なっとぅにごはんと野菜たっぷりのお味噌汁。
部屋の収納が少ない難点があるホテルですが、温かくて優しい朝ごはん、
豪華なものはありませんが連泊するとこういうご飯が本当に嬉しいです。
無事朝ごはんを食べられて満足した後は暫し部屋でごろごろしてから再び出発。
京都に来たら寄りたい正伝寺さんに向かいます。
途中までは早朝に行った佐々木酒造さんと同じ方向なので、
その後、売店でお酒を買った後は、バスで再び四条のホテルまで戻りましたが、
ぼーっとしていたのか最寄バス停のひとつ手前でなぜか降りてしまい、
慌ててホテルに駆け込んだのが9時25分。ラストオーダー5分前に滑り込みセーフ。
前回感じのよかったスタッフのおばちゃんに会えずに残念でしたが、
モリモリです
おばんざい(里芋煮、湯葉小松菜煮びたし、水菜の胡麻和え)、
サラダに湯豆腐、なっとぅにごはんと野菜たっぷりのお味噌汁。
部屋の収納が少ない難点があるホテルですが、温かくて優しい朝ごはん、
豪華なものはありませんが連泊するとこういうご飯が本当に嬉しいです。
無事朝ごはんを食べられて満足した後は暫し部屋でごろごろしてから再び出発。
京都に来たら寄りたい正伝寺さんに向かいます。
途中までは早朝に行った佐々木酒造さんと同じ方向なので、
晴明神社この日2度目の通過
終点1つ前、神光院前で下車し、
定点観測ポイント① スーパーエムジー
在庫たっぷりで安心しました
(昨年10月は店内に置いてありましたが今回は外に出ていました)
コロナ禍での買い占めで一時期「お一人様一点まで」と書いてあった売り場も
今は落ち着いて(というかあれもガセネタが原因なんですよね)穏やかです。
美味しいお蕎麦の松庵さんを通り
定点観測ポイント② 野菜自販機
今回はニンジンが美味しそうでした
京都市といっても郊外というか、のんびりした雰囲気の中、
途中で見かける畑では
葉っぱを突き破る生命力で咲く花 春です
迷わずここまでやってきたらあと少し
到着~
終点1つ前、神光院前で下車し、
定点観測ポイント① スーパーエムジー
在庫たっぷりで安心しました
(昨年10月は店内に置いてありましたが今回は外に出ていました)
コロナ禍での買い占めで一時期「お一人様一点まで」と書いてあった売り場も
今は落ち着いて(というかあれもガセネタが原因なんですよね)穏やかです。
美味しいお蕎麦の松庵さんを通り
定点観測ポイント② 野菜自販機
今回はニンジンが美味しそうでした
京都市といっても郊外というか、のんびりした雰囲気の中、
途中で見かける畑では
葉っぱを突き破る生命力で咲く花 春です
迷わずここまでやってきたらあと少し
到着~
(正伝寺ホームぺージ)http://shodenji-kyoto.jp/
岩と一緒に暮らす苔の絨毯を観ながら坂道を上がって、拝観料を支払うと、
ありがたいことに貸切です
ちょっと曇天ですが、
比叡山、見えました
この記事を書きながら、先日観たデヴィッド・ボウイの映画に正伝寺がちょっと映ったのを
思い出しました。
ボウイ様がこの庭に涙したという記事がもし盛られた記事だとしても、
私はこのお寺の存在を知ってくることができたことに感謝しています。
ありがとう日経新聞(夕刊)。
心が落ち着いた後は、
血天井(伏見城から移設)を眺めて帰ります
(血天井のことを怖いと仰る方もいるのですが、私は戦いで命を落とされた方々が
お寺で供養されていると理解しているので怖くはありません!)
