金沢旅行記2023~大野からくり記念館編③~ [日本の旅(北陸)]
そんな気分で展示エリアを更に進んでいくと、
からくり人形の数々
鼓笛児童
ビデオで動く様子を観ることができました
鼓を叩くだけでなく、口にくわえた笛も吹く、器用な児童です。
品玉人形
人を煙に巻きそうな表情です
後ろのねじを回すと
だるまが現れた!
今度は違う人形が!
下でくるくる回って品変えする仕掛けでした
スリンキーみたいなお人形さんに続いて
(高いところから人形がアクロバティックに降りていきます)
茶運び人形さん
知っていたのに実物を見たのは今回が初めてで感激。
高貴な方々の遊びでお茶を運ぶ様子が健気です。
盃を運ぶお人形さんもいるんですね
時折、実演もやっているそうなのでタイミングが合えば動いているところを見られますが、
今回は残念ながらビデオのみ、とはいえ実物が観られただけでもラッキーでした。
続いて、のぞきからくり。
北陸の昔話「いもほり藤五郎」が観られます。(芋=自然薯らしい)
(以下、記念館ホームぺージの説明より抜粋)
江戸後期に京坂では「のぞき」、江戸では「からくり」といい、
覗きからくりには、直接小さな穴から中の絵や模型を見るタイプと、
いちど鏡で反射させレンズで拡大して見るタイプがあるそうで、
小型なものは諸国大名や上級武士、裕福な商人の間で、お座敷の遊興具として普及、
大型のものは寺社の祭りや縁日、盛り場などで大道芸の見世物として登場し、
当時の子ども達に大変人気があったそうです。
で、この小さな穴から覗いたのですが
遠近両用メガネが微妙にずれて焦点がいまいち合わず、
ノゾキアナの向こうに見えるはずのいもほり藤五郎さんの話が聞こえても
その様子の絵がよく見えず、藤五郎にお金持ちの娘が嫁いできたところで
ギブアップしてしまいました。(中腰もおばちゃんにはきつかった(笑))
隠し引き出し
(右奥に秘密の引き出しがあるのですがこれもからくりのひとつなんですね)
大野弁吉さんの技術コーナーに行くと
エレキテル
といえば、平賀源内、と思い浮かびますが、
展示されているのは大野弁吉さんが考案した電池式の模型。
入口近くで口上を述べていた米林八十吉さん(弁吉さんの弟子)が
金沢で奇物、機巧のお店を開き機構をもって動くものや、科学的、技術的工夫を
凝らしたものを売っていたそうで、そのお店で、弁吉さんが考案したエレキテルも
販売されていたそうです。
からくり人形芝居
時間が合わずにスルー。のぞき穴から見る芝居でもいもほり藤五郎さんだったので
(芋ほり長者も同じ話)金沢では有名人なのでしょうね。
優しく注意喚起
小さいお子さんだと引っ張れるのが楽しくてガシガシ引っ張って壊れる、
みたいなことがあったのかもしれませんね。
私もそーっと紐を引っ張ってお人形さんを動かしてみました。(意外と難しい)
東芝創業者と並んで紹介される大野弁吉さん。
今回知ることが出来てよかったです
出口近くに展示されていたからくり人形
滝を上る鯉?を見たら出口に向かいます。
外観も面白い形状です
この映画、存じませんが、
金沢の風景が沢山みられる映画そうです。
(恐らく私はこの手の映画は苦手なので見る機会はなさそう。。。)
じゃらんで見つけた記念館ですが、金沢出身の大野弁吉さんとからくりについて
一端ですが知ることができて大満足(混んでいなかったのでゆっくり見学できたし)、
この後は、大野港エリアを散策します。
(つづく)
金沢旅行記2023~大野からくり記念館編②~ [日本の旅(北陸)]
やっと本格的にからくり人形が展示されているエリアにたどり着きました。最初は指南車&記里鼓車
"指南車"は、中国の黄帝が、強敵が濃霧をもって来襲した時、常に南を指す人形を
載せた車を作り、方向を誤らずに進めたという説話に端を発し、
宋代までの中国王朝では皇帝の行列の先を一里ごとに鼓を刻む”記里鼓車”と共に
進んだと言われています。
指南車の仕組みは磁石によるものと長い間思われていましたが、文献等から
歯車の組合せによる機構を持つ指南車の存在したことが確認されたそうです。
指南車
常に南を指すとなれば磁石を使って方向を探すのかと思ってしまいますが
歯車を使った車というのもからくりの一種ということなのですね。
このような中国から伝わったからくり技術が日本の風習や文化にも取り入れられ、
独自の発展を遂げていく中で祇園会の山鉾に始まり全国へと伝わった山車風流は、
各地で根づいていきますが、尾張地方の徳川家康を祀る東照宮の祭礼を始めとして
からくり人形を中心とした山車祭りが盛大になっているのが今の時代にも伝わって
いるということなのでしょうね。
現代の職人さんが造った指南車
顔に表情があれば親近感が増しそう
足元にはからくり
記里鼓車
