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ぷー日記~その後編⑥~ [ぷー日記]

週末に書き上げた退職願を持って出社した月曜日。

普通は「一身上の都合」と書くと思うのですが、そんな書き方じゃなあ、と思った私、
「帰属意識が芽生えなかったこと」「長くここで働く自分の姿を想像できなかったこと」
という2つを退職したい理由に書きました。

この2つは本当に思ったことですし、退職するとなると働くのはあと1週間、
悪魔に嫌味として書いてみたかった自分もいたので。(^_^.)


ただ、この退職願をいつ出すか、タイミングがなかなか見つからず、
チャリンコのお使いから戻った夕方、悪魔からのメモが机の上に。

「うつぼさん、そろそろ研修期間が終わる頃ですから今後についてお話しましょう。
 ○○時頃、上のフロアにきてください」

って書いてあったのですが、入社してから魔女と話すのは電話ばかり、
ばったり姿を見かけたのがそれまでに2回、ちゃんと顔見て話すのは初めて、
面接であれだけ色々話してくれたのに、入社したら全然だったんだよねぇ、、、と思いながら
焦って悪魔の部屋(ドアがついてる小部屋で中が見えない)の入口に退職願を置きました。

置いて席に戻った途端に悪魔から電話。

「うつぼさん!ビックリしちゃったわぁ!
 どうしてなのかしら?本当にビックリよぉ!」



このオバサン、鈍い。 (V)o¥o(V)

あれこれやっていることを報告していたのに何にも気づかなかったのかな。


「申し訳ありません。色々考えまして。。。」


隣で生き字引が聞き耳を立てているので小さい声でぼそぼそ答えると、


「じゃあ、しょうがないわねぇ、、お話するのも中止にしましょうねぇ。。。」と悪魔。


あっさり受理されました。 もうちょっと引き留められるかなと思っていたので拍子抜け。(笑)

そして翌日の朝、生き字引に「ちょっとこっちにきて」と呼ばれてオフィスの外へ。



「うつぼさん、退職するって聞きました。残念だわ。」 と生き字引。


そりゃそうでしょう、早番がやらなければいけない雑用の数々、私がずっと一人でやっていたけれど、
やる人いなくなったら今度は生き字引がやらないといけないもんね。(^_^.)


で、生き字引が悪魔から指示された通り、退職までにやることを伝えてきたのですが、
「退職することは他の人に言わないように。最終日も普通に帰るように。」と言われて、
「ああやっぱりこの会社ってヘンだ」と思いました。


そのまた翌日、、唯一優しくてまともだと思っていたオバサンが退職手続をしてくれるから、と、
朝出勤してきたところをつかまえると、「うつぼさん、辞めちゃうのね、残念だわ」とオバサン。
「すみません、色々考えたんですが、区切りのいいところで、と思いまして」と答えた途端、

うつぼさん、辞めるの正解よ!」

と、オバサンが(グッジョブみたいな感じで)親指を立ててにっこり笑って言いました。


ああ、そうなんだ辞めるの正解なんだ私。。。 
喉に引っかかっていた魚の小骨がすっととれたような気分です。

「たぶん、○○さん(女帝)と年代が近くてお互いやりづらかったのもありますが」と言ったら、

「○○さんと合う人なんてこの世にいないから気にしないでいいわよ!」とオバサン。


ああそうなんだ、みんな女帝のこと嫌いなんだ、、
以前、生き字引もぶつぶつ女帝の横暴さについて独り言つぶやいてたもんね。。


このオバサンとの会話のお陰で退職日までは清々しい気持ちで働けました。
退職日(土曜日も出勤だった)までは、引き継いだもののまた前任のムーミンにお返しせねば、と
アポなし外回りの仕事のデータ、報告書一式をムーミンにお返しし(辞めることは一応伝えた)、
私がいなくなってからでも業務内容が分かりやすいように引き継ぎ書を生き字引宛に作ったり、
色々な人のお仕事を積極的にお手伝いしたり、、、、、ふつうに過ごして最終日。


当日休んでいた生き字引宛の手紙をPCに挟み(まあお世話にはなってましたんで)、
隣の芳恵さんには直接挨拶できずにやっぱり手紙をそっと机の端に置いて、
そっとタイムカードを押してそっとオフィスをでました。。。


オッチャンへ毎日書き続けた日報には簡単にお世話になりました、と書きましたが、
退職願を出してから一切何も言ってこなくなった女帝には特にメッセージも残さず、
悪魔にも簡単にメッセージを書いて置いて帰宅の途に着きました。


記事には書きませんでしたが、内勤の時はフリーダイヤル対応なんて仕事もあって、
DMを送ってくるなと怒る電話が頻発するシーズンだったのでひたすら謝り続けの一日、とか、
会社のサービス内容についてやたらしつこく聞いてくる人への答えに窮したり、
そのたびに隣の生き字引に怒られたり、、なんてこともございました。


今こうやって記事を書きながら思い出してみると、
時間も経ってますので怒りというより苦笑してしまうのですが、
2か月という期間限定であれば、ある意味「色んな世界があるもんだな」と思えるような
良い経験だったかもしれません。


と、いったいあの職場はなんだった、、、と思いながら退職した翌日、
メガネヒヨコさんと一緒に富士宮へ蔵開きに行ってグビグビしたり、
一人でシンガポールに旅行したり、、、てな感じでリフレッシュしたのですが、
さすがにいつまでもそんなことは続けてられませんので、再び転職活動を始めました。


(つづく)

 



 


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ぷー日記~その後編⑤~ [ぷー日記]

アポなし外回り60軒を終え、「さすがに外回りはもうないだろう」とオフィスに戻ったら、
魔女(っていうかこの時点で悪魔に変身)からのメモが机に置いてありました。

「うつぼさんへ
 明日、明後日の2日間で以下の7か所を訪問してレポートをまとめてください。
 レコーダー持参でやりとりを録音するように。 レポートは明後日中に提出してください。
 訪問する前、本日中にすべてのところへ仮名で電話し、アポをとってから行ってください。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(-.-)

私に訪問しろ、といったのは競合他社です。

サービス関連の会社だったので、同じようなサービスを提供する会社が多く、
競争が激しいことは理解していたのですが、そこへ仮名を使って偵察してこいってことらしい。
私がずっとオッチャンの指示で外を回っていることは知っていたはずの魔女、
「おつかれさま」 の一言もなく敵地偵察してこい、とメモを置いていく神経に

