名古屋旅行記2023~名古屋城編~ [日本の旅(関西&東海)]
人生初のひつまぶしをいただいて満足した後は、名古屋城に向かいます。
以前訪れて天守にものぼったので特に再訪したいという気持はなかったのですが、
本丸御殿が復元されたとNちゃんが言うのでお伴しました。
地下鉄移動
環状線になっているかと思いきや途中で分岐しているところがあって
まるで大江戸線みたいだなと思ったのですが、この後合流するおじさん(Tさん)が
以前、何度大江戸線に乗っても目的地に着けない(⇐酔っているのも一因)のを
FBによく書いていたのを名古屋の地下鉄路線図を見てふと思い出してしまいました。
地下鉄の出口から出て歩いていると何だか明るい雰囲気に迎えられました。
前回(というか今回が2回目)名古屋城に行ったのっていつだっけと、
備忘録替わりにもなる己のブログを調べてみたら2007年。16年も前でした。
(その時の記事に書いた名古屋城についての超簡単な説明)
名古屋城は、関ヶ原の合戦後、 江戸幕府を開いた徳川家康が
1612(慶長17)年に東海道の要所として築城され、
明治維新を迎えるまで尾張家の居城だったが、
昭和20年、第二次世界大戦中の空襲で焼失、
戦後の昭和34年(1959年)に天守が再建され、
現在平成22年(2010年)の本丸復元に向けているとか。。。
その時にお会いした春姫(12歳)
名古屋城に来た思い出といえば、天守閣に行く前に観た菊人形と金のシャチ、
大きな天守、と横に設置されたエレベータ、という感じですが、
今回その思い出がどのくらい上書きされるのか、、、です。
あれ、天守閣には入れないって。
2007年には入れたのでその後耐震基準に合わない状況になったということ?
なのかもしれませんね。
と思って調べたら、2010年ごろから復旧?復元の計画があったものの
どうやって復元するかで検討に時間がかかったみたいで(河村市長案件なんですね)
完成時期は2032年ということらしいので、2007年にのぼっておいてよかった、
という気持になりました。
サムライニンジャショウ、外国人の方が喜びそうな、、、感じですね。
加藤清正公
加藤清正は築城の名人として当時から知られ、
慶長15年(1610年)、徳川家康に名古屋城築城のために呼ばれ、
諸大名とともに名古屋城の天守閣の石垣を積み上げるという仕事を担ったそうですが、
巨石を運ぶ際、清正自ら石の上に乗って音頭を取ったと言われているとか。
個人的には、それでなくとも重い石の上に人が乗ったら更に重くなるんじゃないのか、
そんな気持ちで銅像を眺めてしまいました。
お堀は空堀(というのは前回も観たのですが忘れていました(笑)、
上右の写真は焼失前の天守閣と手前にあるのが本丸御殿、今回はこの本丸御殿が
復元されたものを見られる、らしいです。
と、天守閣方面に歩いていって途中左折してしまったのですが(なぜだか)
湯殿に先についておりました。
係の方が「こちらは湯殿で本丸御殿ではありません」と念押ししてくれたのですが
折角きたんだし、はい、見学したいですと答えると、「預かりましょうか?」と
重いリュックを入口で預かってくれました。
まだ完成手前で工事が続いているのと大きな荷物で室内を傷つけられないように、
というのも預ってくれた理由のようです。
遠目に天守閣を見ながら中へ
