映画「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」を観る [映画(な行)]
「旅人は夢を奏でる」と二本立てで観た作品。
あらすじはYahoo!映画さんより。
100万ドルが当たったという通知を受け取ったウディ(ブルース・ダーン)。
それはどう見てもインチキだったが、徒歩でもモンタナからネブラスカまで
金を受け取ろうとするウディに息子のデイビッド(ウィル・フォーテ)が付き添うことに。
こうして始まった父と息子の4州をまたぐ車での旅。
途中、立ち寄った父の故郷で、デイビッドは父の意外な過去を知ることになる。
この作品、、
これらと同じ、アレクサンダー・ペイン監督なんですね。
後で知りましたが、確かにそうかな、と思う作品です。
邦題、「ネブラスカ」だけでいいのにな。
どうして余計なフレーズを後ろにくっつけちゃうのかな、と思ってしまいました。。。
って、いつものように邦題に違和感、な話を書いてしまいましたが、
インチキ話に騙される父親をネブラスカまで連れていく息子、
2人の自動車旅に賞金を受け取れないのは分かっていながら温かい気持ちで観終わりました。
お父さん、インチキ当選話を信じ込み、周囲にそれはインチキだと言われても信じない、
皆が反対するなら、じゃあ歩いてネブラスカに行ってやる、と高速を歩いておまわりさんにみつかり
そんな姿を見たら、本人の気が済むならと結果が分かるまで夢を見せてもいいのかな、と
二男のデイビッドがモンタナ州からネブラスカ州までの1500㌔、車で連れていくことにします。
それまでの珍道中なのですが、
昔から酒呑みのウディはバーでビールを飲んでも「これは水、アルコールじゃない」と言い張り、
なのに酔って入れ歯を落として、デイビッドと一緒に探す始末。
みつかっても「これはオレのじゃない」と言い張るものの、かぱっとはまってめでたし。(笑)
ボケたアル中ジイサンのウディを優しく見守る息子のデイビッド、の2人の自動車旅も
賞金受け取りで指定されたネブラスカ州リンカーン、という手前で小休止。
ウディと妻ケイトが昔過ごした場所に立ち寄り、昔の仲間や親戚たちとの再会を果たします。
最初のうちは懐かしく和気藹藹だったのが、クジに当選したというウディに皆態度が変わります。
酒代を工面できないウディに貸した金を返してくれ、という友人、親戚、
昔仲良かったよしみ、自分だけ大金を手にするのは不公平だから分けろという友人たち。
後からやってきた長男ロス、妻ケイトが違うと言っても誰もそれを信じない。
そして、ウディが後生大事にもっていた当選のお知らせが盗まれて、、
それがインチキと分かって今度は笑いものにされてしまい、、更に、ウディ発作で倒れる。
もうなんだかな、って感じなのですが、それでもウディはネブラスカに行くと言い張り、
結局、当選通知に書かれた住所まで連れていき、当選番号が一致しません、という言葉だけで、
賞金ももらえず、モンタナに戻ることになります。。。
(まあ当たっていないのはウディ以外分かってましたが)
そこからが、気持ちホッコリな展開になって、映画は終わります。
ウディが賞金で買いたかったのは、
ピックアップトラック、とコンプレッサ(以前知り合いにとられてもっていなからという理由)。
それだと賞金を使いきれないだろう、と言われて、あとは息子たちに残したかったというのですが、
ボケたオジイチャンが、そんなことを言うので、息子(デイビッドとロス)たちは驚きます。
酒呑みで家庭に迷惑をかけた父親として、せめて残せるものを、、と思ったのではないかな、
そんな気持ちになりました。
息子たちが小さい頃、家庭が大変だったことは、
親戚たちから賞金を分けろ、借金を返せ、と詰め寄られたときに母親ケイトが言い返す、
その場面で推測できるのですが、ケイトもただただ口うるさいオバアサンではなく、
若い頃はダンナのせいでそれは苦労を重ねた人だったんだろう、家庭を支える為に
どれだけ苦労したんだろう、、、そんなことがわかる場面でした。
あとは、ウディがどうして酒飲みアル中になってしまったかも。
ある意味、時代に翻弄されてしまった優しい人だったのかもしれません。
その場面までは、昔はみんな私を狙ってた、と下品なことを次々口にして、
息子に「お母さん、お願いだからそういう話はやめて」と制止されるくらいの口悪オバアサン、
としか思えなかったので。(笑)
このロードムービー、ウディとケイトが新しい生活を求めて移り住むために移動した道路を、
ボケたウディが当選したと信じきっている賞金をもらう為に逆行していく、、、
若い頃の人生にたどった道を、老いた今、辿り返す、、そんな旅であったようにも思えました。
お金が絡んだ途端、人間醜くなるのも観ていて、笑いながら嫌な気分にもなりましたが、
人生がもう終わりに近づいてきた時、今回はボケてはいたものの、振り返ってみるのがよいのかな、
思い残すことはないかな、そう考える時間があってもよいのかな、なんて気持ちになった
「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」でありました。
演じていた役者さん達(ウディ:ブルース・ダーン、デイビッド:ウィル・フォーテ、ケイト:ジューン・スキップ)
みなさん、好演です!