絶対、こいつは悪魔だ。 そう思う私でありました。


多分、ここに居続けてもきっとこんな感じで日々流れていくんだろうな、
他の研修生よりも明らかに業務量が多いし(研修中の給料は大卒新人レベル以下)
性悪説みたいに社員を観ているオッチャンや悪魔(もう魔女じゃない)、女帝の下で
将棋の駒(歩)のように働く意味があるんだろうか、、、考え、

とにかく言われたことはやる、やりきったら研修期間が終わったところで辞める、
ここで辞めたら転職が厳しいのは分かっているけど、だからといって、
ここに長く留まって徳になることな一つもない。 いるだけ時間の無駄。

そう思ったら、悪魔のメモを観ても屁でもなくなるというか、で、
「いいよ、行けって言うなら行ってきます。でも、その後辞めるもんねー」
なんて気持ちに変わっていました。


電話で仮名使って予約して、、西武線や東武線、JRに乗って移動して競合会社に乗り込んで、
いかにも「おたくのサービスがよければ是非♪」みたいな嘘をついて話を聞いて、
2日間で7か所回ってレコーダーの録音(自分の声って変な風に聞こえるよね)を聴きながら
報告書をまとめて、悪魔に提出しました。


言われた通りにやったぜ。(V)o¥o(V)


達成感でスッキリした私、その週末に退職願を書きました。

(つづく)


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ぷー日記~その後編④~ [ぷー日記]

アポなし営業外回り初日。。

外は大雨。。(-.-)

初めてのお使いならぬアポなし営業だった為、
最初の数軒は前任の「ムーミン」が同行してくれることになりましたが、
パンフレット類は以前の勤務先の出張で使っていたコロコロキャリーに入れて私が運搬。。
1軒あたりに置いてくるパンフレットは15部、5軒分75冊のパンフレットが入ったキャリーは、

激重。~>゜)~~~


ムーミンは優しそうに見えるのですが、気が利かないのかなんだか不明ながら
「少し持とうか」とか優しいことは言ってくれない為、一人で持って移動です。


女帝に「あなたが営業したことないのは顔見りゃわかる」と言われて
「女帝よ、お前には負けない!」と何故か、女帝との勝負のような気持で奮起していたので、
まあ、そのくらいの荷物は持ったるでー、な気分だったのもございますが。


取敢えず、文京区あたりから回りましょうか、とJRや地下鉄を乗り継ぎましたが、
駅の階段って意外とエスカレータ付のところが少ないんですね。
普段あまり気に留めてませんでしたが、荷物があったりするとエレベータやエスカレータがないか
探してみるものの、意外に少ないことに気づきました。

なもんで、激重キャリーを「ふんっ![ダッシュ(走り出すさま)]」鼻息荒く持って階段を上り降り、、
更に文京区にやたらと存在する坂道(上り)と格闘しながらムーミンと回ること6軒。
(途中で近くの拠点までパンフレットを補充に立ち寄ったりして)
アポなしということでケンモホロロに門前払いもあれば、一応会ってくれるところもあり、
話ができたところは大体5割、ここでムーミンは時間切れ。

4時間くらい一緒に移動しながら、社員同士が干渉しあわない不思議、について
ムーミンと話したのですが、勤続20年のムーミンから職場のみなさんについて情報収集。
「会社から一歩外に出たらあいつらとは絶対話もしたくないし顔もみたくない」というムーミン、
ああやっぱりそうですよね、私も変わった人が多いと思っていたんです、と正直に話すと、
職場のみなさんの変人ぶりや、ダレが古参でダレが新しくて、、みたいなことを教えてれました。

確かに変な人が多いというか、私の教育係の生き字引もしょっちゅう呟く独り言は声が大きく、
非常に可愛らしく呟いているものの、私や他の人に話しかけるときは急に厳しくなって
「あなたはもしや、ビリー・ミリガン?」と聞きたくなるくらいの変人ぶりだし、
その隣でジャージ姿で出勤しているオタクっぽいオジサンは昼飯のカップヌードル率が高く、
席で仕事していると匂うのなんの、だったりするのですが、カップヌードルでない時の昼が
ポテトチップとおむすびだったのを観た時は「この人、いったいどういう食生活?」と驚いた私、
ムーミンからは以前おやつタイムに鮭とばを食べていた話を聞いて更に(@_@)しました。

また、私の隣に座る古参のおばさん(柏原芳恵に似ているので陰で「ヨシエさん」と呼んでた)が
ビルを引っ越して以来、外食に出てオフィスに戻れず迷子になると怖いから、という理由で
昼ご飯はコンビニめしのみ、という話を聞いて驚いたんですよ、なんてムーミンに言うと
「そういう人ばっかりなんだよね、ここって」としみじみ言ってました。

じゃあ、なんでムーミンはそんな変な人ばっかりのところにずっと勤めているの?
と聞こうと思いながら、なんか人に言えない事情があるかもしれないし、、と
聞きそびれたことが今更残念だったりします。。。

他には互いにお酒好きということが分かり、赤羽や上野、北千住など飲み屋の話で盛り上がり、
会社の中にも悪くない人がいるのね、、、なんてちょっとホッとしたりもしました。


ムーミンと別れてからは一人で大雨の中、キャリーコロコロで外回りを続け、
その日は9軒回って終了。

予定の担当分は2日で回りきりホッとしていたら、
他の人が時間がなくて回りきれないところもうつぼさんお願い、みたいな雰囲気になり、
じゃあ、と、都内や都下(西武池袋線で所沢とか清瀬あたりまで足を伸ばし)まで30軒。

大雨、強風、雪、、悪天候の中をコロコロコロコロキャリーを引っ張り回りましたよ。


なのに。

なんとか回り終えてこれで本当に終了~、と思っていたら、
私の日報を読んでいたオッチャンから、

「うつぼはアポなしでも結構会ってもらえるみたいだから追加でもっと回ってこい」

という指示が出ました。(V)o¥o(V)

ムーミンもさすがにこれ以上は気の毒と思ってオッチャンとかけあってくれたのですが、
会社で一番偉いオッチャンの決定に逆らえる訳もなく、結局追加で30軒回ることになりました。

いつもは厳しい生き字引も「うつぼさんばっかり何でそうなるのかしら。。。」と同情してくれたりして。

3月初旬、追加分30軒を4日間で回りました。

結局、激重キャリーをコロコロしながら60軒回ったわけですが、

JR山の手線、中央線、総武線、地下鉄丸ノ内線、有楽町線、東西線、銀座線、千代田線、
都営三田線、大江戸線、西武池袋線、東武東上線、、、、、、、

大好きな電車に沢山乗れたこと、それだけはラッキーだったと思ってます。(笑)