たんたん狸さん、またね
と挨拶した後に右手の東司(先手間)をお借りして
再びバスに乗って京都駅へ。
正伝寺、きのこスポットでした
迷わずきのこ討伐に参加したのですが人が少ない場所なので、
一緒に討伐してくれる方が誰も現れず(想定通りでした)、
一人(というか私のピクミンたち)で延々2時間くらい闘っておりました。
(なんのこっちゃの方へ←ピクミンブルームというスマホアプリのゲームです)
時間通り京都駅に着いた後は、バスを乗り換えて京都国立博物館に向かおうと
バス乗り場に行ったのですが、50人くらいは並んでいそうな大行列。( 一一)
清水寺方面なので日中混んでいるのはある程度想像していましたがそれ以上でした。
歩けば20分で博物館に着くので歩こうかと思いながらずるずるバス停に並び続け、
1台目のバスに乗れず次のバスになんとか乗れてバス発車。
周りは欧米やアジア圏の観光客(ニイハオさん除く)が半分くらいの感じ。
インバウンドの流れが戻ってきているんだろうな、と思いながら立っていると、
途中で足を踏まれたり(怒)しましたが、わざとではないだろうし、と、
怒りの持っていきどころがないまま京都国立博物館近くに到着。
バスを降りたら博物館に向かいます。
(つづく)
岩と一緒に暮らす苔の絨毯を観ながら坂道を上がって、拝観料を支払うと、
ありがたいことに貸切です
ちょっと曇天ですが、
比叡山、見えました
この記事を書きながら、先日観たデヴィッド・ボウイの映画に正伝寺がちょっと映ったのを
思い出しました。
ボウイ様がこの庭に涙したという記事がもし盛られた記事だとしても、
私はこのお寺の存在を知ってくることができたことに感謝しています。
ありがとう日経新聞(夕刊)。
心が落ち着いた後は、
血天井(伏見城から移設)を眺めて帰ります
(血天井のことを怖いと仰る方もいるのですが、私は戦いで命を落とされた方々が
お寺で供養されていると理解しているので怖くはありません!)
たんたん狸さん、またね
と挨拶した後に右手の東司(先手間)をお借りして
再びバスに乗って京都駅へ。
正伝寺、きのこスポットでした
迷わずきのこ討伐に参加したのですが人が少ない場所なので、
一緒に討伐してくれる方が誰も現れず(想定通りでした)、
一人(というか私のピクミンたち)で延々2時間くらい闘っておりました。
(なんのこっちゃの方へ←ピクミンブルームというスマホアプリのゲームです)
時間通り京都駅に着いた後は、バスを乗り換えて京都国立博物館に向かおうと
バス乗り場に行ったのですが、50人くらいは並んでいそうな大行列。( 一一)
清水寺方面なので日中混んでいるのはある程度想像していましたがそれ以上でした。
歩けば20分で博物館に着くので歩こうかと思いながらずるずるバス停に並び続け、
1台目のバスに乗れず次のバスになんとか乗れてバス発車。
周りは欧米やアジア圏の観光客(ニイハオさん除く)が半分くらいの感じ。
インバウンドの流れが戻ってきているんだろうな、と思いながら立っていると、
途中で足を踏まれたり(怒)しましたが、わざとではないだろうし、と、
怒りの持っていきどころがないまま京都国立博物館近くに到着。
バスを降りたら博物館に向かいます。
(つづく)
タグ:京都
京都旅行記2023~佐々木酒造で早朝酒蔵見学編③~ [日本の旅(京都)]
お米を蒸して麹菌をかけて発酵させていく過程を早足ですが見学して、
再び階下に降りると、日本酒に変わっていく過程を過ごすタンクを見学します。
昭和36年?
お酒って酒税がかかるので財務省の管轄なんですよね。(昔は大蔵省)
徴税しそびれないようにタンクもきちんと認可したものを使わせるってことかな。
(おそらく昭和36年は大蔵省が認可した時期なのかと思いました)
再び階下に降りると、日本酒に変わっていく過程を過ごすタンクを見学します。
昭和36年?