入って早々工事中。完成後のイメージ図を見ながら想像します。(笑)
風呂屋形
サウナのような蒸し風呂だったそうです
完成前でも公開してくれるのは嬉しいのですが、内装まだまだこれから、という
感じで想像力があまりないと、単なる工事現場になってしまいまそうでした。
10分もかからず見学終了し、預けた荷物を受け取ってもと来た道を戻り、
左折したところをそのまままっすぐ進んで、
天守閣を見ながら入場待ち
この日は混んでいない方だったようですが、それでも15分くらい並びました。
本丸御殿は荷物を預かってもらえないというか中にコインロッカーがあって
(100円入れたら後で戻ってくる方式)
そこに預けて靴を脱いでから中に上がりました。
いきなり狩野派
と思ったらデジタル複製でした
重要文化財の障壁画を高精細にスキャンしてデジタルデータ化し、
下地に本物の金箔を貼った上に実物と同じ大きさで印刷したものだそうです。
これまでだと復元模写するケースが一般的なのかと思っていましたが、
高精細スキャンや印刷の技術が向上したお陰で、重要文化財の保存状態のままに
こういう複製も可能になったのでしょうね。
とはいえ、室内の障壁画は復元模写とありますので、400年前の完成当時の
鮮やかな色合いが再現されているということで昔にタイムスリップということ、
なのでしょうね。
物凄く煌びやかでした。。
こんなキラキラした御殿で暮らしていたのかあ、、、と想像しながら見学終了。
水戸黄門のテーマソングを思い浮かべる私です(笑)
天守閣には登ることができませませんでしたが、復元された本丸御殿を見ることが
出来て徳川家康の力を改めて感じた名古屋城見学となりました。
加藤清正公の運んだと言われる石を見て、
にゃあ(敷地内にいた野良ちゃん)
地下鉄で移動してホテルへ
以前訪れて天守にものぼったので特に再訪したいという気持はなかったのですが、
本丸御殿が復元されたとNちゃんが言うのでお伴しました。
地下鉄移動
環状線になっているかと思いきや途中で分岐しているところがあって
まるで大江戸線みたいだなと思ったのですが、この後合流するおじさん(Tさん)が
以前、何度大江戸線に乗っても目的地に着けない(⇐酔っているのも一因)のを
FBによく書いていたのを名古屋の地下鉄路線図を見てふと思い出してしまいました。
地下鉄の出口から出て歩いていると何だか明るい雰囲気に迎えられました。
前回(というか今回が2回目)名古屋城に行ったのっていつだっけと、
備忘録替わりにもなる己のブログを調べてみたら2007年。16年も前でした。
(その時の記事に書いた名古屋城についての超簡単な説明)
名古屋城は、関ヶ原の合戦後、 江戸幕府を開いた徳川家康が
1612(慶長17)年に東海道の要所として築城され、
明治維新を迎えるまで尾張家の居城だったが、
昭和20年、第二次世界大戦中の空襲で焼失、
戦後の昭和34年(1959年)に天守が再建され、
現在平成22年(2010年)の本丸復元に向けているとか。。。
その時にお会いした春姫(12歳)
名古屋城に来た思い出といえば、天守閣に行く前に観た菊人形と金のシャチ、
大きな天守、と横に設置されたエレベータ、という感じですが、
今回その思い出がどのくらい上書きされるのか、、、です。
あれ、天守閣には入れないって。
2007年には入れたのでその後耐震基準に合わない状況になったということ?