映画「任侠ヘルパー」を観る [映画(な行)]
SMAPは別に好きでも嫌いでも、、ですが、ドラマ見てた関係で借りました。
あらすじはAmazonさんより。
コンビニで働きながら細々と暮らしていた元極道者の翼彦一は、
ある事件がきっかけで逮捕されてしまう。
出所後、ツテを頼って極鵬会という組を訪れた彦一は、再び裏の仕事に手を染め始めるが…。
ぷー太郎時代、夕方の再放送をずっと見ていて結構面白いな、と思っていたドラマですが、
その映画版、、楽しめました。
草彅君は別に好きじゃないけど、SMAPの中では演技が結構いいなと思いますねぇ。
もちろん極道は反社会でよろしくありませんが、
人間がたとえボケても人間として生活できる、、、
今後の高齢者社会にどう対処するべきなのか、、、考えるという点で見ていました。
箱が立派でも中身がひどければ人間、どんどん廃れていく。
彦一が任される老人ホームはボロボロで、人を人として扱わないようなところ、
それを彦一は人間らしく生きられるように入居者を巻き込んで変えていきます。
そんなに一朝一夕に変わるか、、とは思いますが、
介護する側の大変さを考えるといつまでも自宅介護すべきではなく、
こういう施設も必要になってくるのでしょうね。
自分の親も高齢者、わたしもいずれ高齢者になっていく、、、そう考えると、
彦一のような人が運営する施設が増えて待機せずに入れるようになってほしいと
観ながらしみじみ思いました。。。
ドラマと全然キャストが違うのですが、黒木メイサが出て、、、ちょっとほっとしました。(^_^.)
自分のことをダンナと勘違いした入居者のオバアチャンに手を振られて
照れながら手を振り返す彦一、、、そんなところにもホンワカした気持ちになりましたねぇ。
極道もの、、、というのは殆ど見たことがないのですが、(ゴクツマ1本だけ)
これは極道ものというより、現代社会の抱える問題を極道という視点を遣いながら
描いた作品なのかな、と思いました。
ドラマを観た人も見ていない人も、
暴力描写はありますが温かい気持ちになれる「任侠ヘルパー」でありました。
しかし、香川照之、、、あっちにもこっちにも出てるねぇ。(笑)
映画「二重被爆」を観る [映画(な行)]
以前テレビで見てこういう方がいらっしゃることを知ったのですが、
映画でもあると知り、借りて観ました。
内容はAmazonさんより。
1945年8月、米国は「戦争終結のため」という美名のもと、
人間の肉体と精神の尊厳を破壊し尽くす原子爆弾を広島・長崎の2つの都市に投下した。
しかもわずか3日間、75時間、直線距離にして約300キロ。
両市で直接被爆するかもしれないと考えられなかった米国の無思慮ぶりは?
既に戦意喪失の日本に対し、2度も原子爆弾を落としたのは何故か?
一方驚くべきことに「二重被爆者」の存在は歴史の中に埋もれたまま、
60年間独自の聞き取り調査はされなかった。
「キノコ雲に広島から長崎まで追いかけられてきたんじゃないかと思った。」と語る山口彊さん。
この映画を通じて、人種や言葉を超え、原爆の非人道性を世界に伝える行動が始まる。
原爆投下から2週間以内に広島、長崎両市に入り、
残留放射能を浴びた二重被爆者は165人、
そして、山口さんのように両市で直接原爆投下に遭遇したのが9人確認されました。
これらの二重被曝された7人の方がカメラの前で当時のことを語ってくれる作品です。
山口さんは三菱重工造船所の設計技師として、長崎から広島に出張しているときに被曝し、
その後、長崎の家に戻ったところでさらに原爆投下に遭遇して被曝します。
山口さんが「きのこ雲が広島から長崎まで追いかけてきたかと思った」と思ったのも、
何がおきたか分からずそう思ってしまったんでしょうね。
山口さんの同僚の岩永章さんは
「原爆の威力を示したかったら広島だけでよかったのではないか」と語ります。
小学校1年生で広島で原爆投下に遭遇し、その後、叔父を頼って向かった長崎で再び被曝された
浦頭和子さんは「原爆の臭いは今でも忘れない」と話します。
被爆者手帳を持つ山口さんは、1994年の被爆者援護法の改訂後、
被爆した都市を一か所書くのみとなった為、被爆した都市は長崎のみの記載になっています。
被曝されていることが分かればいいから、という理由なのかもしれませんが、
ご本人の心情としてみたら納得しがたいものがあるのではないかな、と思いました。
これまでの経験を山口さんたち二重被爆者の方々が語らなかったのは、
思い出したくなかった気持ちが強かったのかな、と思いました。
ただ、原爆投下から60年経ち、広島、長崎の歴史が風化していってはいけないとの思いから
語ることを決意されたのだと思います。
「二重被爆して90まで生きると思っていませんでした。語るために生かされたんだと思います。」
そう山口さんが語るのですが、
片耳の張力を失い、後遺症と闘いながらも、そういう気持ちで語ることを決意し、
語りながらも時折その時のことを思い出して嗚咽する姿に、
私自身は直接戦争を経験した世代ではないものの、こういう歴史を忘れてはいけないし、
核保有国がこういうことを二度を起こさない為にも、核廃棄に向かってほしいと思いました。
山口さんの映像をアメリカとフランス、中国で上映したことも作品の途中で映されるのですが、
映像を見たあるフランス人が山口さんが90歳で元気そうなのに矛盾を感じると
感想を述べる場面があるのですが、後遺症があるし、何よりいつまでも心を蝕み続ける記憶と
闘っていることを理解できないからなのか、と残念に思いました。
(中国で第二次大戦の見地からは日本も中国に残虐なことをしたから公平だと語る子供が
うつされるのですが、今後どうすべきか、ということも考えてほしいと思いましたね)
BBCのコメディ番組で山口さんを「世界一運の悪い男」と嘲笑し問題になりましたが、
こういうことを言える頭の可笑しい人につける薬はないのかもしれませんが、
どれだけ酷いことだったか知らない無知ゆえのことだったかもしれません。
日本政府ももっと抗議すべきだと思いましたが。
私自身、関東で生まれ育ち、西に親戚がいないのもあって、
第二次世界大戦というと浅草に住んでいた大叔母さんから聞いた東京大空襲の話で、
それでさえ想像したら幼心に怖かったのを今でも覚えています。
