映画「燃えあがる女性記者たち」を観る [映画(ま行)]
田端のチュプキさんで上映されているのを知り観に行きました。
あらすじは映画.comさんより。
インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、
カースト外の「不可触民」として差別を受けるダリトの女性たちによって
設立された新聞社カバル・ラハリヤ(「ニュースの波」の意)は、
紙媒体からSNSやYouTubeでの発信を中心とするデジタルメディアとして
新たな挑戦を開始する。
ペンをスマートフォンに持ちかえた女性記者たちは、
貧困や階層、ジェンダーという多重の差別や偏見にさらされ、
夫や家族からの抵抗に遭いながらも、粘り強く取材して独自のニュースを伝え続ける。
彼女たちが起こした波は、やがて大きなうねりとなって広がっていく。
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日本のメディアは、この映画を観て自分たちの報道姿勢を反省してほしい。
忖度や偏向報道が当たり前のテレビを始めとした日本メディアに対して
改めてというか憤りを感じてしまうような映画でした。
インドのカースト制度については詳しくはないものの、未だに存在するもの、
として理解していましたが、
あらすじは映画.comさんより。
インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、
カースト外の「不可触民」として差別を受けるダリトの女性たちによって
設立された新聞社カバル・ラハリヤ(「ニュースの波」の意)は、
紙媒体からSNSやYouTubeでの発信を中心とするデジタルメディアとして
新たな挑戦を開始する。
ペンをスマートフォンに持ちかえた女性記者たちは、
貧困や階層、ジェンダーという多重の差別や偏見にさらされ、
夫や家族からの抵抗に遭いながらも、粘り強く取材して独自のニュースを伝え続ける。
彼女たちが起こした波は、やがて大きなうねりとなって広がっていく。
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日本のメディアは、この映画を観て自分たちの報道姿勢を反省してほしい。
忖度や偏向報道が当たり前のテレビを始めとした日本メディアに対して
改めてというか憤りを感じてしまうような映画でした。
インドのカースト制度については詳しくはないものの、未だに存在するもの、
として理解していましたが、
この映画はバラモンというカーストの上位に属しながらも
英語ができないという理由で貧しい生活を送る父親が描かれていましたが、
今作では、カーストに属さないインド国民がいるということに驚きました。
ダリットと呼ばれる不可触民というだけで差別され迫害を受ける、
日本でも部落問題についてドキュメンタリーで知る機会を持ちましたが、
インドについてはカースト制度というのが未だに大きな存在であることを
改めて知りました。
ダリットというだけで差別される彼女たちが、ペンをスマホに持ちかえて
(印刷物でも発信しながら、よりネット社会に発信することの影響力を重視して)
新聞の発行と並行して積極的にYouTubeに世の中に知ってほしいと思う事実、
積極的に発信していく姿に、日本のようにメディアの仕事につくには高学歴が
必要と言われるのとまったくことなり、スマホがうまく使えなかったり、
家に電気がなくスマホの充電が出来なかったり、また、スマホの英語がうまく
読めない人もいる中、彼女たちが事実を報じたい、世界に発信していきたいという
熱い思いで取材に奔走する、実際会ったこともないのに画面越しに応援している
自分がおりました。
家父長制度というか、危険なところまで足を運んで取材しながらも
妻として母として家のこともやらなければならない、
(ダンナは手伝おうという感じもなく妻が働くことに不満ぽい雰囲気)
独身でこれからも記者として仕事を続けていきたいと思う有能な女性が
結婚(⇐渋々)することで仕事を辞めなければならないという場面には、
差別以外でも仕事をしたい気持ちを阻害する要因が非常に多く、
結果的にこの女性は結婚後、記者に復帰したとエンドロールで印されて
いましたが、こういうのを見ると、独身でのほほんと暮らしている自分、
(あ、お仕事はちゃんとやっていますから!)
