沖縄旅行記2022~首里城公園編~ [日本の旅(九州&沖縄)]
滝汗状態でたどり着いた首里城公園、
14時頃に着いたので人もまばらな感じでしたが、
警備員さんに「石段が多いから気を付けてくださいね」と言われながら
守礼門(礼節を守るという意)と歓会門(歓迎の意)をくぐると、
石段がかなり続きました(多分瑞泉門)
お城って基本的には高台(権力の象徴)にあるので首里城も同様ですが、
首里駅から歩いてくるだけで滝汗だくだくなのに更に汗が噴き出ます。
(首里城公園ホームページ)https://oki-park.jp/shurijo/
30年前に行った頃の写真を今回アルバムで探して確認したのですが、
上のシーサーの写真も撮っていました。
写真を撮る場所は今も昔も変わらないものですね。(笑)
戦後の首里城の歴史を見ると、
1958年に守礼門が再建され、円覚寺などの周辺から再建が始まり、
1972年の沖縄の本土復帰後、首里城跡地に建っていた琉球大学の移転が1979年完了、
1989年から正殿の復元工事が始まって1992年に首里城公園の一部が公開、
2000年に九州・沖縄サミット開催(北殿で社交夕食会が開催された)と
ホームページで知りました。
私が訪れたのは公園が公開されて数年後だったようですが、
当時の写真(紙焼きを写メしてみました)は、
曇天でした
これが正殿だと思っていたのですが、今回首里城公園のホームページを見て、
奉神門であることを学習し、己の記憶を修正しました。(記憶ってホントに曖昧)
曇天で撮った写真の鈍い色が切ないのですが、それ以上に20代の自分が痩せていて
現在の中年おばさん体型と比較して更に切なくなりました。
漏刻門(水時計の意)を通って、広福門までやってきたら、
ここから先は有料エリアなのでチケットを購入します。
現在再建中で観られない正殿を写真で眺めながら、順路に従い進みます。 手前が奉神門、奥が正殿
3年前、燃える首里城の様子を見てただただ驚きと悲しみに包まれましたが、
沖縄の方にとっては本土復帰後のシンボル的存在であったでしょうし、
本当に早く雄大な姿を復元してほしいと思いました。
全景を見ながら進むと
工事中の外壁が見えてきました かなり高いところまできました
こうやってみると、正殿を含め広範囲に焼失したことが分かります。
再建の工程が紹介されていました。
木材を保管し、実物大の図面を描き、木材を加工するまでの工程で、
今年の夏ごろまでに整備と書いてあったので、記事を書いているころには
完了しているのではないかと思います。
3年前の火災についてもパネルで説明がありました。
漆と乾性油の桐油が交互に多層塗りされていることで酸化重合反応が起きて
火災の際に炎の勢いが強まった可能性が高いと言われているそうですが、
独特の色合いを再び作り出すご苦労など難しい条件の中、首里城正殿については、
2026年の完成を目指しているそうです。
実際工事を進めていくと当初想定していない問題が出てくる可能性もありますし、
完成が遅れることもあると思いますが、火災が起きにくいような施策もとられるのかな、
と思いながらパネルの説明を読みました。
工事中の外壁の近くに焼けて破損したものが展示されていました。
赤瓦
この色を再現するのが大変とニュースでも言っていましたが、
なんとか再現できるようにと願っています。
完全に工事現場です
トラックで部材搬入するために道路も作られているのをみて
それだけ大がかりの工事であることを改めて実感しました。
世誇殿(多分)
首里城の歴史から復興の道のりまで鑑賞しました
この後、奥に進んで東のアザナと呼ばれるところから景色を眺めました。
これが青空だったらなあ
見学できるところはここまでなので、帰りの順路に従って進みます。
盆栽
書院に展示していた盆栽だそうです。 (書院は復元中)
復元が難しいと言われている赤瓦(の破片)と工事現場を見たら帰ります。
久慶門(多分)を出たら外へ。
