映画「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」を観る [映画(は行)]
久しぶりに新宿武蔵野館に行ってみた映画です。
内容はYahoo!映画さんより。
兄のバリーと双子の弟ロビン、モーリスのギブ3兄弟を中心に結成され、
長きにわたって活動してきた「ビー・ジーズ」。
時代が移り変わっても、「恋のナイト・フィーヴァー」「愛はきらめきの中に」
など数々の名曲を世に届け続けてきた。
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「兄弟の歌声は誰も買えない楽器」というノエル・ギャラガーの言葉と、
「成功はいらないから弟たちに戻ってきてほしい」というバリー・ギブの言葉が
特に心に残った映画でした。
ビー・ジーズといえば、最初に聞いたのは、
内容はYahoo!映画さんより。
兄のバリーと双子の弟ロビン、モーリスのギブ3兄弟を中心に結成され、
長きにわたって活動してきた「ビー・ジーズ」。
時代が移り変わっても、「恋のナイト・フィーヴァー」「愛はきらめきの中に」
など数々の名曲を世に届け続けてきた。
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「兄弟の歌声は誰も買えない楽器」というノエル・ギャラガーの言葉と、
「成功はいらないから弟たちに戻ってきてほしい」というバリー・ギブの言葉が
特に心に残った映画でした。
ビー・ジーズといえば、最初に聞いたのは、
メロディ・フェアと若葉のころ、ハーモニーが素敵なグループだと思ったのですが、
Saturday Night Fever: 40th Anniversary (2CD Deluxe Edition)
- アーティスト: サタデー ナイト フィーバー
- 出版社/メーカー: Universal
- 発売日: 2017/11/17
- メディア: CD
その後のサタデーナイトフィーバーでビー・ジーズの音楽が刷り込まれました。
その後は、バーブラ・ストライサンドやダイアナ・ロスなどのプロデュース、
音楽活動をサポートしてビー・ジーズに迎えた末弟アンディの若い死、
その後、双子の兄弟モーリスとロビンが病気で亡くなったことは知っていながら、
特に彼らの半生について実は良く知らなくて今回のドキュメンタリーで知ることが多く、
その半生が時の流れに大きく左右されてしまう大変なものであったことに驚きました。
マン島からイギリスに引っ越し、そこからオーストラリアに移住したGibb家、
バンドマンだった父のサポートで若いころから音楽活動を始めてデビュー、
ブライアン・エプスタインが彼らに注目して、経営するマネジメント会社から
ロバート・スティッグウッドを送り込んでワールドデビューに導く。
見ていると、このロバート・スティッグウッドのマネジメントによる成功、
とも見えたのですが(当然ビー・ジーズのメンバーの才能あってのことですが)
ヒットしてリードボーカルをバリ―とロビンが競い合い、ロビンがソロとして独立、
この場面で、ノエル・ギャラガーの「兄弟の歌声は誰も買えない楽器」という言葉と
兄弟だからこそのデメリットも語られ、彼自身が弟リアムとOasisを結成して成功するも
その後兄弟の確執で別々の道を歩んでいったことからも兄弟ならではのメリットと
デメリット(ニック・ジョナスも作中でコメント)を改めて感じました。
その後、ロビンがビー・ジーズに戻って、
1970年代、メロディ・フェアからサタデーナイト・フィーバーまで、
私が知った頃の大ヒット連発のビー・ジーズが投影されたのですが、
この頃、バリーがファルセット唱法を使うことによって音楽の幅を広げたこと、
それまで黒人とゲイが集まるディスコが彼らの音楽と映画(トラボルタ)によって
日の目を見る、というか、世の中に急拡大していくその勢いは凄かったのだろう、と
当時映画館でこの映画を観たのを思い出しました。
このサントラ制作の場面で面白かったのが、当時ビー・ジーズのドラムを
担当していたデニスが父親の心臓発作でイギリスに帰らなければならず、
ドラムマシーンも質が悪く代わりのドラマーを探す時間もない、という時に、
デニスが「Night Fever」で演奏しているドラムの一小節をコピーしてループ状に
して使ったというエピソードで、逆にそのことでリズムに重みが増した、という
効果があった、今ならシンセサイザーで簡単に音を作れるかもしれませんが、
テープをコピーしてループにするという発想は当時だからのものですね。
と、映画館と書きながら、小学生で映画が観られたのはなぜだろうと調べてみたら、
公開当時はR指定、その後色々カットされてPG版が公開されたと書いてあって、
https://ja.beegeesdays.com/1233-snf-40th/