お酒って酒税がかかるので財務省の管轄なんですよね。(昔は大蔵省)
徴税しそびれないようにタンクもきちんと認可したものを使わせるってことかな。
(おそらく昭和36年は大蔵省が認可した時期なのかと思いました)
かき混ぜる作業 かなり重労働です
酒母に麹、蒸米、水を加えて原酒となるもろみを約20日間かけて管理し、
麹の力によって蒸米が次第に糖化されていき、その糖を酵母菌が食べて
発酵してアルコールが生まれる。素晴らしい自然の力、といっても、
発酵を進ませるためにこうやって蔵人様が丁寧に攪拌されるのを見て、
日本酒、ありがたくいただかねばという気持が強まりました。
並行複発酵
上に書いたように糖化させながらアルコール発酵が同時に行われるのが
日本酒造りの特徴ということを今回学びました。
ぶくぶく(純米吟醸)
発酵が進む段階を2つのタンクで見比べることが出来ましたが、
毎日タンクをチェック
丁寧な仕事の積み重ねでお酒ができると改めて実感しました。
続いて隣のエリアに移動
酒母に麹、蒸米、水を加えて原酒となるもろみを約20日間かけて管理し、
麹の力によって蒸米が次第に糖化されていき、その糖を酵母菌が食べて
発酵してアルコールが生まれる。素晴らしい自然の力、といっても、
発酵を進ませるためにこうやって蔵人様が丁寧に攪拌されるのを見て、
日本酒、ありがたくいただかねばという気持が強まりました。
並行複発酵
上に書いたように糖化させながらアルコール発酵が同時に行われるのが
日本酒造りの特徴ということを今回学びました。
ぶくぶく(純米吟醸)
発酵が進む段階を2つのタンクで見比べることが出来ましたが、
毎日タンクをチェック
丁寧な仕事の積み重ねでお酒ができると改めて実感しました。
続いて隣のエリアに移動
お酒を搾る機械
実際見るのは初めてですが、このアコーディオンみたいなものをギューッと閉じると
お酒が搾れる、アイデアだなあと感心することしきりです。
これが圧搾という方法ですが、他にあと2つ方法があって、
遠心分離と袋吊り
遠心分離器
獺祭さんにもある機械だそうですが、かなりお高いらしいです。
遠心力でもろみを日本酒と酒粕に分離する方法で、もろみに負荷をかけないため、
雑味のない透明感のあるお酒に仕上がる、という説明でした。
透明感のないきれいなお酒も好きなのですが、ガツンとした飲み口のお酒が
どちらかというと好きなので、遠心分離で搾られたお酒(多分高いでしょうね)は
機会があれば呑んでみたい、という程度かも。
もう一つの袋吊りはもっと高いのでこれまでも両手で足りないくらいの回数しか
呑んだことがないかな。(遠心分離と同じ、きれいなお酒で美味しいんですが)
(もろみをいれた袋を吊ってぽたぽた日本酒が垂れてくる方法なので
ものすごく時間がかかるのであまり出回らないお酒のイメージです)
倉庫にやってくると
蔵之介さんが出演された映画作品のポスターがあっちもこっちもな感じで貼ってあって
(でも私はあまり観たことがなかったりします(^-^;)
ラベル貼りに挑戦
最初に説明を聞いた会場に箱が置いてあったので??と思っていたら、
このお酒を入れるための箱だったということに気づきました。
ラベルの貼り方を聞いて「曲がっても持ち帰るのは皆さんです」という説明に
みんな笑いながら各々ラベルを貼りました。
実際見るのは初めてですが、このアコーディオンみたいなものをギューッと閉じると
お酒が搾れる、アイデアだなあと感心することしきりです。
これが圧搾という方法ですが、他にあと2つ方法があって、
遠心分離と袋吊り
遠心分離器
獺祭さんにもある機械だそうですが、かなりお高いらしいです。
遠心力でもろみを日本酒と酒粕に分離する方法で、もろみに負荷をかけないため、
雑味のない透明感のあるお酒に仕上がる、という説明でした。
透明感のないきれいなお酒も好きなのですが、ガツンとした飲み口のお酒が
