和歌山旅行記2020~万博記念公園編③~ [日本の旅(関西&東海)]
大阪万博の渦に飲み込まれるように順路に従って進んでいくと、
天井に顔が!
テーマ館
この一部として太陽の塔が建設され、その塔の中にあったのが生命の樹。
太郎(太陽の塔)の中にこうやって生命の樹があったというのを
ここで初めて知りました。
塔内部の「生命の樹」を軸に、地下、地上、空中の3展示部門があって、
過去、現在、未来の世界の展示を通じて生命の威厳を表現したそうですが、
太郎(太陽の塔)の中にも太郎(生命の樹)があったなんて。
さすが太郎(岡本)。
すごいぞ太郎。
太陽の塔がシンボルゾーンの大屋根を突き抜けるように聳え立っていたことも
今回知ったくらい大阪万博知識のないため、一つ一つに驚きながら順路を進みました。
(知らなさすぎって言われても仕方ないくらい知らずに五十路になっていました)これは模型ですが
シンボルゾーン内に飾られていた世界の人々の写真。
こうやってスパイラル状に展示されていたそうです。
と歩いていると、途中の階段のところにコンパニオンさんのユニフォーム。
左から、三菱未来館、日立グループ館、東芝IHI館、リコー館
今みても古臭さを感じないというか(流行って繰り返すし)目に新鮮。
華やかです
と、各パビリオンの紹介に続いて、パビリオン以外の施設などの紹介。
移動芸能って表現が面白いと思ったのですが、
ジャグリングという言葉は当時あったのかどうか。
海外から曲芸の方がやってきて近くで観られるなんて楽しかったでしょうね。
万国博ホールはポピュラー音楽向けに使用されたホールだそうですが、
老朽化で2004年に解体されて跡地は日本庭園前の駐車場として使われています。
お祭り広場。祭りというと違うもの(サブちゃん)を思い浮かべる私です。(笑)
フェスティバルホールも万博関連だというのは今回知りましたが、
クラシックなどのコンサート用に建てられてその後建て替え(2013年)、
現在も使われているホールなんですね。
水上ステージ
両端に噴水、観客が水辺で憩いながら楽しめる空間で、
ステージ、水中、空中での演技を含めて高飛び込みやスカイダイビング、
音楽噴水などが見られたそうで、ピエール・カルダン(懐)が来日した際は、
このステージでファッションショーが行われたという説明でしたが、
こうやって見るとパビリオン以外にも楽しむ場所がたくさんあったのだと
その充実ぶりにびっくり。
デメ
デク
お祭り広場に置かれた2つのロボット。
高さ14m(高!)、デメは、頭部に操縦室、胴体に照明、音響装置をもって、
周辺の音や光を収集してメインコントロール室へ送信すると、
処理された情報に基づいて、照明、音響、煙、匂い?を送出する仕組みで、
デクはサブコントロールステーションとして使われたという説明なんですが、
50年前にそんなハイテクなものが作られていたとは!またまたびっくり。
当時の興行チケット
天井に顔が!