モーターがない時代にこういう機構で車を作るとは凄い(語彙が貧弱)と
思いながら更に先に進むと、木製のパズルコーナーがありました。
こういうの、苦手です。( 一一)
触ってフォーメーションを崩して元に戻せなさそうなのでこのあたりはノータッチ。(笑)続いて、職人さん。(の人形)
手前に写っているのが機械時計。職人さんがこれを作る光景のようです。
機械時計は、1551年(天文20年)、宣教師フランシスコ・ザビエルが布教の許可を
得るため、大内義隆に献上したものが日本最初と言われています。
西洋の科学や技術はキリスト教と共にセミナリヨ(神学校)やコレジオで伝えられ、
オルガンや時計、天文機器の製作の授業も行われたそうです。
西洋では、1日を24等分する「定時法」が使われ、規則正しい周期で時を刻む機械時計の
発達によるものでしたが、当時の日本では農業を中心とした社会で、日々形を変える月と
日の長さで決まる時刻制度「不定時法」を使っていたため、西洋時間はそのままでは
役立たなかったそうです。(日が出たら起きて日が沈んだら寝るってことですね)
職人、渋いです(ちょっと萌え) ナガス鯨のひげ
今のような人工素材がない頃は自然の素材をうまく使っていたのだと思いますが
鯨のひげってワイヤーみたいな素材として使っていたのかな、と想像しました。
ザビエルさんはキリスト教だけでなく様々なものをもたらしたのですね。
と、教科書に載っていったあのお姿を思い浮かべました。
日高川入相花王清姫ガブ
この「角出しガブ」は特殊カシラの一つで、始めは美しい娘の姿をしていますが、
「小猿」と呼ばれる仕掛け糸を引くことで口が裂け、金色の目を剥き、角が出ます。
これらの仕掛けはみなバネの応用で、バネにはセミ鯨の歯(通称ヒゲ)が、
糸には三味線用のものが使われています。
鯨のひげ、使われているのですね
作り方の説明もありました
頭を割る、、、って。(◎_◎;)
江戸時代のお芝居でもからくりが使われていました
歌舞伎の舞台の模型が置いてあったのですが、場面転換で動き始めました。
舞台が回転したと思ったら、
福助さんが現れてきました
こんにちは 「奈落の底」ってここからきているんですね 人力なので重労働です
自分の知っているものが出てきて更に楽しくなってきました。
からくり人形の展示コーナー、もうちょっと続きます。(^-^)
(つづく)
金沢旅行記2023~大野からくり記念館編①~ [日本の旅(北陸)]
入館料300円を支払って展示コーナーに進みます。
(記念館のホームぺージ)https://www.ohno-karakuri.jp/index.html
1996年(平成8)年にオープン、四半世紀ちょっとの歴史のある記念館です。
茶運び人形がお出迎え
(タイミングが合えば実演が観られるみたいです)
パンフレットをいただいて前へ
よく見えませんでした(^^; 全体の建物はこんな形状で
内井昭蔵氏の設計です
江戸時代は、今日私たちが考える以上に人々が生活を楽しんでいた時代でした。
「からくり」は、こうした時代の雰囲気の中で生まれた「玩具」といえましょう。
しかし、その細工からは日本特有の技術の開花をうかがい知ることができ、
その根底には日本の職人の創意、工夫、美しさへのこだわりが生きています。
これらは、からくりを楽しむ人々の遊び心や好奇心を満たし、さらに現代に生きる
私たちにも変わりなく受け継がれているものといえましょう。
江戸時代の科学や技術を考えるとき、そしてその後の日本を考えるとき、
からくりの果たす役割は大きいのではないでしょうか。
当館では、こうした日本独自の文化として花開いた「からくり世界」を
加賀のからくり師大野弁吉を中心に展示しています。
どうぞお楽しみください。
日本の近代化を支えた科学技術者たち大野弁吉さん
大野弁吉さんについて記念館ホームぺージより転記いたしますと、
大野弁吉(1801~1870)、中村屋弁吉ともいう。
京都五条通り羽細工師の子として生まれ、20歳のころ長崎に行き理化学、医学、天文学、
鉱山学、写真術、航海術を修得した後、対馬・朝鮮にも渡ったといわれています。
帰国後京都に帰り中村屋八右衛門の長女うた(加賀国大野村生まれ)の婿となり、
1831(天保2年)石川郡大野村(現金沢市大野町)に来て永住しました。
隣町・金石の「海の豪商」銭屋五兵衛とも交流があり、藩主が弁吉の博学を聞き
20人扶持で召しかかえようとしましたが、それに応じず、生涯清貧のうちに過しました。
当時としては最先端の科学を駆使した発明品の数々は、現東芝の創業者で
「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重の技術に匹敵するといわれています。
