和歌山旅行記2020~万博記念公園編④~ [日本の旅(関西&東海)]
万博記念公園の記事、あと3回続きます。(笑)
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うつぼ家白黒テレビ時代(その頃はまだ東京に住んでいた)に、
遠く大阪で超近未来的な技術の数々が披露されていたことを
五十路になってから知った(&半端ない驚き)私うつぼ、
ここにくる機会もそうそうないだろう、と展示内容をじっくり見学しました。
広い
ジオラマですが、色紙で作られたものでどこか温かみがあります。
手前が電気通信館、奥の丸いのが5個連なっているのが(説明雑)日本館。
ネットで調べてみたら、日本館、1つだと狭くて5つだと大きすぎて、
電気代等の維持費もかかるため、万博閉会後の転用が叶わず1975年に解体された、
というのを知りました。
技術の粋を集めてって感じだったのかもしれませんが、今の時代だと尚更再利用とか
転用を念頭にデザインすることが多いでしょうし、今度の大阪万博はこういう奇抜な
デザインの建造物は見られるのかな、なんて思いました。
太郎
太郎さんの右側のドームがいくつか連なっているのはフランス館。
楽しい♪
ちょっと高い台に乗りながら見られるのですが、ぐるっと一周するだけで
なんだか楽しい気分になれました。
手前(左下)の白いドームがアメリカ館、で、その隣がオーストラリア館。
その隣の青いドームがドイツ館で、その隣がフランス館。
手前が三菱未来館で、黄色い風船みたいなのが化学工業館。
太郎
静かに(さすがに一人で声だして話していたら怪しい人になるので)一周して興奮しました。
座ってみました。
手に包まれているような気分で恥ずかしい気持ちとホッとする気持ちが混在。
万国博ホール関連
手前に当時のチケットの展示がありましたが、
ここはポスター類の展示です。
万国博レコード祭りって(笑)
そうですよね、当時はまだレコード。(CDを見たのは私が大学生になった頃)
マシュケナダ 家にレコードありました
実は一度も読んだことのない赤毛のアン、と、「悲しい天使」メリー・ホプキン。
ベンジー(映画)の主題歌を歌っていた人というイメージ。(レコード持ってます)
で、万国博レコード祭りをよく見ると、
レコート会社別に所属歌手を集めてコンサート、って感じですが、
タイガースは単体で行うというのは圧倒的な集客力なのでしょうね。
個人的は東芝のコンサートに岡崎友紀の名前があって懐かしくなりました。
ちあきなおみ、の下に森山加代子!
意外と歌手の名前を見て思い出すものだな、と思いながら、
大阪府民の皆さん、パビリオンだけでなくこういう興行も楽しめたというのが
羨ましく思えました。
続いて、大阪万博で海外から紹介されたもの。
ヨーグルト!
ブルガリア館に本場のヨーグルトがあることを明治乳業のスタッフが聞きつけて
会場で試食したことが開発の契機となり、翌年、明治ブルガリアヨーグルトが完成、
日本初のプレーンヨーグルトとして紹介されたという説明に、
明治乳業さん、グッジョブという気持ちになりました。
フランスパンも
ドンクが半年間で1億7千万円を売り上げ全国にフランスパンが知られるように
なったそうですが、当時の2億弱って物凄い金額ですね。びっくり。
ファーストフードやファミレス
アメリカンパーク内にケンタッキー・フライド・チキンが初上陸、
ハンバーガーやホットドッグが販売されて食文化の国際化が
一気に進むきっかけになったそうです。
加えて、セントラルキッチンシステムを持つファミレスのロイヤルも会場内で
期間中売上高1位となる人気だったそうです。
万博のような大きなイベントが普及を加速させるんでしょうね。
LANも(驚)
50年前にLAN。驚きました。
会場の管理・運営を円滑に行うための施設オペレーション・コントロール・センターで
日本で初めての大がかりな情報通信システムを完備し、会場内各所の端末設備と
通信回路で結ばれたそうです。
入退場数の正確なチェック、駐車場への誘導、迷子探し、催事の検索などの
膨大な情報サービスを担ったという説明に、
うつぼ家白黒テレビ時代(しつこくてすみません)にLANがあったとは!