テーマ館
この一部として太陽の塔が建設され、その塔の中にあったのが生命の樹。
太郎(太陽の塔)の中にこうやって生命の樹があったというのを
ここで初めて知りました。
塔内部の「生命の樹」を軸に、地下、地上、空中の3展示部門があって、
過去、現在、未来の世界の展示を通じて生命の威厳を表現したそうですが、
太郎(太陽の塔)の中にも太郎(生命の樹)があったなんて。
さすが太郎(岡本)。
すごいぞ太郎。
太陽の塔がシンボルゾーンの大屋根を突き抜けるように聳え立っていたことも
今回知ったくらい大阪万博知識のないため、一つ一つに驚きながら順路を進みました。
(知らなさすぎって言われても仕方ないくらい知らずに五十路になっていました)これは模型ですが
シンボルゾーン内に飾られていた世界の人々の写真。
こうやってスパイラル状に展示されていたそうです。
と歩いていると、途中の階段のところにコンパニオンさんのユニフォーム。
左から、三菱未来館、日立グループ館、東芝IHI館、リコー館
今みても古臭さを感じないというか(流行って繰り返すし)目に新鮮。
華やかです
と、各パビリオンの紹介に続いて、パビリオン以外の施設などの紹介。
移動芸能って表現が面白いと思ったのですが、
ジャグリングという言葉は当時あったのかどうか。
海外から曲芸の方がやってきて近くで観られるなんて楽しかったでしょうね。
万国博ホールはポピュラー音楽向けに使用されたホールだそうですが、
老朽化で2004年に解体されて跡地は日本庭園前の駐車場として使われています。
お祭り広場。祭りというと違うもの(サブちゃん)を思い浮かべる私です。(笑)
フェスティバルホールも万博関連だというのは今回知りましたが、
クラシックなどのコンサート用に建てられてその後建て替え(2013年)、
現在も使われているホールなんですね。
水上ステージ
両端に噴水、観客が水辺で憩いながら楽しめる空間で、
ステージ、水中、空中での演技を含めて高飛び込みやスカイダイビング、
音楽噴水などが見られたそうで、ピエール・カルダン(懐)が来日した際は、
このステージでファッションショーが行われたという説明でしたが、
こうやって見るとパビリオン以外にも楽しむ場所がたくさんあったのだと
その充実ぶりにびっくり。
デメ
デク
お祭り広場に置かれた2つのロボット。
高さ14m(高!)、デメは、頭部に操縦室、胴体に照明、音響装置をもって、
周辺の音や光を収集してメインコントロール室へ送信すると、
処理された情報に基づいて、照明、音響、煙、匂い?を送出する仕組みで、
デクはサブコントロールステーションとして使われたという説明なんですが、
50年前にそんなハイテクなものが作られていたとは!またまたびっくり。
当時の興行チケット
セルジオメンデス!
クラシックはボリショイ・バレエなどのチケットもありました。
豪華なラインナップ、見ているだけで羨ましい気持ちになりました。
巨大な手
こうやって座るんですね
赤塚先生!
万博会場にニャロメ!(笑)
縁の下の力持ち
通信系ですが
縁の下の力持ち、電話取次などの方もこういうユニフォームで映えていますね。
私が新卒で社会人になったころも、会社の大代表にも交換の方がいらっしゃって
いつもてきぱき丁寧に取次して下さったことを思い出しますが、
それよりも以前(20年以上前)にこうやって交換で活躍された方がいらっしゃった、
そういうのも興味深く見ました。
無線機
広い会場内では必須アイテムですが、こういう無線機をもって会場にいて、
迷子さんとか緊急の申し送りなどを現場に伝えたりしていたんだな、
と光景を思い浮かべました。
ピーポー関連
クラシックはボリショイ・バレエなどのチケットもありました。
豪華なラインナップ、見ているだけで羨ましい気持ちになりました。
巨大な手
こうやって座るんですね
赤塚先生!
万博会場にニャロメ!(笑)
縁の下の力持ち
通信系ですが
縁の下の力持ち、電話取次などの方もこういうユニフォームで映えていますね。
私が新卒で社会人になったころも、会社の大代表にも交換の方がいらっしゃって
いつもてきぱき丁寧に取次して下さったことを思い出しますが、
それよりも以前(20年以上前)にこうやって交換で活躍された方がいらっしゃった、
そういうのも興味深く見ました。
無線機
広い会場内では必須アイテムですが、こういう無線機をもって会場にいて、
迷子さんとか緊急の申し送りなどを現場に伝えたりしていたんだな、
と光景を思い浮かべました。
ピーポー関連
会場内に10か所の医療緊急所、9時~22時30分まで対応していたそうなので、
今では考えられないくらいの長時間対応していたということでしょうかね。
場内パトロールや患者の緊急搬送を行う体制も敷いていたというので、
国際的な催しで十分にできるような体制だったのかと思いました。
こういうのを見ても、万博会場で働けることに対するプライド、というか、
働けることが嬉しい(家族の自慢にもつながる)、そういう時代だったのかな、と
感じますね。
エキスポエンジェル、とエキスポシスター
エンジェルはよくわからないのですが、シスターは警備関連の仕事を
司っていたみたいですね。
個人的にはユニフォームにあまり共感しづらい部分もありますが(自分の元勤務先)、
こういう国際イベントでのユニフォームは見ていて楽しいですね。
此の自転車は
電気自転車
会場なの緊急連絡や取材に備えて10台の電気自転車、20台の自転車を報道関係者に
貸し出したそうですが、電気自動車は三洋電機(懐)が市販に先立って提供したもの。
プレスセンター前にも充電設備を設けたそうですが、当時から電気自転車があったとは、
市販だったら物凄いお値段だったと思いますが、こういうイベントで使うというのは
日本の最先端技術を披露する良い場だったのでしょうね。
ピクトグラム
東京オリンピック開催時に出来たものですが、こうやってみると
当初のデザインから理解しやすくデザイン変更されているみたいですね。
電気自動車
50年間に電気自動車!