また、「一東」、「鶴寿軒」と号し、木彫、ガラス細工、塗り物、蒔絵などのほか、
からくり人形には優れた名作を多く残しました。
弁吉自筆の「一東視窮録」は彼の覚え書き綴りで、科学機器エレキテルボルダ式パイル
などの図解、色ガラス、火薬、写真器、大砲、医薬品などの製法、調合、寸法などが
記述されたものです。
上の説明にある海の豪商・銭屋五兵衛さんについてはこの後、博物館を訪問したのですが、
欲のない弁吉さんを経済的に支えようとした豪商というのも弁吉さんの才能を評価しての
ことだったのでしょうね。
とご挨拶やら弁吉さんについて色々書きましたが、
これを貼ればもう私の撮ったボケ写真など要らないんじゃないかという気になったのですが(笑)
4年目突入の古いiPhoneで折角撮った写真ですので(さすがにそろそろ機種編予定です)
思い出にご紹介させていただきます。
からくりの原図が最初展示してあって
左は人形が高いところからブリッジ?みたいな恰好で順番に降りてくるからくり、
右は滝を鯉が登っていくからくりの原図。
Polaristure スリンキー おもちゃ スプリング 金属 昔のおもちゃ バネ 昭和 日本語簡易説明書付き
- 出版社/メーカー: Polaristure
- メディア: おもちゃ&ホビー
(私の記憶ではスリングだったのですがスリンキーというのですね)
からくり人形の米林八十八さんがからくりについて語ってくれます。
(この記念館で紹介されている大野弁吉さんのお弟子さんが八十八さん)
記念館のキャラクターかな
(調べてみましたが名前募集みたいな記事しか見つからず。。)
この後は、様々なからくりの展示に続きます。
(つづく)
金沢旅行記2023~大野からくり記念館へ向かう編~ [日本の旅(北陸)]
夜中何度か目が覚めて6時に起床、
3月中旬ですがこの日はかなり寒そう。
上着が春っぽい薄手のものだったので中で厚着すればいいか、と
厚着したので寒さは凌げたのですが、強風大雨という天気で(+o+)
日頃の行いの悪さなのか、と思うような一日となりました。
朝ごはん
ちょっとずついただいたので食べ過ぎにはなりませんでした。(笑)
レストラン入口でブッフェ料理をとる際はビニール手袋を両手にはめてください、
とスタッフの方に言われたのですが、手袋せずにお料理をとるおじさんがいたりして
マスク着用が任意となっていたころだったので、人によっては全然気にしない人も
いるのだろうな、なんて思いながら朝食終了。
部屋で暫しゴロゴロした後にチェックアウトしたのですが、前日のチェックインで
対応してくれた関さん(⇐タイムマシーン3号の関さんに似ているので命名)が
駐車場で事故を起こしてしまった宿泊客の対応に手間取っていました。
慌てることなく淡々としていましたが(宿泊客はちょっとパニック状態)、
サービス業(しかもホテル)でこんな無表情の人を見たのが初めてというか、
やることやってくれてるしこんな感じもありなんだなあと思いました。
駅まで2分くらい 至近です
が、横なぐりの雨がすごくて駅に行くだけでずぶぬれ。(:_;)
駅のコインロッカーに荷物を預けて反対側の出口に向かって
大野港行のバスに乗車
駅からはかなり混んでいたバスも途中の県庁前でごっそり乗客が降りて、
立派な建物の県庁です
その後も降りる人はいても乗ってくる人はいないので、乗客は減り続け、
終点の手前でおじいちゃんが降りたら、車内には私一人となりました。
金沢駅から30分くらいで大野港に到着
バスを降りた途端、磯の香りが漂っていました。
近江市場や東茶屋街とは反対側、海側へ移動したところにある港で、
金沢駅から歩いたら1時間ちょっとくらいの距離です。
ここからは歩いて10分ちょっとで大野からくり記念館に向かいます。
全国旅行支援のクーポン
平日の宿泊だったので2000円分デジタルクーポンをいただきましたので、
この日、どこかで使えるところがあれば有難く使わせてもらいます。(^-^)
周り、誰もいなかったりして寂しい。(笑)
金沢旅行記も久しぶりなので、兼六園とか東茶屋街とか近江市場とか、
そういう観光スポットをご期待された方には大変申し訳ないのですが、
飛行機の大混雑(事前にJALから混雑予想のメールもいただいていたので)、
人気観光スポットも混雑していることだろう、と思って今回は完全スルーです。
代わりにじゃらんで観光スポットを探して未訪の場所が大野港だったので、
ここを中心にまわることにしました。
が、想定外だったのは天気でした。
強風に大雨、折り畳み傘はもってきましたが合羽はもってこなかったのを
悔やむ一日となりました。
と今頃悔やんだところで当日は超悪天候、の中、大野からくり記念館まで
早足で歩きます。
道案内があって分かりやすいです
途中で見つけた小人?
