沖縄旅行記2022~ひめゆりの塔&ひめゆり平和祈念資料館編①~ [日本の旅(九州&沖縄)]
やっと来ることができたひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館ですが、今年4月にリニューアルしたんですね 献花の販売所は開店前でした
資料館が9時開館なのでその少し前に着くバスでやってきたのですが、
バスは貸切だったものの、車でいらっしゃる方が大半のようで思っていたより
多くの人を見かけました。
やっと来られました
映画「ひめゆり」でもここで兵士の手当てをしたひめゆり学徒隊で
この沖縄陸軍病院第三外科壕で兵士の手当てを行った方のお話を聞きましたが、
解散命令が出た後、ここに米軍がガス弾をうちこんで多くの方が命を落とした場所、
命を落とされた日本軍の兵士と学徒隊の皆さんに向けて手を合わせました。
ひめゆりの塔の左奥に進んでいったところに資料館があります。
(ひめゆり平和祈念資料館ホームページ)https://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html
(資料館の紹介ビデオ)https://youtu.be/tQMTA5PucBs
手前で見かけたお花
最近スマホにアプリを入れたので「ベンガルヤハズカズラ」という名前の
熱帯で年間通して咲く薄紫のきれいなお花でした。
入口に入って入館料450円を支払ったのですが、スタッフの女性が無表情で
ちょっと拍子抜けしながら中に進みました。
館内は撮影禁止です
資料館が9時開館なのでその少し前に着くバスでやってきたのですが、
バスは貸切だったものの、車でいらっしゃる方が大半のようで思っていたより
多くの人を見かけました。
やっと来られました
映画「ひめゆり」でもここで兵士の手当てをしたひめゆり学徒隊で
この沖縄陸軍病院第三外科壕で兵士の手当てを行った方のお話を聞きましたが、
解散命令が出た後、ここに米軍がガス弾をうちこんで多くの方が命を落とした場所、
命を落とされた日本軍の兵士と学徒隊の皆さんに向けて手を合わせました。
ひめゆりの塔の左奥に進んでいったところに資料館があります。
(ひめゆり平和祈念資料館ホームページ)https://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html
(資料館の紹介ビデオ)https://youtu.be/tQMTA5PucBs
手前で見かけたお花
最近スマホにアプリを入れたので「ベンガルヤハズカズラ」という名前の
熱帯で年間通して咲く薄紫のきれいなお花でした。
入口に入って入館料450円を支払ったのですが、スタッフの女性が無表情で
ちょっと拍子抜けしながら中に進みました。
館内は撮影禁止です
館内は6つの展示室で構成されています。
第一展示室は「ひめゆりの青春」。
「ひめゆり」の愛称で親しまれていた沖縄師範学校女子部と県立高等女学校、
明るく過ごす生徒たち、長期化する戦争によって軍事化されていき、
1945年3月23日米軍が沖縄上陸を開始し、ひめゆりからも240名が動員されるまで
説明されています。
明るい生徒たちの表情、卒業後は学校の先生になることを目指して勉学に勤しんで
いた彼女たちが卒業式直前に動員される、明るい未来を思い描いていた彼女たちに
とってお国のためとはいえ急な招集で動揺した方も多かったのではないか、
16歳から19歳くらいまでの若い女性たちの環境の急激な変化を想像してみたものの
想像が及ばない部分の方が多いのではないかという気持で見学しました。
第二展示室は「ひめゆりの戦場」。
動員されたひめゆり学徒隊240名が配置されたのが南風原の沖縄陸軍病院。
病院といっても壕(洞窟)、ジオラマ展示のほか、ゆめゆりの証言ビデオ
(これは映画で観たものと同じでした)
当時使われていた医療器具などが展示されていましたが、限られた器具や薬品、
負傷して腕や足を切断した兵士(彼らも若い年代で戦っていたんですよね)の