(隅田川に爆弾投下後、熱い熱いと沢山の人が飛び込んで亡くなった話が忘れられません)
原爆を投下したアメリカを憎むような教育はすべきでないと思いますが
(若い人で第二次世界大戦でアメリカが敵国だったと知らない人がいるのを以前テレビで見て
物凄く驚いちゃったんですけどね)
原爆投下で一般市民がたくさん犠牲になったこと、核を使うことが非常に恐ろしいこと、
こういうことは今後も語り継いでいくべきですし、
核を保有する国に対して、毅然とした態度で放棄すべきと言えるような人に育てるべき。
何の脚色も演出もなく、みなさんが語り続ける作品です。
だからこそ、見た人それぞれ、感じることがたくさんあると思います。
多くの人に見てほしい作品「二重被曝」でありました。
映画「NOセックス、NOライフ!」を観る [映画(な行)]
タイトルみて驚いたんですが、これは邦題のつけかたが酷いというか、
原題は“Trsut The Man”、です。 とりあえず、あらすじを見て借りてみました。
あらすじはamazonさんより。
ニューヨークに暮らす専業主夫のトムと舞台女優のレベッカは、
一見、とても幸せそうな円満夫婦。
しかし、彼らの幸せは表面上だけで、二人はセックスに問題を抱え、
夫婦でカウンセリングに通っていたのだ。
結婚そのものが失敗だったのではと思い悩むレベッカ、
そしてトム自身も、心のうちをレベッカに伝えられないでいた。
一方、レベッカの弟トビーは小説家志望のエレインと8年付き合っているが、
結婚を望むエレインとの関係はぎくしゃくし始めていた……。
本筋と全然関係ないんですが、ジュリアン・ムーアってこんなにシミがあったんすか。(-.-)
白人の方は年をとるとシミも増えてくる、、ってイメージなんですが、
観ていて途中からそれが気になっちゃってもう。。
多分、ずっと見てはいるものの本筋に入り込めなかったからかもしれません。。
これは日本では未公開なんでしょうかね。(Youtubeで字幕付きを探したものの見つからず)
専業主夫のトム(デヴィッド・ドゥガブニー)と舞台女優のレベッカ(ジュリアン・ムーア)が
カウンセリングに通うシーンが初めに出てくるのですが、
一日二回は交わりたいと思う夫と、そんなにしなくても、と思う妻、そんなすれ違いから
トムは働きに行く妻を見送り子供を育てている、、、そんなことへの不満もあったりして、
保育園で知り合った母子家庭のパメラ(ダグマーラ・ドミンスク)と関係を持ってしまったり、
広告で気になったセックス依存症のグループに参加したりしますが、
結局浮気がばれてレベッカに別居を言い渡されてしまいトホホ、、となってしまいます。
レベッカの弟トビー(ビリー・クラダップ)と同居して8年のエレイン(マギー・ギレンホール)は
結婚して子供がほしいと思うものの、トビーがエレインの気持を受け入れることができず
そんなときに昔からの女友達(新婚)のフェイ(エヴァ・メンデス)と浮気してしまったりと煮え切らず
エレインから切り出して別れてしまいます。
レベッカは舞台で共演する年下の俳優に言い寄られますがそんな気にはなれず、
エレインも外国人の男性と付き合うものの、しっくりしません。
とはいえ、映画なので最後には仲直りしてめでたしめでたし。
いつまでも煮え切らないトビーにはイマイチ共感できませんが、
(エレインの結婚したい気持ちがよーくわかるだけに)
専業主夫のトムが何かに依存したくなるのって分からなくもないような。
この作品は、ダンナがパイロットで家を留守にしっぱなしで、
奥さん(メグ・ライアン)がアルコール依存症にどっぷりはまっていく映画なのですが、
こういうのに比べると、今作はセックス依存症、とはいえ、浅めな感じでした。
トムを演じたデヴィッド・ドゥガブニーは実生活でもこの手の依存症で施設に入院した、とか
(ここに書いてありました)→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AB%E3%83%B4%E3%83%8B%E3%83%BC
ま、アメリカの有名人って何かしら依存症になって入院って多いので特に驚きはしませんが、
映画で演じた後に実生活でも、、、ってのがちょっと。(笑)
セックスレスの夫婦、、、という設定だからか、セリフも少々きわどかったし、
エロビデオを奥さんが描写するのを(ビデオを観ないで)ダンナが聞いて興奮する、なんて
場面もあり(奥さん、舞台女優なんで、女優の肌のことも妙に細かく描写していました)
こういう問題ってのは、男と女でも考え方が違うからかな、なんて思ったり。
最後は、まあ普通に2組のカップルが元のさやにおさまってめでたし、なので
それはそれでいいものの、それが逆に普通過ぎてつまらないかな、ってのもありましたが、
中年が観ると「ああ、それわかる」って部分もある作品かと思います。
ただし、殿方が見てもちっとも面白くはなさそうですが。(-.-)
多分、日本で公開されたとしても(されたのかもしれませんが)単館上映でもどうかな、
って感じの作品だとは思いますが、何本か借りるときは一本混ぜてもらってもいいかな、
でも、そんなに面白くもないし、取り立ててオススメはできないかな、って感じの
「NOセックス、NOライフ!」でありました。
映画「ねこばん」を観る [映画(な行)]
久しぶりの映画記事、、ちょっとだけ続けます。
(長くは続けられません(ーー;)ので皆さんご安心ください(笑))
タイトルに「ねこ」が入っていただけで借りた作品です。(最近すっかりこのパターン)
あらすじはamazonさんより。
無趣味で頑固な元鉄道員。
退屈な日常を変えてくれたのは、家にフラっとやってくる猫たちだった。
根本勲(伊武雅刀)、60歳。電車の運転士を定年退職して3か月。
妻の敏子(りりィ)は習い事を始め、昼間は留守がち。
そんな時間を持て余す彼の家の庭には、毎日違う猫がフラっとやってくるのだった。
ある日、娘から5歳の孫ちずるの世話を任され困り果てる根本。
まったく懐かない孫娘を横目に、妻からの指令で慣れない家事をこなして悪戦苦闘。
そこに女性ものの下着を首に巻いた猫が現れて、あとを追って屋根に登ったはいいが、
ハシゴが外れて降りられなくなってしまった!家の中には孫娘と沢山の猫たち。
屋根の上に一人残された根本の運命はいかに!