月、火、水、3日連続でなんとか残りを回りきり、夕方オフィスに戻ってきた私に、
「本当にお疲れ様」と生き字引が労いの言葉をかけてくれてホッとして机を観ると、
何やらメモが置いてありました。


魔女(面接してくれた初老のオバサンのメモだったのですが、
読んでビックリしました。


「この人は魔女じゃない、悪魔だ!!!」

(つづく)


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ぷー日記~その後編③~ [ぷー日記]

(登場人物のおさらい)

女帝・・・私と同年代の管理職で私の上司、なにかとイチャモンつけてくる

オッチャン・・・会社の代表 指示してくる仕事が訳分からないものが多い

生き字引・・・私の隣に座る教育係のおばさん


 

入社当日、「私は外に出る仕事が多いから、うつぼさんには中の仕事をやってもらうから。」と
女帝が言ったはずなのですが、言いつけられたのはチャリンコに乗って日に2回のおつかい。


偉い人フロアの掃除は言われたときだけ、ってことでしたが、
そんなことも私がやるの?正直なところ思いました。
言われた時だけ、のはずだったのに、大きなゴミを片付けないと女帝に怒られたりして、
言い返す気力もなかったので、はいはい、片付けますよ、なんて毒づきながら台車で運んだり、
台所掃除を言いつけられて流しをみると3人しかいないフロアでマグカップ20個近く、みたいな
衝撃的な光景にげんなりしながらこびりついたチャシブと格闘したり、、
そりゃー「新入社員」ですからやりましたよ、私。


でも、チャリンコで毎日2回おつかいって何なの。(V)o¥o(V)


要は買い物にいったり書類を運んだり、のおつかいなのですが、
「雨の日はどうするんですか?」と女帝に聞いてみたら
「傘さして自転車に乗ればいいでしょ」と真顔で返答されました。

「傘さして乗ったら危ないですし、第一、傘さして自転車乗るのって交通違反ですよね?
 どうしてもおつかいが必要なら私は電車で出かけますから」と
その時だけはアホクサくてまともに女帝に言い返したところ、
その後、女帝の態度はますます陰湿なものになっていきました。

まるで漫画のような話ですが、ホントの話です。 

そんなチャリンコライフが始まったころ、オフィス内で風邪が流行りはじめ、
私からは遠くの位置に座っていたオネエサンがインフルエンザにかかり、
熱があるけど仕事があるからと無理を押して会社に来ていた生き字引も
あんまり熱が下がらないと病院に行ったらインフルエンザ判定、と、
「うつぼさんもインフルエンザの可能性があるからうちのフロアにはこないで」と
女帝にバイキン扱いされた翌日。
ちょっと熱っぽいからと病院に行ったら私もインフルエンザでした。


ラッキー♪ (^_^) そんな気持ちが素直に自分の心の中から湧いてきました。


早番で唯一優しいオバサンに電話して、
「インフルエンザで暫く会社休みますので、女帝によろしくお伝えください」と伝言し、
ゆっくり静養させていただきましたが(家から出られないのだけがつらかった)
会社に入って2週間でインフルエンザで休めてラッキーと思う自分って何なんだろう?
休んでいる間は、このまま続けるべきなのかどうか、、なんて考える時間となりました。。。

女帝との関係がこのままよくならずに悪くなるだけだったら辞めた方がいいかも、
チャリンコとか掃除とか、雑用山盛りが続いたら自分の職務経歴に関係ないことばかりで
前向きじゃないし、、なんて考えながら、インフルエンザが治って出勤したのですが。 

私にA型のインフルエンザをうつした生き字引は「ちゃんと治ったの?」と一言。
「うつしてごめんね」とか言わないんだ、さすが生き字引!、と感心しながら、
女帝にも「長らくお休みいただいて申し訳ありませんでした」と挨拶した途端に
「熱が下がって何日経ったの?」ときつく返されてしまい。

(V)o¥o(V)(V)o¥o(V)なんだこいつ、と思いながら
「熱が下がって5日経ってますし、薬ももらった5日分すべて服用していますから」と答えると
「あ、そう」と女帝。

以前の勤務先がおかしいくらい「性善説」で成り立っているような会社だったので、
この会社って「性悪説」で成り立っているんだろうな、なんてしみじみ。。。。。。


と、そんな雑用以外に仕事を他のスタッフから引き継ぐことになりました。

会社のパンフレットを持参して関連する機関にアポなし訪問で営業活動、、、を
会社の各拠点(7か所くらいある)に指示してとりまとめる仕事です。

アポなし、っていう時点で「普通、アポとらないと向こうだって会ってくれなんじゃ?」と
思ったのですが、研修中の身、逆らうのもどうかと思って、はいはいそうですか、と
前任者のオジサン(雰囲気がムーミン)から引き継ぎました。女帝立ち合いの元で。(-.-)

で、各拠点に指示書と訪問リスト、持参するパンフレットやグッズの手配を送って、
あとは進捗状況を確認して完了したら(訪問先が400カ所くらい)まとめて報告かな、と思ったら、
初老のおばさん(この頃から「魔女」とこっそり呼んでいた)から内線がかかってきて
「うつぼさんもいい経験になるから一緒に訪問してきてね♪」なんて言われてしまい。。。

まあ、ちょっとならいいかな、と思ってムーミンに相談して
取敢えず15カ所くらい回ることになりました。


って、全然そんなに甘くなかったんですけどね。(-.-)

というわけで、私のアポなし営業外回り、2月中旬にスタートしました。

(つづく)


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ぷー日記~その後編②~ [ぷー日記]

初出勤の日、ベニヤで仕切られた工事作業部屋みたいな場所で対面したのが女帝。。。
(この部屋、ビルを建てた建設会社の作業部屋だったそうですが、もったいないから、と
 そのまま残してもらったそうで、後で知って苦笑。。。。。)

近所のスーパーへ買い物って雰囲気のカジュアルな服装で化粧気のない女帝は
私と向い合せに座った途端、私の職務経歴書をぱらぱらめくり、
「へぇ、いろんなことやってきたんだね」と一言。

