沖縄旅行記2022~ひめゆりの塔&ひめゆり平和祈念資料館編②~ [日本の旅(九州&沖縄)]
ひめゆりの塔に手を合わせ、平和祈念資料館でひめゆり学徒隊や沖縄の多くの方が
命を落とされたことを知り、平和で暮らせることのありがたさを感じた後は、
資料館を出て、敷地内を散策しました。
ひめゆりの石像
静岡県湖西町の瓦職人鈴木啓治氏寄贈の石像だそうですが、
想像で作られたため当時の学徒の姿とは異なっている、と説明に書いてありました。
(寄贈いただいてこの書き方もどうなんだろうと個人的には思いました。(^-^;)
巨大な木
大きな木を観ると、つい、「このーきなんのき、きになるきになるきー」と
歌ってしまう世代ですが、気温の高い場所では木ものびのびしている感じです。
命を落とされたことを知り、平和で暮らせることのありがたさを感じた後は、
資料館を出て、敷地内を散策しました。
ひめゆりの石像
静岡県湖西町の瓦職人鈴木啓治氏寄贈の石像だそうですが、
想像で作られたため当時の学徒の姿とは異なっている、と説明に書いてありました。
(寄贈いただいてこの書き方もどうなんだろうと個人的には思いました。(^-^;)
巨大な木
大きな木を観ると、つい、「このーきなんのき、きになるきになるきー」と
歌ってしまう世代ですが、気温の高い場所では木ものびのびしている感じです。
慰霊碑に手を合わせ もう一度手を合わせました 木を眺めて外に出て
昭和な雰囲気のお土産屋さん
(今営業してるんでしょうか)
沖縄そばにタコライス
お昼は違うところで食べようと思っているのではここでは食べませんでしたが
観光地にしてはお値段が良心的でした。(地元の人もくるのかな)
沖縄のフィギュア
イリオモテヤマネコに沖縄そば、そこに具志堅さんとBEGINって
沖縄の振れ幅ものすごいなー、と改めて思いました。
これが千葉だったら、落花生から銚子電鉄、ふなっしー、くらいで
そんなに振れ幅大きくないですし。(笑))
個人的に具志堅さんのフィギュアが欲しかったのですが多分当たらないだろうな、
と思って外から見るのみで終了しました。(1回500円というのも手を出しづらく)
バスの時間まで20分くらいあったので、再びひめゆりの塔の近くに行くと、
ひめゆり学徒隊の動きについての説明
パネル横の説明をそのまま転記しますと、
(動員)
1945年3月、米軍の上陸作戦開始とともに沖縄の男女学徒は戦場に動員されます。
ひめゆり学徒隊は3月23日、南風原の「沖縄陸軍病院」に配属されました。
戦場の病院は、丘の中腹に掘り巡らされた横穴壕にベッドを備えただけの施設で、
砲煙弾雨の中、学徒は石と看護婦の下、負傷兵の看護や水汲み、伝令、食糧運搬などを
担いました。
4月1日の米軍上陸後の激しい戦闘により負傷兵が急増し、3つの分室ができています。
(撤退)
5月下旬、米軍の攻撃が日本軍司令部のある首里まで迫り、
5月25日、軍の南部撤退命令により、陸軍病院も南部への撤退が始まります。
学徒たちは砲弾と悪路の中をこの南部までたどり着きます。
病院としての機能を失った後も6つの壕に分散して避難し、伝令や水汲み、食糧確保の
任務に当たりました。
(解散)
6月18日夜、緊迫した戦況の中でひめゆり学徒に突然「解散命令」が下されます。
激化する戦場で、負傷した学徒は壕に残され、外に放り出された学徒たちは、
砲弾が飛び交う中、逃げまどい、追い詰められ、多くの命が失われました。
資料館での説明と併せてこの説明を読んで、他の壕の位置をみたら、
歩いて5分くらいのところに伊原第一外科壕があることに気づき、
バスの時間までに速足で行って戻ってこられそうだからと急ぎました。
暑い中、速足で汗だくだく、
車道から細い道に入ったところに伊原第一外科壕がありました。
こういう壕に負傷した兵士が運ばれて暗い中医師が治療し、学徒隊の皆さんが介護し
食糧を運んでいたと思うと、劣悪な環境の中での大変な任務であった上に、
突然の解散命令が出てからは逃げられる場所が米軍が上陸している海岸しかないという
状況の中、たくさんの方が命を落とされ、生き残った人達も自分だけが助かった後悔と
罪悪感、本土上陸を防ぐために沖縄が盾になり、そこでひめゆり学徒隊も日本政府や
軍の方針に翻弄された、と思うと悲しい気持ちになってしまいました。
日頃細かいことであれこれ不満はありますが、今こうやって平和に過ごせることの
ありがたさを感じて手を合わせました。
この後、急いでバス停に戻りましたが、途中で見かけたのが、
ベニバナサンタンカ
(スマホアプリで調べました)南で鮮やかに咲く花という感じですよね。
lovin姐さんゑ
バスの時間の1分前に無事戻ってきたらバスが遅れていたので
近くのお店のメニューや
焼きの回った看板を写メして
糸満バスターミナル行のバスに乗りました。
このあたりのバスは前乗り、前降りで2回OKIKAをタッチしましたが、
(私が住んでいるところは後ろ乗り、前降りで2回Suicaをタッチ)
那覇市内の違うバス会社のバスは前乗りで一度タッチすれば(定額運賃)
降車は後ろからでタッチ不要だったりして、知らない土地でバスに乗るとき
土地ごとにルールが違っていたりするのはなかなか慣れないものですね。(^-^;バスの車内で転倒するのも怖いのですが
それ以外でも転倒しないように気を付けないと、私。(もう骨折したくない)
途中、こじんまりした食堂や
沖縄ぽい家
台風などが多い土地でこういう庇が広い家が多いのかなと思いました。
ほどなくして糸満市場に到着したのでバスを降り、市場に向かいます。
伊久保菓子店
前日ローソンで見かけたふちゃぎのような沖縄ぽいお菓子のお店かと思ったら、
焼き菓子やケーキなどの洋菓子が中心のお店でした。
(慶弔時に使うようなお餅や落雁もあるみたいです)
年季の入ったお家を通り
糸満市場いとまーるに到着
ここでお昼をいただきます!
