映画「夢みる校長先生」を観る [映画(や・ら・わ行)]
予告編を観て興味を持った作品です。
内容は映画.comさんより。
60年前から通知表や時間割のない「総合学習」を続けてきた長野県伊那市立伊那小学校、
2020年度の通知表を廃止した神奈川県茅ヶ崎市立香川小学校、
校則をゼロにした東京都世田谷区立桜丘中学校、
宿題を廃止した東京都武蔵野市立境南小学校などを取材するほか、
元文部科学省事務次官の前川喜平、教育評論家の尾木直樹ら専門家にも話を聞く。
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通知表のない公立学校があるということを今作で初めて知りました。
通知表といえば学期末にもらって親に渡さないといけない憂鬱なヤツで(笑)
相対評価の弊害みたいなものだと思っていますが(会社でも相対評価ですが)
うちの婆1号は未だに家族4人(父、婆1号、うつぼ兄、私)の通知表を時々眺めて
笑うのを楽しみにしています。(笑)
私でさえ何を書かれたか覚えていない通知表、それを最低半年に一度は眺めるほど
通知表の大好きな婆1号にこの映画の話をしたら、
「そんなのあり得ない!受験の時どうするの、相対評価した方がいいでしょ!」
怒っていました。(^-^;
まあ小学校の成績で受験、私立の中学校に受験させる親にはあった方がいいのかな、
なんて思ったりもしましたが結局のところどの目線で教育するかということなのか、
なのかもしれませんね。
通知表や期末テスト、校則がないから好き勝手やっていいということではなく、
生徒の主体性(自発的に何かに興味を持ち取り組む姿勢)を引き出す(重んじる)
アレダメコレダメ、と、問題を起こさせないようにと、上から押さえつけるばかりが
教育ではないということを伝えたいのかなと思いました。
時折出てくる尾木ママは要らなかったと思いますが。( 一一)
自分が小学生だった40年以上前の校長先生って朝礼で話しているのを見るくらい、
実務的にあれこれ指示しているのは教頭先生というイメージでした。
大きくなるにつれ、校長先生ってある意味すごろくの上がりポジションに見えて
学校で一番偉いんだろうけど毎日何してるんだろうと思っていました。
大学4年生の時、教育実習で実家近くの中学校に2週間通った時は、
先生コミュニティのヒエラルキー(ピラミッド型、若い先生が超辛い環境)、
道徳を教えていながら先生たちが陰でやっていた道徳心のない態度や行動、
授業は部活動で生徒に触れあうのは楽しかった一方、先生たちの非常識をみて
「学校ってクソ」と思っていたので(今はどうなっているか知りませんが)
学校の先生に対して(自分が教わった先生もえこひいき先生が多かった)
ずっと悪い印象しかもっていませんでした。
そんなネガティブ印象の中、この映画を鑑賞して、
学校という組織の中の最高運営(経営)責任者である校長先生の考えひとつで
学校ってこうも変わるものなんだな、と目からうろこでした。
もちろん、変えることに対して親からの反発があればきちんと対話することで
互いが納得いく形にもっていくのも校長先生の責任で、そのためには物凄い
エネルギーを要するうえに、なにかあれば責任をとるのは校長先生な訳です。
調子いいときだけ前面に出て、まずいなと思うと逃げるタイプの人多いのですが、
逃げることなく生徒の目線で真摯に向き合うことができる人、
校長はすごろくの上がりではなく、学校運営の最高責任者としての自覚をもって
逃げることなく運営できるか、非常に大事なポジションであると思いました。
とはいえ、今回とりあげた校長先生はおそらく一握り(というか一握りでしょう)、
何か学校で問題があれば隠ぺいに走る、いじめで自ら命を絶った生徒についても
学校側に不利な内容を隠蔽していた北海道の中学校の事例も以前ありましたが、
教育委員会と一緒に保身に走る、そんな人たちは勤めた年数が長くとも
校長になる資格はないと思います。
今作は、つくりたい方向があった上でのインタビューと言いう感じで、
若干誘導するようなところがあって素直に全面的に受けいれるという感じでは
ありませんでしたが(ポップな演出も私には若干邪魔なイメージでした)
子供たちが成長していく過程で未来に希望を持てるように育てていく、
その役目を学校も担っている中で最高責任者として走り続ける校長先生の姿を観て
