映画「その名にちなんで」を観る [映画(さ行)]
劇場で見ようと思いながら見そびれて今頃借りた作品です。
あらすじはamazonさんより。
1974年、インド・コルカタ(カルカッタ)の学生アショケは
列車での旅の途中、親しくなった老人から“海外に出て経験を積め”とアドバイスされる。
その直後、列車は転覆、アショケは手にしていたゴーゴリの『外套』が目印となり、
奇跡的に救出される。
3年後、アメリカの大学で工学を学んでいたアショケは、見合いのためコルコタに戻り
アシマと結婚すると、彼女を連れてニューヨークで新婚生活をスタートさせる。
慣れないアメリカでの生活に戸惑うアシマだったが、
やがて夫婦の間に元気な男の子が生まれる。
ちょっとした行き違いもあって、その子の名前はゴーゴリに決まる。
しかし、ゴーゴリは成長するに従って自分の名前を嫌がるようになり、
大学生になるとニキルと改名してしまう。
原作と少々つくりが違うのですが、(どちらかといえば、私は原作の方が好きかな)
それでも、心温まる作品でした。
列車事故から奇蹟的に助かったアショケは、列車で出会った男の言葉に運命的なものを感じ、
見合いで知り合ったアシマと結婚してアメリカに移住する、これだけでも大変だったでしょうね。
(アシマがアショケを選んだ理由が、アショケがアメリカ製の靴を履いているから、 というのが、
当時、好きな人と結婚できない女性のせめてもの、、、という気持ちだったのかと思いました)
旅行するのと生活するのは全然違うでしょう。
文化、風習、なにからなにまで異なる中で暮らしながらその環境に慣れていくこと、
特に、妻のアシマは慣れない環境で子育てもしていくということで大変だったかと。
その中で生まれた命が生きていく力になったのではないかと思います。
生まれた命に自分が奇跡的に助かったときに持っていた本からゴーゴリと名付ける、
その気持ちも分からないではないのですが、
アメリカ生まれのインド系2世男子の名前がゴーゴリ、学校でも当然からかわれてしまう訳で、
それをずっとコンプレックスに思っていたのも分かります。
結局大学生になる時に、ニキルと名前を変えて生きていくことにする息子、
(アショケもアメリカ流にすればいい、と反対はしないのですが、ガッカリしたでしょう)
その後家族で訪れたインドのタージマハルに魅せられて建築学を学び、
建築士として働くようになります。
ベンガル人と結婚してほしいと願う両親に逆らうように、
自分はアメリカ生まれのアメリカ人だと主張し、白人女性と付き合うニキル。
そんなニキルに両親は困惑します。
そんな頃、アショケからゴーゴリという名前の由来を聞かされたニキルは、
父の思いを知るのですが、その後アショケは急逝。
それがきっかけとなって、ニキルは自分のアイデンティティはどこにあるのか、考えはじめます。
この作品でもそうなんですが、インド以外の国で暮らすインド系コミュニティの中での風習、文化と
それ以外の違い、みたいなものを描いた作品にも思えました。
インド゙から移住してきた一世と、移住先で生まれた二世、この間に生じる食い違い。
親への反発心、子を思う親の気持ち、どちらもわかります。
ニキルは白人女性と付き合うことで自分は親と違って生まれながらのアメリカ人だと
思いたかったのか、でも、父の死で改めて自分が何者なのか考えるようになります。
結局ベンガル人女性と意気投合して結婚するのですが、奥さんが浮気、、なんて感じで
どんどん食い違っていく中、母アシマはインドに帰り、ニキルは自分を見つめ直す為に
インドへ旅立つ、そんな映像で映画は終わっていきました。
私自身は日本で生まれて日本で育ち、その後もずっと日本で暮らしているので、
移住することの大変さについては分かるようできっと分かっていないと思いますが、
(自分自身がそうしようと思ったこともなかったりするので(^_^.))
映画の中のみなさんは架空の人物ながら、ニキルにはたとえ奥さんと別れても強く生きて
いってほしい、と思いますし、きっと強く生きていくんだと思いながら観終わりました。
インド系の人々がたくさん出てきますが、私が普段みている「ありえねー系(笑)」とは全く対極の
ところにある作品で、自分も自分のアイデンティティというか、文化風習など、振り返ってみても
いいのかな、と思った「その名にちなんで」でありました。