銚子旅行記2022~ランチを食べたら帰る編~ [日本の旅(関東)]
ちょっとしたことですぐカリカリする性格なのは分かっているのですが、
一人で旅行していると会話がないので(笑)ついつい他人を観察して
時にイラついてしまう修行不足の私も、写経(30分)で少々心が浄化され、
そのままの勢いで銚子駅方向に向かいながら事前予習したものを探します。
銚子駅まで歩いても30分くらいのはずなので、今回の旅でもう銚子電鉄には
乗らないのですが、乗らなくても結構歩いて回れる銚子なので、電車に乗ったり
降りて歩いたり、という楽しみ方ができるのも楽しいと思うようになりました。
古めかしいお家
圓福寺飯沼観音近くで見つけたのですが、
磯角商店主屋
看板に書いてあった説明をそのままご紹介しますと、
磯角商店(「磯角」は屋号)は、飯田角蔵が1940年(昭和15)に廻船問屋を創立、
開業したことから始まります。
1946年(昭和21)に現在の飯沼町に移転し、曳家した家屋に居住していましたが、
1953年(昭和28)に現住宅である「磯角商店」を建築し、業務を発展させていきました。
主屋は妻入りで南面して建てられ、屋根は正面が入母屋造、背面が寄棟造の桟瓦葺です。
主体部の南東側に方1間の洋風の衣装が施された応接室として利用した洋室が付属する
和風住宅です。
建物の外観は、鯛の彫刻の懸魚や鰤と帆掛船の意匠が二階欄干に施されています。
また、内装部材には檜、杉、黒柿、もみじ、欅、栃、さくら等の多様な樹種の木材が
使用されており、船舶を拵えるために収集した部材を主屋建築の際に使用したと
伝えられています。さらに、二階客間の天井板、鴨居、長押には檜を用いて格式の差を
設け、天井は檜一枚張りの船底天井となっています。
地元では産出されない多様な樹種の木材が使用され、内外に生業である廻船問屋を
意識した意匠を用いるなど、銚子港に近い位置に建つ地域的特性を反映した建物です。
国登録有形文化財だそうですが、外から見ると古めかしい木造家屋ながら、
お金をかけて建てられたお家なのだということが分かりました。
内部非公開が残念
銚子電鉄に乗ったり、降りてぶらぶら歩いたりするのも楽しいな、と最近思うように
なったのですが、こういう建物を見ると銚子も歴史のある土地だということを感じます。
ここから銚子港(前日の大内かっぱハウスがあったエリア)方面に歩いていくと、
とびうお、という名前のタイレストランや
海鮮料理のお店たくさん並んでいました。
車で銚子来る人が多いエリアなのかな、私以外誰も歩いていない11時すぎ、
お店のお姉さんに店頭で声をかけられてしまったのですが、前日の鯖の余韻があって
この日のお昼は違うものを食べようと思っていたので、あ、すみません、、、と
いいながらいくつものお店の前をスルーしてしまいました。
飛行機ぴゅーん
(私のスマホズームではこれが限界)
成田空港を離発着する飛行機はこのあたりや茨城県上空も飛ぶのですが
小さい頃実家の上空を飛んでいる飛行機を見つけては喜んでいたクセで
ついつい見かけると写メしたくなります。(^-^;
パールショップともえ
仲ノ町駅のネーミングライツを獲得したパチンコやさんですが、
調べたら2015年からなんですね。
ともえ、と聞くと「そろばん」と答える世代(エリア)ですが、
地元のパチンコやさんがローカル鉄道を支援するというのも銚子ならでは、
なのかもしれませんね。
(ちなみに、さなえ、と聞くと、「井関」と答える世代です。(笑))
漁港にたくさん停まっていたトラックを見ると
デコトラ
恐竜デコトラも!