なんだ、この人? 先に書類読んでないの?と思いながら
「はい、長く勤めてましたので色々経験は積んでいます」と面接時のように答えたんですが、

「私は仕事で忙しくて挨拶する時間ももったいないから挨拶はしないからね」と女帝。

は?会話になってないんですけど??と思ったものの言える訳もなく、
女帝が話すのをずっと聞くのみ。

・うちは社員同士はプライベートのことは詮索しないから。
 相手に聞かれて答えたくなければ答えなくていいし話したければ話せばいいし、
 そういうところだから。

・私は常に仕事を30~40かかえているから大変なのよね(←真偽のほどは不明)
 終わらなければ徹夜するし、あ、私は管理職で裁量労働制だから仕方ないんだけど、
 40度近い熱が出た時も私の替えはいないからふらふらになりながら会社にきて
 仕事をこなさないといけなかったんだよね。

・私は外に出る仕事が多いから、うつぼさんには中の仕事をやってもらうから。

なんて感じで立て板に水。

会社概要や組織、就業規則などなどについて説明があるかと思っていたのですが、
全くそんな説明はなく、女帝が立て板に水の勢いで話した後に部屋に入ってきたのは会社の代表。
(初老のオバサンは代表の次に偉い人だということがここで判明するんですが結局会えず)


会社の代表は私よりちょっと上って感じでスーツ姿でもなくこれまた超ラフな格好。
女帝よりも早口でまくしたてるんで、何を言っているのやら(@_@)なまま面談終了。
見た目からしてそんな感じがしたので「オッチャン」と名付けました。


次に部屋に入ってきたのが私の教育係のおばさん。
観てからに神経質そうなそのおばさんは文章を書くようなお仕事が多かったのですが、
とにかく何でも知っている人だからと女帝に紹介されたので、
顏を観るなり「生き字引と名付けることにしました。


生き字引に連れられて事務フロアに移動すると席は生き字引の隣。
部屋には16人くらいスタッフがいたのですが、一人一人に挨拶しようと思ったら、
生き字引が「本日入社したうつぼさんです」と一言いって終了。

いくら互いに干渉しないといっても、こんなんで覚えられるかしら。。。 
不安になりながら早速紙に座席表を書いて、名前を聞いたら書き込み、
その人がどんな仕事をしているか書いて少しずつ覚えていきました。


生き字引からは社員の心得みたいなマニュアルをよく読みなさいと渡され、
あとはこまごました雑用(これが非常に割合として多かったかな)のやり方を教えられ、
オッチャンが早口でまくしたてた仕事A4一枚にまとめて提出して、、、
社員全員がオッチャンに毎日提出しなければならない日報をまとめて出して、、
そんな感じで一日終わっていました。。


なんだったんだ、今日一日。。。


お先に失礼します、と挨拶したものの、誰からも「お疲れ様」を言われることなく退社。。。
女帝が言っていた挨拶する時間ももったいないってそういうこと?と思いながら帰宅し、
翌日「おはようございます」と出社するもやはり誰からも挨拶が返ってこないという。。。(-.-)
早番シフトは私を入れて4人、唯一目が合えばおはようを返してくれるのが
初日に案内してくれた優しそうなおばさんのみ、で生き字引も挨拶を返してくれないので、
こんな職場でいいのかな、と思いながら生き字引から言われるままに雑用の山をこなし、
オッチャンに言われた指示を書類にまとめ、あとは1時間おきに書類の運搬。


この書類の運搬ってのが毎日の仕事でげんなりしたのですが、
オッチャン、初老のおばさん、女帝3人がいるフロア(1つ上階)と自分たちのフロアの書類を
ひたすら運ぶ仕事で、書類がないと女帝に叱られたり。。。
どんな書類を誰に渡したか、そんなこと私だって社会人生活長いしタイトルみて覚えてるし
「そういう書類は見てません」と女帝に返答するものの、「いや、渡したからなくしたんでしょう?」と
犯人呼ばわり。。。結局、女帝の部屋に書類があった、と分かっても女帝が謝らず、なんてことが
2か月の間でも何度かあって、その度に悪者にされるのがどうにも我慢なりませんでしたねぇ。。。


そんな「罪なすりつけ」で嫌な気分の中、オッチャンからも色々と指示があり、
色々なものについて調べるように言われたのですが、調べる対象が???なものばかりで
(さすがに細かい内容まで書くのもオトナゲないのでここには書きません)
何のために調べるのか、それも言われず調べて書類にまとめて提出して、、、の繰り返しに
なんとなくやる気が出てこなくなっている自分がいたりしました。


人間、アメとムチ。


頑張れば褒められる、ダメなら叱られる、そういうメリハリがないとヤル気は出ない。



なんの為に必要なのか、それを調べることによってどうなるのか、そのくらいは教えてもらえると
もっと調べるという作業に弾みがつくし、ヤル気も出るというものですが、
「ネットで調べて分からなかったらYahoo!知恵袋でも使って調べろ」なんて言われると。(笑)


ええ、言われた通りにYahoo!知恵袋使いましたよ。(V)o¥o(V)
自分のアカウントで、自分のコイン使って。


「ネットで分からないものは電話でメーカー調べてききまくれ」とも言われたので、
電話でも聞きまくりました。
(ただし、社名は出すな、と言われたので私の名前だけで問い合わせしたりして(-.-))


で、調べてオッチャンに提出してダメだと書類が返ってきてまた調べて提出して、、なのに、
ある日突然出した書類が返ってこなくなったりする。
私が調べてまとめたことがその後どうなったのかさっぱり分からない。
それって一番ヤル気が出ないパターンです。

会社全体がどういう動きをしているのか、スケジュールがどうなっているのか、
私がいたビル以外の拠点にどういう人がどのくらいいるのか、それさえ分からない。
自分が組織の中でどういう役割を果たすべきか分からない、、、なんてことを
入社当日から悶々と感じていた私、1週間後に女帝に呼び出され、
「うつぼさんはまだ気が利かないところもあるけれどだいぶ慣れてきたみたいだから
 色々他にも仕事をやってもらうことにしたから」と渡された紙に書いてあったのは。


チャリンコに乗って日に2度のおつかい & 偉い人達フロアの諸々掃除

まじすか?(-.-)

(つづく)


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ぷー日記~その後編①~ [ぷー日記]