(つづく)
昭和な雰囲気のお土産屋さん
(今営業してるんでしょうか)
沖縄そばにタコライス
お昼は違うところで食べようと思っているのではここでは食べませんでしたが
観光地にしてはお値段が良心的でした。(地元の人もくるのかな)
沖縄のフィギュア
イリオモテヤマネコに沖縄そば、そこに具志堅さんとBEGINって
沖縄の振れ幅ものすごいなー、と改めて思いました。
これが千葉だったら、落花生から銚子電鉄、ふなっしー、くらいで
そんなに振れ幅大きくないですし。(笑))
個人的に具志堅さんのフィギュアが欲しかったのですが多分当たらないだろうな、
と思って外から見るのみで終了しました。(1回500円というのも手を出しづらく)
バスの時間まで20分くらいあったので、再びひめゆりの塔の近くに行くと、
ひめゆり学徒隊の動きについての説明
パネル横の説明をそのまま転記しますと、
(動員)
1945年3月、米軍の上陸作戦開始とともに沖縄の男女学徒は戦場に動員されます。
ひめゆり学徒隊は3月23日、南風原の「沖縄陸軍病院」に配属されました。
戦場の病院は、丘の中腹に掘り巡らされた横穴壕にベッドを備えただけの施設で、
砲煙弾雨の中、学徒は石と看護婦の下、負傷兵の看護や水汲み、伝令、食糧運搬などを
担いました。
4月1日の米軍上陸後の激しい戦闘により負傷兵が急増し、3つの分室ができています。
(撤退)
5月下旬、米軍の攻撃が日本軍司令部のある首里まで迫り、
5月25日、軍の南部撤退命令により、陸軍病院も南部への撤退が始まります。
学徒たちは砲弾と悪路の中をこの南部までたどり着きます。
病院としての機能を失った後も6つの壕に分散して避難し、伝令や水汲み、食糧確保の
任務に当たりました。
(解散)
6月18日夜、緊迫した戦況の中でひめゆり学徒に突然「解散命令」が下されます。
激化する戦場で、負傷した学徒は壕に残され、外に放り出された学徒たちは、
砲弾が飛び交う中、逃げまどい、追い詰められ、多くの命が失われました。
資料館での説明と併せてこの説明を読んで、他の壕の位置をみたら、
歩いて5分くらいのところに伊原第一外科壕があることに気づき、
バスの時間までに速足で行って戻ってこられそうだからと急ぎました。
暑い中、速足で汗だくだく、
車道から細い道に入ったところに伊原第一外科壕がありました。
こういう壕に負傷した兵士が運ばれて暗い中医師が治療し、学徒隊の皆さんが介護し
食糧を運んでいたと思うと、劣悪な環境の中での大変な任務であった上に、
突然の解散命令が出てからは逃げられる場所が米軍が上陸している海岸しかないという
状況の中、たくさんの方が命を落とされ、生き残った人達も自分だけが助かった後悔と
罪悪感、本土上陸を防ぐために沖縄が盾になり、そこでひめゆり学徒隊も日本政府や
軍の方針に翻弄された、と思うと悲しい気持ちになってしまいました。
日頃細かいことであれこれ不満はありますが、今こうやって平和に過ごせることの
ありがたさを感じて手を合わせました。
この後、急いでバス停に戻りましたが、途中で見かけたのが、
ベニバナサンタンカ
(スマホアプリで調べました)南で鮮やかに咲く花という感じですよね。
lovin姐さんゑ
バスの時間の1分前に無事戻ってきたらバスが遅れていたので
近くのお店のメニューや
焼きの回った看板を写メして
糸満バスターミナル行のバスに乗りました。
このあたりのバスは前乗り、前降りで2回OKIKAをタッチしましたが、
(私が住んでいるところは後ろ乗り、前降りで2回Suicaをタッチ)
那覇市内の違うバス会社のバスは前乗りで一度タッチすれば(定額運賃)
降車は後ろからでタッチ不要だったりして、知らない土地でバスに乗るとき
土地ごとにルールが違っていたりするのはなかなか慣れないものですね。(^-^;バスの車内で転倒するのも怖いのですが
それ以外でも転倒しないように気を付けないと、私。(もう骨折したくない)
途中、こじんまりした食堂や
沖縄ぽい家
台風などが多い土地でこういう庇が広い家が多いのかなと思いました。
ほどなくして糸満市場に到着したのでバスを降り、市場に向かいます。
伊久保菓子店
前日ローソンで見かけたふちゃぎのような沖縄ぽいお菓子のお店かと思ったら、
焼き菓子やケーキなどの洋菓子が中心のお店でした。
(慶弔時に使うようなお餅や落雁もあるみたいです)
年季の入ったお家を通り
糸満市場いとまーるに到着
ここでお昼をいただきます!
(つづく)