東北の旅2023~大川小学校編~ [チームSの旅]
今回の旅で最後に訪れたのは震災遺構大川小学校です。
4年前に石巻駅周辺を訪れたもののここは訪れなかったので
けーすけ兄の希望もあってやっと訪れることができました。
(wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1
災害発生時の避難についての注意書き
現在地から避難目標地点までが記載されていますが、
ピンク色に色づけられているのは東日本大震災の津波が2m以上だった場所。
ここが津波による大きな被害を受けたのかということが分かります。
入ってすぐのところの校舎の近くに
震災当日の様子について説明がありました
wikiにも書いてありますが、津波到達までの50分間、校長不在で指揮系統が機能せず
避難先がすぐ決められないという学校側の対応の不備について問題視され、
遺族が石巻市に対して損害賠償を求める訴訟を起こしたことはニュースで知っていたものの
実際の被災現場と亡くなった人の多さ、被災後の石巻市の対応(隠ぺいなど)への不信感、
ドキュメンタリ―映画として公開されているので私も見たいと思っています。
見つかっていないお子さんが4人いらっしゃいますが、2021年に捜索が終了され、
ある程度で区切るのも分からないではない、とはいえ、見つからないお子さんたちと
その親御さんのことを考えると切ない気持ちになってしまいます。
体育館につながる連絡通路も津波の勢いで破壊されていました。
体育館があった場所です
大川小学校の校歌
これからの明るい未来に向けて羽ばたく子供たちがこの校歌を歌い、
日々勉強に運動に友達との交流に過ごしていた学校、
現在の校舎の姿を見ていたら涙が止まらなくなりました。
子供の声がしない学校は寂しく悲しいものです
机などは撤去されていますが、青空の下で見る校舎、
海から4㌔以上も距離があるここまで北上川を津波が逆流してきたというのが
想像できなかったのですが、この後、敷地内にある伝承館で震災時の様子について
写真で知ることができました。
バスツアーの方々も見学されていたので館内はかなり混んでいました。
かつての連絡通路
津波の勢いで押しつぶされ変形した現在の姿とは全く違います。
上の写真は北上川の河口の様子。左が震災前、右が震災後(2011年10月)。
津波が河口の景色を変え、大川小学校まで4キロ以上の距離を逆流した、
自然の脅威、普段穏やかな自然が一転人間を襲う姿を想像すると、
誰もが想像できなかった規模の災害だったのだと改めて思いました。
遺族の方も石巻市を訴えたくはなかったでしょうし、
訴えたことで心無い人たちからの嫌がらせも多く受けたのではないかと思います。
でも、家族を亡くした無念を隠蔽で責任回避しようとした自治体を訴える、
勝訴しても家族が帰ってこないと分かっていても行動に出た遺族の皆さんを
私は理解していきたいと思います。
1時間くらい校舎や伝承館を観て改めて震災に自分も備えないといけない、
という気持になりました。
この後は、仙台に戻って旅の〆です。
(つづく)
4年前に石巻駅周辺を訪れたもののここは訪れなかったので
けーすけ兄の希望もあってやっと訪れることができました。
(wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1
災害発生時の避難についての注意書き
現在地から避難目標地点までが記載されていますが、
ピンク色に色づけられているのは東日本大震災の津波が2m以上だった場所。
ここが津波による大きな被害を受けたのかということが分かります。
入ってすぐのところの校舎の近くに
震災当日の様子について説明がありました
wikiにも書いてありますが、津波到達までの50分間、校長不在で指揮系統が機能せず
避難先がすぐ決められないという学校側の対応の不備について問題視され、
遺族が石巻市に対して損害賠償を求める訴訟を起こしたことはニュースで知っていたものの
実際の被災現場と亡くなった人の多さ、被災後の石巻市の対応(隠ぺいなど)への不信感、
ドキュメンタリ―映画として公開されているので私も見たいと思っています。
見つかっていないお子さんが4人いらっしゃいますが、2021年に捜索が終了され、
ある程度で区切るのも分からないではない、とはいえ、見つからないお子さんたちと
その親御さんのことを考えると切ない気持ちになってしまいます。
体育館につながる連絡通路も津波の勢いで破壊されていました。
体育館があった場所です
大川小学校の校歌
これからの明るい未来に向けて羽ばたく子供たちがこの校歌を歌い、
日々勉強に運動に友達との交流に過ごしていた学校、
現在の校舎の姿を見ていたら涙が止まらなくなりました。
子供の声がしない学校は寂しく悲しいものです
机などは撤去されていますが、青空の下で見る校舎、
海から4㌔以上も距離があるここまで北上川を津波が逆流してきたというのが
想像できなかったのですが、この後、敷地内にある伝承館で震災時の様子について
写真で知ることができました。
バスツアーの方々も見学されていたので館内はかなり混んでいました。
かつての連絡通路
津波の勢いで押しつぶされ変形した現在の姿とは全く違います。
上の写真は北上川の河口の様子。左が震災前、右が震災後(2011年10月)。
津波が河口の景色を変え、大川小学校まで4キロ以上の距離を逆流した、
自然の脅威、普段穏やかな自然が一転人間を襲う姿を想像すると、
誰もが想像できなかった規模の災害だったのだと改めて思いました。
遺族の方も石巻市を訴えたくはなかったでしょうし、
訴えたことで心無い人たちからの嫌がらせも多く受けたのではないかと思います。
でも、家族を亡くした無念を隠蔽で責任回避しようとした自治体を訴える、
勝訴しても家族が帰ってこないと分かっていても行動に出た遺族の皆さんを
私は理解していきたいと思います。
1時間くらい校舎や伝承館を観て改めて震災に自分も備えないといけない、
という気持になりました。
この後は、仙台に戻って旅の〆です。
(つづく)