青森旅行記2011Ⅱ~浅虫温泉編④~ [日本の旅(東北)]
朝風呂、昼酒で心地よい中(早起きで眠いんだけど)、海辺を散策いたしましょう。
ゆ~さ浅虫を見ながら海沿いを前進
ヨットハウス(閉まってた)
のどかな風景です
湯の島
浅虫温泉さんのホームページによれば、
「湯の島」は浅虫観光港から西北800mの沖合いにあります。
4月中旬には全島カタクリが咲き乱れ、時期にあわせてカタクリ祭りが開催されます。
また樹齢400年を越すケヤキの巨木もあります。
浅虫温泉の象徴である湯の島は約600~700万年前の火山活動によってつくられました。
正面には赤い鳥居と弁財天を祀る祠があります。
明治30年頃、浅虫村民が観光客の目を和ませるため赤茶けた島に黒松の苗木2,000本を
小船で運び植樹したと言い伝えられています。
カタクリって、片栗粉のカタクリだよね、と思いながら花の色が何色か調べたら、
赤紫っぽい色なんですね。。 花が咲き乱れる頃の島の雰囲気って全然違うんだろうなー、
と記事を書きながら思っております。(だって歩いているときは知らなかったし(^_^.))
こちらは裸島
見た目が丸裸な感じだからかなあ、と思っていたら、どうも違うみたいです。
またまた浅虫温泉のホームページから転載いたしますと、
青森市と平内町との境にある白根崎の西方500m沖、
東北大学臨海実験所の前の海上にあります。
将棋の駒を立てたような形をしており、高さ33m。その名の通り裸の巨岩です。
かつては陸続きであったものが、長い年月の間に波浪の浸食により島状の地形になりました。
岩石は流紋岩で、その表面は温泉化作用を受けて黄褐色に変質しています。
<伝 説>
昔、里で母親が幼いわが子を木陰に寝かせ畑仕事をしていた時、
一羽の大鷲が飛来、眠っているわが子をさらって裸島の頂上に下ろし羽を休めていた。
気づいた母親は狂乱し、素手で岩を登ろうと必死で岩肌をひっかいた。
元来滑らかな岩だった裸島もその時側面が欠き削られ、
母親の血で染まり今の形になったといわれている。
母の愛情の貴さを物語っている島となっている。
母の愛の素晴らしさは分かるのですが、その光景を思い浮かべると凄そう。。。(^_^.)
と、ぶらぶら歩いていたのですが、結構陽射しが強くてチリチリ焼けるようだったので、
帰りの電車の時間も近づいてきたし、、、と駅に戻ることにしました。
途中で見かけた鶴亀屋食堂さん
入口にはたんたんたぬき
食べログで見たら、ものすごい盛りのマグロ丼で有名なお店なんですね。
(食べログ)→ http://r.tabelog.com/aomori/A0201/A020102/2000724/
色々な方のブログなどでも取り上げられていますが、こんな物凄い盛り、私には無理そう。
お持ち帰りも出来ないし。。。。
帰り道は海側から中に入って線路沿いを歩き、昼酒した駅前食堂まで戻りました。
パラリラパラリラ~
今でもこういうのに乗っている人(多分アンちゃん)いるんだねぇ。。。
でも、きっと食堂のオバチャン達には礼儀正しくしているんだろうなぁ、、なんて想像しながら、
駅前の足湯に行きました。
こんな看板があったのですが、
日陰にはオバアチャン&孫2人、そして、足湯しないで座って喋っているオバチャン2人。
日陰エリアはその5人でMAXだったので私は仕方なく日の当るところに座ったのですが、
尻(けつ) 熱っ!!!!!
飛び上がりそうになりました。
で、暫くガマンしてやっと馴染んだところで、
入りましょう ジャブン
熱ぅ。(ーー;)
こんな木を見ながら暫しガマン。。。
数分でギブアップしましたが、足を外に出したらスーッと涼しくなって汗が引きました。。。
電車まで10分くらいのところで、駅に戻り、
キオスクの金魚ねぷたを眺め
な、なつかしい。。。
青森行きって下りなんだー
とか、思いながら帰りもモーリー電車に乗車、心地よい揺れに爆睡してたら
あっという間に青森に到着~。
さささ、夜の部までまだ時間がございますので、もちょっとぶらぶらいたしましょう。
(つづく)