悠長にスマホで写メしていると風で煽られ傘はおちょこになって、
元に戻す間にずぶぬれ、こんな感じの繰り返しで、
曇天の海は寂しいですね。。。
と、バス停から歩く事10分ちょっと、なんとか目的の場所に到着。
この後は屋内。(^O^)/ 安堵です。
(つづく)
金沢旅行記2023~日本海庄やで夜の部編~ [日本の旅(北陸)]
お腹ぺこぺこです。(:_;)
目星をつけていた駅ビル内の回転寿司はラストオーダーを過ぎていて、
開いているお店は結構並んでいたりして、うわー、どうしよう、と思いながら、
ホテルがある方(バスが到着したのと反対側の出口)へ
近くの商業ビルに入ってラストオーダー21:30って書いてある!(その時21:20)
と思ってお店に近づくと、既に閉店の表示
念のため聞いたのですが「はい、閉店です」というお答えでした。(:_;)
ホテルからあまり遠くないところで呑めるところ、と探していたら、
日本海庄やを発見しました
(食べログ)https://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17002520/
大庄グループは私を裏切ることはないはずだ!という根拠のない信念で中に入り
「1名です!」と、人差し指を立てて「1」をアピールすると、
男性スタッフが入口すぐのカウンター席端っこに案内してくれました。
ありがとう、大庄グループ
カウンター席にはお花も
はい、かんぱい♪
お通しはおくらと人参の和え物でした。
お花の横には洒落た絵画も
こんな雰囲気の庄や、初めてかもしれません。(笑)
本日のおすすめと地酒メニュー、どれも美味しそうで目移りしてしまいます。
他の地域のお酒メニューも豊富です
グランドメニュー
刺身三種盛りはなんでしょうか?と聞くと、まぐろ、カンパチ、ホウボウ、というので
美味しそうと思って注文してみたら、
うわぁ、寂しい(笑)
マグロとかんぱちは厚切りで1枚ずつ、ホウボウは薄切り4枚。
サーモンとか甘エビが入っていないと1人前ってこんな感じなのね。
中トロが美味しいからまいっか。
スタッフのお兄さん、運んでくれたときにお皿に注文票の紙ぺらがくっついたまま、
おまけに醤油皿忘れ、という不慣れな雰囲気でしたが、「すみません!」と
スマイルでその後リカバー(その後の注文対応も常にスマイル対応)してくれて
おばちゃん(私)の寂しそうな1人呑みを盛り上げてくれました。(^-^)
本日のおすすめに入っていたのですが、なぜおすすめなのかは謎というか、
(季節感のないメニューですし)お豆腐、大量に仕入れたのかな。
これも外れのない味でした。
このあたりで、カウンターの遠くの方に30代くらいの男性が着席し、
加賀野菜の天ぷらや白海老の唐揚げに冷たいそば茶(ノンアル)を召し上がって
30分くらいでお会計していましたが、仕事終わりにノンアルの人も入れるのは
いいですね。
と、私はこのあたりで北陸の地酒をと思って富山の満寿泉を注文したのですが、
立て続けに二次会と思しき団体さん(10人グループの次に9人グループ)が
やってきて、スタッフの皆さんも急に慌ただしくなり
(お料理出るのにお時間かかりますけど、と言われても「大丈夫です!」と
酔っ払って幹事さんが答えていた光景を入口近くの席から見ていた私)
団体さんがいるので入口ドアが開けっぱなしで寒風が座席にもぴゅーぴゅーと
吹いてくるのが寒いうえに、お酒が全然こない、、でも忙しそうだし、、と
カウンター内の調理風景を眺めながら待ちました。
ちょうど私の注文(帆立とアスパラの焦がし醤油バター焼き)を作っていたので、
お酒が来る前にお料理がきそうだな、とみていると、ペットボトルをとりだし
フライパンにかけてジュージュー。