と、自分の当時の年齢(記憶ないんで)と比較して考えると、
当時のうつぼ家のテレビは白黒だったので(カラーになったのはそのあと)
そんなうつぼ家と違って大阪万博の先端技術だらけな様子をみて
この万博にかける意気込みの凄さを今更ながら感じる私です。
って、まだ展示は続くので記事もあと3回くらい続きます。(^-^)
(つづく)
今では考えられないくらいの長時間対応していたということでしょうかね。
場内パトロールや患者の緊急搬送を行う体制も敷いていたというので、
国際的な催しで十分にできるような体制だったのかと思いました。
こういうのを見ても、万博会場で働けることに対するプライド、というか、
働けることが嬉しい(家族の自慢にもつながる)、そういう時代だったのかな、と
感じますね。
エキスポエンジェル、とエキスポシスター
エンジェルはよくわからないのですが、シスターは警備関連の仕事を
司っていたみたいですね。
個人的にはユニフォームにあまり共感しづらい部分もありますが(自分の元勤務先)、
こういう国際イベントでのユニフォームは見ていて楽しいですね。
此の自転車は
電気自転車
会場なの緊急連絡や取材に備えて10台の電気自転車、20台の自転車を報道関係者に
貸し出したそうですが、電気自動車は三洋電機(懐)が市販に先立って提供したもの。
プレスセンター前にも充電設備を設けたそうですが、当時から電気自転車があったとは、
市販だったら物凄いお値段だったと思いますが、こういうイベントで使うというのは
日本の最先端技術を披露する良い場だったのでしょうね。
ピクトグラム
東京オリンピック開催時に出来たものですが、こうやってみると
当初のデザインから理解しやすくデザイン変更されているみたいですね。
電気自動車
50年間に電気自動車!
と、自分の当時の年齢(記憶ないんで)と比較して考えると、
当時のうつぼ家のテレビは白黒だったので(カラーになったのはそのあと)
そんなうつぼ家と違って大阪万博の先端技術だらけな様子をみて
この万博にかける意気込みの凄さを今更ながら感じる私です。
って、まだ展示は続くので記事もあと3回くらい続きます。(^-^)
(つづく)
タグ:大阪
この時代はすべてがカッコいい!!
大阪生まれですが、大阪万博の時はすでに東京に引っ越してて、、
行ってないのです。毎年大阪に行くたび、太陽の塔を見上げながら、
車で移動していました。
で、2007年、太陽の塔内覧会っていうのがあって、参加しました。
撮影禁止だったので、写真は無いのですが、
中に入って生命の木を見ました。感動だったな~~。
by lovin (2021-04-28 12:58)
lovin姐さん、こんばんは。
姐さん、万博時期には東京だったのですね。
五十路過ぎで見たのにどこか新しい、50年前にこの展示って凄い!
素直に思いました。
今度の万博に行くかどうかわかりませんが、やっと軌跡を見るとが出来て
よかったです。(^-^)
by うつぼ (2021-04-30 22:04)