どちらかというと好きなので、遠心分離で搾られたお酒(多分高いでしょうね)は
機会があれば呑んでみたい、という程度かも。
もう一つの袋吊りはもっと高いのでこれまでも両手で足りないくらいの回数しか
呑んだことがないかな。(遠心分離と同じ、きれいなお酒で美味しいんですが)
(もろみをいれた袋を吊ってぽたぽた日本酒が垂れてくる方法なので
ものすごく時間がかかるのであまり出回らないお酒のイメージです)
倉庫にやってくると
蔵之介さんが出演された映画作品のポスターがあっちもこっちもな感じで貼ってあって
(でも私はあまり観たことがなかったりします(^-^;)
ラベル貼りに挑戦
最初に説明を聞いた会場に箱が置いてあったので??と思っていたら、
このお酒を入れるための箱だったということに気づきました。
ラベルの貼り方を聞いて「曲がっても持ち帰るのは皆さんです」という説明に
みんな笑いながら各々ラベルを貼りました。
出来上がり♪
ここがめちゃくちゃ寒くて(外気入りまくり)ラベルを貼ったお酒も冷たくて
持つのが大変だったのですが(急に寒くなった)この後、外に出て記念撮影です!と
蔵人様のお声かけで外に出ました。
倉庫に置いてあったホワイトボード
こうやって書いてあると楽しく作業できそうですね。
倉庫の外
見学の最初に来たところですが、もう蒸米の煙は出ていません。
杉玉を見たら左折して
はーい、うちのインスタに載せますからねー
と言われて、え、インスタ?と思ったのですが、白衣着て頭にキャップ被って
マスクしていれば面が割れることはないか、安心して、はい、チーズ。
この後は最初に説明を聞いた会場に戻ります。
朝から試飲(笑)
めんべい(博多土産)はいただきものですが、どうぞ、と社長が仰っていました。
ラベルを貼ったお酒は箱に入れます。
どれもしっかりした味わいですが、ガツンとまではこない感じ。
③のあらばしりは微発泡で優しい感じのお酒でした。
3種類のお酒の他に置いてあった桜色のどろっとしたのは甘酒。
ものすごい粘度、甘酒が苦手な私にはものすごく甘かったのでお菓子のように
思えて逆に美味しくいただけました。
(社長にうかがったらお菓子などの加工用に作って販売しているとのこと)
並行複発酵についてここでも説明を聞きました
ビールは単行複発酵、ワインは単発酵、お酒と一口にいっても作り方が違うのだなあと
醸造、蒸留以外でも様々な方法があることを今回ちゃんと学べました。
日本酒の生産量は年々減っているそうで(コロナで更に)、かといって、
田んぼは一旦やめると戻せないのでお米を作ってもらって買っているという説明に、
若い人の(度数の高い)アルコール離れもあるのかな、と思いつつ、
度を越えない程度に美味しく日本酒を呑み続けていきたいと思いました。
8時30分終了予定が15分オーバー、丁寧なご説明を聞きながらの仕込み見学、
試飲にお土産までついて5000円であればまた参加してみたいな、と思いました。
この後、売店でお酒を何本か買ってからホテルに一旦戻ります。
(つづく)
ここがめちゃくちゃ寒くて(外気入りまくり)ラベルを貼ったお酒も冷たくて
持つのが大変だったのですが(急に寒くなった)この後、外に出て記念撮影です!と
蔵人様のお声かけで外に出ました。
倉庫に置いてあったホワイトボード
こうやって書いてあると楽しく作業できそうですね。
倉庫の外
見学の最初に来たところですが、もう蒸米の煙は出ていません。
杉玉を見たら左折して
はーい、うちのインスタに載せますからねー
と言われて、え、インスタ?と思ったのですが、白衣着て頭にキャップ被って
マスクしていれば面が割れることはないか、安心して、はい、チーズ。
この後は最初に説明を聞いた会場に戻ります。
朝から試飲(笑)
めんべい(博多土産)はいただきものですが、どうぞ、と社長が仰っていました。
ラベルを貼ったお酒は箱に入れます。
どれもしっかりした味わいですが、ガツンとまではこない感じ。