ペットボトルには「焦がし醤油」の手書きラベル。
先に手作りで焦がし醤油を作っておいて調理時間短縮術なんですね。びっくり。
と、やっときました、お酒。
続いて焦がし醤油バター焼きも
しっかりした味の日本酒に良く合う味わい、お腹が空いていたのでパクパク食べ進み、
加賀鳶を更に注文(ピッチあがりました)
1杯目はグラスの小さいお猪口だったのが次は何故か大き目のグラスでした。
スタッフのお兄さん、私の呑み方がおっさんみたいで大きいグラスを持ってきて
繰れたのかもしれませんね。(笑) お兄さん、ありがとう。
この頃、更に8人グループが入ってきたのですが(外から寒風吹いてきて寒かった)
「満席です」と店長さんが断っていました。
金曜の夜だったので宴会多いんだなあ、と思いながら、〆の炭水化物は我慢してお会計。
寂しい盛のお刺身が結構いいお値段だったので、お会計もちょっと豪華になりました。
(久しぶりの金沢に着いたのだからちょっと豪華でもいいかと自分に言い聞かせ)
庄やから歩いて数分でホテル到着
口コミ評価も駅近はポイント高いのですが客室などは古いという口コミも
あったりして悩んだものの、夜遅く着いて1泊で滞在時間短いからいいか、
とここにしました。
入ってすぐのレセプションでチェックイン手続をしてくれたのが、
お笑いのタイムマシーン3号の関さんみたい風貌の男性で、
もそもそ早口で説明して非常に素っ気ない感じが残念でした。
確かに古めの室内
ちゃんと清掃されていてシャワーも熱いお湯が出たので無問題です。
部屋の外に見える高級ホテル(ANAクラウン)
シャワーを浴びたらもう夜11時。
翌日は夜の便で帰るまであちこち巡る予定なのでそのまま就寝。
(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜(-。-)y-゜゜゜
(つづく)
金沢旅行記2023~出発編~ [日本の旅(北陸)]
旅記事を暫くアップしようと思います。
今回は金沢です。
金沢といえば、大学生の時、サークルで行ったのが最初。(もう40年近く前(笑))
バイトはしていましたがそんなに予算があるわけでもないので、
北陸ワイドという周遊券を購入し、特急料金を支払いたくないという理由で
夜8時に上野を出発する急行「能登」に同級生たちと乗って早朝に金沢に到着、
それが初めて訪れた金沢の記憶です。
金沢駅からバスでしかいけない(遠い)保養所みたいな宿に3泊しながら、
周遊券で福井県(東尋坊)にも足を混んだりしたのですが、
駅前が当時は非常に寂しく、飲食店(ドムドムバーガーがあったのは覚えてる)は
少なくて、しかも夜8時に閉店、賑やかなのは駅から離れた香林坊、
地方都市に行くと、駅前よりお城のあるエリアが繁華街、というのを金沢で知りました。
あとは、金沢大学の学食で食べたお蕎麦の汁が関西風で色が薄かった、という記憶。
そんな金沢ですが、その後何度か足を運び、最後に行ったのは、2014年。
長らくのぷーたろー生活からやっと転職した後、snorita姐、けーすけ兄と一緒に
訪れた(2人に金沢マラソンにエントリーされたので渋々2キロの部で走りました)、
それ以来ご無沙汰しておりました、金沢。
インバウンドで混んでいそうだから、というのが理由なのですが、
今回、期限切れになりそうなJALのマイルとe-JALポイントをなんとかしないと、
と慌ててJALパックを探したら金沢が意外と手頃で(新幹線と競合しているから?)
金曜日の夜遅いフライトで行って土曜日の夜遅いフライトで帰ってくる、
一番安いタイプのフライトで組合せたところ、総額2万円くらいで手配できました。
(全額マイルとe-JALポイントで充当したので自己負担ゼロ!)