今年の初め、旅行記並に書き続けた「ぷー日記」に
みなさんから色々温かい言葉をいただき、感謝感謝でございます。<(_ _)>


内定が決まって、お世話になった人たちにメールやら電話やらFBのメッセージやらで
ご報告したのですが、その中でとても温かくて勇気の出る返事をくれた友人がいました。

「うつぼさん、おめでとうございますっ。
 ペースはだんだんつかめてくるでしょうから、心身に気をつけてがんばってくださいっ。
 うつぼさんが◎◎(以前の勤め先)時代につちかったものは、
 ご自分で考えるよりも大きいとおもいます。 
 新しい環境ですぐには発揮できないでしょうが、徐々に引出しから繰り出していけば
 よいかと思います。 
 人間関係も最初は半歩ぐらい引いて、
 多少腹が立つこともある程度はスルーするぐらいがよいかと。
 職場でのプレゼンスの高まりに合わせて、言いたいことも自然とどんどん言えるようになります。
 って生意気にごめんなさいね。自分の実体験からはそんな感じです。」


その友人というか後輩は私よりも先に会社を辞めて転職した人なのですが、
その時、友人がいろいろと大変だったとうことを理解できずに申し訳なかったなあ、と
自らの就活中にひしひしと感じました。
それなのにこうやって温かい言葉をもらったことが本当に嬉しかったんですよね。(^_^)

なんて感じで、前向きにやる気ミチミチで入社したのですが、
実は研修期間2か月満了とともに辞めました。
(既に辞めてから3か月近く経ってたりします。。。。。)


辞めた理由としては、募集要項と実際の業務に大きな乖離があったことと、
どうにも乗り越えられそうにない困難な人間関係があったこと、なのですが、
再び転職活動に戻り、記事をアップしている現在はお陰様で働き始めております。
(とはいえまだちょっとですが)


で、私の性分といいますか、備忘録として、
2か月間で何があったのか、暫く記事にしたいと思います。。。


ちなみに友人曰く「当事者でなければ物凄く面白い話」だそうです。
当事者だった私も時間を置いて今思い返せば他人事のように「面白い話」に思えたりして。。。




1月中旬の寒い日。 長らくのぷー太郎期間に別れを告げ再び働きはじめる記念の日。

久しぶりにちゃんと早起きして通勤電車に揺られて到着したビル。
場所はビルが林立するビジネス街、、が遠くに見える23区内。
ワクワクしながら(施錠されているので)インタホンで名前を告げて通された会議室は
コンクリート打ちっぱなしの倉庫みたいなフロアにベニヤで仮設的に仕切られた部屋みたいなところ。

ビルは新築ほやほやっぽいのにナンだこの安普請。(-.-)

と思ったらやってきたのは面接してくれた初老のオバサンではなく、
私と同年代と思しきオバサン。


初老のオバサン、2か月間で顔を見たのはたったの3回。
しかも、偶然ばったり的に顔を見ただけで、あの面接はなんだったんだろう、と
思いましたねぇ。。。




職場で私の上司となる方だったのですが、その後この女性とは常になにかございまして、
初対面とはいえ、


女帝と心の中で呼んでしまいました。

職場で一番強烈なキャラクターがこの女帝だったのですが、
入社初日、初対面の時点からすでに違和感を感じてしまいました。。。

職場での2か月間、この女帝に振り回され続けました。。。

(つづく)
 


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ぷー日記⑩ [ぷー日記]

年が明け、3が日も過ぎて世の中の人たちが会社に行き始めた頃、
某ブラック企業の面接に行きました。
場所は都心で仕事終わりの一杯を考えると非常に魅惑的なロケーションですが、
応募の段階で不信感たっぷりだったので、どんな面接になるかな、と思ったら
白髪交じりのオジちゃん(役職不明)と1対1の面接でした。

とにかく無表情な方で矢継ぎ早に淡々と質問してくるのですが、
以前の勤務先を辞めた理由を最初に聞かれ、
研修でも「以前の勤め先の悪口は絶対言わないこと」と釘を刺されていたので
早期退職の募集に非常に悩んで応募した、みたいな模範解答をしたところ、
「別に応募しなくてもいいのに応募したんでしょ?その理由を聞きたいんですよ」と言われ。(汗)
あまりリアルに答えるのも、、、と思いながら、
色々考えたところでそれを言える立場にないのがもどかしかった、みたいな感じで
何とか切り抜けたりして。(^_^.)

他にも色々根掘り葉掘りな感じで聞かれて「私どもへの質問はありますか?」と
やっと聞いてもらったので、エージェントさんと某転職サイトからのスカウトで2度応募したのですが
それはなぜでしょうか?と質問するとオジサンの表情が変わり、
「私は、応募状況はよく知りませんが」としどろもどろ。

休日、就業時間云々についても要項に記載されていない点について質問すると
「労働基準法をよく読めばわかることですから!」みたいに無表情だったオジサンが
イラットしながら説明してきたので、どこか後ろめたさがあるのかな、なんて思いました。

結局1時間近く面接が続き、終わった後は適性テストと中途採用者用アンケートへ記入。
中途採用者用、と書いてあったので、それだけ中途採用が多い会社なのかな。

この面接、通ってもあと2回も受ける気持ちにはなれないかなー、
ここで働く自分の姿がイマイチ想像できないし、、、なんて思いながら、
その日は猫居酒屋に寄って常連さんとママさんに面接の様子について報告し、
そういう会社はどうなんだろうね、、なんて言われたりして確かに、、なんて思いました。


で、ブラック企業の面接を受けた翌日、ハンプティさんから電話があり、
年末に受けた会社から内定が出ましたよ!と言われました。


ハンプティさんが言っていた「スポンとはまる」というのはこういうことなのか、
なんて思いながらも、試用期間のお給料が低いことと休暇が少ないことなど、
ここにお世話になるかどうか、、暫く考えてしまいました。

以前の勤務先が仕事の割にお給料はいいし業績悪いのに昇給ありでボーナス出るし
(それが逆に不安だったりしたものありますが)
年末年始も夏休みもゴールデンウィークも休みが長いし、、、なんて感じでしたので、
お給料も休みも減るとなるとやはり今後の生活がどうかと考えてしまったのですが、
退職金でローンも大方返したことを考えると払わなくて済んだ金利分くらいお給料が減っても
まあなんとかなるかな、なんて思ったりして、ハンプティさんに承諾する旨伝えました。


で、1月中旬にハンプティさんと最後の面談で、コンサル終了の書類にサインして、
お世話になりました、と御礼を言いながら「もうこの人と会わなくて済む」なんて思ったのはナイショ。