ここから当蔵というバス停に向かって歩きます。
(つづく)
14時頃に着いたので人もまばらな感じでしたが、
警備員さんに「石段が多いから気を付けてくださいね」と言われながら
守礼門(礼節を守るという意)と歓会門(歓迎の意)をくぐると、
石段がかなり続きました(多分瑞泉門)
お城って基本的には高台(権力の象徴)にあるので首里城も同様ですが、
首里駅から歩いてくるだけで滝汗だくだくなのに更に汗が噴き出ます。
(首里城公園ホームページ)https://oki-park.jp/shurijo/
30年前に行った頃の写真を今回アルバムで探して確認したのですが、
上のシーサーの写真も撮っていました。
写真を撮る場所は今も昔も変わらないものですね。(笑)
戦後の首里城の歴史を見ると、
1958年に守礼門が再建され、円覚寺などの周辺から再建が始まり、
1972年の沖縄の本土復帰後、首里城跡地に建っていた琉球大学の移転が1979年完了、
1989年から正殿の復元工事が始まって1992年に首里城公園の一部が公開、
2000年に九州・沖縄サミット開催(北殿で社交夕食会が開催された)と
ホームページで知りました。
私が訪れたのは公園が公開されて数年後だったようですが、
当時の写真(紙焼きを写メしてみました)は、
曇天でした
これが正殿だと思っていたのですが、今回首里城公園のホームページを見て、
奉神門であることを学習し、己の記憶を修正しました。(記憶ってホントに曖昧)
曇天で撮った写真の鈍い色が切ないのですが、それ以上に20代の自分が痩せていて
現在の中年おばさん体型と比較して更に切なくなりました。
漏刻門(水時計の意)を通って、広福門までやってきたら、
ここから先は有料エリアなのでチケットを購入します。
現在再建中で観られない正殿を写真で眺めながら、順路に従い進みます。 手前が奉神門、奥が正殿
3年前、燃える首里城の様子を見てただただ驚きと悲しみに包まれましたが、
沖縄の方にとっては本土復帰後のシンボル的存在であったでしょうし、
本当に早く雄大な姿を復元してほしいと思いました。
全景を見ながら進むと
工事中の外壁が見えてきました かなり高いところまできました
こうやってみると、正殿を含め広範囲に焼失したことが分かります。
再建の工程が紹介されていました。
木材を保管し、実物大の図面を描き、木材を加工するまでの工程で、
今年の夏ごろまでに整備と書いてあったので、記事を書いているころには
完了しているのではないかと思います。
3年前の火災についてもパネルで説明がありました。
漆と乾性油の桐油が交互に多層塗りされていることで酸化重合反応が起きて
火災の際に炎の勢いが強まった可能性が高いと言われているそうですが、
独特の色合いを再び作り出すご苦労など難しい条件の中、首里城正殿については、
2026年の完成を目指しているそうです。
実際工事を進めていくと当初想定していない問題が出てくる可能性もありますし、
完成が遅れることもあると思いますが、火災が起きにくいような施策もとられるのかな、
と思いながらパネルの説明を読みました。
工事中の外壁の近くに焼けて破損したものが展示されていました。
赤瓦
この色を再現するのが大変とニュースでも言っていましたが、
なんとか再現できるようにと願っています。
完全に工事現場です
トラックで部材搬入するために道路も作られているのをみて
それだけ大がかりの工事であることを改めて実感しました。
世誇殿(多分)
首里城の歴史から復興の道のりまで鑑賞しました
この後、奥に進んで東のアザナと呼ばれるところから景色を眺めました。
これが青空だったらなあ
見学できるところはここまでなので、帰りの順路に従って進みます。
盆栽
書院に展示していた盆栽だそうです。 (書院は復元中)
復元が難しいと言われている赤瓦(の破片)と工事現場を見たら帰ります。
久慶門(多分)を出たら外へ。
ここから当蔵というバス停に向かって歩きます。
(つづく)
コメント 0