なのかもしれませんね。
と思って調べたら、2010年ごろから復旧?復元の計画があったものの
どうやって復元するかで検討に時間がかかったみたいで(河村市長案件なんですね)
完成時期は2032年ということらしいので、2007年にのぼっておいてよかった、
という気持になりました。
サムライニンジャショウ、外国人の方が喜びそうな、、、感じですね。
加藤清正公
加藤清正は築城の名人として当時から知られ、
慶長15年(1610年)、徳川家康に名古屋城築城のために呼ばれ、
諸大名とともに名古屋城の天守閣の石垣を積み上げるという仕事を担ったそうですが、
巨石を運ぶ際、清正自ら石の上に乗って音頭を取ったと言われているとか。
個人的には、それでなくとも重い石の上に人が乗ったら更に重くなるんじゃないのか、
そんな気持ちで銅像を眺めてしまいました。
お堀は空堀(というのは前回も観たのですが忘れていました(笑)、
上右の写真は焼失前の天守閣と手前にあるのが本丸御殿、今回はこの本丸御殿が
復元されたものを見られる、らしいです。
と、天守閣方面に歩いていって途中左折してしまったのですが(なぜだか)
湯殿に先についておりました。
係の方が「こちらは湯殿で本丸御殿ではありません」と念押ししてくれたのですが
折角きたんだし、はい、見学したいですと答えると、「預かりましょうか?」と
重いリュックを入口で預かってくれました。
まだ完成手前で工事が続いているのと大きな荷物で室内を傷つけられないように、
というのも預ってくれた理由のようです。
遠目に天守閣を見ながら中へ
入って早々工事中。完成後のイメージ図を見ながら想像します。(笑)
風呂屋形
サウナのような蒸し風呂だったそうです
完成前でも公開してくれるのは嬉しいのですが、内装まだまだこれから、という
感じで想像力があまりないと、単なる工事現場になってしまいまそうでした。
10分もかからず見学終了し、預けた荷物を受け取ってもと来た道を戻り、
左折したところをそのまままっすぐ進んで、
天守閣を見ながら入場待ち
この日は混んでいない方だったようですが、それでも15分くらい並びました。
本丸御殿は荷物を預かってもらえないというか中にコインロッカーがあって
(100円入れたら後で戻ってくる方式)
そこに預けて靴を脱いでから中に上がりました。
いきなり狩野派
と思ったらデジタル複製でした
重要文化財の障壁画を高精細にスキャンしてデジタルデータ化し、
下地に本物の金箔を貼った上に実物と同じ大きさで印刷したものだそうです。
これまでだと復元模写するケースが一般的なのかと思っていましたが、
高精細スキャンや印刷の技術が向上したお陰で、重要文化財の保存状態のままに
こういう複製も可能になったのでしょうね。
とはいえ、室内の障壁画は復元模写とありますので、400年前の完成当時の
鮮やかな色合いが再現されているということで昔にタイムスリップということ、
なのでしょうね。
物凄く煌びやかでした。。
こんなキラキラした御殿で暮らしていたのかあ、、、と想像しながら見学終了。
水戸黄門のテーマソングを思い浮かべる私です(笑)
天守閣には登ることができませませんでしたが、復元された本丸御殿を見ることが
出来て徳川家康の力を改めて感じた名古屋城見学となりました。
加藤清正公の運んだと言われる石を見て、
にゃあ(敷地内にいた野良ちゃん)
地下鉄で移動してホテルへ
初めて泊る東横INNでしたが、ちょうどチェックインで混雑する時間帯、
スタッフの方も少ないのか暫くほったらかしにされた後に自分でなんとか
機械での自動チェックイン、スタッフの方から何も案内がないまま鍵をゲットし、
部屋は普通のシングルですが、
聖書などと一緒に、「日本一女性が働きたい職場を目指して」 という本が置いてあって、
東横INN2代目社長の著書(不正建築の謝罪記者会見で鳴いた社長の娘さん?)らしく、
確かにぷーたろーの時、東横INNの女性支配人の募集が多かったのを思い出しました。
働きたいのか働きやすいのかよく分かりませんが、あまりこういう強めのタイトルは
個人的には手を伸ばさないだろうな、、という感じです。(^^;
と、ホテルに荷物を置いたら夜の部の会場に向かいます。
(つづく)
スタッフの方も少ないのか暫くほったらかしにされた後に自分でなんとか
機械での自動チェックイン、スタッフの方から何も案内がないまま鍵をゲットし、
部屋は普通のシングルですが、
聖書などと一緒に、「日本一女性が働きたい職場を目指して」 という本が置いてあって、
東横INN2代目社長の著書(不正建築の謝罪記者会見で鳴いた社長の娘さん?)らしく、
確かにぷーたろーの時、東横INNの女性支配人の募集が多かったのを思い出しました。
働きたいのか働きやすいのかよく分かりませんが、あまりこういう強めのタイトルは
個人的には手を伸ばさないだろうな、、という感じです。(^^;
と、ホテルに荷物を置いたら夜の部の会場に向かいます。
(つづく)
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