看病をするひめゆりたち、映画館でも聞いた話ですが、この資料館で聴いている方が
より当時のことが想像しやすいような気がしました。
兵士が亡くなるとき「天皇陛下、万歳」と叫ぶものだと聞かされていたひめゆりたち、
実際そうやって叫ぶ人はおらず、お母さんや家族のことを口にして亡くなる人ばかりだった
という証言動画を見て、解散命令が出た後、学徒隊の方々が米軍につかまるくらいなら
死んだ方がいい、でも死ぬ前にお母さんに会いたい、と言っていたことと重なりました。
第三展示室は、「解散命令と死の彷徨」。
1945年6月18日、突然の解散命令が出て、米軍が迫って来た前線に放り出された
ひめゆりたちと兵士たち。
その後数日間で100名あまりのひめゆりたちが命を落としたのですが、
米軍の映像と生き残ったひめゆりたちの証言ビデオが流れて一巡するまでの1時間、
ずっと見続けました。
米軍につかまったら酷いことをされると聞かされていたのが全然そういうことがなく、
死ぬのを覚悟して捕まったが本当は生きたかったのかもしれない、
怪我をした同級生を壕の中に置いてきてしまって自分だけ生き残ったことへの後悔、
自分が生きているのは亡くなった同級生が語れなかった戦争について生きている間、
語り継いでいくことではないかと思うようになったというお話に、
そのお陰で私自身も柴田監督の映画を観て、今回ここにやってくることができたのだと
改めて思いました。
(途中、小さな子どもが座ろうとしたら母親が「これは見ないからきなさい」と言って
ビデオを観ずに連れて行ったのですが、この資料館に来て子供に何を知ってほしいのか、
何しにきたんだろうと思ってしまいました。( 一一))
第四展示室は、「鎮魂」。
沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒隊と教師が紹介されています。
それぞれの方の消息についても記されていますが、詳細不明、消息不明の方も多く、
自決された方も多かったのですが、生存者の方々の証言本を観ると、自決せずに
生きてほしかった(でも当時は捕まることは恥と教えられていたんですよね)と
思いました。
第五展示室は、「回想」、第六展示室?は、資料館などで語り継ぐ証言員の方々の
ビデオが流れていました。
映画でも証言されていた方々でしたが、映画から年月が経っているのでずいぶんお年を
召されたのが印象的でした。
資料館で証言する活動を始めた頃、気持ちが落ち着かずにきちんと説明できず、
他の証言員に相談してから、資料館に着いたらまず展示室に飾られている同級生の遺影に
挨拶して気持を落ち着けて話せるようになったという話が印象的でした。
また、政治家に対して、争いが二度と起きないよう政治家も学んでほしい、
世界が平和であるように、辛い思いが弱い人の上に降り注がないようにしてほしい、
優しい心があれば戦争はなくなるという言葉に、税金無駄遣いばかりが取りざたされる
今の政治家に年に一度はこの資料館にきて証言員の皆さんの語る言葉に耳を傾けて
(それこそ耳を傾けるのが得意な首相に)ほしいと思いました。
展示室のビデオは2014年に撮影されたもので、当時は証言員が10人いたそうですが、
今年「ひめゆり」を観て柴田監督のトークショーで、現在は1人、体調の良い時に
バスに数時間乗ってやってきて証言されるというお話を聞いて、
皆さん90代半ばを越えて資料館にやってきて語るには体力的に厳しい、と思うと、
もっと早くひめゆり学徒隊について知って資料館にきて証言員の方が語るお話を
聞きたかなったな、と思いました。
結局資料館に3時間くらい滞在したのですが、映画を観て沖縄とこの資料館に導かれ、
やっと見学することが出来たことに感謝しました。
想像が及ばない部分の方が多いのではないかという気持で見学しました。
第二展示室は「ひめゆりの戦場」。
動員されたひめゆり学徒隊240名が配置されたのが南風原の沖縄陸軍病院。
病院といっても壕(洞窟)、ジオラマ展示のほか、ゆめゆりの証言ビデオ