デコトラというと、
あれ、この辺にあるはずなのに、と事前にガイドブックで調べたはずの
目的(というか銅像)が見つからず暫しうろうろしていたら、
近くの三差路で見つけました
いたいた銅像
三角州みたいな形の小さい公園(誰もいなかった)で見つけたのが、
このおじさん
濱口吉兵衛さん
和歌山県有田郡出身でヒゲタ醤油を設立した方という説明を見て、
小学校3年生の遠足で工場見学させてもらったヒゲタ醤油さん、ありがとう、
みたいな気持ちでやってきたのですが、wikiを見ると、東大を卒業しているので
和歌山から船に乗ってやってきてヒゲタ醤油を設立と思っていたのは私の思い込み、
だったようです。(^-^;
おまけに、ヒゲタ醤油の大元は銚子の豪農(田中家)が江戸時代に始めて、
明治、大正と時を経て同業の濱口家、岩崎家と一緒にヒゲタ醤油を設立、
という説明に、もうちょっとちゃんと勉強しようと思いました。
記事を書いていたらこのドラマもなんだか見たくなりました。
ルヴァン靖子さんはよくお見掛けしますが、川野太郎は今も元気なんでしょうか。
前日訪れた大内かっぱハウス
隣には行列の絶えない鈴女さんと青海さんもありますが、
この日も行列あり、以前一人の予約はとらないと鈴女さんに断られたので
(あとは、お魚という気分ではなかった)ここも軽くスルーしながら、
以前ワンタンメンをいただいた大塚支店さんも通過し、
銚子駅を超えて踏切近くの麗香さんへ
迷いつつ
ビール、餃子、ラーメン、と注文すると、お店のおばあちゃんが、
「え、普通のラーメンでいいの?うちは海鮮ラーメン、酸辣湯とか、
おススメがあるんだけど、普通のラーメンでいいの?」
前回来たときもこのおばあちゃんの圧が強いと思っていたのですが
「あ、じゃ、おススメの海鮮ラーメンにします」と答えていました。(笑)
弱いな、私。(´Д`)
近くにいた袖山さん(写真集)を眺めて気持ちを立て直します。
はい、かんぱい♪
お通しの冷奴はサービス。こういうのは嬉しいですね。
ほどなくして海鮮ラーメン
今回はつぶ貝少なめ(;_:)
こういう五目のあんかけ系が好きなので美味しくいただきましたが、
やっぱり一度普通のラーメン、食べてみたいです。。。
大ぶりな餃子
ざくざくキャベツたっぷり、生姜多めですが、食べているときはさっぱり感じましたが、
食べた後は結構にんにくも入っていたんだなあと感じる餃子です。
ランチタイムで店内も混雑してきたので、食べ終わったらすぐお会計して、
前日見つけた無人販売所でいわし餃子を購入してから銚子駅の改札を通って、
また来ますね、とご挨拶したら
成田行の乗り場(3番線)まで階段を上りおりして、
ちょっと時間があったので
小屋に行くと
懐かし気な写真
靖子&太郎♪
笠上黒生駅だったのかぁ
DVDをレンタルして更に見たくなりました、澪つくし。
また乗りに来ます
ピンクニュージンジャー号の入線を観た後は、
ステンレス車両に乗車します
成田行の電車はいつものようにガラガラだったので(女性車掌さんだった)
4人掛けのボックスシートに着席して、
ドナ・サマーを聴きながら
景色を眺めていたら爆睡していました
途中の滑河駅で目が覚めたら、踏切安全確認で遅れていますとアナウンス。
成田での乗り継ぎは19分あるので4分の遅れなら大丈夫、と思っていたら、
今度は成田駅に到着するちょっと手前で急停止。
付近を走行していた電車が緊急停止したため、安全確認できるまで暫く停車、
とアナウンスがあったと思ったら、「確認が取れるまでは車内にいてください、
決して外に出ないでください」と繰り返し注意がアナウンスされました。