③のあらばしりは微発泡で優しい感じのお酒でした。
3種類のお酒の他に置いてあった桜色のどろっとしたのは甘酒。
ものすごい粘度、甘酒が苦手な私にはものすごく甘かったのでお菓子のように
思えて逆に美味しくいただけました。
(社長にうかがったらお菓子などの加工用に作って販売しているとのこと)
並行複発酵についてここでも説明を聞きました
ビールは単行複発酵、ワインは単発酵、お酒と一口にいっても作り方が違うのだなあと
醸造、蒸留以外でも様々な方法があることを今回ちゃんと学べました。
日本酒の生産量は年々減っているそうで(コロナで更に)、かといって、
田んぼは一旦やめると戻せないのでお米を作ってもらって買っているという説明に、
若い人の(度数の高い)アルコール離れもあるのかな、と思いつつ、
度を越えない程度に美味しく日本酒を呑み続けていきたいと思いました。
8時30分終了予定が15分オーバー、丁寧なご説明を聞きながらの仕込み見学、
試飲にお土産までついて5000円であればまた参加してみたいな、と思いました。
この後、売店でお酒を何本か買ってからホテルに一旦戻ります。
(つづく)
タグ:京都
京都旅行記2023~佐々木酒造で早朝酒蔵見学編②~ [日本の旅(京都)]
早朝仕込みの酒蔵見学の前にまず外に出て、
この煙
中でお米を蒸しているので煙が外まで出ていました。
こんな高さまでもうもうと煙が出るってどれだけ大きな釜なんだろう、
見に行く前にこういう説明でも期待が高まります。
杉玉
新酒が出来たらこの杉玉、青々としたものに取り換えますが、
恐らく昨年後半に取り換えて訪問時には既に茶色なのでしょうね。
再び中に入って、入口横の売店をちょっとだけ見学。
最初はこのエリアから
かなり物販に熱心な印象でした
にゃぁ
猫をデザインしたグッズが多く、見学の案内をしてくださったスタッフの方も
猫がデザインされた酒蔵のパーカーを着ていらっしゃいましたが、
パトロール担当のあーちゃん、広報担当のちーちゃん&ちび子ちゃん、
3匹の佐々木酒造社員猫をデザインしているそうです。
売店と反対側には試飲コーナー
(見学終了後、ここで試飲されている方も結構多かったです←私は呑まなかった)
案内してくださったスタッフ(キシダさんというお名前だったような記憶です)、
色々な酒蔵見学の企画を一年中行っているそうですが、今回参加した早朝の仕込み見学が
やはり一番人気だそうです。
3月で仕込みが一段落するので私も今回滑り込みで申込できてラッキーです。(^-^)
と思いながら、仕込み風景の見学が始まりました。
巨大な甑・釜
精米後に洗ったお米
ここでお米を約一時間蒸して「蒸米」にする場所ですが、
外側は硬く、内側は柔らかく溶けやすい「外硬内軟」で仕上げるそうです。
この近くに井戸がありましたが(なぜか写真なし)
豊臣秀吉が建立した聚楽第で千利休が茶の湯に用いたという名水「銀明水」が
湧き出る井戸で、その美味しい水を使って仕込んでいるのが佐々木酒造のお酒、
と聞くとこの後の試飲が楽しみで仕方ありません。(^-^)
ちなみに、この蒸し作業、なべ底のお米が焦げるのを防ぐために以前はビーズを
なべ底に敷いていたそうですが、現在は特殊な布を使って焦げを防いでいるそうです。
(結構高い布でまだローンが残っていますという説明に参加者爆笑)
建物の外で見た煙はこの煙(物凄い勢い)でしたが、蒸し作業が終ったら、
煙もしゅーっと消えていきました。
今度はこのフックをかけてお米を移動します
竈?(松尾大社のお札がありました)
フックをかけて
お米を移動
麴菌を振ります
大吟醸の場合は機械にかけず、蒸したお米を十キロずつ担いで上階に運ぶそうで、
(今回は大吟醸ではないのでこの機械を使っているそうです)
オートメーションが進む世の中でも美味しいお酒を造るために重労働でも
手作業で行っているというのを知りただただ尊敬の眼差しで職人の皆さんを
眺めている己がおりました。
福一醸?