そして、1月下旬から働きはじめてますが、まずは環境に慣れることから、って感じで
まだ自分に余裕がございません。が、日々の充実感はありますね。(^_^)


大学を卒業して20年以上働き続けて、会社を辞めて社会から隔絶された感ありありでしたが、
その間に、色々なことを経験できたと思っています。

同じように会社を辞めた人と話しあえたこと、


市役所やハローワークの人たちのお仕事ぶり(超事務的)を垣間見られたこと、


ほぼ毎日毎日きれいな夕焼けを見られたこと(時々富士山も)


平日の日中の世の中を観察できたこと、


毎朝ZIPで「もこみち」の料理人ぶりを観ながら
材料費を気にしないで済むなら私もオリーブオイルかけまくり(笑)で作ってみたいと思ったこと


あんまりヒマだったのでやたらと組み立て家具を買って組み立ててしまったこと
(電動ドライバーも買ったので作業はとても楽しかった)


スマホのゲームに結構はまってしまったこと(特になめこ栽培←コンプリートした)


就活方法がこんなにも変わっていることを知ったこと、


求人職種がものすごく多岐にわたっていること、


同じ会社の同じ職種の求人がいつまでも掲載されている会社は要注意だと知ったこと、


これまでいい人だと思っていた人がこういう時意外に冷たかったりすること、


逆にさほど話したこともなかった人が優しくしてくれたこと、


本当に心配してくれてる人、そうでない人、
今後も付き合っていきたいひとが今回のことでなんとなく分かったこと、


イタリアの男はやっぱりラテンの男で熱いこと(笑)



今回の5か月間が自分の人生の中で「ぷー」でもよかったと思える日がくるんだろうな、
なんて思いました。


ちょくちょく話してくれたり、外出や呑みに誘ってくれたりした親友Kさん&元上司Kさんをはじめ、
以前の勤務先でお世話になったみなさん(Yさん、Wさん、Tさん、Oさんなど)、
猫居酒屋のママさんや常連のみなさん、ブログ仲間のみなさんには感謝感謝です。。


というわけで、本当は3回くらいに分けて書こうと思ったら結局10回に及んでしまい、
「相変わらず、うつぼさんの文章は旅行記みたいで長い」と言われそうですが、
就職先の仕事は以前とまったく違いますので珍事もないでしょうし海外出張もありません。
以前のような海外出張記を楽しみにしていただいている方には申しわけなし、ですが、
私自身は海外出張はお腹いっぱいになるくらい色々経験させていただいたので、
出張はもういいや、旅行だけで十分かな、って感じです。 
お休みもそうそう沢山は取れないので行けても近場かもしれませんが、
その分、国内旅行をしてみたいと思っています。


まだ勤めて1か月も経っていないのでなんとも、、ですが、
私の根性で働き続けられるように祈ってくださいませ。


(これにて、ぷー日記 おわり)


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ぷー日記⑨ [ぷー日記]

12月下旬、ハンプティさんから送られてきた求人内容は、

1社は以前の勤め先の時にしつこい売り込み電話を受けて印象よくない会社だったので、
その旨を伝えて応募を見送らせてもらったのですが、
もう1社はホームページを見た感じがちょっと面白そうに思えたので応募しました。


翌日、その会社の方から携帯に連絡があったのですが、終日出かけていて電話に気づかず、
気づいたのは帰宅した夜。 さすがに電話したら失礼だし、と電話できずにいたら、
翌々日(3連休明け)、ハンプティさんから電話があり、
「書類通りましたよ!面接にきてほしいということなので年内にいかがですか?」と言われびっくり。


応募しても2週間くらいかかる、と言われていたのにそんなにすぐに結果が出るのかしら、
あまりに早いリアクションに逆に不安になりました。
とはいえ、面接していただけるなら是非、って感じで指定された日時にその会社を訪れると、
会議室に一人通されて最初に適性テスト、と小論文「当社でどう働いてみたいですか?」。
30分で書いてくださいね、と言われたので最近あまり使っていなかった頭を一生懸命回転させて
適性テスト(エニグラムのようなテストでした)と小論文を書き終えて会議室で待っていると、
初老の女性が入ってきました。
採用担当の方かな、と思って話をしていたらその方がトップの方だと途中で判明し。(汗)


今回求人募集した背景と職場の雰囲気の説明をしていただいたのですが、
「来られてから『こんなはずじゃなかった』と思われても嫌ですから
 最初にちゃんとお話しておきますね」と、丁寧に正直に30分くらい話していただいて、
この時点で会社の姿勢みたいなものが少しでも理解できたかな、という気分になりました。

と、この女性が「うつぼさんは、これまで面接を受けたりされたの?」と質問してきたので
「再就職支援の会社からこれまでの経験職種で応募しましょうと指導いただいて
 そうしてきたのですが、とにかく年齢の壁が高くて」と簡単に説明したところ、
「女性だから、とか、年齢が高いからとか、そういう理由で判断するのはおかしいですね。
 どんな人でも、その会社に有益に働いてくれればいいと思いますし、
 うちは、そういうことで判断はしませんよ。そういう点では居心地悪くないと思いますから。」
と言ってくれました。


どういう業界、どういう職種でどういう仕事をするか、もちろん大事ですが、
居心地悪いな、と思いながら仕事をするのは嫌ですし、
この女性の言葉が弱っていた心に非常に沁みました。


結局1時間くらい和やかな雰囲気でお話して面接終了。。


面接というと圧迫面接を想像して警戒していたのですが、こういう面接もあるんですね。
なんだか充実感に溢れながら帰宅してハンプティさんに報告しました。

と、この日、某転職サイトのオネエサンから電話がありました。
「おめでとぅございまぁ~す!◎◎◎◎社の応募、書類が通りました!」

某ブラック企業に応募した書類が通った連絡でした。

最初に応募したエージェントさんではなく某転職サイトからの連絡で。(^_^.)
年明けにテストと面接、、と日時の連絡がありました。
面接で印象がよければ興味が湧くかもしれませんが、
応募を2回した時点で不信感もありましたので、ここは勉強で、と思い了承しました。


と、年末はこんな感じでシュウカツも終わりかな、と思っていたら、
外資系メーカーの人材紹介会社から求人の紹介がありました。
一度お話でも、と電話があってお話してみたら、
「日本の企業に長く居た方は外資系の雰囲気に慣れるのはムリかもしれませんね」だって。
以前の勤務先で英語を使う機会はぽつぽつありましたが、それをメインに仕事をしたい、
という気持ちは全然なかったので、話した相手の言葉に少々イラッとしましたが、
確かに今から外資系で働く気持ちにはなれないし(極力仕事で英語を使いたくないのが本音で)
やはり適材適所、みたいなものがあるんだろうな、としみじみ思いました。。