あらすじはどうでもいい感じ(笑)のホノボノした映画でした。
定年で仕事をやめてから毎日自宅で毎日過ごすことになった趣味もないオジサン、
その悲哀みたいなもんを描いているとは思うんですが、
オジサンを演じているのが伊武雅刀で、ワタクシ的にはちょっとダメでした。。
観ているとどうしても思い出すのが、
これになっちゃって。(笑)
スネークマンがランニングにステテコ姿で猫を追いかける、
明らかにオカシナ視点で映画を見ていた自分がおりました。(^_^.)
どこかで干してあったド派手なパンティを頭にかぶってやってきた猫を観たスネークマン、
自分の奥さんのものかと思って追いかけて梯子で屋根に上り、
やっとのことで猫をつかまえ下着を確保するものの、奥さんのものにしては派手過ぎるし、
と隣の家の物干しを見て隣のオバチャンのものだと気づいたところで、
梯子が外れて降りられなくなってしまいます。
でも、自分がパンティ泥棒と思われたくないと思ったスネークマンは
屋根にいた猫に再びパンティかぶせて隣に家に向かわせる、、、のですが、
このシチュエーションが面白いのかどうか、、観ていてもよく分かりませんでした。
同じ猫ものだったら、
こちらの方が物語としては見ていて面白いような気がします。
とはいえ、この作品、パッケージにもある通り、
子猫の可愛いところが沢山写るのはよかったかもしれません。
猫が鏡に映る自分の姿に驚いたり、スネークマン寝ている首筋にもぐりこもうとしたり、
至るところ、家の中でも外でも猫が好き勝手に出入りしているのがホノボノしていました。
あと、スネークマンの孫として登場する女の子、この子が全くニコリともしないのですが、
(オジイチャンに全くなつかない孫、という設定らしいです)
そんな子供を見ていたら、「子供達を責めないで」を思い出してしまいました。
(歌詞はこんな感じ)→ http://site-cue-music.seesaa.net/article/30177348.html
それを思い出したのも、この歌を歌っていたのが伊武雅刀だからです。(笑)
(因みに作詞は秋元康)
時折、透明な板の上を歩く猫の様子が映るので肉球好きな方には堪らないでしょうし、、
映画の中でブチャイク(ぶさかわ系)の成猫も登場したりするのが私は好感持てましたし、
定年後のオジサンの悲哀というよりは、猫が前面に出ている可愛い猫映画、という印象で、
あまり深く考えずに猫の可愛いところを楽しみながら観られる「ねこばん」でありました。
映画「ネコを探して」 [映画(な行)]
タイトルを見ただけで中身も知らぬまま借りた作品です。
映画の内容はamazonさんより。
行方不明の愛猫・クロを探して、時空を越えた旅が始まる。
まずは19世紀フランス。“自由”の象徴とされたネコは、
詩人ボードレール、音楽家プッチーニやラヴェル、画家ルノワールなど
多くの芸術家が愛を競い合う“芸術のミューズ”となった。
クロはどうやら、アールヌーヴォーの画家スタンランの描いた有名な“黒ネコ”の
生まれ変わりらしい。
クロの後を追って次に辿り着いたのは、ネコと人の距離が近い国=日本。
ここで出会ったネコは、和歌山県で駅長を務める有名なたま。
そして公園のネコ、路地裏のネコに仏文学者を囲む招きネコなど様々。
しかし、“ねこカフェ”のネコも、鍼治療中のネコも、クロの行き先は知らないらしく・・・。
いきなりフランス語でアニメが始まったので、え、これってアニメなの?と思っていたら、
アニメと実写のミックス、、というつくりの映画でした。
フランスの女性ドキュメンタリー作家ミリアム・トネロットによるドキュメンタリーで、
フランス人の女性が、行方不明になったネコの「クロ」を探しながら、
様々な国のネコと出会う、、、その中からネコと人間との関係を描いた作品で、
魔女狩りの頃から忌み嫌われていたネコが
19世紀のフランスで芸術作品に取り上げられるようになり、
スタンランの作品で描かれた黒猫の生まれ変わりの「クロ」を
主人公の女性が探しているうちにたどり着いたのが熊本。
水俣病患者の男性が、最初に異変を見せたのが魚を食べた猫だったこと
その後、自分も病気にかかったことを震えの止まらない体で訥々と語ります。
そして、水俣病の原因がチッソが海に垂れ流していた水銀、という意見に
チッソ側が反論する為、何百匹もの猫を捕獲し、水銀によって猫に異変が起きるのか
実験したところ、水銀で発病することが分かり、その結果をチッソは隠蔽しました。
次に登場したのが、和歌山電鐵 貴志川線貴志駅の「たま駅長」。
(wikipedia)→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%BE_(%E7%8C%AB%E3%81%AE%E9%A7%85%E9%95%B7)
経営不振だった南海電鉄が路線廃止を決定した後、両備グループが引き継いで
和歌山電鐵を設立、経営移管で「たま」などの猫達が住んでいた猫小屋の場所が
整備されることになったのを知った飼い主が和歌山電鐵の社長に
猫を駅の中に住まわせたいと相談したことから「たま駅長」が誕生しました。。。
