横浜「カップヌードルミュージアム」でマイカップヌードル [日本の旅(関東)]
カップヌードルミュージアムを見学します。
観覧車を見ながら
到着
というか、海外移住資料館に行くとき通ったので戻ってきた感じ。
https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/
オリジナルのカップヌードル作れる体験コーナーは予約制、と
ホームページに書いてあったので予約してローソンで発券したのですが、
訪れた時期(9月)は遠方からの観光客が少なかったのか当日券も普通に買えて
それなら時間気にせず当日券を買ってもよかったかな。( 一一)
記事をアップしている時点(3月)では入場者の人数制限のため、という理由で
予約券は販売しておらず、当日券のみの販売になっているようですが、
緊急事態宣言、さらに期間延長で運営側もご苦労が多いののでしょうね。
入口に巨大カップヌードル
かなり大きかったのですが(それが分からない撮り方をする私)、
カップと一緒に自撮りする気持ちにならず。一人の時はそんなもんですね。
世界の麺が食べられるコーナーも
で、最初に来たのは百福シアター 2階です
日清食品の創業者でチキンヌードルを発明した安藤百福さんの
軌跡をたどるシアターでアニメで百福さんも登場します。
未見ドラマのため、内容は分かりませんが、
安藤百福さんについてはある程度知っていたので、おさらい的な感じで観ました。
(安藤百福クロニクル)https://www.nissin.com/jp/about/chronicle/
ここまであれこれ書いていてナンですが、
私うつぼ、実はカップヌードルもチキンラーメンも
これまで数えるくらいしか食べたことがありません。( 一一)
多分、年一度も食べていないかな、って感じ。最近特に。
敢えて食べるならシーフード味なのですが、非常時にはいいと思いながら
カップラーメンだと違うものを選びがち(最近カップだと呑兵衛が多い)。
小さい頃はカップヌードル=高い=贅沢ってイメージで、もっぱら袋麺。
好きなのは出前一丁とサッポロ一番の味噌味でした。
高くて買ってもらえないのもありましたが、年末、兄が婆1号にねだって
新製品のカップライス(チキンライス)を買ってもらったものの、
カップヌードルより高い割にお米をお湯で戻すというのはまだ技術が
確立されていなかったのか(フリーズドライとかあったのかな)口に合わず、
その思い出がカップラーメンも食べない、というところにつながっているような、
そのまま五十路を過ぎてしまった私です。
そんなことを思い出しながらこうやって記事を書くと、技術も進歩しているし、
また食べてみようかな、という気持ちになっています。
と、カップヌードルをろくに食べていないので少々後ろめたい気持ちになったのですが、
カップヌードル体験まで時間もあるし、館内の見学を続けます。
チキンラーメンを発明した小屋
麺 油で揚げて水分飛ばして保存性アップ
リヤカーや自転車に時代を感じます。
小屋の裏には鶏を飼っていたんですね
小屋の隣に百福ヒストリー
保存食の先駆けですね
宙に舞うカップヌードル
ド迫力
なんかしつこいのですが、面白くて何度も写真に撮ったので載せました。(笑)
これ、NYのMOMAに展示されていても全然違和感ないと思う。
やっぱり今度食べようっと
これは覚えています
今はコンビニにお湯が置いてあって入れられますが、
昔ってこういう自販機でないと外でお湯入れて食べられなかったんでしょうね。。
これはリアルタイムでは記憶なし
後々日本赤軍の映像に関連して紹介されているのは観たことがあります。
日本赤軍の総括って恐ろしいものなんだ、という記憶、と、
あさま山荘を激しく壊す鉄球、そこにカップヌードル。
世界のカップヌードルといえば
大学生の頃、中国旅行したときに試しに友人と2個買ってみたら、
具(海老)の量に差があって驚いたのを覚えています。
友人が買ったほうに海老2個くらいしか入ってなくて。(笑)
これはNYで直に見て驚きました。
タイムズスクエアというと、コカ・コーラとカップヌードルの広告、
というイメージがずっと強くてNYを象徴するものだと思っていたのですが、
その後、10年くらい前にはTDK、その後訪れたらダンキンドーナツ、と
広告が変わっていきました。
コカ・コーラのところもサムスンだったかな韓国企業の広告になって。
