京都旅行記2022Ⅱ~竹生島編①~ [日本の旅(関西&東海)]
30分の船旅も悪天候で外の景色が見えないとあまりテンションが上がらないんだな、
と思ったのですが、無事、竹生島には到着することができただけでもラッキーです。
竜神拝所もぼんやり
直政号
彦根からやってきた船ですが、弁天号と比べておシャンティ。
(こういう船だと悪天候でも乗っていてテンション上がりそう)
今回やってきた竹生(ちくぶ)島は、琵琶湖に浮かぶ4つの島のうちのひとつ。
(他の3つは、沖島、沖ノ白石、多景島、これらの島を巡るクルーズツアーもあるみたい)
竹生島はの名前は「(神を)斎く島」に由来し、「いつくしま」が「つくぶすま」と変じて
「竹生島」となったそうで、琵琶湖八景にも選ばれています。
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%9F%E5%B3%B6
花崗岩の一枚岩で出来た島で周囲2㎞、面積0.14㎢、島の形が雅楽で使われる笙に似て
いることから「竹生島」と竹の文字を使ってつけられたとも言われているそうですが、
平家物語の「竹生嶋詣」や謡曲「竹生島」にも神秘機的な美しさを秘めた島として登場し、
神秘とロマン、神の住む島(島全体が境内)として滋賀県最強のパワースポットとして
紹介されています。
といっても、傘をさしていても足元がびしゃびしゃになる大雨だったので、
長居する気にならず、サクサクと歩いてまわろうと、拝観料(入島料)600円を支払って、-73609.jpeg)
宝厳寺(ほうごんじ)へ
待っているのは石段165段(;_:)
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歩いても歩いても石段
かなり急な石段だったので傘を差しながらもう片方の手で手すりにつかまりながら
(再び転んで骨折したくない気持ちでいっぱい)
途中休みながらなんとか宝厳寺に着きました。
外観こんな感じ
着いてほっとして(石段のぼるので精一杯)写真を撮らなかったみたいです。
と思ったのですが、無事、竹生島には到着することができただけでもラッキーです。
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彦根からやってきた船ですが、弁天号と比べておシャンティ。
(こういう船だと悪天候でも乗っていてテンション上がりそう)
今回やってきた竹生(ちくぶ)島は、琵琶湖に浮かぶ4つの島のうちのひとつ。
(他の3つは、沖島、沖ノ白石、多景島、これらの島を巡るクルーズツアーもあるみたい)
竹生島はの名前は「(神を)斎く島」に由来し、「いつくしま」が「つくぶすま」と変じて
「竹生島」となったそうで、琵琶湖八景にも選ばれています。
(一応wikiも)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%9F%E5%B3%B6
花崗岩の一枚岩で出来た島で周囲2㎞、面積0.14㎢、島の形が雅楽で使われる笙に似て
いることから「竹生島」と竹の文字を使ってつけられたとも言われているそうですが、
平家物語の「竹生嶋詣」や謡曲「竹生島」にも神秘機的な美しさを秘めた島として登場し、
神秘とロマン、神の住む島(島全体が境内)として滋賀県最強のパワースポットとして
紹介されています。
といっても、傘をさしていても足元がびしゃびしゃになる大雨だったので、
長居する気にならず、サクサクと歩いてまわろうと、拝観料(入島料)600円を支払って、
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かなり急な石段だったので傘を差しながらもう片方の手で手すりにつかまりながら
(再び転んで骨折したくない気持ちでいっぱい)
途中休みながらなんとか宝厳寺に着きました。
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着いてほっとして(石段のぼるので精一杯)写真を撮らなかったみたいです。
竹生島宝厳寺は、真言宗のお寺で日本三大弁才天のひとつ(他の2つは江の島と宮島)、
その中でも最古の弁才天なので、宝厳寺だけ大がついて「大弁才天」と呼ぶそうです。
開山時(724年)、聖武天皇の勅命を受けて修行基が海岸したもので、
本堂は昭和17年に再建、現在の本尊の弁才天像が安置されています。
弁天様の幸せ願いダルマ
リハビリも進んでここまで来ることができたことに感謝しながら、
大切なみんなが健康に暮らせるようにと書いた紙を丸めてダルマの下から入れて
シールで蓋をして奉納しました。
私もリハビリがんばります
不動明王様に手を合わせて
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全身ずぶぬれ状態で
宝物殿を外から見て
唐門(唐破風をもつ門の意味)
豊臣秀吉が建てた大坂城極楽橋の一部で現存唯一の大坂城遺構。
京都東山の豊国廟極楽門に移築された後、豊臣秀頼の命により竹生島に渡った門で、
桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の錺金具がちりばめられ、
豪華絢爛と言われた桃山様式の代表的遺構。
唐門に続いて千手観世音菩薩を納めた観音堂は西国三十三所観音霊堂めぐりの
30番目札所となっています。
大坂城にあったころのイメージ(CG)
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国宝
確かに豪華絢爛です
中に入るとおびんずるさん
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)ですが、長野の善光寺さんでも見かけたことがあって
いわゆるなで仏様なので、骨折負傷した左肩あたりをそっとなでさせてもらいました。
(注意書きでとても古い仏様なのでやさしくなでて下さいと書いてありました)
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豪華な廊下をとおるとその先には、舟廊下に続いていました。
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重要文化財の舟廊下
観音堂移築と同時に掛けられた廊下で、秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用し、
急斜面に掛けられたため、足元は高い舞台構造(懸造)になっています。
(清水寺の舞台の足元と同じですね)
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結構長い廊下を歩いて
廊下からつながっている都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島神社)でお参りしたら
かわらけ投げが出来る竜神拝所へ向かいます。
(つづく)
その中でも最古の弁才天なので、宝厳寺だけ大がついて「大弁才天」と呼ぶそうです。
開山時(724年)、聖武天皇の勅命を受けて修行基が海岸したもので、
本堂は昭和17年に再建、現在の本尊の弁才天像が安置されています。
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リハビリも進んでここまで来ることができたことに感謝しながら、
大切なみんなが健康に暮らせるようにと書いた紙を丸めてダルマの下から入れて
シールで蓋をして奉納しました。
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豊臣秀吉が建てた大坂城極楽橋の一部で現存唯一の大坂城遺構。
京都東山の豊国廟極楽門に移築された後、豊臣秀頼の命により竹生島に渡った門で、
桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の錺金具がちりばめられ、
豪華絢爛と言われた桃山様式の代表的遺構。
唐門に続いて千手観世音菩薩を納めた観音堂は西国三十三所観音霊堂めぐりの
30番目札所となっています。
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賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)ですが、長野の善光寺さんでも見かけたことがあって
いわゆるなで仏様なので、骨折負傷した左肩あたりをそっとなでさせてもらいました。
(注意書きでとても古い仏様なのでやさしくなでて下さいと書いてありました)
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豪華な廊下をとおるとその先には、舟廊下に続いていました。
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観音堂移築と同時に掛けられた廊下で、秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用し、
急斜面に掛けられたため、足元は高い舞台構造(懸造)になっています。
(清水寺の舞台の足元と同じですね)
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廊下からつながっている都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島神社)でお参りしたら
かわらけ投げが出来る竜神拝所へ向かいます。
(つづく)
2022-11-07 08:00
nice!(3)
コメント(2)
165段!しかも傘さしながら。。
最近、階段は下りのほうがなんか怖くなってきて、
歳感じてます。。(;^_^A
by lovin (2022-11-20 11:05)
lovin姐さん、こんにちは。
どしゃ降りにこういうところに行くと大変ですね。(笑)
確かに、上った後の下り、膝がカクカクでこけそうでもっと大変です。
by うつぼ (2022-11-23 12:28)