愛媛旅行記2020~宇和民具館編②~ [チームSの旅]
1階の常設展示を進んでいるとおばちゃんたちの歌声が聞こえてきて、
こんなところで何だろうと町家のコーナーに進むと、
おそらく近所のおばちゃんおじちゃんたちがカラオケ大会というよりは
歌の練習みたいな感じで5-6人で歌っていました。
よそ者(しかも遠くの千葉から)がお邪魔しちゃってすみませんという感じで
足早に次のコーナーに行こうと思ったら、ゆっくりしていってください!と
言われてしまい、
こんなところで何だろうと町家のコーナーに進むと、
おそらく近所のおばちゃんおじちゃんたちがカラオケ大会というよりは
歌の練習みたいな感じで5-6人で歌っていました。
よそ者(しかも遠くの千葉から)がお邪魔しちゃってすみませんという感じで
足早に次のコーナーに行こうと思ったら、ゆっくりしていってください!と
言われてしまい、
上がってみました。
来年の企画展(昭和とパン)の予告編みたいな感じの展示になっていて、
わらじって。(笑)
小学生の頃は給食だった私、ご飯が出るのは月1回、あとはパン。
パンも大量生産で冷凍保存を自然解凍するのか、いつもボッソボソで、
揚げパンも油ぎとぎと、あまり良い思い出はないのですが、
(楽しみだったのはミルメークとカレーライスが出る日)
大人になってからコッペパンを買って食べてみたら柔らかくておいしくて、
ああ、コッペパンってこんなに美味しかったんだ、と思ったくらい、
昔は給食のパンが美味しく思えなくて好きになれませんでした。
ご当地パン
ようかんパンは聞いたのも写真で見たのも初めてですが、
あんパンの上に羊羹が塗ってあるというパン。
バラパンというのは食パンにクリームをはさんでバラのように巻いたもの、
これは島根県のご当地パンなんですって。
青森に行くと工藤製パンのイギリスパンとか(食パンにバターシュガーがぬってある)、
滋賀に行くとサラダパンとか(たくあんのマヨネーズ和えをはさんである)、
いろいろなパンがあるんだあと思いますねぇ。
これ、関東にも来ないかな!
ロバのパン屋の歌の歌詞が飾ってあったのですが、
ロバのパン屋はチンカラリン、だと思っていた私、ロバの「おじさん」だったと、
今までずっと間違った歌詞を覚えていたことに気づきました。。。ちょっとショック。。
中庭を通って
所蔵品が置いてある倉庫というか所蔵棚のエリアに進みます。
江戸時代末期から昭和初期までこの地域で実際使われていたものを所蔵し、
展示している宇和民具館ですが所蔵点数が6000点となると、
常設展示で飾れないものもたくさんあるわけで、こういう所蔵棚で保管するのも
仕方ないですね。それを見られるというのも楽しみです。
床屋さんの椅子みたいですね
鼻緒すげ道具箱
婆1号が東京の会社に就職したとき、お世話になっていたのが伯母さんの家で
(私にとっては大叔母さん)
履物商売で賑わっていた浅草だったので伯母さんの家も鼻緒をつくる商売で
会社から帰ると伯父さん伯母さんとも忙しそうに鼻緒を作っていたという話を
小さいころから聞いていた私、鼻緒、と聞くと小さいときによく一緒に
遊んでくれた大叔母さん(おばあちゃんと読んでいた)を思い出します。
道具箱に鼻緒と書いてあるだけでそんな連想をしてしまいますが、
昔のことを懐かしいと思う歳になったということなんでしょうね。
計算機
私が社会人になったころは小型化していましたが、
最初の頃ってこんなに大きかったんだねぇって、けーすけ兄がじっくり見ていました。
写植機かな?これも計算機かな
見たときはなんとなくわかっていたつもりですが、時間が経ってこうやって記事を
書く段になるとすっかり忘れてしまっていけませんね。
算盤に丁銀箱(金庫みたいなもの?)