(現在は終身雇用のスーパー駅長)
次に登場したのが、イギリスの国鉄で働いていた猫たち。
国鉄時代の鉄道員達が猫が信頼に足る仕事のパートナーであるとカメラに向かって語ります。
国鉄時代は、信号や線路、倉庫をネズミから守る為、猫が働き、
猫のえさ代も支給されていましたが、1994年の民営化で国鉄は百数十社(だったかな)に
解体され、経費削減の名の下、猫のえさ=無駄、と見なされ、
2万人を超える従業員の解雇とともに、200匹の猫も解雇されました。
民営化後の鉄道は運賃が2倍に跳ね上がり、安全を軽視したことから大きな事故も多発、
民営化は失敗と言われるようになりました。
続いて登場したのはアメリカに住むドイツ人が開発した「キャットカム」。
野良猫を拾って飼うようになったものの、外を出歩く癖が治らないので
外でどのような行動をとっているのか気になった飼い主のドイツ人が
一分に一枚写真を撮る小型カメラを開発し、猫につけ、映し出された猫目線の写真を
ネット上で公開するとカメラの引き合いが殺到します。
そして舞台は変わり、アメリカ(ミネソタ)のキャットハウスへ。
本来の意味だと、キャットハウス=売春宿、なのですが、
ここのキャットハウスは、ホンモノの猫と一緒に泊まれるホテル。
同じアメリカ(ロードアイランド州)の認知症専門病院で働く猫2匹。
その内、オスカーという猫は終末医療病棟で人の最期をタイミングを察知し、
その患者に寄り添って最期を見届けます。(特殊な能力らしい)
同時に2人の患者がそのようなタイミングになった場合は、
家族が来ていない患者に寄り添って見届けます。。。
そして、一転舞台は日本に戻り。
上野のホームレスと共に暮らす猫、、、に続いて、
一兆円市場とも言われるペット大国日本の様子が映し出されます。
ペットショップ、洋服、猫カフェ、猫に鍼治療を行う病院、高級ペットフード、
70年代半ばから可愛い存在として人気の出た猫を取り巻く巨大市場の裏側で、
保護され引き取り手のないまま殺処分される猫の存在も紹介されます。
猫と人間の関係を描きながら、猫を通して今の人間の姿を映しだしている映画なのかな、
人間はどんどん変わっていくけれど(それが決して良くない方向だったりする訳ですが)
猫は変わらずいる、、そんなことを猫の様子を見ながら思いました。
過剰な演出もなく、製作者側の意図の押し付けもなく、ごくごく自然な形で
クロを探す物語仕立てで客観的に猫と人間の関係を描かれていたので、
(これがアメリカ映画だと違うだろうな、とか思った私(^_^.))
見終わった後にホンワカした気分になりつつも(猫の可愛い姿に)
一方で、人間の勝手な都合で猫に辛い思いをさせている面には苛立ち、
とはいえ自分にナニが出来るのか、、悶々としてしまったり。
なかなか複雑な気分でございました。
わ~っ、猫カワイイ!と手放しで楽しめる作品ではありませんが、
人の身勝手さ傲慢さを認識できる、というか、我が身を振り返ろうという思いになれる、
地に足の着いた作品だと思います。
猫が苦手、という方にはオススメしづらいのですが、
出来るだけ多くの人に見てもらいたい「ネコを探して」でありました。
「2番目のキス」を観る [映画(な行)]
レンタルDVDで「2番目のキス」を観る。
2005年ボビー&ピーター・ファレリー監督作品
ドリュー・バリモアが出演している映画だからでしょうか、
強引に「キス」を邦題に盛り込もうとする配給会社のアザトサを感じます。。。
だって原題は“Fever Pitch”と
「異常なほど熱狂する」、みたいな意味だから、全然キスでも何でもないんだし。
話の舞台は秋も深まる10月のボストン。
ビジネスコンサルタントのリンジー(ドリュー・バリモア)は多忙な日々を過ごしていたが、
社会勉強の一環で生徒と一緒にリンジーの勤め先の見学で
やってきた高校の数学教師ベン(ジミー・ファロン)と知り合う。
リンジーに一目ぼれしたベンの誘いで食事の約束をするが、
当日ベンが迎えに行くと、リンジーは前日の食あたりで部屋から一歩も出られない。
気の毒に思ったベンは一晩中献身的にリンジーを介抱して、
寝かしつけた後は、生真面目にトイレまで掃除するのだった。
リンジーが礼を言うと、
「きっとトイレは“ゲロの妖精”が片付けてくれたんだよ」とアッサリ答えるベン。
そんなベンの姿に心を打たれたリンジーは、
「そんなに素敵な人がいつまでも独身でいるのは何か問題があるのよ」という
友人達の忠告も聞き入れず、ベンと交際を始める。
あちこちへ出かけたり2人で過ごす時間を持ちながら、
ベンの素直でユーモアたっぷりの人柄に惹かれていくリンジーとベンの関係が
すっかり親密になった3月、2人の関係に変化が起きる。。。。
学校が春休みの間、一緒に故郷のボルチモアへ行こうとベンを誘ったリンジー。
しかし、それをあっさりと断ってしまったベン。
自分のことが嫌になったのか、両親と会いたくないのか、不安にかられるリンジーに
ベンは行けない理由を説明した。
ベンがリンジーと一緒にボルチモアに行けないのは、
「世界で一番悲しい神の創造物=レッドソックスファン」だからで
