ぐるうつぼ(参)~築地編③~ [ぐるうつぼ]
だらだら書き続けております築地編、今回で終わります。(^_^.)
聖路加タワーからの眺望を楽しめぬまま、福沢諭吉先生の有難いお言葉を頂戴し、
更に歩を進めてまいりますと。
木の向こうに古い洋館
小川も流れています。
トイスラー記念館でした
正面から見るとこんな感じ
聖路加病院設立者で聖公会の宣教師、ルドルフ・トイスラー医師
病院の宣教師館として昭和8年明石町に建てられ(建てたのは現在の清水建設)、
平成元年に解体、平成10年現在の場所に移築復元されたそうです。
昭和初期としては珍しい鉄筋コンクリート(一部木造)造りなんだって。
(詳しい説明はこちらを読んでね)→ http://www.ee-tokyo.com/kenzoubutsu/seiroka-byouin/kinenkan.html
洋館の横にはアメリカンな石碑
白頭鷲
元麻布善福寺から明治8年ここに移り、
明治23年に赤坂(以前通ったとき警備が物凄く厳重で驚いた記憶あり)に引っ越して
現在に至る、、、のですが、最後の移転の時に小松石の石碑が8個残され、
3個が現在の赤坂にある大使館、2個が聖路加ガーデン、残り3つがここに設置されている。
って書いてあります。(上の説明によれば)
築地というと、市場のイメージしかなかったのですが、
(あとは地下鉄サリン事件で沢山の方が被害に遭われた場所という印象です)
築地自体、埋立地の意味で(佃島の住人が造成したと知り)、外国人が沢山やってきたり
軍用地として使われたり、、関東大震災で大部分が焼失し、晴海通りや新大橋通りなど、
大規模な道路建設と区画整理が行なわれた場所、おまけに、慶応や立教(確か明学も)の
発祥の地でもあったということを今回学びました。
年長者とのウォーキングっていうのは勉強になるなあ、と実感しながら、
佃島に向かいます。。
都心でこういう緑というかお花を見ると和みますね。
で、歩き始めて
今度は暁星学園発祥の地を発見
慶応の時と違って文字に色が入っていて読み易い
暁星というと、フランス語を勉強している頭の良い人が通う学校、のイメージのみ。
ほかにご存知の方がいらっしゃったら教えてくださいませ。(^_^)
更に歩を進めると
江戸時代末期の開国後、外国人居留地になった築地明石町に
パリ国宣教会が明治7年(1874年)に東京で最初のカトリック教会として建てられ、
関東大震災で聖堂が焼失・倒壊した為、昭和2年(1927年)建て直されたそうです。
ギリシャの神殿みたい
実際パルテノン神殿の建築様式を参考に造られたらしいです。
カトリックの教会でこういう外観って見たことなかったもんで驚きました。
というわけで築地ぶらぶらもここで終了。
佃島に向かいます!
(つづく)