そして年が明けて平成25年になりました。

(つづく)


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ぷー日記⑧ [ぷー日記]

12月に入り、ハローワークでの失業認定3回目の日。 

またもや後輩女子と会ってファミレスで食事をしながら近況報告。
後輩は、一番の希望だった仕事につけるかも、、、というところまで進んでいて、
私も彼女のように前進しないといけないな、としみじみ思いました。。。


この頃、登録すると求人の話がくるかも、という友人の勧めでLinkedInに登録してみたものの、
どんな感じで書けばよいのかなうーんよく分からない、と要領を得ないまま、
以前の勤務先の会社名などをちょろっと書いて登録してみました。
面白いもので、出身校と以前の会社名、職種を書いただけなのにぽつぽつと話がくるんですね。
(って、お話お聞きしたいというメールがきたのは登録数週間後ですが)
基本的には紹介したいとお話をいただいたのは外資系企業の求人ばかりで、
バリバリ日本企業(しかも泥臭い)で長年働いていた私にしてみると合うのかな、って思ったりして
結局求人紹介と内定をもらったタイミングがほとんど同じだったので、
結局は応募さえすることなくこのサイトでの就活は終了してしまった訳ですが、
こういうところに登録してヘッドハンティングを待つ、というのも
エグゼクティブ(幹部職)の経験者であれば非常に有効なんだろうな、ということで、
これまたひとつ勉強になったサイトでありました。


色色々間口を広げておくことも大事なんだな、と思っていたら、
某転職サイトからプライベートオファーのメールがきていたので見てみると、
エージェントさんから紹介を受けて既に応募していたブラック企業に応募しませんか?
という内容のものでした。


え??だって、この会社、もう応募してるけど。(^_^.) 
と思ってメールを無視していると、その後なんどもメールが来て。


(?_?)なぜでしょう。。。


もしかしたらエージェントさんからの応募書類で私に興味を持って面接してみたいけれど、
それで内定だすと、エージェントさんに多額の手数料支払いが発生するので
転職サイトでスカウトして決めれば手数料が少なくて済む、、とか考えたんでしょうか。
もしそうであれば、非常にやり方としてはよろしくないと思うのですが、
わざと引っかかってみるのも、、と思い(こういうところは腹黒)、応募してみました。


と、今度はハンプティさんから千葉県内のメーカーの求人紹介がありました。
自宅からあまり遠くないし、会社は通った高校の近くにあって親近感があるし、
ホームページで見る限りとはいえ非常に温かい雰囲気の会社みたいだし、
ここは何の抵抗もなく積極的に応募したいと書類を作って応募しました。

ここの会社で書類が通るといいな、と自分の気持が盛り上がったのもつかの間、
応募した翻訳会社で書類選考通過せずの連絡あり(スペック不足が理由)、
エージェントさんから物凄く申し訳なさそうに謝ってきたので
こちらこそスペック不足ですみません、なんて思っていたら、
「40代歓迎」だから応募した会社でも書類通過せず、と立て続けに連絡。。
エージェントの方に「よろしければ理由を教えていただけますか?」と聞いてみたら、
「うつぼ様が書類選考不通過だった理由はよく分かりませんが
 応募者多数で比較したからじゃないかと思います。(本当にこういう書き方)」という返信で
意味は分かるけれど、もうちょっとちゃんと書いてくださいよ、なんて思いました。


千葉県内のメーカーも応募して1週間もかからず
「応募者多数による他者比較」という理由で落ちまして。(;_;)


応募して返事がなかなかこないのも不安ですが、
「落ちました」という連絡が立て続けにくると本当に凹むもので、
そんなときに限って苦手なハンプティさんとの面談があったりします。
残念でしたね、と面談の開口一番で言うハンプティさんに(V)o¥o(V)イラットして、
「年齢の壁は分かりますが、どうやったら書類が通過するんでしょうか?
 職務経歴書を書き直した方がよいのでしょうか?」と聞くと、
「大丈夫です!このままいきましょう!条件が合うところにスポンとはまりますから!」と、
非常に明るく言われてしまいました。(-.-) 


その明るさを私も分けてほしいくらいだよ。(V)o¥o(V)


ハンプティさんには、応募してから面接に進むまで時間がかかりますから、
1週間に1社は応募しましょうねというアドバイスをもらって面談は終了しましたが、
言われた通りにネットで見つけた求人に応募しようとエージェントさんにメールを送ると、

「うつぼ様のキャリアは必ずしも先方様の希望に合いません、ご縁がなかったとご理解下さい」

「残念ながら今回の求人に応募は難しいと思われますが、
 うつぼ様さえよろしければ今後も求人があればご連絡させていただきます」と立て続けに返事。


意味は分かりますが、なんだこの慇懃無礼な文面(下線部)。(V)o¥o(V)
一生懸命丁寧に書こうと思ってこうなったのかな、きっと若い方なんでしょう、と思いましたが、
顔の見えないメールだけでやりとりするのですから、もうちょっと日本語を勉強してくださいね、
と言いたくなりました。


と私自身は凹んだり苛ついたり、、の日々でしたが、
私に何度も色々連絡をくれた同期男性がやっと内定をもらい、
年内から勤め始めることになった、と連絡をくれました。
「地道にやること、これが大事だからね」という言葉をもらいましたが、
彼の内定はとても嬉しい一方、なんだか置いていかれてしまった感あり。


実は、9月初旬イタリア旅行から帰ってきてからというもの、
イタリアの男Vサンが1~2週に一度はメールを送ってくれていたのですが、
最初はイタリアの男本人が仕事で苦戦していることを愚痴る内容だったのが、
私の就活がまったく捗らないことを知って私を励まそうとする内容に変わっていきました。
「もっと自分に自信を持ちなさい。勇気を出して前に進みなさい。
 あなたにはそれだけの資質があるんだから」というメールを送り続けてくれたイタリアの男、
こういう時ラテン的な考え方はいいものですね、彼にもこの頃は非常に励まされました。


とはいえ、12月も中旬から下旬、となってきた頃、新規の求人もめっきり減り、
「こりゃ、もう年内は開店休業かな」と思い始めていたら、
ハンプティさんから応募しませんか?と2社の求人内容が送られてきました。