かつて、湯気を出していたカップヌードル看板を思い出すと時の流れを感じます。
野口さんが宇宙で食べたカップヌードル。時代の進化を感じます。
ありがとう百福♪
上階のレストランも軽く見学
謎肉&世界の麺
個人的にはカザフスタンのラグマンが気になっていたのですが、
この2時間後に夕食予定で軽くとはいっても食べちゃうとなあ、と思って
この時は食べませんでした。
次回訪問時はカップヌードル体験は要らないので世界の麺をはしごで食べたい。
(お酒を置いてないのが残念)
チキンラーメンも食べられます
で、予約の時間になったので3階のマイカップヌードルファクトリーへ。
当日券参加者は最初に購入します
消毒 ここで手をきれいにします
空のカップに
マジックをもらって
こんなところでイラストを描きます
丁寧にイラストを描いている人(主にファミリーやカップル)もいましたが、
1人で来て長居する気もないので適当にマジックでCUP NOODLEの文字を色付けて、
中身を入れてもらいに並びます。
半円形になっているので順番に並びます
最後のフィルム貼り
1人で来ているおばさんに担当のお姉さんは緊張したのか、
フィルム貼りに失敗し(笑)やりなおしてくれました。
私の視線が怖かったのかもしれません。お姉さんごめんね。
出たところでバッグに空気入れて完成
折角空気を入れたのですが、これをそのまま持って歩く勇気がなく、
ボールペンの先で空気をつぶし、自分のカバンに入れて持ち帰りました。
ミュージアムショップにアンパンマン
この後、新横浜に向かったのですが
この中途半端に塗ったオリジナル
翌月の愛媛旅行で、けーすけ兄にお土産で渡して、
食べるとき写真撮って送ってね、ってお願いしたら送ってくれました。
これ(笑)
具は3種類選べるのですが、海老とひよこちゃんかまぼこ×2にしたので、
ひよこだらけになりました。
カップヌードルに入っているわけないものが入っているのも面白いかなって。
スープも醤油、トマト、カレーが選べますが普通に醤油にしたので、
味は普通にカップヌードルだったみたいです。
訪れて思ったのは、ここは友達やカップル、ファミリーで来るところだなって。(笑)
1人で訪れるのはちょっと、というか、かなり浮きます。
気にしていないので別にいいのですが、複数人で来た方が楽しめるだろうな、と
さきほどの海外移住資料館とは真逆の雰囲気をひしひし感じながら、
次回は世界の麺食べ比べをしてみたいと思ったカップヌードルミュージアムでありました。
横浜「海外移住資料館」で社会勉強 [日本の旅(関東)]
昨年2月中旬から始まった在宅勤務も2年目に入りましたが、
おそらくこの先もこういう生活になりそうなので、何週目とか数えなくなりました。(笑)
在宅勤務ってメリハリがないので、本当は業後に呑みに出かけたり映画にいったり
落語を聞いたりしたいのですが、なかなか思うように出かけられない今日この頃。
年明けに予定していた旅行も2つキャンセルしているので旅に行きたい気持ちが
現在非常に強いのですが、もうちょっと我慢かなー。(;O;)
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以前、新横浜で北京ダックを食べた記事を書いたのですが、
その前に訪れた海外移住資料館の記事です。
みなとみらい駅から向かいました
途中にカップヌードルミュージアム
外壁にカップヌードル製造工場的なディスプレイになっていて、
ひよこちゃん くるくる回っていました
そのちょっと先にありました
こんなところにもくまモン
無料で見学できます。
(ホームページ) https://www.jica.go.jp/jomm/index.html
JICAの施設で、南北アメリカを中心に海外移住された日本人の方々の歴史と、
日系人の現在をテーマとした資料館ですがなぜJICA?なのかと思ったら、
(JICAというと海外の様々な事業を支援するようなイメージだったので)
JICAの前身組織の一つが、戦後の移住事業(主に中南米)に携わっていたことから
2002年、移住船出港地の一つであった横浜に資料館をオープンしたそうです。
1866年海外渡航禁止令が解かれてから海外移住が始まり、
ハワイ王国からアメリカ、カナダ、ペルー、ブラジルへ日本人が移住し、
1924年アメリカで日本人の入国が禁止されてからは、北米から南米へ日本人が