ワインの瓶(萌)味わいのある看板
今でもホーロー看板のコレクターっていますが、令和の時代になっても、
どこか味わいのあるこういう看板ってみていて楽しくなりますね。
酒瓶オルガンにポンプ車
写真の右奥に見えるのって籠ですよね。
大きさで分類して積んであるって感じですが、どこかお宝さがしぽい感じで
観ていてこれも楽しいです。(^-^)
機織機に行李足踏みミシン
小学校の家庭科は足踏みミシンでしたが、逆回転させて先生を怒らせたのは私です。(^^;
懐かしいブラウン管テレビは
東芝に
今は亡きナショナル
と、懐かしい気分にどっぷり浸って入口に戻ってきたら
ここにも足踏みミシン
実際体験することもできるみたいです。
と、民具館のスタッフの方が、本日、月に一度のイベントの日なんですが、
UFOキャッチャーみたいなゲーム、やりませんか?と誘ってくれました。
大正から昭和初期に実際に使われていたゲーム機で飴をゲットするゲーム。
兄さんチャレンジ中
中を開けて見せてくれました
元祖です
ゲーム機の横についているハンドルをぐるぐる回すとクレーンが後ろに移動して、
チェーンが下がって飴をつかんで再び回転して正面に戻ってくるという仕組み。
けーすけ兄は残念ながら飴ゲットできませんでしたが、私は2個とれました!(^O^)/
楽しいゲームでした
その隣に
富山の置き薬
引き出しを開けると色々な薬の包みが見られます。
わかりやすい赤チン
昔は傷といえば赤チンだったねぇ、と懐かしむ3人。
あんまいらずわかりやすい説明最後の最後まで楽しめました
開明学校を見にきたはずが入場料を支払いに寄った宇和民具館にすっかりはまり、
ちょっと駆け足ながら堪能させていただきました。
スタッフの方々も皆さん親切丁寧で楽しさ倍増!感謝感謝です。
この後は、お目当ての開明学校にまいりましょう。
(つづく)
来年の企画展(昭和とパン)の予告編みたいな感じの展示になっていて、
わらじって。(笑)
小学生の頃は給食だった私、ご飯が出るのは月1回、あとはパン。
パンも大量生産で冷凍保存を自然解凍するのか、いつもボッソボソで、
揚げパンも油ぎとぎと、あまり良い思い出はないのですが、
(楽しみだったのはミルメークとカレーライスが出る日)
大人になってからコッペパンを買って食べてみたら柔らかくておいしくて、
ああ、コッペパンってこんなに美味しかったんだ、と思ったくらい、
昔は給食のパンが美味しく思えなくて好きになれませんでした。
ご当地パン
ようかんパンは聞いたのも写真で見たのも初めてですが、
あんパンの上に羊羹が塗ってあるというパン。
バラパンというのは食パンにクリームをはさんでバラのように巻いたもの、
これは島根県のご当地パンなんですって。
青森に行くと工藤製パンのイギリスパンとか(食パンにバターシュガーがぬってある)、
滋賀に行くとサラダパンとか(たくあんのマヨネーズ和えをはさんである)、
いろいろなパンがあるんだあと思いますねぇ。
これ、関東にも来ないかな!
