青森旅行記2023~三沢航空科学館編①~ [日本の旅(東北)]
前回、月曜日の休館日で訪れることができなかった三沢航空科学館、
今回は思いきり見学できます。(^-^)
(三沢航空科学館ホームぺージ)https://kokukagaku.jp/
レツゴ―
この先で入館料510円を支払って
展示ゾーンに向かいます
ハンガーのような雰囲気(しかも古め)にこの時点で盛り上がっております。
最初は航空ゾーン
航空科学館、というだけあって、航空ゾーンと科学ゾーンで構成されています。
ミス・ビードル号
三沢駅で見かけてから知ったのですが、
三沢の淋代海岸(さびしろ)から離陸したミス・ビードル号という飛行機で、
41時間の飛行後、ワシントン州ワナッチー市に着陸した、という知識で
今回ここを訪れてもっと詳しいことを知ることができました。
ミス・ビードル号に乗っていたハングボーンさん
(もう一人、ヒュー・ハーンドンさんも乗っています)
パネル展示とアニメでハングボーンさんが太平洋横断に成功された経緯が紹介されています。
が、それが結構紆余曲折というかトライ・アンド・エラー的な感じで面白く、
最初、世界一周最速記録に挑戦して失敗したところ、
朝日新聞が懸賞金を出すというのを知って再び太平洋横断に挑戦したというエピソード、
お金もかかるのでわかるのですが、懸賞金につられて挑戦というのが人間らしいなと
クスっと笑ってしまいました。
日本に向かっちゃう気持ち分かる。(^-^;
1931年(昭和6年)という昭和の初めも初めの話、それで青森の人たちはとても親切で
(言葉が通じていたのかも少々謎ですが)行ってらっしゃい、と見送って、
日本人が優しくてホッとしました
沢山の人が手を振って見送ってくれたのでしょう
チヨさん いい人です
(それより小比類巻という苗字にかほる、といってしまう世代です)
その後、41時間の飛行の後、アメリカに無事着陸(胴体着陸で大変だった)、
空気抵抗のために支柱や車輪を捨てた上にエンジンとまる不運
残っていた支柱の一部も途中で捨てて
曲芸飛行士ならではの荒業ですね
車輪がないことに驚く地上の人々
しかも風でプロペラが垂直になる不運
無事到着した後もエピソード満載
無事アメリカに到着できたことからお礼にと、アメリカのリンゴをもって青森に行ったら、
検疫で引っかかってお世話になった人達に渡せなかったというエピソードに、
気持と反する日本(のお役所)の反応に切ない気持ちになりました。
お金目当てじゃなくて安堵
お二人がその後パイロットとして活躍されたというエピソードの後に、
ミス・ビードル号が新たな持ち主が操縦している時に大西洋で行方不明になった、
というのが残念ながら、今回訪れた航空科学館に復刻された飛行機が展示されているのは
青森が彼らの偉業を支えたということなのかな、と思いました。
ドラム缶が沢山置いてあるのですが、200ℓ入りのドラム缶18本(3,600ℓ)を
後部座席や胴体下部に増設された燃料タンクに積み込んだそうです。
太平洋を無着陸で横断するためにこれだけの燃料がかかったということで、
この重量で飛び立つのも大変だったでしょうね。
アニメでも復習90年前の偉業です
(婆1号が生まれる前の話なので尚更そう思えてしまう)
見習いたい(でも難しい)
ミス・ビードル号
復元作業の様子
アメリカで製作し、この航空科学館に展示されています。
三沢にこなければ知ることがなかったかもしれませんが、
三沢に来たことで知ることができた一世紀近く前に挑戦した人達、
それを支えた青森の人たちのことを知ることができました。
楽しい!
と思いながら見学は続きます。
(つづく)
今回は思いきり見学できます。(^-^)
(三沢航空科学館ホームぺージ)https://kokukagaku.jp/
レツゴ―
この先で入館料510円を支払って
展示ゾーンに向かいます
ハンガーのような雰囲気(しかも古め)にこの時点で盛り上がっております。
最初は航空ゾーン
航空科学館、というだけあって、航空ゾーンと科学ゾーンで構成されています。
ミス・ビードル号
三沢駅で見かけてから知ったのですが、
三沢の淋代海岸(さびしろ)から離陸したミス・ビードル号という飛行機で、
41時間の飛行後、ワシントン州ワナッチー市に着陸した、という知識で
今回ここを訪れてもっと詳しいことを知ることができました。
ミス・ビードル号に乗っていたハングボーンさん
(もう一人、ヒュー・ハーンドンさんも乗っています)
パネル展示とアニメでハングボーンさんが太平洋横断に成功された経緯が紹介されています。
が、それが結構紆余曲折というかトライ・アンド・エラー的な感じで面白く、
最初、世界一周最速記録に挑戦して失敗したところ、
朝日新聞が懸賞金を出すというのを知って再び太平洋横断に挑戦したというエピソード、
お金もかかるのでわかるのですが、懸賞金につられて挑戦というのが人間らしいなと
クスっと笑ってしまいました。
日本に向かっちゃう気持ち分かる。(^-^;
1931年(昭和6年)という昭和の初めも初めの話、それで青森の人たちはとても親切で
(言葉が通じていたのかも少々謎ですが)行ってらっしゃい、と見送って、
日本人が優しくてホッとしました
沢山の人が手を振って見送ってくれたのでしょう
チヨさん いい人です
(それより小比類巻という苗字にかほる、といってしまう世代です)
その後、41時間の飛行の後、アメリカに無事着陸(胴体着陸で大変だった)、
空気抵抗のために支柱や車輪を捨てた上にエンジンとまる不運
残っていた支柱の一部も途中で捨てて
曲芸飛行士ならではの荒業ですね
車輪がないことに驚く地上の人々
しかも風でプロペラが垂直になる不運
無事到着した後もエピソード満載
無事アメリカに到着できたことからお礼にと、アメリカのリンゴをもって青森に行ったら、
検疫で引っかかってお世話になった人達に渡せなかったというエピソードに、
気持と反する日本(のお役所)の反応に切ない気持ちになりました。
お金目当てじゃなくて安堵
お二人がその後パイロットとして活躍されたというエピソードの後に、
ミス・ビードル号が新たな持ち主が操縦している時に大西洋で行方不明になった、
というのが残念ながら、今回訪れた航空科学館に復刻された飛行機が展示されているのは
青森が彼らの偉業を支えたということなのかな、と思いました。
ドラム缶が沢山置いてあるのですが、200ℓ入りのドラム缶18本(3,600ℓ)を
後部座席や胴体下部に増設された燃料タンクに積み込んだそうです。
太平洋を無着陸で横断するためにこれだけの燃料がかかったということで、
この重量で飛び立つのも大変だったでしょうね。
アニメでも復習90年前の偉業です
(婆1号が生まれる前の話なので尚更そう思えてしまう)
見習いたい(でも難しい)
ミス・ビードル号
復元作業の様子
アメリカで製作し、この航空科学館に展示されています。
三沢にこなければ知ることがなかったかもしれませんが、
三沢に来たことで知ることができた一世紀近く前に挑戦した人達、
それを支えた青森の人たちのことを知ることができました。
楽しい!
と思いながら見学は続きます。
(つづく)