毎年春休みにフロリダまでレッドソックスのキャンプを見に行っているから。
それを聞いたリンジーは戸惑いつつも、ベンがレッドソックスファンで
それほどまでに情熱を持っているのはロマンチストだからと解釈し、
私も昇進する為に夏まで頑張らないといけないから、
私は仕事に、あなたはレッドソックスに没頭しましょう、と提案する。
それを聞いて喜ぶベン、プロポーズのように跪いて開幕戦チケットをプレゼントする。
ボルチモアに一人帰ったリンジーが両親と一緒にスポーツTVを観ていると
フロリダで仲間で大騒ぎするベンを発見する。
あまりの熱狂振りに驚いていると父親はベンを「バカなヤツ」と言い放ち、
ここからベンとリンジーの間に知らず知らず暗雲が立ち込め始める。。。。
遂にメジャーリーグの開幕戦(始球式にスティーブン・キングが出ていた)、
仕事を切上げ急いで球場へやってきたリンジー
ベンにプレゼントされたレッドソックスのジャンパーを着たリンジーは
熱狂的レッドソックスファンだった叔父からベンが譲り受けたシーズンチケットの
座席に座るが、周りに座る人全てがベンに劣らず熱狂的レッドソックスファンで
バンビーノの呪いなど、自分がいかにレッドソックスのことを知らないかを痛感し、
関連本を買い漁ってレッドソックスのことを知ろうと努力する。
リンジーと試合観戦する日が続く中、リンジーの両親と食事することになったベン、
食事中に隣のテーブル客がその日のレッドソックスの試合結果を話そうとしたので、
結果が聞こえないように急いで耳を塞いでしまう
リンジーは既に慣れっこになっていたが、そんな姿を見て驚くリンジーの両親。
開幕戦から3ヶ月経った6月、レッドソックスのことも色々覚え
シーズンシートのファンの皆さんとも意気投合、試合に勝った夜はベンと燃えまくり
(BGMにニール・ダイアモンドの♪スイート・キャロライン♪が流れていた)
深夜に仕事するという日々を送っていたリンジーは
日中オフィスで居眠りしているところを上司に見つかってしまう。。。
翌7月、快調だったレッドソックスが失速、試合を見ても負けてばかりなので
リンジーは遂に球場にPCを持ち込み、
試合も観ずにベンの隣で仕事するように。。。。
と、ファウルボールがリンジーの頭を直撃、そのまま病院に担がれてしまう。
異常がなかったからよかったものの、このままだと仕事に支障を来たすから
今後は一緒に球場には行けないから仲間と一緒に試合に行って欲しい、
試合が終わった頃家で待っているから、と言うリンジーにベンは了承するのだった。
と、了承したものの、一緒に試合を見なくなってから2人の仲はギクシャクしていく。
9月初め、レッドソックスが低迷期を脱し猛追を始めた頃、
仕事でパリに出張することになったリンジーはベンに一緒にパリへ行こうと誘う。
行きたいけれどあと2試合勝てば首位に立つから一緒には行けない、というベン。
その時、生理が遅れて妊娠しているかもしれないと思っていたリンジーは
一人パリへ出張し、途中で妊娠していなかったことをベンに電話で伝え
(この時ベンがレッドソックスのベビー服をそっとしまうのが、ちょっとウルル・・・)
仕事を終えて帰国し、迎えに来たベンに対して別れを切り出す。
付き合い始めて11ヶ月、予定を立てるのにレッドソックスの試合を優先する、
そんな生活はどうかと思う。
あなたがレッドソックスに抱いている情熱を私もあなたに抱いているけれど、
このままあなたと結婚したら友達からパーティに招かれても試合があれば
私は一人で出席しなければいけない、
そんな生活が一生続くなんて耐えられるか分からない。
リンジーにそう切り出されたベンは悩みに悩み、
11年間一度も欠かさず観に行っていた対ヤンキース戦を諦めて、
リンジーと一緒にパーティに出席して楽しい時間を過ごす。
帰宅後、人生最高の夜だ、とリンジーに言いながら2人の時を楽しんでいると、
突然仲間からの電話、レッドソックスが9回裏に0-7から大逆転したという。
歴史的勝利、史上最高の夜だと仲間が言うのを聞いて急いでテレビをつけると、
ボストンでの大逆転勝利に大騒ぎするファンの映像。
ベンは見た途端、「悪夢だ・・・」と試合に行かなかったことを激しく後悔する。
たかが試合じゃないの、と慰めるリンジーに怒るベン。
そして、2人の仲は険悪に。。。。
結局2人が別れてしまった9月末、レッドソックスは再び不調に。
シーズンシートの仲間達も失業したりと不運が続く。
そして、10月プレーオフ。ヤンキースとの試合で19-8と大敗し三連敗、
もう勝ち目がないとガッカリしながら仲間とバーに行くと、
大敗したのに普通の顔して食事をしている選手達を発見する。
反省していないと怒るベンだったが、俺達ファンは負ければガッカリするけれど
職業で野球している彼らはそうじゃないんだ、彼らよりリンジーが大事だと、
急いでリンジーの家に向かう、と、そこには見知らぬ男がいた。
男のことを仕事の取引先というリンジーにやり直すチャンスがほしいというベン、
が、リンジーはダメだという。
冬のあなたは私を喜ばせてくれたけど、夏になるとあなたは私をガッカリさせた。
今度の冬は私を喜ばせてくれても、次の夏になったらまた私をガッカリさせる。