(つづく)


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ぷー日記⑦ [ぷー日記]

11月下旬に参加したフォロー研修のメンバーは10月初旬でお会いした内の7名。
ムードメーカーのオジちゃんもいました。(^_^)
(他の人は都合がつかないか、就職先が決まっていたので参加しなかったようです)

最初に、研修後の自分の就職活動をみんなの前で報告しあったのですが、
毎日パソコン教室で勉強して、ハローワークで求人検索している人、
ハローワークで応募して面接まで行って落ちた人、殆ど活動していない人、さまざまでしたが、
私は年齢の壁でなかなか書類が通らないこと、自宅にいると非常に孤独であること、などを
正直にみなさんの前で話をしました。
ムードメーカーのオジちゃんは、うんうん、と頷きながら聞いてくれましたが、
コンサルタントさんには「うつぼさんは一人暮らしで孤独を一層感じられるのかもしれませんが、
会社を辞められた時点でみなさん社会から切り離された孤独感を感じているはずです。
うつぼさんだけでなく皆さんもそうでしょう。私も会社を辞めて就職活動をしている時、
同じように感じましたよ。(コンサルタントさんも2回転職されている)
年齢は確かに壁かもしれませんが真面目に活動していけば必ず面接にたどりつきますし、
内定もとれますから諦めずに活動しましょう」というアドバイスをいただきました。

外が寒くなると比例するように私の心も寒くなり弱っていった頃だったので、
このコンサルタントさん(ハンプティさんでない人)の言葉には非常に力づけられました。


研修が終わった後、初回の研修でばったりあった後輩と食事をしながら色々話をしました。
彼女は会社を辞めるべきでなかったのか、と後悔の日々、みたいな話をしてきたので、
自分で決断をして辞めたのだから後悔はしちゃいけないし、前向きに考えようね、と
後輩に話したのですが、そう言って自分にも前向きにと言い聞かせていたのかもしれません。
(私は会社を辞めたことは全く後悔しておりませんが)


と、研修で力づけられたものの、やはり現実は厳しくて、
ハンプティさんに勧められた私の経験職種の求人紹介に特化した会社に登録したものの、
担当から電話をいただいて色々話をしてみると
「年齢を考慮するとご紹介できる求人は今のところはありません。
 求人があり次第ご連絡します」とつれない返事。
結局ここからは登録以後、転職先で勤務し始めるまでの2か月間、何の連絡もないまでした。


応募しても書類が通らずモンモンとしていたところ、
次に連絡があったのは以前と違うエージェントさんから外資系企業のご紹介。
某超有名超高級ブランドです。



 (-.-)(-.-)(-.-)(-.-)(-.-)(-.-)

エステ業界と同じくらい私にはご縁の無い業界です。

が、話は聞いてみたいかな、とエージェントさんとお会いしてみたのですが、
このエージェントさん、非常に正直で私の姿を観るなり「え?」って表情になりました。

ほーら、予想と違っていたんでしょ? (笑)

と思いましたが、向こうも大人でふつうに接してくれたので、
30分くらい最近の就職事情やほかの求人紹介などいろいろ話を聞いて、
英語の翻訳関連の会社に応募することになりました。
(ま、応募したらスキル不足で落ちましたけどね。(^_^.))


このエージェントさんに続いて、違うエージェントさんからも連絡があって、
翌週は事務所のある原宿へ足を運びました。(このあたりはツイッタで呟いておりましたが)
このエージェントさんは私より年上の女性で非常にざっくばらんな感じの方だったのですが、
リーマンショック後、外資系企業から大量の人が市場に溢れていて超買い手市場であること
一般企業の他にNGOやNPOのようなところの仕事も探してみる価値はあること、などなど、
年齢の壁にかかわらず仕事ができる道もあるはず、というアドバイスをいただきました。

が、このエージェントさんから紹介されたのがブラック企業


転職サイトなどでも、仕事の時間が長い、定時で帰れることがない、みたいなことが
沢山書き込まれているIT企業です。
こういうことを書き込むのはSEの方なので業界としてはよくあることかもしれませんが、
とにかくいいことよりも悪い書き込みを沢山見ました。
就活を始めた頃、このエージェントさんからこの会社を一度紹介されていたのですが、
応募しようと思ったら「ごめんなさい、内定者が決まったみたいです」と断られてしまい、
それから1か月半経った11月下旬「また募集が出たんですが」と連絡がありました。

内定者が決まってまた募集って、内定もらった人が入社したものの
「話が違う!」なんて理由で辞めちゃったのかな。
そんなことを考えたのですが、募集内容が凄かったのは就業時間などの記載がないこと。
勤務時間や休日については、業務の性質上労働基準法が適用されません、
みたいな文言が入っています。(-.-)
前回の募集時はちゃんと勤務時間も休日も書いてあったのそうなのですが、
内定して入社した人と何か揉めて明記しなくなったのかもしれない、、と推測しました。
エージェントさんからは、不明点は書類が通って面接のときに直接聞いていただけますか?
と言われたので、ある意味面白いかもしれない、と応募してみました。


ちょうどそのころ、ハンプティさんから紹介された求人に応募したら
「オーバースペック」を理由に書類が通らなかったのもあって、
「スペック不足だったり、オーバースペックだったり、一体どっちなの?」と(V)o¥o(V)
本気で「下手な鉄砲も・・・」的な気持ちになっていたのもありましたので、
この際ブラックだろうがなんだろうが、社会勉強のつもりで、なんて感じで応募したんですよね。


全く前に進めない状況にいると、どうしたら前に進めるのかな、とか、
自分は社会から必要とされていないのかな、なんて気持ちになったりします。


そんな気持ちを親友(引っ越しでお馴染みのKさん)に話して、
「私のいいところを書き出してくれる?」とお願いして書いてもらったら、
自分では気づいていなかったことも含めて長所として挙げて書いてくれました。


読んで思わず涙。(;_;)  



私にもこんなにいいところがあるんだな、と勇気づけられ、
親友に感謝しつつ、面接まで進んだらこれを使わないと、と気持ちが前向きになりました。


前向きついでにネットで検索した求人で「40代歓迎」のフレーズを発見し応募しました。。
(残念ながらここは2週間後に落ちました、エージェントさんに聞いても理由は不明で。)



なんて前に進んでいるのかどうか分からないまま、気づけば12月初旬になっていました。 

(つづく)


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