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京都旅行記2020Ⅲ~方広寺&豊国神社編~ [日本の旅(京都)]

早起きは三文の徳。清水寺と八坂の塔を訪ねた後はホテルに戻って朝ごはん。

IMG_0926.JPGお弁当形式
2ヶ月前の時は前日予約してフロントにとりにいってお部屋でたべる、
2階のレストランは閉鎖されていたのですが、11月訪問時は開いていて
レストラン内でこういうお弁当(ごはん、味噌汁はセルフ)を食べるか、
部屋で食べる用(使い捨て容器でおかずの種類が多い感じ)のお弁当を受け取るか、
どちらか2択でしたが、温かいお味噌汁ものみたいし、とレストラン内でいただきました。
納豆と味付けのりもいただけました。(^-^)
で、レストラン内、大混雑というほどではないのですが7-8割くらいの入り。
隣のおっさんは、レストラン内で食べるお弁当と、部屋にもって帰って食べるお弁当、
2つ食ってました。(V)o¥o(V)
ブッフェだと食べたいだけ食べられるけれどお弁当は量が決まっているから足りない、
ということなんだと思いますが、ホテルには2つ食べたいといってるのかどうか。怪しい。
と、朝の清水寺で清々しい気持ちになったのがすっかりイラつきおばさんに元通り。
私の精神鍛練が足りないってことですね。(笑)

という朝ごはんタイムの後は、まだ訪れていない場所に出かけます。
最初は豊臣秀吉さん関連の場所です。

学習漫画 日本の伝記 豊臣秀吉 戦国の世を統一した天下人

学習漫画 日本の伝記 豊臣秀吉 戦国の世を統一した天下人

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1988/02/19
  • メディア: 単行本
前回、坂本龍馬さんを漫画で学んだように、今回も小学館のお力を借りて学習。
とりあえず一通り読んだのですが、前回のような主役だけでなく周りを取り巻く人たち、
全体的に共感することができずテンションが低いまま読み終わりました。
まあ、読まないより読んだ方が訪れた時にああそういうことか、と思えるかな、という程度。
鳴かないホトトギスを殺さず鳴かせてみようとする性格なのでそんなに残忍でもないのかと
思っていたのですが結構残忍かなあって。( 一一)

と漫画(実は往路の新幹線の中でもまだ読んでいた(笑))の余韻残る中、
早朝の清水寺行と同じバスに乗ったのですが、8時過ぎなので観光客でギュウギュウ。
地元の小学生のお嬢ちゃんたち2人が乗っていたのですが観光客だらけなのを不快に思って
いるらしく、混んでいて迷惑よねー、みたいに話していました。
確かに、地元の人には生活の足が観光客だらけで迷惑な気持ちも分かるけれど、
その話し方が可愛らしく無くて。(笑) 一方、気の毒だったのはバスの運転手さん。
次のバスに乗ってください、といっても乗ってくる観光客が入口近くに立っているため
ドアを閉められず、センサーの前に人が立っているとドアを閉められないから奥に進んで下さい、
と何度もお願いアナウンスしていました。
インバウンドの観光客がいた頃はもっと凄かったんだろうな。
と、大量の観光客のほぼ全員が清水道(清水寺)で下車。ごそっと降りたのでほっとしたら、
清水寺の観光を終えて次の観光地に向かう人たちが今度は大量に乗ってきて、
結局バスはずっとギュウギュウ状態でした。( 一一)
私は清水道の2つ先の馬町で下車。バス停から方広寺まで歩きます。
IMG_0928.PNGGoogleマップ先生は頼りになります