移っていった、というのは本当にざっくりとしか知らなかった私ですが、
資料館のホームページによれば、第二次世界大戦前に約77万人、戦後に約26万、
100万人以上の日本人が海を渡って北南米に移住されたんですね。
現在は、日本人が移住というと老後に東南アジア、というイメージですが、
逆に日本人が移住した国から日系人を中心した人たちが日本にやってきて
就労、就学されているケースが多いですよね。
(思い浮かぶのは群馬県大泉町のブラジルタウン)
海外だと、NYのチャイナタウンやコリアンタウンの広がりぶりを観ると、
(リトルイタリーがチャイナタウンに侵食されているイメージ)
中国や韓国から欧米へ移住する人が多いというイメージです。
というわけで入口から順番に見学スタート。
樽も使われています
オレゴン州ポートランド市近郊で農業を営む日本人農家が、
1920年のローズ・フェスティバル(地元イベント)に自分たちが栽培した野菜、
果物で作った山車で参加し、動力車で牽引する部門で一位をとったそうです。
展示は当然レプリカですが、山車の後半部分、前半部分には子豚二匹が入った
籠が置かれていたと説明にありました。(養豚業を営む方もいたからだそうです)
北南米に移住した日本人はこういう都市近郊で野菜などを栽培し、都市部の需要に
応えて作物を供給していたそうですが、日本人の集約的農業が品質の高い商品を
供給することで移住先に貢献していた、という説明に、勤勉で移住先でも賢明に
働いていたということがうかがえます。
移民の七つ道具。
船で長期間かけて移住するわけで、そうそう簡単に日本には戻れない、
(というか戻らない覚悟で移住していたのでしょうね)
見知らぬ土地に向かう中で持参するものはどういうものがあるのか
興味津々で見てみると、
教育勅語に
大黒様と恵比寿様かな
薬や化粧品?など身の回りのものや
衣類やはきもの、傘、空手着(上右)
レコードや麻雀牌
(テイチクレコードと書いてありました。懐かしい。)
工具類や飯盒、算盤など。
ミシン(足踏み)に賞状、書道具
書籍(平時国際法論、和西会話辞典など)や学帽、
書籍の横に茶箱があったのですが、私も小さい頃は、実家で収納用に茶箱を
使っていたのを思い出しました。
この後、ハワイをはじめとしたアメリカへの移民の様子、第二次世界大戦中での差別、
強制収容された歴史、南米へ移住した日本人たちが開墾していくご苦労などの様子が
当時の写真と共に紹介されているのを見ていたのですが、移民の出身都道府県別の
分布図を観ると、西の方が多いのですね。九州や関西だと和歌山が多く、
先に移住した人を頼って、同じ県出身(や親戚)が移住というパターンも多いかな、
と思いました。
その後は、移住先での生活の様子とともに、
こういう展示も
移住先の雑貨店を再現したものですが、
缶詰類や食器、下駄、酒類など
小麦粉や歯磨き粉など
飲み物(ペプシ)やクラッカー 個包装ではない時代ですもんね 算盤
本店 桑港 支店 大阪東京京都 と書いてあるのですが、
サンフランシスコから日本に船で輸出していたのか、
逆に輸入していたのか、移民の方が貿易業を営まれていた、ということですね。
パンや飴かな
これらの展示の後、実際の暮らしぶり(日本の風習を移住先で行っていた)や、
県人会などの行事など、移民によるコミュニティを広げ根付かせていった様子が
展示されていました。
自分の身の回りで海外移住という話を聞かずに育ったので、こういう資料館で
知ることは多いですね。
一昨年、テレビ東京で両親と共にアルゼンチンへ移住した男性が、
日本に残ったお兄さんと会いたいと日本にやってくる番組を観たのですが、
(北海道で再会できました)https://www.tv-tokyo.co.jp/information/2019/08/23/216833.html
手掛かりになる兄からの手紙(40年前)を頼りに一生懸命探す姿、
移住したアルゼンチンでのご苦労と簡単に帰れない環境、
(アルゼンチンと日本って地球の真反対ですし)
変わり過ぎて分からない故郷でも手掛かりを探してお兄さんと再会できた時、
私も思わず泣いてしまいましたが、こういう方が大きな決意をもって遠くの地へ
移住するという時代があったことを一端ながら知ることができた、
(また機会があれば再訪してもっとゆっくり見学したいけれど)
海外移住資料館でありました。