ドアを手動で開けて外に誰か出たら、今度はその人のために線路の安全確認を
しないといけないからなんでしょうね。
安全を担保しながらの運行は本当に大変だなあと思っていたらほどなくして
電車は安全確認がとれたとのことで出発し、
到着
見慣れた電車に乗って我孫子に向かいます
成田行が遅れたと思ったら、我孫子行も手前の下総松崎駅で線路点検したという理由で
遅れて到着しましたが、この電車が到着して、銚子行に乗り換えが完了した時点で
銚子行の電車も遅れて出発していきました。
今回の旅でJRの遅れで銚子電鉄の出発も遅れるというのを体験しましたが、
今回はそういうことが多めの旅だったかもしれません。
見慣れた景色の中で再び爆睡し、
無事我孫子駅に到着
巨大な唐揚げそばを食べる余裕なく、
おとなしく帰宅の途に着くのでありました。
お土産
お腹が空いてから夕飯に鯖寿司(今回は炙ったタイプ)にお刺身はんぺん、
圓福寺さんでいただいた豆に、いわし餃子(ちょっとシソが入ってた( 一一))で
晩酌し、旅の疲れを癒しました。
今回、サンキューちばフリーパスを買うことができなかったものの、
そのお陰で、銚子でたっぷり時間を過ごすことができました。
袖山さんとの会話、ピンクニュージンジャー号のけばけばしいイルミネーション、
日の出の犬吠埼、満腹過ぎた鯖料理づくしに、大量のカッパたち、、、、
ルーティーン的な行動パターンに加えて、銚子もまだまだみどころがあるんだなと
思える体験もあって今回も楽しめた銚子旅行でありました。
夏になる前に、また銚子電鉄に乗りにいかねば!です。(^O^)
(これにて銚子旅行記2022 おわり)
一人で旅行していると会話がないので(笑)ついつい他人を観察して
時にイラついてしまう修行不足の私も、写経(30分)で少々心が浄化され、
そのままの勢いで銚子駅方向に向かいながら事前予習したものを探します。
銚子駅まで歩いても30分くらいのはずなので、今回の旅でもう銚子電鉄には
乗らないのですが、乗らなくても結構歩いて回れる銚子なので、電車に乗ったり
降りて歩いたり、という楽しみ方ができるのも楽しいと思うようになりました。
古めかしいお家
圓福寺飯沼観音近くで見つけたのですが、
磯角商店主屋
看板に書いてあった説明をそのままご紹介しますと、
磯角商店(「磯角」は屋号)は、飯田角蔵が1940年(昭和15)に廻船問屋を創立、
開業したことから始まります。
1946年(昭和21)に現在の飯沼町に移転し、曳家した家屋に居住していましたが、
1953年(昭和28)に現住宅である「磯角商店」を建築し、業務を発展させていきました。
主屋は妻入りで南面して建てられ、屋根は正面が入母屋造、背面が寄棟造の桟瓦葺です。
主体部の南東側に方1間の洋風の衣装が施された応接室として利用した洋室が付属する
和風住宅です。
建物の外観は、鯛の彫刻の懸魚や鰤と帆掛船の意匠が二階欄干に施されています。
また、内装部材には檜、杉、黒柿、もみじ、欅、栃、さくら等の多様な樹種の木材が
使用されており、船舶を拵えるために収集した部材を主屋建築の際に使用したと
伝えられています。さらに、二階客間の天井板、鴨居、長押には檜を用いて格式の差を
設け、天井は檜一枚張りの船底天井となっています。
地元では産出されない多様な樹種の木材が使用され、内外に生業である廻船問屋を
意識した意匠を用いるなど、銚子港に近い位置に建つ地域的特性を反映した建物です。
国登録有形文化財だそうですが、外から見ると古めかしい木造家屋ながら、
お金をかけて建てられたお家なのだということが分かりました。
内部非公開が残念
銚子電鉄に乗ったり、降りてぶらぶら歩いたりするのも楽しいな、と最近思うように