私が見たのは当然ですがPG版だったということを知りました。
R指定、どんな感じだったんだろう。。(今なら年齢問題ないです(笑))
映画公開当時、すでに廃れ初めていたディスコ音楽が彼らのお陰で拡大していくと、
今度はディスコで一儲け、という人達が湧いてくるもので、「ディスコ」と名の付くものが
世に溢れ、そうなると「反ディスコ」勢力が台頭してきて、ディスコ音楽が大ヒットした
ビー・ジーズも世の中の手のひら返しにあって表舞台から姿を消し、
その後はプロデューサーとして活動するようになった、とこの作品で知りました。
私自身はビー・ジーズをディスコ音楽だと思ったことはないというか、
「ビー・ジーズ」という一つのカテゴリーだと思っていたのですが、
他人と違うことを言えばかっこいいと思う人が必ずいる、という、クリス・マーティンの
言葉通り、人気のディスコ音楽に対して異議を唱え、一般の人たちを扇動するだけでなく、
ディスコ音楽のレコードをスタジアムに集めて爆破する、そんな場面を見て
(実際はディスコではなくR&Bのレコードが多かったという証言もありました)
今の時代でもそういうことはあるとはいえ、アーティストの運命を翻弄するとは、
観ていてとても残念に感じました。
その後、末弟のアンディ・ギブのデビューをサポートし大ヒットするものの、
ドラッグ中毒になってしまい、ビー・ジーズのメンバーに迎えられるものの
一緒に活動する前に、30歳という若さでこの世を去ってしまったこと、
モーリス、ロビンも自分より先に亡くなってしまったことに対して、
年老いたバリーが「成功はいらないから弟たちに戻ってきてほしい」という場面、
兄弟だからこそ思っていることをぶつけ合って良い物を作っていける、
彼らが若いころから行っていたスタジオでの作詞作曲風景を観た後の言葉で、
(メロディを奏でながら仕上げていくスタイル)
結構序盤から目が潤みがちで見ていた私も思わずボロボロと泣いてしまいました。
バリーのライブ風景(2017年のもの)の後、映画はエンドロールに進みましたが、
今まで音楽を知っていて彼らについての知識があまりなかったことを実感し、
この歳でもそのことを知ることができて良かったと思います。
丁寧に彼らの歴史を映像と音楽と共に紡いで製作された作品ですが、
改めてビー・ジーズの音楽を聴いてみたい、若い世代の方々でも見て
彼らの音楽に触れて欲しいと思った「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」でありました。
(本編と全然関係ないのですが)
ビー・ジーズというグループ名、どうやってついたのか、
Gibb家のGをとっていたのかと思ったら、全然違うんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%BA
Rattlesnakes(ガラガラ蛇?)、Wee Johnny Haynes & The Bluecasとグループ名が
変わった後、知り合ったラジオDJのBill Gatesと、彼を紹介したレーサーのBill Goodeの
イニシャル(BG)をとってBee Geesとつけた、と書いてありました。
メンバーの苗字であるGibbからじゃなかったとは。衝撃でした。
(長兄のBarry GibbもイニシャルBGですが、違う人たちから名付けたグループ名だなんて)
その後は、バーブラ・ストライサンドやダイアナ・ロスなどのプロデュース、
音楽活動をサポートしてビー・ジーズに迎えた末弟アンディの若い死、
その後、双子の兄弟モーリスとロビンが病気で亡くなったことは知っていながら、
特に彼らの半生について実は良く知らなくて今回のドキュメンタリーで知ることが多く、
その半生が時の流れに大きく左右されてしまう大変なものであったことに驚きました。
マン島からイギリスに引っ越し、そこからオーストラリアに移住したGibb家、
バンドマンだった父のサポートで若いころから音楽活動を始めてデビュー、
ブライアン・エプスタインが彼らに注目して、経営するマネジメント会社から
ロバート・スティッグウッドを送り込んでワールドデビューに導く。
見ていると、このロバート・スティッグウッドのマネジメントによる成功、
とも見えたのですが(当然ビー・ジーズのメンバーの才能あってのことですが)
ヒットしてリードボーカルをバリ―とロビンが競い合い、ロビンがソロとして独立、
この場面で、ノエル・ギャラガーの「兄弟の歌声は誰も買えない楽器」という言葉と
兄弟だからこそのデメリットも語られ、彼自身が弟リアムとOasisを結成して成功するも
その後兄弟の確執で別々の道を歩んでいったことからも兄弟ならではのメリットと
デメリット(ニック・ジョナスも作中でコメント)を改めて感じました。
その後、ロビンがビー・ジーズに戻って、
