四国の旅2014~大洲ぶらぶら編②~ [チームSの旅]
臥龍山荘については、ホームページやらwikipediaやら、るるぶ先生から抜粋しますと、
(ホームページ)→ http://www11.ocn.ne.jp/~garyu/index.html
(wikipedia)→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A5%E9%BE%8D%E5%B1%B1%E8%8D%98
大洲藩第三代藩主の加藤泰恒が、目の前に見える蓬莱山が龍の臥す姿に似ている、
と「臥龍」と名付けた」この景勝地に加藤泰恒が色々と木々を植えていたものの、
その後は自然荒廃していったそうで、明治時代に豪商の河内寅次郎が老後の余生を過ごそうと、
この土地に建てたのが臥龍山荘。
ざっくり。(^_^.)
ただ、構想10年、建設4年という長い年月がかかったために、
寅次郎さんが実際に住まわれたのは短かったらしいです。
その後、 維持管理とか相続とか色々問題があったのか、、なんて思ってしまいましたが、
昭和53年に大洲市が譲り受けて、平成23年にはミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで
1つ☆掲載されているんだそうです。
ダイバー兄さんに聞いて「へ、がりゅう?」とか理解できずに、急いでるるぶ先生を観た私。
母屋というのか一番大きい臥龍院、知止庵、不老庵と庭園がありますが、
最初に入場料を支払って見学するのが数寄屋造りの臥龍院。
写真撮影禁止です。(-.-)
とはいえ、係のオバちゃん(苗字が栃木県の地名だった)がとても親切で、
一部屋一部屋、説明用のCDをダイバー兄さんと聞いていると、
説明が終わった後に補足で色々と話してくれて。(^_^)
その説明がなければ軽くスルーしてしまいそうな部分もじっくり見学できました。
豪商というくらいですからお金はたっぷりある訳で、でもそれが下品に成金チックに出ないように、
さりげなくいいものを使って、そう見えないようにする、って感じのお屋敷です。
某に◎ん御殿とは違います、ってオバちゃん、言ってました。(笑)
一枚板の杉を廊下に使っているのですが、わざと廊下っぽく溝を引いてみたり、
仏間のろうそくをつけると、それが隣の部屋(霞月の間)に入ると、
お月様のようにぽっと照らされているように見えるとか、
床下に備前焼の壺を並べて音響効果をよくしている部屋(能舞台にも変身する壱是の間)とか、
あと、説明聞いて驚いたのが、上村松園の師匠(鈴木松年だったかな)のきれいな絵もあったりして。
物凄く目の細かい畳とか(100年ものなんだとか)、立派な茅葺屋根とか、
これは職人さんも少ないだろうし、手入れや維持が大変だろうな、、、そんな視点でもついつい。。。
と、丁寧な説明をしてくれたオバちゃんにお礼を言って、
庭園を歩きながら知止庵、不老庵も観なければ、、と、
この扉をくぐって進みましょう。
庭から見える臥龍院です。
この写真、きれいでしょ、ダイバー兄さん撮影だからです。(^_^.)
私も撮ったのですが、ダイバー兄さんからもらった写真がきれいだったので、
使わせていただきました。
一つ一つ形が違う石 はい、大切にします
白い部分
珍種です
不老庵
おばちゃんに絶対天井を見てね、と言われたのでみたら、
竹が編まれていて
船底のイメージなんだって
見晴いいです
風流ですな
対岸から見える不老庵 肱川が眼下に見えます
青鷺 こんなに素敵な景色で
あまり長く住まえなかった、、なんて勿体ないですね、寅次郎さん。
この木、捨て柱と呼ばれるそうです。
こんな感じで支えられています
あと少しですが、臥龍山荘、見学がつづきます。
(つづく)