IMG_0929.JPG歩くこと6-7分で 
IMG_0930.JPG方広寺 の梵鐘
1586年、豊臣秀吉が東大寺を模して建立したお寺。 
IMG_0931.JPG
これ、漫画にも描かれていたのでまだ覚えていました。(笑)
禅僧の文英清韓の作から「国家安康 君臣豊楽」と梵鐘に刻まれたのを観た徳川家康が
家康を分断したと憤慨して大坂冬の陣、夏の陣に至ったということですが、
そういうエピソードを見るとそんなことで怒っちゃうの?と思ってしまう私です。
(戦国時代の歴史が好きな方にそんなこと言ったら怒られそうですが)
って、真偽のほどは謎?なんだと思いますが、こんな感じのエピソード、
会社でもあるというか、偉い人に限って勝手に勘違いして怒る、みたいなこと。
ついつい以前の勤め先とかでそんな人いたなあ、なんてことを思い出しました。(^-^; 
ちなみに書いてあるところも撮影したのですがボケボケ過ぎて割愛します。
IMG_0932.JPGと、鐘のエピソードは知っていましたが、 IMG_0933.JPG 天井ががすごい
当時は極彩色だったのでしょうね。
迦陵頻伽という上半身が人間で下半身が鳥という極楽浄土に住むといわれる想像上の生き物が
描かれていました。もっとアップで撮ればよかったのになぜかこんな感じの写真のみ。
おまけに梵鐘を見て満足してしまい、本殿に行かなったのですが本殿に安置されている
毘盧遮那仏も見どころポイントだったと記事を書く段で知るという。
相変わらずの準備不足。もうちょっと調べていけよ、と己に突っ込みいれました。
IMG_0934.JPG気を取り直して豊国神社へ IMG_0936.JPG豊臣大明神(豊臣秀吉)が祀られています IMG_0937.JPG中に入れなかったので 
IMG_0938.JPG宝物館に行こうかと 
IMG_0939.JPGこれだけ撮影して 
IMG_0940.JPGIMG_0941.JPG宝物館へ 
IMG_0942.JPG写真撮影可です 
IMG_0943.JPGぐるっと一周して見学するこじんまりした建物です IMG_0947.JPG獏御枕
レプリカではなく現物。豊臣秀吉が晩年に使用していたもの。 
夢を食べる獏の枕でぐっすり眠ろうとしたというのが戦国時代だからでしょうかね。
IMG_0948.JPG豊公馬印之瓢(ほうこううまじるしのひょう)
豊臣秀吉が実際戦いのときに使っていた馬印。瓢箪の形かな。

IMG_0949.JPG木彫彩色飾鯛
諸大名が食膳に賑わいを盛るために使用した装飾用の鯛。
食器としても使用できる形もあったそうですが、これも豊臣秀吉が使用していたもの。
IMG_0950.JPGこのあたり、説明読んでない
IMG_0951.JPGIMG_0952.JPG
豊臣秀吉の家臣田中吉政が高台寺に寄進したとされる重要文化財の画像を
写したものと言われているそうで、大正14年、豊国神社再興50年記念の豊国祭で
宝物館が造営された時に奉納されたもの。 
IMG_0953.JPG豊臣秀吉の書 
IMG_0955.JPG茶釜 
IMG_0956.JPGベビーカー 
豊臣秀頼が生まれたときに作ったものだそうです。超豪華。
IMG_0958.JPGIMG_0959.JPG
後陽成天皇より正一位の神階として「豊国大明神」の神号を賜ったそうで、
上の書は加藤清正筆と伝えられていて、清正公は凶と在任中、絶えず豊国社に
参拝していたそうです。 
IMG_0960.JPG 
神社の門のところに貼ってあったポスターの刀。
重要文化財「薙刀直シ刀 無名 吉光 名物「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」
IMG_0961.JPG
斬る真似をしただけで相手の骨を砕いたという言い伝えから「骨喰」と名付けられ、
元々薙刀だったものを刀に直したもので鎌倉時代の作と言われているそうです。
源頼朝が九州の大友家に与えた後、足利尊氏に献上されその後刀に直されて、
戦国時代松永弾正に奪われたものを大友宗麟が買い戻し、豊臣秀吉に献上された刀。
大坂夏の陣の後、徳川将軍家の蔵刀になった後、明治時代に豊国神社に奉納されたという、
鎌倉時代からの歴史を見ると、私でも教科書で知っている人たちの手を経て
今の時代にも光を放つ刀を見られるというのは凄いことですね。
現在、京都国立博物館に寄託されているそうですが、今回期間限定で宝物館に展示されていた
そのタイミングに来られたのは運がよかった私です。

IMG_0962.JPG意外とよかった宝物館
こういう博物館に行くと、レプリカが多いのですが、
この宝物館、実物が展示されていて貸切で見学できて有意義な時間でした。(^-^)
と、続いて向かったのは、
IMG_0964.JPG耳塚
漫画にも出てきた耳塚。
豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した時の遺跡。
高さ8mの耳塚には秀吉の将兵が首の代わりに耳や鼻を削いで持ち帰り埋めたそうですが、
首は大きいから耳や鼻を削いでって想像しただけでも悲しい話です。
埋めた後に秀吉が塚を築いたということですが、この塚を見ると争いのない平和な世界で
当たり前のように過ごしている自分を振り返り、そうやって過ごせることに感謝せねば、
そんな気持ちになりました。

と、漫画を読んできたお陰でいつもより理解度が高かったような気分になって(笑)
次のスポットへ移動します。


(つづく)




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