京都旅行記2021~大覚寺編①~ [日本の旅(京都)]
どしゃ降りの雨もすっかり止んだのですが、
靴はぐじゅぐじゅ、からぐじゅ、くらいにしか乾かず、
靴の中で雑菌が元気に繁殖しているような(想像させてごめんなさい)
歩いていても靴の中がどうにも落ち着かないというか、
気持ち悪い状態で大覚寺に到着しました。
門の横に
説明書き
大覚寺(旧嵯峨御所)
嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の本山である。
当山は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院(のち仙洞御所)の一部で、天皇崩御の後の
貞観18(876)年に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。
その後一時荒廃したが、文永5(1268)年に後嵯峨天皇、続いて亀山法皇、
後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成し、時明院統と
皇位継承について争った。
元弘3(1333)年、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇によって建武新政が行われるが、
足利尊氏と対立し、南北朝時代を迎える。明徳3(1392)年当寺で南北両朝の
媾和が成立した。
もう説明読んだだけでお腹いっぱい。(笑)
嵯峨天皇の離宮が前身の門跡寺院なんですね。
狩野山楽の襖絵が楽しみ
受付のおばちゃんがとても感じよくて、ご朱印もお願いすると、
靴を脱いで上がったところの売店で待っていてくださいね、というので、
ぐじゅっとした靴を脱いで靴下を履いたままよりは靴下を脱いだ方がいいかな、と
(いずれにしてもお寺の方々には汚い足でごめんなさいと心中謝りました)
靴下を脱いでビニールに入れて上がりました。
お寺もLINEスタンプを販売する時代
(スタンプ紹介)https://store.line.me/stickershop/product/13271310
自分が買うかというと、微妙。
御輿
後宇多天皇がお使いになった御輿です。
と輿を観ながら右手に進むと売店があるのでそこでご朱印待ち。
靴はぐじゅぐじゅ、からぐじゅ、くらいにしか乾かず、
靴の中で雑菌が元気に繁殖しているような(想像させてごめんなさい)
歩いていても靴の中がどうにも落ち着かないというか、
気持ち悪い状態で大覚寺に到着しました。
門の横に
説明書き
大覚寺(旧嵯峨御所)
嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の本山である。
当山は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院(のち仙洞御所)の一部で、天皇崩御の後の
貞観18(876)年に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。
その後一時荒廃したが、文永5(1268)年に後嵯峨天皇、続いて亀山法皇、
後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成し、時明院統と
皇位継承について争った。
元弘3(1333)年、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇によって建武新政が行われるが、
足利尊氏と対立し、南北朝時代を迎える。明徳3(1392)年当寺で南北両朝の
媾和が成立した。
もう説明読んだだけでお腹いっぱい。(笑)
嵯峨天皇の離宮が前身の門跡寺院なんですね。
狩野山楽の襖絵が楽しみ
受付のおばちゃんがとても感じよくて、ご朱印もお願いすると、
靴を脱いで上がったところの売店で待っていてくださいね、というので、
ぐじゅっとした靴を脱いで靴下を履いたままよりは靴下を脱いだ方がいいかな、と
(いずれにしてもお寺の方々には汚い足でごめんなさいと心中謝りました)
靴下を脱いでビニールに入れて上がりました。
お寺もLINEスタンプを販売する時代
(スタンプ紹介)https://store.line.me/stickershop/product/13271310
自分が買うかというと、微妙。
御輿
後宇多天皇がお使いになった御輿です。
と輿を観ながら右手に進むと売店があるのでそこでご朱印待ち。
LINEスタンプのキャラクターがいました。
スタンプの紹介も
お寺に親近感を感じてもらうためにもこういうスタンプはいいのでしょうね。
と待っていたら、受付の女性が「お待たせしました!」と御朱印帳を持ってきてくれました。
このblogでも何度か書いていますが、神社のご朱印を受付する人って無表情というか
淡々としている人が多いような印象ですが、お寺だとみなさん穏やかというかにこやかというか
温かみを感じます。今回の大覚寺はとても温かい対応でした。
宸殿
右近の橘
遠くに左近の梅が見えます。
狩野山楽の襖絵
この宸殿は、江戸時代の初め、延宝年間に後水尾天皇より
皇后東福門院和子(徳川二代目将軍秀忠の娘)が使用した女御御所の宸殿を賜ったもの。
入口の格子戸は蔀(しとみ)といいその留金部分には蝉の装飾がある。
また、部屋には5つに分かれた正面牡丹の間は格式が高く、天井は折上組格天井になっている。
襖絵は狩野山楽によって描かれたボタン紅白梅松鶴等があり、桃山美術の代表的な作品。
前面の庭には一面に白川砂が敷かれ大海を表しており、正面の右近の橘、左近の梅が
旧御所の名残をとどめている。
と説明に書いてありました。
説明に書いてあった蝉の装飾がどこかも分からぬまま襖絵を撮影したのですが、
月日が経って色合いも渋めになっているのだと思いますが、
当時はもっと豪華に見えたんだろうな、と想像しながら見ました。
(;_:)
関空が陸の孤島になってしまった台風が甚大だったということを
こういう看板からも感じますね。
豪華な空間
こういう広いところを見るとお掃除大変そうだなという下世話なことを
考えてしまいます。(己の狭い部屋の掃除も面倒なくらいなので(^-^;)
白川砂が敷かれたお庭を見ながら順路にそって進んでいくと、
被害状況
台風から2年半経って建物の修復は終わっているのかもしれませんが、
文化財の修復が終了するまでにはまだまだ時間がかかるのでしょうね。
鴨♪
鴨のふわふわした羽毛の様子をじっくり見てしまいました。
まだ宸殿にきただけですが、大覚寺、広いのでもうちょっと記事は続きます。
(つづく)
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