なったのですが、こういう建物を見ると銚子も歴史のある土地だということを感じます。
ここから銚子港(前日の大内かっぱハウスがあったエリア)方面に歩いていくと、
とびうお、という名前のタイレストランや
海鮮料理のお店たくさん並んでいました。
車で銚子来る人が多いエリアなのかな、私以外誰も歩いていない11時すぎ、
お店のお姉さんに店頭で声をかけられてしまったのですが、前日の鯖の余韻があって
この日のお昼は違うものを食べようと思っていたので、あ、すみません、、、と
いいながらいくつものお店の前をスルーしてしまいました。
飛行機ぴゅーん
(私のスマホズームではこれが限界)
成田空港を離発着する飛行機はこのあたりや茨城県上空も飛ぶのですが
小さい頃実家の上空を飛んでいる飛行機を見つけては喜んでいたクセで
ついつい見かけると写メしたくなります。(^-^;
パールショップともえ
仲ノ町駅のネーミングライツを獲得したパチンコやさんですが、
調べたら2015年からなんですね。
ともえ、と聞くと「そろばん」と答える世代(エリア)ですが、
地元のパチンコやさんがローカル鉄道を支援するというのも銚子ならでは、
なのかもしれませんね。
(ちなみに、さなえ、と聞くと、「井関」と答える世代です。(笑))
漁港にたくさん停まっていたトラックを見ると
デコトラ
恐竜デコトラも!
デコトラというと、
菅原文太&愛川欽也のイメージですが、こういうデコトラの塗装技術も
進化しているんでしょうね、鯨(シャチ?)、恐竜、とても緻密に描かれていて
暫し見入ってしまいました。
前日見たカッパ母子の像を発見 進化しているんでしょうね、鯨(シャチ?)、恐竜、とても緻密に描かれていて
暫し見入ってしまいました。
あれ、この辺にあるはずなのに、と事前にガイドブックで調べたはずの
目的(というか銅像)が見つからず暫しうろうろしていたら、
近くの三差路で見つけました
いたいた銅像
三角州みたいな形の小さい公園(誰もいなかった)で見つけたのが、
このおじさん
濱口吉兵衛さん
和歌山県有田郡出身でヒゲタ醤油を設立した方という説明を見て、
小学校3年生の遠足で工場見学させてもらったヒゲタ醤油さん、ありがとう、
みたいな気持ちでやってきたのですが、wikiを見ると、東大を卒業しているので
和歌山から船に乗ってやってきてヒゲタ醤油を設立と思っていたのは私の思い込み、
だったようです。(^-^;
おまけに、ヒゲタ醤油の大元は銚子の豪農(田中家)が江戸時代に始めて、
明治、大正と時を経て同業の濱口家、岩崎家と一緒にヒゲタ醤油を設立、
という説明に、もうちょっとちゃんと勉強しようと思いました。
沢口靖子主演 連続テレビ小説 澪つくし 完全版 DVD-BOXI 全7枚【NHKスクエア限定商品】
- 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
- 発売日: 2022/04/15
- メディア: DVD
ルヴァン靖子さんはよくお見掛けしますが、川野太郎は今も元気なんでしょうか。
前日訪れた大内かっぱハウス
隣には行列の絶えない鈴女さんと青海さんもありますが、
この日も行列あり、以前一人の予約はとらないと鈴女さんに断られたので
(あとは、お魚という気分ではなかった)ここも軽くスルーしながら、
以前ワンタンメンをいただいた大塚支店さんも通過し、
銚子駅を超えて踏切近くの麗香さんへ
迷いつつ
ビール、餃子、ラーメン、と注文すると、お店のおばあちゃんが、
「え、普通のラーメンでいいの?うちは海鮮ラーメン、酸辣湯とか、