増税や社会保険料率が上がってもお給料が増えず物価高という不満は
ありつつも、仕事することの阻害要因はないので恵まれていることに
感謝しないといけないな、としみじみ思いました。
映画の後半は、ヒンズーナショナリズムについて取材する彼女たちを
描いているのですが、大多数のヒンズー教信者が国を司るような、
現在のモディ首相の選挙の場面も取材しているのが映像として映るのですが、
英語ができないという理由で貧しい生活を送る父親が描かれていましたが、
今作では、カーストに属さないインド国民がいるということに驚きました。
ダリットと呼ばれる不可触民というだけで差別され迫害を受ける、
日本でも部落問題についてドキュメンタリーで知る機会を持ちましたが、
インドについてはカースト制度というのが未だに大きな存在であることを
改めて知りました。
ダリットというだけで差別される彼女たちが、ペンをスマホに持ちかえて
(印刷物でも発信しながら、よりネット社会に発信することの影響力を重視して)
新聞の発行と並行して積極的にYouTubeに世の中に知ってほしいと思う事実、
積極的に発信していく姿に、日本のようにメディアの仕事につくには高学歴が
必要と言われるのとまったくことなり、スマホがうまく使えなかったり、
家に電気がなくスマホの充電が出来なかったり、また、スマホの英語がうまく
読めない人もいる中、彼女たちが事実を報じたい、世界に発信していきたいという
熱い思いで取材に奔走する、実際会ったこともないのに画面越しに応援している
自分がおりました。
家父長制度というか、危険なところまで足を運んで取材しながらも
妻として母として家のこともやらなければならない、
(ダンナは手伝おうという感じもなく妻が働くことに不満ぽい雰囲気)
独身でこれからも記者として仕事を続けていきたいと思う有能な女性が
結婚(⇐渋々)することで仕事を辞めなければならないという場面には、
差別以外でも仕事をしたい気持ちを阻害する要因が非常に多く、
結果的にこの女性は結婚後、記者に復帰したとエンドロールで印されて
いましたが、こういうのを見ると、独身でのほほんと暮らしている自分、
(あ、お仕事はちゃんとやっていますから!)
増税や社会保険料率が上がってもお給料が増えず物価高という不満は
ありつつも、仕事することの阻害要因はないので恵まれていることに
感謝しないといけないな、としみじみ思いました。
映画の後半は、ヒンズーナショナリズムについて取材する彼女たちを
描いているのですが、大多数のヒンズー教信者が国を司るような、
現在のモディ首相の選挙の場面も取材しているのが映像として映るのですが、
この映画でも、イスラム教信者の住むスラム街をヒンズー教信者が襲撃する、
見ていてとても嫌で悲しくなる場面ですが、実際こういうことが頻繁に
起きているのかな、と思うと、取材を受けるヒンズー教信者の青年が
最初はダリットの女性記者に違う世界の人といったような扱いをするものの
真摯に向き合う記者に対して態度が変わっていくのを感じましたが、
それでも選挙の様子を見ていると、ヒンズー教信者の熱狂ぶりというか、
それ以外の人たちはやっぱり排除されているように見えました。
ダリットの女性が性被害を受けたり殺されても警察が取り合わない様子も
スマホで撮影しながら取材する姿を見ると、この記者たちの身を案じて
しまいながら見てしまったのですが、ペンは剣より強し、を体現していく
彼女たちの姿を見て、日本のメディアの腐れぶりに改めて怒りを感じました。
こういう差別がこの映画でなくなってほしいと願う一方、なかなか難しいのかも
という危惧もありつつ、取材する彼女たちの輝くような表情には尊敬の一言しかなく、
インドという国を一端だけかもしれませんが知る機会をもらえたことには感謝の
「燃えあがる女性記者たち」でありました。
見ていてとても嫌で悲しくなる場面ですが、実際こういうことが頻繁に
起きているのかな、と思うと、取材を受けるヒンズー教信者の青年が
最初はダリットの女性記者に違う世界の人といったような扱いをするものの
真摯に向き合う記者に対して態度が変わっていくのを感じましたが、
それでも選挙の様子を見ていると、ヒンズー教信者の熱狂ぶりというか、
それ以外の人たちはやっぱり排除されているように見えました。
ダリットの女性が性被害を受けたり殺されても警察が取り合わない様子も
スマホで撮影しながら取材する姿を見ると、この記者たちの身を案じて
しまいながら見てしまったのですが、ペンは剣より強し、を体現していく
彼女たちの姿を見て、日本のメディアの腐れぶりに改めて怒りを感じました。
こういう差別がこの映画でなくなってほしいと願う一方、なかなか難しいのかも
という危惧もありつつ、取材する彼女たちの輝くような表情には尊敬の一言しかなく、
インドという国を一端だけかもしれませんが知る機会をもらえたことには感謝の
「燃えあがる女性記者たち」でありました。