これまでの先入観がだいぶ払拭された感のあった「夢みる校長先生」でありました。
内容は映画.comさんより。
60年前から通知表や時間割のない「総合学習」を続けてきた長野県伊那市立伊那小学校、
2020年度の通知表を廃止した神奈川県茅ヶ崎市立香川小学校、
校則をゼロにした東京都世田谷区立桜丘中学校、
宿題を廃止した東京都武蔵野市立境南小学校などを取材するほか、
元文部科学省事務次官の前川喜平、教育評論家の尾木直樹ら専門家にも話を聞く。
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通知表のない公立学校があるということを今作で初めて知りました。
通知表といえば学期末にもらって親に渡さないといけない憂鬱なヤツで(笑)
相対評価の弊害みたいなものだと思っていますが(会社でも相対評価ですが)
うちの婆1号は未だに家族4人(父、婆1号、うつぼ兄、私)の通知表を時々眺めて
笑うのを楽しみにしています。(笑)
私でさえ何を書かれたか覚えていない通知表、それを最低半年に一度は眺めるほど
通知表の大好きな婆1号にこの映画の話をしたら、
「そんなのあり得ない!受験の時どうするの、相対評価した方がいいでしょ!」
怒っていました。(^-^;
まあ小学校の成績で受験、私立の中学校に受験させる親にはあった方がいいのかな、
なんて思ったりもしましたが結局のところどの目線で教育するかということなのか、
なのかもしれませんね。
通知表や期末テスト、校則がないから好き勝手やっていいということではなく、
生徒の主体性(自発的に何かに興味を持ち取り組む姿勢)を引き出す(重んじる)
アレダメコレダメ、と、問題を起こさせないようにと、上から押さえつけるばかりが
教育ではないということを伝えたいのかなと思いました。
時折出てくる尾木ママは要らなかったと思いますが。( 一一)
自分が小学生だった40年以上前の校長先生って朝礼で話しているのを見るくらい、
実務的にあれこれ指示しているのは教頭先生というイメージでした。
大きくなるにつれ、校長先生ってある意味すごろくの上がりポジションに見えて
学校で一番偉いんだろうけど毎日何してるんだろうと思っていました。
大学4年生の時、教育実習で実家近くの中学校に2週間通った時は、
先生コミュニティのヒエラルキー(ピラミッド型、若い先生が超辛い環境)、
道徳を教えていながら先生たちが陰でやっていた道徳心のない態度や行動、
授業は部活動で生徒に触れあうのは楽しかった一方、先生たちの非常識をみて
「学校ってクソ」と思っていたので(今はどうなっているか知りませんが)
学校の先生に対して(自分が教わった先生もえこひいき先生が多かった)
ずっと悪い印象しかもっていませんでした。
そんなネガティブ印象の中、この映画を鑑賞して、
学校という組織の中の最高運営(経営)責任者である校長先生の考えひとつで
学校ってこうも変わるものなんだな、と目からうろこでした。
もちろん、変えることに対して親からの反発があればきちんと対話することで
互いが納得いく形にもっていくのも校長先生の責任で、そのためには物凄い
エネルギーを要するうえに、なにかあれば責任をとるのは校長先生な訳です。
調子いいときだけ前面に出て、まずいなと思うと逃げるタイプの人多いのですが、
逃げることなく生徒の目線で真摯に向き合うことができる人、
校長はすごろくの上がりではなく、学校運営の最高責任者としての自覚をもって
逃げることなく運営できるか、非常に大事なポジションであると思いました。
とはいえ、今回とりあげた校長先生はおそらく一握り(というか一握りでしょう)、
何か学校で問題があれば隠ぺいに走る、いじめで自ら命を絶った生徒についても
学校側に不利な内容を隠蔽していた北海道の中学校の事例も以前ありましたが、
教育委員会と一緒に保身に走る、そんな人たちは勤めた年数が長くとも
校長になる資格はないと思います。
今作は、つくりたい方向があった上でのインタビューと言いう感じで、
若干誘導するようなところがあって素直に全面的に受けいれるという感じでは
ありませんでしたが(ポップな演出も私には若干邪魔なイメージでした)
子供たちが成長していく過程で未来に希望を持てるように育てていく、
その役目を学校も担っている中で最高責任者として走り続ける校長先生の姿を観て
これまでの先入観がだいぶ払拭された感のあった「夢みる校長先生」でありました。