丁寧にお酒造りするという意味なのでしょうか。
(ネットで調べましたがよくわからず)
この古い扉の奥に進み、靴カバーをつけて上階に上がります。
この煙
中でお米を蒸しているので煙が外まで出ていました。
こんな高さまでもうもうと煙が出るってどれだけ大きな釜なんだろう、
見に行く前にこういう説明でも期待が高まります。
杉玉
新酒が出来たらこの杉玉、青々としたものに取り換えますが、
恐らく昨年後半に取り換えて訪問時には既に茶色なのでしょうね。
再び中に入って、入口横の売店をちょっとだけ見学。
最初はこのエリアから
かなり物販に熱心な印象でした
にゃぁ
猫をデザインしたグッズが多く、見学の案内をしてくださったスタッフの方も
猫がデザインされた酒蔵のパーカーを着ていらっしゃいましたが、
パトロール担当のあーちゃん、広報担当のちーちゃん&ちび子ちゃん、
3匹の佐々木酒造社員猫をデザインしているそうです。
売店と反対側には試飲コーナー
(見学終了後、ここで試飲されている方も結構多かったです←私は呑まなかった)
案内してくださったスタッフ(キシダさんというお名前だったような記憶です)、
色々な酒蔵見学の企画を一年中行っているそうですが、今回参加した早朝の仕込み見学が
やはり一番人気だそうです。
3月で仕込みが一段落するので私も今回滑り込みで申込できてラッキーです。(^-^)
と思いながら、仕込み風景の見学が始まりました。
巨大な甑・釜
精米後に洗ったお米
ここでお米を約一時間蒸して「蒸米」にする場所ですが、
外側は硬く、内側は柔らかく溶けやすい「外硬内軟」で仕上げるそうです。
この近くに井戸がありましたが(なぜか写真なし)
豊臣秀吉が建立した聚楽第で千利休が茶の湯に用いたという名水「銀明水」が
湧き出る井戸で、その美味しい水を使って仕込んでいるのが佐々木酒造のお酒、
と聞くとこの後の試飲が楽しみで仕方ありません。(^-^)
ちなみに、この蒸し作業、なべ底のお米が焦げるのを防ぐために以前はビーズを
なべ底に敷いていたそうですが、現在は特殊な布を使って焦げを防いでいるそうです。
(結構高い布でまだローンが残っていますという説明に参加者爆笑)
建物の外で見た煙はこの煙(物凄い勢い)でしたが、蒸し作業が終ったら、
煙もしゅーっと消えていきました。
今度はこのフックをかけてお米を移動します
竈?(松尾大社のお札がありました)
フックをかけて
お米を移動
麴菌を振ります
大吟醸の場合は機械にかけず、蒸したお米を十キロずつ担いで上階に運ぶそうで、
(今回は大吟醸ではないのでこの機械を使っているそうです)
オートメーションが進む世の中でも美味しいお酒を造るために重労働でも
手作業で行っているというのを知りただただ尊敬の眼差しで職人の皆さんを
眺めている己がおりました。
福一醸?