行く理由がマイル消化という少々ショボい理由ではありますが、
久しぶりの金沢を私なりに楽しむことができました。(^-^)
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3月中旬の金曜日、ちょっと早めに在宅勤務を終業し、JRとモノレールで羽田空港へ。
金曜日で移動するビジネスマン、と全国旅行支援利用の観光客(私もです)で
大混雑のモノレールで羽田空港に到着したのがフライト出発の1時間弱前。
空いているように見えますがかなり混んでいました。
いつも2時間近く前に着いてボンヤリ過ごすのが当たり前になっていたので、
「時間がない!」焦って羽田空港に着いたらまだ余裕がありました。
クラスJのアップグレードのキャンセル待ち手続きを行ってから保安検査場を通り、
ゲート近くに座って暫し待ち
キャンセル待ちのカウンターに行くと、運よくアップグレードできました。
たまたま私がキャンセル待ちで優先順位が一番だったという幸運もあったのですが、
1人だけチェックインしない方がいて、その方の分でアップグレードできたという、
こんなところで運を使っていいのか、と思いながら手続きしてもらいました。
「飛行機、物凄く混んでいるんですね」とカウンタースタッフの方に言うと
「ここのところどの便もほぼ満席なんです」と仰っていました。
結果的に搭乗予定の機材到着遅れという理由で搭乗開始も10分遅れとなりましたが、
優先搭乗の人が長蛇の列を作っているのを座ってぼんやり見ていたら、
搭乗を案内するスタッフ(年配の女性)が小さいお子さんなどの事前改札の後に、
優先搭乗をてきぱき案内していました。
搭乗率が回復してきたのと全国旅行支援でフライトが混んでいるので、搭乗サポートの
スタッフの方を雇用するようになったのかもしれませんね。
という私もほどなくして搭乗
幹線でないものの大きめ機材
真ん中ブロックでした
機内誌で見つけた新宿区落合エリア、私が生まれた頃住んでいたエリア、
当然当時は下町ぽい場所でしたが、機内誌を観て懐かしく思いました。
お隣には、キャメルのロングコートを着たお姉さん。
意識高い系な雰囲気を醸し出していましたが、座った途端爆睡されていました。
お仕事帰りでお疲れなのかもしれませんね。
10分近く遅れてドアが閉まり、プッシュバック。
マスク着用が任意になった頃だったので、機内アナウンスもマスク着用は個人の判断、
と言っていましたが、9割9分はマスク着用していました。
(前列に座るおじさんはマスク無し、少々酔っている感じで気になってしまいました)
プッシュバックした後、しばらくして機長様からアナウンス。
離陸前に機長様のアナウンスって珍しいな、と思ったら、
到着機材遅れによる出発遅れのお詫びの後、
再開待ちであると説明でした。
雪も風もないのに一時的閉鎖って誘導路に異物発見で除去しているのかなあと思いながら
暫し待ち、アナウンスの10分後くらいに無事離陸しました。
飛行時間は45分。思っていたより短いのですが、小松空港の到着は予定の20分遅れ。
小松空港から金沢駅までバスで行って、そこで夜の部と思っていたのですが、
駅ビルなどに入っているお店は閉店が9時~10時と比較的早く、飛行機が遅れたので
夜の部無理かも、、、そんなことが心配の私、
出発時には消灯するのも夜便ならでは
旅のお伴にYMO
ユキヒロさんに続いて教授も旅立たれて寂しい私ですが、
最近YMOを聴く機会が増えたような気がします。
コーヒーをいただいていたら
あっと言う間というか、機長様からCAさんたちに着陸準備の指示があって、
その10分ちょっとすぎには小松空港に到着していました。
前方の席に座っているメリットで、早めに降機できたので、早めにバス乗り場に行って、
乗車券を買って乗車。
空港のバスは飛行機の到着時間に合わせて運行するので、
時刻表の時間より10分近く遅れて金沢駅に向けて出発しました。
途中の高速(松任海浜公園、北陸松任)で3人下車(地元の方なのでしょうね)、
金沢駅
テレビによく映る大きな鼓みたいなつくりの駅舎が見えるのは反対側の東口。
ポストです
上に載っているのは「郵太郎」という加賀人形だそうです。(ポストは大理石)
この後は、夜の部を目指してお店を探します!
(つづく)
金沢旅行記2014~あとはカエル編~ [日本の旅(北陸)]
走って食べて呑んで、、、あとは帰ります。
s姐はもう1泊でしたが、私は夕方の飛行機で、ダイバー兄さんは夕方の電車で、、、
って感じだったので、3人で金沢駅に行きました。
空港みたいな駅舎
大学1年生の頃、急行能登で上野から辿り着いた金沢駅は何もない寂しい駅でしたが、
ま、それから30年近く経ってるもんね。。。。
来年は新幹線も通るし
と、こんなイベントが
菊だらけの向こうに
お、新幹線♪
とか言いながら
菊も気になる
実家近くの地元のお金持ちはこういう一輪咲きの菊を栽培するのが嗜みというか
小学校の通学路で多くの大輪の菊を観た記憶があるのですが、
その頃にこういう色合いはなかったねぇ
って言いながら新幹線♪
鉄子の私と鉄男のダイバー兄さんがせっせと写真を撮っていたのを観たs姐、
おそらく、ホンモノの車両じゃなくてパネルなのに、、と思いながら、
写真を撮る2人を写メ撮ってました。(笑)
グランクラスもあるんですねぇ。
わくわくする
これにもわくわくするけど。
で、もちょっと時間があるからとANAクラウンホテルのラウンジにいって
お茶タイム
s姐は和
洒落た金箔が加賀棒茶に浮いてました
私は普通に
コーヒー
これはさすがにガマン
ダイバー兄さんはデザート