もうこれ以上は付き合えないとリンジーが言い切り、失意のままベンは去っていく。
その後、リンジーは昇進し、子供が出来た友人のお祝いで集まった席で、
友人の夫がベンがシーズンチケットを手放すというので買おうとしていることを知る。
叔父さんからもらったチケットを永久に手放すなんて
しかもベーブ・ルースが売られた金額の12万5千ドルで売ろうとするなんて、
と、仲間達に攻められるが、ここに座ると辛いことを思い出すだけだから
もう要らない、とベンの決意は変わらない。
ベンがチケットを手放そうとしているのは自分の為だと思ったリンジーは
何とか手放すのを阻止しようと球場へ急ぐが。。。。。
こういう映画なので、
安心のメデタシメデタシ なのですが、
その後レッドソックスは盛り返してワールドチャンピオンになって、
2人が結婚して子供も生まれて、、、という、ハッピーエンドの映画は楽しくて
ホラー映画が本気で苦手な私には相性が良いです。
2005年に公開された映画ですが、撮影は前年2004年に終了していたらしく、
本当の偶然で公開年にレッドソックスがワールドチャンピオンになったそうで、
86年間に亘るバンビーノの呪いが解けたのもすごい偶然。
この作品、観終わった後調べてみたら、1992年発表のニック・ホーンビーの著作が
1997年コリン・ファース主演で映画化されて今回アメリカでリメイクされたようです。
原作はイギリス人作家の作品らしく、
イギリスプレミアリーグのアーセナルの熱狂的ファンである著者の自伝で
1968~1992年のアーセナルの山あり谷ありを自分の半生に照し合せて
描いているとか。
1997年の映画化では、
原作に忠実にアーセナルの熱狂的なファンの教師(コリン・ファース)と
同僚の女性との恋愛を1988年チャンピオンシップで優勝した頃に焦点を当てて
描いているそうで、イギリス映画らしくアメリカ版に比べて淡々としているとか。
著者もアーセナルのライバルチームのコーチ役でカメオ出演しているそうなので
今度レンタルで探してみようと思います。
また、今回観ていて主役の2人以外にも気になる人が。
リンジーの友人、サラ役で出ていた
マリサ・ジャレット・ウィノカーが
ミュージカル「ヘアスプレー」で
トニー賞の最優秀主演女優賞を受賞した女優さんなんですが、
舞台で見るのと違って大げさでなく、さりげなく普通な演技でちょっとびっくり。
舞台と映画ってやっぱり演技が違うのねー、
と当たり前なんですがそんなことに妙に感心してしまいました。
また、冒頭の食あたりのリンジーをベンが介抱する場面で、
ベンが時間つぶしに買ってきた映画のビデオを
「アニー・ホールでしょ?」とリンジーが聞くのですが、近いけど違う!と
言いながらベンが袋から取り出したのは、
で、全然違うじゃん、と画面越しに突っ込みを入れる私でありました。
という訳で、1997年のイギリス版も観てみたいのですが、
ドリュー・バリモアの愛らしくもキリットしたリンジーと
ジミー・ファロンの野球バカなベンの恋の行方を応援しながら、
山あり谷ありの展開に笑ってほろっとして楽しめた「2番目のキス」でありました。
「ナイトミュージアム」を観る [映画(な行)]
「ナイトミュージアム」を観る。
2006年ジョーン・レヴィ監督作品
原題は“Night At The Museum(博物館の夜)”なので
邦題の“Night Museum(夜の博物館)”と違うのがちょっと気になったのですが、
ま、そんな些末なことはどーでもいいか。
「ステップアップ」を観た後に何だか勢いづいて続けて観てしまったのですが、
さすがにこちらは8割くらいの入りでした。
話の舞台はニュー・ヨーク。
バツイチで失業中のラリー(ベン・スティラー)は、
家賃滞納で住まいを転々とする生活を送っている。
更に、元妻の再婚相手に最愛の息子ニッキーがなついてしまい、
きちんと仕事が決まるまでは、と元妻に息子を連れていかれるはめに。
息子との絆を失いたくない、と、ラリーは仕事探しにハローワークに行くが、
(この時出てくる相談員のオバちゃん(アン・メアラ)はベン・スティラーの実母)
あなたのような経歴の持ち主じゃ何の仕事もないけれど、
誰もやりたがらない仕事がひとつだけある、、、と言われたラリーは、
何でもいいからやります! と引き受けて、相談員に言われた通りに
自然史博物館に行って、、
訪ねるように言われた男、
責任者のセシル(ディック・ヴァン・ダイク)に会うと、
ディック・ヴァン・ダイクといえば「メリー・ポピンズ」
煙突掃除夫を演じて早40年余り、、、でもあまり顔は変わっていないような。。
相談所から紹介された仕事が警備員、しかも夜警だということを知らされる。
息子もいる身なので夜警は出来ないと拒むラリーだったが、
聞く耳を持たぬセシルから警備のマニュアルとカギの束と懐中電灯を渡されて
一人で夜警の仕事をするはめになってしまう。
日が暮れて閉館後の博物館の見回りを始めると入口に展示してあるはずの
ティラノサウルスがいない。。。
と、館内を徘徊するティラノサウルスを発見し、驚いたのも束の間、
骨格標本に追いかけられるラリー