(これは映画で観たものと同じでした)
当時使われていた医療器具などが展示されていましたが、限られた器具や薬品、
負傷して腕や足を切断した兵士(彼らも若い年代で戦っていたんですよね)の
看病をするひめゆりたち、映画館でも聞いた話ですが、この資料館で聴いている方が
より当時のことが想像しやすいような気がしました。
兵士が亡くなるとき「天皇陛下、万歳」と叫ぶものだと聞かされていたひめゆりたち、
実際そうやって叫ぶ人はおらず、お母さんや家族のことを口にして亡くなる人ばかりだった
という証言動画を見て、解散命令が出た後、学徒隊の方々が米軍につかまるくらいなら
死んだ方がいい、でも死ぬ前にお母さんに会いたい、と言っていたことと重なりました。
第三展示室は、「解散命令と死の彷徨」。
1945年6月18日、突然の解散命令が出て、米軍が迫って来た前線に放り出された
ひめゆりたちと兵士たち。
その後数日間で100名あまりのひめゆりたちが命を落としたのですが、
米軍の映像と生き残ったひめゆりたちの証言ビデオが流れて一巡するまでの1時間、
ずっと見続けました。
米軍につかまったら酷いことをされると聞かされていたのが全然そういうことがなく、
死ぬのを覚悟して捕まったが本当は生きたかったのかもしれない、
怪我をした同級生を壕の中に置いてきてしまって自分だけ生き残ったことへの後悔、
自分が生きているのは亡くなった同級生が語れなかった戦争について生きている間、
語り継いでいくことではないかと思うようになったというお話に、
そのお陰で私自身も柴田監督の映画を観て、今回ここにやってくることができたのだと
改めて思いました。
(途中、小さな子どもが座ろうとしたら母親が「これは見ないからきなさい」と言って
ビデオを観ずに連れて行ったのですが、この資料館に来て子供に何を知ってほしいのか、
何しにきたんだろうと思ってしまいました。( 一一))
第四展示室は、「鎮魂」。
沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒隊と教師が紹介されています。
それぞれの方の消息についても記されていますが、詳細不明、消息不明の方も多く、
自決された方も多かったのですが、生存者の方々の証言本を観ると、自決せずに
生きてほしかった(でも当時は捕まることは恥と教えられていたんですよね)と
思いました。
第五展示室は、「回想」、第六展示室?は、資料館などで語り継ぐ証言員の方々の
ビデオが流れていました。
映画でも証言されていた方々でしたが、映画から年月が経っているのでずいぶんお年を
召されたのが印象的でした。
資料館で証言する活動を始めた頃、気持ちが落ち着かずにきちんと説明できず、
他の証言員に相談してから、資料館に着いたらまず展示室に飾られている同級生の遺影に
挨拶して気持を落ち着けて話せるようになったという話が印象的でした。
また、政治家に対して、争いが二度と起きないよう政治家も学んでほしい、
世界が平和であるように、辛い思いが弱い人の上に降り注がないようにしてほしい、
優しい心があれば戦争はなくなるという言葉に、税金無駄遣いばかりが取りざたされる
今の政治家に年に一度はこの資料館にきて証言員の皆さんの語る言葉に耳を傾けて
(それこそ耳を傾けるのが得意な首相に)ほしいと思いました。
展示室のビデオは2014年に撮影されたもので、当時は証言員が10人いたそうですが、
今年「ひめゆり」を観て柴田監督のトークショーで、現在は1人、体調の良い時に
バスに数時間乗ってやってきて証言されるというお話を聞いて、
皆さん90代半ばを越えて資料館にやってきて語るには体力的に厳しい、と思うと、
もっと早くひめゆり学徒隊について知って資料館にきて証言員の方が語るお話を
聞きたかなったな、と思いました。
結局資料館に3時間くらい滞在したのですが、映画を観て沖縄とこの資料館に導かれ、
やっと見学することが出来たことに感謝しました。
この後は、資料館を出て近くを散策します。
(つづく)