丁寧にお酒造りするという意味なのでしょうか。
(ネットで調べましたがよくわからず)
この古い扉の奥に進み、靴カバーをつけて上階に上がります。
麹室
日本酒は「一麹、二酛、三造り」、と言われるそうで、一番大事な麹を造る部屋。
室温が30~40℃、湿度60%を保ちながら麹菌が育つ環境にしているそうですが、
ここで作業する方、熱帯雨林よりも高温多湿な環境かもしれず重労働であることが
うかがえます。
作業が終わった後は麹菌が増えて高熱になったのを調節するために、
こうやって一定量ずつ箱に入れて麹菌が酸素に触れる表面を増やします。
日本酒は「一麹、二酛、三造り」、と言われるそうで、一番大事な麹を造る部屋。
室温が30~40℃、湿度60%を保ちながら麹菌が育つ環境にしているそうですが、
ここで作業する方、熱帯雨林よりも高温多湿な環境かもしれず重労働であることが
うかがえます。
作業が終わった後は麹菌が増えて高熱になったのを調節するために、
こうやって一定量ずつ箱に入れて麹菌が酸素に触れる表面を増やします。
工程表
造るお酒の種類(大吟醸、純米酒など)によって色分けして工程管理、
細かい作業を見やすく表示して管理されています。
床の蓋を開けると
眼下には醸造中のタンクが見えます
古い建物らしく立派な柱です
ここにも松尾大社のお札が貼ってありました
(私もちゃんとお参りしました)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2020-12-07
酛部屋(多分)
酵母を大量に培養する部屋、だったような記憶ですが既に曖昧になっています。( 一一)
(確か、古都という名前の酵母を培養していたような記憶ぼんやり)
獺祭のようにオートメーション化して誰が造っても品質が均一のお酒を造る、
という会社もありますが、設備投資も大変ですし、佐々木酒造さんくらいの規模だと
手作業もまだ多いのだなあと思いながら見学しました。
この後は、階下に降りて醸造中のタンクを見学させていただきます!
(つづく)
造るお酒の種類(大吟醸、純米酒など)によって色分けして工程管理、
細かい作業を見やすく表示して管理されています。
床の蓋を開けると
眼下には醸造中のタンクが見えます
古い建物らしく立派な柱です
ここにも松尾大社のお札が貼ってありました
(私もちゃんとお参りしました)https://utsubohan.blog.ss-blog.jp/2020-12-07
酛部屋(多分)
酵母を大量に培養する部屋、だったような記憶ですが既に曖昧になっています。( 一一)
(確か、古都という名前の酵母を培養していたような記憶ぼんやり)
獺祭のようにオートメーション化して誰が造っても品質が均一のお酒を造る、
という会社もありますが、設備投資も大変ですし、佐々木酒造さんくらいの規模だと
手作業もまだ多いのだなあと思いながら見学しました。
この後は、階下に降りて醸造中のタンクを見学させていただきます!
(つづく)
タグ:京都
京都旅行記2023~佐々木酒造で早朝酒蔵見学編①~ [日本の旅(京都)]
~~~ヾ(^∇^)オハヨウゴザイマス.