で、あれ?結婚式?と思ったら
ブライダルフェアかなにかの模擬結婚式だったらしいです。
ま、あんまり興味ないけど。(笑)
楽しい時間はあっという間に、私はバスの時間になったので、お二人と別れて空港へ。。
ぐーすか寝てたら小松空港に着いてました。。
お土産をちょこっと買って
ラウンジへ
また飲んじゃった。てへ。
飛行機はちょっと遅れて出発。
帰りも同じ28列の広々席。
地味にお水をいただいたら、
気流の悪いところで揺れるから、という理由で機内サービスも途中で中断、
あっけなく羽田についていた、、って感じで
ピーポくん、ただいま♪
モノレールと電車で無事帰宅。。。
お土産に買ったのがこれ。
ダイバー兄さんとs姐に薦められ。
鯛、鯖、鮭
これは鯛
鮭
切り身がもうちょっと大きいといいんだけどな、なんて思いながら、お酒の御供にいただきました。。
今回、ダイバー兄さんがそっとエントリーしてくれたおかげで訪れることが出来た金沢、
走るのはまだ全然好きになれないし、これからも走り続ける気、、、殆どないのですが(-.-)
自分一人ではできないことをできるようにしてもらったような、そんな気持ちです。
ダイバー兄さんとs姐のお陰です。感謝感謝。(^_^)
たくさん食べて呑んで、、、それで走る、、贅沢な旅行となりました。
でも、次の旅行は食べて呑んで、、かな、と思っていたりする私です。
(これにて金沢旅行記2014 おわり)
金沢旅行記2014~おつかれ乾杯編~ [日本の旅(北陸)]
無事走り終わった後は、ホテルにもどってシャワーを浴びて、、なんて話をしながら
ホテルにもどったのですが、そこでダイバー兄さんが一言。
ビール呑みたいね♪
その時、私は慣れないことをして少々気持ち悪くなっていたのですが(-.-)
兄さんが仰ることです、従うまででございます。。。
ホテルの朝食会場にもなっているカフェに着いたのが10時ごろ。
ゼッケンつけたまま「あのぉ。。。」と入口に行くと
「あ、朝ごはんですか?」と聞かれ、「いえいえ、ビール呑めるかなと思って」というと
どうぞうどうぞ、、あ、走ってきたんですね!と困惑顔のスタッフに案内されてソファ席に着席。
呑んでいるうちに体調戻ってきたような気がする(笑)
カフェの外の庭も?クリスマスぽくなっていた
無事ビールも飲んだところで一旦部屋に戻り、シャワーをあびたり少しごろごろしたり、
12時ちょっと前にチェックアウトして3人で合流してタクシーで昼食会場へ移動です。
朝走った道沿いにあった「幸兵衛」さんです。
金沢が好きなs姐の行き付けのお寿司屋さんです。(^_^)
宜しくお願いします。
箸袋の裏にはこんな表記
鯖の姿寿司って結構迫力ありそうだなあなんて想像。。。
(食べログ)→ https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=77174574
カウンターに着席すると、
目の前に香箱蟹
気持がかなりぐらついたのですが、、今回は食べず。(^_^.)
ダイバー兄さんはビール 私とs姐は日本酒で乾杯
手取川の荒走りをオススメされて
いただきましたが、
これがもうねぇ、、、本当にしっかりした味で好みでした。(^_^)
つきだし
いくらの季節(^_^)
ぶり 脂のりのり カマもください
歯応えのあるもずく 美味!
色々と出していただき
(私が箸で崩しちゃったのもあって見栄えイマイチですが)
焼き白子
とぅるるる~ん♪ うんま♪
日本酒にもちろんぴったりヽ(^。^)ノ 鯖蛸 かま
さっぱりしたお酒にスイッチして
栗をスライスしたチップス
これがほんのり甘くて美味で
たまごをつまんで
とろろん雲丹
つぶ貝だったかな
お椀でもうお腹いっぱい。
アットホームな雰囲気で美味しいネタにお酒に、、幸せな気分になりました。
多分、走った後だから尚更美味しかったのかもしれません。
でも、楽しい時間はそろそろ終わり。。。
カエル時間が近づいてまいりました。。。。
(つづく)
金沢旅行記2014~金沢市民マラソン編②~ [日本の旅(北陸)]
10キロの部が8時にスタートした15分後、
3.3㌔の部が一般・高校生からスタートしました。
ちなみに先頭に金沢市長がいました。 目立つの好きな人って感じで。(笑)
スタートの音と共に走り始めましたが、周囲の勢いについていくと絶対ばてると言われていたので
当然ついていけないし、私は私のできる範囲内で走ればいいや、なんて感じで、
びゅんびゅん皆が走っていくのに置いていかれながら走り始めたわけですが。
沿道の人が応援してくれたり太鼓叩いてくれたり、、、金沢城公園のあたりを走っていたら
とても心地よい気持ちになってきて、、
あ、わたし、このまますいすい行けちゃうかも♪
そんな気持ちになったのも束の間早々に疲れてまいりました。(-.-)
かなりゼーゼーしてきた頃、自分の視界に入ってきたのが、
1Km
マジか。マジですか。。まだ1㌔ぽっちですか。。。
物事をネガティブに考えがちなわたし、残り2.3㌔もあるじゃん、なんて思いながら
ゼーゼー走っていたら、風のように飛んでいく、中学生、小学生にどんどん抜かれ。。。
中学生と小学生は私よりもずっと後ろから時間遅れでスタートしているのですが、
体が軽くて体力あるといいわね、って感じであっという間に私を抜き去っていきました。。。
途中、もう沿道の応援など耳に入ることもなく、隣で歩く人いれば安心して私も歩き、
制限時間(25分)内にゴールすればいいから、だいじょうぶだいじょうぶ、、なんて感じで、
最後は小学生を指導する先生かなにかに沿道から
あと300m、死ぬ気で走れ!
