映画「カラーパープル」(1985年版)を観る [映画(か行)]
1985年版のミュージカル版、の映画化が公開されるというのを知り、
じゃあその前にオリジナル作品を観ようかなとAmazonでレンタルして
鑑賞しました。
じゃあその前にオリジナル作品を観ようかなとAmazonでレンタルして
鑑賞しました。
あらすじは映画.comさんより。
1909年、ジョージア州の小さな町で、まだ幼さの残る少女セリーが出産する。
彼女にとって、美しく賢い妹ネッティだけが心の支えだった。
その後、ミスターと呼ばれる横暴な男のもとへ嫁いだセリーは、
奴隷のような扱いを受けるつらい日々を過ごす。
ある日、ミスターが愛人の歌手シャグを家に連れ帰る。
自立の精神を持つシャグとの出会いを通し、
ようやく明るい未来を予感するセリーだったが……。
1909年、ジョージア州の小さな町で、まだ幼さの残る少女セリーが出産する。
彼女にとって、美しく賢い妹ネッティだけが心の支えだった。
その後、ミスターと呼ばれる横暴な男のもとへ嫁いだセリーは、
奴隷のような扱いを受けるつらい日々を過ごす。
ある日、ミスターが愛人の歌手シャグを家に連れ帰る。
自立の精神を持つシャグとの出会いを通し、
ようやく明るい未来を予感するセリーだったが……。
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ウーピー・ゴールドバーグの存在感、時を経ても物凄い。
また観てよかったです。(^-^)
リアルタイム(当時高校生か大学生)で観た作品ですが、
昭和60年代で、人種差別などについて知っていたものの、
これは親が観なかったので未見(ビデオもない時代ですし)、
白人至上主義(有色人種排除的な)のKKK組織に潜入した
FBI潜入捜査官(デブラ・ウィンガー)を描いた作品に少なからずショックを
受けたのはカラーパープルの数年後で、
白人至上主義(有色人種排除的な)のKKK組織に潜入した
FBI潜入捜査官(デブラ・ウィンガー)を描いた作品に少なからずショックを
受けたのはカラーパープルの数年後で、
その数年に観たのがアメリカ南部(黒人差別が普通の時代で驚き)が舞台の作品。
その後、色々なアフリカ系アメリカ人に関する映画を観ましたが、
その後、色々なアフリカ系アメリカ人に関する映画を観ましたが、
奴隷だったハリエットが奴隷制度のない地域を目指して自由をつかむ話や、
アメリカ北部で奴隷でなかったのに誘拐されて奴隷にされ、
再び自由を目指す男性の話など色々作品に触れる中で、
当時の奴隷制度や黒人差別について知る機会を得ましたが、
最初に衝撃を受けたのはやはりこのカラーパープルであって、
また観ようと思いながら、ずっと観られずにいました。
まだ未成年の当時、一番衝撃だったのは、主人公のセリーだけでなく、
セリーが連れていかれた家の主、ミスターの息子、ハーポと結婚したソフィー、
(演じているのはオプラ・ウィンフリー、この作品から飛躍したんですよね)
世の中や家族(男性)自分を守るための知恵や体力を身に着けていますが、
自分の子供たちを市長(白人)の妻に奴隷として連れていかれそうになって
それを阻止しようと市長を殴ってしまう、当時(1900年代前半)は大罪であり、
厳しい拷問で片目がつぶれ、長らくの服役中に黒人が奴隷であると洗脳され、
まったく違う姿で出所する、その場面が何十年経っても自分の脳裏に焼き付いて
どうしても再び観ることができませんでした。
今回、この映画をもとに作られたブロードウェイミュージカル、の映画版が
公開されると知り、やはりおさらいというか向き合ってみないといけないな、
と言う気持で、ミュージカルの映画版公開前日、Amazonでレンタルして
鑑賞し、こうやって記事に書いているわけですが、ソフィーのあの場面、
60近くなってみると当時ほどのショックはなかったものの、やはり衝撃でした。
その他にも、セリーの妹ネティがミスターに追い出される場面、
(ミスターがネティに言い寄ったが急所を攻撃したことで立腹)
何があっても一緒と思っていた妹と引き裂かれるセリー、姉と一緒にいたいのに
それが叶わないネティの様子、ここも覚えていましたが号泣しました。(:_;)
今回観て思い出したのですが、今作の主軸となる女性セリー、ソフィーの他に
