青森旅行記2023~弘前れんが倉庫美術館編②~ [日本の旅(東北)]
「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」
という展示タイトルからしてなんだろう、と興味が湧くのですが、
れんが倉庫オーナーの吉井さんによる言葉だったことを知って
吉井さんが奈良さんのファンであったということもありますが、
たられば、みたいなこと、一つのきっかけで大きく動く事を感じながら
展示の見学を勧めます。
という展示タイトルからしてなんだろう、と興味が湧くのですが、
れんが倉庫オーナーの吉井さんによる言葉だったことを知って
吉井さんが奈良さんのファンであったということもありますが、
たられば、みたいなこと、一つのきっかけで大きく動く事を感じながら
展示の見学を勧めます。
シードルと吉野桜 かつてシードルを醸造していた時の様子
wikiを観ると、戦後からシードルづくりを始めて、フランスから技術顧問を招いて
指導を受けて昭和30年代(1950年代)に「朝日シードル」を販売したものの、
当時の日本人の嗜好に合わず計画の3分の1しか売れなかった、、そして、
ニッカウヰスキーに譲渡され、東北向けのウィスキー製造も行っていたものの、
その後手狭になって移転したため、酒造を行っていたのはそれまでで、その後は倉庫として
使われていたそうです。
時代のニーズになかなか合わなかったというのが残念ですが、
今、弘前ではシードルが製造されるようになっていて人気ありますもんね。
私自身は、大学生の頃、イギリスの地方都市に留学していた同級生を訪ねた時、
大学、ドミトリーや銀行など生活に必要な施設が一体となった町みたいなところで
当然、ここの学生が大半のパブでサイダー(シードルの英語読み)を呑んだのが最初。
ドライタイプ(辛口)がさっぱり美味しかった、のですが、日本に戻ってから呑まなく
なったものの、こうやって記事を書いていたら呑みたくなりました。(^-^;
ボランティアの皆さん
吉井さんの一言からここまで活動が広がっていったんですね。
次は写真コーナー
壁に飾ってあったり、アルバムに入っていたり、
ものすごくたくさんの写真、展示会を作り上げていく皆さんの写真に溢れていました。
上右(の右側に立つ男性)は奈良さん、みたいですね。(^-^;
先に進むと、当時の展示された雰囲気を楽しめるコーナーがありました。 小屋風の設えが楽しいです
奈良さんの作品、どこかクスっと笑えたり、脱力したりという印象ですが、
特に地元の方々が展示会を訪れて楽しまれている姿を想像しました。
wikiを観ると、戦後からシードルづくりを始めて、フランスから技術顧問を招いて
指導を受けて昭和30年代(1950年代)に「朝日シードル」を販売したものの、
当時の日本人の嗜好に合わず計画の3分の1しか売れなかった、、そして、
ニッカウヰスキーに譲渡され、東北向けのウィスキー製造も行っていたものの、
その後手狭になって移転したため、酒造を行っていたのはそれまでで、その後は倉庫として
使われていたそうです。
時代のニーズになかなか合わなかったというのが残念ですが、
今、弘前ではシードルが製造されるようになっていて人気ありますもんね。
私自身は、大学生の頃、イギリスの地方都市に留学していた同級生を訪ねた時、
大学、ドミトリーや銀行など生活に必要な施設が一体となった町みたいなところで
当然、ここの学生が大半のパブでサイダー(シードルの英語読み)を呑んだのが最初。
ドライタイプ(辛口)がさっぱり美味しかった、のですが、日本に戻ってから呑まなく
なったものの、こうやって記事を書いていたら呑みたくなりました。(^-^;
ボランティアの皆さん
吉井さんの一言からここまで活動が広がっていったんですね。
次は写真コーナー
壁に飾ってあったり、アルバムに入っていたり、
ものすごくたくさんの写真、展示会を作り上げていく皆さんの写真に溢れていました。
上右(の右側に立つ男性)は奈良さん、みたいですね。(^-^;
先に進むと、当時の展示された雰囲気を楽しめるコーナーがありました。 小屋風の設えが楽しいです
奈良さんの作品、どこかクスっと笑えたり、脱力したりという印象ですが、
特に地元の方々が展示会を訪れて楽しまれている姿を想像しました。
当時の映像も見て サーフィン犬
触っては観ましたが、乗るのはさすがに(壊す可能性もあるし)、、と断念。
当時のれんが倉庫の風景(今より周囲が緑でいっぱい)や展示風景の写真を見たら、
2階の展示エリアに移動します!
(つづく)