と叫んだのがまるで自分に言われたような気持になって、
私なりに死ぬ気になったような、、、そんな気分でゴール。。。
つかれた。。。。。。
命の水
私がぜーぜー言ってるときに、15分前にスタートした10キロの部の出場者が
早々とゴールしていました。。。。
1㌔3分台で走る人たちです。 あり得ないあり得ない。。
ダイバー兄さんとs姐がゴールするまでしゃがんで待っていたら、
大量の汗が引いて、、ぶるぶるぶるぶる。。。。
1時間くらいでゴールしたお二人と合流して。
証明です
この後、ダイバー兄さんは地元のお友達と会ったりしていたので、
s姐といっしょに移動して
さしこがいた
これをいただきました
ちょっとぬるかったけどうまかった。。。
終わってみれば何が何だか分からなかった、、、って感じですが、
やはり走るのは苦手だな、わたし。。。。
色づいた紅葉を観ながらホテルにもどります。。。
(つづく)
金沢旅行記2014~金沢市民マラソン編①~ [日本の旅(北陸)]
あれだけ呑んだ割には二日酔いにもならず起きましたが。
ま、走るって気持ちになりませんね。二度寝しようかと思ったくらいで。(笑)
北國新聞入ってた
地方にきて面白いのはこういう地方ならではの新聞を読むこと。
カラーページが多くて地域情報を事細かに報じていたりして、
アウェーの私は全く分からないというシチュエーションが楽しめます。
外は曇天
朝食 ブッフェです
でも、さすがに少な目で
これがこの後走るとか考えなくてよければ迷わずご飯はお代わりです。
力の源 なっとぅは欠かせません。
6時半オープンのホテル内のカフェに行ったのですが、
私より早く行ってオープン待ちしている人が意外に多かったのが印象的。
走る予定がなければ、私は絶対朝ごはんは8時過ぎに行ってると思うんで。(^_^.)
で、7時20分にダイバー兄さんとs姐と集合し、出発。
ホテル内でゼッケンつけて歩いていたら、、、、結構目立ちました。(笑)
スタート地点はホテルから5分も歩かずつきますが、
結構人いっぱい
しめよう あなたの 命づな
なんか、切ない感じ。。。。
で、10キロの部に出場するダイバー兄さんとs姐さんとはここで早々にお別れ。
一人になってから自分のスタート地点を探しつつ、
看板みながら歩いて
はあ、こんなとこ走るんだと確認
マツコ&2代目子供店長
来年のフルマラソンコース
わたしにはあり得ない話ですって。
で、自分のスタート地点を見つけました。
10キロの部は4800人出場というだけあって、年代などもかなり細分化されていましたが、
3.3㌔は1200人くらいと少ないせいか、カテゴリーもかなりざっくり。
私は40歳代、50歳代女性の部、ですが、同じスタート地点には高校生やら、同じ年代の男性やら、
もうごちゃごちゃ。。。
中には、「あなた、10キロいけるでしょう?」と聞きたくなるような、
本格的なお召しの方などもいたりして、、明らかに初心者ルックの私は緊張するばかり。。。
と、話しかけてくれた地元のおばちゃんのお陰でスタートまではなんとか緊張もなかったのですが、
(え、千葉から来たんですか??とマジ顔で驚かれました。私自身も驚いてるけどね。)
あとちょっとでスタート、、なんて頃になったらさすがにド緊張。
10キロの部の皆さんが一斉スタートしてから15分。
北陸新幹線の車両を頭にかぶった人、なんちゃってミッキーマウス、アフロヘア、ドラゴンボール、
ぽつぽつとコスプレしている人たちも混じってスタートしていくのを見届けた後、
私もとうとうスタートする時間となりました。
走れるのか、あたし。
(つづく)