逃げるラリー
ガルルルル~ッ
他の展示物も全てが好き勝手に館内を動き回るのを観て唖然とするラリーに、
蝋人形の第二十六代アメリカ合衆国大統領
セオドア・ルーズベルト(ロビン・ウィリアムズ)から、
展示物が夜中に動くようになったのは、エジプトのアクメンラー王の棺のそばに
石版が置かれてから石版の力で夜になると生命を得るようになったが
朝には元通りになってしまう、という話を聞く。
朝になり、こんな仕事はこりごりだと思いながらも息子の為だと思い留まったラリーは
学芸員のレベッカ(カーラ・グギーノ)の助言で展示内容に関する歴史を調べ、
セシルから預かったマニュアルを読み万全の体制で二晩目の夜警の仕事に臨む。
最初は要領よく動き出した展示物を上手に扱っていたが、
途中から初日同様に散々な目に遭ってしまう。
ローマ帝国の大群(ジオラマ)に囲まれたり
西部開拓時代のジオラマで捕まって
機関車模型に轢かれそうになったり
フン族のアッティラ王に八つ裂きにされそうになったり
コロンブスに訳の分からぬ言葉で話しかけられたり
オマキザルのデクスターに
鍵を取られたりコバカにされたり
とまたもや散々な目に遭った上に、
マクフィー館長には館内の散らかった状態にクビを宣告されるが、
息子ニッキーに夜の博物館を見せたいと思い、館長を説得してクビを撤回してもらう。
ニッキーを呼んだ三日目の晩、展示物が動きだす様子を見せようと思ったが、
何故か動かない。
それは、セシル他、老警備員がラリーのせいで自分達がクビになった腹いせに
石版を盗んでいたから。
それを知ったラリーは石版を奪い返そうとするが。。。。
映画はニューヨークの自然史博物館が舞台になっていますが、
館内の様子は映画用にかなりアレンジしてあるようです。
私も数回行ったことがあるので何となく雰囲気を覚えているのですが、
映画のようにぐるっと回ってあれこれ観られるほどコンパクトではなく
非常に広くて一日がかりで観ても見応えがあるくらいです。
中にはトム・ハンクスのナレーションでビッグバンについて学べるシアターもあって
結構楽しめる博物館なので、NYに行く機会があればゼヒおススメのスポットです。
で、映画自体については、ベン・スティラーの顔は好きではないのですが、
話そのものが親子愛を軸にしているとか、古典というか定番なので
安心して観られるせいか、普通にガハハガハハ笑いながら観てました。
また、役者さんもなかなかの人たちが勢ぞろいでベン・スティラーだけでなく、
米国大統領の蝋人形を演じたロビン・ウィリアムズも芸達者で、
1805年北米大陸西部を調査したルイス・クラーク探検隊の道案内と通訳を務めた
ネイティブアメリカン女性“サカジャウィア”を演じた
ミズオ・ペックもエキゾチックでよかったし、
ディック・ヴァン・ダイクの弾けた演技もなかなかよくて。
また、開拓時代のオーウェン・ウィルソンも
ベン・スティラーとのやりとりが非常に面白く。
観ながら2人が出ている他の映画も思い出しました。
でも、なぜかオーウェン・ウィルソンはあちこちの場面に登場しているのに
何故かクレジットされていませんでした。どーしてなんでしょう。。。(謎)
と、ベン・スティラーの笑いも下品さ少なめなので、
子供も楽しめそうな「ナイト・ミュージアム」でありました。
「なんちゃってガールズ」を観る [映画(な行)]
以前観た「プリシラ」の余韻が残っていたので、 パッケージがそれっぽかった「なんちゃってガールズ」のDVDを借りて観る。
(原題“Girls Will Be Girls”)
サンダンス映画祭で大好評だった映画らしい。
物語は、 昔、B級映画「小惑星」に主演したことだけを思い出と誇りに生きながら、 再び映画で脚光を浴びたいと願うが、自己中心的な性格が災いし、 全くパッとしない年増アル中女優イーヴィー(ジャック・プロトニック)。
若かりし頃、己の中絶手術を担当したハンサムな医者が忘れられず、 中年になっても思い続けている同居人のココ(クリントン・ループ)。
そして、地方からやってきた女優志望の大食い娘、 ヴァーラ(ジェフリー・ロバーソン)が2人と同居することになるのだが、 実は、ヴァーラは昔イーヴィーが原因で自殺した女優の娘だった。
ヴァーラの同居をきっかけに起きる復讐劇。 とはいえ、作りはコメディ。
出演者は全員男性。脇役も子供も男性。
ココ役のクリントン・ループ(上の写真で一番右)が、
「ピーター」に見えて仕方なかった。
映画を観て思ったのは「どうして男優に女装させたんだろうか」ってことだが、 イーヴィが恐ろしく性悪で、それが災いして色々な揉め事が起きる、 という筋書きに本物の女優を使うと笑えないくらいリアルになってしまうから、 男優に女装させたのだろうか。
3人共、堂に入った演技や、70年代風ファッションやインテリアなどは 良いのだけれど、観ていて今ひとつすっきりせず。 多分、「プリシラ」のような雰囲気を勝手に想像して期待したからだろうけれど。
「なんちゃってガールズ」という邦題も妙にヌル~イ感じで、 内容とは特に関係なかったような。
と、すっきりしないまま観終わってしまった映画でありました。