驚くばかりでございました。
エアドーム
東京ドームあたりが最初かと勘違いしていました。(笑)
アメリカ館、冨士グループパビリオンで空気膜構造が使われて、
空気で支える構造がこれまでの建築に対する概念を変えたとか。
パビリオンのその後
日本館のように解体されたものもありますが、一部は移築されたものの、
その後老朽化で解体、というものも多いみたいですね。
サンヨー館のようにカナダの図書館として移築されたものや、
長野県諏訪市のドライブインとして移築されたアイルランド館、
長野県霧ケ峰のお寺になったラオス館や、
兵庫県の老人ホームに変身したドミニカ館、モーリシャス館、ベネズエラ館など、
実際その建物を見る機会がなかったのは残念ですが、万博閉会後に様々な場所で
活躍していたということを知りました。
凄かったんだなあ大阪万博、と改めてというか初めてみるものだらけで
次回の大阪万博、行ってみようかな、という気持ちになりました。
前列左から、テーマ館、エスコートガイド、住友童話館、タカラビューティリオン
後列左から、ペプシ館、生活産業館
楽しかった!(^-^)
と、楽しくて2時間くらい滞在、見学していたらお腹が空いてきたので軽く呑みます♪
(つづく)
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うつぼ家白黒テレビ時代(その頃はまだ東京に住んでいた)に、
遠く大阪で超近未来的な技術の数々が披露されていたことを
五十路になってから知った(&半端ない驚き)私うつぼ、
ここにくる機会もそうそうないだろう、と展示内容をじっくり見学しました。
広い
ジオラマですが、色紙で作られたものでどこか温かみがあります。
手前が電気通信館、奥の丸いのが5個連なっているのが(説明雑)日本館。
ネットで調べてみたら、日本館、1つだと狭くて5つだと大きすぎて、
電気代等の維持費もかかるため、万博閉会後の転用が叶わず1975年に解体された、
というのを知りました。
技術の粋を集めてって感じだったのかもしれませんが、今の時代だと尚更再利用とか
転用を念頭にデザインすることが多いでしょうし、今度の大阪万博はこういう奇抜な
デザインの建造物は見られるのかな、なんて思いました。
太郎
太郎さんの右側のドームがいくつか連なっているのはフランス館。
楽しい♪
ちょっと高い台に乗りながら見られるのですが、ぐるっと一周するだけで
なんだか楽しい気分になれました。
手前(左下)の白いドームがアメリカ館、で、その隣がオーストラリア館。
その隣の青いドームがドイツ館で、その隣がフランス館。
手前が三菱未来館で、黄色い風船みたいなのが化学工業館。
太郎
静かに(さすがに一人で声だして話していたら怪しい人になるので)一周して興奮しました。
座ってみました。
手に包まれているような気分で恥ずかしい気持ちとホッとする気持ちが混在。
万国博ホール関連
手前に当時のチケットの展示がありましたが、
ここはポスター類の展示です。
万国博レコード祭りって(笑)
そうですよね、当時はまだレコード。(CDを見たのは私が大学生になった頃)
マシュケナダ 家にレコードありました
実は一度も読んだことのない赤毛のアン、と、「悲しい天使」メリー・ホプキン。
ベンジー(映画)の主題歌を歌っていた人というイメージ。(レコード持ってます)
で、万国博レコード祭りをよく見ると、
レコート会社別に所属歌手を集めてコンサート、って感じですが、
タイガースは単体で行うというのは圧倒的な集客力なのでしょうね。
個人的は東芝のコンサートに岡崎友紀の名前があって懐かしくなりました。
ちあきなおみ、の下に森山加代子!
意外と歌手の名前を見て思い出すものだな、と思いながら、
大阪府民の皆さん、パビリオンだけでなくこういう興行も楽しめたというのが
羨ましく思えました。
続いて、大阪万博で海外から紹介されたもの。
ヨーグルト!
ブルガリア館に本場のヨーグルトがあることを明治乳業のスタッフが聞きつけて
会場で試食したことが開発の契機となり、翌年、明治ブルガリアヨーグルトが完成、
日本初のプレーンヨーグルトとして紹介されたという説明に、
明治乳業さん、グッジョブという気持ちになりました。
フランスパンも
ドンクが半年間で1億7千万円を売り上げ全国にフランスパンが知られるように
なったそうですが、当時の2億弱って物凄い金額ですね。びっくり。
ファーストフードやファミレス
アメリカンパーク内にケンタッキー・フライド・チキンが初上陸、
ハンバーガーやホットドッグが販売されて食文化の国際化が
一気に進むきっかけになったそうです。
加えて、セントラルキッチンシステムを持つファミレスのロイヤルも会場内で
期間中売上高1位となる人気だったそうです。
万博のような大きなイベントが普及を加速させるんでしょうね。
LANも(驚)
50年前にLAN。驚きました。
会場の管理・運営を円滑に行うための施設オペレーション・コントロール・センターで
日本で初めての大がかりな情報通信システムを完備し、会場内各所の端末設備と
通信回路で結ばれたそうです。
入退場数の正確なチェック、駐車場への誘導、迷子探し、催事の検索などの
膨大な情報サービスを担ったという説明に、
うつぼ家白黒テレビ時代(しつこくてすみません)にLANがあったとは!
驚くばかりでございました。
エアドーム
東京ドームあたりが最初かと勘違いしていました。(笑)
アメリカ館、冨士グループパビリオンで空気膜構造が使われて、
空気で支える構造がこれまでの建築に対する概念を変えたとか。
パビリオンのその後
日本館のように解体されたものもありますが、一部は移築されたものの、
その後老朽化で解体、というものも多いみたいですね。
サンヨー館のようにカナダの図書館として移築されたものや、
長野県諏訪市のドライブインとして移築されたアイルランド館、
長野県霧ケ峰のお寺になったラオス館や、
兵庫県の老人ホームに変身したドミニカ館、モーリシャス館、ベネズエラ館など、
実際その建物を見る機会がなかったのは残念ですが、万博閉会後に様々な場所で
活躍していたということを知りました。
凄かったんだなあ大阪万博、と改めてというか初めてみるものだらけで
次回の大阪万博、行ってみようかな、という気持ちになりました。
前列左から、テーマ館、エスコートガイド、住友童話館、タカラビューティリオン
後列左から、ペプシ館、生活産業館
楽しかった!(^-^)
と、楽しくて2時間くらい滞在、見学していたらお腹が空いてきたので軽く呑みます♪
(つづく)
タグ:大阪
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