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金沢旅行記2023~大野からくり記念館編①~ [日本の旅(北陸)]

土砂降り暴風の中、なんとかたどり着いた大野からくり記念館、
金沢2023 (68).jpeg
入館料300円を支払って展示コーナーに進みます。

(記念館のホームぺージ)https://www.ohno-karakuri.jp/index.html

1996年(平成8)年にオープン、四半世紀ちょっとの歴史のある記念館です。
金沢2023 (69).jpeg茶運び人形がお出迎え
(タイミングが合えば実演が観られるみたいです)
金沢2023 (70).jpeg金沢2023 (71).jpegパンフレットをいただいて前へ 
金沢2023 (72).jpeg金沢2023 (73).jpegよく見えませんでした(^^; 金沢2023 (74).jpeg全体の建物はこんな形状で 
金沢2023 (75).jpeg内井昭蔵氏の設計です 
江戸時代は、今日私たちが考える以上に人々が生活を楽しんでいた時代でした。
「からくり」は、こうした時代の雰囲気の中で生まれた「玩具」といえましょう。
しかし、その細工からは日本特有の技術の開花をうかがい知ることができ、
その根底には日本の職人の創意、工夫、美しさへのこだわりが生きています。
これらは、からくりを楽しむ人々の遊び心や好奇心を満たし、さらに現代に生きる
私たちにも変わりなく受け継がれているものといえましょう。
江戸時代の科学や技術を考えるとき、そしてその後の日本を考えるとき、
からくりの果たす役割は大きいのではないでしょうか。
当館では、こうした日本独自の文化として花開いた「からくり世界」を
加賀のからくり師大野弁吉を中心に展示しています。
どうぞお楽しみください。
金沢2023 (77).jpeg日本の近代化を支えた科学技術者たち金沢2023 (78).jpeg大野弁吉さん
大野弁吉さんについて記念館ホームぺージより転記いたしますと、

大野弁吉(1801~1870)、中村屋弁吉ともいう。
京都五条通り羽細工師の子として生まれ、20歳のころ長崎に行き理化学、医学、天文学、
鉱山学、写真術、航海術を修得した後、対馬・朝鮮にも渡ったといわれています。
帰国後京都に帰り中村屋八右衛門の長女うた(加賀国大野村生まれ)の婿となり、
1831(天保2年)石川郡大野村(現金沢市大野町)に来て永住しました。
隣町・金石の「海の豪商」銭屋五兵衛とも交流があり、藩主が弁吉の博学を聞き
20人扶持で召しかかえようとしましたが、それに応じず、生涯清貧のうちに過しました。
当時としては最先端の科学を駆使した発明品の数々は、現東芝の創業者で
「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重の技術に匹敵するといわれています。
また、「一東」、「鶴寿軒」と号し、木彫、ガラス細工、塗り物、蒔絵などのほか、
からくり人形には優れた名作を多く残しました。
弁吉自筆の「一東視窮録」は彼の覚え書き綴りで、科学機器エレキテルボルダ式パイル
などの図解、色ガラス、火薬、写真器、大砲、医薬品などの製法、調合、寸法などが
記述されたものです。


上の説明にある海の豪商・銭屋五兵衛さんについてはこの後、博物館を訪問したのですが、
欲のない弁吉さんを経済的に支えようとした豪商というのも弁吉さんの才能を評価しての
ことだったのでしょうね。

とご挨拶やら弁吉さんについて色々書きましたが、

館内の様子がYouTubeで見つかりましたので貼っておきますね。
これを貼ればもう私の撮ったボケ写真など要らないんじゃないかという気になったのですが(笑)
4年目突入の古いiPhoneで折角撮った写真ですので(さすがにそろそろ機種編予定です)
思い出にご紹介させていただきます。
金沢2023 (80).jpegからくりの原図が最初展示してあって 
金沢2023 (81).jpeg金沢2023 (82).jpeg
左は人形が高いところからブリッジ?みたいな恰好で順番に降りてくるからくり、
右は滝を鯉が登っていくからくりの原図。
左にある図を観たときふと動きが似ていると思いだしたのがスリンキー。
(私の記憶ではスリングだったのですがスリンキーというのですね)
金沢2023 (84).jpeg米林八十八口上 
からくり人形の米林八十八さんがからくりについて語ってくれます。
(この記念館で紹介されている大野弁吉さんのお弟子さんが八十八さん)
金沢2023 (86).jpeg記念館のキャラクターかな
(調べてみましたが名前募集みたいな記事しか見つからず。。)

この後は、様々なからくりの展示に続きます。

(つづく)



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