呑んでホテルに戻ってきて爆睡した後、夜中に何度か目が覚めて5時半起床。
清水寺へ朝練に行くのではなく、今回は京都観光NAVIで探したイベントに参加するため、
早起きしました。
(佐々木酒造さんのサイトでも案内があることに今更気づきました)
日本酒の蔵がお酒の仕込みを行うのは寒い時期。
3月一杯まで仕込みを行うのを人数限定で見せていただけるのですが、
旅に出る1週間くらい前、そうだ何かイベントないかな、と探していて、
「残り1名」という表示に反射的に申込ボタンを押していた私です。(笑)
日本酒については色々な酒蔵の展示で仕込みの順番について紹介されているパネルや
模型を見る機会がありましたが、実際に観たことがなかったので日本酒好きとして
これは絶対参加せねば、という気持ちが私の背中をグイグイ押したわけですが、
参加費用5,000円が高いのか安いのか、でも一度は自分の目で見たい、と思っていた、
そんなところに出会った企画なので絶対楽しいはず。
と思いながらホテルを6時過ぎに出発し、西洞院からバスに乗って移動します。
外は明るくなっていました。
途中で見つけた看板
2020年11月にオープンしたキャンパス。
重要文化財 杉本家住宅附旧米蔵を京都女子大学がキャンパスとして、
街中フィールドワークの拠点はゼミ、成果発表などの発表の場として
活用するみたいです。
京都ならではの学びの場なのだと思いますが、今の大学って本当に色々と
面白いことを考えているんだなあと己(昭和の終わりごろ)の大学生時代と
隔世の感ありと思ってしまいました。(羨ましいなぁ)
堀川丸太町で下車
ギリギリに着くのが嫌だと早めに出たのですが、ここから歩いて5分くらい、
それでもイベント開始30分前と早く着きすぎました。(笑)
この薬局のところで左に曲がります
途中で見かけたお家
瓦屋さん
銚子方面に行って何軒か瓦屋さんを観たことがあるのですが、
今、瓦屋根のお家、近所でも見なくなっていて、でも、京都のような古い町、
古い建物を大切にしているような場所だとこういう瓦屋さんの存在も長く続いて
いるのかな、なんて思いました。
途中の酒屋さんで見かけた看板
だるま、懐かしいですね。
私が小さい頃、うつぼ家ではこれがお歳暮などで届くと父が喜んでいました。
(普段はニッカの安いカテゴリーのウィスキーを飲んでいたので)
看板の裏はリザーブ(帰りに撮影)
この酒屋さんも長く商売されているんだろうな、と看板を見て思いました。
途中で見かけた無人野菜スタンド
町家を改装したカフェ?ストハウスの軒先にあったのですが、
販売されているのがアイスプラントとかちょっと洒落ていました。
ほどなくして到着。
杉玉がかかっているのが入口
とはいえ、この時点でまだ30分前なので暫く近くをぐるぐるします。
趣のある壁には、
お酒のラベルの看板
まだ朝7時前ですがテンション上がります。(笑)
時の流れを感じる渋い住所表示
一周して倉庫に戻ってきたら
入口にタクシーが止まって参加者と思しき方が降りていたので、
大丈夫かな、と私も入口に行くと(開始20分前)、どうぞお入りください、
と言ってもらえたので有難く中に入らせていただきました。
(こんな感じで早く来る人が多く酒蔵の方も慣れているのだと思います)
入口入ってすぐの階段を上がって案内された部屋の奥の方に着席。
(佐々木酒造ホームぺージ)https://www.jurakudai.com/
まずは説明を読みます
(といっても後から蔵の方からちゃんと説明してもらいました)
昔は洛中と言われるエリアにも造り酒屋が沢山あったそうですが、
より広い場所を求めて伏見などに多くの造り酒屋が移っていき、
現在洛中に唯一残っているのがこの佐々木酒造さんです。
俳優の佐々木蔵之介さんのご実家としても有名な造り酒屋ですが、
wikiで見ると、3兄弟の次男である蔵之介さんが継ぐはずだったのが、
俳優になってしまい、留守番と思っていた弟の晃さんがそのまま4代目社長として
現在もお酒造りに励んでいらっしゃるとのことで、蔵之介さんが継いでいたかも
しれなかったと知りびっくりしました。
見学時に着用する不織布の白衣
黒い物体はヘアキャップ(伸びます)
イヤホンケースには消毒済みの表記
酒造見学用のパンフレット(上右)を開けると、
解剖図
後ほど見学できる酒屋内の様子、一生懸命覚えようとしていると、
開始時刻(7時10分)となりました。
4代目社長の佐々木晃さん(蔵之介弟)
参加への御礼と洛中に現存する唯一の造り酒屋であることの説明の後、
お待ちかねの見学です。
楽しみ!(^O^)/
(つづく)
開始時刻(7時10分)となりました。
4代目社長の佐々木晃さん(蔵之介弟)
参加への御礼と洛中に現存する唯一の造り酒屋であることの説明の後、
お待ちかねの見学です。
楽しみ!(^O^)/
(つづく)
タグ:京都