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京都旅行記2023~醍醐寺で特別拝観編②~ [日本の旅(京都)]

三宝院で太閤秀吉が花見をした建物を移設した純浄観を見て、
豪華な花見をする偉い人と、指示されてせっせと重労働で移設する労働者、
今の世の中にもどこか通じる悲しいヒエラルキーを想像してしまった後は
もう一つの特別拝観を行っている理性院(りしょういん)に向かいます。
京都2023 (545).jpeg三宝院の唐門(国宝)
京都2023 (546).jpeg物凄く大きい石版でした。

三宝院の勅使門ですが、平成22年(2010年)に創建当時の姿に再建されたそうで、
随分きれいで新しそう、と思ったらまだできて10年ちょっと。納得です。
京都2023 (547).jpeg仁王門のところで左折して
京都2023 (560).jpeg私でも迷わない(^^;看板がありました。
京都2023 (551).jpeg鳥居(長尾天満宮)を右手に見ながら歩いて
京都2023 (552).jpeg京都2023 (553).jpeg
理性院に到着しました。
通常非公開ですが、冬の特別公開で入ることができました。

(特別公開のサイトより)
~探幽18歳の障壁画が残る醍醐寺別格本山~
醍醐寺の塔頭寺院で別格本山。
本堂内の中央の厨子には80年に一度のみ御開帳される秘仏・太元帥明王像(非公開)が
祀られており、向かって右手には平安時代後期の一木造の「不動明王坐像」(重文)、
左手には鎌倉時代作の毘沙門天立像を安置する。
客殿「上段の間」には、江戸初期の絵師・狩野探幽18歳の頃の作とされる
「水墨山水図」が残る。
現存する数少ない探幽十代の頃の障壁画としてその画風を知るうえで貴重な絵画である。

中はそれほど広い感じではなく、水墨画の説明を受けた後、
京都2023 (555).jpeg
絵が遠くからしか見られないため、こういう説明用の資料が置いてありました。
京都2023 (556).jpeg京都2023 (557).jpegズームで撮影
全体が撮れないとこんな感じになっちゃいますね。(^^;
この後、本堂内で不動明王坐像(平安時代)と毘沙門天立像(鎌倉時代)を拝んで
入口の千体地蔵(写真を撮りませんでしたがインパクトのある光景でした)を見て
再び外に出たら途中で見かけた仁王門まで向かいます。
京都2023 (548).jpeg仁王門の左右には
京都2023 (549).jpeg京都2023 (550).jpeg
(左)金剛力士像(吽形)(右)金剛力士像(阿形) いずれも勢増・仁増作

1134年作とのことですのでかなり歴史のある阿吽様たちですが、
迫力ある頭の割に体は少々細マッチョな感じに見えました。ちょっと優しめ?

と、仁王門を通って中に入ると、
京都2023 (561).jpeg京都2023 (563).jpeg
広々としているのが逆に不自然に見えたのですが、
京都2023 (562).jpeg2018年の台風による被害跡でした
翌年2019年は関東(千葉県もかなり被害を受け、うつぼ実家も3日間停電)が
被害を受けたのでその前年の西日本の台風のことも記憶にあります。
(関空が陸の孤島になってしまい飛行機が離発着できなかった)
その後、京都で訪れる先(高山寺や鞍馬寺など)で台風の爪痕が残っていて
倒木撤去にも巨額の費用が掛かって大変であることは聞いていましたが、
今回訪れた醍醐寺でもこのように広い面積で木が倒れたことを知りました。
自然災害は激甚レベルになると防ぎきれるものではないのですが、
こういう光景を見ると切ない気持ちになってしまいますね。
と、仁王門をくぐってすぐ台風の爪痕を観た後は中に歩を進めます。
京都2023 (564).jpeg清瀧宮(本殿だったかな)
(ここから先の説明は醍醐寺ホームぺージより記載しています)
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。
永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀り、その後、
この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになり
(文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517)に再建)
毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われて
いるそうです。今年は桜が早かったので後半は葉桜だったかもしれませんね。京都2023 (569).jpeg金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失、
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成。
金堂が醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊。
和歌山から移築、大変だったでしょうね。(移築と聞くと毎回この発想になります)
今回も京都にくることができたこと、醍醐寺をお参りすることができたことに感謝し、
薬師如来様に手を合わせました。この後、隣の不動堂でもお参りし、
京都2023 (570).jpeg 真如三昧耶堂
もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3年(949)に創建、
文明2年(1470)に焼失、現在の堂は平成9年(1997)に真如三昧耶堂として建立。 京都2023 (576).jpeg観音堂
観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼び
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進に
より造築されたもの。
寄進でこんなに立派なお堂が出来るというのは(今は難しそうですが)
それだけ信心深い方が多かったということなのな、なんて思いました。京都2023 (578).jpeg京都2023 (580).jpeg
隣の弁天堂の近くには池があってカメもゆったり甲羅干し。
京都2023 (581).jpeg京都2023 (582).jpeg壽庵
湯葉カレーなど京都ぽいメニューが多い印象でした。
京都2023 (583).jpeg京都2023 (584).jpeg
京都2023 (585).jpeg紅葉の季節 きれいでしょうね
このあたりで敷地の突き当りなので仁王門に向かって歩いて戻ります。
京都2023 (586).jpeg祖師堂
慶長10年(1605)9月座主義演准后(ぎえんじゅごう)により建立されたもので、
真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝が
祀られ、弘法大師の誕生日である6月15日には、降誕会が行われる。
弘法大師というと社会(歴史)の教科書で学んで名前は知っているものの、
具体的にどういうお寺が関連しているのかよく知らなかったのが、
この歳になってから京都のお寺を訪れるようになって色々と知るようになりました。京都2023 (587).jpeg五重塔(国宝)
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成。
初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれ、日本密教絵画の源流をなすものといわれ、
高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートル、相輪が塔の三分の一を占め、
安定感を与えている。京都府下で最も古い木造建築物。

昔の建造物を見ると、今のような建設機械や重機などがない時代にこれほど精巧に
造った方々の素晴らしさを感じます。(もちろん現代の建築も素晴らしいですが)

と、特別公開と醍醐寺の敷地内散策を楽しんだ後はランチタイムです。

(つづく)


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コメント 4

溺愛猫的女人

阿吽様たち、少々細マッチョなんですね。実物を見に行きたいな(*^^*)
by 溺愛猫的女人 (2023-04-24 12:27) 

夏炉冬扇

板碑。梵字がありますね。
国宝五重塔で締め。見どころ沢山のお寺さん。満喫でしたね。
by 夏炉冬扇 (2023-04-24 18:13) 

うつぼ

溺愛猫的女人さん、こんばんは。
阿吽様たちも作り手によって表情やお姿も様々ですね。
京都はお寺がたくさんあって最初の頃は何がなんだか、でしたが、
時折通うようになって色々歴史も学ぶようになりました。(^-^)
by うつぼ (2023-04-24 18:31) 

うつぼ

夏炉冬扇さん、こんばんは。
日本史が苦手なのですが訪問前に一応簡単に調べて関連する人についても
予習するようになりました。(といっても小学館のまんがですが(笑))
まだまだ訪れていない場所が多いので京都通いも楽しいものです。(^-^)


by うつぼ (2023-04-24 18:33) 

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