おススメがあるんだけど、普通のラーメンでいいの?」
前回来たときもこのおばあちゃんの圧が強いと思っていたのですが
「あ、じゃ、おススメの海鮮ラーメンにします」と答えていました。(笑)
弱いな、私。(´Д`)
近くにいた袖山さん(写真集)を眺めて気持ちを立て直します。
はい、かんぱい♪
お通しの冷奴はサービス。こういうのは嬉しいですね。
ほどなくして海鮮ラーメン
今回はつぶ貝少なめ(;_:)
こういう五目のあんかけ系が好きなので美味しくいただきましたが、
やっぱり一度普通のラーメン、食べてみたいです。。。
大ぶりな餃子
ざくざくキャベツたっぷり、生姜多めですが、食べているときはさっぱり感じましたが、
食べた後は結構にんにくも入っていたんだなあと感じる餃子です。
ランチタイムで店内も混雑してきたので、食べ終わったらすぐお会計して、
前日見つけた無人販売所でいわし餃子を購入してから銚子駅の改札を通って、
また来ますね、とご挨拶したら
成田行の乗り場(3番線)まで階段を上りおりして、
ちょっと時間があったので
小屋に行くと
懐かし気な写真
靖子&太郎♪
笠上黒生駅だったのかぁ
DVDをレンタルして更に見たくなりました、澪つくし。
また乗りに来ます
ピンクニュージンジャー号の入線を観た後は、
ステンレス車両に乗車します
成田行の電車はいつものようにガラガラだったので(女性車掌さんだった)
4人掛けのボックスシートに着席して、
ドナ・サマーを聴きながら
景色を眺めていたら爆睡していました
途中の滑河駅で目が覚めたら、踏切安全確認で遅れていますとアナウンス。
成田での乗り継ぎは19分あるので4分の遅れなら大丈夫、と思っていたら、
今度は成田駅に到着するちょっと手前で急停止。
付近を走行していた電車が緊急停止したため、安全確認できるまで暫く停車、
とアナウンスがあったと思ったら、「確認が取れるまでは車内にいてください、
決して外に出ないでください」と繰り返し注意がアナウンスされました。
ドアを手動で開けて外に誰か出たら、今度はその人のために線路の安全確認を
しないといけないからなんでしょうね。
安全を担保しながらの運行は本当に大変だなあと思っていたらほどなくして
電車は安全確認がとれたとのことで出発し、
到着
見慣れた電車に乗って我孫子に向かいます
成田行が遅れたと思ったら、我孫子行も手前の下総松崎駅で線路点検したという理由で
遅れて到着しましたが、この電車が到着して、銚子行に乗り換えが完了した時点で
銚子行の電車も遅れて出発していきました。
今回の旅でJRの遅れで銚子電鉄の出発も遅れるというのを体験しましたが、
今回はそういうことが多めの旅だったかもしれません。
見慣れた景色の中で再び爆睡し、
無事我孫子駅に到着
巨大な唐揚げそばを食べる余裕なく、
おとなしく帰宅の途に着くのでありました。
お土産
お腹が空いてから夕飯に鯖寿司(今回は炙ったタイプ)にお刺身はんぺん、
圓福寺さんでいただいた豆に、いわし餃子(ちょっとシソが入ってた( 一一))で
晩酌し、旅の疲れを癒しました。
今回、サンキューちばフリーパスを買うことができなかったものの、
そのお陰で、銚子でたっぷり時間を過ごすことができました。
袖山さんとの会話、ピンクニュージンジャー号のけばけばしいイルミネーション、
日の出の犬吠埼、満腹過ぎた鯖料理づくしに、大量のカッパたち、、、、
ルーティーン的な行動パターンに加えて、銚子もまだまだみどころがあるんだなと
思える体験もあって今回も楽しめた銚子旅行でありました。
夏になる前に、また銚子電鉄に乗りにいかねば!です。(^O^)
(これにて銚子旅行記2022 おわり)
タグ:銚子