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京都旅行記2021秋~姫路城編①~ [日本の旅(関西&東海)]

姫路城のお濠近くまでやってきました。(意外と駅から遠かった)

IMG_9727.JPG IMG_9728.JPG 
お濠を見て、姫路城の敷地が思っていた以上に広い(´Д`)ことに気づきました。
彦根城よりは大きいけれどどんなもんかなあ、と甘い気持ちでやってきたことを
この時点で反省しております。(^-^; 世界遺産をなめておりました。

(今更wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E8%B7%AF%E5%9F%8E

昭和の大修理の頃に007が撮影されて、その45年後、平成の修理が5年にわたって行われて
白鷺の大天守閣がよみがえった世界遺産、姫路城(白鷺城)。
IMG_9730.JPGやっぱり世界遺産は凄いな。  
IMG_9731.JPG緊急事態宣言期間中は公開中止だったのかな
宣言解除から間もない頃だったので、こうやって来ることができて
ラッキーなんだろうな、という気持で、
IMG_9732.JPG橋を渡ります 
IMG_9733.JPGドローン禁止  
wikiにも書いてありましたが、ドローンで大天守閣が破損した事件があったり、
このお城に限らず寺社仏閣でも禁止のところが多いですね。
空から雄大な風景が撮れるのは良い一方で、操作を間違えば大切な文化財を
壊すことにもなりかねないので、禁止にするのも当然でしょうね。
IMG_9734.JPG橋を渡ってもお城に着かない(笑) 
IMG_9735.JPG市立の動物園もありました
地元の方には、憩いの場なんでしょうね。
(桜の季節は美しいんだろうな、と想像しながら歩きます) 
IMG_9736.JPG立派な松  IMG_9737.JPG
お天気もよく(物凄く暑かったのですが)お城が美しく見えてよかった。。 IMG_9738.JPG白鷺の大天守 
左にあるのは西小天守。(多分)
IMG_9740.JPG桜の季節 混んでるだろうな IMG_9741.JPG弱らせた奴は誰だ(V)o¥o(V)
この注意書き、中国語も入れておいた方がいいんじゃないの、と思いました。
(身勝手な日本人もたくさんいるからこんな注意書きがあるんでしょうが) 
IMG_9742.JPGまだたどり着けない。。 IMG_9744.JPG顔出しパネル?
IMG_9745.JPGlovin姐さんゑ 
IMG_9746.JPGやっとゲット
券売機で買いましたがカラーでなくてちょっと残念。 
IMG_9748.JPG菱の門
IMG_9817.JPG現在修理中
養生されていて見えないのが残念ですが、ここから天守閣に向かいます。
IMG_9749.JPGまだこんな距離( 一一) 
IMG_9750.JPGいの門(多分合ってる) 
IMG_9751.JPGろの門(多分合ってる) 
いろはに、と数えるほど門がある大きなお城ってことですね。
IMG_9754.JPGこういうところとか 
IMG_9755.JPG007、歩いたのかな  
IMG_9757.JPG綺麗な蝶を発見♪ 
IMG_9758.JPGにの門(だと思う) 
IMG_9760.JPGやっと近づいてきました 
IMG_9761.JPGIMG_9762.JPGほの門 
IMG_9763.JPG姥ヶ石? 
IMG_9766.JPGネットで囲われた白い石
上の説明に書いてある文章をそのまま転記しますと、

石垣の上方に欠けた石臼が間詰め石として積まれています。
これを「姥ヶ石」と呼んでいます。
羽柴秀吉が姫路城を築くとき石集めに苦労していました。
城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんがそのことを聞き、
使っていた石臼を寄付しました。
秀吉は喜んで石臼を石垣に使いました。
この評判はすぐ広まり、国中からたくさんの石が寄付され、
築城工事は急速に進み、立派に完成したというのです。

ここまで読んで、ほほぉ、さすが秀吉、いや、でも、貧しいお婆さんが
商売道具の石臼を差し出すか?無理やり接収されたらあり得るけれど、
と説明を読みながら一人説明に突っ込みを入れて、その続きを読むと。

「姥ヶ石」が積まれている石垣は池田輝政が築いたものなので、
この話は伝説です。
そのほかに、「姥ヶ石」には、お婆さん(姥)は妊娠しない(孕まない)ことに
かけて、石垣も孕まないようにとのお呪いで積まれたという説もあります。

と書いてあって笑ってしまいました。
更に、記事を書く段になってネットで調べて見つかった記事で、
昭和の大修理のときにつくられた話かも、という記述もあって、
あくまでも伝説ですから、という体で作ったのかもしれませんね。

姫路城も最初からこんなに大きなお城ではなく、

1346年に赤松貞範が築城、
1580年に羽柴秀吉が入城して三重天守を築いた後、弟に入封して大阪城へ、
1600年に関ケ原の戦いで池田輝政が城主になって翌年から大改築開始、
1609年に五重7階の連立天守完成。

池田輝政が城主になってからの大改築も、家康の指示によるもので、
大阪城(豊臣秀頼)包囲網として大きく改築したのだという記事も見つけました。

その後、本多忠政が西の丸を築いたり城主が変わっていき1867年大政奉還、
最後の姫路藩主だった酒井忠邦が版籍奉還を申し出た後、姫路城は存城が決定し、

1910年~1911年、明治の大修理、
1934年~昭和の大修理開始(途中第二次世界大戦で中断)、1950年~再開、
1951年国宝に指定、1956年~1964年大天守等の解体修理、
1993年(平成5年)日本初の世界遺産に登録、
2009年~2015年、平成の修理(大天守保存修理工事)

現在に至る、書きながら私もやっとこのお城の歴史が理解できました。(ざっくり)
IMG_9768.JPGIMG_9769.JPG 
IMG_9770.JPG先に済ませたから大丈夫(笑) 
IMG_9771.JPGやっと天守入口
ここまでたどり着くまで結構歩きました。
腰と股関節の痛さがありますがここは気合一発、てっぺんまで上ります!


(つづく)



タグ:兵庫 姫路
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