シンガポール旅行記2011~チャンギ刑務所博物館編②~ [アジアの旅(シンガポール①)]
迷いながらもやっとたどり着きました、チャンギ刑務所博物館。
非常に静かなところです
入口には、
チャンギの壁画の説明
(wikipedia)→ http://en.wikipedia.org/wiki/Changi_Murals
日本によるシンガポール占領時代、
チャンギ刑務所に収容されたイギリス兵(狙撃手)Stanley Warren氏によって
刑務所内の壁に描かれた絵のことだそうです。
戦後忘れ去られた壁画が1958年に発見され、Warren氏によって修復され
(修復は1988年までかかったそうです)
壁画自体はWarren氏の高齢化で5枚中4枚しか修復できなかったそうですが、
現物はチャンギキャンプの陸軍訓練センターに飾られているそうです。
私が行った刑務所博物館と礼拝堂には複製画が飾られていますが、
Warren氏は限られた材料と厳しい環境の中でキリスト降誕などの壁画を描いたそうです。
で、もちょっと進むと入り口
入館料は無料です。 でも、写真撮影はNG。
とはいえ、以前は写真が撮れたようで、
こちらのサイトをご覧いただけば雰囲気はわかると思います。。
(こちらね)→ http://homepage3.nifty.com/htaguchi/monument/changinew.html
ちなみに、私が中に入ったときには、先客というか白人中年男性1人。
その後、団体客(アジア系)が入ってきては滞在10分未満で退出、、なんて感じで2組。
うるさい団体客にわいわい長居されても嫌なのですが、
場所が場所だけに何だか複雑な気分にもなりました。。
で、撮影NGだったので、展示されていたものをメモしました。以下列記します。
◇1941年の日本軍の侵略ルート地図
◇シンガポール側についた他国の軍隊の説明
(インド67000、英国39000、豪州/パキスタン/NZ/オランダ15000、シンガポール/マラヤ1600)
(飛行機は256機)
◇2001年シンガポール通商大臣Georg Yao氏の言葉
(平和と当たり前のことと思わないことが大切であり、
戦争が二度と起きないように、自国を守る必要が二度と無いように)
※私がその場で日本語で訳してメモしているので実際はちょっと違うかもしれません
◇日本軍の軍服や刀(オランダ/KNIL博物館からの寄贈?)
サムライソード(SAMURAI SWORD)と記述されていました
◇日本による占領時代の様子
日の丸が町中に掲げられている写真、
日本兵が現地の老人を敬っているのを観て驚いたという地元学生の証言
大日本帝国の法に従わないという理由で8人の現地人の首を刎ね、周囲に晒す日本兵の写真
毎日「運動」と称して体操をさせられ、青い星のマークを洋服につけるように強いられ、
更に昭和天皇の要る北東に向かってお辞儀し日の丸掲揚を強いられたという証言
技術者として働く現地人の月給が63日本ドル、日本ドルは「バナナマネー」と呼ばれたが
占領中にインフレで価値がなくなった。(日本敗戦後はもちろん価値ゼロになるわけで)
シンガポールを昭南島と呼ぶこと、毎日の君が代斉唱を強いられたという証言
占領時、飢餓や食糧不足が増え、食事もお粥やわずかの塩魚で凌いだという地元民の証言
「日本の行いを決して忘れない」という言葉。
◇チャンギ刑務所に捕虜として収容されていた人たちの様子
「3年半の間、毎日死の恐怖を感じていた」というイギリス人兵Jack Sharpe氏の言葉
収容されていた房の見取り図(狭い部屋にコンクリート製のベッド)
収容されていた人たちの無事を祈ってオーストラリア人たちが作ったキルト作品
(チャンギキルトと呼ばれるそうです)
刑務所で使われていた脱走防止用フック(塀の上に設置されていた)
捕虜が使っていたふんどし、鍵、名札、房のドア、有刺鉄線や塀(実物)
ラジオ(BBCを聞くと罰せられたそうです)
◇日本軍による残虐な殺戮
日本軍の指示に逆らったインド人たちの処刑(処刑と称した殺戮と書いてありました)
逃亡しないと約束する書面にサインしないと病人をつれてきて感染すという日本軍に逆らい
英語で偽のサインをしたイギリス人の証言
(チャーチル、ミッキーマウスなどのサインだったとか)
◇KEMPEITAI(憲兵隊=秘密警察)についての記述
拷問に使った道具(荒縄)の展示、火責め、水責めの様子
◇日本軍占領時代の苦しい中、精神的な支えとなった教会の存在について
◇鉄道建設に駆り出された人たちの強制労働
◇ベリベリ(beriberi、脚気のこと?)に罹った人たちに無理やり消毒薬を噴霧する様子の写真
などなどです。。
占領した側の日本人としてみるのが辛い写真もありましたが(ぼけていたけれど)
かといって見ないで済むものでもないし、と思いながら1時間ちょっと見学しました。
日本兵全てが残虐だったかというと、
中には捕虜に水をそっと差し入れをしたり、なんて人もいたようで、
そんなことを知って本当に少しながら救われた気持ちになれましたが、
シンガポール国立博物館やイメージ・オブ・シンガポールなどでも展示されていた通り、
「昭南島」として日本に占領されていた3年半は、
シンガポールの人々にとって一番長くて辛い時だったのだと思いました。
展示をひととおり見た後、
外のチャペルを見学し
レストランがあったのですがさすがに呑む気起きず
バスに乗ってホテルに戻りました。。。
以前訪れたシンガポール国立博物館と同様に
設立以降、展示内容などは少しずつマイルドになっているのかもしれませんが、
こういう場所を訪れる機会を得たことは自分にとって大きな経験となりました。
でも、毎度思うのですが、
日本の学校でこういう教育もちゃんとしないといけないのにね。
アメリカが戦争で敵方だったことも知らない人が増えているのを以前テレビで見て
驚いたのですが、日本の過去は歴史として学ばないと、アジアの他の国々から
「何にも知らない人たち」として相手にされなくなってしまうような気もします。。。
シンガポールに旅行に行ってちょっと時間があれば立ち寄れるところですので
多くの日本人の人にも訪れてほしいと思ったチャンギ刑務所博物館でありました。
(つづく)