ロバのパン屋の歌の歌詞が飾ってあったのですが、
ロバのパン屋はチンカラリン、だと思っていた私、ロバの「おじさん」だったと、
今までずっと間違った歌詞を覚えていたことに気づきました。。。ちょっとショック。。
中庭を通って
所蔵品が置いてある倉庫というか所蔵棚のエリアに進みます。
江戸時代末期から昭和初期までこの地域で実際使われていたものを所蔵し、
展示している宇和民具館ですが所蔵点数が6000点となると、
常設展示で飾れないものもたくさんあるわけで、こういう所蔵棚で保管するのも
仕方ないですね。それを見られるというのも楽しみです。
床屋さんの椅子みたいですね
鼻緒すげ道具箱
婆1号が東京の会社に就職したとき、お世話になっていたのが伯母さんの家で
(私にとっては大叔母さん)
履物商売で賑わっていた浅草だったので伯母さんの家も鼻緒をつくる商売で
会社から帰ると伯父さん伯母さんとも忙しそうに鼻緒を作っていたという話を
小さいころから聞いていた私、鼻緒、と聞くと小さいときによく一緒に
遊んでくれた大叔母さん(おばあちゃんと読んでいた)を思い出します。
道具箱に鼻緒と書いてあるだけでそんな連想をしてしまいますが、
昔のことを懐かしいと思う歳になったということなんでしょうね。
計算機
私が社会人になったころは小型化していましたが、
最初の頃ってこんなに大きかったんだねぇって、けーすけ兄がじっくり見ていました。
写植機かな?これも計算機かな
見たときはなんとなくわかっていたつもりですが、時間が経ってこうやって記事を
書く段になるとすっかり忘れてしまっていけませんね。
算盤に丁銀箱(金庫みたいなもの?)
ワインの瓶(萌)味わいのある看板
今でもホーロー看板のコレクターっていますが、令和の時代になっても、
どこか味わいのあるこういう看板ってみていて楽しくなりますね。
酒瓶オルガンにポンプ車
写真の右奥に見えるのって籠ですよね。
大きさで分類して積んであるって感じですが、どこかお宝さがしぽい感じで
観ていてこれも楽しいです。(^-^)
機織機に行李足踏みミシン
小学校の家庭科は足踏みミシンでしたが、逆回転させて先生を怒らせたのは私です。(^^;
懐かしいブラウン管テレビは
東芝に
今は亡きナショナル
と、懐かしい気分にどっぷり浸って入口に戻ってきたら
ここにも足踏みミシン
実際体験することもできるみたいです。
と、民具館のスタッフの方が、本日、月に一度のイベントの日なんですが、
UFOキャッチャーみたいなゲーム、やりませんか?と誘ってくれました。
大正から昭和初期に実際に使われていたゲーム機で飴をゲットするゲーム。
兄さんチャレンジ中
中を開けて見せてくれました
元祖です
ゲーム機の横についているハンドルをぐるぐる回すとクレーンが後ろに移動して、
チェーンが下がって飴をつかんで再び回転して正面に戻ってくるという仕組み。
けーすけ兄は残念ながら飴ゲットできませんでしたが、私は2個とれました!(^O^)/
楽しいゲームでした
その隣に
富山の置き薬
引き出しを開けると色々な薬の包みが見られます。
わかりやすい赤チン
昔は傷といえば赤チンだったねぇ、と懐かしむ3人。
あんまいらずわかりやすい説明最後の最後まで楽しめました
開明学校を見にきたはずが入場料を支払いに寄った宇和民具館にすっかりはまり、
ちょっと駆け足ながら堪能させていただきました。
スタッフの方々も皆さん親切丁寧で楽しさ倍増!感謝感謝です。
この後は、お目当ての開明学校にまいりましょう。
(つづく)
赤チン.... どこにいっちゃったんでしょうねえ どこの家にもあったよね
by snorita (2020-11-10 13:36)
小、中、給食でしたが、食パンが2枚袋入りで、
コッペパンってほとんど出なかったんですよね。
ソフト麺のミートソースが給食の一番の思い出かな~~。
by lovin (2020-11-11 11:18)
snorita姐。
昔は赤チンぬって膝が赤くなっても恥ずかしくなかったのですが、
今だったら恥ずかしいかなあ。(笑)
マキロンが登場して色がつかないのが普通になってしまったのかも。。
by うつぼ (2020-11-13 07:53)
lovin姐さん、おはようございます。
食パン2枚が袋入りってなんだか豪華ですねぇ。。
同年代のはずなのにソフト麺も出ない給食でした。(;_:)
地域(私は千葉の田舎)の違いなのかもしれませんが、当時のコッペパン、
本当にいい思い出はありません。。
by うつぼ (2020-11-13 07:57)