酒場の歌手、シャグ(自由奔放さから売女と言われ牧師の父から勘当される)、
彼女もこの作品の主軸でした。
黒人、奴隷、女性であることから虐げられ辛い思いも多3人が、自らの自由を
つかむために愛することを忘れずに、耐えて周囲と戦う強さを観ていると
自分など甘いなと反省することしきりでしたが、彼女たち、というか、
当時の黒人文化から生まれたゴスペルを観ていても、神様の存在は非常に大きく、
神を信じることで強く生きようとする姿が印象的でした。
セリーがミスターの元から去るときに、自分は貧しくて醜くて黒人、
でも生きている!と叫ぶ場面に、生きていれば幸せになることができる、
それは神様を信じていることからそう言えるのかもしれません。
散々セリーに酷いことをしてきたミスターも、最後の最後にはセリーのために
良い行いをする、おそらくそのことによって神様はミスターのことも赦す、
という信仰のように思えたのですが、セリー、ソフィー、シャグが自由に、
そして幸せになっていくのだろうと思いながら観終わって、
今回観る機会が出来てよかった(ミュージカルの映画版がなければ多分見なかった)
と思えた「カラーパープル(1985年版)」でありました。
再び自由を目指す男性の話など色々作品に触れる中で、
当時の奴隷制度や黒人差別について知る機会を得ましたが、
最初に衝撃を受けたのはやはりこのカラーパープルであって、
また観ようと思いながら、ずっと観られずにいました。
まだ未成年の当時、一番衝撃だったのは、主人公のセリーだけでなく、
セリーが連れていかれた家の主、ミスターの息子、ハーポと結婚したソフィー、
(演じているのはオプラ・ウィンフリー、この作品から飛躍したんですよね)
世の中や家族(男性)自分を守るための知恵や体力を身に着けていますが、
自分の子供たちを市長(白人)の妻に奴隷として連れていかれそうになって
それを阻止しようと市長を殴ってしまう、当時(1900年代前半)は大罪であり、
厳しい拷問で片目がつぶれ、長らくの服役中に黒人が奴隷であると洗脳され、
まったく違う姿で出所する、その場面が何十年経っても自分の脳裏に焼き付いて
どうしても再び観ることができませんでした。
今回、この映画をもとに作られたブロードウェイミュージカル、の映画版が
公開されると知り、やはりおさらいというか向き合ってみないといけないな、
と言う気持で、ミュージカルの映画版公開前日、Amazonでレンタルして
鑑賞し、こうやって記事に書いているわけですが、ソフィーのあの場面、
60近くなってみると当時ほどのショックはなかったものの、やはり衝撃でした。
その他にも、セリーの妹ネティがミスターに追い出される場面、
(ミスターがネティに言い寄ったが急所を攻撃したことで立腹)
何があっても一緒と思っていた妹と引き裂かれるセリー、姉と一緒にいたいのに
それが叶わないネティの様子、ここも覚えていましたが号泣しました。(:_;)
今回観て思い出したのですが、今作の主軸となる女性セリー、ソフィーの他に
酒場の歌手、シャグ(自由奔放さから売女と言われ牧師の父から勘当される)、
彼女もこの作品の主軸でした。
黒人、奴隷、女性であることから虐げられ辛い思いも多3人が、自らの自由を
つかむために愛することを忘れずに、耐えて周囲と戦う強さを観ていると
自分など甘いなと反省することしきりでしたが、彼女たち、というか、
当時の黒人文化から生まれたゴスペルを観ていても、神様の存在は非常に大きく、
神を信じることで強く生きようとする姿が印象的でした。
セリーがミスターの元から去るときに、自分は貧しくて醜くて黒人、
でも生きている!と叫ぶ場面に、生きていれば幸せになることができる、
それは神様を信じていることからそう言えるのかもしれません。
散々セリーに酷いことをしてきたミスターも、最後の最後にはセリーのために
良い行いをする、おそらくそのことによって神様はミスターのことも赦す、
という信仰のように思えたのですが、セリー、ソフィー、シャグが自由に、
そして幸せになっていくのだろうと思いながら観終わって、
今回観る機会が出来てよかった(ミュージカルの映画版がなければ多分見なかった)
と思えた「カラーパープル(1985年版)」でありました。