横浜「海外移住資料館」で社会勉強 [日本の旅(関東)]
昨年2月中旬から始まった在宅勤務も2年目に入りましたが、
おそらくこの先もこういう生活になりそうなので、何週目とか数えなくなりました。(笑)
在宅勤務ってメリハリがないので、本当は業後に呑みに出かけたり映画にいったり
落語を聞いたりしたいのですが、なかなか思うように出かけられない今日この頃。
年明けに予定していた旅行も2つキャンセルしているので旅に行きたい気持ちが
現在非常に強いのですが、もうちょっと我慢かなー。(;O;)
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以前、新横浜で北京ダックを食べた記事を書いたのですが、
その前に訪れた海外移住資料館の記事です。
みなとみらい駅から向かいました
途中にカップヌードルミュージアム
外壁にカップヌードル製造工場的なディスプレイになっていて、
ひよこちゃん くるくる回っていました
そのちょっと先にありました
こんなところにもくまモン
無料で見学できます。
(ホームページ) https://www.jica.go.jp/jomm/index.html
JICAの施設で、南北アメリカを中心に海外移住された日本人の方々の歴史と、
日系人の現在をテーマとした資料館ですがなぜJICA?なのかと思ったら、
(JICAというと海外の様々な事業を支援するようなイメージだったので)
JICAの前身組織の一つが、戦後の移住事業(主に中南米)に携わっていたことから
2002年、移住船出港地の一つであった横浜に資料館をオープンしたそうです。
1866年海外渡航禁止令が解かれてから海外移住が始まり、
ハワイ王国からアメリカ、カナダ、ペルー、ブラジルへ日本人が移住し、
1924年アメリカで日本人の入国が禁止されてからは、北米から南米へ日本人が
移っていった、というのは本当にざっくりとしか知らなかった私ですが、
資料館のホームページによれば、第二次世界大戦前に約77万人、戦後に約26万、
100万人以上の日本人が海を渡って北南米に移住されたんですね。
現在は、日本人が移住というと老後に東南アジア、というイメージですが、
逆に日本人が移住した国から日系人を中心した人たちが日本にやってきて
就労、就学されているケースが多いですよね。
(思い浮かぶのは群馬県大泉町のブラジルタウン)
海外だと、NYのチャイナタウンやコリアンタウンの広がりぶりを観ると、
(リトルイタリーがチャイナタウンに侵食されているイメージ)
中国や韓国から欧米へ移住する人が多いというイメージです。
というわけで入口から順番に見学スタート。
樽も使われています
オレゴン州ポートランド市近郊で農業を営む日本人農家が、
1920年のローズ・フェスティバル(地元イベント)に自分たちが栽培した野菜、
果物で作った山車で参加し、動力車で牽引する部門で一位をとったそうです。
展示は当然レプリカですが、山車の後半部分、前半部分には子豚二匹が入った
籠が置かれていたと説明にありました。(養豚業を営む方もいたからだそうです)
北南米に移住した日本人はこういう都市近郊で野菜などを栽培し、都市部の需要に
応えて作物を供給していたそうですが、日本人の集約的農業が品質の高い商品を
供給することで移住先に貢献していた、という説明に、勤勉で移住先でも賢明に
働いていたということがうかがえます。
移民の七つ道具。
船で長期間かけて移住するわけで、そうそう簡単に日本には戻れない、
(というか戻らない覚悟で移住していたのでしょうね)
見知らぬ土地に向かう中で持参するものはどういうものがあるのか
興味津々で見てみると、
教育勅語に
大黒様と恵比寿様かな
薬や化粧品?など身の回りのものや
衣類やはきもの、傘、空手着(上右)
レコードや麻雀牌
(テイチクレコードと書いてありました。懐かしい。)
工具類や飯盒、算盤など。
ミシン(足踏み)に賞状、書道具
書籍(平時国際法論、和西会話辞典など)や学帽、
書籍の横に茶箱があったのですが、私も小さい頃は、実家で収納用に茶箱を
使っていたのを思い出しました。
この後、ハワイをはじめとしたアメリカへの移民の様子、第二次世界大戦中での差別、
強制収容された歴史、南米へ移住した日本人たちが開墾していくご苦労などの様子が
当時の写真と共に紹介されているのを見ていたのですが、移民の出身都道府県別の
分布図を観ると、西の方が多いのですね。九州や関西だと和歌山が多く、
先に移住した人を頼って、同じ県出身(や親戚)が移住というパターンも多いかな、
と思いました。
その後は、移住先での生活の様子とともに、
こういう展示も
移住先の雑貨店を再現したものですが、
缶詰類や食器、下駄、酒類など
小麦粉や歯磨き粉など
飲み物(ペプシ)やクラッカー 個包装ではない時代ですもんね 算盤
本店 桑港 支店 大阪東京京都 と書いてあるのですが、
サンフランシスコから日本に船で輸出していたのか、
逆に輸入していたのか、移民の方が貿易業を営まれていた、ということですね。
パンや飴かな
これらの展示の後、実際の暮らしぶり(日本の風習を移住先で行っていた)や、
県人会などの行事など、移民によるコミュニティを広げ根付かせていった様子が
展示されていました。
自分の身の回りで海外移住という話を聞かずに育ったので、こういう資料館で
知ることは多いですね。
一昨年、テレビ東京で両親と共にアルゼンチンへ移住した男性が、
日本に残ったお兄さんと会いたいと日本にやってくる番組を観たのですが、
(北海道で再会できました)https://www.tv-tokyo.co.jp/information/2019/08/23/216833.html
手掛かりになる兄からの手紙(40年前)を頼りに一生懸命探す姿、
移住したアルゼンチンでのご苦労と簡単に帰れない環境、
(アルゼンチンと日本って地球の真反対ですし)
変わり過ぎて分からない故郷でも手掛かりを探してお兄さんと再会できた時、
私も思わず泣いてしまいましたが、こういう方が大きな決意をもって遠くの地へ
移住するという時代があったことを一端ながら知ることができた、
(また機会があれば再訪してもっとゆっくり見学したいけれど)
海外移住資料館でありました。