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映画「ひめゆり」を観る [映画(は行)]

久しぶりに田端のチュプキさんで観た映画です。
ひめゆり.jpg
あらすじはYahoo!映画さんより。

沖縄戦に動員された222名の「ひめゆり学徒隊」は負傷兵の看護や水くみなどに
追われたが、米軍に追い詰められ、沖縄本島南部で解散命令を受ける。
その後の数日で、米軍が包囲する戦場に投げ出された彼女たちは100名以上が亡くなった。
看護活動をした病院壕や友人を失った海岸で、戦場を生きのびた元学徒たちが当時を振り返る。

https://youtu.be/tQMTA5PucBs


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映画については柴田監督のご意向でDVD化されていないそうで、
予告編などの動画もないので上に関連する資料館の動画を貼ったのですが、
この映画を受け容れられない(または曲解、誤解するような)人もおそらくいると思われ
そういう点でDVD化や映画についての予告編を作らないというのも考えとしては
理解できるような気がしました。

ひめゆり学徒隊、ひめゆりの塔、というフレーズは知っていましたが、
女学生が戦争のために駆り出され多くが命を落としたという程度、
殆ど知らないに等しい存在だった中でこの映画を観て、これまで知ろうとしなかった、
知らなかったことを反省しつつ、今回この映画に出会えたことに感謝しました。

(wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%81%E3%82%86%E3%82%8A%E5%AD%A6%E5%BE%92%E9%9A%8A

ひめゆり学徒隊の他にも8つの学徒隊が駆り出されたというのを映画鑑賞後にwikiで
知りましたが、本土への米軍上陸を遅らせるために沖縄が住民も駆り出されて闘う、
そういう地であったことを改めて知りました。

16歳から19歳までの女学生が負傷した兵士の手当てをするために駆り出され、
彼女たちも赤十字の旗の元で働くものと思って戦地に行くと、壕につくられた場所、
前線ともいえる砲弾飛び交う場所、満足な医療器具もない中で、負傷して運ばれる
兵士を休む間もなく手当しなければいけなかった様子が第一部で語られます。
負傷した腕や足を切断される場面で兵士を押さえつけるよう指示される、
切断された腕や足をゴミ箱へ捨てに行く、傷口に湧いた蛆を取り除く、
最初の頃はショックで仕方ないのがいつしかそれに対しての感情もなくなっていく、
(炊飯軍曹にそれを指摘されてふと我に返った話が衝撃でした)
北海道からやってきた兵士がひめゆり学徒隊の1人にスズランの話をする場面、
映画や舞台でもあるらしいのですが、兵士の方も20歳前後でしょうし、
北海道から沖縄に送られて命の火を消していく話を聞いて切なくなりました。
お国のために働いて負傷した兵士を助けるのも自分の役目、自分もお国のために、と
一生懸命暗い壕の中で働く学徒隊の様子、自分の人間としての尊厳もなくなっていく
彼女たちの証言から感じることができました。

次の第二部では、日本軍の劣勢から、軍が突然の解散命令を発したこと、
解散しろと言われてもどこに逃げても米軍がいる中で自分たちが見捨てられた気持ちで
途方に暮れる様子が語られます。
兵士が学生さん(ひめゆり学徒隊)は一般市民だから投降したらどうかと言うものの、
投降することは国賊、捕虜になったら男性は惨い仕打ちにあい、女性は辱めを受けた後、
戦車で轢かれると教えられていた彼女たちは、日本は負けるわけがない、味方が活路を
見出してくれると信じていたこと、軍国教育による洗脳というか、国を信じて戦って、
見放されてしまう、どれほど恐ろしいことなんだろうと思いました。

捕虜になるよりは、と手りゅう弾で自決しようとしてなかなかできない、
そんな間に、米軍兵が壕に火炎放射器や爆弾を投下してくる状況になってくると、
隣にいた同級生が気づくと即死していたり、といったことになると語るのですが、
死にたい、でも生きたい、お母さんの顔が見たいと思う彼女たちの気持ち、
第三部で、壕から海岸に逃げる兵士とひめゆり学徒隊について語られますが、
彼女たちの大半が命を落としたのは解散命令が出てからで、
そこでも途中、同級生が命を落としていく様子が語られていきます。。

映画自体は、学徒隊の皆さんの語りに米軍の記録映像が時系列に合わせて紹介され
過剰な演出もなくたんたんと語りが紡いでいかれるという構成で、
最後に、ひめゆり学園の卒業式で歌うはずだった歌が流れて映画は終わりました。

上映後、柴田昌平監督の舞台挨拶があって、
映画の中で当時の壕があった場所に行って語る学徒隊のみなさん達、
思い出したくないという気持で話したくない人が多かったと思われる中で、
どういう経緯でカメラの前で話そうと思ってくれたのか私も質問しました。
監督のよれば、16年前ひめゆり平和記念資料館を設立する際、生き残った方々が
それまで話したくはなかったけれど後世に語り継いでいくべきではないかと
撮影を承諾してくださって、実際の場所に行って最初は思い出せないことも
話していくうちに思い出してお話してくれたと仰っていました。
ドキュメンタリーだと描きたいシナリオに沿って質問したりすることが多いそうですが
そういうことは一切せず、とにかくお話してください、とお願いして撮影したのが
映画の中に出てくる学徒隊の皆さんのお話と聞いて、先生や同級生の名前を
フルネームで語る方が多かったのも当時を思い出すときに名前も思い出されたのかな、
と思いました。

ひめゆり平和記念資料館で語り部として不定期に活動されている学徒隊のおばあが
なくなった同級生と自分の孫が同じ年になったくらい時間が経っているけれど、
自分が同級生のところに旅立つとき、みんなが亡くなった後に訪れた平和な時代に
ついてお土産話をもっていきたいと仰っていたのが印象的でした。

沖縄は昔(四半世紀以上前)に行ったきりで、lovin姐さんが最近はよく訪れている場所、
というイメージだったのですが、旅費がお手頃な時期に(私はリゾート派ではないので)
沖縄のひめゆり平和記念資料館と関連する場所を(運転できないので公共交通機関かな)
できるだけ訪れてみたい気持ちになりました。
って、実は年内に訪れるようにツアーを申し込んじゃった私です。(^-^;

舞台挨拶後、監督が自費出版された本を購入してサインをいただく際にも
お話させていただきましたが、
ももちゃんのピアノ: 沖縄戦・ひめゆり学徒の物語 (ポプラ社ノンフィクション 40)

ももちゃんのピアノ: 沖縄戦・ひめゆり学徒の物語 (ポプラ社ノンフィクション 40)

  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2022/05/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
この本についてもいずれ記事にしたいと思います。(^-^)

というわけで、沖縄について最近ドキュメンタリー作品を観るようになって
同じ日本の遠いところで何が起きているか(起きたのか)を知る機会も
増えていますが、関心をこれからももっていきたいと思った「ひめゆり」でありました。



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