1970年代、メロディ・フェアからサタデーナイト・フィーバーまで、
私が知った頃の大ヒット連発のビー・ジーズが投影されたのですが、
この頃、バリーがファルセット唱法を使うことによって音楽の幅を広げたこと、
それまで黒人とゲイが集まるディスコが彼らの音楽と映画(トラボルタ)によって
日の目を見る、というか、世の中に急拡大していくその勢いは凄かったのだろう、と
当時映画館でこの映画を観たのを思い出しました。
このサントラ制作の場面で面白かったのが、当時ビー・ジーズのドラムを
担当していたデニスが父親の心臓発作でイギリスに帰らなければならず、
ドラムマシーンも質が悪く代わりのドラマーを探す時間もない、という時に、
デニスが「Night Fever」で演奏しているドラムの一小節をコピーしてループ状に
して使ったというエピソードで、逆にそのことでリズムに重みが増した、という
効果があった、今ならシンセサイザーで簡単に音を作れるかもしれませんが、
テープをコピーしてループにするという発想は当時だからのものですね。
と、映画館と書きながら、小学生で映画が観られたのはなぜだろうと調べてみたら、
公開当時はR指定、その後色々カットされてPG版が公開されたと書いてあって、
https://ja.beegeesdays.com/1233-snf-40th/
私が見たのは当然ですがPG版だったということを知りました。
R指定、どんな感じだったんだろう。。(今なら年齢問題ないです(笑))
映画公開当時、すでに廃れ初めていたディスコ音楽が彼らのお陰で拡大していくと、
今度はディスコで一儲け、という人達が湧いてくるもので、「ディスコ」と名の付くものが
世に溢れ、そうなると「反ディスコ」勢力が台頭してきて、ディスコ音楽が大ヒットした
ビー・ジーズも世の中の手のひら返しにあって表舞台から姿を消し、
その後はプロデューサーとして活動するようになった、とこの作品で知りました。
私自身はビー・ジーズをディスコ音楽だと思ったことはないというか、
「ビー・ジーズ」という一つのカテゴリーだと思っていたのですが、
他人と違うことを言えばかっこいいと思う人が必ずいる、という、クリス・マーティンの
言葉通り、人気のディスコ音楽に対して異議を唱え、一般の人たちを扇動するだけでなく、
ディスコ音楽のレコードをスタジアムに集めて爆破する、そんな場面を見て
(実際はディスコではなくR&Bのレコードが多かったという証言もありました)
今の時代でもそういうことはあるとはいえ、アーティストの運命を翻弄するとは、
観ていてとても残念に感じました。
その後、末弟のアンディ・ギブのデビューをサポートし大ヒットするものの、
ドラッグ中毒になってしまい、ビー・ジーズのメンバーに迎えられるものの
一緒に活動する前に、30歳という若さでこの世を去ってしまったこと、
モーリス、ロビンも自分より先に亡くなってしまったことに対して、
年老いたバリーが「成功はいらないから弟たちに戻ってきてほしい」という場面、
兄弟だからこそ思っていることをぶつけ合って良い物を作っていける、
彼らが若いころから行っていたスタジオでの作詞作曲風景を観た後の言葉で、
(メロディを奏でながら仕上げていくスタイル)
結構序盤から目が潤みがちで見ていた私も思わずボロボロと泣いてしまいました。
バリーのライブ風景(2017年のもの)の後、映画はエンドロールに進みましたが、
今まで音楽を知っていて彼らについての知識があまりなかったことを実感し、
この歳でもそのことを知ることができて良かったと思います。
丁寧に彼らの歴史を映像と音楽と共に紡いで製作された作品ですが、
改めてビー・ジーズの音楽を聴いてみたい、若い世代の方々でも見て
彼らの音楽に触れて欲しいと思った「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」でありました。
(本編と全然関係ないのですが)
ビー・ジーズというグループ名、どうやってついたのか、
Gibb家のGをとっていたのかと思ったら、全然違うんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%BA
Rattlesnakes(ガラガラ蛇?)、Wee Johnny Haynes & The Bluecasとグループ名が
変わった後、知り合ったラジオDJのBill Gatesと、彼を紹介したレーサーのBill Goodeの
イニシャル(BG)をとってBee Geesとつけた、と書いてありました。
メンバーの苗字であるGibbからじゃなかったとは。衝撃でした。
(長兄のBarry GibbもイニシャルBGですが、違う人たちから名付けたグループ名だなんて)
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